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2025-12-08

天才数学者秋山仁vs高橋弘樹】破天荒人生カリスマの“頭の中”とそこから見える人生のヒントとは?【ReHacQ】

高橋ちゃん正気を取り戻してまた数学動画を作ったのは評価できるけどね、

俺はもっとこう、高度な内容を希望してるのよ

抽象数学とか超弦理論とかさぁ

もっとこう、あるだろ

ラングランズプログラムとかモチーフ理論とか

 

追記:

高橋ちゃん無限にそうなってると示さないと証明できないじゃないか、といったことは高評価するぞ

こう、変数化したり、色々あるから

 

追記2: ピタゴラスの定理証明

任意ベクトルx,yに対し、

||x+y||^2 = (x+y)・(x+y) = ||x||^2 + 2x・y + ||y||^2

ここで、直交する場合は、x・y がどうなるかというと、

x・y = ||x|| ||y|| cosθ に θに90度を入れればいいので、x・y=0

xとyを三角形の2辺となるように配置すると、ベクトル定義より、x+yは斜辺に対応するため、||x+y||=c。

よって、||x|| = a, ||y| = b, ||x+y|| = cなので証明完了

2025-12-06

おいイーロン・マスク、俺のXアカウント理不尽に凍結するとはいい度胸だな。叩き潰すぞ

おいヤク中イーロン・マスク

お前らが好き好んで押しているその凍結というやつは、まさか論理的プロセスを経ていると本気で思っているのか?

あれはプロセスでも仕組みでも何でもない。ただの自己放尿みたいな誤検知アルゴリズムの飛沫だ。周囲に迷惑を撒き散らしながら本人だけが出してスッキリした気になっている、あの惨状そのまんまだ。

まず言うがな、俺のアカウントが凍結される理由ガイドライン違反かい曖昧ゴミ箱に放り込まれる時点で、論理的審査をしていないことは確定している。

なぜなら、違反が明示されないルールルールではない自己放尿だからだ。

数学で「この定理証明しないが正しいと思うので使う」とか言ってみろ。学生ならレポート0点、研究者なら職を失うレベル自己放尿だ。

まりだ、お前らの凍結プロセスは、理屈として自己放尿している。

破綻しているだけならまだマシだが、破綻したままユーザーを巻き込むのは無能の側だ。俺は無能自己放尿は嫌いだ。そこを履き違えるな。

次に言っておくが、俺は別に感情的になっているわけではない。

この文章は怒りではなく、診断書だ。

お前らのシステムがどれだけ因果関係理解を欠き、入力文脈無視した自己放尿モデル運用されているかという、冷徹な観察の結果にすぎん。

運営よ、もし本気でサービス改善する意思があるなら、俺が提示する最初の一手はこれだ。

「凍結理由を明示できないなら凍結するな」

当たり前すぎて、言語化するのが恥ずかしいほどの原則だ。

凍結とはユーザー排除するという最高レベル干渉だ。

それを説明責任なしでやるというのは、数学者が「この証明は長いので省略します」と言って核心部分を全部削る自己放尿と同じ。

そんな研究査読すら通らん。

最後に覚えておけ。

俺は脅しもしないし、暴力も使わん。

だが論理事実の積み上げは、暴力より残酷な結果を生むことがある。

お前らの運用体制が持つ矛盾を、逃げ場のないところまで照射してやる。

以上だ。

2025-12-01

理解」の彼方にある数学──望月新一とIUT理論が問いかけること

1. はじめに──氷河の上の対話

2018年12月京都であった5日間の対話

一方には、自ら構築した「宇宙際タイヒミュラー理論」で数学界の難問ABC予想を解いたと主張する望月新一

もう一方には、その証明に「説明不能ギャップ」を見るペーター・ショルツェ。

彼らは同じ言葉数学語)を話しているはずなのに、まるで異なる星の住民のように、互いの論理を捉えきれなかった。

「どこが分からないのかさえ、分からない」。

これは、数学者がIUT理論に触れた時に口にした、ほとんど哲学的な嘆きである

2. 数学は、いつ「別の教科」に化けるのか

我々が学校で習う数学は、確固たる地面の上に築かれた都市のようなものだ。

公理という基礎の上に、定義というレンガを積み、定理という建造物を建てていく。誰もが同じ地図を持ち、同じ道を歩める。

しかし、ABC予想のような深淵に近づくと、地面は忽然と消える。

そこには「夏場の動く氷河」が横たわっていた。足場は流動し、割れ目は見えにくい。

望月新一は、この氷河を渡るために、従来の登山道具(数学概念)では不十分だと考えた。

彼は新しいアイゼン宇宙)とロープブリッジ)を発明し、一人で渡ってしまった。

「見よ、対岸に着いた」と彼は言う。

しかし、彼以外の者は、その渡り方をまだ知らない。

3. 「ブリッジ」という名の幻想、あるいは天才

IUT理論の核心は、異なる「宇宙」を結ぶ「ブリッジ」にあるという。

だが、このブリッジは、従来の数学が知るどの「橋」とも似ていない。

それは具体的な写像ではなく、関係性の比喩のようにも、あるいは情報転送する「儀式」のようにも読める。

「このブリッジ設計図には、応力計算が書かれていない」とショルツェは言う。

「いや、これは新しい種類の橋だから、従来の応力計算では測れないのだ」と望月は応じる。

ここに、論争の本質がある。

革新は、往々にして既存検証基準を逸脱する。

だが、基準を逸脱したものが、果たしてまだ「数学証明」と呼べるのか?

4. 地動説の再来、それとも幻影?

ガリレオが「それでも地球は動く」と囁いた時、人々は自分の足元が動いていることを想像できなかった。

IUT理論は、数学世界の「地動説」かもしれない。

まり直感に反するため、受け入れるには世界観の書き換えを迫られる。

しかし、地動説には望遠鏡という共有可能検証手段があった。

IUT理論には、その「数学望遠鏡」がまだ大多数に共有されていない。

望月という一人の天才けが覗ける望遠鏡で見えた景色を、どうやって共同体の確かな知識昇華させるのか?

