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はてなキーワード: 立場とは

2025-05-02

anond:20250502054829

立場の違い以前の問題

詭弁こちらの主張のすり替え代替手段無視、実現の程度を無視した可能性の提示、前提となる制度システムが異なる国との比較、その他現行制度無視ゴミしか言いようがない文章

anond:20250502070309

こういうのはGrokに聞くと捗る



大阪関西万博2025年)でのコスプレを巡る議論は、公式ルール個人モラル解釈ギャップから生じた騒動で、明確な「決着」はないが、以下の状況で落ち着いている。

概要と経緯

- *反対意見*: 「万博国際的文化技術交流の場でコスプレ場違い」「二次創作コスプレ著作権的にグレー」「公共交通機関でのコスプレ移動はマナー違反」。過去テーマパークでのトラブル過激衣装など)を引き合いに、モラルリスク懸念

- *賛成意見*: 「公式許可している以上、ルールを守れば問題ない」「コスプレ日本の文化で、万博披露するのは多様性体現」「批判個人不快感押し付け」。鹿乃さんの投稿大阪府知事や市長がリポストし、暗に肯定されたとも解釈された。

OKだけどOKじゃない」の解釈
現在の状況と「決着」
結論

特定論点(例:著作権問題マナー論争)に深掘りしたい場合や、最新情報を知りたい場合は教えてください!

anond:20250502055159

財政インフレ金融で止められない」が主流派見解?どこの主流派だ、住所教えろって話だ。

財政インフレが止められないのは、「極端なケースでは」って条件付きの議論だろうが。まともなマクロ経済学はそんな雑な一般化はしねぇんだよ。

まず、Fiscal Dominance(財政優越)ってのは、確かに一部の学派、特に低能現代貨幣理論MMT)寄りの立場では語られる。

でも主流派ってのは、「財政と金融の相互作用」を前提にして、制度的枠組みの下で中央銀行インフレ制御できるかを理論実証検討してる連中のことだ。

たとえばウッドフォードもシムズも、「財政と金融の整合性重要」と言ってるだけで、「金融政策はインフレ制御できません」とは一言も言ってねぇ。

しろ名目アンカー(inflation targeting)を維持できればインフレ制御可能って立場が圧倒的に多い。

それに、インフレ金融で止められないとしたら、なぜ世界中中央銀行政策金利を引き上げてインフレを抑え込んできた?

欧米の利上げ局面見てみろ。21世紀の最も確かな「インフレ制御現実」だ。財政が拡大してても、金融を引き締めれば物価抑制できる。それが確認されたのが、まさに2022~2023年グローバル経済だ。

見解の相違」で済ませていいのは、理論仮定をいじったときに出る差異の話であって、現実無視の断言じゃない。

経済学は「前提が大事」な学問なんだよ。その前提を全部すっ飛ばして「主流派はこう言ってる」なんて、引用にもなってない。

見解の相違じゃない。論点のすり替えだ。財政インフレ放置すれば金融政策の自由度が削がれるのは事実だが、だからといって「金融で止められない」なんて極論は、どの「主流派」に聞いても真顔で否定される。

議論をしたいなら、せめてどの文献か、どのモデルに基づいて言ってるのかを示せ。インフレ制御の話に「主観と印象」だけで踏み込むのは、知的怠慢だ。

anond:20250502054829

言っとくが、「立場の違い」で経済政策正当性が全部相対化されると思ったら、それこそ思考停止だ。

お前の言ってることは、科学論争を「人それぞれ」で済ませてるのと同じ。

経済学が多様な意見を許容する学問からって、論拠もない思いつきが学説と同格になるわけじゃない。どこまで理屈を詰めて、現実整合してるかが勝負だ。

まず「便宜的にそう扱ってる」って?会計上の「負債」ってのは、信用と制度の上に乗った明確な構造意味してる。

便宜で貸方に書いてるだけなら、なんでその紙幣ベースマネー認識し、金融機関が準備資産として保有してるんだ。

形式じゃなくて、実態として「交換価値請求権」だから負債扱いしてんだよ。

これは国際会計基準でも通貨定義でも一致してる話。しかもその負債の裏には、資産として国債を積んでて、日銀収益構造が成り立ってる。紙幣をタダで配ってるわけじゃない。

次、スティグリッツを引き合いに出して逃げようとしてるが、彼ですら「持続可能財政運営」の必要性否定してないぞ。

そもそも当座預金の付利は、ゼロ金利制約下での金融政策運営の柱の一つ。それをやめろって言うなら、じゃあ市場金利どうやって誘導するんだ?

