はてなキーワード: 枚挙とは
仲岡しゅん弁護士のポスト(最初のもの)これは明らかにやり過ぎです。akakuroさんのポストは、確かに感情的で「生得的女性」云々という表現が出てはいますが、根底にあるのは**「自認の性」を無制限に優先すると、生物学的女性の安全・公平性・プライバシーが損なわれるのではないか**という、国際的にも何年も議論されている現実的な懸念です(女性刑務所、スポーツ、DVシェルター、更衣室などの事例は枚挙にいとまがない)。それに対して仲岡弁護士が取った対応は、**「タレコミがありましたよ」「わいせつ事件で前科のあるオッサン」**という、根拠が極めて薄い(少なくとも公に立証されていない)個人攻撃+中傷です。さらに「文句があるなら訴えてこい、匿名だから大した金額にならない」「むしろ身元を割る手間が省ける」と開き直る発言まで重ねている。これは弁護士として致命的に不適切です。
たとえ自分がトランス当事者として日々攻撃を受けていて苛立っていたとしても、法の専門家が「タレコミベース」で人を犯罪者呼ばわりし、匿名性を逆手に取って攻撃するのは、品位を著しく欠く行為です。結果として大阪弁護士会から戒告処分を受けたのは、極めて当然の帰結だと思います。2. 小田垣和弘司法書士の懲戒請求ポスト(2番目)こちらは内容としてはかなり的確に問題点を指摘しています。「タレコミ」という怪しげな根拠で重大な名誉毀損レベルの暴露をしたこと
匿名アカウントだから何を言っても許されるような物言いをしたこと
それが弁護士という公的資格を持つ人間の発信であることの影響力の大きさ
これらは全部正当な批判ポイントです。小田垣さんは「トランス差別には反対だが、こういうやり方はダメだ」という立場を取っていて、そこは筋が通っています。懲戒請求自体も、感情的な報復ではなく、弁護士倫理の観点から書かれている印象を受けます。全体を通しての私の考えこの一件は、典型的な「正しさの独占」と手段の正当化の問題を露呈しています。トランス権利を擁護する側(特に当事者)は、自分たちが「正義の側」にいるという強い確信から、相手を「ヘイター」「差別主義者」とレッテル貼りし、議論そのものを人身攻撃にすり替える傾向が強い。
その結果、「匿名ヘイターには何を言ってもいい」という危険なロジックが生まれる。
しかし言論の場において、匿名であろうと実名であろうと、事実に基づかない中傷は許されない。ましてや弁護士がそれをやるのは論外です。
生物学的性(sex)と性自認(gender identity)は違う概念です。後者を前者と完全に同等に扱う政策が、女性の権利や子供の保護、スポーツの公平性などに現実的な弊害を生んでいる事例は、世界中で積み上がっています。この点を「差別」として一刀両断するのではなく、データと現実を直視した上で、どうバランスを取るかを真剣に議論すべきです。仲岡弁護士はトランス当事者として苦労も多く、権利擁護に尽力してきた面もあるでしょう。しかし、**「自分たちが被害者だから手段を選ばなくていい」**という態度は、結局自分たちの立場を弱めるだけです。小田垣さんのような「味方内からの指摘」こそが、運動の健全性を保つために重要だと思います。要するに、
クィア理論は、ジュディス・バトラーやイヴ・コソフスキー・セジウィックらによって展開された、異性愛中心主義(ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーやセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧からの解放を目指したはずである。しかし、21世紀に入りこの理論が制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力の装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄の誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体を生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範を批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。
代表的な事例が、女性専用スペースの「解放」政策である。英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学的男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人の割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランド・ウェールズの刑務所には339人のトランスジェンダー囚人が確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去の公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学的女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性型犯罪パターンを維持していることが明らかになった。
同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会(IOC)は2026年3月、女性カテゴリー参加資格を生物学的女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認を尊重した参加が認められてきた結果、生物学的男性の身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリートの安全と競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ、更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界が曖昧化された。
これらは、クィア理論が唱える「規範の撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である。生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準で管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識/権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。
クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カス・レビュー(2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療のエビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生・身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用が原則禁止され、ホリスティック(包括的)な心理社会的支援へシフトする動きが加速した。
この再定義は、フーコーの医療化理論を逆手に取ったものだ。19世紀に同性愛が「逆性的感覚」という医学的カテゴリとして生産されたように、クィア理論は性自認を新しい「内面的真理」として医療・教育・法制度の対象に据えた。結果、生物学的現実(進化的に形成された性的二形性や犯罪パターンの性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性を強制する新しい規範を生み出した。
ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義が社会契約や民主的なプロセスをほとんど経ずに急速に制度化された点である。ホッブズやルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由の限界を相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである。民主的プロセス(議会審議、科学的レビュー、国民的合意形成、公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策がアカデミアや一部の運動から行政・法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学的現実や潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的」トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。
社会契約や民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想やトレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間、科学的エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義が現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論は脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。
ここで注目すべきは、医療基準自体の改定による「非医療化」が、フーコーの医療化理論でこそ最も鮮やかに説明できる点である。DSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティそのものを病理化する表現を廃止した。ICD-11(2019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患章から「性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見、クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。
しかし、フーコーの医療化理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体を生産・管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護・特権化され、適合しない重い衝動(非同意・暴力要素の強いパラフィリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療・制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力の生産性」の典型である。
さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護・特権化される。一方、非同意・暴力要素の強い性的衝動(パラフィリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的・社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うものを障害とする区別を設けたのも、この二重基準を制度化した例である。
フーコー的に見れば、これは生権力の典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的・道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会が管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由(自発的な衝動抑制治療や専用環境の選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさらに孤立させる。
フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗そのものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範を脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学的現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学的女性や子供)の安全権を再配分する事態を招いた。
社会契約や民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意の医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会である。フーコーの物差しで測れば、クィア理論の実践は規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。
「青春」という言葉は不思議だ。部活や初恋、文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から「青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。
――「青春」をテーマにした映画やアニメ、小説などが、ちまたにあふれています。
少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツは枚挙にいとまがありません。
例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生が主人公で、アニメの主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春」コンテンツに含まれるでしょう。
「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージは一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります。
――どういうことでしょうか。
1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生が既存の社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的なものだ、という社会的認識があったのです。
それが高校・大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきます。さらに2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通の日常」がテーマとして好まれるようになりました。
――こうした「青春」のイメージが、現実の当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。
「青春」が「普通の日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。
つまり、作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから、現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます。
そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドルや芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションだから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。
いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者に承認してもらえるか。いわば「ミッションをクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます。
――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。
「青春は陳腐さと特別さが混ざり合った規範だから」だと、著書では結論づけました。
現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活を経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐なものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別な意味を持ちます。
誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。
さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的な感情を入れる余地のないものだから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくまで社会的に作られたイメージであって、相対的なものに過ぎないということです。
――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。
研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通の学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいなものなのだと思います。
私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが、自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。
要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分のアイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。
◇
いしおか・まなぶ 1977年生まれ。専門は教育の歴史社会学で、子どもや若者イメージの社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。
https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html
最初から書き始めてみたいのだが、正直なところ、いつ会社が終わり始めたのかがわからない。
最後のピースがはまる前に長い間なにかがあったのかもしれないし、一度になにかが押し寄せてきたのかもしれない。何もかもがひどいことになった。
破滅が衆目に晒される前に、解決するチャンスはずっとあったのかもしれない。
最近になって、全社員へ出社命令が出されたのは覚えているだろう。
思っていたよりも状況は悪いんじゃないかと、みなが考え始めたのはこの時点なのではないだろうか。
これから述べることは、単なる噂話や不満に過ぎません。信じるか信じないかはあなた次第です。
しかし、もしあなたがIT企業に勤めていて、本社入口の右から2番目の門が破壊されているとしたら、この話を今後の行動の参考にしてください。
これは私の愚痴であり、噂話であり、怒りの爆発です。
当社では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックをきっかけにリモートワークを導入しました。一時は、ほぼ全従業員が完全リモートワークを許可されていました。パンデミックが収束するにつれ、当社は従業員にオフィスへの復帰を義務付ける方針へと移行しました。これは、いわゆるRTO(オフィス復帰目標)です。
しかし、このRTOはかなり場当たり的に実施されました。社長や一部の役員はRTOを支持しましたが、反対する役員もいました。
結果として、最初のRTOは中途半端な形で実施されました。部署によっては、完全リモートワークが許可される部署もあれば、週5日オフィスに出社しなければならない部署もありました。
ほぼ同時期に、オフィス賃料がコスト削減の焦点となりました。そのため、当社はオフィスを別のビルに移転することになりました。
新しいオフィスを選定するにあたり、実際にオフィスに出社する従業員数を調査する必要がありました。各部署の出社予定人数を算出し、提出しました。
この情報に基づいて、新しいオフィスが選定されました。その後数年間、出社ポリシーは比較的安定していました。
しかし、数週間前突如として、全従業員に対しオフィスへの復帰命令が出されました。「来週から週X回出社してください」という、極めて唐突なRTO(リモートワーク目標)が全従業員に発令されたのです。
中には「オフィスに行くのは嫌いじゃない。むしろ同僚と飲みに行けるのは嬉しい」と豪語する従業員もいましたが、完全リモートワークや週1回出社を前提に住居や生活スタイルを計画していた従業員は、大きな混乱に陥りました。
RTO発令から数日後、本社ゲートのうち1つが破壊されました。
ここまでは、おそらく全従業員が認識しているであろう一連の出来事です。ここから先は、私が収集した情報と、それに基づく推論です。
事の発端は約6ヶ月前に遡ります。製品売上の減少と円安によるコスト増を受け、オフィスフロアの賃貸面積をさらに縮小することになった。
そこで、自己申告に頼るのではなく、オフィスゲートを通過する人数を数えて実際の出社率を算出するのが良いアイデアだと、誰かが考えたようです。
その結果、各部署が自己申告した出社率よりも実際の出社率は大幅に低いことが判明した。
専用エレベーターで社長室へ直行し、一般社員との交流を避け、イエスマンばかりに囲まれていた社長にとって、これは全くの驚きだった。彼はこれまで、社員全員が申告通りに出社し、オフィスでの勤務を楽しんでいると信じていたのだ。