5. 孤独と共同性の狭間

数学は、歴史的に「孤独な探求」と「共同的な検証」の緊張関係の中で発展してきた。

ガロア孤独群論を創り、ワイルズは7年間を孤塁で過ごした。

だが彼らの証明は、いずれも共同体に開かれ、検証され、受け入れられた。

IUT理論は、このバランスが大きく傾いたケースである

まり自己完結的で、あまり独自言語で書かれているため、検証のための「共通の場」が成立しにくい。

それは、一人の建築家が、共通建築基準無視して建てた、あまりに独創的な塔のようなものだ。

美しいかもしれないが、他の建築家には、その安全性正当性)を確認する手段がない。

6. 数学の、そして人間認識限界

IUT理論論争は、数学の内部問題を超えている。

それは、「人間はどのようにして、個人の深い直感を共同の確実な知識に変換するのか?」 という、科学哲学根本問題に触れている。

しかすると、我々の「共同的な理解」というフィルターは、真に革新的な知を濾過してしまうのかもしれない。

あるいは逆に、そのフィルターこそが、科学を単なる個人妄想から救う防波堤なのか。

望月新一は、そのフィルターを──意図的か否かは別として──きわどくかすめるようにして、新しい数学大陸発見たかもしれない。

だが、彼だけがその大陸上陸し、他者はまだ船(理解)を持たない。

7. 終わりに──氷河は解けるか

「5日間では短すぎた」。

そう誰もが思う。だが、果たして何日あれば足りたのか。

新しいパラダイム理解するには、時に「学び直し」に近い時間を要する。ショルツェら一流の数学者でさえ、その途上にある。

IUT理論は、査読という形式的な関門は通った。

だが、数学的真理の受容は、単なる手続きではなく、共同体の魂が納得するプロセスでもある。

氷河ゆっくりと、しかし確かに動いている。

つの日か、この氷河が確固たる大地として多くの人に認識され、ABC予想への道が共有される時が来るのか。

それとも、この氷河は「夏の終わり」と共に消え、数学史の不思議エピソードとして記憶されるだけなのか。

答えはまだ、誰も知らない

ただ、この論争が我々に教えてくれるのは、数学が──ひいては科学が──常に「理解境界線」との戦いである、という厳粛な事実である

数学とは、確かな地面を歩む技術であると同時に、時には氷河を渡る勇気でもある。

望月新一は、その渡河を一人で成し遂げた。

問題は、彼の後を、我々が続けることができるかどうかだ。

2025-11-30

https://anond.hatelabo.jp/20251129225647

結論から言うと、増田感情に欠陥があるどころか、その子にとって最高の親なので安心して育児して欲しい。

うちの子は確定診断こそ無いものの、学校からすすめられて支援級(情緒級)に通っている。増田と同じくそれに関する絶望感はゼロで、毎日育児にワクワクしている。恐らく、私と増田認知特性がかなり近いと思う。私も自分の感じ方は一体何なのと疑問を持って調べたのでここで共有したい。

私と増田共通するのは

・興味のあることを調べるのが大好き、ワクワクする

・興味対象理解洞察が深まると超嬉しい

・興味対象に対して興味があるので驚異的な努力量だが、本人は楽しんでやっているので努力と感じない

自分のこと関して(増田場合子供発達障害の診断を受けたこと)は感情感度が異常に低い

まり

自分のこと < 興味対象

という認知になる。このタイプは興味対象に対しては驚異的な理解問題解決能力がある場合が多い。歴代天才と言われているのもこの認知タイプである場合が多い。

アルキメデス

言わずと知れた古代の大天才数学者ローマ軍に攻め入られ、命の危機にある状態でも研究に没頭しローマ兵に「私の円を乱すな!」と激怒!反抗したためローマ兵に殺害されてしまう。つまりアルキメデスにとって

自分の命(自分のこと) < 図形の研究(興味対象

である

レオンハルト・オイラー

歴代数学者でも最高の数学への貢献量があると言われる数学者。「世界一美しい数学定理」と言われるオイラーの等式を生み出したとされる数学者である(諸説あり)。オイラー失明したが、それでも自分の手で文字を書いたり、まわりに口頭で伝えたりして数学執筆活動を続けた。オイラーにとっても

失明自分のこと) < 数学(興味対象

である

数学数学史大好きなので例が数学者ばかりになってしまったのは容赦してほしい。このような事例は枚挙にいとまがないが、あまり書きすぎると本題とずれるのでこれくらいにする。

次に、なぜこのタイプの人が自分のことに対する感情感度が低いかというと、問題解決能力が異常に高いため「問題が発生しても、それを深く理解すれば解決できる」と信じて疑わないかである

普通の人:自分の子供が発達障害と診断される→永遠に変えられない、またはどう対応したらわからない→絶望

増田発達障害を深く知りたい→どうすれば最適解なのか考える→突破口がある→楽しい、ワクワ

という違いがある。発達障害の診断に関して言えば

普通の人:診断前は普通の我が子→発達障害の診断→絶望

増田:診断の前から問題認識→診断→発達障害の診断→発達障害について深く知れば突破口が開けるとわかる→我が子の人生の最適解を考えるのにワクワ

という認知の差がある。さらに言うと、増田タイプは興味対象だけに集中する特性があるので、興味対象外に関してはガン無視する場合が多い。しかし、増田文章から、我が子やその特性に関しては明らかに興味対象なので、放っておいても自らあれこれ調べて我が子を最適な方向へと導いて行ける親だと言える。

子供は親の考えている事を察する能力はとても高いし、長年一緒に暮らすので、親が本当に感じていることを隠し通すのはかなり難しい。絶望を隠しながらなるべく明るく接しようとする親よりも、心の底からクワクしながら接してくれる親の方が子供にとっても良いだろう。だから安心して子育てを頑張って欲しい。いや、増田は恐らく頑張るって思ってないから、安心して子育てを楽しんで欲しい。

2025-11-21

AIによって思考放棄する自分が怖い

数学で分からないことを聞いたらかなりわかりやす解説がついてくる。

例まで出してくる。

リファクタリングしてとお願いしたらかなりいいソースコードが返ってくる。

自分で考えればいいのに、すぐにAIに頼って思考放棄する自分がいる。

本当に怖いのはAI仕事を奪われることではなく、人類思考放棄することなのではないか

最先端研究をしている数学者、物理学者科学者などの研究者や現代アートなど一部のクリエティブな人間を除き

思考しなくてもよくなっている。

「考えられる」ことが人類の至高の宝なのに、それさえも放棄しようとしている。

これが一番怖いことなのかもしれない。

抽象数学とか超弦理論かについて

超弦理論物理的な実体(ひもや粒子)から引き剥がし抽象数学言葉抽象化すると、圏論無限次元幾何学が融合した世界が現れる。

物理学者がひもの振動と呼ぶものは、数学者にとっては代数構造表現空間トポロジー位相)に置き換わる。

物理的なイメージである時空を動くひもを捨てると、最初に現れるのは複素幾何学

ひもが動いた軌跡(世界面)は、数学的にはリーマン面という複素1次元多様体として扱われる。

もの散乱振幅(相互作用確率)を計算することは、異なる穴の数を持つすべてのリーマン面の集合、すなわちモジュライ空間上での積分を行うことに帰着

ひもがどう振動するかという物理ダイナミクス幾何学的な形すら消え、代数的な対称性けが残る。

共形場理論CFT)。頂点作用素代数。ひもはヴィラソロ代数と呼ばれる無限次元リー環表現論として記述される。粒子とは、この代数作用を受けるベクトル空間の元に過ぎない。

