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はてなキーワード: 無頓着とは

2024-12-13

anond:20241213112404

んじゃー、普通の日本人相手と思って接しようかな。

ただ、身だしなみに無頓着だったりゲップ平気でしたりするような頭が偏ったメンバーが多いから面食らうだろうなぁ。

なるようにしかならないか

2024-12-12

anond:20241212151440

びっくりした、マジでこれなんだな

Aが自分無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか無視されていた可能性があります³。

意識的無頓着

Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。

でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ

わたしにとって大事な友人がいる。

こんなわたし友達になってくれて、たくさん話をしてくれて、たくさん話を聞いてくれた人。

わたしのために泣いてくれた人。

酷い目にあったわたしよりも、泣いて、悲しんで、怒ってくれた。

大切な友人が悲しんだり怒ったりすることが、わたし自分が酷い目に遭うよりずっと辛いと知った。

それでようやく、わたし自分を大切にすることができるようになった。

の子がいなかったら、わたしはまだ、自分他人を傷つけたり苦しめることに、無頓着なままだったろうと、あれから10年経つ今も思う。

2024-12-11

anond:20241211123750

びっくりした、マジでこれなんだな

Aが自分無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか無視されていた可能性があります³。

  1. 意識的無頓着
    Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。

 

でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ

 

あと、改めて「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 は

圧倒的な少数派だぞ。世の中はまともな人が多いから回るのよ

anond:20241211015612

書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)

 

Googleを開いて検索ボックスに 個性範疇にない って入れるだけだぞ

GoogleURLも貼ってあげるね

https://www.google.com/

 

AIに聞いてみた(Copilotちゃん)

個性範疇に無いとはどういう意味ですか?

 ↓

個性範疇に無い」とは、ある特定個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれ範囲や部類を指します¹。したがって、「個性範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています

例えば、「彼の行動は私の理解範疇に無い」と言う場合、その行動が自分理解できる範囲を超えている、という意味になります²。

他に質問があれば、どうぞお聞きください!

 ↓

個性範疇にない」という表現AIにとって理解が難しいですか?
Aが極端過ぎることに驚いています文脈>
A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった

B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる
たぶん、個性範疇に無い

 ↓

個性範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的個性範囲であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターン価値観から大きく外れていると考えているのです。

Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます

この文脈での「個性範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観範囲であることを強調しています

他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。

 ↓

全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。
- 人を当たり前に見下してた
- 他人はどうでも良かった
- 他人が誰かの大切な人だと思えなかった
 
しかし、Aはパートナー子どもを作ろうと考えた人間一定の興味を持つ人物です。
それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的個性ですか?
 
また、Aがここまで他人無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか?
通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います

 ↓

Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解やすいかもしれません。

 

まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます共感性の欠如は、発達障害自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人感情立場理解する能力が低下し、自分欲求感情を優先する傾向があります

 

Aがパートナー子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。

 

また、Aが自分無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか無視されていた可能性があります³。

 

Aの行動が極端に見えるのは、一般的社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人経験環境によって形成された行動パターンであることもあります

 

もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合心理カウンセリング専門家意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。

 

他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。

 

¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)

²: [自己愛性人格障害共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)

³: [人間関係における心理学視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)

 

ソース: Copilot との会話、 2024/12/11

(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人共感性欠如を徹底 ....

(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.

(3) 共感性が欠如する「大人発達障害」の特徴と対処方法 ....

(4) 人間関係とは?心理学観点からみる定義と良好な関係を築く ....

(5) 関係における心理学人間関係コミュニケーション葛藤 ....

(6) 【人間関係心理学】覚えておくべき7つのメリットと実際に ....

 

AIに聞いてみた(ChatGPTちゃん)

個性範疇にない」という表現AIにとって理解が難しいですか?
Aが極端過ぎることに驚いています
 
<文脈>
A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった
 
B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる
たぶん、個性範疇に無い

 ↓

個性範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解文脈によります

 

この場合、「個性範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性性格範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。

 

AIとしてこの表現理解する際には、以下のようなポイント考慮します:

  1. 個性範疇」の意味
    • ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
    • 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。

  2. ニュアンス
    Bの発言からは、Aの行動が「常識一般的個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています

 

AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情価値観(驚き、批判困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的意味文脈問題なく解釈可能です。

 ↓

全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。
- 人を当たり前に見下してた
- 他人はどうでも良かった
- 他人が誰かの大切な人だと思えなかった
 
しかし、Aはパートナー子どもを作ろうと考えた人間一定の興味を持つ人物です。
それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的個性ですか?
 