もともと精神的な問題を抱えていた社長は激怒し、あらゆる議論の場を飛び越え、全部署に対し直接「オフィス復帰目標(RTO)」命令を出した。
各部署ごとに全く異なる出社目標が設定されていることにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
私の知る限り、最もマシな部署は週1回の出社が求められているのに対し、最も状況の悪い部署は週5日出社が求められています。
なぜ部署によって出社目標が異なっていたのでしょうか? 業務や職務内容、部署の成績とは全く関係ありません。単に「事前に提出した出社率を達成せよ」という指示だったのです。
つまり、実際には、個々の従業員がその出社率を達成したかどうかは関係ありません。
どうやら、彼らがチェックしているのは、会社のゲートを通過する人数を部署の従業員数で割った値が目標値に達しているかどうかだけのようです。
もしあなたの部署の出社要件が突然異常に厳しくなったとしたら、責任は部署長にあります。なぜなら、達成不可能な、あるいは達成しようとすらしなかった出社率を社長に提示したからです。
現在調査中です。状況から判断すると、突然の出社義務化(RTO)に激怒した従業員が故意にゲートを破壊したことは明らかです。会社の入り口には複数の監視カメラが設置されているため、犯人は既に特定されていると思われます。
しかし、この事実が公表されるかどうかは別の問題です。おそらく公表されないでしょう。
そもそも、物理的な破壊行為にまで及ぶ人物は、相当な怒りを抱えているに違いありません。
もし社内懲戒処分が下されれば、犯人はさらに過激な手段に出る可能性が高いでしょう。労働基準監督署に訴えたり、労働組合を結成して全面的な抵抗運動を起こせば、会社の評判へのダメージは計り知れません。
これを器物損壊として訴追するのは難しいでしょう。建物の所有者との関係が絡むからです。
所有者との関係は既に緊張状態にあります。もちろん、契約内容の縮小を試みたことが一因ではありますが、それ以前から、私たちは優良顧客とは見なされていませんでした。
原因は、全フロアの壁に大きな絵を直接描いたことです。ある役員がオーナーの意向を無視し、知り合いのクリエイター数名に依頼して絵を描かせたと聞いています。
そのため、オフィス使用規則は異常に厳しく、「違反により契約が解除された場合、個人に損害賠償を請求する」という脅迫的な条項まで含まれています。私たちは厄介なテナントとして嫌われており、オーナーは私たちの違反を交渉材料として契約全体を解除する機会を伺っているのです。
もし警察に通報すれば、当然オーナーも巻き込まれることになります。契約内容の一部変更だけでも既に難しい状況なので、そのような面倒は絶対に避けたいところです。
したがって、私たちはトラブルを起こさず、内部で解決する以外に選択肢はありません。
いずれにせよ、会社が「従業員の出社日数を大幅に増やす」よう命じ、「猶予期間も一切設けなかった」という事実は、社長とその側近たちが公にしたくないと考えている。そのため、たとえ犯人が特定されたとしても、この件は恐らくもみ消されるだろう。
ここ数年、多くの従業員は社長の顔を全く見ていない。会社主催のカンファレンスや社員総会にも姿を見せない。実際、社員総会自体が全く開催されなくなった。
複数の情報源から、社長が何らかの精神的な問題を抱えているという噂が流れている。診断名は不明だが、業績不振に対する苛立ちを、周囲の人々や従業員にぶつけているようだ。
社長は、会社の業績不振の原因は従業員にあると考えている。そのため、単にコスト削減を行うのではなく、従業員への懲罰として、福利厚生の削減を進めている。
だからこそ、多くの従業員福利厚生が廃止されたのです。家賃補助、クラブ活動補助、チームビルディング支援、全社的なMVP制度、役員との交流イベント、障害者雇用を兼ねたマッサージ師の配置など、枚挙にいとまがありません。
このRTO(オフィス復帰)によって、オフィスに十分な座席がないため、一部の従業員は立ち仕事を強いられています。
会議室が不足しているため、防音会議室ではなくフリーアドレスデスクで顧客とのミーティングをせざるを得ない従業員もいます。
エレベーターは需要に追いつかず、始業前のエレベーターホールは満員電車のように混雑しています。ゲートを通過してから自分のフロアに到着するまでに20分以上かかることもあります。
おそらく社長は、専用エレベーターでアクセスできる最上階の静かな社長室から、この状況をすべて見守っているのでしょう。
止められないからです。社長が株式の大部分を所有しているため、誰も何も言えません。ガバナンスは既に崩壊しています。
最近、役員報酬制度が刷新されました。部門業績を役員報酬に反映させるための新たな仕組みだという説明は、単なる建前です。規則を注意深く読むと、事実上、社長が役員報酬を自由に決定できることが明らかになります。
これにより、反対意見は排除されました。この規模の企業では考えられないほど、独裁的とも言える専制的な経営体制が確立されてしまったのです。
この性急なRTO(目標復旧時間)は結果であって原因ではありません。問題はもっと根深いところにあります。
誰も公には言っていませんが、多くの人が転職活動を始めています。もちろん、私もそうです。
このままでは、6ヶ月以内に壊滅的な人材流出が起こるでしょう。
製品開発は遅延し、その結果生じる損失は社長をさらに怒らせ、従業員の労働環境は悪化するでしょう。
そして、さらに多くの人が会社を去っていくでしょう。特に優秀な人材が。
私の在籍期間はベテラン社員ほど長くはありません。それでも、私はこの会社の製品と理念を愛していました。
卓越した技術力と情熱を持ち、製品とユーザーに真摯に向き合っていた同僚たちを愛していました。
これまでこの会社に留まってきた多くの社員も、同じように感じていたに違いありません。
だからこそ、こんな形で全てが終わってしまうのを見るのは辛い。でも、もう私にできることは何もない。
私は自分の人生を生きるしかない。あなたも、自分の人生を生きるしかない。
この情報が同僚たちに届くことを願う。
最初から書き始めてみたいのだが、正直なところ、いつ会社が終わり始めたのかがわからない。
最後のピースがはまる前に長い間なにかがあったのかもしれないし、一度になにかが押し寄せてきたのかもしれない。何もかもがひどいことになった。
破滅が衆目に晒される前に、解決するチャンスはずっとあったのかもしれない。
最近になって、全社員へ出社命令が出されたのは覚えているだろう。
思っていたよりも状況は悪いんじゃないかと、みなが考え始めたのはこの時点なのではないだろうか。
これから述べることは、単なる噂話や不満に過ぎません。信じるか信じないかはあなた次第です。
しかし、もしあなたが港区のIT企業に勤めていて、本社入口の右から2番目のゲートが破壊されているとしたら、この話を今後の行動の参考にしてください。
これは私の愚痴であり、噂話であり、怒りの爆発です。
当社では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックをきっかけにリモートワークを導入しました。一時は、ほぼ全従業員が完全リモートワークを許可されていました。パンデミックが収束するにつれ、当社は従業員にオフィスへの復帰を義務付ける方針へと移行しました。これは、いわゆるRTO(オフィス復帰目標)です。
しかし、このRTOはかなり場当たり的に実施されました。社長や一部の役員はRTOを支持しましたが、反対する役員もいました。
結果として、最初のRTOは中途半端な形で実施されました。部署によっては、完全リモートワークが許可される部署もあれば、週5日オフィスに出社しなければならない部署もありました。
ほぼ同時期に、オフィス賃料がコスト削減の焦点となりました。そのため、当社はオフィスを別のビルに移転することになりました。
新しいオフィスを選定するにあたり、実際にオフィスに出社する従業員数を調査する必要がありました。各部署の出社予定人数を算出し、提出しました。
この情報に基づいて、新しいオフィスが選定されました。その後数年間、出社ポリシーは比較的安定していました。
しかし、数週間前突如として、全従業員に対しオフィスへの復帰命令が出されました。「来週から週X回出社してください」という、極めて唐突なRTO(リモートワーク目標)が全従業員に発令されたのです。
中には「オフィスに行くのは嫌いじゃない。むしろ同僚と飲みに行けるのは嬉しい」と豪語する従業員もいましたが、完全リモートワークや週1回出社を前提に住居や生活スタイルを計画していた従業員は、大きな混乱に陥りました。
RTO発令から数日後、本社ゲートのうち1つが破壊されました。
ここまでは、おそらく全従業員が認識しているであろう一連の出来事です。ここから先は、私が収集した情報と、それに基づく推論です。
事の発端は約6ヶ月前に遡ります。製品売上の減少と円安によるコスト増を受け、オフィスフロアの賃貸面積をさらに縮小することになった。
そこで、自己申告に頼るのではなく、オフィスゲートを通過する人数を数えて実際の出社率を算出するのが良いアイデアだと、誰かが考えたようです。
その結果、各部署が自己申告した出社率よりも実際の出社率は大幅に低いことが判明した。
専用エレベーターで社長室へ直行し、一般社員との交流を避け、イエスマンばかりに囲まれていた社長にとって、これは全くの驚きだった。彼はこれまで、社員全員が申告通りに出社し、オフィスでの勤務を楽しんでいると信じていたのだ。
もともと精神的な問題を抱えていた社長は激怒し、あらゆる議論の場を飛び越え、全部署に対し直接「オフィス復帰目標(RTO)」命令を出した。
各部署ごとに全く異なる出社目標が設定されていることにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
私の知る限り、最もマシな部署は週1回の出社が求められているのに対し、最も状況の悪い部署は週5日出社が求められています。
なぜ部署によって出社目標が異なっていたのでしょうか? 業務や職務内容、部署の成績とは全く関係ありません。単に「事前に提出した出社率を達成せよ」という指示だったのです。
つまり、実際には、個々の従業員がその出社率を達成したかどうかは関係ありません。
どうやら、彼らがチェックしているのは、会社のゲートを通過する人数を部署の従業員数で割った値が目標値に達しているかどうかだけのようです。
もしあなたの部署の出社要件が突然異常に厳しくなったとしたら、責任は部署長にあります。なぜなら、達成不可能な、あるいは達成しようとすらしなかった出社率を社長に提示したからです。
現在調査中です。状況から判断すると、突然の出社義務化(RTO)に激怒した従業員が故意にゲートを破壊したことは明らかです。会社の入り口には複数の監視カメラが設置されているため、犯人は既に特定されていると思われます。
しかし、この事実が公表されるかどうかは別の問題です。おそらく公表されないでしょう。
そもそも、物理的な破壊行為にまで及ぶ人物は、相当な怒りを抱えているに違いありません。