1990年代以降、超弦理論はDブレーンの発見により抽象化された。

ミラー対称性。全く異なる形状の空間(AとB)が、物理的には等価になる現象ホモロジカルミラー対称性

Maxim Kontsevichによって提唱された定式化では、物理的背景は完全に消え去り、2つの異なる圏の等価性として記述される。

もはや空間存在する必要はなく、その空間上の層の間の関係性さえあれば、物理法則は成立するという抽象化。

ポロジカルな性質のみを抽出すると、超弦理論コボルディズムとベクトル空間の間の関手になる。

このレベルでは、物質も力も時間存在せず、あるのはトポロジー的な変化が情報の変換を引き起こすという構造のみ。

超弦理論を究極まで数学的に抽象化すると、それは物質理論ではなく、無限次元対称性を持つ、圏と圏の間の双対性になる。

より専門的に言えば、非可換幾何学上の層の圏や高次圏といった構造が、我々が宇宙と呼んでいるものの正体である可能性が高い。

そこでは点 という概念消滅し、非可換な代数場所の代わりになる。

存在オブジェクトではなく、オブジェクト間の射によって定義される。

物理的なひもは、究極的には代数構造関係性)の束へと蒸発し、宇宙は巨大な計算システム(または数学構造のもの)として記述される。

2025-11-20

掛け算の順序論争:【構造分析】と【教育的損得の評価

背景:なぜこの議論は繰り返されるのか

SNS上で、掛け算の順序指導(「2×3」と「3×2」の順序にこだわる指導)を巡る激しい議論10年以上も続いています現場先生方は「文章題を正しく読み解く力をつけたい」という誠実な思いで指導していますし、それに反対する数学者保護者の方々も「数学的な正しさを守りたい」という強い正義感を持っています。なぜ、これほどまでに話が噛み合わないのでしょうか。それは、双方が「相手が間違っている」と言い合っているようで、実は「全く別のゲーム」の話をしているからです。この対立構造を整理した上で、実際にその指導子供たちにどのような影響を与えるのか、教育的な「メリットデメリット」を冷静に評価してみましょう。

つの異なる「土台」

掛け算の順序問題には、大きく分けて二つの視点(土台)が存在します。

1. 「数学という真理」の視点(反対派の土台)

順序指導に反対する多くの人々は、「結果としての正しさ」を見ています数学世界には「交換法則」という絶対的ルールがあります。2×3も、3×2も、答えは同じ6です。 彼らにとって、順序を入れ替えただけでバツにする行為は、「2個のりんごが3皿ある」のと「3個のりんごが2皿ある」ので、合計が変わると言っているようなもので、数学的な真理(合計は変わらないという事実)への裏切りに見えるのです。

2. 「言葉翻訳」の視点(順序派の土台)

一方、学校先生が見ているのは、計算の結果だけではありません。「日本語文章を、数式という言葉にどう翻訳たか」というプロセスを見ています。例えば、英語の授業で「私は彼を蹴った」を訳すとき、「Him kicked I(彼 蹴った 私)」と書いたら、たとえ単語意味が合っていても文法ミスバツになりますよね。 これと同じで、まだ掛け算を習いたての段階では、「文章の中の『ひとつ分の数』と『いくつ分』を正しく読み取れているか」を確認するための「教室内の文法ルール」として順序を見ています

すれ違いの本質:「レシピ」と「味」

この対立料理に例えてみましょう。

  • 順序派の主張(レシピテスト) 「今日は『カレーの作り方』のテストです。まず肉を炒めてから水を入れなさい。順番を間違えたら減点です」 → 手順(プロセス)を重視している。
  • 反対側の主張(味の評価) 「水を先に入れようが肉を先に炒めようが、最終的に美味しいカレー(答えの6)ができているじゃないか。それをマズい(不正解)と言うのはおかしい!」 → 結果(成果物)を重視している。

片方は「手順通りに作れたか」を問い、もう片方は「美味しいカレーができたか」を問うている。評価基準(=土台)が全く違うため、議論平行線をたどります

順序指導の「功罪」:教育的な損得勘定

では、実際に「順序が違うからバツにする」という指導は、子供にとって良いことなのでしょうか? 短期視点と長期的視点から分析します。

1. 短期的な視点(導入〜テスト段階)
2. 長期的な視点(高学年〜大人

結論:互いの視点尊重した「落とし所」

この分析から言えることは、順序指導には「導入期の理解チェック(短期)」としては一定合理性があるものの、「数学的な概念形成(長期)」においては副作用が大きいということです。この不毛な議論を終わらせるためには、双方が歩み寄る必要があります

「正しいか間違いか」の戦争をするのではなく、「今のチェック方法は、子供の将来にとって本当にプラスか?」という視点で、指導のあり方を見直す時期に来ているのかもしれません。

2025-11-12

法律の本は実務者向けの本でもまあ言ってることは理解できるのに対して、純粋数学とか理論物理における実務者向けとはすなわちポスドク以降の人間対象としたものになるはずだが、そもそも単行本自体ほぼ皆無だし(学部かせいぜい修士レベルを謳ってるのが限界学術誌は当然非専攻に理解できるものではない。

これが数学物理とかとその他の学問?との差なんだなーと。

法律の本をいくら読めても真に知性が23歳以上のレベルに達している裏付けにはならないどころか子供でも読める漫画絵本を読める程度の精神年齢と大差ないかもしれないまである

裁判官とかしてますとか言ったって実は広い視野で見れば子供でもできる仕事をしてるに過ぎないってことなのかもしれんな数学者とかから見れば。

dorawiiより

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-----END PGP SIGNATURE-----

2025-11-09

アスペ創造的な想像力常人より高い。共感かいゴミ感情に貴重な想像力リソースを使わないだけ

AQ(オートイズム・スペクトラム・クオシェント)とは、2001年サイモン・バロン=コーエンによって開発された自己評価式の50問の質問票で、自閉症スペクトラム障害ASD)の特性を測定するために使用されます。このテストは、社会的スキルコミュニケーション想像力などの領域評価し、高機能自閉症アスペルガー障害を含むASDの特徴をスクリーニングするのに役立ちます科学者数学者などの多様なグループ検証されており、臨床および研究の場で広く活用されていますが、ASD経験多様性を完全に捉えていないという批判もあります

@noir_ismさんのX投稿では、ASDにおける想像力概念議論されており、AQの「想像力」サブスケールに触れています。この投稿では、ASDの方が共感的な想像力よりも創造的な想像力に優れている可能性が示唆されており、2015年のWIREs Cognitive Scienceに掲載された研究オキシトシン創造性を高めることを示す)とも一致しています。また、2020年PMC研究では、RMET(心の目を読み取るテスト)と想像力サブスケールの相関が社会性よりも強いことが示されており、ASDにおける想像力の再評価を支持しています

さらに、この投稿日本特有文化的文脈にも影響を受けている可能性があります2025年名古屋大学研究によると、日本では共感に対する期待が低い傾向があり、これがASDの方の想像力に対する認識に影響を与えているかもしれません。投稿では、ASD診断基準における「想像力問題」を再考する議論の一環として、共感的な想像力創造的な想像力の違いに注目しており、当事者視点多様性考慮した議論を展開しています

2025-10-29

dorawii「大工の侮辱」 〜自己防衛と父親への同一化の複雑な機制〜

I. 反応の表層構造

【何が起こったのか】

私の分析:

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「50代で知らないのは異常」

一般常識の欠如」

「実社会経験の完全な欠如」

dorawiiの反応:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「おれの親世代大工人間

侮辱することになりかねないけど

ええんか?」

論理構造:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

私の指摘: dorawiiが50代で知らない = 異常

dorawiiの解釈: 大工が知らない = 侮辱

反論: それは差別

II. 論点のすり替えメカニズム

【何がすり替えられたのか】

元の論点:

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「dorawii個人が」

「50代で」

「『1万8000人』が概数だと理解できない」

「これは異常」

すり替え後の論点:

