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はてなキーワード: 主題歌とは

2026-05-08

移植リメイクの度に主題歌変わるのマジ悪習だと思ってるから、懐かしい主題歌流れるだけでグッとくるし買いそうになるな

2026-05-04

アニソンは下の下に見られてたしアニメも恥ずかしいものだった

70年代まではアニメの曲は「まんがのうたw」扱いで完全にバカにされていた、と昔のアニソン歌手が語っていたそうだ。

80年代から売れっ子作詞家作曲家が手掛けてアイドルが歌ったものもあるけど、それでもアニメの曲は下に見られてたよ。アニメ自体オタクのものとして公言できる趣味ではなかった。テレビでも取り上げたりしなかったし。

エヴァ流行ったとはいえテレビ版やってた頃はオタク間だけだったじゃん。主題歌流行ったつっても非オタクが見るテレビ番組で堂々取り上げられたりはしなかったはず。映画地方では上映はミニシアターだった。それでも上映あるだけマシだった。

テレビアニメ特番やってガンダムエヴァなども取り上げ始めたのいつ頃からだった?気づいたらアニメ好き芸人バラエティ特番ガンダムの話をしていて、あれよあれよという間にエヴァの話も堂々とやるようになっていた。以前はアニメ特番と言ってもせいぜいフランダースの犬アルプスの少女ハイジ無難ものしかなかったのに。

anond:20260504082938

お互いが利用し合ってるからしょうがないね

富野ガンダム映画第1作で谷村新司に歌ってほしかったがかなわなかった

エルガイムでは主題歌を当時一流のヒットメーカーに書いてもらった

アニソンではなく普通の曲にしたかたからだ

アニメ一般アーティストに歌ってもらうことで一般作品として認められ

今は一般アーティスト側がアニメを反則に使ってる

両方メリットがあるんだから別にいいんじゃないかな

2026-05-03

anond:20260502232822

富野作品の情けない敵、ってのが、

いい感じになるの、って

あれ富野由悠季という人間のみっともない部分、

とか富野由悠季のどうしようもなく弱い部分、

そういうのをキャラ投影してるからだと思うんだよな。

もう有名な話だけど、

F91の頃の富野さんは、実の娘さんとうまくいってない時期でさ、だからセシリーという娘に鉄仮面が殺られそうになるところとか、あれ完全に自己投影なんだよな。

それが証明されてるシーンがあって、

映画が終わって主題歌がかかってスタッフロールが流れて

って

最後になって突然あらわれるのが、

左半分のガンダムの顔

右半分の鉄仮面の顔

が迫り上がってきて

それがピタッと左右重なる画像になる。

あれは要するに

ガンダム鉄仮面は実は一体となってるもの

という私小説てきな告白をめずらしく、やってるとこで

鉄仮面とはつまり

ガンダム富野という仮面かぶっている自分自身のことで

あると告白と同時に

そういう仮面かぶってしか娘と接してこなかった

自分という

反省みたいなもの

ひょうげんしてるんじゃないか

もっというと、あれは娘さんに

ごめんなさい、仲直りしたい

ということを伝えたかったんじゃないか

ってことなんだよな

2026-04-28

anond:20260424224452

既存曲にもいろいろあるけれど、既にリリースされている曲をそのまま流しているケース

タイアップアニメと一緒に作られた曲、カバーソングアニメを機に編曲された曲を除いて、

最近ということで、ここ10年間くらいの分かる範囲で書いてみる。

2017

アニメ曲名流れるタイミング
天使の3P!LAZY - 感じてKnight10挿入歌

2019

アニメ曲名流れるタイミング
荒ぶる季節の乙女どもよ。THE BLUE HEARTS - TRAIN-TRAIN1話 挿入歌
 ザ・タイマーズ - お前の股ぐら第4話 挿入歌
 THE BLUE HEARTS - チェインギャング10挿入歌

2020

アニメ曲名流れるタイミング
かくしごと大滝詠一 - 君は天然色ED

2023

アニメ曲名流れるタイミング
うる星やつら忌野清志郎+坂本龍一 - い・け・な・いルージュマジック第18話 挿入歌
君のことが大大大大大好きな100人の彼女あんしんパパ - はじめてのチュウ第2話 挿入歌

2025

アニメ曲名流れるタイミング
光が死んだ夏AKB48 - 会いたかった1話 挿入歌など
銀河特急 ミルキーサブウェイキャンディーズ - 銀河系まで飛んで行け!主題歌(OP/ED)
サラリーマン異世界に行ったら四天王になった話工藤静香 - MUGO・ん…色っぽい1話 ED
 川村かおり - ZOO第2話 ED
 小坂恭子 - 想い出まくら第3話 ED
 エレファントカシマシ - 今宵の月のように第4話 ED
 松原みき - 真夜中のドア〜Stay With Me第5話 ED
 山崎ハコ - ヘルプミー第6話 ED
 あべ静江 - みずいろ手紙第7話 ED
 研ナオコ - あばよ第8話 ED
 永井龍雲 - 道標ない旅第9話 ED
 崎谷健次郎 - もう一度夜を止めて10ED
 木之内みどり - 横浜いれぶん11ED
 城南海 - アイツムギ12ED

2026

アニメ曲名流れるタイミング
鎧真伝サムライトルーパー森口博子 - サムライハート第5話 挿入歌
ガンバレ!中村くん!!村下孝蔵 - 初恋1話 ED
 バブルガム・ブラザーズ - WON'T BE LONG第2話 ED
 スチャダラパー featuring 小沢健二 - 今夜はブギー・バック smooth rap第3話 ED
 バービーボーイズ - 負けるもんか第4話 ED
 泰葉 - フライディ・チャイナタウン第5話 ED
 PRINCESS PRINCESS - 世界いちばん熱い夏(平成レコーディング第6話 ED