また、Aがここまで他人無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか?
通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います

 ↓

Aの言動や考え方については、いくつかの観点理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。

 

Aの考え方の極端さについて

 

Aが子どもを持とうと考えた理由

 

Aが子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験他者に対する感覚を変化させた可能性があります子どもを持つことによって「他者存在」や「他者感情」に対する理解が深まることはあります特に、親になることで、他人自分と同じように他者にとって「大切な存在であることを実感することは、共感感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。

 

しかし、それまで他人重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。

 

なぜAはここまで無頓着でいられたのか?

 

Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます

  1. 自己中心的性格価値観
    Aは非常に自己中心的性格価値観を持っていたか過去他人との深い関わりを避けてきた可能性があります自己中心的な人は、他人感情存在無頓着であることが多く、自分生活他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。
  2. 過去経験環境
    Aが過去他人と深く関わる経験がなかった、または社会的スキル共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります
  3. 意識的無頓着
    Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。

 

共感性の問題一般的個性

 

Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人感情存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的個性範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格心理的な背景があると言えるでしょう。

 

結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます

anond:20241211003235

逆にいうとなぜそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる

たぶん、個性範疇に無いで

2024-12-10

anond:20241210181012

コミュニケーションがどうこうとかいレベルの話ではないのよな

興味に極端な偏りがあって人の感情無頓着以前に横たわる問題あるわ

2024-12-09

妻がリビングで喘ぎ声を収録している

家に帰るとリビングテーブルの上、ノートPCの横には見慣れないマイクがあった。

そのマイクに向けて、妻が喘ぎ声を上げていた。

俺を見て妻は口を閉じ、ネットで見つけたバイト、と言った。

喘ぎ声を収録し、それを相手に渡すバイトらしい。

けっこういい金額がもらえるんだよ?と妻は笑った。

その日から妻は、リビングで喘ぎ声を上げ続ける。

あんあんあん、と。

あなたの熱いち〇ぽを、私のま〇こに入れて、と。

口に出すのも憚られるような台詞を、妻は恥ずかし気もなく口にする。

妻はリビングでその作業を続ける。

俺の存在など気にせず、まるで俺といった存在存在していないかのように。

俺はソファに座り、スマホを弄りながらも妻の喘ぎ声が自然と耳に入る。

俺は喘ぎ声に全く無頓着で、すべて無視しているように振舞うが、それでも俺の陰茎が反応する。

膝に寝転んでいた猫はそれに気づくと飛び退き、軽蔑するような眼差しを俺に向けると何処かに行ってしまう。

あんあんあん、あーんあんあん、と妻は喘ぎ声を上げ続ける。

俺は妙な気持ちに苛まれる。

この感情は、いったい何なのだろうか

2024-12-04

肉屋を支持」割と多いのかよ?なおロンクハラライス萎縮させ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241128/1732805949

◎学界誌が家事労働偏見無頓着とか現代的に充分やらかしだけど、

そんな実態情報を全てシャットダウンし「フェミvsエロ」に

無理やり持込めば "自陣営内では" 無敵…という

内向き発想が染みついてるよね。あと歴史修正

ジャパン蔑称啼き喚き蔓延らせるぞら

ヤラカシテナクナーイ

ロンクハラライス修正」然り

無理やりニチャれば "自陣営内では" 無敵…という

内向き発想が染みついてるよね。あと歴史修正

人工知能学会の表紙問題は、

無難に騒ぎを収めるために諾々と取り下げるでもなく、

批判無視して強引に押し通すでもなく、

組織内で議論した(そしてそれを公表した)ところが

素晴らしかったと思っている。

一方、ロンクハラライス萎縮させしぐさを

強引に押し通しましたとさ

「どうのこうの」呼ばわりを出したり引っ込めたりか?

◎なんつーかアンフェ界隈のエコーチェンバー内の妄想

ほぼ聖教新聞レベルだとよく分かるブコメ欄。

まぁこれも彼らの断末魔だし末路として

生暖かく見守れる段階の時代になってきたな。

ムスタファーデスゲーム

ジャパン蔑称啼き喚き界隈のエコーチェンバー内の妄想ぶり

ドツカニ擦り付け含めて断末魔だし末路ですって?

ロンクハラライスを踏みにじる体たらく

ミラーブレイクテストの段階の時代とやら

自分自身」が灼熱ん中ゆえに「生暖かいダルォ」?

