はてなキーワード: 自戒とは
※無駄に長い
※なんか弁解っぽくなっちゃった
前回の日記の直後から通院を再開し、仕事は辞めてアルバイトに切り替えた。医者の言う通り、そもそも総合職は本当にやめた方が良かったのだろう。所謂双極性障害1型とのことで医者と相談の上障害者手帳を取得した。定期的に通院を続けている。
元彼との別れから1年半ほど経ち、なんとなく区切りがつくような出来事もあったので、今改めて振り返っておこうかと思う。
ちなみにその後は順当に鬱になりいつ死ぬか分からない状態で、一度は親戚に保護されたが、今は割と穏やかに過ごしている。
振り返ってみると元彼と付き合っていた頃、つまり正社員だった頃の自分は本当にキャパオーバーだったのだろう。仕事が出来ない訳ではなかった。むしろ、周りより早く昇進したことへのプレッシャーが自分を追い詰めていたと思う。そこまで有能なわけではないのに、ADHD故かなまじ初動がいいばかりに期待だけが高まり、本来の自分の実力との乖離で焦っていた。辞めていく先輩、補充されない人員。4,5人分の仕事を1人で引き受け、そこそこの大企業にも関わらず中間管理職もいなかった。ただただ、「キャリアを断絶させてはならない」「レールの上に沿って正しく生きなければならない」と自分に呪文のように言い聞かせていた。躁の時期には万能感で溢れ、あらゆる仕事を馬車馬のようにこなした。鬱の時期は毎日電車で泣きながら出勤し、家に帰ると泥のように眠った。
ちなみに躁でエネルギーが溢れる時期には元彼との結婚のために副業で夜間にバイトもしていた。普通に睡眠時間2時間とかだったので、社会人2,3年目の割には頑張って貯金していたと思う。
今過去を振り返ると、だからこそ、ずっとふたりで話していた25歳での結婚を前にして「貯金4万」とのたまった元彼に失望したのだと思う。ていうかそれは貯金じゃなくて預金では?こればっかりは今でも思う。前回わたしが料理をしない事で元彼をコンビニ貧乏のような状態にしてしまったとは書いたが、冷静に考えて家計の半分以上は私が出していたし、やっぱり貯金4万はどう考えてもおかしい。ていうかそもそも元彼は私の8個上だったし。どうやったら4万になるんだろう?浪費している様子は特になかったが。年収自体がそこまで多くなかったとはいえここに関しては本当に解せない。なぜ?
そして私が大癇癪を起こして別れた後、元彼は貯金4万なので引越し費用を貯めるまで数ヶ月かかり、その間に私があの恥さらしな愚行をしでかした、というのが実際の時系列である。ちなみに結局たぶんアコムかなんかに借金して引越したようである。
ただしかし、上記の事情があったにせよ、デストロイヤーモードの私が元彼に投げつけた言葉や態度は猛省すべきであり、二度と繰り返してはいけないと戒めている。一度口に出してしまった言葉は取り返せない。本人には誠心誠意謝罪した。
人間関係において、きっとどちらかだけが悪いということはあまりないのだと思う。元彼には金銭的な問題があったし、私は家事を疎かにしすぎ、別れた後の態度はあまりにも非人道的だった。
だけどその後謎のおじさんと一緒にいたのは本当になんだったんだ。正気の沙汰ではない。本当に意味がわからない。まあそれが躁なのだろうから、自覚した上でもう二度と同じ轍は踏まない。これに関しても本気で反省している。思い出すとだいぶ希死念慮が湧く。
そしてその後しばらくして、本当に訳が分からないが私に好意を抱く男が現れた。あらゆる過去の愚行を打ち明け、自分と付き合うことのデメリットをいくら列挙してもそばにいたいと言った。ゴミカス人間バカ女すぎると自覚しているのだが、蓼食う虫も好き好きといったところか。
彼は人好きのする、嫌味もなければ卑屈でもない、大変素直な人間である。私が迷った時や悩んだ時には親のように寄り添い導いてくれるが、無理に管理することもなく適切な距離を保ってくれる。めちゃくちゃいいやつである。私はとにかく嘘が付けない性分だが、そういうところが信用できて好きなのだと言う。付き合う前、自戒したとて抗えない何かによって躁になってしまい、あなたを傷つけるのが怖いと言う私に、「俺がいれば大丈夫な気がする」とのたまった。なにを無責任にと思ったものだが、しばらく経った今、過去より確実に波を乗りこなせるようになってきているので、まあ彼の言うことは一理あったのかもしれない。というか多分五理くらいはある。
一緒に住んでいるし、わたしは仕事を辞めたし(バイトはしており食費は私が持っている)、親にも会っているし、お互い金銭的にも問題はないので、結婚しない意味がそもそもない。扶養入っちゃってもいいし。あと普通にめちゃくちゃ仲がいいしめちゃくちゃお互いを好いているし尊重しあっている。付き合って半年程でだいぶロマンティックな場所でプロポーズをされ承諾した。
バイトではバリバリ稼いでいるが、隠居した老人のように本当に穏やかな日々を送っている。
でも、たとえこのまま躁鬱の波が落ち着いたとしても、通院は絶対に辞めないし、病識をしっかり持ち続けたい。躁の自分は自暴自棄になって行動力が強くなり、人を傷つける可能性がおおいにあること。今ふつうに生きていると思っている自分が、いつ豹変してしまうか分からない病気を抱えていること。これをしっかり胸に刻んで生きていきたい。
1年越しではあるけれど、前回の日記で不快な思いをさせた方、ごめんなさい。
(片付けは未だに本当にできない。こないだコバエ湧かせちゃった。)
最近、あるコミュニティで目撃した「相談」から「絶交」に至るまでのやり取りが、あまりに教育心理学におけるいじめの構造(DARVO)そのものだったので、自戒を込めて記録しておきたい。
登場人物は、写真制作の壁にぶつかっている相談者Bと、それにアドバイスを送るA。
問題の端緒は、AがBの私生活や尊厳に無遠慮に踏み込んだことだ。Aは芸術論を語る文脈で、唐突にこう言い放った。
これは相談という形を借りた、明白な境界線(バウンダリ)の侵害だ。教育心理学の視点で見れば、相手を精神的に動揺させ、自分が優位に立つための「精神的な揺さぶり」に他ならない。Bが困惑して「恋人がいる」と返しても、Aは「死ぬほど金が欲しいわけじゃないんだな」と、勝手に相手を「覚悟のない人間」として再定義し、攻撃を続行した。
後にBがこの不快感を訴えた際、Aが繰り返したのは反省ではなく「手続きとしての謝罪」の完了報告だった。
これは「謝罪というパケットは送ったのだから、それを受け取らない(怒り続けている)相手がエラーである」という論理だ。心理学的に言えば、謝罪を内省の証ではなく、自分の過去を洗浄し、相手の口を封じるための「武器」として利用している。
「人前で繰り返し持ち出されるのはつらいので、もうやめてください。」
これこそが心理学でいう'''DARVO(Deny, Attack, and Reverse Victim and Offender)'''の完成形である。
A氏の言動には、自分の万能感を維持するための「投影(プロジェクション)」も顕著に見られる。自分のアドバイスが的外れだったという失敗を認められず、それをB氏の「覚悟の欠如」という問題にすり替えることで、自己像を保護している。
こうした「指導」の皮を被った「支配」は、受け手が論理的に反論すればするほど、加害側が「被害者」として騒ぎ出すため、対等な解決は望めない。
Aの振る舞いは、大人の知的な対話を装ってはいるが、その本質は教育現場で見られる「いじめ」の構造と変わらない。自分の万能感を守るために、ターゲットの自尊心を削り、反論されたら「自分の方が傷ついた」と騒いで周囲の同情を買おうとする。
相談を受ける側が「相手を尊重する」という前提を捨て、自分の哲学をインストールする対象(モノ)として相手を見たとき、コミュニケーションは容易に暴力へと変質する。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4786749132919760034/comment/zyzy
◎アレは要するにウヨミソの自他・真偽反転思考だと考えるとしっくりくる。
翻訳すると「俺達アンチリベラルは悪口で繫がるコミュニティであり
叩かれる人間を排除するいじめ加害マシンがアイデンティティだ」という意味
1926以前からのジェイ表記によるリベラルに対して「カスゴミクズ」を…だと…?