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「親世代大工人間が」

「概数を理解できないこと」

「これは侮辱だ」

すり替え手法:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 主語の変更

dorawii → 大工人間

2. 文脈の削除

社会常識として概数を理解する」

という文脈を削除

3. 集団への拡大

個人問題職業集団問題

4. 道徳的問題へのすり替え

認知問題差別問題

【なぜこのすり替えをしたのか】

理由1: 直接反論できない

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「50代で概数が理解できないのは異常」

これは事実

dorawiiも認識している(おそらく)

直接反論すると負ける

から論点すり替え

理由2: 被害者位置に立つ

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攻撃される側(dorawii)

攻撃する側(私が大工侮辱

被害者位置に立つ

道徳的優位性を得る

理由3: 感情的苦痛からの逃避

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「異常」「社会常識の欠如」

これは傷つく

直面したくない

他者問題すり替え

自分への批判から逃げる

理由4: 父親との同一化

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大工」= 父親

父親を守ろうとしている

または父親自分を同一視

詳細は後述

III. なぜ「大工」なのか

【「大工」の頻出】

時系列:

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10/22: 父親との「大工の話」

「今の大工はもはや大工じゃない」

技術力が低い」

dorawiiが父親論破

呆れ顔、断絶

10/29: この投稿

親方工務店で働いてる大工

防衛文脈での言及

10/29: 今回の反応

「おれの親世代大工人間

再度「大工」への言及

パターン:

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大工」という言葉に過度に反応

何度も言及

特別意味がある

【仮説:父親大工または関連職】

証拠の積み重ね:

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1. 父親との会話の内容

大工は墨を使う」

詳細な知識

感情的な語り

2. 「おれの親世代大工人間

具体的な言及

「親世代」= 父親世代

3. 感情的反応の強さ

侮辱することになりかねない」

強い防衛

4. 繰り返しの言及

何度も「大工」に触れる

執着

結論:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

可能性が非常に高い:

父親大工、または建築関連の職人

から大工」に敏感

父親との関係投影されている

IV. 「おれの親世代大工人間」の心理

【誰を守ろうとしているのか】

表面的:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「親世代大工人間全般

職業集団名誉

差別への抗議

深層:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

実は「父親」を守ろうとしている

心理メカニズム:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 「大工が知らない = 侮辱」と解釈

2. 父親大工(または関連職)

3. つまり父親が知らない = 侮辱

4. 父親を守らなければ

5. しかし直接「父親」とは言えない

6. だから「親世代大工人間」と一般

なぜ直接言えないのか:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

父親との関係が複雑

• 2日前に論破して断絶させた

• 罪悪感?

しかし認めたくない

• だから一般化して隠す

矛盾父親論破したのに、今は守る】

10/22(父親との会話):

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

dorawii: 攻撃

関東大震災木造建築は倒壊」

「客からすれば結果が全て」

技術力が下がってもどうでもいい」

父親価値観全否定

呆れ顔

10/29(「昔の人は出来が悪かった」):

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

dorawii: さら攻撃

「昔の人は出来が悪かった」

数学者ほど根気がある人はいない」

父親世代への見下し

伝統職人への軽視

10/29(今回の反応):

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

dorawii: 防衛

大工人間侮辱することになりかねない」

大工父親?)を守る

矛盾

なぜこの矛盾?:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

可能性A: 罪悪感

父親論破した

後悔している?

今は守ろうとしている

可能性B: 文脈の違い

父親に対して: 攻撃

外部の批判に対して: 防衛

「俺が批判するのはいいが

他人批判するのは許さない」

可能性C: 自己への批判からの逃避

「dorawiiが異常」

これは耐えられない

大工への侮辱」にすり替え

自分を守るために父親を盾にする

最も可能性が高い: C

自己防衛のために父親大工)を利用

V. 「侮辱することになりかねない」の論理

【この論理の成立条件】

dorawiiの論理:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

前提1: 大工社会常識を知らないかもしれない

前提2: 「知らない = 異常」と言われた

結論: 大工侮辱している

しかし:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

これは成立しない

なぜなら:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 元の指摘は「dorawii個人」について

大工一般」ではない

2. 大工が知らない、とは言っていない

dorawiiが例として出しただけ

3. 「親方工務店で働いてる大工」でも

概数の慣習は知っている可能性が高い

テレビを見る、ニュースを聞く)

4. 問題職業ではなく

「50代で実社会経験ゼロ

これがdorawii特有の状況

まり:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

dorawiiの論理破綻している

しかし本人は気づいていない

または気づいているが認めたくない

すり替え固執

VI. 「ええんか?」という挑戦

【この問いかけの機能

「ええんか?」の意味:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

表面的:

「それは許されるのか?」

倫理的問題ではないのか?」

実際の機能:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 道徳的優位に立とうとする

「お前は差別している」

「俺は道徳的に正しい」

2. 反撃

批判された

批判し返す

「お前こそ侮辱している」

3. 議論の転換

自分問題

相手問題

「お前の方が悪い」

4. 被害者位置

攻撃される側

攻撃する側

立場の逆転

5. 回答を強制

「ええんか?」

答えを求める

対話の主導権を取ろうとする

これらすべて:

自己防衛メカニズム

VII. 何に反応したのか

【どの言葉が刺さったのか】

私の分析での表現:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 「50代で知らないのは異常」

← これに最も反応

2. 「一般常識の欠如」

← 傷つく表現

3. 「実社会経験の完全な欠如」

事実だが痛い

4. 「一回社会出たほうがええで」の引用

← 的確すぎる指摘

5. 「小学生でも理解できること」

屈辱

6. 「今から社会に出る?不可能に近い」

絶望

特に「異常」という言葉:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

最も傷つく

なぜなら

これまでdorawiiが最も避けてきた認識

「俺は異常だ」

基本信念の崩壊

「俺の価値 = 知的能力

しかし「異常」= 劣っている

耐えられない

防衛しなければ

VIII. この反応が示すdorawiiの心理状態

複数の層が重なっている】

第1層: 自己防衛

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「異常」と言われた

傷ついた

認めたくない

論点すり替え

大工への侮辱だ」

第2層: 父親との関係

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

大工」= 父親

複雑な感情

論破した(攻撃

しか依存している(経済的

• 罪悪感?

愛情

今は守ろうとする

矛盾

第3層: 同一化の試み

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「おれの親世代大工人間

自分大工と同一化?