映画まで広げたら「One more time, One more chance」や「ひこうき雲」とかもっともっとあるでしょうな

2026-04-27

anond:20260427111458

原作単体のパワーとか切り分けて評価できない指標をもってきてどうすんの

エンタメなんだからすべては総合力でしかないだろ

制作会社出版社CM主題歌タイアップで強いところを引っ張ってこれたことそのもの原作のパワーと言い換えてもいいぞ

anond:20260427101234

薬屋か?弱くはないけど忍たま鬼太郎に並ぶかっていうと並ばないってのが一般的評価でしょ

鬼太郎は3億で純粋に上、忍たま発行部数は1000万ぐらいだけどアニメ主題歌がつよすんぎ

2026-04-22

男女四人組の思い出

最近、男女四人組のあるVTuber動画にハマっている。VTuberは年を取らないから、彼らは永遠に大学生放課後のようなたわいのない会話をやりとりし、失ってしまった青年期の幻影をきらきらと見せ続けてくれる。しかしあるときふと、思い出したのだが、私もかつて男女四人組放課後を遊んでいた。それは学生期よりもはるかに昔、私が小学生の頃だった。

いつから四人組になったかは覚えていないし、いや、ずっと四人組でつるんでいたわけでもなく、何となく仲のいい男子二人と女子二人が時折ユニットコントのように遊んでいた、というようなものだったと思うが、あまりに昔のことすぎて確実ではない。ひとつ覚えているのは、理科実験室での席替えを我々四人だけが拒んだということだ。我々は四人揃って磁場が出るので、席が近いこのままにしてくれと頼んで、何故かあっさりそれが受け入れられた (寛容な学校だった)。小学六年の時の運動会の、四人五脚もこの四人組で出た。四人のうちわたしを含む少なくとも三人はド文化系だったのに、何故かクラスで二番目に早いチームだったから、本当に何かが出ていたのかもしれない。しかし、四人で実際に何を遊んでいたのかというと、今となってはほとんど思い出すことができない。

男二人、女二人の四人組であったわたしたちの間に、少なくともわたしの知る限りでは、ロマンチック雰囲気ひとつとなかった。一度、ひとりの男子わたし教室裏に呼び出して、何か神妙な顔で切り出したことがあるが、お前はオスマン・サンコンを知っているか、という問いだった。明らかに世代ではなかったが、サブカル全般に通じていたわたしは当然知っており、「いっこんにこん」「さんこん」というやり取りを交わし、彼は小躍りしながら教室に帰って行った。

もう一人の男子とは小学卒業後も細々とやり取りが続いた (わたし中学受験東京に出たので、基本的同級生たちと疎遠になった)。わたしは一度彼を中学文化祭に招待して、アニメ版デビルマン主題歌歌詞ってなんか変じゃねという話題で盛り上がった。SNSでも繋がった彼はその後ケモナーになり、TLに時折大量のセンシティブケモ絵を垂れ流していたので、申し訳ないがミュートさせていただいている。でも、ごくたまに飛んでくるリプライには、国語の授業で阪田寛夫の詩をラップアレンジして披露した、小学生にしては非凡な当時のセンスがいまだに光るのを見る。

女子の一人はわたしオタクの道を案内したひとであり、当時わたし彼女師匠姉御か、とにかくそう呼んでいた。彼女はただひとり、わたしと同じ速度で話す女子だったから、わたし孤独にならずに済んだのだった。小学六年生にしてすでにテニプリ同人パラレルファンタジー漫画を描いていて、それはあまりに新しい世界だった。結局わたしテニプリにはハマらなかったが、三歩歩けばテニプリ腐女子にぶつかる学園中等部に進学したから、それは優れた先取り教育でもあった。

無駄感傷に満ちた、あまり記憶曖昧なこの文章を書きながら、わたしは彼らにもう一度四人で会いたくてこれをしたためているのだろうか、と思う。それが叶わないかVTuber動画をぼーっと見ているのだろうかと。でも、もし同窓会なんか開いて、久々に会った一人が、「子供の小受伴走で大変でさ〜」とか切り出したら、テーブルをひっくり返してしまうかもしれない。むしろ、この文章がいつか三人の誰かに届いて、わたしが当時のあなたがたに今も感謝していることが伝わればいいなとだけ祈りのように思う。当時明らかに発達に偏りがあったわたしが、小学校高学年の難しい時期を乗り越えることができたのは、あなたがたという、少し変わったものたちの居場所があったかなのだと。偏差値のような数字の力場に引き摺られることな中学受験を終えられたのは、地に足つかない遊び場が残されていたかなのだと。そうして、同じように難しい時期を迎えている今の子供たちにも、そのような居場所があることを願ってやまない。

2026-04-21

リメイクに失敗したといえるアニメ作品7選

ドラゴンボール(改)

まず主題歌ダメ(ドッカンとやぶれかぶれは好き)。変なBGMだった、そして盗作流用で途中から菊池俊輔の旧BGMになってた。人造人間編でのセル役の若本規夫の著しい劣化魔人ブウ編のビーデル声優交代がガッカリ要素。

ハイスクール奇面組

作画が酷過ぎる。昭和古典ノリが令和では受け付けなかった。主題歌微妙声優目的でなら見れた。

らんま1/2

表現規制が凄かった。特に乳首券なしセクハラシーンが一部カットなど。声優の多くを旧のまま強行したため一部聴き苦しいのがあった。作画はマシだったがド派手な色彩配色がクソ。主題歌ゴミ