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018830
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1020865
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728596812178257764/comment/zyzy
タイトルまんまです。マジで文体終わってるし自虐多いから気をつけて欲しい。
ほまに適当に書いてるまとまりの一切ない女オタの戯言です!見ないでいい
シンプルに人の悪意に慣れてない!が1番大きい!のか?わからん ある程度慣れてはきたよネット民続けてる以上
でもやっぱ障害者とか悪口の意で使われてるの見るとほんmoneyしんどい これは私も該当者だからなのかもだけど
よくも悪くも?いやまぁ悪でしかないかもしれん㌔、かなり自分軸な人間なので悪口を全て自分のことのように錯覚してしまう上に、実際には自分宛じゃないのもわかってるから反論も言い訳もできない。豆腐メンタルってほどでもないと思うんだけどな〜〜〜〜〜 メンヘラではある それは別ベクトルの話かな
でもだからと言ってえーんみんなもっと綺麗な言葉使お;;悪口(わるくち)ゆうのよくないよ;;とか言えるほど言葉遣い綺麗でもない!死んでくれ
最近ようやく意識して4ねと56すが減ったかどうか、ぐらいの人間なので、暴言厨を注意できる立場にはいないのは私が1番よく知っているし、だからこそ困っているのもそう
でも元はと言えば私が口悪くなったのってだいたいゲーム実況とTwitterのせい 全部ネットが悪い(暴論) SNSとか始めるべきではなかったんだろうね もう遅いけどさ
推し(活動者)のことも、大好きなんだけどそれはそうとして考え方に違和感とか余裕で覚えちゃうし、動画によっては途中でリタイアとかしたことあるし、飽き性怠惰多趣味んちゅなので動画全然追えてないし、ほまに、リスナーを名乗るべきなのか私は?
多分お笑いとか、そういうような「誰かいじられ役がいて始めて成立するもの」が嫌いというか、見ててしんどくなっちゃう あと単純にヘイト創作みたいな動画も嫌い
残念ながら画面越しに見た所でそれが本人の望んでる役回りなのかが私にはわからないので そも人の気持ちを察するのが苦手な社不でもありますが! 絶対にそんな人間はグループ活動者なんて推すべきではない(自戒)
でも好きになってしまった以上こんな理由で担降りはしたくないよ〜〜〜;;
面倒くさいヲタクなのは私が1番知ってます♡ 優しく殺してね。
依存気質なメンヘラだしADHDな過集中やら何やらもあって一時期えげつないツイ廃でした。えへ。死になさい。
最近はPC使用制限(物理)でなんとかって感じ。でもそしたら支部とか増田とか見出す。学ばない。
いやほんと、自業自得だ因果応報だは知ってるから言わないで欲しい。知ってる。私が1番知ってる。じゃなきゃこんなとこで書いてない。わざわざ匿名で書いてる理由なんてそれが100だろJK。
会社の金ではあるんだけど、同じような目に遭う人もいるかもしれないから、一応共有しておく。
長いので、暇で、なおかつ職場で採用関係に触れる人だけ読んでもらえれば十分。
うちの職場で人員を増やすことになって、ハローワークに求人を出した。
すると、その求人を見たという会社から「弊社の求人サイトにも掲載しませんか」という電話やメールがかなり来るようになった。
当時の自分は深く考えず、「露出は多いほうがいいだろう」くらいの感覚で、何社かに掲載をお願いしたんだよね。
で、その何社も、ほぼ例外なく同じようなことを言う。
「通常は有料の掲載プランを、10日間〜3週間ほど無料で掲載できます」
驚くくらい、どこも似たような売り文句だった。
それはそうなんだけど、こっちの感覚としては「課金を止める手続きをしなければ有料になる」というより、
「申し込まなければお金は発生しない」みたいな認識でいたんだよね。
そこが完全に甘かった。
今回お金を払うことになった業者は、1日掲載開始で無料期間が10日間。
だから「10日までに連絡すればいいか」と思って、9日まで待っていた。
不安になって9日の夜に
「解約方法の案内が見当たらないのですが、ご確認いただけますか」
とメールを送ったけど、返信なし。
と言われた。
「前日にメールしたんですが」と伝えたら、
とのこと。
さらに、
「解約方法についてはすでにご案内済みです」
とも言われた。
そんなはずないだろと思ったけど、実際には送られてきていた。
迷惑メールに入っていたうえ、件名にも差出人名にもその業者の名前が入っていなかった。
よく見ると本文のかなり分かりづらいところに、小さく解約方法の記載があった。
なるほどな、と。
そういう設計なんだな、と。
ここだけ見れば、法的にはたぶん完全にこちらのミスなんだと思う。
どちらからも
「民間のこういう媒体は使わないほうがいいよ。今回は勉強代だね」
という反応で、ひとまず大ごとにはならなかった。
ただ、この手の話は珍しくないらしくて、余計に自分の詰めの甘さがしんどかった。
結局、泣く泣く支払って一件落着。
……と言いたいところだけど、まだ無料期間中だった別の求人媒体もあったから、慌てて確認して解約手続きを進めた。
そのとき、「早めに動いて本当に良かった」と思うような仕組みがいくつもあったので、それも書いておく。
たとえば、ある業者は
「解約受付は平日10時〜18時、土日祝は不可」
という扱い。
FAXでもメールでも、その時間外や休業日は受け付けたことにしない。
その一方で、解約書の返送期限については
「終了日を除き、土日祝を含めた3日前まで」
みたいな条件になっている。
いや、そっちは含むのかよっていう。
実際、何日前に動けば安全なのか非常に分かりにくい。
また別の業者では、
「無料掲載終了日の1週間前から3日前までに到着していないと無効」
という条件。
しかも小さく
と書いてある。
しかもダメだったとしても、わざわざ「受理できません」とは教えてくれない。
全体を通して言えるのは、とにかく細部まで読むべき、これに尽きる。
完全に自戒なんだけど、本当に分かりにくく作ってある。
しかも抗議が来ることまで想定済みなのか、返答用の文面までよくできている。
かなり手慣れてる印象だった。
ちなみに、実際に掲載した媒体経由で応募や問い合わせが来たかというと、ゼロ。
ページの作りも正直かなり微妙だった。
「解約漏れで料金が発生する仕組み」から利益を取っているんじゃないかって感じ。
結論としては、求人を出すならハローワークか、知名度の高い大手媒体を使ったほうが無難。