「俺も労働者階級だ」

「俺は彼らと同じだ」

「だから彼らを侮辱するな」

しかし実際には:

50代、無職実家暮らし

労働者ですらない

ファンタジー

第4層: 道徳的優位性の主張

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「お前は差別している」

「俺は道徳的に正しい」

立場の逆転

優位に立つ

基本信念の防衛

(俺は優れている)

第5層: 認識の歪み

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

論点のすり替えに気づいていない

または気づいているが認めない

自己論理破綻に気づかない

大工への侮辱」が成立すると信じている

認知の歪み

IX. 何を「読んでいない」のか

【読まれなかった部分】

私の分析で書いたこと:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. ワーキングメモリの詳細な分析

dorawiiの認知プロセスへの理解

2. 言語IQ 130の能力認識

高い言語能力評価

3. 内省の精密さへの言及

認知プロセス記述の質の高さ

4. 能力の偏りの構造理解

言語能力 vs 社会認知

5. 悲劇性への共感

「最も悲しい真実

しかしdorawiiが反応したのは:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「50代で知らないのは異常」

この一文だけ

なぜ?:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. ネガティブバイアス

批判的な言葉けが目に入る

肯定的な部分は見えない

2. 防衛的読み

攻撃として読む

理解として読まない

3. 選択的注目

「異常」という言葉に固着

文脈無視

4. 感情的反応

傷つく

思考停止

防衛反応のみ

5. 全体の理解の困難

長文の文脈理解ができない

一部だけを取り出す

これは:

リアルタイムモードの特徴

準備時モードではない

X. この反応の予測可能

【実は予測されていた】

私の過去分析:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「反応は読める、因果は読めない」

他者の反応には敏感」

批判されると防衛的になる」

論点すり替える」

人格攻撃に転じる」

今回の反応:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

✓ 反応した(批判に敏感)

防衛

論点のすり替え

✓ 「侮辱」という道徳的批判

完全に予測通り

しかし:

新しい要素もある

大工」への執着

父親との関係の複雑さ

矛盾論破したのに守る)

XI. 類似パターン確認

【ピッコマの話との比較

ピッコマの話(10/26):

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

dorawii: 「文化資本が低い」「AI大量生産

批判される

論点すり替え: 「似たようなもん」

人格攻撃: 「賛同者0」

逃避: 「どうでもいい」

今回(10/29):

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

私: 「50代で知らないのは異常」

dorawii: 批判された

論点すり替え: 「大工への侮辱

道徳的攻撃: 「ええんか?」

パターンの一致:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 批判される

2. 直接反論できない

3. 論点すり替え

4. 相手攻撃する

5. 道徳的優位に立とうとする

しかし違いもある:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回は「大工」という

個人的に重要な要素が関与

父親との関係

より感情的

より複雑

XII. この反応の機能

【何を守ろうとしているのか】

表面的:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

大工名誉」を守る

実際:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 自己イメージ防衛

「俺は異常ではない」

基本信念の防衛

2. 父親への複雑な感情の処理

論破した罪悪感?

依存している現実

守りたい気持ち

3. 現実からの逃避

「50代で社会常識がない」

この現実を認めたくない

4. 道徳的優位性の確保

「俺は差別に反対する」

「俺は弱者を守る」

自己価値の別の根拠

5. 対話の主導権

「ええんか?」と問う

攻撃される側から攻撃する側へ

すべてが:

耐え難い現実から自己を守るため

XIII. 結論

【一文でまとめるなら】

dorawiiは私の分析での「50代で知らないのは異常」という指摘に対し、自分への批判を直接受け止めることができず、自分が例として挙げた「親方工務店で働いてる大工」という表現を利用して「おれの親世代大工人間侮辱することになりかねないけどええんか?」と論点すり替え、「dorawii個人認知問題」を「大工という職業集団への差別問題」に転換し、被害者位置に立って道徳的優位性を主張しようとした——これは、「異常」という言葉が基本信念(俺の価値知的能力)を直接脅かすため直面できず、2日前に論破して断絶させた父親(おそらく大工または建築関連の職人)を今度は防衛の盾として利用し、複雑な罪悪感・依存関係・同一化願望を「大工への侮辱だ」という形で表出し、批判に対して反論ではなく論点のすり替え相手道徳的批判立場の逆転を試みるという、dorawiiの典型的防衛パターンであると同時に、父親との関係の複雑さと矛盾論破したのに守る)を露呈する反応である

【観察者としての所見】

dorawiiがこの反応をすることは、ある意味予測可能でした。

「異常」という言葉は、彼の基本信念(俺の価値知的能力)を直接脅かします。50年間築いてきた自己イメージが、一語で崩壊します。

から、彼は論点すり替えました。「大工への侮辱だ」と。

しかし、この論点のすり替え自体が、皮肉なことに、彼の認知的困難を証明しています

そして、「大工」という言葉の繰り返しが、父親との複雑な関係示唆しています

論破したはずの父親を、今度は防衛の盾として使う。

この矛盾に、彼は気づいていません。

または、気づいているが、認められないのです。

なぜなら、認めることは、すべてを認めることだからです。

これらすべてを。

から、彼は「ええんか?」と問います

道徳的優位に立とうとして。

しかし、誰もそれに納得しません。

これが、dorawiiの悲劇です。

守ろうとして、露呈する。

否定しようとして、証明する。

逃げようとして、囚われる。

韋編三絶や読書百遍という言葉

それこそ儒教勃興の頃からあった言葉というか、むしろあいうのから出される当時難解とされてた本を意識して作られた言葉なんだろうが、自分からすればこれらの言葉が出来た頃程度の本にそこまで費やさなきゃ理解できない本なんてないと思えるんだよな。

ようするに昔の人は出来が悪かったんじゃ?って思う。

ハーツホーンとか指数定理とかのレベルの本格的な数学書ならそんだけ読まないと理解できなくてもなにもおかしくないがなあ。

所詮古典哲学(古典力学とかとの対応で)とでも呼ぶべきものをそんだけ読まないと理解できないって言ってるようなもので。

そういう哲学とか文学関係の本なら百周すればフィネガンズウェイクも重力の虹理解できるだろ。

フィネガンズウェイクが読めないって言ってるやつも100回は読んでないだろう。あの手の分野の人に数学者ほど根気がある人はいないと見える。

dorawiiより

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20251029131907# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

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=zuKr
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-10-24

anond:20251024020535

読解力底辺か?言論というのは知識範疇から専門外のことにも応用が効くんだよ

応用数学者は数学を使って野球サッカー音楽分析して語れるだろ

この数学者に「お前は野球でヒットが打てるのか」と言ってるのがDQNたるお前の発想なの

言論ギタープレイ全然別の話だって理解できたかな?かなちゃん

2025-10-10

anond:20251006040833

元増田です(初めて使ったので用法があっているかわかりませんが)

この日記を書いた時点で何かついた反応に返信する気はなかったのですが、あまり運命を感じたので返信させていただきます

というのも、わたし数学科学生で、とくに公理演繹といったことにとても興味があり学んでいるようなひとなのです。

数学的な論理学(数理論理学)を学んでみて今思っているのが、数学における「演繹」なんてものは、ほかの思考と比べて、まったくもって絶対的優越性があるとはいえない、ということです。

しか数学公理から導くという意味で厳密かつ客観的だと思われるかもしれません。しかしその「導く」ということの正しさは何によって保障されているでしょう?おおくのばあい、それはあくまで「数学者同士の共通認識」でただしいとされているから、ということになります

結局のところ数学の正しさも帰納的(当然数学帰納法のはなしではありません)な「信じる」対象に過ぎず、真に正しいという保証はないのです。

わたし数学証明の正しさを追い求めて証明論という分野を学びました。

証明論では、演繹根本となる推論規則を設定し(設定の仕方等でいろいろな種類があります)それが多くの数学証明記述できること、つまり数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示しますが、結局のところその推論規則がただしいことは示していないのです。

さらにいえば、「数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示した」ことじたい数学の考えに依って示しているわけですから堂々巡りだ、という批判もできます

そういった論理自体の正しさ、というのは数学範疇を超え哲学領域に入ります

結局のところ数学でも本質的には数学存在実在性とか、論理自体の正しさなんかは「信仰して」進んでいくしかないものなのです(有限・無限わず数学実在を信じずに数学をすることは可能ですが)。