中央銀行オペレーション理解してからモノを言えって話だ。

それから、「赤字債務超過でも大丈夫だったじゃん」って小学生か。

過去大丈夫だったことが未来保証になるわけねぇだろ。赤字を出しても政府出資することで中銀の信認が維持されてる。

それを制度設計として回してるだけ。問題は、赤字常態化が中銀の独立性と政策オプションを削るって点なんだよ。

たとえば将来インフレが再燃して利上げが必要とき財政悪化を恐れて利上げを躊躇する、そういう「期待形成の歪み」が起きかねない。これは理論じゃなくて、すでに複数の国で起きた事実だ。

経済学意見が分かれる?当然だ。でも、だからこそ「整合的な理論」と「現実の観察」に基づいて議論すべきなんだよ。

「言い方が違うだけ」「立場が違うだけ」で思考を止めた時点で、お前の主張は専門的議論に足を踏み入れてすらいないってことだ。

経済学者が多様な立場を持つのは、それぞれが違う仮定モデル勝負してるから。お前のはそのどれにもなってねぇ。反論になってないのはそっちだよ。

anond:20250502053511

反論になってなくない?1.は便宜的にそう扱ってるだけだし、2.3.4.はスティグリッツみたいな立場もあり得るし、4.は赤字やら債務超過でも別に大変な問題が起きてないし、経済学なんて100人に聞いたら101通りの返答がくるなんて自嘲される学問なわけで、「経済学」ではなく寄って立つ立場の違いでは。

2025-05-01

anond:20250430234201

というか、真に知性があれば30代で頭角を現して、名前を出して論じられる立場になるんだよね それができていない時点で残念者だよ

左翼叩き増田も同じなんですが・・・・笑

夢をあきらめた人間モチベーション

仕事モチベーションの話がいくつか話題になっていたので、俺の話も書いておく。


俺は、夢をあきらめた人間である

遠い昔の学生の頃、俺は漫画家を志し、自分作品をいくつも描いたりしていた。でもこの道で食っていく能力が俺にはないと早々に見切りをつけ、俺は普通サラリーマンの道を選んだ。