少なくとも、自分はもうこういうところは使わない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4786010168833281506/comment/Gl17
◎個別具体策の話を絶対しなければ何でも無限に相対化できる、という態度と、
徹底的にミクロな観点に絞れば強引な擁護もできる、という両者の使い分けは詭弁術としてよくある。
さっすが御詳しい机上の空論に非ず乙めでてェ
所詮結局寧ろ最早「よくあるそっち」こそが正解と見受けるしか無いが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
まずはご遺体が御本人と確認されたとのことで心から御冥福をお祈り申し上げます。
今回、目立った外傷がないということでちょっと言いづらかった可能性の話をしたいと思います。
この事件、おそらく何かしらの理由で子供が靴を履かないまま車から置き去りにされたのではないかなと思います。
それがしつけであったり、子ども自身の身勝手であったり、そういった可能性についてはわかりません。
ただ、親なら一度くらい経験があるような、例えば叱りつけた際に窓の外に出して鍵をかけてしまうとか、例えば子供が癇癪を起こして突然家から出ていってしまうだとか、それに似たものではないかなということです。
そのきっかけが「学校に行きたくない」であったか、「罰として学校にいかせない」であったかはこれからの捜査で分かってくることかと思います。
ただ、事実として、学校の手前で靴を履かない状態で車から置き去りにされた小学生がいた。
そしてその小学生は、学校にいかずに家に帰ろうとしてか、もしくはもっと手前の地点から学校に行こうとしてか、これもまた何かしらの理由で人目を避けるように山の中に入っていってしまった。
人に見つかれば親からまた厳しく怒られることを恐れたのか、それとももっと純粋な子供心で最短距離を進もうとしたのかもしれません。
しかしながら裸足での山道はあまりにも険しく、子供は立ち往生を余儀なくされてそのまま遭難してしまった。
子どもの行動だけを切り取るのであれば、これが一番矛盾がないのではないかなと思います。
子育てをしていると大人である自分も突然の冷静さを失うことがままあります。
何かの拍子にカッとなってしまったときに、想像力が欠けたまま置き去りにするということは同じ親として十分に起こり得ると感じました。
おそらくこの時点で、置き去りにした親はそうはいっても学校にたどり着くか、もしくはその場から動かないで反省しているだろうと浅はかに考えていたのだと思います。
そう考えると、靴についてはおそらくその送迎時に、少しだけ冷静になって虐待を疑われることを回避しようと本人が無くしたかのように自宅と学校との一直線上に放棄したと考えることができます。
その時はそれほど大事になるとは考えておらず、本人が帰ってきたら後で拾いに行けばいいくらいに思っていたかもしれません。
学校から連絡がなければ学校にいる。学校から連絡があれば探しに行けばその場所にとどまっていると考えたかもしれません。
ところが学校からは連絡がなく、なおかつ学校にもいないという残念な偶然が重なってしまったことで、自体は想像を超えて大事になってしまいました。
そうなると自らの罪を恐れるあまり、裸足のまま放置したことや靴を放棄したことは人にはいいづらい心境が生まれます。
それでもまだすぐに見つかるだろうと思っていたために、本人の安全よりも自分の保身を優先してそういった情報を隠していたのかもしれません。
しかしながら探せど探せど見つからない状況になり、いよいよ観念してそういった状況を警察に説明したことがきっかけで捜査の範囲を絞り込むことができて、靴の発見から本人の発見まで至ったと考えると、自分の中では割とすんなりと理解ができてしまうような気がしました。
・何かしらのしつけの一つで、靴を履かない状態で置き去りにした
・学校、もしくは自宅へ向かおうと裸足のまま移動を開始した
・遭難することの想像力が足りずに、裸足のまま立ち往生してしまった
・学校から来てないと連絡があれば探しに行くつもりだったところ、来ていないのに学校から連絡がないという不運が重なったことで捜索開始時間が遅れてしまった
・大事になってしまったことで保身のために初期捜索に必要な情報を隠匿してしまった
・子どもの行動力を甘く見たことですぐに見つかるであろう期待は叶わなず、全てが手遅れになってしまった
・手遅れになった時点で取調べが強化され、逃れられないと断念した親が当日の経緯を語るに至った
・それが有力な手がかりとなり、捜査範囲が限定されたことで遺体発見に至った
体罰に相当するしつけをするような親を擁護するつもりは一切ありません。
しかし、誰一人としてこのような悲しい結果になることを予想して今回の事件が起きたわけではないのかもしれない。
子育てをする親の一人として、そんな可能性の示唆をしたくて書いてみました。
なお、カバンについてはある時を境に自らの罪を逃れるために、「見つかってほしい」から「見つからないでほしい」に気持ちが変わってしまったことであえて撹乱する位置に後日放棄したと考えるのが今のところ一番自然かなと思います。
そういった意味では、もう助からないだろうという考えに至った途端に自らの行動を捜索の協力から捜索の妨害に切り替えたことは明確な悪意であり許されるべきものではないと思います。
https://x.com/sayu_sayu_s/status/2039548472714785257
正直自分にもこの彼氏側のようなケがあるので自戒と自分の思考の整理
お弁当を作らない・作ってくれないことは責めていない。
多分この彼氏も同じだと思う。実際最初の段階では理由に釈然としないまでもお弁当を作らないことには納得しているのでこれはたぶん自分と同じだと思う。
だから彼女が作りたくないというならそれでもいいんだと思う。少なくとも自分が同じ立場になったらそう考える。
ここからは想像が入るが彼女は恐らくめんどくさいからお弁当を作らなかっただけだろう。自分の分はいいけど人のを作るのは彼氏でもめんどくさい。別に普通のことだ。責められることではない。
そして彼氏はそれを察している。察したうえで明言してほしかったんだとおもう。実際自分はそう考える。
そして明言してもらったうえで「そういう理由ならしょうがないね」という手続きを踏みたい。
勘違いしないでほしいがこれは貸しにしたいとかそういうことではない。本当にただ解決不可能な理由があって現状を動かせないことを再確認したいだけなんだよ。
少なくとも自分はそう。あなたがやりたくないのならやらなくてもいいということは肯定するつもりだ。自分だってやりたくないことは基本的にやりたくない。
しかし彼女は実際には「良いお弁当を提供するのが現実的に難しいので作りません」というようなことを理由にしている。