2024-11-29

クラシック出身キーボーディスとにありがちなこと

絶対音感がある ハモれる

譜面が得意 初見余裕

・ごく普通にハモれる

音色無頓着

・音量バランス無頓着

リズム感が悪い(表ノリ)

上記に対して無自覚、直そうとしない

・なぜなら自分音楽上級者だと思っている

ポピュラー音楽所詮児戯だと思っている

・そんな自分に改める箇所などないと思っている

譜面にらめっこ、アイコンタクトしない

ドラマーにあこがれている。ギタリストは内心見下している

アドリブが苦手であることにコンプレックスを持っている

ジャズにあこがれている

2024-11-23

安倍政権10年間で本当に失われたもの

日本技術力、というか根本的な向上心なんだと思う。

最近ずっと話題になってる「窓」「断熱」の問題とか、別に言うほど昔から外国と差がついてたわけじゃないんだよね。

幸か不幸か、この手の技術海外でも発達したのはこの10年ほどだったりする。

その10年間、日本がどれだけ海外技術革新のトレンド無頓着で、社会福祉省エネ問題の取り組みに無頓着だったかということ。

スマホを始めとした電子機器も、この10年間の海外技術革新とは如実に差がついてる、というより『距離を置いてる』よね。

海外は凄いからそれがあって良い。日本には要らないんだ、できないし」そんな空気が当たり前になった。

あとは映画CG技術なんかもそう。「日本は手描きアニメがあるから」は、確かにまだ通用するけど、本当にCG技術カザフスタン映画よりも見るからに低くてこの先やっていけるのか?

 

向上心』、と言ったけど、それは「努力が足りない」とかい意味でもない。

しろそんな考え方、現場の「自助」に頼った投資的発想のなさ。それが問題

技術力は努力じゃ補えない。技術力を作るのは投資

人に投資せず、学問投資せず、自助自助自助。それは技術投資してないということ。

投資せず、技術に金を出さず、なんとか現場で誤摩化して。

そんなセセコマしい国づくりでジリ貧を究めた。

日本の衰退はそれだけの話。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

11/15の生成AI学習にまつわる規約変更でXを去った絵師に言いたいこと(1/2)

後半→ https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

散々騒がれてる、2024年11月15日にXの利用規約が変更される件についての話だ。

前置きすると、すごく長い。

まぁ、どうせ都合のいいお気に入り話題しか目に入れないように構築してるエコーチェンバーまみれの君たちには届かないだろうが。

簡単に要約すると「11/15を起点に(去年9月時点からAI学習はしてたが)ユーザー投稿内容をX運営が利用する文面に"具体的にはAI学習など"という旨の文面が追加された」という話になり、自分作品が全てXのものになる、絵を盗られ侵害されると感じたイラスト描きが次々とアカウント削除、投稿削除、非公開、類似SNSへの移行を始めた。

中には「Xに著作権全部奪われて上げた絵がよくわからん企業組織転売される」などと拡大解釈してる人もいた。規約翻訳ガバガバなのも影響してると思う。

それに感じて思うところがあまりにも多すぎるので、特に整理してない乱文だが書かせて欲しい。

絵師人格問題が浮き彫りになった件

まず、AI作品が喰われることよりも、イーロン・マスクがXに上がったものを独占するような言い分(あくまで言い分であって実際にしていることは想像の域を出ない)の規約よりも、ぽっと出の声でかインフルエンサー扇動されて怖くて上記のような行動を脊髄反射でとってしまった絵師という存在に心から失望した。自称エンジニア信憑性微妙だが、努力を積み重ねてきた自分たちの方がえらいという言いきりには首を捻らずにはいられない。流石感情論で動く種族

やってるゲーム公式絵師がこれだったことが判明した時、心中複雑極まりなかった。自分が納品したクライアント著作権を共有してる立ち絵とかスチルとかはええんか…と思う。まぁ自分だけの持ち物じゃないしね。

かに昨今の生成AIユーザーはもはや技術の発展や作業効率化などは二の次嫌がらせすることが主目的になってしまっており目障りではある。特に検索汚染においては本気で辟易してるのでこちらとしてもやめてほしい。

そもそも"出力"と"公開"の段階で起きてるのが今の問題なのに、絵師は"学習"の段階から全否定してる人が多い。それないと顔認証レコメンド検索翻訳もできないぞ。生成以外も否定したら生活詰まると思うのだが。今までだって勝手学習されてた上で今こうやって成り立ってるわけだし。

から私も心のそこから"生成物の公開"に関してはちゃんとした法規制をしてくれと思っている。できちゃうのは仕方ないが、それを人に嫌がらせするための凶器として振り回すのが目立ってる現状は看過できない絵師によるイメージはこれ一色で塗りつぶされてるのだと思う。

ただそれを上回る過激な行動やそれに何も考えずについて行ってしまうところの方がまずいと思う。

前々から視野が狭い、社会性がない、リテラシーが高そうに見えてないとは言われていたが、ここまではっきり露呈する日が来るのは思ってなかった。前々から脱税だの言われててアレ?とは思っていたが、ここまで攻撃的で妄信的で自己顕示欲を捨てられない哀れな人種であることをまざまざと見せつけられて、絵は好きなのにどういう気持ちで接したらいいのか分からないのが今だ。