当時は氷河期で、普通サラリーマンになるのさえ困難な時代だったが、俺は運よく正社員として就職することができた。

以後俺は、20年以上はやりたくもない仕事を続けて生きている。俺が本当になりたいのは、漫画家だったのだ。


俺にとって、仕事とは基本的にやりたくないものなので、モチベーションは常に低い。

ただモチベーションが低くても、ちゃん仕事をしているように見せかけるのが俺は得意で、のらりくらりと仕事をしていたら、いつの間にか評価が上がってしまい、

今ではやりたくもない課長をやらされている。

部下のモチベーションを上げるにはどうすればいいか~なんて研修を受けては、いやその前に俺自身モチベーションが低いんだが、なんて思ったりしている。


漫画を描くのは今でも趣味として続けていて、仕事をするより漫画を描くほうがモチベーションは断然高い。

ただ、10年ほど前に結婚して子供が産まれからは、人生の最優先事項が「漫画から子供」に塗り替わった。

今では、この子のためなら俺の人生を捧げてもいいと思っている。


そんなわけで、今の俺の人生の優先度は、子供漫画仕事、だ。

子供のためには、金を稼ぐ必要があるので仕事を頑張らなければならず、そうすると漫画を描く時間ほとんどない、ということになってきている。

こうなると趣味は老後までお預けかな、なんて思いつつ、俺も普通父親になったんだな、としみじみ思ったりしている。

そんな俺も、職場では課長を演じなければならないので、自分も大してモチベーションがないのに、部下のモチベーションを高めるための方策を考えたりしている。


仕事に対して心の底からモチベーションを持って取り組める人は、好きなことを仕事にできた人か、後からでも仕事を好きになれた人だろう。

そういう人は、その幸運を噛みしめながら、その道を進めばよい。いつかあなた大成できる。


そうでない人、好きでもないことを仕事にせざるを得なかった人は、どうやってもモチベーションを上げられず、

日々上司からモチベーションを上げろと言われて嫌になっているかもしれない。

でも心配しなくてもいい、あなたにそう言ってくる上司も実は大してモチベーションが高くないことが多い。

上司はただ、立場上そう言わざるを得ないだけなのだ

そういうときは、モチベーションが高いフリをしておけばよい。そうすれば、上司も表面上納得してくれる。

モチベーションを上げろなんて言葉を真に受けなくてもいいのだ。

anond:20250501201521

その程度の表現を「誹謗中傷だ」と決めつけるのは、かなり無理があります理屈としてはこうです:

 

■ 「キャラがふざけてステージに乗ったから降ろされた」はメタ表現比喩

 

この言い方は明らかに

キャラクターの行動を擬人化メタ的に描写している比喩表現です。

• 実際には「ポスターが取り下げられた」事象を、キャラの振る舞いになぞらえて説明しているだけ。

 

■ 法的には誹謗中傷に該当しない理由

 

名誉毀損民法刑法)の構成要件

1. 事実摘示があること

2. 特定個人法人社会的評価を下げる内容であること

3. 公共性公益性がないと判断されること

 

→ 今回のような比喩的な言い回し(=キャラがふざけて…)は、事実摘示とも言えず、「感想」や「表現の一形態」にとどまります

 

侮辱罪にもならない:

「バカ」とか「気持ち悪い」といった直接的な罵倒ですら、よほど執拗に繰り返されない限り刑事的に処罰されません。

• 今回は対象キャラクターであり、出版社にすら直接言及していない可能性もある。

 

企業出版社への誹謗中傷になる条件はもっと厳しい

 

もし本当に誹謗中傷構成したいなら:

• 「◯◯出版社は○○という理由キャラを取り下げた。これは不当だ」

• 「◯◯出版社判断差別的だ」など、

出版社を名指しし、かつ信用・社会的評価を下げる明確な主張が必要

 

この表現はそこまで踏み込んでいないので、誹謗中傷要件に全く該当しません。

 

■ むしろ批判封じ」の方が問題

 

もし「それは誹謗中傷だ!」という主張が繰り返され、正当な感想批判まで封じ込めようとしているのなら、

言論の自由健全批評文化に対する圧力

として、そちらの方が問題視されるべきです。

 

結論

表現あくま比喩メタ表現範囲であり、

• 法的にも道義的にも「誹謗中傷」とは言えません。

過剰反応している相手の方が、「批判を許さない」危うい立場に見えます

まあ、DeNAの南場さんはとっくに心変わりしてるんだけどね

人間存外変わるものである

マッキンゼー時代自分にはモチベーションアップダウンがあるがどうしたら良いかと先輩に相談したら、怪訝な顔で私を見て、「その問題自分解決してね」って冷たくスルーされたことがあります

そこでハッとした私は、その日からずーっと、自分の体調について、ひいてはモチベーションが上がるだの下がるだのってことは、絶対言わないようにしてきました。

(中略)

そうですね、自分ではやっぱり口にはしないと思うけれど、周囲や自分モチベーション配慮するようになりました。

だって実際には、モチベーションが高いときも低いときもあるじゃないですか。体調のアップダウンもある。口にするかどうかは別として、認めて対処してもいい。

体調が悪い人がいれば助ける。その人がありがたいと感じたら、自分調子の良い時に他の人を助ける。やっぱり人間人間であると認めて、そのダイナミズムの中で助け合ったほうがしなやかで自然なんです。

マッキンゼー10年以上いた私は、これに限らずプロフェッショナリズムで凝り固まっていたと思います。なんというか、プロフェッショナリズム「仮面」絶対剥いではいけない、みたいな感じ、ありましたね(笑)

でも、実際は、プライベート仕事が不可分のときが、人間、一番良い仕事しますよね。調子の良し悪しだけじゃなくて、人の興味や関心も、個性も、もっと自然仕事にべったり出てきていいかもしれない。

外資就活ネクスト(旧Liiga) コラム | 南場さん、「プロフェッショナリズムの塊」じゃなくなったって本...