それを言われると「もしそういう理由なのだとしたらわたしはよいお弁当でなくてもいい(あなたが今作っているお弁当同じクオリティで満足です)」と言ってしまうと思う。
要は「解決可能な問題なら解決したい」ってのが根底にあるんだよな。所謂男は解決脳の極端に振り切ったやつ。ASD傾向とかそういうことなんだろうね。
実際の世の中をこれで回していいと思っているわけではないのでこの異常性に自覚的になったうえでどんな要素を加味して実際の出力を調整すべきかについて自戒する。
おそらく彼女は「めんどくさい」という本当の理由でお弁当を作らないという選択をすることに後ろめたさ、人間としての正しくなさを内面化しているんだろう。
彼氏は単純に「めんどくさい」から作らない。と宣言してもらって歩み寄りができないことを確認したかっただけだが彼女も同時に自分の"罪"(これはめんどくさくてお弁当を作らないことを罪といっているのではなく、彼女が後ろめたく思っていることを指してるだけ)の自白をしたくなかった。
そこは察してもらってなんとなく受け入れてほしかったんだろう。客観的に見たらわかる。そりゃ自分は汚い人間ですと自分の口で宣言したくはない。人間大なり小なり後ろめたい内面はあるがそれを隠して生きてる。
ただ彼氏は基本的に解決したいだけなので「めんどくさい」から作りたくないの道徳性については無関心なんだろう。
事実としてめんどくさいことを宣言してほしいだけの彼氏vsうしろめたさの告白をして上下関係の構築をさせられていると思っている彼女
まあ客観的に見てそりゃこじれるし彼女もキレるわなという感じだ。
自分が相手に求めていることが相手にとって何を意味するのかを考慮する。
自分が相手に求めていることが自分にとっては何でもないことでも相手にとっては苦痛かもしれない。
冷静に考えたらそりゃそうだなんだけど自分は「問題解決するぞ」状態に入ったら相手はただのロールというかイシューに対して行った提案の合否を返す装置みたいな扱いになるんだよな。
装置がどう考えてるとか問題解決からしたらどうでもいい事だからそりゃ相手のことはおもんぱからないよね。いや、本当によくないことだと思う。
ただ、これを改善する方法としては正直自分の問題解決したい欲求について制御するより自分が解決すべき問題のスコープを間違えてると定義するべきだなと思う。
正確に言うともっと大きくプロジェクト単位で考えてその中で小さなイシューが発生していると考えるべき。プロジェクトの目的から逸脱するイシュー解決の方法や手段をとるべきじゃないと考えたらきっと自分ももうちょっとましな出力を瞬間的に出せるような気がする。
Xで以下の投稿が目に入ってきた。
https://note.com/sho_hiroumi/n/n52a7f10be3c7
本当にたくさんのことを考えた。
それについてコメントを書いていたら長い長い長い長いクイズ論になってしまったので、こっちに載せることにした。
「上手にボタンを押せる人」よりも「上手に問題を作れる人」が称賛されやすい、という論には本当かどうか?という疑問がある。
たしかに出題サイドは、その多大な労力ゆえに参加者サイドよりも分母が少なく、競争環境としては「ブルーオーシャン」の側面がある。
「面白い問題を出す大会」というブランディングが、主催団体の評価に直結するのも事実だ。
しかし、それが個人への「称賛」に結びつくかどうかは別問題だと考える。
先日、浜押会オープンで話題をさらった「アサシン」の問題を思い出す。
問題そのものは鮮やかにバズったが、では「その作問者が誰か」まで即座に答えられる人はどれほどいるだろうか。
個人が作問・主催する”個人杯”であれば作問者個人にスポットライトが当たるが、サークル主催の大会では、評価は組織の中に埋没しがちだ。
この傾向はメディアでも顕著だ。QuizKnockを見ても、主流は「問う」ことよりも「答える」コンテンツであり、メンバーも「答える側の演者」として人気を博している。
純粋な作問能力が評価される場面があったとしても、それがコンテンツの主役になることは稀だ。
取り上げられているQuizbowlのシステムにおいて、問題作成が競技参加のプロセスに組み込まれているのは興味深い。
ただ、これは「称賛」のためというより、大会をスケールさせるための「供給の仕組み」と捉えるべきだろう。
しかし出題スタッフはサービス提供側の側面が強く、労力も膨大だ。
自発的な協力者だけで賄うのは困難であるため、パケット提出(問題作成)の義務化といった「強制力」が必要になる。
ACF(アメリカ大学クイズ連盟)の公式ページでは、この制度の意義を「編集者とプレイヤーの知識共有の精神を守るもの」と定義している。
しかし、わざわざ言葉を尽くしてその意義を称揚しなければならないこと自体、それが「強調しなければ誰もやらないキツいタスク」であることを裏付けている。
編集歴がコミュニティ内のキャリアとして記録され、NAQTのような組織では1問ごとに報酬が支払われるなど、作問が「名誉ある職務」として確立されている、という例は興味深い。
分野ごとに専門の編集者を置く高度な組織設計は、品質管理の観点から合理的だ。
だが、ボツや添削というストレスフルな工程を経てなおモチベーションを維持させるためには、相応のインセンティブや評価制度が必要となる。
報酬の一部として「Head Editor」などの地位を提供していると考えた方が良いように思える。
そして原文の例にある通り、これほど作問者がプロフェッショナルとして敬意を払われている海外でも、やはり「スター」はプレイヤーだ。
箱根駅伝のマネージャーたちが、もし許されるなら自ら箱根路を走りたいと願うランナーであるように、「作問者」側はスターではない、という認識は変わらず持っていた方が良いように思う。
私はオンラインクイズサークル「Virtual Quiz Studium」(以下「VQS」と略する)を主宰している。
今日で誕生から3年を迎え、4年目に入る比較的新しいサークルだ(めでたい!)。
参考 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/
「VQS」では、毎月25〜50問が集まる「問題出題大会」を開催している。
ここでの取り組みを掘り下げることで、そもそも「よいクイズとは何か」を掘り下げてみる。
最大の特徴は、予選・決勝の「2段階投票システム」を採用している点だ。
(注:「みんはや」開催の第2部は異なる)
数十問を一気に並べて1問を選ぶ形式では、比較がどうしても雑になり、印象に残りやすい後半の問題が親近効果で有利になりがちである。
予選を5問程度の小規模なグループで行い、評価プロセスを細かくすることで、個々の問題と誠実に向き合い、良い問題をなるべくすくい上げるよう工夫をしている。