私自身も趣味で曲がりなりにも絵を描く人間だが、本質的にはこいつらと何も変わらないんだという点に悲しくなった。実際初期は強い論調注意喚起に踊らされた。

ポートフォリオサイトの使い方、事務処理、対人コミュニケーション公的文書の読解、どれのスキルも足りてないんだなというのを分からせられた。最終的に残ったのが絵だけだったんだなと。わかんないよ〜難しいよ〜だから鍵に篭ります思考停止)といったケースは何度も見た。

そんなんでよく同人イベント出れたね?マネージャーでもいたのだろうか。

これならAIの方がフラットな分まだいいとすら言えてしまう。絵描き自我がいらないという論調も頷ける。今ちょうどコミカライズ作家がいらん自我出して燃えてるしね

ただ私は楽しくオタクもしてる君たちの話も聞きたかったんだ。それが今や住処を破壊された被害者小動物や、筆を置いて見えない敵に対して叫び続けてるレスバモスターと化してる。目も当てられない。

文化を守ると言いながら文化破壊してるのはどっちなんだよ。今や如何に自分の絵をウォーターマークという名のブラクラじみた被せで汚染できるかの大喜利状態だが、結局守りたいのは絵という文化ではなく身内での馴れ合いなんじゃないのか。だから仲間がいなくなることを恐れて対策してるポーズを取り続けるのではないのか。

今回のこの騒動も結局は「居場所を奪われる」に帰着する事だと思っているので。絵という文化のものではなく、そこに寄生して生きてる自分の住む場所迫害されてこうなってるんだよな。わかるよ

ウォーターマーク商品サンプルとしては有効だが、絵の価値を下げるレベルデカデカと表示したり敷き詰めたりするものではない。人による無断転載避けとして載せておくのには効果はあると思うが、せいぜいクレジット程度にすればいいのにそれ自体学習阻害効果はないのにそこまで主張させることか?と思う。

はっきり言ってやりすぎた。馴染ませてる人は純粋にすごいし続けるべきだが、集合体恐怖症レベルのことをやってる人には引く。もう絵を守る事が目的じゃないだろ。

法規制されるまでの時間稼ぎという意見も見たが、それって何年後の話なんでしょうかね。

そもそも日本時間15日0時ぴったりに変更されるわけないのに運命時間とか言ってざわついて、正直ある種の祭りに参加してるようにしか見えない。買えるなら現本社所在地テキサス州の時差に合わせた15時あたりだろう。規約変更も日本ファーストと考えるならもう少し国民性に添ったサービス提供すると考えるのが自然では?と思う。けど、アメリカどころか自分と身内ファーストじゃない、イーロンは。だから民主党支持者がX出ていくんだろうけど。

15日まではセーフだからって主張も理解できない。"あらゆること"という文面の裏に隠されながら去年からずっと学習されてたんだろうがよ。それが今回具体的に表に出ただけだ。ずっと騙されて同意させられてたんだよ。我々は。当時も規約について警鐘を鳴らしてた人の存在が今になって明らかになったが、その人の声はその時には届かなかった。そんなものだ。はっきり言いすぎて逆に地獄を生み出してるのもある。言わなきゃバレなかったのに。インスタもTikTokYouTubeGoogle)もAppleMicrosoftも、言ってないだけで同様の規約あるからね。

そういうところにも自分のことしか考えてないんだなこいつら感が浮き彫りになってる。

今の絵師界隈を分類してみる

現在規約変更以降の絵師の動きとして、以下のように分類できると考えられる。あくま個人観測範囲での話になるが。

  • X残存組
    • 気にしないのでそのまま使う

 一番賢く、一番愚かとも言える。もはや諦めの境地。今の今まで餌を与えてたことをちゃんと受け入れ、それでも負けずに筆を折らない人たち。こういう人が意外と仕事をもらえてたりするし、元祖AIみたいに言うだけ言って美味しいところを食うのもこういう人たち。もはやライバルを蹴落とすためにやってるのかと邪推しかねない。君に煽動された人が馬鹿みたいじゃないか

 ウォーターマークを敷き詰めたりGlazeやNightshadeをかけて過度に品質を落として学習阻害をできてると思ってる人たち。正直見る気失せるしそんな対策が通じるのはまだ多少の効果はある今だけのその場しのぎでしかなく、いずれ突破される。まぁ見る側の中にAIに食わせようとしてる人物がいるなら、不特定多数に綺麗な画像を見せるのをやめて信用できる人にしか見せたくないという心理はわかるが。よその学習阻害ツールデータ抜かれてる可能性までは考慮できてない。やってることは家のドアに南京錠をかけてるような感覚に近い。そんなに嫌ならどこにも載せず作品引っ込めとけ。あとAIで試す事すらも生理的に気に食わないのか本当に学習阻害できてるのか検証する絵師が一人も出てこないのは不思議で仕方ない。