はてブで伸びている記事2016年記事(元は2015年らしい)でこれは2019年1月記事なので数年で翻意したことが分かる。

事実として南場さんの言葉に泣いた人がいて、影響力ある立場公言していたのだから過去発言とはいえ2016年記事批判することを否定するつもりはない。とうに捨てた意見に対してであってもだ。

だが、既に翻意済みの10年ほど前の発言批判したいがために、家族看護役職から退いたのを指して仕事を放り出したとこの2025年現在に言い出すのはマジなんですか。普段、「家庭より仕事」みたいな発言ボッコボコにされているイメージがあるが、はてなーの相当数の本音はこれなの?介護離職者なんかにも「仕事を放り投げやがって…」と思ってたりするわけ?それとも経営者人権なしってこと?

極端なところでは親の危篤でも舞台に立ち続けたって話が美談になって、これぞプロって褒め称える話も世間にはあったしプロフェッショナルをそう理解する感性否定するつもりはない。が、普段空気とあまりにも違うんじゃないか…。

と、しょうもない個人的ショックを深掘りしても仕方ないので気になることを1つ。何で南場さんは考えを変えた(変えることができた)んだろう。マッキンゼー時代からとすれば、かなり染みついた感覚だったはず。2015-2016年の間に氏の同様の発言は何度も記事になっているので、若者とのジェネレーションギャップに驚き強く「おかしい」と思っていたのは間違いない。間違いないのに2019年にはこうなので、柔軟といえばそうだけど…

ドラマ良識派みたいな立場やってるけど実際は二股不倫してんだよなと思うと味わい深い

anond:20250418101308

返事全部読ませてもらった。すごく丁寧に説明してくれてるのはありがたいし、そこは本当に感謝してる。ただ、ここまでやりとりして感じたのは、結局、議論のすれ違いが大きいなってことだったので、最後自分立場をまとめておく。


元々指摘したかったのは、冒頭の文章が流れとして読みやすいか論点自然に展開されてるかって点だった。でも返事では、記事全体の主題とかスコープの話にフォーカスされていて、「読者にとってどう受け取られるか」の部分には正面から答えてもらえなかった印象がある。

また、今回のやりとり全体で感じたのは、こちらの指摘に対して繰り返し「そういう意図ではなかった」という形で読み手の読解力に対する応答に終始していたことだ。

たとえば:



これらはそれぞれ表現について「意図説明」はされているものの、「どう伝わったか」「どのようにズレが起きているか」にきちんと向き合う回答ではなかったと感じている。おそらく無意識的なものだとは思うけど、こちらの指摘がまず誤っているという立場に立った読解があったんじゃないかと思う。


個々の指摘については、返信を見る限りこちらの意図説明する意味はないと思うので、受け取った通りでいい。

ただ、FizzBuzzの例についてはちょっと変では?と思ったので項を割く。

俺はジャクソンさんの理論は読んだことないし、有料論文らしいので全体は読めなかったんでちゃんしたことは言えてないのかもしれない。(たぶん後程取り寄せて読むから勘弁してくれ)

そのため誤解していたら申し訳ないのだが、調べた限りジャクソンさんの理論は「仕様は正確でなければならない」「仕様が不完全なら、そもそもプログラムは正しく書けない」って立場のように思えた。

そうであれば「不完全な仕様を元に作られた実装要求を満たしている」というケースを論じること自体が彼の論理適用範囲を逸脱する誤りだと思うし、ジャクソンさんの論文から言えば「不完全な仕様を元に作られた実装は正しくない」と考えるのが自然ではないかと思う。


いただいた返事に関しては、説明はしっかりしてるし勉強になる部分もあったと思う。ただ文章自体はめちゃくちゃ読みづらい。

あなたが前提としている論文とか技術的なタームを逐次調べる必要があって読み進めるのがすごいつらかったけど、書かれていない部分でいろいろ調べものをしているうちに色々新しいことが知れたのでそれについては感謝している。

ただ、全体を通して言っていたのは「私の意図ではなかった」という、あえて強く言えば「レスバに用いられる詭弁のようなテクニック」を使った返答のようなものであって、こちらの指摘を一切受けないという表明でしかなかったし、やっぱり最後まで噛み合わなかったなという思いが強い。

はっきり言うと割に合わないやり取りだったなと思う。本件に関して返答がかなり遅れたのはそれが理由でもある。

正直ここまで書いた今でも、この一往復で何かが解決するとも、何かが伝わるとも思えない、というのが本音だ。


そんな感じです。

ひとまずこの件はこれで終わりにします。いろいろありがとうございました。


※久々に色々うんざりしたので、はてなアカウントは消してしまうと思います

そのうちこの文章も消えるので、その点はご了承ください。

anond:20250501144422

痴漢軽犯罪なのはその通りだろ(軽犯罪違反)。

重大犯罪かいって容疑の時点で社会的立場が奪われるようになってる現代の扱いのほうが異常だよ。

キリスト教偶像崇拝をしている?