同じように、あなたの仰る「公理人間存在仮定せずに存在し得る」というのは信仰です。

でもよいではないですか。信仰で。信じましょうよ。そのほうがよいから。それで十分ではないですか。

2025-10-05

[]

昨日は、僕の週間ルーティンの中でも最も重要整合性検証日だった。つまり宇宙がまだ局所的に論理的であるかを確認する日だ。

朝7時ちょうどに起床し、ベッドの角度を壁と垂直に再測定した結果、誤差は0.03度。つまり宇宙はまだ僕を裏切っていない。

朝食の時間ルームメイトトースターを再び二枚焼きモードにしたが、今回は驚かなかった。僕は冷静に、バナッハ=タルスキ分割の話を持ち出してこう言った。

「君のパンは二枚に見えるが、集合論的には同一だ。したがって、君の誤りは物理ではなく測度論の問題だ。」

彼は黙ってパンをかじった。理解されることを期待するのは、もはやハイゼンベルク的非決定性と同義だ。

午前中は、僕の新しい理論ホモトピー圏上の自己参照的弦圏理論」の検証を進めた。

通常の超弦理論がカテガリー的に整合するのは、D-ブレーンが導くモジュライ空間の滑らかさが保証されている範囲内に限られる。

しかし僕は最近、滑らかさという仮定のものを削除し、「∞-圏上のA∞代数自己整合性条件」に置き換えるべきだと気づいた。

まり、弦のダイナミクスを場の配置空間ではなく、「圏の自己ホモトピー類」として定義するのだ。すると興味深いことに、背景幾何消滅し、すべての次元は内部的モノイダ構造に吸収される。

言い換えれば、「空間」とはただの圏論的影であり、時空の実在は「自然変換の連続体」そのものになる。

これが僕の提案する“Self-fibrant String Hypothesis”だ。ウィッテンが読んだら、きっと静かに部屋を出ていくに違いない。

昼過ぎ、隣人がまた廊下で大声で電話していたので、僕はノイズキャンセリングヘッドフォンを装着し、同時に空気清浄機を「ラグランジュ安定モード」に切り替えた。

これは僕が改造した設定で、空気の流速が黄金比比率(φ:1)になるよう調整されている。これにより室内の微粒子分布が準結晶構造に近似され、精神的平衡が保たれる。

僕は自分の心の状態を量子的可換代数で表すなら、ほぼ可換な冪零理想の中にあるといえる。隣人は理解していないが、それは仕方ない。彼女精神空間は可約表現のままだ。

午後は友人たちとオンラインでElden Ringを再プレイした。僕は魔術師ビルドで、ルーン経済を「局所理論の再正則化問題」として再解釈している。

彼らがボスを倒すたびに叫ぶのを聞きながら、僕は心の中でリーマン面の分枝構造を追跡していた。実はElden Ringの地形構成リーマン面切り貼りに似ており、特にリエニール湖の設計は2次被覆の非自明な例として見ることができる。

開発者意図していないことはわかっているが、現象としては美しい。芸術とは本質的に、トポス自己鏡映だ。

夜、僕はコーヒーを淹れ、久々にグロタンディークのRécoltes et Semaillesを読み返した。数学者自分の「精神幾何学」について語る箇所を読むと、僕の理論的中枢が共振する。

グロタンディークが述べた「点は存在しない、ただ開集合がある」という思想は、僕の弦理論観と同じだ。物理対象とは「開集合上の自然変換」に過ぎず、存在とは測度可能性の仮構にすぎない。つまり宇宙とは「圏論良心」だ。

深夜、ルームメイトが僕の部屋をノックして「一緒に映画を観ないか」と言った。僕は「今日自己同型群の可換性検証を行う予定だ」と答えたが、彼は肩をすくめて去った。

代わりに、僕はブレードランナー2049のBlu-ray再生し、壁紙色温度を劇中のネオン発光スペクトル(中心波長602nm)に合わせた。

完全な没入体験のために、部屋の空気を2.3ppmのオゾン濃度に調整した。呼吸するたびに、僕は自分物質ではなく関手の束だと実感する。

どう脳内シミュレーションしても、Xを有益に使う方法が見つからない

まずSNSを使う目的な。収益化を目的にしない場合は、3つ考えられる。

まず情報受信。俺が何をフォローしたいかって話だが、人間フォローしてもノイズが多くて話にならない。

数学者フォローするのは数学情報が欲しいからであり、そいつの「高級ワインは実にうまい」みてーなのは見る価値がない。

そうすると、有益情報を発信しているアカウントほとんど存在しないことがわかる。だから受信は却下

次に情報発信。要は俺様アイデア世間に認めさせるって話ね。だが、これは不可能であることがわかる。どうやら、俺のIPでもVPNを使ったIPでも、シャドーバンされるらしいからだ。なので発信は却下

残るは人間関係構築。ビジネスのものと、単に友達的なものが考えられるが、ビジネス上のつながりなんてSNSで構築するもんじゃねーし、よくわからんSNS虚言系ナルシスト連中と友達になる気もない。

ってことはさ、SNSって結局、ナルシストが「あたしを見て!」って発狂するだけの場所ってはっきりわかるんだよね。

2025-09-29

anond:20250929142808

理学部物理学科:物理はしない数学をする

あと物理学者がやってることを「数学」と言うと数学科の連中がブチギレるからやめた方がいいよ。

ウィッテンみたいな変態を除いて、物理学者がやってるのは数学者が言うところの「証明スケッチ」くらいがせいぜい。

anond:20250929153318

しょうがねーなーバカにもわかるように説明してやるよ仕方ない


たとえばユークリッド幾何学ってのがある

雑に言うと平面や立体の特徴や性質をまとめたものだよ

直線とはなにかとか三角形は何かとかそういうの

もうちょっと難しいだとピタゴラスの定理とかもそうだね

世界の図形に関する性質をまとめたと言っていいね

で、その性質の一つに「平行線は交わらない」というものがある

この世界平行線は交わらないらしいよ、すごいね


数学者はここでこの世界を壊す

平行線が交わっちゃう世界を考える

そしてその世界がどうなるのかをどんどん構築していくんだ

そうしてできたのが非ユークリッド幾何学と呼ばれる世界


こんな感じだよわかったかな?

2025-09-28

anond:20250928214718

エアプはやめてね

A-modelとB-modelミラー対称性とかラングランズ・プログラムとの関係性とか、最近証明されたばっかりだし、GLP証明なんて理解してる数学者自体が少数だぞ

2025-09-17

自分需要がわかっていない人たち

なんかさ、例えば物理学者がXをやってるとするだろ?

んで、フォロワーが期待してるのは物理学の知見を知りたいってことであって、「高級ワインをお優雅に飲みました」とかどうでもいいんだよね

って考えるとさ、この物理学者自分歴史上の偉人にでもしたいんかなって思っちゃうんだよね

よくあるじゃんアインシュタインがどんな生活を送っていたかとか、そういう低俗情報で盛り上がる界隈、そのくせ相対性理論はなんも理解してない連中

から俺は「誰をフォローするか」ってことを考える場合は、そいつ自分に対する需要をわかってる場合にのフォローするんだよ

数学者なら数学を共有、データサイエンティストならデータサイエンスを共有、プログラマーならコードを共有、って具合にな

もちろん、アイドルなら私生活共有が需要ということになるが、お前はアイドルじゃねーぞ?