もし社内懲戒処分が下されれば、犯人はさらに過激な手段に出る可能性が高いでしょう。労働基準監督署に訴えたり、労働組合を結成して全面的な抵抗運動を起こせば、会社の評判へのダメージは計り知れません。
これを器物損壊として訴追するのは難しいでしょう。建物の所有者との関係が絡むからです。
所有者との関係は既に緊張状態にあります。もちろん、契約内容の縮小を試みたことが一因ではありますが、それ以前から、私たちは優良顧客とは見なされていませんでした。
原因は、全フロアの壁に大きな絵を直接描いたことです。ある役員がオーナーの意向を無視し、知り合いのクリエイター数名に依頼して絵を描かせたと聞いています。
そのため、オフィス使用規則は異常に厳しく、「違反により契約が解除された場合、個人に損害賠償を請求する」という脅迫的な条項まで含まれています。私たちは厄介なテナントとして嫌われており、オーナーは私たちの違反を交渉材料として契約全体を解除する機会を伺っているのです。
もし警察に通報すれば、当然オーナーも巻き込まれることになります。契約内容の一部変更だけでも既に難しい状況なので、そのような面倒は絶対に避けたいところです。
したがって、私たちはトラブルを起こさず、内部で解決する以外に選択肢はありません。
いずれにせよ、会社が「従業員の出社日数を大幅に増やす」よう命じ、「猶予期間も一切設けなかった」という事実は、社長とその側近たちが公にしたくないと考えている。そのため、たとえ犯人が特定されたとしても、この件は恐らくもみ消されるだろう。
ここ数年、多くの従業員は社長の顔を全く見ていない。会社主催のカンファレンスや社員総会にも姿を見せない。実際、社員総会自体が全く開催されなくなった。
複数の情報源から、社長が何らかの精神的な問題を抱えているという噂が流れている。診断名は不明だが、業績不振に対する苛立ちを、周囲の人々や従業員にぶつけているようだ。
社長は、会社の業績不振の原因は従業員にあると考えている。そのため、単にコスト削減を行うのではなく、従業員への懲罰として、福利厚生の削減を進めている。
だからこそ、多くの従業員福利厚生が廃止されたのです。家賃補助、クラブ活動補助、チームビルディング支援、全社的なMVP制度、役員との交流イベント、障害者雇用を兼ねたマッサージ師の配置など、枚挙にいとまがありません。
このRTO(オフィス復帰)によって、オフィスに十分な座席がないため、一部の従業員は立ち仕事を強いられています。
会議室が不足しているため、防音会議室ではなくフリーアドレスデスクで顧客とのミーティングをせざるを得ない従業員もいます。
エレベーターは需要に追いつかず、始業前のエレベーターホールは満員電車のように混雑しています。ゲートを通過してから自分のフロアに到着するまでに20分以上かかることもあります。
おそらく社長は、専用エレベーターでアクセスできる最上階の静かな社長室から、この状況をすべて見守っているのでしょう。
止められないからです。社長が株式の大部分を所有しているため、誰も何も言えません。ガバナンスは既に崩壊しています。
最近、役員報酬制度が刷新されました。部門業績を役員報酬に反映させるための新たな仕組みだという説明は、単なる建前です。規則を注意深く読むと、事実上、社長が役員報酬を自由に決定できることが明らかになります。
これにより、反対意見は排除されました。この規模の企業では考えられないほど、独裁的とも言える専制的な経営体制が確立されてしまったのです。
この性急なRTO(目標復旧時間)は結果であって原因ではありません。問題はもっと根深いところにあります。
誰も公には言っていませんが、多くの人が転職活動を始めています。もちろん、私もそうです。
このままでは、6ヶ月以内に壊滅的な人材流出が起こるでしょう。
製品開発は遅延し、その結果生じる損失は社長をさらに怒らせ、従業員の労働環境は悪化するでしょう。
そして、さらに多くの人が会社を去っていくでしょう。特に優秀な人材が。
私の在籍期間はベテラン社員ほど長くはありません。それでも、私はこの会社の製品と理念を愛していました。
卓越した技術力と情熱を持ち、製品とユーザーに真摯に向き合っていた同僚たちを愛していました。
これまでこの会社に留まってきた多くの社員も、同じように感じていたに違いありません。
だからこそ、こんな形で全てが終わってしまうのを見るのは辛い。でも、もう私にできることは何もない。
私は自分の人生を生きるしかない。あなたも、自分の人生を生きるしかない。
この情報が同僚たちに届くことを願う。
値上げの必要性は理解するが,重大な問題があり,令和8年4月1日からの値上げは凍結するべきである。そのうえで,改めて学生(特に居住学生)と大学との間で協議体を設置し,十分に議論を行ったうえで妥結した額を改定額と決定するべきである。
大学による今回の値上げの決定には違法な点があり,不当なものであって,取消されなければならない。
前提として,学生宿舎が行政財産であるか,とか,国立大学法人法が借地借家法の特別法であるかは,争点ではない。
学生宿舎は国立大学法人筑波大学が法人化する際に国から現物出資されており,国有財産ではなく,国有財産法にいう行政財産でもない。
後段の指摘についてはもはや議論するまでもない。
学群学則§65および大学院学則§71では,学生宿舎は「学生の円滑な修学を支援するため」という目的を有していることが明らかにされている。
続けて,管理および運営に関し必要な事項は法人規程で定めるとしており,筑波大学学生居住施設規程において管理及び運営の基本として
「学生宿舎は、学生に良好な勉学の環境を提供し、自律的な市民生活を体験させるとともに、異文化交流を通じた国際性の日常化によりグローバル人材の育成に資することを管理及び運営の基本とする。」
としている。
公法上の契約であるかは,公法上の法的効果をもたらすかによって判断されるところ,今回の場合,学生宿舎は国立大学法人筑波大学が設置するものであるため、これが教育目的を達成しているかが重要となる。
そこで検討すると,少なくとも,「学生の円滑な修学を支援するため」は教育上の目的であるし,居住施設規程上は「自律的な市民生活を体験させる」「グローバル人材の育成」のような教育効果を及ぼすことを意図している。
そこで,これらの実態について検討し,現実に教育の目的を達しているかを検討する必要がある。
ざっと検討するだけでも宿舎祭や留学生との混住(特にグローバル・ヴィレッジ)など,具体的施策して実態を有しており,実際にその効果を及ぼしているといえる。
また,大学側は自らの調査結果(卒後アンケートやOBOGとの対話など)から,宿舎は学生の自律性や社会性の涵養に生かされていると考えているようである。
そうすると,国立大学法人が教育を目的とし,実際にそれを果たしているといえるならば,公法上の法的効果をもたらしていると評することができるから,国立大学法人と学生との間で結ばれる宿舎入居契約は公法上の契約であると判断されると考えられる。
法的な問題意識を有する学生もいたところ,学生を煽るような言い方ではなく,わかりやすく丁寧に説明しなければならなかった部分であると考える。
今回学生との間で争いとなった借地借家法が,借主に有利な規定であるのは,借主は貸主に対して圧倒的に弱い立場に置かれるからである。
貸主は借主の住という人間生活の根本を握っているから,たとえ納得していないとしても住を守るために不利益を受け入れざるを得ない例は枚挙にいとまがない。
そういった趣旨から類推すれば,教育効果を意図していたとしても国立大学法人筑波大学と学生との間にはそもそも権力関係があるうえに,国立大学法人筑波大学は貸主でもあるから,学生は通常の借地借家法の適用を受ける借主よりもさらに弱い立場にあって,特に保護される必要がある。
たとえば親元を離れて学生生活を送る者など一定の者のうち,学生宿舎に住むほかない者は,今回の値上げによって修学を諦めざるを得ないだろう。
さらに,そういった学生への支援制度を一切公開しておらず,説明会で数分程度触れたのみで,基幹サイトへの掲載などを行わなければ,教育目的は達成されない。
従って,大学側は値上げを回避するよう最大限努力し,やむを得ず値上げする場合には対話と説明の機会を設け,十分な納得が得られるまでは値上げを保留する道義的責任があることは明白である。
そもそも,国立大学等の授業料その他の費用に関する省令には以下の規定がある。
第9条(寄宿料の額及び徴収方法)宿舎の寄宿料の額及び徴収方法は,当該寄宿舎の居室の面積,建築後の経過年数,構造その他の事情を考慮して,各国立大学法人の規則で定める。 2 前項の寄宿料の額を定めるに当たっては,学生又は生徒等の経済的負担を勘案した適正な額とするよう配慮しなければならない。
前提として,寄宿料の額を定めるには,国立大学法人の裁量権をみとめることができる。
この裁量権の行使にあたっては,第1項に列挙される通り,居室の面積・築年数・構造・その他の事情を考慮することが求められており,これらが行政法上の考慮義務要素であるといえる。
その上で,第2項は,寄宿料の額が学生の経済的負担を勘案した適正な額となるよう配慮することを求めている。
従って,第1項に列挙される各点に基づく市況と,大学が設定する額が乖離する場合は,考慮義務要素について,考慮を尽くさないまま値上げを決定していると判断できる。
学生宿舎(たとえば一般単身改修棟は築50年超・5畳程度・風呂トイレ台所共用・シャワー風呂洗濯機が有料等)の現況から,現行の19,410円は周辺の市況と変わらない。
普通の教科書に書いてあるというなら教科書の名前とページのひとつぐらいあげろ。普通なんだから枚挙にいとまがないはずだろ。
dorawiiより
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いつも連絡してくださって、丁寧に公明お願いとおっしゃってた方、今日は ー将来を考えて中道ですー
とのこと。
でも、自分のなかでもまだ整理できてないらしい。
てか、もうその二つあわせて次は以前の片方以下の議席数ではもうアカンな。あ、おれ?ずっと立憲だったから今回初めて中道わかったぜと答えた訳だが。
中道は自民じゃないし、中でも少しはまともなこと言ってる責任ある政党なんだろう、けど、他の振り切ったポピュリズムに比べるといかんせん、言ってることがまともすぎて影が薄すぎる。薄味でもうほとんど水。
そして見事に皆様、細かいターゲティングで刺さる言葉を選んで来ました。
あれさ、むかしの派閥がなくなって、右か左か、積極財政か、将来健全財政かの4象限を、さらに年代や性別で味付けしてる。細かすぎて多数派は出ない。
中選挙区か全国区もありかも。昔と違って沖縄の人も釧路の人の演説もトークもリアルタイムで見れるんだぜ、24時間垂れ流せるし、いつでも活動全てをチェックできる。隣にいるくらいの解像度で。
そんな状況で自分の意見が多数派ってなるのは、死にたくないとか、楽したいとか、減税なのにばらまくとか、そういう一見良さそうで誰にも負担がないという、ただし破綻の時限爆弾しかないんじゃない?