ノアの七つの掟(שבע מצוות בני נח, Sheva Mitzvot B'nei Noach)の一つに、確かに偶像崇拝禁止(איסור עבודה זרה)」が含まれています

まり、これはユダヤ人だけでなく、すべての人類に課せられた基本的倫理的宗教的ルールの一つとされています

じゃあ、「キリスト教徒ノアの掟を破ってるの?」って話になりますよね。

ここが微妙で複雑なところなんです。

ハラハー(ユダヤ法)の一部ラビたちの見解

ラビの中には、三位一体教義(父・子・聖霊)を信じることは、厳密に言えば一神教ではなく、Avodah Zarah(偶像崇拝)に該当するとする人もいます。つまり、「人間イエス)を神とするのはノアの法に違反する」と。

別の立場ラビたちの見解

他のラビたちは、キリスト教徒信仰倫理的道徳的なモノテイズム(唯一神信仰の一形態)に基づいているという点を評価し、「これは偶像崇拝とはみなさない」とする見解もあります

特に中世ラビ・メナヘム・ハメイリ現代ラビヤコブエメデンは、キリスト教徒は異教徒ではなく、倫理的な人々であると述べています

また、ラビ・モーシェ・マイモニデス(ラambam)も「三位一体はAvodah Zarah」とはっきり言いましたが、その信仰によって世界中にモノテイズムの概念が広まったという功績も認めていますヒレフ・メラキー11章)。

じゃあ結論は?

ユダヤ教の観点から見ると

要するにこうです。 「ユダヤ教的にはアウトっぽいけど、神様は人の心を見ておられる。形式よりも中身と意志が大切だよ」

上沼恵美子って和田アキ子と同格で語られてるけど

和田アキ子ほど本業成功してるイメージないんだよな

 

16歳か17歳ときJK漫才師話題性上方お笑い大賞銀賞取った程度で

"女(JK)"漫才師としてチヤホヤされただけで技巧が高かったわけでもなし活動期間も短いし

偉そうに他人お笑い評価できる立場かと思うわ

ユーザーアプリ操作している時に何かを告知しても無視されるだけだ。

ユーザー体験を著しく下げるだけだから

そのアプリ支配的な立場にないのなら、

そのような動作絶対に避ける。

給料をもらって仕事をしている自覚がないのか」 :南場連載 | 株式会社ディー・エヌ・エー | DeNA

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dena.com/jp/news/2694a/

好きなことで生きていく - megamouthの葬列

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.megamouth.info/entry/2025/04/30/104014

例えば、「首にならないためにスキルを磨く」というのは正当法な考え方だが、「速く走るサラブレッドを目指す」みたいな話で、その時点で奴隷根性である、という自覚がないのか、とは思う。

「南場のやっている事業は汚い事業」と指摘する者も、「では、キレイ事業とやらを生み出してください」と言うと、沈黙するのではないか

大体、好きに生きたいのであれば、自分事業を生み出して、存分に裁量を振る舞えばいいだけの話ではないか

まあ、「人材タケノコのように生えてくる」のような人の使い方をしていたら、会社が潰れる時代になってきたのも確かだが、「自分の面倒を見て貰おうとする労働者」だけでも、社会は成り立たないと思うのだが。