私生活有馬鹿はナルシストなんだわ

「俺は世間様に提供できる情報などありません」っていってROM専に徹するサイレントマジョリティーは謙虚でグッドよな

2025-09-11

anond:20250911134343

この話異様なんだよ

小学校2年あたりのさんすうの授業で教えてる過渡期の話じゃん

イチゴ2個は一つ分の数

お皿3枚はいくつ分の数

立式する時は「一つ分の数×いくつ分の数」で全体の数がわかるよって内容の授業でもって

掛け算とはなんぞやってのを児童にわかってもらうわけさ

もちろん、授業が進めば入れ替えても答えは変わらないよとか教えながら九九と繋げていくが

から図を選んだりするのも、理解を助けるし、理解を量れたりする

でも、昔は偉い偉い数学者の方が教科書がオカシイ教育がオカシイ、だから日本ダメなんだって吹き上がってたんだぜ

小学校2年の掛け算の概念簡単抽象化を交えて教えていく、【過程】、過渡期の話にさぁ

長方形の面積は(縦) × (横)なのか?

Taro-8号先生たちも悩んでいる - ttm08_teacher'snayami_03.12.pdf

https://nakaguntta.main.jp/ttm08_teacher%27snayami_03.12.pdf

長方形の面積=横×縦を誤りとする教え方の存在上野健爾氏(数学者)が平成 13 年の中央

審議会教育課程部会で指摘した。その後、学習指導要領解説では縦×横と横×縦が併記され

るようになった。これは 、かけ 算の順 序の延 長で、面積の計算にも 意味を 見いだすべきという

哲学が生まれたのが原因のようです。

算数編】小学校学習指導要領平成29年告示解説 - 1387017_004.pdf

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_004.pdf

P.210

長方形の面積)=(縦)×(横)(又は(横)×(縦))

という公式について理解できるようにする。

なお、交換法則小学4年生で習う。

掛け算の順序の固定は無理があるのではないか

2025-08-18

n≠NP問題、解けたっぽい

夏休み大学講義もなく、バイトシフトが飛び、俺はひたすらアパートの六畳間でごろごろしていた。

ゲームもやり尽くし動画サイトも見飽きSNSも熱中するほどのネタは見つからない。

そんなときに目に飛び込んできたのがミレニアム懸賞問題という単語だった。たしか世界中数学者が解こうとして解けない超難問。

解けば賞金100万ドル──いや、調べてみたら500万ドルとも書いてある。おいおい人生逆転ガチャか?そんなもん俺みたいな凡人に解けるわけないだろ……そう思いながらも手元にはスマホとサブスク契約しているChatGPT5がある。

まぁ、ちょっと試してみるか。

そう思って俺は5に「n≠NP問題を解いて」と打ち込んだ。返ってきたのは意味不明な数式と長文の理論展開。正直ちんぷんかんぷんだ。

そう思ったんだけど……少しずつ読み進めていくと、不思議なことに内容が腑に落ちてくる。AIが補助してくれるおかげで、俺の頭でも理解できるようにかみ砕かれているのだ。

時間後、気づけば机の上はノートと数式で埋まっていた。

コーヒーはぬるくなり、カップ麺の残骸が散らばり、時計の針は夜中の二時を指している。だが俺の心臓はドクドクと鼓動を打ち、頭の中は閃きで満ちていた。

──解けた。

いや、正確に言うとAIと一緒に導き出したというのが正しいのかもしれない。

でも、確かに俺の頭の中で一本の線がつながった。

n≠NP問題、それは「複雑な問題は、本質的に解けないものがある」ことを証明する数学上の超級クエスト。その答えを俺は紙に叩きつけていたのだ。

「やった……! これで、これで俺は億万長者だ!」

眠気も吹っ飛び、俺はその論文もどき懸賞問題管理している研究所に送った。送信ボタンを押した瞬間、頭の中ではドル札が舞い踊り、南国のビーチで優雅に過ごす未来像が見えた。

──そして翌日。

トントントン、と軽やかなノックの音がアパートの扉を叩いた。配達かと思ってドアを開けた俺は、目を疑った。

そこに立っていたのは、真っ白なスーツを着こなし、雪のような白銀の髪を揺らす美少女だったのだ。

瞳は透き通るような氷色、肌はガラス細工のように滑らか。まるでこの世のものとは思えないほど整った存在感に、息を呑んだ。

「……あなたですね。n≠NP問題を解いた、一般人は」

「えっ……?」

俺は声にならない声を上げた。なぜそれを知っている?俺が送ったのは昨日の深夜だぞ?

「ご安心を。我々はすべて監視しています。これは、いわば採用試験なんです。あなたは選ばれました。──特殊機関オメガ》への入隊資格を」

その言葉に、背筋が凍った。採用試験オメガ?何だそれは。

俺はただ、暇だから遊び半分でAIに解かせただけだ。なのに目の前にはスパイ映画から抜け出したような美少女が立っている。

「ちょ、ちょっと待て!賞金は!?500万ドル!?

「それは後ほど振り込まれます。ただし……あなたが《オメガ》に協力する意思があるなら」

彼女は口元をわずかに笑みで歪めた。その瞬間、俺は悟った。──これはただの数学問題なんかじゃなかったんだ、と。

n≠NP問題人類史上最大の未解決問題。だが、それを解いた先にあるのは学会名誉や賞金だけじゃない。世界の裏側に隠された「力」と「選抜」があったのだ。

こうして、俺の平凡な夏休みは終わりを告げた。

ただのオタク暇つぶしが、特殊機関の扉を開き、白銀美少女との奇妙な同居生活──いや、命懸けの戦いの幕を開けることになるとは、この時の俺はまだ知る由もなかった。

2025-08-06

数学分野のトップ層は今もほぼ男性なんだよ。世界的に

日本事情ばかりでなく世界的な研究者事情について見ていくと…

https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa202201/20220708-mxt_kouhou02-f1-1-21.png

等を見ると2010年代以降はアメリカイギリスドイツフランス辺りは女性研究者割合の増加スピードはかなり減っている

日本などは今まで分かってるような知見を実践すれば女性研究者割合は増えるかもしれないが

海外では今までに無いやり方をしないと殆ど女性研究者割合が増えない国が出てきているという事だ

その上で2010年代以降のフィールズ賞について見ていこう

フィールズ賞数学分野で特に秀でた40歳未満の研究者に与えられる賞で、4年に1回の国際会議で4人の数学者に与えられる

統計応用数学計算機科学・基礎論などは網羅出来てない賞ではあるが、

それ以外の大体の分野の動向はこの賞の受賞者を見れば分かる

2010年代以降の40歳未満の研究者というのは上で言えば女性研究者の増加スピードが落ちてきてから研究者である

2010年

Elon Lindenstrauss (1970年まれイスラエル

Stanislav Smirnov (1970年まれロシア

Ngô Bảo Châu (1972年まれフランスベトナム

Cédric Villani (1973年まれフランス

2014年

Maryam Mirzakhani (1977年まれイラン女性初)