1年半の運営を経て痛感したのは、まず「良い問題の基準は人によって異なり、一様ではない」ということだ。
もちろん、明らかに構造的な課題がある問題には厳しいスコアがつくが、一方で、何らかの「光るもの」を持つ問題には必ず誰かが票を投じる。
「何が良いか」という評価が割れることこそがクイズの豊かさである。
問題の価値を安易に、あるいは拙速に決めつけることの危うさを日々感じている。
一方で、歴代の上位入賞問題を分析すると、そこには「評価されるだけの理由」が明確に存在する。
(もちろん、これが全てとは考えていない)
上位入賞するような問題には、これらを複数複合させて達成しているケースが目立つが、単一の要素で突き抜けるものもある。
ここがこの大会のだいご味でもある。
(参考)歴代の入賞問題 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%87%BA%E9%A1%8C%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C
興味深いことに、こうした多様な評価軸がある中でも、不思議と上位入賞の常連となる凄腕プレイヤーが存在する。
クイズの実力との関連性もそれほど強くないところが興味深い。
これは、クイズ作問という行為が、が単なるクイズ用のネタのピックアップではなく、一種の表現技術であることを示唆している。
現実として、そこには歴然とした作問力の差が存在するようなのである。
クイズ問題が正当に評価される際、それは単発の問題としてよりも、「〇〇大会の問題はよかった!」と、一塊のパッケージとして語られることが多い。
競技としてのクイズを成立させるためには、個々のクイズの良し悪しとは別に、セット全体をプレイした際の「体験」という観点が必要不可欠と考える。
優れた問題を揃えることは、大会成功の必要条件ではあるが十分条件ではない。
DJが選曲と繋ぎによってフロアの熱量をコントロールするように、主催者には「(事前に)用意した問題をいかに配置し、どのような『場』を構築するか」という編集・演出の手腕が問われる。
私は2年間にわたり、「VQS」の中で深夜のオンラインクイズ大会「まよなか大会」を毎月開催している。
その運営経験から得たのは、クイズ大会において「参加者の体験をいかに設計し、コントロールするか」はとても重要だ、ということだ。
問題の難易度曲線、ジャンルの連なり、そして出題のテンポ。これらが精緻にマネジメントされ、参加者の体験がポジティブに設計されているかどうか。
「いやなら来なければよい」と開き直ることは、集客力がある人達であれば違うかもしれないが、自分達には現実的には無理だ。
体験を構成するための「問題セット」を的確に構成し、そのうえで参加者が楽しめるような「面白い問題」をいかに出題することができるか。
結局のところ、クイズの問題セットとは単なる問題の集積ではない。
それは、参加者が競技を通じて得られる「体験」を最大化するための、緻密な設計書なのである。
問題セットの品質を考えるうえで一つ自戒を込めて強調したいのは、他の専門領域を扱う際の作問態度である。
他分野の問題を作成する場合、その知識がその業界において「現在進行形でアクティブな知識であるか」を精査する習慣を持つべきだ。
土足で他人の専門領域に入り込み、「正しい」「間違い」の審判を下すのだから。
私の専門であるIT分野を例に挙げれば、残念ながら「読むに堪えない」品質の問題(事実誤認や、もはや使われていない死語など)を目にすることは決して少なくない。
情報のアップデートを怠った古く間違った問題を見ると、それだけでがっかりしてしまう。
大量に作問する際、どうしても手癖に頼りがちになるが、「改めて確認する」というひと手間を、決して忘れないようにしたい。
これは多分に主観的な見解だが、クイズとは作問者、あるいは作問チームとの「知的対話」であると私は考えている。
ゲームとして巧みに構成されているかという機能的な側面とは別に、対話として楽しめる内容であったかという内容的な側面も、自分の中ではとても大事だ。
対話である以上、当然出題者だけでなく解答者側にも知識が求められる。
解答者の力が不足していれば対話は成立しない。
双方向的であり困難な試みではあるが、クイズと言う形式だからこそできるコミュニケーションができた、と思えたときの満足感は大きい。
インターネットで活動しているのに、「否定的な評価」に過度に怯えてしまう。
もちろん。直球の悪意が籠った誹謗中傷を恐れるのは、当然のことだと思う。
相互フォロワーからのブロックどころか、フォローを解除されることも怖い。
投稿内容を他の閲覧者から点数で評価してもらえるようなサイトで、「5点満点の3点をつけられる」ことすら怖い。
自分が正しいと信じていたことを否定された気持ちになり、心が尋常でないほどにざわつく。
「お前は何もかもが間違っている」という現実を、容赦なく突き付けられているように思えるからだ。
というか、このエントリーを書いている今も、後に待っているであろう、他の閲覧者からの冷笑が怖くてたまらない。
けれども、低評価されたからって、ブロックされたからって、フォロー解除されたからって、別に死ぬわけじゃないんだよな。
(語弊がある表現なのは承知している。低評価やブロックやフォロー解除が、人間の体を物理的に直接傷つける、銃弾のような類のものではないということを言いたかった。)
低評価もブロックもフォロー解除、全部、タイムラインに表示される内容を調整する手段にしかすぎないのだから。
社会常識や、人間としての倫理観に違反せず、なおかつ他者の権利も侵害していない範囲で表明した意見なら、返ってきた反応から学ぶべき点は受け止めつつも、必要以上に引きずって気に病むことはないよな。
それでも怖いものは怖いのだけれど、少しずつでも、冷静に受け止められるようになりたい。
最近、X(旧Twitter)で流れてきた「ある弾き語り演者の愚痴」が、またあまりにも地下界隈のドロドロとした煮凝りみたいな地獄だったので、忘備録として、そして自戒を込めつつ深掘りしてみる。
1. あらすじ
登場人物は、イベントを企画(笑)して声をかけてきた主催のP氏と、その誘いに乗ってしまった演者のMさん。
P氏から「ノルマなし、機材費数千円で遠方のライブに出てほしい」というDMが届く。Mさんは「新しい土地でのご縁作り」という、演者なら誰しもが抱く淡い期待を胸に、この誘いを快諾した。
P氏が信じがたい連絡を寄越す。「自分は出演しない。しかも繁忙期だから、残業になったら現場に行けないかもしれない」と。
主催者が「行けたら行く」という、飲み会の誘いでも受けた側かのような無責任さ。主催って言葉の意味知ってる?