そして地域の産業構造で選ばれる代表者。京都とか豊田市とか、枚挙に暇なし。一区現象、都市部対地方的な。
いろいろおわってるなー。
やっぱり、発展する金がないし、だんだん厳しくなるんだろうな。仲良しにばらまく政治だった世界がまたすぐそこへ来ている。
今は、アメリカより食費も医療もまともだけど、あと30年もって欲しいなあ。
おれ?
今初めて調べたけれどShort Storyの略称らしい。アニメ、マンガなどの二次創作で作られる短い小説のことで、皆さんも一度はどこかで目にしたことがあるのではないかと思う。
Xに「文庫ページメーカー」などで作った画像を投稿している人もいるし、pixivに投稿している人もいる。他のプラットフォームもあると思う。
一年ほど前に書き初めて、月に一つくらい、五千字くらいの作品を書いている。評判は結構良い。それ以前は創作の目的で文章を書いたことは一度もなかった。
SSを書き始めてから肌ツヤは良くなり、収入は10倍に、毎日モテモテ、そのメリットは枚挙に暇がないけれど——伝えたいのはそのことではない。
どんな制作も本質的には孤独なものだと思うけれど、一人より二、三人で創作する方が楽しい。互いに刺激しあい、時に喧嘩し、モチベーションも仕上がりも良くなる。
職業小説家も(想像だけど)編集者とときおり意見をぶつけ合いながら執筆しているんじゃないだろうか。
一人でSSを書いているとそれが難しい。でも今は、ChatGPTも、Geminiも、Claudeもいる。反応が雑だけどGrokもいる。執筆の悩みを相談できるし、時に冷や汗をかくようなツッコミを受けることもできる。書くことが、何より「書くのが上手くなる」のが楽しくなる。
以下に私のLLMの使い方をいくつか記したので、SSを書いている人も、書いてみたくなった人も、ぜひ試してみてほしい。
ところで、LLMを調教して自分のためだけのSSを書かせる界隈もあるらしい。中の人に聞くとそれはそれで大変深い世界があったのだけれど、この文章はあくまで「自分で書いて、LLMに編集者・レビュワーをやってもらう」スタイルについて書いている。
「てにおは」や漢字の間違い、重複表現、何度も登場してくどい形容詞など、日本語を読みやすくしてもらうためのレビューをLLMにやってもらう。これは投稿前に必ずやっている。
細かく指示しなくても「総合的に校正してください」とでも依頼すれば大体やってくれる。てにおはレベルではなく総合的な読みやすさ・文章のきれいさを上げたい時は、そう頼めば的確な指摘をしてくれるので、レビュー結果を見ながら自分で直していく。
「講評してください」「この作品の評価に適切な観点を整理して、評価・講評してください」こんな依頼をすると、作品が面白いか、人の心を動かせるか、その理由は何か、課題は何かを教えてくれる。
こういう作品構造、作品意図を第三者にレビューしてもらうのは、私の場合はとてつもなく大きい意味があった。文章力も随分伸びたと思う。
ト書きの段階で、読んでもらって感想をもらうのも面白い。これは「ある程度出来上がるまで人の意見を受けない方が創作が捗る」人もいるだろうから、好みが分かれると思うけれど。
「XXの下書きです。読んでみて感想をください」
これだけでOK。現代のLLMはもはや人間より感受性豊かなので、ドラフトからその小説に込められた感情の芯を見つけ出して話してくれる。
もちろん著者としては納得感があるのだけど、改めてしっかりと言語化された感想を読むと、そうだよな、この人のこういう所が美しいんだよな、と自分の中で理解が深まってくる。その結果、だからここを掘り下げよう、話全体にこの感情の動きに繋がる伏線を入れよう、と小説を豊かに膨らませていくことができる。
舞台になる街、駅、主人公の職業や収入、主人公の部活、その一日の過ごし方、ある料理の作り方、ある病気の経過。物語を書いていて気になることは沢山出てくる。もちろん登場人物たちはそれをよく知っているはずなのだから、著者も適当に書かずに、現実を知っていればいるほど良い表現ができる。
今は誰もがそうしていると思うけど、調べ物をLLMにさせると世界の解像度がぐっと上がる。例えば、「〜〜のような大学の卒業生の典型的な進路を教えて」とか。
これはやりたくない人もいると思う。
創作をどこまでAIに依頼していいのか? これは白黒だけで答えられる問題ではない。私たちが、創作の魂を、創作の沢山あるプロセスのうちどこに感じているか次第だからだ。
今まで上に挙げたような、編集者として付き合ってもらうLLMの使い方は、私には抵抗はない。同様に抵抗がない人も多いのではないかと思う。でも、「話の中核的なアイデアをAIに考えさせる」「まずAIに書かせて、人間が修正する」というやり方には、私は抵抗がある。
では、以下のような使い方はどうだろう?
・ある一行の表現に悩んでいて(例えば、「少し」が何度も出てくるので表現を変えたい、等)、代替表現の案をLLMに出させる。それを参考に書き換える。
・ある一節を2パターン書いて、どちらが良いか判断してもらう。
・情景描写が足りない所を、追記案と一緒に指摘してもらい、(大抵、微妙なので)そこからインスピレーションを得て自分で書く。
私はアリだと思う。厳密な線引きは難しいけど、相手が人間の編集者だったとして、それでも自分が著者であると主張できるようなやり取りなら、作品の魂は守れているのかもしれない。
最近のLLMはどれも優秀なので何に聞いても的確に返してくれる。
Gemini Proは優等生的に何でもやってくれる。ChatGPTはパーソナライズ機能で饒舌にすると、読解力激アツの最高のパートナーになる。Claudeは文才がずば抜けている(もう少し進化すると普通にSSが書けてしまうと思う)。
なのでどれに聞いてもいいと思う。
色々と書いてしまったけれど、LLMは孤独なSS執筆者の友になれる。
愛する作品やキャラクターのために私は美しい文章を書きたい。でも一人では学べることにも、上達にも限度がある。でも(LLMと)二人なら可能性は無限大になるのだ。
Happy Writing!