 正直、「対策しておかないと絵師コミュニティ村八分にされるから嫌々やってる」という理由仮想敵と戦ってる人も少なくない。防犯目的も然り。そんなんで人格否定排除してこようとする人はあなた人生には不要存在なのでとっとと縁を切りましょう。いくら好きな絵を描いてくれたり性癖が一致してたりしても、最後に合わせるべきもの倫理観だ。

 もはや敵はAIではないと思ってる人たち。もしくは品質を落とさずとも自分作品である事が証明できればそれでいいと思ってる人たち。こういう人も古来からネットに上げる時点で全部余儀なくフリ素になることをわかってるので、ならせめて自作証明ぐらいしておこうというある意味一番賢いかもしれない。入ってたら思想強いなと少し思う程度。過去による無断転載被害に遭った経験がある人はこれ率が高く、これからも是非そうすべきだと思う。

  • 筆を折ったが残ってレスバを楽しむ

 こいつが一番ダメ。こういう奴らのせいで下記で紹介する人たちが疲れてサービスを捨てる決断をせざるを得なくなった。この場合半分ぐらいイーロンのせいではあるが…

 AI技術における紛う事なき敗北者。AIユーザーにもX運営にも潰されてしまった可哀想な人。本気で戦う気あるならAI凌駕するほど努力を積み重ねてハイクオリティな絵を描いてAI愉快犯土下座させればいい。そうすればあなたの筋も通ると思います。できないなら所詮その程度ということだ。

 ただ、イーロンが望む対戦型SNSに最も相応しい客もとい参戦者ともいえる。ネット喧嘩しか己を見出せなくなってしまった人。体感氷河期世代に多い。暴言が行き過ぎると生成AI利用者であれ開示請求されても知らんぞ。

 中には今回の件でメンタル疲弊して絵が描ける状況ではなくなり、手っ取り早く脳汁を出す手段がこれになってしまったという本当に哀れな人もいる。怒りって一番手軽な娯楽だもんね。AI使って一瞬で絵を描く事よりも手描きの喜びを感じることよりも。

こういう人たちはあんスタ他女性向けソシャゲが「こっちは今まで通りでいきますから」と言っても「大手からってフォロワー失うのに日和ってるの?」「自社コンテンツ蔑ろにする(してない)姿勢にガッカリです」と叩いてる反応がある。ただただ活動の場を奪うことに快感覚えてるだけなのでは?と言われても仕方ない。

 声明出してるのがソシャゲBL出版社みたいな女性向けコンテンツばかりなのが、もう、ね…

 あと原神は撤退してないぞ。情報量の簡略化ってだけだぞ。とにかくX憎しで手段を選ばないで人を振り回す危険人物ばかりだね。お前にとっては公式よりも名前出してる専門家よりも得体もしれんフォロワーの方が信用できんのか。フォロワーは裏切るぞ。

理屈として、「誰か一人無頓着な人がXで学習されていいという土台を作るとそれが基盤になって学習されてもいいみたいな風潮ができてしまうから何が何でもこの手で止めなくてはいけない」という意味不明正義感に駆られてる人もいる。AIがなければこんなことには…と言ってる人がいたが、もともとあんたが触ってるインターネットコンピューター戦争のための動画だったんやぞ。ネットがなければ…ぐらいになりなさい。お前が生きる現実は一体どこなんだ。

総じて、「TwitterあくまTwitter)で出会ったお友達が大切で失いたくない」と思っている人が多い。なんだかんだで承認欲求が満たされたり宣伝効果があるのはここなので。

真面目に技術発展に向き合いたい人もいれば、絵は人間関係構築手段の一つに過ぎないと思ってる人もいる。

 併用というよりはSNSとしての役割を捨てて今いるフォロワーだけで構わんという考えの人。総じてあまりネットに向いておらずメンタルが強くない。それならDiscordとかでいいのでは?と思うが「話すまででもないしたまにいいねが来る程度の関係」を失いたくないというのが大きいと思う。

今の状況がなんなのか分からいから消すよりは戻せる鍵垢を応急処置として選んだ、何もかもがうざくて疲れた別になんでもいいがこれから当面増えるであろう攻撃避けをしておきたい、誰にも干渉されず考える時間がほしいというタイプもこれ。本気で学習対策をしているというよりかは面倒ごとに巻き込まれるのにうんざりしてる傾向があるように見える。"人間"の業に疲れてしまった人。多分これがダメならAI以前の問題だと思う。

 鍵の快感に慣れてしまい、中で過激発言を繰り返してしまうケースも跡を経たない。自分も偏った政治発言地元の話やうんこ下痢や痔の話やエグい体調不良実況をしたりしてる。そして鍵垢には貫通や内通リスクがあるので絶対安全とも言えない。この惨状を見てインプ広告収入が減ったと判断したらイーロンが痺れを切らして鍵垢廃止ちゃうかもしれない。