:惨劇の当日:
蓋を開ければ、そこは地獄だったらしい。出演者は全員、その土地には縁もゆかりもない「初出演の遠征組」。客席は当然のように……、完全なるゼロ。
ブッキングされた面々も、ジャンルレスと言えば聞こえはいいが、要は節操なく「数さえ揃えば誰でもいい」というビジョンの欠片もないごった煮。弾き語りとラッパーとシティポップ並べたレベル。
店側にP氏について尋ねると、「どうしてブッキングしてくれるんでしょうね(笑)」という鼻で笑うような謎対応。
結局、P氏は現れず、Mさんはニーズも何もない異境の地で、ただ数千円の機材費を支払い、空っぽの客席に向けて歌って帰宅する羽目になった。
:静かなる復讐:
あまりの不義理にブチ切れたMさんは、その日から半年以上にわたり、P氏に対して自分のライブスケジュールを個別に送り続けるという、静かな、しかし確実な復讐を開始する。本人も書いていたが「呪いのメッセ」だ。
ここまでは、地下界隈ならわりと頻発しているであろうよくある悲劇だ。しかし、ここからが真の気持ち悪さ。
Mさんがこの一連の出来事を、名前や場所、性別を徹底的に伏せ、界隈のどこにでもある「愚痴」としてポストした。
するとどうだろう。あろうことかP氏本人が、そのポストを「引用ポスト」して名乗り出てしまった。
「これは自分のことで、申し訳なかった。直接会いに行って謝る。しかし、こんな回りくどいことをしなくてもいいのに」
……引用ポストにする事で、自分側の人間の目に留まるように仕向けた訳だ。
誰がどう見ても「回りくどいこと(=Xで晒す←いやそもそも晒されてねーよ)」をさせた原因は、お前の不誠実さと、これまでの全ての不備にある。
自分が晒されたという被害者意識だけは一人前だが、相手を「機材費を払うだけのコマ」として扱った加害意識は皆無。この圧倒的な認知の歪みに、読んでいるこちらまで眩暈がした。
さらに物語はまさかの展開を迎える。自爆から1ヶ月も経ってからようやく行われた「謝罪(笑)」の席。
そこでP氏が放った言葉は、和解への希望を打ち砕くものだった。
「今後も残業で行けないことはあるし、その時は謝る」
もはや、改善する気など1ミリもない。「謝ればまた同じ不義理を働いてもいい」という、免罪符の発行を強要しているに等しい。
自分は忙しい。自分は頑張っている。だから行けなくても仕方ないし、謝っている自分は誠実だ。
「Mさんにお会いしてきました」とだけポストし、贖罪完了のテイである。
そんな、歪みきった自己正当化の塊。ここまで話が通じない人種が、平然と「主催」を名乗っている恐怖。
ここで、この「ごった煮イベント」で一番得をしたのが誰かを考えてみてほしい。
しかし、ライブハウス側は一切困っていない。なぜなら、演者が遠方からわざわざやってきて、頭数分の「機材費」という名の場所代をきっちり落としていくからだ。
集客努力を放棄し、ビジョンなきキャスティングで演者をかき集める P氏のような「無自覚な搾取者」。
そして、それによってハコが埋まるなら内容はどうでもいいとニコニコ笑って受け入れる店側。
この構造がある限り、音楽に対して誠実な演者の時間と金、そして精神は、底なしの沼へと捨てられ続けることになる。
5. 総評:この虚無がどこにでも居る恐怖
半年間スケジュールを送り続けたMさんの執念も「ホラー」であり、行き過ぎた「粘着」だ。
この底なしの虚無を相手に、そりゃあ呪いの一つや二つ送ってもいいが、あとはもうリソースの無駄遣い。他にやる事あるでしょ。
P氏の最も邪悪な点は、自分が「名乗り出た誠実な人間」だと本気で信じていそうなところにある。
自分の不誠実さが他人の人生をどれだけ削り、界隈の質を低下させているかに、彼は一生気づかない。
この「無自覚な加害者」と「復讐に囚われた被害者」。そして、それを黙って食い物にするライブハウスというシステム。
地下界隈に吹き溜まる、この救いようのない閉塞感と構造的搾取こそが、実は幽霊よりも何よりも恐しい「本物のホラー」なんじゃないだろうか。
結局、誰も幸せにならない。
こんな界隈、さっさと抜け出して売れるしかねーんだわ。
クソが。
手話歌反対派が居る。
観測した限りだと反対派の内訳はろう者だけに限らず、手話歴数十年の聴者も居る。
聴者が承認欲求の為に自己満足な手話歌を披露する場合もある。これを盗用と呼ぶらしい。
はたまた、手話話者(ろう/難聴/聴者関係無しに手話を用いる者)が皆で考える場合もある。
海外ではミュージシャンのライブに手話通訳が付き、曲を表したんだとか。(Perfumeの国内ライブに手話通訳が付いたとか付かなかったとか。曖昧なので割愛)
……主観としては一概に良し悪しを語れないジャンルと思い、極力触れないように避けている。何故なら聴者である私にしてみれば、日本手話とは第二言語であり、あれこれ語るのはお門違いと思っているからだ。学問として研究する立場に有れば良いのだが、たかが一般人なので。
……日本手話を第一言語とする人らが、手話歌を見た時に一発で理解でき納得する手話歌が正統派なのかも。
さて、聴者が承認欲求に基づく自己満足な手話歌を披露する場合、私は反対派であると書いておく。見るに耐えない。手話だけでは歌詞を理解する事が難しい事がある(私の読解力の問題かも)。
仮にファンが居たりコミュニティが出来上がっているような、集客力の有る手話歌を披露する人が居たとする。万人に受け入れられているから善、とはならなかろう。
特定の個人は指していない。恥じらいを捨てて書くと、上述のどこかが過去の私へ自戒なのである。
連なる話題として、聴者が聴者に手話を教える事、これも限りなく反対派だ。
言語はネイティブから教わるべきだが、ネイティブが近くに居ない、或いは触り程度なら等、限定的な場合に限り聴者が聴者へ教える事を是としたい。
聴者が聴者へ手話を教える場合、教える側が手話を金儲けに用いる道具や足掛かりと言う認識かどうかなんて、教わる側に判断はつくまい。(だってミリ知らじゃんよ)
故に繰り返しになるが、ネイティブから教わるべき、と書いたのである。
同性と付き合ってた時期があった。これまで4人ほど付き合ってた。ちなみに今は独りだ。
多分何人かはことさらめんどくさい女タイプ、1人は女っ気がないタイプ、1人は普通の女の子だったと思う。
付き合ってて男側って大変だな……思ったことを今後の自戒も兼ねて箇条書きにする。
・まあ男性の方はわかる方多いと思うけど女のテイカー気質は多い。そもそも同性で付き合う女でギバー側は少ないのは分かってたけどそれでも結構多い。
そういう欠点は愛嬌があったらなんだかんだ許せてしまうが、されて当たり前な態度をされると萎える。
・女っ気のないやつ(【補足】性格とかが特にいわゆる女っぽくない人)ほど論点すり替え、棚上げがすごい。他責もひどい。メタ認知も出来てないので自分はできる側、されて当然だと思ってる。何も要求しないからめんどくさくないと思われがちだが、我慢や恩の押し付けはこのタイプは一番激しいと痛感した。
・愛情確認が頻繁。これは全員が全員ではないが女に多いな〜〜と感じた。世のオカンオトン共どんだけ娘に対して愛情表現すっぽ抜けてたんかってくらい愛情の飢えがやっぱりすごい。言葉もそうだが行動にも示さないと愛情に気づいて貰えずにさらに愛情確認に走る。
・感情的になることが多い。表面上上手くやることというのに嫌悪感を示す人は多いと感じる。嫌いなものは上手くいって欲しくないと思い、あからさまに嫌う態度を出さないと不機嫌になる。これは一部クソみたいな男にも当てはまるので個人差の範疇かもしれない。当てはまってるのはめんどくさい女だけだったし。
愚痴っぽくなってしまった。それでも私は女が好きだから女を追いかけ続けるけど、女に嫌気がさして男と結婚するバイの女がいるのも気持ちとしては分かる……とは思う。
【今更追記】
増田は男とも2人ほど付き合ってたよ。
コメントとか見てるよ
最初の元彼からは「サボテン枯らすタイプ」って言われてるし、姉からは「壊滅的に男を立てるのが下手くそ」って言われるから……
https://b.hatena.ne.jp/entry/4784137493836178818/comment/Gl17
◎本筋終了後も様々な難癖を細々と創出、
こっちはまだ未決だの事実(嘘)だの言い張るのが尊師と自称中立の定番だった、
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。
腹筋動かしても動いてほしい部分はう~ん
300文字に要約した。
内容要約(約300文字)
中国ゲームのキャラ声優交代に接し、著者は自国の歴史認識の浅さを痛感し謝罪を綴る。多くの日本人は靖国神社を思想なき「観光地」程度に捉え、他国を侮辱する意図はないが、その「無知と無関心」こそが加害事実を軽視し、周辺国の心を傷つけ続けていると指摘する。
著者は、靖国参拝が「A級戦犯の肯定」ではなく「全戦没者への合掌と自戒」であるという日本特有の死生観を説明しつつも、歴史に向き合わず「水に流す」姿勢が対立を深めたと分析。過去の凄惨な加害事実に当事者意識を持ち、対話を尽くすべきだと主張する。この悲劇が日中友好により解消されることを願い、一日本人として深い反省と謝罪を表明している。
背景情報:なぜ声優が交代したのか?