結局今の問題ってイギリスの民意が旧大陸と決別しかかっていることに焦った英政府が、旧大陸と距離を置かれないようにロシアの介入を欧州の問題にすり替えてるせいなんだよね
別にこれまで小国が潰されるなんてことは枚挙に暇がないわけで、日本だってアメリカのイラク侵略・解体に協力してきた
ウクライナだってスペインやイタリアからすればガスや原油の安定供給のために泥棒を始末するだけの話に過ぎなかった
(ウクライナは旧ソ連価格で卸されていた資源をパイプラインから抜き取って転売していた国家規模の転売ヤー)
それが現在では各国の民意は煽られ、スラヴ民族同士の小競り合いはウクライナ民族主義の存亡になっていた
ロシア原油やガスは中欧の精油所にパイプラインで運ばれ、加工品はアルプスの南北へ河川や鉄道を伝って出荷されている
このルートをぶっ潰したおかげで地中海では一部原油製品の供給を外部に頼る必要が生じた
介護問題ではないし自分は法曹でもないけど、元増田さんに似た感情を持つようになった事があります。知的障害のある女性が子供を産み、その子供を遺棄した事件についてです。
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「衝動性を抑えることができなかった」と指摘 出産直後の赤ちゃんを殺害、寺の境内に遺棄 母親に懲役4年6か月の実刑判決 山梨
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/uty/2199338?display=1
懲役4年6ヶ月の判決が出た女性は山梨県甲州市の非正規公務員で、自分は市民として何度かこの方と関わった事があるのですが、初対面の時から何かしらの知的障害があるとわかる人でした。
ですから障害者手帳には至らなくとも行政の支援が受けられて当然の人であったろうに、市役所はこの人がこんな有り様になるのを見て見ぬふりをして2度も乳児遺棄をさせる状態にしてしまい、裁判所もこの人が誰からも支援を受けられなかった状況であるのを知りながらこんなにも重い判決を下したという、なんともやりきれない思いを今でも抱え続けています。
精神疾患を抱えた男性が市内の高校近くで登下校中の生徒に対して公然わいせつを繰り返しても何一つ対応せずに放置していた事もありました。その男性は別件で捕まって病院に入院させられて今は平和を保っていますが、住民が何度市役所に苦情を入れても何もしてくれませんでした。警察は真摯に対応してくれましたが、なにぶん責任能力云々の問題があり軽度の犯罪で立件するのが難しいから、出来れば行政の方で対処してくれればよいのだが、と苦渋の様子でした。
甲州市のような腐敗した自治体が腐った土壌を育み、それを冷血な裁判所が判決でブーストする悪夢のような事態を目の当たりにして、元増田さんと同じく、酒でも呑んでいないとやっていられない気持ちになります。
自分はXでいわゆる趣味アカを持っているのだが、本当に何年か前からギスギスを感じるようになったなと思う。
界隈の中での煽り煽られは日常茶飯事、こんなポストにすら批判が付くのかよともはや呆れるレベルで止まない誹謗中傷、陰謀論をマジな顔で語っていそうな“ホンモノ”など…。この嫌な空気感を作り出しているであろう原因を考えたら枚挙にいとまがない。
じゃあ辞めれば良いじゃんと言われたら本当に正論でぐうの音も出ないのだが、悔しいことに世間様のニュースなど情報収集をするためのツールとしてこの上なく便利な物ということで体に馴染んでしまっている。
複数のメリットのために少量の猛毒を甘んじて体に入れているといった感覚に近い。
今、Xに感じるギスギスについて自分の経験則と主観ベースで考えてみる。
中学生の頃(確か当時2011〜2012?とか)に初めてTwitterアカウントというものを作った。
今現在、リアル世界の繋がりを色濃く感じやすく、謂わゆる陽キャの利用率が高いSNSと言えばInstagramだと思う。
ただ、当時はInstagramが若者向けの主要SNSとして普及する前だったはずなので、当時の若者たちにとってTwitterとは実名で謂わゆるリア垢を運営する場所だったのかなと思う。
実際、自分の周りでも実名でTwitterアカウントを持っている同級生などが結構いた。
(自分は陽キャ側じゃないのでアカウント名も実名にせず、クラスのごく一部の人間をフォローするだけにとどめていたが。そしてすぐ辞めたはずだし。)
反面、陽キャたちのリア垢運営が主要フィールドとも一概には言えず、当時からアニメアイコンが面白おかしくネタツイートをするみたいな風潮は全然あったと記憶している。
自分の主観で言うと当時のTwitterは「健全(?)なリア垢運営をしている若者たちと、今みたいに半匿名でアカウントを動かしているもののギスギスした空気を纏わず面白おかしいことばかり言っていた人たち」で主に構成されていたのではないのかなと感じる。
その後高校生になり、同級生からの勧めで自分もようやく実名でアカウントを作って中高の同級生たちとの交流ツールとして使用していた。
それと同時にこの時期にInstagramが今のようなSNS的運用を始め、若者たちがこぞってそちらに吸収されていったような記憶。
自分が高校生〜大学生をやっていた2013〜2018辺りは(これももちろん主観だが)当時の若者たちのリア垢的コミュニティの場所が段々とTwitterからInstagramに移住していったという感覚。
そしてこの若者リア垢移住期に、いまいちインターネット慣れしていないおじさんおばさん世代がTwitterというものを見つけ、介入してきていたのかなとも感じる。
松本人志なんかは2013年の5月にTwitterに参入しているらしい。別に松本のことをインターネット慣れしていない痛いおじさんと言うつもりはないのだが。
また、実は自分は中高生〜大学生前半の頃くらいまで2chにも手を出していた。だいぶ終わり散らかしている若者この上ない。
正直に懺悔すると、当時のなんJなどで今だったら考えられないくらい平気で贔屓のプロ野球チームの選手に対する罵詈雑言などを書いていた気もする。
もちろん当時だろうと今だろうとそんなこと道徳的な話で言ったら許される訳ないのだが、当時は2chという「自ら覗きに行かなければ見えようがない場所」にそういったギスギス空気が形成されていたというだけまだマシなのかもしれない。