るろうに剣心

第1期は実績のある山本秀世監督だったお陰でエロとか殺陣が良くて御庭番衆や雷十太辺りは概ね評価が高いが第2期で素人さんに監督交代した途端作画陳腐化、演出が酷くなった。特に方治周りが改悪された。肝心の殺陣も最悪。声優も悪くはなかったものの旧作の方が演技してたと思う。

地獄先生ぬ~べ~

旧作を超える原作話を擁した第2期こそ持ち直した感じだが第1期から表現規制がきつくて原作の良さを全く活かせなかった。作画も手抜きが目立った。あと主題歌がどれもこれも印象に残らない。バリバリ最強NO1が偉大過ぎた。

天才バカボン

深夜帯に放送おそ松さんという最強のリメイクに対して一度たりともオリジナルティの点で勝てなかった。完全に空気。内容も火曜版サザエさんを見てたようなガッカリアニメだった。

封神演義

封神演義アニメ化してない。

主題歌込みで成功したといっていいリメイク

ドラゴンクエスト ダイの大冒険

旧作がバランの所までだった事もあり最期までフルリメイクし朝アニメながら常にハイクオリティーを維持した。主題歌OPED共に秀逸。また関係者をしてゲーム版が大失敗だったものアニメはグッズ売り上げ込みで成功したといわれてる。

宇宙戦艦ヤマト

こちらもフルリメイク。もはや知らない人はいない位素晴らしいリメイクだった。アニメ円盤売り上げが非常に好調だった事から作品成功物語っている。

おそ松さん(おそ松くん)

第1期が社会現象になるほど。現在殆ど見る影もないが第1期の成功いつまでも続編が作られ続けている。

Fateシリーズ

ufotable版。主題歌から脚本声優作画演出劇伴まで全てにおいて最高品質DEEN版も決してダメだった訳じゃない(特にアーチャー絡み)がモノが違う。公式DEEN版が黒歴史扱いされたのは記憶に新しい。

主題歌は旧作に劣るものの一応成功扱いのリメイク

鋼の錬金術師

旧作で大炎上したロゼ絡みがリメイクでは原作に忠実再現された事で評価が高い。ただ旧作もアニオリ展開が超大作なので甲乙つけがたい。但し主題歌は旧作の圧勝

スラムダンク(映画)

原作井上雄彦氏の意向を押し切ってアニオリエンドにしてしまった旧作に対して原作に忠実にした。声優交代問題こそあったが公開後は概ね評価された。ただ主題歌は残念ながら旧作に軍配が上がる。テレビアニメでのフルリメイクが待たれる。

魔法陣グルグル

そもそもコケようがない。ただ主題歌は旧作が強すぎる。

フルーツバスケット

原作ラストまでやりきり舞台化や新作アニメ化も果たしたリメイク成功といえるものの、主題歌は旧作に負ける。

うる星やつら

声優の交代を断行したのが功を奏した。旧作はアニオリ多めではっきり原型を留めてない分リメイク評価は高め。主題歌は勿論ryポスター関係で盗用が見られ物議を醸した。

ハンターハンター

キメラアント編までをアニメ化(旧はGI編まで)。声優交代の問題特になし。ただ主題歌は旧作が強すぎた(特にヨークンシティ編)。

東京ミュウミュウ

せっかくラストまでフルリメイクしたのに終始空気だった。主題歌は旧作に劣るもの作画はここぞという場面で神作画を連発したので評価は概ね高い。東京スカイツリー使用許可下り東京タワー再利用した事で話題になった。余談だが藤原ざくろ役の声優マカ棒で酷過ぎた。

YAIBA

天下のWITだったお陰で作画演出は極めて高品質声優もヤイバ以外総とっかえだったものの実力派揃い。主題歌は良いけどそれでも旧作のイメージが強い。

海外放送される日本アニメって声優は違う人なのに主題歌は一緒で驚いた

外国人を道案内するローカル番組るろうに剣心が好きって人がいてその人の話聞く時に

南米るろ剣放送されてた訳だからジュディマリそばかすなんて流れてる訳ないやろと思ってたらその人好きらしくて道案内する芸人さんとハモってて笑ったけど

おかしいよね、だってアメリカ版だといわゆるフタエノキワミアッー!でしょ。だから声優さんは違うでしょ

主題歌は一緒なんだね。知らんかったわ

そういえばドラゴンボールZ主題歌、二曲ともフランススペインではメチャクチャ知られた曲のようで影山ヒロノブが熱唱した時も一緒に歌ってたなって思い出して

声優は違うけど主題歌は同じなんだね、てっきり現地で現地の人の主題歌に変更されてるものだと思ったな

違うんだね、意外!

2026-04-20

大本編より有名になってしまった主題歌

Bling-Bang-Bang-Born

少年時代

あとひとつは?


キャッツアイはどうかねと思ったけど、原作ちゃんと有名だよね。

ゲットワイルドもそうだね。北条司作品はそうなりやすいのか。

2026-04-19

第6回 どうして人は「青春」にとらわれるのか その魅力と魔力の正体とは 2026年4月18日 15時01分 連載「青春コンプレックス」⑥

 「青春」という言葉不思議だ。部活初恋文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。

 

 ――「青春」をテーマにした映画アニメ小説などが、ちまたにあふれています

 少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツ枚挙にいとまがありません。

 

 例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生主人公で、アニメ主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春コンテンツに含まれるでしょう。

 

 「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージ一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります

 

 ――どういうことでしょうか。

 

フィクションから」で片付けられない

 

 1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生既存社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的ものだ、という社会認識があったのです。

 

 それが高校大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきますさら2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通日常」がテーマとして好まれるようになりました。

 

 ――こうした「青春」のイメージが、現実当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。

 

 「青春」が「普通日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。

 

 つまり作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます

 

 そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドル芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。

 

 いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者承認してもらえるか。いわば「ミッションクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます

 

陳腐だけれど「善」のイメージ

 

 ――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。

 

 「青春陳腐さと特別さが混ざり合った規範から」だと、著書では結論づけました。

 

 現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐ものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別意味を持ちます

 

 誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。

 

 さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的感情を入れる余地のないものから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくま社会的に作られたイメージであって、相対的ものに過ぎないということです。

 

 ――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。

 

 研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいものなのだと思います

 

 私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。

 

 要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分アイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。

 

      ◇

 

 いしおか・まなぶ 1977年まれ。専門は教育歴史社会学で、子ども若者イメージ社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。

 

https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html

2026-04-13

あるライターがなろう小説堕ちしていたことを知った

・青い空へと向かって深呼吸で歩こう

エロゲ黄金時代にそこそこエロゲーをやり込んだ人間なら「あーあったねそういえばそういう作品」と思い出す様なあるメーカー作品群がある。

そのメーカー自体2000年代後半には解散したのだが、代表作を書いていたライター確認できる限り2010年代頭までライターとして活動していて、そこから忽然と姿を消していた。

もう2000年代流行オタク業界の話なので、こういうことはよくあることなのだが、往時にはそこそこ活躍していたオタク界隈の中である種名声があった名物クリエイターで、今では足を洗ったのか、消息知れずの人たちは結構いる。

俺が好きな作品ライターもそうだった。

当時流行っていた学園物で、どこか2000年代ネット/アキバ界隈特有の、あのゆるい開放感のある自由雰囲気でのコメディが得意で、とにかく優しくて面白くて「楽しい」、ノーテンキな世界観が心地よかった。

そのメーカー音楽特に定評があり、ライター謹製作詞と、2000年代オタク音楽特有フュージョン、ニュージャックスイング、コンテンポラリーR&B系の透明感ある音楽と相まって、いい感じに肩の力抜いたふざけた歌詞とあっていて、未だに思い出の音楽としてXなどでも結構話題に上がるくらいだ。

そんなわけで、今でもXやyoutubeを探せば、そこそこ音楽作品評価して名前結構上がるくらいには、まだファンも多いライターだった。

・広い澄んだ青空とが似合う作風ライターは、なろう系という沈殿するオタク社会の闇へ堕ちていた。

数週間前、ゲームwikiを見ていてふとその懐かしいタイトル記事があるので目を通していた。内容は、ハッキリ言って1から10まで覚えているのだから見る必要もないかなと思っていたのだが。

そこで、あるURLが目に付いた。

なろうや、なろう系のカクヨムURLだった。

15年近く消息不明だった、そのライター消息が分かった瞬間だった。

クリックして読んだ先の作品は、25年も前に完結したライター代表シリーズの続編兼ある種の最終回の様な短編だった。

あの時代の空気雰囲気もそのままに、主人公ヒロインや悪友キャラ達が再開し、再び「面白い物を探して」、青い空の向こうへと歩き始める物語

あの頃と何もかも変わらない、古い友人というか、昔よく言った店がまだやっているような安心感ノスタルジーを覚えた。再びあのキャラ時代出会う事が出来て、嬉しかった。

だが、それもリンクから15年の間何をやっていたのだろうと、探してみると、失望へと変わっていった。

惨めな氷河期世代オッサンニートだとか、他責思想丸出しのテンプレのようななろう主人公療育放棄された頭の病気の様な悪役令嬢、そんな判で押した様なテンプレなろう系ばかりの作風ばかりになっていた。

そこには「あの時代」に発揮した才能や感性カケラもない、

どこかの素性不明の本でとってつけたような兵站論や物流論、軍事理論講釈を垂れて粋がるバカ主人公

スラップスティックとただの奇行区別もつかない悪役令嬢が、〇狂いじみたことを喚きながらトー横のメンヘラの様に暴れまわる頭の病人の様な主人公

貰い物のチートだとか、現代知識無双をして、ヒロイン以外同性の友人すら出てこないあまりにも惨めな主人公

そんなものばかりだった。人気はそこそこあったのかもしれない、だが、そこにはなぜこんなメンタルでまだシャバにいられるのか、という様な煮詰まった読者欄に生息するなろう系の負け組オタクばかりがテンプレ評価する蟲毒だった。

子供のころ、石の裏をひっくり返して蠢く虫や蛞蝓を見たような気分を思い出した。

唯一救いがあるとすれば、書いていたライター当人も何か思うところがあったのか、2020年に入る前には活動を停止していることだった。今となっては作品はどこかのブログ魚拓サルベージされた場所しか見ることはできない。

あの時代市場規模の中で活動していたのだからネットで言われるなろう系市場実態と以上乖離して「儲からない、将来性がない」というのを体感的に察知して筆をおいたのか、それとも何か別の理由でもあるのか、あまりにも現実乖離したなろう系オタク達に心が侵食される様な苦痛を感じて逃げ出したのか、それは今となってはわからない。

いつまでも当たり前の日常が続いていた「セカイ系という世界」そして「一瞬だけの青春ぬるま湯時代」への鎮魂歌

かつて、「セカイ系」と呼ばれた一群の流行があった。

それは、世界というものがひどく狭く、しかし同時に、どこまでも広がっているかのようにネットで、秋葉原で、オタク界隈で、個々の若者たち人生で感じられた2000年代という時代産物である

日常は終わることなく続き、青春は一瞬でありながら、画面の向こうの主人公やその親友ヒロインたちも、そして画面を見る側の当人たちには永遠に似た手触りを持っていた。

いわば、ぬるま湯の様な富裕な日本の穏やかな時代産物だった。

何より哀しかったのは、なろう系を書いている以外で、かつて自身が手掛けた作品群の続編や外伝の様な短編を書いているときだけは、その感性や才能が色鮮やかに蘇っているところだった。

