渡名喜(Ⅳ)
港と郵便局
長軸の長さが600メートルしかない島の観光を終えて、いったん宿舎に戻り、またぞろ歩き始める。港まで行ってみることにした。珈琲の飲める喫茶店ぐらいはあるだろう、と期待したのだが、だれに訊ねても「ない」と答える。
フェリーポートの片隅に「ターミナル食堂」があって、そこには「営業中」の札が吊してあるのだが、戸は閉まっていた。正午だけ短時間開店する食堂らしい。その横に土産物売り場もあった。こちらはフェリー出発の30分前だけ市がたつという。
珈琲を飲んだ。自動販売機の缶コーヒーである。ついでに、さんぴん茶(ジャスミンティー↑左)も買った。ターミナルの前に「重伝建」選定の石碑と案内板(↑右)を発見。この島の選定に尽力された方々に深謝、一礼。
再び集落に這入る。東へ進むと郵便局にでた。絵はがきはなかったが、郵便ポストの形をしたはがきを買って、小文認め息子と義母に投函。さらに、沖縄産のタンカンを義母と平城園に送るよう手配した。徳島のK氏や愛媛のM氏にも送りたかったが、住所が分からない。ごめんなさい。
村役場にて
さらに歩いて、こんどは「村並みセンター」と称する民家をみつけた。いちばん最初に修復された建造物だそうである。その横の脇道に村役場の軽トラックが停まっていて、ひょいと覗くと、渡名喜島景観計画の報告書が目に入った(↓右)。軽トラの乗り手を捜した。だれも居ない。そうだ、役場に行くことにしよう。
港の脇に建つ村役場の入口で事情を話すと、ただちに2階に通された。渡名喜村教育委員会教育行政課。スタッフは3人全員が女性である(課長は男性で別室)。リーターのM係長がたいへん丁寧に応対してくださった。『渡名喜島集落形成ガイドライン』という報告書報告書も2冊いただいら。係長は4月に配属されたばかりで、まだ町並み保存のことがよく分からないと仰られた。こういう方に限ってことの本質を理解されているものだ。
401人の島
過疎と少子高齢化の問題は、予想をはるかに超えて深刻なようだ。ウィキペディア記載の統計資料によると、島の人口は以下のように変化している。
1970年: 1004人
1975年: 721人
1980年: 608人
1985年: 529人
1990年: 560人
1995年: 616人
2000年: 523人【重伝建選定】
2005年: 531人
2010年: 452人
そして、今年(2014)の人口は401人。島で唯一の教育機関である幼・小・中学校の在校生は34名。。重伝建選定から15年を経て、村の人口は122名少なくなったのだ。おそらく来年は総人口が400人を割るであろう。なにがしらかの新しいアイデアが必要になっている。
半時間足らずで役場を後に。係長は玄関先まで送ってくださった。島の人はみな優しい。 【続】
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