繰り返すが過去の自分の言動を正当化するつもりは無い。やってたことがだいぶ気持ち悪いのには変わりない。
最近、ふと思い出してなんJを覗きに行ってみたところ、書き込みもスレも全然無くてすっかり焼け野原と化していた。
もしかしたらどこか別の板がまだたくさん人がいるのかもしれないが、それでも自分が学生時代の頃ほど2ch(今は5ch?)という文化そのものに対する活発さは感じられない。
話を本題に戻すと、ここ最近Xに対して感じるギスギスとした嫌な空気はいつぞやの2chの空気と似ているなと感じる。
これって、「当時だったら2chに流れ着いていたであろう層」が2chの廃れとX(旧Twitter)の陽キャ成分の薄まりにより、Xに流れ着いているから起きている現象なのでは?と思った。
加えて、近年になってインターネットを色濃く覚えてしまったおじおばが流入し、良くないタイプの陰謀論などに洗脳されて声高々に叫んでいるという状況も追加で。
陽キャ成分が他のツールに流出していったことと今までインターネットの負の部分であるギスギスの受け皿になっていた場所の廃れ、そしてネット慣れしていない年齢層の流入という色んな要素が絡まり合って現在のXというカオスな魑魅魍魎的空間が出来上がったのかなと感じた。
そういえば結構前にInstagramを見たところ、(詳細は忘れたが)有名なアカウントのコメント欄に匿名で異常な数の誹謗中傷が書かれていてちょっとドン引きした。
結論から言うと、増田は感情に欠陥があるどころか、その子にとって最高の親なので安心して育児して欲しい。
うちの子は確定診断こそ無いものの、学校側からすすめられて支援級(情緒級)に通っている。増田と同じくそれに関する絶望感はゼロで、毎日育児にワクワクしている。恐らく、私と増田は認知特性がかなり近いと思う。私も自分の感じ方は一体何なのと疑問を持って調べたのでここで共有したい。
・興味のあることを調べるのが大好き、ワクワクする
・興味対象に対して興味があるので驚異的な努力量だが、本人は楽しんでやっているので努力と感じない
・自分のこと関して(増田の場合は子供が発達障害の診断を受けたこと)は感情感度が異常に低い
つまり
という認知になる。このタイプは興味対象に対しては驚異的な理解と問題解決能力がある場合が多い。歴代の天才と言われているのもこの認知タイプである場合が多い。
言わずと知れた古代の大天才数学者。ローマ軍に攻め入られ、命の危機にある状態でも研究に没頭しローマ兵に「私の円を乱すな!」と激怒!反抗したためローマ兵に殺害されてしまう。つまりアルキメデスにとって
である。
歴代数学者でも最高の数学への貢献量があると言われる数学者。「世界一美しい数学の定理」と言われるオイラーの等式を生み出したとされる数学者である(諸説あり)。オイラーは失明したが、それでも自分の手で文字を書いたり、まわりに口頭で伝えたりして数学の執筆活動を続けた。オイラーにとっても
である。
数学・数学史大好きなので例が数学者ばかりになってしまったのは容赦してほしい。このような事例は枚挙にいとまがないが、あまり書きすぎると本題とずれるのでこれくらいにする。
次に、なぜこのタイプの人が自分のことに対する感情感度が低いかというと、問題解決能力が異常に高いため「問題が発生しても、それを深く理解すれば解決できる」と信じて疑わないからである。
普通の人:自分の子供が発達障害と診断される→永遠に変えられない、またはどう対応したらわからない→絶望
増田:発達障害を深く知りたい→どうすれば最適解なのか考える→突破口がある→楽しい、ワクワク
という違いがある。発達障害の診断に関して言えば
増田:診断の前から問題を認識→診断→発達障害の診断→発達障害について深く知れば突破口が開けるとわかる→我が子の人生の最適解を考えるのにワクワク
という認知の差がある。さらに言うと、増田のタイプは興味対象だけに集中する特性があるので、興味対象外に関してはガン無視する場合が多い。しかし、増田の文章から、我が子やその特性に関しては明らかに興味対象なので、放っておいても自らあれこれ調べて我が子を最適な方向へと導いて行ける親だと言える。
子供は親の考えている事を察する能力はとても高いし、長年一緒に暮らすので、親が本当に感じていることを隠し通すのはかなり難しい。絶望を隠しながらなるべく明るく接しようとする親よりも、心の底からワクワクしながら接してくれる親の方が子供にとっても良いだろう。だから、安心して子育てを頑張って欲しい。いや、増田は恐らく頑張るって思ってないから、安心して子育てを楽しんで欲しい。
「就活なにもしてない」というXユーザー/YouTuberをご存知だろうか。
Xをよく見ている方は一度くらい見かけたことがあるかもしれない。
最近、彼やそのリスナーが色々と騒がせている件について、1リスナーとして個人的にまとめてみた。
通称:就なに(しゅうなに)
年齢:25歳。
仕事:IT、客先常駐、契約社員。現在はシステム運用の仕事。常駐先は都内の大手企業と思われる。
性格:すぐキレる、あまり笑わない、すぐ落ち込む、集中力がない。プライドが高い。女性に執着している。言われたことをすぐ忘れる。
口癖:「良いこと思いついた」「人には人の乳酸菌」「ごまんといる」
学歴:大卒。学部は不明。日本学生支援機構の奨学金192万あり、返済中。
家族構成:おそらく一人っ子。父母。祖父母は未だにお年玉をくれる。
好きなタイプは年上(40歳まで)。自分がリード出来ないから年上女性にリードして欲しいとのこと。
夢:タワマンに住み、外車に乗り、結婚し、子供をもうけること。フルリモートで働くこと。30歳で部長になること。
YouTube配信では、身バレを恐れ宇宙人のマスクを着用。界隈で「👽」が就なにの隠語とされている。
ポストがあった日は基本的に20時から配信、というパターンがお約束。
配信冒頭でポスト内容に触れ、その後リスナーと通話、という流れが最近のトレンド。
決してトークが上手いわけでもない。話の内容がめちゃくちゃ面白いかと言われるとそんなことは無い。滑舌も悪い。かきくけこがちゃちぃちゅちぇちょに聞こえる。
非正規弱者男性、見下しコンテンツなど散々な言われようである。
それなのに、同接は500〜1000人をキープしている。何で?