それは、失われていたはずの完成が色鮮やかに息を吹き返す、セピア色の黄ばんだ写真が綺麗にあの頃の青春空気と、匂いと、青空と、温度が戻ってくる様な感触に思えた。

そこには、成り上がり美少女承認欲求を求めて銃や刃物を手に他人殺傷する極悪人の様ななろう主人公はいない、他人が落ちていくのを「ざまあ」と笑うあまりに惨めななろう主人公も悪役令嬢もいない。

書類数字講釈を垂れながら、見ることもない兵隊一般人を「致し方ない犠牲」と平気で切る血も涙もない人非人の様な、なろう系主人公もいない

まるで場末キャバ嬢か、脳に何らかの寄生虫でも入ってるかの如く主人公マンセーマンセーと褒め称えて股を開くヒロインもいない。

そこにあるのは、ただ、あの頃と変わらぬ「人間」たちであった。

あの頃と何も変わらない、他者世界逆恨みすることなく、加齢で余裕がなくなって承認欲求劣等感精神おかしくなって認知が歪んでいるわけでもなく、

心が歪むことなく、いつまでも続く「終わらない文化祭」のような毎日と、静かに流れる「なんとなくぬるま湯の様な優しい世界」で、また面白い事を探して次は何をしようか、と仲間やヒロインと探して軽口を言い合って青空の下を歩いていく、

そして、主人公と悪友は別れ際にこう言葉を交わすのである

「さあ、また旅に出よう、あの青い空しか見えない、青い階段を上がれば出口だよ」

「結局俺達は、まだ何も見てないんだな」

だってそうだもの、"見る"キミがいてこその世界からね。だからもう一度世界を見て回ってきてほしい。」

「そんな重背を親友に負わせるなよ、友達遣いが荒いな」

「そうかもね、それだけ君を信用しているということさ。おっと、僕は遅れてから行くよ、そろそろ時間だ。また会おう。」

「ああ、また、どこかで」

このやりとりの中に、彼等と俺達と、そしてあの時代世界のすべてがある。

ああ、彼等や彼女らだけが永遠に続く様な錯覚でなく、本当に永遠の中にいるのだ。

青い階段を昇りつめた後に広がった青空と夏の街を一望できる白いビル屋上景色が広がり、

主人公は持っていた腕時計だけを青空に向かって放り投げる、そしてこう言った

「うん、まずはこれをしないと何も始まらいから。」と

ああ、それは時間というしがらみからさえ自由になるために離脱するという意味する行為なのだと、俺は感じ取った。

現実時間という世界から、本当に旅立ってしまったのだ、「永遠」の方へと。

その当時の古参ファン感想に古い友人を訪ねる様に感想欄に現れていた、それはまるで、亡き友の家や墓を訪れるように…なろう系オタクは誰一人といない、その落差があまりに悲しいと俺は感じた。

なろうやカクヨムに続きが書かれた時点で、本当に彼等は「死んでしまった」のだろう。とすると、続編は全て主人公が死んだ先に見た夢の中を、俺達が追体験しているだけなのかもしれない。

別のタブで開いているyoutube再生している、あの頃の作品主題歌は、きっとあの時代と彼等への鎮魂歌なのだろう。

気の抜けた明るい歌詞が流れている、だがそれは、本当に永遠世界へと旅立っていってしまった彼らと彼女たちの、あまりに悲しい鎮魂歌だった。

それは、明るさを装いながら、すでに失われた時代とその中に生きた人々と、あの日世界にとらわれ続けた俺をひそやかに弔っている。それは同時に、青青の時代とそこに生きた彼らへの静かな挽歌でもあった。

彼等はすでに旅立っている…きっとそれも、帰ることのない永遠の方へ。

彼等は帰らぬ旅へ出た。

そして、その旅路は、もはや俺が生きる時間のうちにはない。

いわば永遠のものの中へと静かに編入されたのである

彼等はすでに去った。

次の「面白い事」…青い鳥を探して、帰ることのない旅路へと赴き、時間の流れから離脱した。

そして今や俺の目の前から離れていった彼らは、彼女たちは

永遠という、歴史の外部に属している。

――去ったのだ。

青い鳥を探しに、

二度と帰らぬ道へ。

そして今、彼らはもはや、

この時代の中にはいない。

俺がなお、時代時間の中で生きている以上、きっともう彼らに再び会うことはないだろう。

ただ、記憶の中においてのみ、彼らは微かに息づく。

・・・それが、あの時代の残した、最後の光である

2026-04-05

主題歌に米津やらVaundyやらの正解アーティスト安直採用するアニメ制作者たちは、大作映画主題歌米良美一やら木村弓やらを採用したスタジオジブリのことをもう一度よく思い出せ。勝ち方は沢山あるぞ。

2026-03-29

2026年アニメ映画感想

昨年秋くらいか映画を見る熱が戻ってきたので今年見たやつについて二、三文程度で雑感想

アニメ中心(2/3くらい)でみるのでとりあえずアニメだけ雑に五段階評価

迷宮のしおり ★★★☆☆

多分今年一のトンチキアニメ

ジャンル的には若干ラブロマンスもあるモダンファンタジー作風かと思いきや、明らかに監督趣味であるロボットが出てくるので実質マクロス

まりのトンチキぶりにより評価よろしくないのはわかるが、主題歌である「Sailor, Sail On」は普通にいい曲なので聞いてほしい

この本を盗むものは ★★★★☆

作中で呪いにより様々な本の中の世界探検したりするのだが、本の中ということでファンタジーでも何でもござれなオムニバス形式で色々な本の中の世界演出が楽しめた

ただ、全体的になんか力尽きていそうだな?といった限界を感じる部分があったので色々と惜しい(惜しいと思う程度には面白いので本当に色々と惜しい)