 鍵なら学習されない(何故なら上記のような個人情報を垂れ流すケースが多くそういうのまで学習してしまうから)という話になっているが、それはあくまでGrok限定でありシステムサーバー上にはしっかり残ってるからね。

 鍵にするならROMとして使った方がいい。中でコソコソ呟かれてたらもうオープンSNSやめろよとなる。私も増田しか意見表明できない時点で同じ穴の狢だな

Xにポストとして載せるな

 というのも、Xのアルゴリズムで外部リンクシャドウバン対象になりやすい。今もそうかは分からんが。少なくともインスタ、TumblrYouTubeあたりはブラックリスト扱いされてると聞いた事がある。

この調子だとblueskyもxfolioも有害サイト扱いされてしまうのも時間問題な気がする。やるならプロフィールへのリンクならまだ認められてるからそちらに誘導すべき。サムネイルは諦めよう。

まだリンクが怒られないブルスカURLのせて誘導するぐらいなら理解できる。

 xfolioやポイピクみたいに安全サイトと謳っていても、人間の悪意は無限抜け道スクショ撮影スキャン、はたまたハッキング)を探すのだから絶対的なユートピアとは言えない。だがやられた後にぶちのめす方法が分かってないからこうなってるんだよね。

それを待ってるうちに暴れたからこいつらの話聞く価値ないってなってる現状を作った反AI過激派の罪は重い。勘違いしながらパブコメで行きすぎた暴言を吐くような人はちょっとね…

 結論から言うとタイムスタンプ消失的な意味おすすめしないが、Xアーカイブを取得すれば証拠にはなるのでサービス上に原本を残しておく必要はない。私もアカウント削除する寸前には必ず記録を取ってる。こういう時黒歴史クリーナーが生きてればね…

そういう意味では一度まっさらにして学習阻害及びサインを追加して一応学習されないことになってるサイトに再アップするのはアリだと思う。シンプル黒歴史清掃目的でやっており再アップすらせず歴史の闇に消す人もいるが、そういう人はアカウント消した方がいいと思いますなりすまし防止のために消した1ヶ月後に同じIDダミー垢を作っておこう。

 転生しただけで本当はAI肯定してるんですか?と思われかねないのでね。

長すぎるため後半に続く

https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

2024-11-14

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

2024-11-10

幼少期

追記

そういえば風呂も1週間に1回くらいだったな。自分で何かおかしいと思って、毎日入る様にしたらどうしたの?とか聞かれて、汗かいたからとか答えてた。

学校で終業式か何かがある前日くらいにジャージとか運動着は駄目だよって言われたので母親にそれを伝えた。要はチノパンとか綿素材のパンツを履かないとダメってことなんだけど理解できなかったらしく当日スウェットパンツ履かされて行って先生に注意された。あと、母親は俺の歯磨き結構無頓着で、小学生の頃の俺は虫歯だらけで歯が真っ黒だった。今何とか普通に暮らせてると思うが、俺の親の教育水準ヤバいよな。

2024-11-09

ウォーターマーク入れるのにしてもさ

あきらかに絵の構図にノイズになってる人が多すぎやしないか

AI学習されたくないってのもネットに上げておいてナンセンスだし、どうせMADとかコラとか面白がってるのがほとんどなんでおかしな話ではあるけどさ。

だけど、その作品大事だったらデザインバリエーションを設けるなり配置や色を工夫するなりしたらいいのにとは思う。

そういうところに無頓着なのは勿体ないしつくり手としての矜持はないのかと思う。

増田は構図の邪魔にならないように小さくサインを入れたりしてるけど、サインウォーターマーク自体はいいんだよ。

たまたまどこかで見て描いた人を知りたいときに役に立つから

けど、絵を見にくくするような入れ方をするのは元々意味のないものだということを知らないのを差し引いても駄目だろ。

anond:20241102125716

田舎に住んでる40男だけど、この感覚が一生解らん

>おしゃれな人はそこまで目立たず景色に溶け込むんだけど、ダサい人は一撃で「ダサい」という印象を周囲に振りまいてる。

自分生活圏内ダサい人を見かけても何とも思わないし、他人ダサいかどうかについても関心が無い。

べつに人間に興味が無い無い訳ではないよ。

人の振る舞いとか人間性には興味あるけど、服にアンテナがピクリとも反応しないんだろうな。「あっあの人ダサい!」とか思った事が無い。

まぁ自分も夜のドラッグストアジュース買いに行く時とか、部屋着にジャケットスリッポンでで行く事あるし「さすがにこの服やべぇな」とか思う事あるけど、服の感度や解像度については女性と雲泥の差があるんだろうなとは思ってる。