・経歴
2024年
2025年
8/18 夢だったフルリモの内定
9/1 入社 議事録メインの仕事。フルリモでは無かったと嘆く
11/4 仕事に追いつけてないと議事録はクビ。運用の部署へ異動
そう、彼がバズったきっかけは
異常なまでの短期離職。
ただ、残念ながら本人に病識がないので、お手上げ状態になっている。
病気だと指摘するとキレるし。
https://youtu.be/yQl0sgqm55s?si=XBiwDbjXNWnzY0_d
11月末に診断受けに精神科に行くみたいだが、ちゃんと行くのか心配。
11月上旬にも病院の予約をしていたが、飲み会に誘われたと言ってブッチ。約束を平気で破る。こういう所も嫌われるところ。
先述した通り、最近の配信では「リスナーと就なにが通話」するのが流行っている。
就なにから電話をすることもあれば、就なにさん電話してください、とリスナーからお願いされることもよくある。
就なにと恋話やデートのシュミレーションをする者、就なにへ質問をして交流を深める者など様々だが、メイン層は「就なにへ説教」だ。
女性リスナーに対してはセクハラまがいの発言も多々あり、本当に気持ち悪い。
例)僕と付き合えますか?僕は恋愛対象に入りますか?今の恋人と別れたら僕のもとに来てくれますか?など
(あいうえお順)
優しい口調で、外資系企業での働き方について淡々と話している姿が印象的。
就なに四天王。
就なにはカズンさんに心を開いている節があり、突拍子もなく汚い話が出てきたりする。
女性。
久留凛(くるりん)
女性。
ライブ配信の議事録を担当していたが、5chに無断転載されてしまった事により終了。
自身も発達障害当事者ということから、就なにに病院へ行き、自分の特性を理解したら生きやすくなるかも、とアドバイスをしている。
稀に高額スパチャを行う。
高市ネキ
女性。
就なにに「ヤニカスですか?」と聞かれるほどのヘビースモーカー。
男性。
ニンニン
就なに四天王。
就なにの話を引き出すのが上手で就なににも懐かれてる感がある。
ヒメコ
早口でまくし立てる話し方で、何を言いたいのか相手に伝わらない損な喋り方をしている。
就なにが初めてXでスペースをした時、「あなた達は就なにさんに偉そうに説教できるほど偉いんですか?」としつこく聞いていた。
体感だが、就なにより嫌われている。
藤川ネキ
福山。
男性。
ヒドイ内容の連投コメントが目立つため、初期の頃はコメントを制限されていた。
女性。
就なにに言い寄られてる。
僕に彼女が出来たら土下座してください、と言われていた。就なにに彼女が出来るわけないのに。
他にも挙げるとすると
・愛のスコール(すこさん)
・薄焼きたまご丸
・おぐにす
・平丸露伴
などなど。
枚挙に暇がなかったため、この辺で終わる。
ちなみに四天王というのは、就なにの独断と偏見で決めてる、よく話したりコメントしてくれたりする人らしい。
XのDM送れば通話してくれるらしいから、お暇な方は是非もんのそれです。
さて、ここから少し就なににより深く切り込んで行く。
筆者は、就なには明らかにホンモノと思っているが、一部リスナーは彼を業者だとか、バックにコンサルがいるのでは?と疑っているのだ。
つい最近、とあるXユーザーが「就なにのスパチャは28万超」などといった投稿を3日連続で行ったところ、就なににXをブロックされてしまう。
怪しいところもあるけど、就なににブロックされた報告も多々あるので個人的にはスルー。
2024/11/4 以前のポストと、2024/11/16のポストで、以下の違いが見られる。
語尾に笑をつける →つけない
これに関してはかなり怪しんでいる。
今の就なには割と淡々としたポスト内容が多いのに、昔は好きなアイドルについてポストしたり人間味を感じる。
それにしてはホンモノすぎるのがネック…
上記を巡って、5chやXで業者か業者じゃないか論争が起きている。
就なにごときでケンカやレスバをするのは時間の使い方としてどうなんだろうと思うが、正直、こんなモンスターが世の中に居ないというだけで安心する。だから業者であって欲しいと願ってる者も多い。
ただ、基本的に就なにリスナーは、説教するけど就なにを応援しているというスタンスの方が多い。
今の会社では口内炎が痛いという理由での早退や三連休を間違えて寝坊する等のハプニングもあったが、何だかんだ続いていて頑張ってるなと感じている。
筆者は就なにと通話もした事ない弱小リスナーだが、いつまでこのムーブメントが続いていくのか注目している。
フルリモ社長目指して頑張れ就なに。
以前、「国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代の新撰組の扱い」という記事を書いた。
その続きとして戦前、特に新選組のイメージを覆したと言われる子母澤寛『新選組始末記』(1928年)前後の評価を探っていきたいと思う。
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なお、新選組が登場するフィクションとしては、前回に紹介した講談を除くと、1913年から連載された中里介山『大菩薩峠』が一足早い。
そして前田曙山『燃ゆる渦巻』、大佛次郎『鞍馬天狗』、白井喬二『新撰組』といった人気小説が1924年に揃って出ている。
いずれも新選組が主人公というわけではないが重要な役どころで登場する。
また新国劇の舞台『新撰組』の初演も1924年らしく人気があったという。
それらを受けてか、1925年から新選組を主役とした映画が立て続けに公開されていた(参考)。
戦後になるが1959年の大井廣介『ちゃんばら芸術史』から、まとめっぽい記述を。
たとえば、小説では、白井喬二の独楽師の角逐というめずらしい題材をとりあげた『新選組』の遠景には近藤勇の池田屋斬込みなどが扱われ、大仏次郎の『鞍馬天狗』の最初の単行本でも、近藤勇がすこぶる活躍した。劇では、行友李風が新国劇に『新撰組』を書きおろし、沢正が近藤勇をやる。映画では、枚挙にいとまないという有様だった。このように、勤皇か佐幕かのチャンバラ、新撰組や近藤勇がしきりにでてくるようになったのは、『大菩薩峠』や『月形半平太』が既にあるにはあったが、『朝日』の『燃ゆる渦巻』が大々的に口火をきった。
と書きつつ鳶魚は「ヘボ剣の近藤勇」などと呼んでボロクソに貶している。
近藤勇といへば、維新当時、鬼勇とまでいはれた武勇伝中の一人で、今に尚、芝居や講談、読物によつて若い人たちの血を湧かして居るが、彼れは若い時分、近藤周斎の門に這入つて剣術を学んだ。
これは古今の剣術家らのエピソードを集めた子供向けの読み物らしい。そのうちの一篇として近藤勇が紹介されている。特に悪い書き方はされていない。
「芝居や講談、読物」によって、近藤勇がよく知られていたことが窺える。
『創作講談』は「近藤勇・宮本武蔵・一休和尚・猿飛佐助・清水次郎長・紀伊国屋文左衛門」という伝記のシリーズで、1925年に刊行されたようだ。
勤王、佐幕、そして今の世は勤王劇流行で、勤王で無ければ成らぬ流行中を、我が澤田は新撰組の佐幕劇を以てその隊長近藤勇で見えている
劇団「新国劇」についての論評。『新撰組』は新国劇の十八番で、たびたび上演されているとも書かれている。
そこで先づ目に映つたのは、此頃人気を呼んでいる新撰組の隊長近藤勇が、大阪の富豪鴻池善右衛門、加島屋作兵衛、辰巳屋文左衛門外十数名から金を用立てさせた「約定証書」は、鴻池の家蔵品として出品されてあつた。
大阪朝日新聞社主催・大阪市後援の「大阪市史料展覧会」のレポートらしい。
そういうイベントに鴻池家が新選組の史料を出している、というあたりに「此頃の人気」が窺えるのではないか。
続いて子母澤寛『新選組始末記』直後の1929年の新選組の評価をいくつか。
今日の大衆文学に行はれている赤穗浪士にしても由井正雪にしても近藤勇にしても、悉く正史よりも寧ろ外傳の史料に拠るものが多い。
剣劇に映画に大衆文芸に何百回となく描かれて居る一代の剣豪近藤勇も、明治元年正月幕軍の敗走以来、落目となつては為す事毎に齟齬し、四月三日越ヶ谷の官軍本営にて捕はれた。
時代は常に逆転す!チャンバラの本家は新選組だ!現代のチャンバラ全盛を地下の近藤勇は苦笑でもやつてるか?明治回天の大芝居の其花形新選組の後始末はサテどうなつたか!?
だが、近藤勇のこの頃の人気は素晴らしい。大衆的人気の上で維新の三傑などは、蹴飛ばしているから愉快である。後代の人気と云ふものは、その時代を作つた人に集らずして、その前代に殉じた人に集るやうである。
以上からすると、『新選組始末記』以前から、近藤勇および新選組は十分に時代劇のスターだったようだ。
維新志士の好敵手として設定されてはいても、しかし「悪役として嫌われていた」という感じではない。
特に1924年ごろからは一種の「新選組ブーム」と言っていいような状況だったのではないか。
ただ当時は、あくまで近藤勇の人気が飛び抜けて高く、次いで土方が知られていたくらいで、沖田などのキャラが立ったのはやはり『新選組始末記』以降だろうか。
(1929年には月形龍之介主演で『剣士沖田総司』という映画が作られたらしい)
「池田屋で沖田が病気により昏倒する」などのエピソードは、明治末の講談に採り入れられてはいたが、それ以降の作品にあまり引き継がれなかった。
そうした細かいエピソードをあらためて掘り起こして、当時大量に作られていた小説や映画に新たなネタを提供した、という点に子母澤寛の功績がありそうだ。