この文章の背景には、2021年頃から顕在化した「日本の声優による靖国神社参拝と、中国コンテンツにおけるボイコット問題」があります。
発端: 人気声優(茅野愛衣氏ら)がラジオ番組などで「靖国神社に参拝した」と発言。これが中国のSNS(ウェイボー等)で拡散され、「戦犯を合祀する施設を崇拝している」として激しい批判が起きました。
影響: 中国市場を重視するソーシャルゲーム(『アズールレーン』『アークナイツ』など)において、当該声優のボイスが削除・差し替えられる事態が相次ぎました。
認識のギャップ: * 日本側: 多くのファンや当事者は「不戦の誓い」や「個人的な祈り」という日常的な感覚で捉えていました。
中国側: 靖国神社は軍国主義の象徴であり、参拝は「過去の侵略戦争の肯定・正当化」と見なされる極めて政治的かつ侮辱的な行為と捉えられます。
この文章は、そうした「推しの声が消える」というショックをきっかけに、日本人の歴史教育や対話不足について自省的に考察したものです。
下記は現段階(2026/03/03 5:45)でのX上の推測を元に書き連ねたものです。
火元であると思われるウェイボーの一次情報も探しましたが私の情報収集能力ではいまいち本国での時系列や規模、温度感等は分かりませんでした。
以下本文
最初にこういう歴史の軋轢を目の当たりにしたのは数年前アイドルの方の件だった記憶がある。最近別の声優さんにも同様の降板があったのも知ってた。
その時はかなり近いオタク界隈の事とは言え、まだ自分事じゃなかったからファンは悲しいだろうなって想像するだけだったけど、今回とうとう自分事になってしまった。中国のコンテンツに触れるからには多少なりとも覚悟はしていたつもりだったけど全く心の準備が足りてなかった。
悲しいとかシンプルな感情じゃない。世界が一つ失われた衝撃だと思う。呆然としてるというのが近い。
今から書くことは以前から靖国問題について国家間の対応で揉めているニュースを見るたびぼんやりと考えてた事なんだけど、日本人はもっと言葉を尽くして説明をしなければいけないと思うんだよね。あの施設に対して、加害者側として。
日本人的な、多分世界の大多数的には少し特殊な感覚からしたら、善人も悪人も、もはやこの世に居ない全てのものまとめて合掌みたいな事はあまりおかしな感じがする事ではないから、理解を得られないのだろうか、とも思ってきた。
でも例えが他に思いつかないんだけど、もし未だにヒトラーのお墓に参拝する人が絶えません。みたいな状況を耳にしたとしたら、それはなんでなんだろうと疑問に思う筈で、もしかして未だに多くの加害者側の国民(日本人)の中にはかつて植民地化しようとしていた地域の人達に対する優越的な思想が根強く残っていて、かつての戦争の『英雄』を崇める様な行為をしているんだろうかとか、誤解されてもおかしくないと思うんだよね。
でも決してそういう思想はない。そもそも大戦当時から多くの日本人にはそういう頭を使った『思想』なんてものすらなかった気がしてならない。今だって多くの一般人が私含めてそうだろうし。だから当時のメディア、新聞報道に扇動されて開戦を喜んですらいる様な無知の烏合の衆だった訳で。
唯一あったものと確信できるのは、関東大震災で起きた様なデマに踊らされた民衆の、朝鮮人虐殺に至る様な恐怖心と高ストレス下での代償行為でしかない。
民衆的日本人の底なんてそんなもので、防衛反応で開戦した様なものだから未だに周辺国に対しての加害者意識すら持ち合わせてないんだと思う。当時は仕方なかったんだから今の私たちに言われても⋯⋯みたいな困惑顔をするだけ。
故に現代の殆どの日本人ははっきり言って『靖国神社』に対しては『原爆ドーム』よりもライトな修学旅行スポット位の認識しかない。
自分も含め本当にひどくて愚かで恥ずかしい話だけど。なので何らかの意思や思想を持って参拝しているのは政治家と活動家に限られると思う。
そもそもどういう成り立ちの施設かも詳しくは知らないし、知ろうともしていないから、参拝によって何らかの思想を強化したり付与することも出来ない。そういう浅はかで自分勝手な歴史認識の姿勢を批判されるのならば、それは当然の事だと思う。
でも、植民地化を目論み他国で虐殺を指揮したA級戦犯を奉っている場所へ参拝するという認識自体が、無知や都合のいい歴史解釈(国際情勢に端を発する正当化、及び歴史上の人物化する事による自己との価値観の切離し)故に贖罪の意識を含め皆無であって、あまつさえ他国民の感情を傷つける行為になるとは実感として一切理解できていない。
むしろ日本に対して文句を付けたいだけの材料探し、いちゃもんじみた行為であるとすら考えているので、国家としては頑なに取り合わない。
そして民衆の間では歴史資料館にお参りする所がセットになっている位の悲しい現状認識ですらあると思う。恐らくは自分を含めた多くの日本人が。
故に何度も言うけれど、過去も現在も未来においても、どの国、どの民族に対しても愚弄したり勝っていると思う様な優越的な思想を誇示しているという認識は日本人にはない。というか持ち得ない。自国の歴史観を養うことさえ暗記重視で議論皆無の教育上求められてきていないので、他国との優劣比較などをしようがない。
そりゃ誰だって訳もなく自分の国が一番素敵だと心の中では思っている、思いたい筈だけど、だからと言って他国を下げる様な言動や行動には結びつかない。もしもそういう行為が目的で、靖国神社へ参拝している人が存在するなら他国の人に変わって日本人が厳しく処罰するべき以外にない。
歴史上の出来事に当事者意識がないのはある意味当たり前の事でもあるとは思うんだけど、自分の国の歴史に無頓着なのは、その過去の行いに疑問を持たず肯定していると受け取られても仕方がない。
今回の出来事は自分たちが靖国へ参拝する理由について説明を尽くさなかった結果起きた出来事だと思う。特に深い認識も思想も理由もないから説明しようがなかっただけというのが愚かしく虚しい。
「なんで未だにそんなに怒ってるんだろう。歴史上の出来事なのに。国家間では怒って見せてるだけで国民感情も本当にそうなの?」というのが靖国参拝批判の国際ニュースを見た時の日本人の偽らざる心の中なんじゃないかと思う。
ヒロアカの件も何をそんなに怒っているのか全く理解が出来ていないというのが正直な所で、反日感情を爆発させる事により耐え難い自国の圧政の息抜きをしているのではと捉えてみたり、韓国国民が旭日旗に過剰反応するのはある時期を境にした扇動の成功例だと思っているし、慰安婦問題も朝日新聞が悪いと思っている人が少なくない。いつまでも日本に対して被害者の立場で上からものを言ったり、たかりをするための方便だろうと。