そんな自分大学生20代時代は今より服装に気を遣ってたけど、あれは今思い返せば「同調圧力に怯えてファッションに気を遣ってた」だけなんだよなーと感じる。

そういう変な呪いから解放されてオッサンになった今は、周囲の目があまり気にならなくなって、良くも悪くも自然体で暮らすようになった(美意識が低くなったとも言える)。

今は妻が服から髪型までファッションチェックというかプロデュースしてくれて、妻好みの見た目で過ごす事を義務付けられてるけど、そこに自分の拘りとか一切無い。

まぁ男の中でも俺が特別無頓着なだけかも知れない。

以前会社員やってた時、会社の同僚の男の人でも服への意識が高い人は本当に高かった。

シャツにシワが無いか、革靴は磨かれているかネクタイの柄は背広と合っているか、めちゃくちゃ細かかったし、(車移動がデフォ土地柄)乗っている車がきちんと洗車されているか新人の癖にイキった車種に乗っていないか、シートは清潔か、なんて事にも厳しい男の人が多かった。

まぁただ、「統計的に見れば」服装無頓着個体は男の方に生まれやすいかも知れない。

anond:20241102125716

田舎に住んでる40男だけど、この感覚が一生解らん

>おしゃれな人はそこまで目立たず景色に溶け込むんだけど、ダサい人は一撃で「ダサい」という印象を周囲に振りまいてる。

自分生活圏内ダサい人を見かけても何とも思わないし、他人ダサいかどうかについても関心が無い。

べつに人間に興味が無い無い訳ではないよ。

人の振る舞いとか人間性には興味あるけど、服にアンテナがピクリとも反応しないんだろうな。「あっあの人ダサい!」とか思った事が無い。

まぁ自分も夜のドラッグストアジュース買いに行く時とか、部屋着にジャケットスリッポンでで行く事あるし「さすがにこの服やべぇな」とか思う事あるけど、服の感度や解像度については女性と雲泥の差があるんだろうなとは思ってる。

そんな自分大学生20代時代は今より服装に気を遣ってたけど、あれは今思い返せば「同調圧力に怯えてファッションに気を遣ってた」だけなんだよなーと感じる。

そういう変な呪いから解放されてオッサンになった今は、周囲の目があまり気にならなくなって、良くも悪くも自然体で暮らすようになった(美意識が低くなったとも言える)。

今は妻が服から髪型までファッションチェックというかプロデュースしてくれて、妻好みの見た目で過ごす事を義務付けられてるけど、そこに自分の拘りとか一切無い。

まぁ男の中でも俺が特別無頓着なだけかも知れない。

以前会社員やってた時、会社の同僚の男の人でも服への意識が高い人は本当に高かった。

シャツにシワが無いか、革靴は磨かれているかネクタイの柄は背広と合っているか、めちゃくちゃ細かかったし、(車移動がデフォ土地柄)乗っている車がきちんと洗車されているか新人の癖にイキった車種に乗っていないか、シートは清潔か、なんて事にも厳しい男の人が多かった。

まぁただ、「統計的に見れば」服装無頓着個体は男の方に生まれやすいかも知れない。

2024-11-08

anond:20241108194552

オシャレ興味ないメイクもどうでもいいを貫き通してるならわかるけど可愛い服を可愛いと思う気持ちはあるのに首から上は無頓着の可愛くない自分で本当にいいのか?とは思う

R.I.P.松本人志

どうにかならなかったのか。

最初に、本当に最初の初報が出たあの日に、速やかに会見して謝罪と弁明を弁明を見せてれば傷は浅かったはずなんだ。

「年甲斐もなく最近まで、初対面の女性も交えて遊ぶような飲み会に参加することがあった。その後で相手性的関係に誘うことも一度ならずあった。もちろんそれは家族に対する裏切りなのだが、独身時代の遊行の延長で軽く考えていた。

ただ、自分認識ではお互い、対等に合意の上での遊びだと思い込んでいた。たとえば後輩が自分に気を遣って、それほど気乗りしていない女性を無理に連れてきているかもしれないだとか、自分に声をかけられたら女性は『相手権力者から断れない』と思い詰めるかもしれないとか、そういった権力勾配にまったく無頓着だった。それは恥ずべきことだし、飲み会の席のみならず常に自戒しなければならない点だと気づかされた。

今回、傷つかれたと声を上げられた方に、そして、これまで自分が傷つけてしまたかもしれない人たちに心から謝罪したい」

みたいなことを過不足なく、淡々と言って頭を下げて、吉本と昵懇の記者にいいぐらいの温度感質問を二三、投げてもらって、黒スーツで決めて神妙な顔してれば良かったんだ。

それでレギュラー番組新録パートを設けて謝罪説明をしながら、浜田さんに「いい年して女遊びして」みたいなことをイジらせて、さらにそれを東野さんとかジュニアさんとかあのへんの人に「誰が言うてんねん」と突っ込ませて全部をなあなあにするような吉本トップチームスクラムによるロンダリングで、メディア上で問題を「年甲斐もなく若い女の子に鼻の下伸ばしてる勘違いおじさん」くらいまで矮小化させることは可能だったはずなんだ。