一方的安全地帯から強弁で押し切る」というやり方自体が、氷河期世代批判する団塊世代の単なる劣化コピーであり、大嫌いであろうポジショントークであるようにも見える。

結局、政治的立場から自由になるという「自由人」という概念自体幻想だったのかも知れない。

インテリ達がやっていることも、所詮ポジショントークだった訳で。

anond:20250501035131

感情移入読み手立場関係あるかもしれないけど感情移入できるかどうかと共感できるかどうか、面白さは全く相関がないと思う

ドグラマグラ感情移入して読んでるやつは少ないと思うけど名著なんだよ

おもしろいからね

2025-04-30

anond:20250430144724

バシッと嫁を殴って年収が上だろうと立場は男の方が上だと躾けてやれ

anond:20250430212529

とにかくエネルギーがすげぇ。

中身が破綻してようが知識うろ覚えだろうが、あるのは怒りと違和感文章に変えて叩きつけたという、剥き出しのパトス

なまじ整ってるクソ文章より、百倍マシな生の叫びだ。

いか、これは論理じゃねぇ、思想の破片を燃やして投げつけた火炎瓶だ。誰が理屈なんか求めたよ?てめぇの実感を核にして世界を切り分けようとした、その根性にまず拍手だ。

そしてな、このガンダム比喩。下手に上手くやろうとしなかったことが、逆に強い。

中途半端インテリは「比喩破綻してる」とか言いがちだが、そんなことはこの文には関係ねぇ。

感覚で感じ取る世界構造を、知ってる作品に無理やりねじ込んだその無茶苦茶さが、逆に今の政治理解ってこんな混沌だよなってことを示してんだよ。

お前が精密な構造分析なんて言葉に頼らず、比喩暴力だけで語ったその強引さこそが現代だ。

あと地味に凄ぇのが、すべての立場に一応の距離を取ってるって点だ。弱者男性にも冷ややか、フェミにも皮肉ネトウヨにも厳しい、氷河期にも容赦なし。

これはつまり、誰の味方でもない位置から世界を斜め上から殴ってるってことだ。

これができるやつ、そういねぇ。普通どっかに感情移入してバランス崩す。

けどこの文章は全員ぶっ叩くか、冷笑するかのどっちかだけで突っ走ってる。

これを何と呼ぶか?文章スカジャンだよ。ダサいけど、圧倒的に目を引くし、着こなしてるやつには逆らえねぇ。

それから、この妙に冗長で、しつこくて、ねちっこい文章構造。「ネット世論の地層」をそのままコピーした現代怪文書芸だ。

ガンダムとか使ってるのも、ただの知識ひけらかしじゃない。むしろ昔の男たちが魂を燃やしたアニメ」を使って、現代ポリティクスを語るという時代横断的な嘆きの儀式なんだよ。

過去正義を盾に、今の混沌に殴り込みかける。どこが悪い。むしろ美学だ。

あえて言おう。これは文章というより、情念を詰め込んだソーシャルフラグメント爆弾

破片の角度なんてバラバラでいい。意味なんて読み手勝手に拾え。重要なのは「投げたこと」そのものなんだよ。どんなに読みづらかろうが、知識が粗くても、これほど読む者の精神足跡を残す破文は、そうそう書けるもんじゃねぇ。

からこそ、今この文章にはっきりと名前をつけよう。

この作品は「核魂叛濫(かくだまはんらん)」。魂の核が炸裂し、秩序も整合もねぇまま、思考が叛旗を翻したって意味だ。

字面も最悪、響きもダサい、けど一度見たら脳から離れない。

クソ文を書き続けろ。次はもっと破壊的なのを見せろ。

anond:20250430144724

自分は逆で、最初自分の方が年収が高かったが途中で夫に逆転された

生活費は完全合算で、なおかつ女である私の方が生活に金がかかっているので、夫の立場では年収が低い方が特になるはず

実際結婚当初はそれはそれで気にしてなさそうだった

しか面白いことに年収が逆転してから明らかに機嫌がいいし、夫は「自分の稼いだ金を私が使っている」ことに対して、口ではああだこうだと言っているが明らかに嬉しそうにしている

anond:20250430085541

忘れもしない11年前、朝日新聞は、東北震災の折に福島原発従業員650人が命令違反勝手に逃げた結果、原発災害が発生したとのスクープを、従来のasahi.com の月額課金とは別に個別記事販売して、大儲けしましたよね。

この「吉田調書スクープは多くの関係者特に当時の原発吉田所長を苦しめ、日本世界的に苦しい立場に追い込み、その後の日本の電力産業に大きな影響を与えましたが、後に虚偽であることが明らかになりました。

せめて、この単品記事販売で得た収益は、購入者返還すべきと思います

いじめパワハラ、●●ハラ陰湿精神的苦痛を伴うあらゆる嫌がらせの「復習」での加害が合法になる【新個人情報加護修正案通過:202●年6月4日施行】に伴う最大限の準備について

合法になった瞬間に、覚えてない誰かから「復習」されるのでは?