しかし全てその前に純然とした間違い様のない加害の事実がまずある。
日本人は原爆を二発落とされ民間人20万人以上を虐殺され二つの都市を破壊したアメリカに、はっきり言って終戦直後から民間人レベルで手のひらを返した様におもねって生きのびてきたと言える。
長いものに巻かれろという諺もあるくらいで、被害者の立場で痛みを発信し続けるという事に対してどこか忌避感みたいな考え方がある。それがこの件(戦争責任についての謝罪の意識)が両国間で話が通じない原因の一つでもあると思う。日本国民は水に流す事を良しとする価値観を他国にも強要しているように感じる。
靖国神社へ参拝するのは戦争の被害者や子孫まで苦しめる意図は全くありません。
虐殺を指揮した将校たちを現代もありがたがって奉っているのではなく、彼らの大罪についても深く陳謝し祈る場所です。
日本の侵略戦争は当時の世界情勢がどうあれ、揺るぎない加害です。その事に、自分に繋がっている上の世代の罪に、真っ直ぐに向き合わず、過去の事だからと勝手に水に流している様な姿勢がいつまで経っても周辺の国々に到底許されるはずもない原因だと思います。
そういう姿勢は戦争を過去のものとし、自分とは無関係でありたいと願い、現実の被害者の事を少しも考えない身勝手な日本人の弱さが原因です。当事者なのでよく分かっています。
今回の件で、彼の靖国神社への参拝が中国国民への愚弄だと多くの中国人が感じられたのだとしたら、戦後80年を経っても日本人の国民間では戦争責任に対して真摯に向き合うことが未だに出来ておらず、被害者の魂を傷つけ続けてしまって本当に申し訳ないと心から謝罪したい。
しかし、愚弄する意図などが無いことは明らかなものとも思えるので歯痒いです。なぜなら少しでも戦争について真剣に考えようという意思がないと進んで行かない場所だと思えるからです。そういう思いがある日本人の方が残念ながら少ないのが現状であり、今回の出来事は大勢の日本国民のそういった我関せずな姿勢こそが火に油を注ぎ続けた結果の出来事ではないかと思えてなりません。
決して行ってはいけない書くのもおぞましい卑劣で残虐な行為をあなた達の国を支配するためだけに私達の祖父や曾祖父の世代が沢山行ったと聞いています。国家間の補償などとは関係なく、過ちというものは未来永劫許される事はないと思います。
多くの日本人は都合よく忘却はしていても心の底まで自己正当化する罪にまでは手を染めていません。戦争に突き進んだことを悔いています。それは敗戦したからという馬鹿げた理由だけではない身に迫る実感が、現代までまだなんとか引き継がれています。
その事について、覇権主義を体現する様な戦争を起こし、周辺の国々とその国民へ多大なる苦痛を与えた事について、反省と二度と繰り返さない決意を日本国民の多くが心の底では持ち続けています。だからこそ自戒を込めて靖国神社へ参拝し、全ての御霊に頭を下げるという事について、他国の多くの人に理解して貰えるよう努める必要があると感じています。
仏教の考えでは悪も正義も独立しては存在しておらず、森羅万象全て関係性の中にのみ存在する故に、将校や一兵卒、民間人に至るまで246万6千人がそこへ合祀されているのだと思います。非道を行なった者達を特別扱いしそこから取り除いたりする事は歴史を抹消しようとする様な事でもあり、罪の所在を彼らだけに押し付ける事になりはしないでしょうか。あの戦争は間違いなく日本国民全員が無知や思い上がり故のA級戦犯と言えるような過ちです。
最後に、私たちが一切の垣根なく慈しんできた世界を一つ消し去るような苦痛に満ちた出来事が、未来には日中友好の元、無くなるよう切に願っています。
私は発達障害の当事者として、ひとつ強く自戒していることがある。
それは、「会話で気持ちよくなった瞬間こそ、崩壊の入り口かもしれない」ということだ。
「あれ、今日はスイスイ話せる」と感じた瞬間、私は相手を見ることができなくなる。
それは単に、発達障害特有のマシンガントークで自分が高揚しているだけかもしれない。けれどその裏で、相手は困惑している可能性がある。
だから私は、自分が会話で気持ちよくなりそうになった瞬間、意識的に話を中断するようにしている。
「こうすればいいのに」と思いついた瞬間、それは自分の考えた“最強で気持ちいい解決法”で相手を殴っているだけかもしれない、と疑うようにしている。
そうすると、自分が思いついた解決策が実は「リスクの高すぎる案」だったと気づくことも少なくない。
しかし同時に、発達障害者同士のコミュニケーションでも、この姿勢を忘れてはならないと思っている。
発達障害者同士でもトラブルが起きるのは、こうした「気持ちよくなった瞬間」にブレーキがかからなくなる場面があるからではないか、と私は考えている。
「母親とか女性もそうだけど、要はマジョリティじゃない人たちが声を上げる時に叩かれるのは本当によくあること。サバルタン・. カウンター・パブリックという社会学の言葉があるけれども、そうした周辺化された存在の人たちが世の中を変えるために発信していく場を持つ。デジタル空間だとハッシュタグがそういう役割を持っていて、例えば、ミートゥー(#MeToo)運動もブラック・ライブズ・マター運動(#BlackLivesMatterや#BLMなど)もそう。そういうハッシュタグには今までも冷笑的な批判コメントがいっぱいついて叩かれてきた。それと同じことが起こっていると思う」
https://news.yahoo.co.jp/articles/32715516020a8d4b481b101a31a0c6e5138300ab?page=2
自分も「反戦平和護憲リベラル左派」なので若干の自戒を込めてということなのだが、「ママ戦争止めてくるわ」はマイノリティからの声というのは、さすがにあまりに間違っている。
「#ママ戦争止めてくるわ」は、結婚して子供もいて友達も多くて平穏無事な暮らしをできている「マジョリティ」にこそ刺さる言葉であり、逆に生活や将来に不安を抱えて結婚できる見込みも絶望的にない人たちに疎外感を与える言葉だという認識が不足している。赤木智弘の「希望は戦争」論を忘れたのだろうか。「冷笑的な批判」の背景にあるものへの解像度があまりに低すぎるだろう。
以前の「差別に投票しない」もそうなのだが、外国人犯罪の報道に接しても何の不安も感じないという、「余裕のあるマジョリティ」の雰囲気があまり漂っていて正直あまり共感できなかった。まずリベラル派は自分たちが社会的にマジョリティであり、そうであるが故に反発を受けているという最低限の自覚を持とう。自分は「反戦平和護憲リベラル左派」だけど、今の時代では「保守反動」だという自覚だけは持つようにしている。