一か月もあれば通常営業に戻れた。

松本さん悪くないですよ!調子乗ってる文春とクソ女に言わせたままにしていいんですか!?」と裁判に焚きつけた奴がいるなら、私はそいつを心から憎む。

そもそも松本さんが「無教養ミソジニー高卒のイキリおじさん」であることはこれまでのワイドナショーやXなどでの様々な不用発言炎上からみんなとうに知っていて、だから自覚的強制性交ではなかった」という一線さえ死守できれば、(松本さんの前述した「駄目さ」も分かった上でついてきてる)ファンに対してのイメージダウンはそこまでではなかったはずなんだ。ポリコレアップデートや誠実さなんて、ファン松本さんにハナから求めてない。

じゃあ何を求めてた?「エンターテイナーとしての格好良さ」だ。

水曜日のダウンタウンでの当意即妙で美しいコメントのような、頭の回転の速さと「粋」を松本人志に感じていたいんだ。「オモシロ」一本でキラキラしていてほしい。

「わぁ、やっぱり松本さんって面白いんだなぁ!」と思わせてほしいんだ。

支持するだけで(消費者に過ぎない)自分の格まで上がったように感じさせる「格好良さ」それが松本人志の価値だ。

からみんな、裁判周り特に一連のXでの醜態にガッカリした。

ダサい人だと思われた」これがめちゃくちゃデカいと思う。

そもそも松本人志というブランド2010年前後に一度、底を打っている。言うまでもなくつまんない映画を撮り続けてみんなドン引きだった時期だ。そこから10年代中盤以降の「でも結局、松本さんって凄いんだよな」という再評価に至ったのは水曜日のダウンタウンの、藤井健太郎さん一派の功績だと思う。番組内でダウンタウンを再神格化することによってその名を冠した番組自体価値を高め、自身ブランディングをも成功させた藤井一派のやり口は鮮やかだった。

この期に及んで松本さんを大声で支持してたら「どうせ暇空茜とかも応援してたような、女性蔑視に凝り固まってネットレスバばっかりしてるヤバい弱者男性ども」の同類だと思われかねない。

面白さを格好良さと読み替えてファンを憧れさせ、「松本人志を好きであることがポジティブ自己表現になる」と思わせられた、その松本人志最大の価値が、一連の愚行によって傷つけられてしまった。問題はそこなんだ。

からもう終わりだと思う。あるいはここから、また藤井健太郎マジックで返り咲けるのか?いやどうだ。藤井さんも、かつて本人が言っていたようにじわじわと「ズレて」行っているようにも思うし。

R.I.P.松本人志。

2024-11-07

こどおばが親孝行できる方法

教えてほしい。

いままでやったこととそれへのリアクションは以下。

ちょっといいお店でご飯を食べる

→親が偏食であり食へ関心がないことからファミレスの方がいいと遠回しに言われた。

誕生日カバンアクセサリー等のプレゼント提案する

こちらもファッション無頓着であるため却下され、渡すことさえできず。

旅行計画する

夫婦仲は破綻しており2人で行かせるとストレスになる。かといって親子仲が特別いい訳ではなく、お互いに気を使う旅になりそう。

④日帰りで出かけようとする

そもそも出不精の親である。混雑、時間の捻出、金額に見あった価値など様々な言い訳をしてきて結局行かない。

⑤孫を見せる

自分ひとりでどうにかなる問題ではない。現状不可能

⑥自立し家を出る

家賃を払うくらいなら家に入れろと言われ、言われるがまま家賃相当の額を納めている。

家事を手伝う

→母の中での細かいルールが多く、休みの日にだけ手伝う程度で「やってあげた」感を出すなと言われる。後々黙って手直しされて手間をかけさせていることにもなり、こちらもいい気分はしない。

現金をわたす

→究極これなんだけど貯蓄されるだけなのは悲しい。

教授ください。

2024-11-02

女性恋人容姿についてマイナスなことを言うのは共感を集めることが多いけど、男性恋人容姿についてマイナスなことを言うと批判されることが多い。

不思議現象だなといつも思う。

彼氏髪型が気に入らないは受け入れられるけど、彼女髪型が気に入らないは反論される。

何でなんだろう。容姿に対する意識の差なのかな。

洋服無頓着恋人にもう少し違う服着て欲しいなと自分が考えてしまってなんだか嫌になった。自分は言われたら凹むのに。

anond:20241102125716

オシャレか普通か以前の「自分がどう見られるかに無頓着」という意味なら、まあ確かにそういう人は男性のほうが多い…?

落ち着いた街並みの中1人だけ蛍光Tシャツに短パンとか

まあその方向性でいえば海外観光客のほうが思い思いのものを着ているか…。

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