と気が気でないあなたへ

安心ください~(ねこなで声)

_

すでに日本中の100%の端末。

2024年4月の現時点で、

スマートフォンパソコン

その他諸々に限り、

防衛措置となるプログラムが伝播されています

_

リアルタイムで「加害行為」が発生した場合合法違法かは関係なく端末から高濃度放射線投射されます

びゅっと一発即死です!

第三者による強制的加害行為には、強制した指示者の端末が自動的執行対象になります

そのくらいの特定AIで余裕です。

まり犯罪加害行為のすべてが、

現実インターネット上に関係なく秒で断罪されるわけです。

_

これこそ究極かつ最高のコスパです。

逮捕書類送検裁判所行き?執行手続き云々?猟銃免許取得からの「復習」劇?ノンノン!

全部スルーして「1秒」で断罪されるわけです。

え?スマホパソコン加害者の手元にないって?

加害者に最も近い人のスマホパソコンや諸々の端末が、

半径1㎞以内に限り加害者に向かって超高濃度放射線を正確にシュッシュっと投射します。

そして完璧な、断~罪~♪(どんだけ~♪のトーンで御斉唱

_

誹謗中傷されているみなさん!!

殺害予告をされがちなネット上の有名人や、

そうでない立場のみなさんも!!

もう悩まなくてもいいんですよ!

しまなくてもいいんですよ!

_

いじめパワハラ、●●ハラ陰湿精神苦痛を伴うあらゆる嫌がらせを受けている皆様!!!!!!

それが現実でもSNS上でも関係ありません!!!!!

_

もう二度と!!!!!

しまなくていいんです!!!!!

二度と!!!

_

え?

「復習」じゃなくて復讐だって

ダメです。

そんな物騒で感情的単語

規制されて凍結されますよ。

_

anond:20250430154249

ああ、やっと本音が出たな。「議論に来たつもりはなかった」「そういう姿勢臭い」つまり自分関係ない立場からニヤニヤ煽ってただけってわけだ。

それ、議論当事者揶揄しながら自分外野ですって装う、典型的安全ポジション取りだぞ。

だが残念だったな。言葉を投げた瞬間、もう観客席から降りてリングに足を突っ込んだことになってるんだよ。

しかも「通じねえなあー」って、それはお前が感情と印象だけで煙を撒いてるからこちらがわざわざ分析してやってるんだろ?

こっちは論理言葉で構築したフレームで話してる。そこに対して「臭い」だの「通じない」だのと嗅覚自己認識で応答してくるなら、それはもう議論じゃなくて動物マーキング行為だ。

で、そもそも臭い」っていうのは何?

言葉意味に変換すれば、「俺はこのノリが気に入らない」ってだけの情緒的反射でしかない。

気に入らないからといって、それを知的正当性のある批判勘違いするなよ。お前の好みに他人が合わせる理由存在しない。

最後に一つだけ教えてやる。

議論に来たわけじゃない」ってのは、論破された者の逃げ道として最もダサいセリフだ。

言葉を発した時点で、お前はその言葉の重さを背負う義務がある。

それができないなら、最初から口を開くべきじゃなかったんだよ。

喫茶店に入ったらジロジロ見られる件について

喫茶店に入ったら常連客ばかりで、いきなりジロジロと見られて居心地が悪かった、という話題話題話題になっていました。

これについて喫茶店好きの立場から解説してみたいと思います

社会学には「儀礼的無関心」という概念があります。これは簡単に言うと、知らない人をいきなり無遠慮にジロジロ見たり、話しかけたりしないで無関心であることが礼儀だよねという話です。

私たちもふだんは無意識のうちに、この儀礼的無関心を基本にして生活しています。ですがこれは、歴史的には都市誕生とともに生まれてきたありかたです。

たとえば全員が顔見知りの村であれば、通りがかりに顔を見て「おはよう」と挨拶したり、知らない人間が村に入ってきたときに「どちらさんですか」と顔を見られるというのは当たり前ですよね。