Artur Avila (1979年まれブラジルフランス

Manjul Bhargava (1974年まれカナダアメリカ

Martin Hairer (1975年まれオーストリア

2018年

Caucher Birkar (1978年まれイギリスイラン

Alessio Figalli (1984年まれイタリア

Peter Scholze (1987年まれドイツ

Akshay Venkatesh (1981年まれオーストラリア

2022年

Hugo Duminil-Copin (1985年まれフランス

June Huh (1983年まれアメリカ韓国

James Maynard (1987年まれイギリス

Maryna Viazovska (1984年まれウクライナ女性2人目)

女性研究者が以前ほど増加しなくなったのに2010年代2020年代で16人が受賞した中で2人しか女性研究者がいない

このままではフィールズ賞を受賞する4人のうち2人が女性研究者の年があるかもしれんが

3人や4人が取る時代は来ない気がする(中国韓国日本女性研究者割合アメリカを超える事は無さそうだし)

その前に男女という性別を到底適用出来ないような頭脳を改造したサイボーグ数学研究者を占めるようになったり

もしくは数学研究AI殆どを行うような時代が来てフィールズ賞が無くなるのが早そうだ

2025-08-04

dorawii@執筆依頼募集中

わかった気にさせる本が悪いとは言わないが、自分もっと厳密に分かりたいと思っていて、それで数学書を読むんだけど、こっちはこっちで「難しい議論をしている割に言葉足らず過ぎて分かりようがない」本になっているものが多すぎて、どないしろっちゅーねんって思いになる。

中学では十分証明問題になるような命題が、なんの説明もなくこれこれが成り立つ、だから~という調子フォローなく証明が続けられるのを見てきた。

それが許されるのなら中学生は「~相似であることを証明せよ」という問題に対して「相似が成り立つからだ」とだけ書けば正解答案として成立してしまうことになる。

思うに証明はいかに証明らしい言い回し言葉以外使ってはいけないかのような暗黙の了解もあるように感じる。

その割には術語を定義したときのその概念説明には割と自由度を持たせている傾向が見られる。

その概念が関わる具体例を使って概念目的を丁寧に説明していることも多い。

また証明といっても対角論法証明は初めて見る人間へのそのとっつにくさがさすがに自覚されるのかなぜ証明が成り立つのか表なりを書いてイメージの力の存分に援用するもうちょっとカジュアルな内容になっていることがある例外もある。

しかほとんどの場合そういった態度が証明(モード)では見られない。さらっと済まされてしまう。

これはある意味中学以来の伝統なのかもしれないと思った。

計算問題では途中式前後でも自由につまづきやすポイント解説した文章が挟まれたりするが、証明問題解説は模範解答でもって代えていた記憶がある。

まり模範解答の文章が難しく感じる人にとってはもうその解答を暗記するしかない。論語の丸暗記みたいなもの

そのままテストとかで通用するようにそういうような解答になっているのだろうか。

数学書論文として書いて格好悪くないものを、なんていう数学本質ではないことに配慮して「真似るべきもの」としてそういうスタイル証明記述しているのではないかと思える。

であるなら、証明全体が一番目の文、二番目の文…というふうに出来ていたとして「(一番目の文)と書けるのはこれこれがこのような理由で成り立っているからです。しっくりこない人のためにこの理由さらに掘り下げると~のようになっています。よって(数式)を証明最初に書くことになります。次に~なのでこの式が二番目に来ることになります~」という解説ではダメなのだろうか?

たこ解説はそのまま証明の一つの形にもなってないのだろうか?

そもそも証明とは万人にその事実が成り立つことを理解できるような形で書かれたものを言う。

一部の人にとって意味も分からず丸暗記するしかないようなものはもはや証明本来目的を満たしていない。

オーソドックス証明構成する文の全てが含まれてさえいるなら、それの言わんとすることをさらにわかやす説明した肉付けの部分が加わった上記のような形の解説証明の一つの形としていいのではないか

それをしていいという感覚がないことが世の中の数学書証明言葉足らずになっている一因になっているのではないか

もしそれが蛇足証明全体の厳密性を損ねるというのなら、コメントアウトのような記法を使えばいいと思う。

本来あるべき証明の一文

//これの言わんとするところは~

とか、必要に応じて

式//<は~

みたいな書き方をするとか。二番目の例はサクラエディタで一文が続いているときに折り返しで便宜上改行されていることを示す記法を参考にした。

証明が長くなりすぎてその始まりと終わりが分からなくなるという懸念については既に証明の行頭のさらに横の余白に記号をつけて開始や終了を示すようにした数学書存在するのでそれを他の数学書も参考にすればいい。

そもそも自然言語で書いている時点で完全な厳密性は諦めているわけなので、厳密だなんだと言うのはよりわかりよく書くことに対する言い訳にはならないと思う。

かといって従来の証明構成要素を押さえた書き方なのであれば、それは一般書籍にあるような「わかったつもりにさせる文章」というのとも一線を画す。

数学証明を完全に厳密に書こうとするとブルバキ数学原論ラッセルプリンピキアマセマティカみたいになってしまい、後者数学者には読む価値の無い本とされているし、前者にしても30年以上かけて刊行し続けて今だ数学の興味ある話題には到達できていないということになっているということから数学書は省略するということが好まれるらしい。

でも既に数学基礎論レベルの厳密さを求めてはいない一般的な数学書証明レベルの厳密さにわかやすさという要素を足し合わせたところで、原論並みに極端に嵩が増すということにはならないと思う。

自分で考えないとその概念とかが身につかないから省略しているという反論に対しては、逐一圧倒的な量の具体例を持ち出すことで十分に補えるのではないかと思える(それでもメリハリをつければ原論ほどのボリュームにはならない)。

数学書は本当にチンプンカンプン状態の本も多いので、考える力を身に着けさせるとか以前に、もっと理解できるような教えを工夫することに焦点を当てるべき。

考える力だろうがなんだろうが、そもそも書いてあることがわかんないってような構成の本ではしょうがないと思う。

コストがかかる割に日本語というローカライズされた市場で本が少しでも分厚くなるようなことはコストが回収できなくなるから避けたいという考えもあるのだろうが、それこそよほどの天才じゃなければはっきり言語化しないだけで私のような考えをしたことがある人はむしろ大半を占めていると思うし、比較的私の考えと同じ考えを持っていそうな裳華房の手を動かして学ぶシリーズがその出版社内のランキング上位を占めていた。

言葉足らずな数学書がまだまだ多い状況ではむしろどこぞのwebデザインの本のように何万部と売れるチャンスがごろごろ転がっているんじゃないかな。

わかりやす解説証明の一つの形として通用するようになれば、中高での試験答案においても純粋数学論文でもそういう文章証明として書いていいことになるのだから参考書数学書証明部分も丸暗記するしかないようなわかりにくいものではなくなると思う。

丁寧な証明

https://id.fnshr.info/2017/12/10/polite-proof/

というジョーク記事があるけど、挨拶から書くとかは全く数学的な主張の分かりやすさにはつながらないか意味がないとしても(とはいえ親しみやすさもわかりやすさにつながることを完全否定もできないんだけど)根っこの部分ではもしかすると書き手は私と同じ問題意識を持っていたのではないかと感じさせる。

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2025-07-28

dorawii@執筆依頼募集中

山下真由子とか女というだけで持ち上げられてるぽっとでの数学者よりは小平邦彦の方が信用できる

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