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ第一章と第二章) ★★★★★

第一章ではハサウェイの飛躍が描かれていたが、第二章からは順当にバッドエンドフラグを積み上げていて見ているこっちがワクワクするとともに辛くなる

モビルスーツ戦闘CGがとても見ごたえがあって、そのシーンだけでも何回も見たくなる

クスノキの番人 ★★★★☆

さすが東野圭吾と思わせる綺麗に起承転結で話が構成されており、安心して楽しく見ることができた

入場者特典の小説であるクスノキ裏技」では作中では主人公の壁として立ちはだかった柳澤将和のエピソードが読め、視聴後の満足感を向上させた

ただ、劇中歌として流れた謎ラップのような何かは雰囲気ぶち壊しなのマジでよくない

涼宮ハルヒの消失 ★★★★★

ハルヒ20周年記念のリバイバル上映ということで見たが、元々が名作なので久々に見た今でも名作であった

多分、映画を見た当日の現実世界消失世界体現するような雪の天気だったということもあるのかもしれない

ただ、舞台挨拶ライブビューイングで見ていた時のぶつ切り(?)のような何かだけが不満点

新劇場版 銀魂 吉原大炎上 ★★★★★

新劇場版とある通り、過去アニメとして放送された吉原炎上篇の劇場版リメイクだが実質別物レベルの大作

いつもの万屋ギャグはしっかり笑わせてもらいつつ、各バトルシーンは掛け合いも含め、とにかく熱く面白い

IMAXで見たのは大正解

僕の心のヤバイやつ ★★★★☆

総集編アニメ映画であるが、総集編の前後におねえたちのライブシーンにまつわる新規シーンと、総集編にもかかわらず総集編を構成するための新規カット・再収録部分もあって、ちゃんファンを楽しませようとしていて嬉しくなる

ただ、2クール分の総集編はちょっときついかな?って感じるシーンもしばしば

とりあえず、ファン現在発売中のメガミマガジン2026年4月号を買えばいいと思う

かぐや姫 ★★★☆☆

何かやけに話題になっていたので映画公開日の初日の朝一で見たが、脚本の出来がものすごく微妙で一部のオタク層との感性の違いを痛感した

ただ、ライトノベル版の出来は普通に楽しく読める類で、文章だけなのに映像や音もある映画版よりもはるかノイズも少なくわかるものになっているので、物語を楽しみたい人はそちらを読んでライブシーンの一部をyoutubeで公開しているものを見て補完するのがおすすめ(まぁあの3人のライブライブじゃなくて親しいものとのカラオケに近いので無理な人は無理かも)

まぁライトノベル版を読むと脚本の雑さが際立ち評価が数段下がるトラップがあるけどね

劇場版鬼滅の刃無限城編 第一章 猗窩座再来(ScreenX) ★★★★☆

映画評価としては文句なしの★★★★★なのだが、今回は見たのは2026年2月20日より公開が開始されたScreenX版の方で評価するとこうなる

これは個人の楽しみ方の問題ではあるが、自分が好きなシーンはScreenXを活用した無限城の演出や猗窩座との戦闘シーンじゃなくてScreenXが活用されないシーンなのでちょっと残念

ULTRA 4DXの方も気になったが、いつも行く映画館にないしそもそも日本に4箇所しかない

映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城 ★★★★☆

旧作を令和の価値観倫理観で丁寧にしたてたリメイク作で、普通に面白い

令和のファミリー特に子供)向けの映画ちゃんスネ夫ジャイアンが窒息死しかけるシーンができることにある意味感動した

旧作好きでまだ見ていない人はエンドロールの一枚絵ラッシュを見るためだけにも見る価値はあると思う

映画ひみつのアイプリ まんかいバズリウムライブ! ★★★★☆

みんなライブを見に来ていると思うので、誰もストーリーを見に行く人はいないと思うが予告であったスプリングフロートレースは冒頭3分くらいで終わってて笑った

お手本のような減価償却だったが、映画向けにライブ歌詞を改変して楽しませようとしていたのがいいと思った(アイスマイリン好きは尊死してんじゃないですかね)

基本的応援上映なのに、ほとんどの人はペンライト振るくらいで静かだったのが心残り

パリに咲くエトワール ★★★★★

噛めば噛むほど味が出る映画で、極端にいいシーンはないが、順当に面白いを積み上げている

メインの舞台1912年~(少なくとも1913年は来ているし、終盤は1914年も来ていると思う)ということであらゆる描画にその時代コンテキストが乗っかってくるのが非常に強いし、制作側もそれを分かって時代考証した上でちゃんと作っているので「なんちゃってパリ」になりすぎなくて良い

ラストではなんかいい感じに綺麗に終わったが、その後はどうなったか考えたくないがとても気になる(エンドロール的のフジコ絵画から断片的に情報はあるけど不条理にまみれてそうで……)

私がビーバーになる時 ★★★★☆

良質なアニマルパニックもの動物たちの捕食者・非捕食者の関係ちゃんと描画されたり(これにより作中のカオスさが際立つ)、サメ質量兵器として空を飛んで襲ってくるシーンがあったりするなど何でもあり

ただ、主人公のメイベル人間視点では作中で最も自己中心で環境活動家要素をもったカスで、衝動的に交渉相手を殺したりするザ・ポリコレディズニー体現者なので、その手の要素が地雷の人は注意