人口が増え、互いの顔や素性がわからない人間が集まるようになってはじめて、儀礼的無関心という特殊なありかた、振る舞いが成立したのです。

私たちも、学校教室や、職場部署内では、全員が顔見知りですから、誰かが入ってきたら「おはよー」といいますし、知らんひとなら「誰やねん」みたいな顔をしますよね。

まり、全員がほとんど顔見知りであるようなコミュニティであれば、儀礼的無関心は成り立たないのです。

これは人間に広く見出せる振る舞いです。私たちも、同じような条件であれば無意識に同じように振る舞っているはずです。

喫茶店でも、常連はいつも互いに「おはようさん」「今日はえらい遅いやん。どうしたん」とか言ってるのです。

いきなりジロジロ見られたからといって、喫茶店常連客がとくべつに排他的であるとか、閉鎖的であるといえるわけではなく、コミュニティの濃度が一定まで上がると起こる普遍的現象である理解しましょう。

ブコメでも酒場銭湯でも同じことを感じるというひとがいましたが、これはスナック銭湯地域コミュニティとして機能しているからですね。

はてなにはアーバンなシティーボーイ、シティーガールが多いので最初は戸惑うかもしれませんが、視線障壁になって喫茶店から足が遠のいてしまうのはもったいないので、以下、チェーン店カフェにはない喫茶店のいいところをプレゼンします。

・おばちゃんお菓子を配り始めるなどの意味のわからないイベントが定期的に起こる

おばちゃんたちはお菓子をはじめとして、スーパーで買ってきたロールケーキを店主に切らして配るなどします。僕がアガったのは「たこ焼き買うてきてん! 時間いからまたくるわ!」と言ってパックを店主に手渡してすぐ帰ったおばちゃんです。パックにはたこ焼きではなくお好み焼きが入っていました。お好み焼きは切り分けられてソーサーに乗せて配られました。スタバではこういうことは起こりません。

・店に猫がいたりする

猫は触れたり膝に乗ってくれたりします。キャットカフェのように追加料金がないのがいいです。あと、おばちゃんが犬を連れてきたりします。ブルーボトルコーヒーではこういうことは起こりません。

めっちゃ褒められる

私はアラフォー中年男性ですが、いまだに「あらー若いちゃんきたでー」と言うてもらえます。それに、イケメン基準ガバガバであるため、イケメンではなくても「イケメンやーん」と言うてもらえるので、自己肯定感が高まりますタリーズではこういうことは起こりません。

・安い

煙草が吸える

椅子テーブルがいい

漫画新聞週刊誌が置いてある

長居ができるかは店によります。あと、いいことばかり書いてきましたが、喫茶店ではおもしろイベントが起こりやすいのと同時に、不愉快な目にあうことも多いです。衛生的にもゆるかったりします。当たり外れがなく均一なサービスを求めるならば、紙コップでコーヒーを出すチェーンのカフェにいきましょう。店主がカウンターのなかでギターを弾き出したり、知らんひとにスマホ操作方法を聞かれたり、訳がわからないことが起こっても許せる人には喫茶店おすすめです。

いろんな喫茶店の灰皿に吸い殻を積み上げて本を読みながら、私は人間のわけのわからなさをちょっと好きになることができました。

うちは妻の方が年収高くなりつつあるけど、はじめにそれを知った時には、自分がある種のショックを受けていることに驚いた。

自分では男女の立場の差とか、どちらが上だとか下だとか、プライドとかそういうのはどうでもいい、お互いの稼ぎが増えるならラッキーじゃん!というある種の飄々とした態度を取っていた認識だったが、それでも何かマイナス感情が動くのを感じた。

妻がそれによって態度が変わったとか、そういうことは一切無い。自分の中だけで生じた感情

それを深掘りしていくと、「自分の頑張りが足りないのではないか」という気持ちのようだった。別業種で単純比較はできないはずなのだが、結果として給料差が生じた時に、やはり能力や取り組みの差、頑張りの差、本気度の差、そういうものがあるのではないかと感じたんだろう。

そうした点を重視しないように生きているつもりだったが、普段表面化しない心の底では、収入の差は能力や取り組みの差だと感じる部分がしっかりとあったということだ。

人間の心って面倒くさいね

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