2026-03-26

シティーハンターGet Wild(ゲットワイルド)をここまで神話化した理由

シティーハンターGet Wildをここまで神話化した理由

思考時間: 1 秒

これ、かなり核心だね。

Get Wild名曲だった のは前提としてある。

でも “神話”にしたのはシティーハンター側 だと思う。

まり

曲が作品に合った

だけじゃなくて、

作品の終わらせ方そのものGet Wild儀式にした。

ここが大きい。

1. まず「エンディング流れる」のが強すぎた

これが最大級に大きい。

オープニング曲って、作品入口なんだよね。

でもエンディング曲は、物語を見終わったあとの感情を回収する曲 になる。

シティーハンターって毎回、

ドタバタ

アクション

色気

軽口

でも最後は少し切ない

みたいな余韻が残ることが多い。

そのラストGet Wild が入ると、

その回の話が全部

「夜の都会の物語だった」

って感じに再編される。

まり Get Wild は単なるBGMじゃなくて、

各話の感情の着地点 になった。

これが何十回も繰り返される。

すると視聴者の中で、

事件が終わる → 夜が来る → Get Wild が鳴る

という回路ができる。

もうここまで来ると曲じゃなくて、条件反射レベル演出装置 なんだよね。

2. 「終わり方の美学」と完全に噛み合っていた

シティーハンターの強さって、

派手なアクションだけじゃなくて、

終わり際がかっこいい ことなんだよね。

冴羽獠って、

ふだんはスケベで軽い

でも決める時は決める

依頼人人生には深く踏み込みすぎない

どこか去っていく男

という、すごく**“余韻の似合う主人公”**なんだよ。

で、Get Wild ってまさに余韻の曲。

全部を説明しない。

泣かせにも来すぎない。

でも感情を残す。

から話が終わった瞬間に流れると、

視聴者

「獠にも言葉にしない孤独がある」

この街の夜はまだ続いていく」

って自然に感じる。

これがすごい。

作品が曲を説明してないのに、

曲が作品の奥行きを勝手に増やしてる。

3. シティーハンター自体が「都会の夜の神話」だった

ここも大きい。

シティーハンターって、ただのアニメじゃなくて、

新宿という都市の夢 を背負ってるんだよね。

夜の街

ネオン

危険

美女

裏社会

でもどこか人情がある

一人で全部背負う男

こういうものを、

漫画アニメとしてすごくうまくパッケージしてた。

まり作品の時点で、もう

都会はかっこいい

でも都会は寂しい

それでもこの街で生きる

という世界観ができてた。

Get Wild はそこに、ほぼ完璧に一致した。

から曲が作品を支えたというより、

作品と曲が合体して、ひとつの都会神話になった。

もしこれが田舎の学園ものとか、

昼の青春ものだったら、ここまで神話化しなかったはず。

シティーハンター都市性があったから、Get Wild はただの主題歌を超えた。

4. 冴羽獠というキャラの“言わなさ”に合いすぎていた

これもかなり重要

獠って、何でも口で説明するキャラじゃない。

本音を長々しゃべらない。

色気もあるし、バカもやるけど、

芯の部分はかなり寡黙。

から視聴者は、

獠の感情を全部セリフでは受け取らない。

最後空気で感じる ことになる。

そこに Get Wild流れると、

曲が獠の代わりにしゃべるんだよね。

でも歌詞ベタ説明しないから、

「獠はいまこう思ってます」にならない。

その代わりに

強がり

孤独

優しさ

去っていく感じ

街に溶ける感じ

がまとめて立ち上がる。

まり Get Wild は、

冴羽獠内面説明しすぎずに補完する曲 だった。

この距離感絶妙だった。

5. 毎回の「入り方」がかっこよかった

これも神話化にめちゃくちゃ効いてる。

Get Wild って、曲単体でももちろんいい。

でもシティーハンターでは、

どこで入るか がすごく大きかった。

話の最後の一撃、別れ、振り返り、歩き出し、夜景、静かな締め。

そういう瞬間にスッと入る。

この「入るタイミング」が何回も決まると、視聴者はもう快感になる。

要するに、

名曲から 기억に残った だけじゃなくて、

毎回“勝つ場面”で使われたか神話になった。

プロレスでいえば入場曲みたいなものに近い。

自体の良さに加えて、

鳴る状況がずっと美味しかった。

これがデカい。

6. 「アニメの曲」なのに、作品の外でも成立した

神話化するにはこれも必要

Get Wildシティーハンター文脈で強い。

でも作品を離れても、

夜のドライブ

都会の帰り道

一人の時間

ちょっとキメたい気分

で成立する。

まり視聴者日常再生できた。

これが強い。

毎週テレビで刷り込まれイメージが、

現実の夜道でも起動するわけ。

すると人は、作品を見てない時でも

自分人生を少しシティーハンター化してしまう。

帰り道に Get Wild聴くだけで、

ちょっと新宿っぽい、ちょっとハードボイルドっぽい、

ちょっと“わかってる大人”っぽい気分になれる。

この私生活への侵食力 が、神話化には必要なんだよね。

7. シティーハンターの“軽さ”と“重さ”のバランスを、曲も持っていた

作品って、ただ渋いだけでも神話になりにくいし、

ただふざけてるだけでも残りにくい。

シティーハンターは、

もっこりみたいな軽さ

美女とのやりとり

コメディ

がある一方で、

裏の仕事

別れ

守れないもの

一人で背負う感じ

もある。

この軽さと重さの同居が作品の魅力。

Get Wild も同じで、

ポップで耳に残る

でも少し冷たい

かっこいい

でも切ない

を同時に持ってる。

から作品トーンとズレなかった。

明るすぎる曲でもダメ、暗すぎる曲でもダメだった。

ちょうど「笑って終われるけど、胸に何か残る」温度 だったから、

あそこまでぴったりはまった。

8. 反復が“儀式化”した

神話って、一回でできるものじゃないんだよね。

何度も同じ快感が繰り返される ことで神話になる。

シティーハンターGet Wild関係はまさにそれ。

毎回、

物語を見る

獠が動く

問題が片付く

少し寂しさが残る

Get Wild が入る

この流れを何度も経験すると、

視聴者の中で Get Wild

シティーハンターが終わる音」

ではなく

「かっこいい夜が完成する音」

になっていく。

ここまで行くともう神話

単なる主題歌ではなく、

ある感情の完成形そのもの になる。

9. 後年のネタ化お約束化も、逆に神話を強めた

面白いのは、後になって

エンディングGet Wild流れると全部それっぽくなる」

みたいなお約束が広まったこと。

普通ネタ化すると格が落ちることもある。

でも Get Wild は逆で、

ネタにできるほど様式として強い ことの証明になった。

まりみんな、

あの入り方

あの余韻

あの夜感

を共有してるわけ。

共有される様式は強い。

しかも笑いにもなるけど、本気でかっこいいと思われてもいる。

この二重構造神話を長持ちさせた。

10. 結局、シティーハンターGet Wild を「曲」から様式」に変えた

これが一番大事かもしれない。

Get Wild最初ひとつ楽曲だった。

でもシティーハンターがそれを繰り返し使うことで、

夜の終わりに鳴るもの

都会の余韻を完成させるもの

言葉にしない孤独を包むもの

へと変えた。

まりシティーハンターがやったのは、

Get Wildヒット曲したこと以上に、

“こういう時に鳴るべき曲”という文化的な型にした ことなんだよね。

から神話化した。

一言でまとめると

シティーハンターGet Wild神話化したのは、

この曲を単なるエンディング曲ではなく、

物語のあとに夜と孤独を完成させる儀式」にしたから。

そして冴羽獠新宿夜景、余韻、別れ、軽口の裏の切なさ。

その全部が、Get Wild という曲の中でひとつ結晶した。

から今でもみんな、

曲を聴くだけで

シティーハンターっぽい夜” を一瞬で思い出せるんだと思う。

2026-03-21

オタク反戦デモがなぜオタクから支持されないか教えてやろう

アニメ漫画女の子というオタクが好むアウトプットがないか

デモなんかやって喜ぶのは左翼だけ

オタクデモに巻き込みたいなら、可愛い巨乳美少女キャラロリペタ幼女マスコットキャラにして

活動レポートは全部マンガ

左翼ジジイババアは汚いから登場禁止

はんせん!というプロパガンダアニメを作って主題歌vtuberに歌わせる

これやればオタクは釣れる

チョロすぎるのに、この程度の知恵も出ない左翼はアホ

2026-03-13

つのまにアニメ市民権を得たのだろうか

市民権を得た」と言うには、まだ少し大げさかもしれない。

最近アニソンに対する批評のような文章ちょっと話題になっていて、それを読みながらふと思った。

そういえば、なぜタイアップ先としてアニメを目指すアーティストがこれほど多くなったのだろう。

もちろん実際には、最初からアニメを狙うぞ」と意識しているわけでもないのだろう。制作側の都合やレーベル戦略の中で結果的にそうなることが多いだけだと思う。それでも、少なくとも「アニソンJ-POP下請け」などと揶揄されるくらいには、人の目に触れる場所に出てきているのは確かだ。

ただ、よく考えれば、タイアップという仕組み自体別に新しいものではない。ドラマ映画主題歌だって、長いこと同じ構造で作られてきた。映像作品があり、その入口や印象を担う音楽がある。

それなのに、なぜアニメけが、こんなふうに言及されるようになったのだろう。

ドラマ主題歌映画主題歌が「タイアップ」として語られることはあっても、それ自体が一つのジャンルのように扱われ、批評議論の矢面に立つことはあまりない。ところがアニソンは、いつの間にか「J-POPとの距離」を測られたり、「下請け」だとか「踏み台」だとか、そういう言い方で語られるようになった。

まりアニメ特別に強いプラットフォームになったというよりも、むしろタイアップという仕組みの中で、アニメけがやけに可視化された場所に立たされている、という感じがある。

なぜそこまで目立つようになったのか。

たぶん理由は一つではない。配信時代に入って海外に届く回路がアニメに集中したこと、毎クール大量に供給される作品数、そして何より「オープニング/エンディング」という形で曲が作品と強く結びつく構造。いくつもの要素が重なって、音楽映像の結びつきが他のメディアよりもはっきり見える場所になった。

結果として、アニソンJ-POPの中の一つの出口でありながら、同時に「J-POPアニメ関係のもの」を象徴する場所にもなってしまった。

からこそ、そこに対して評価批判も集まりやすいのだろう。

そう考えると、「アニメ市民権を得た」というよりは、単に目立つ場所に立たされる規模になった、というだけなのかもしれない。

2026-03-08

ちゃんみな推しの子opしっくりこないよな

「笑って見せても きっと信じないでしょ」

「泣いて見せても きっと信じるんでしょ」

ルビーの話なら、ここ逆じゃねって毎回思っちゃう

逆にセレナーデは、アクアの心情と合致しすぎててリピートちゃう

アーティストとしての力量はちゃんみなの方が上だと思うけど、やっぱ主題歌なら作品解釈が合っててほしいと自分は思う派だな

2026-03-06

anond:20260306110941

複数を取り込むってのは確かにそうかもねえ

ほかでも言ってた主題歌にラッドだの、ひげ男だの、Yoasobiだの、アイドル系だの採用して入り口を広げている

最近って程でもないけど、ガンダムではVtuberだし、取り込み戦略がうまくいった結果なんかもしれんね

ちなみに進撃のヒグチアイはめっちゃすきやな

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