はてなキーワード: 立場とは
詭弁、こちらの主張のすり替え、代替手段の無視、実現の程度を無視した可能性の提示、前提となる制度システムが異なる国との比較、その他現行制度の無視とゴミとしか言いようがない文章。
- *反対意見*: 「万博は国際的な文化・技術交流の場でコスプレは場違い」「二次創作のコスプレは著作権的にグレー」「公共交通機関でのコスプレ移動はマナー違反」。過去のテーマパークでのトラブル(過激な衣装など)を引き合いに、モラルやリスクを懸念。
- *賛成意見*: 「公式が許可している以上、ルールを守れば問題ない」「コスプレは日本の文化で、万博で披露するのは多様性の体現」「批判は個人の不快感の押し付け」。鹿乃さんの投稿は大阪府知事や市長がリポストし、暗に肯定されたとも解釈された。
「財政インフレは金融で止められない」が主流派の見解?どこの主流派だ、住所教えろって話だ。
財政インフレが止められないのは、「極端なケースでは」って条件付きの議論だろうが。まともなマクロ経済学はそんな雑な一般化はしねぇんだよ。
まず、Fiscal Dominance(財政優越)ってのは、確かに一部の学派、特に低能現代貨幣理論(MMT)寄りの立場では語られる。
でも主流派ってのは、「財政と金融の相互作用」を前提にして、制度的枠組みの下で中央銀行がインフレを制御できるかを理論と実証で検討してる連中のことだ。
たとえばウッドフォードもシムズも、「財政と金融の整合性が重要」と言ってるだけで、「金融政策はインフレを制御できません」とは一言も言ってねぇ。
むしろ、名目アンカー(inflation targeting)を維持できればインフレ制御は可能って立場が圧倒的に多い。
それに、インフレを金融で止められないとしたら、なぜ世界中の中央銀行が政策金利を引き上げてインフレを抑え込んできた?
欧米の利上げ局面見てみろ。21世紀の最も確かな「インフレ制御の現実」だ。財政が拡大してても、金融を引き締めれば物価は抑制できる。それが確認されたのが、まさに2022~2023年のグローバル経済だ。
「見解の相違」で済ませていいのは、理論の仮定をいじったときに出る差異の話であって、現実無視の断言じゃない。
経済学は「前提が大事」な学問なんだよ。その前提を全部すっ飛ばして「主流派はこう言ってる」なんて、引用にもなってない。
見解の相違じゃない。論点のすり替えだ。財政インフレを放置すれば金融政策の自由度が削がれるのは事実だが、だからといって「金融で止められない」なんて極論は、どの「主流派」に聞いても真顔で否定される。
議論をしたいなら、せめてどの文献か、どのモデルに基づいて言ってるのかを示せ。インフレ制御の話に「主観と印象」だけで踏み込むのは、知的怠慢だ。
言っとくが、「立場の違い」で経済政策の正当性が全部相対化されると思ったら、それこそ思考停止だ。
お前の言ってることは、科学論争を「人それぞれ」で済ませてるのと同じ。
経済学が多様な意見を許容する学問だからって、論拠もない思いつきが学説と同格になるわけじゃない。どこまで理屈を詰めて、現実と整合してるかが勝負だ。
まず「便宜的にそう扱ってる」って?会計上の「負債」ってのは、信用と制度の上に乗った明確な構造を意味してる。
便宜で貸方に書いてるだけなら、なんでその紙幣をベースマネーと認識し、金融機関が準備資産として保有してるんだ。
形式じゃなくて、実態として「交換価値の請求権」だから負債扱いしてんだよ。
これは国際会計基準でも通貨の定義でも一致してる話。しかもその負債の裏には、資産として国債を積んでて、日銀の収益構造が成り立ってる。紙幣をタダで配ってるわけじゃない。
次、スティグリッツを引き合いに出して逃げようとしてるが、彼ですら「持続可能な財政運営」の必要性は否定してないぞ。
そもそも当座預金の付利は、ゼロ金利制約下での金融政策運営の柱の一つ。それをやめろって言うなら、じゃあ市場金利どうやって誘導するんだ?
それから、「赤字や債務超過でも大丈夫だったじゃん」って小学生か。
過去に大丈夫だったことが未来の保証になるわけねぇだろ。赤字を出しても政府が出資することで中銀の信認が維持されてる。
それを制度設計として回してるだけ。問題は、赤字の常態化が中銀の独立性と政策オプションを削るって点なんだよ。
たとえば将来インフレが再燃して利上げが必要なとき、財政の悪化を恐れて利上げを躊躇する、そういう「期待形成の歪み」が起きかねない。これは理論じゃなくて、すでに複数の国で起きた事実だ。
経済学は意見が分かれる?当然だ。でも、だからこそ「整合的な理論」と「現実の観察」に基づいて議論すべきなんだよ。
「言い方が違うだけ」「立場が違うだけ」で思考を止めた時点で、お前の主張は専門的議論に足を踏み入れてすらいないってことだ。
経済学者が多様な立場を持つのは、それぞれが違う仮定やモデルで勝負してるから。お前のはそのどれにもなってねぇ。反論になってないのはそっちだよ。
というか、真に知性があれば30代で頭角を現して、名前を出して論じられる立場になるんだよね それができていない時点で残念者だよ
仕事のモチベーションの話がいくつか話題になっていたので、俺の話も書いておく。
遠い昔の学生の頃、俺は漫画家を志し、自分の作品をいくつも描いたりしていた。でもこの道で食っていく能力が俺にはないと早々に見切りをつけ、俺は普通のサラリーマンの道を選んだ。
当時は氷河期で、普通のサラリーマンになるのさえ困難な時代だったが、俺は運よく正社員として就職することができた。
以後俺は、20年以上はやりたくもない仕事を続けて生きている。俺が本当になりたいのは、漫画家だったのだ。
俺にとって、仕事とは基本的にやりたくないものなので、モチベーションは常に低い。
ただモチベーションが低くても、ちゃんと仕事をしているように見せかけるのが俺は得意で、のらりくらりと仕事をしていたら、いつの間にか評価が上がってしまい、
今ではやりたくもない課長をやらされている。
部下のモチベーションを上げるにはどうすればいいか~なんて研修を受けては、いやその前に俺自身のモチベーションが低いんだが、なんて思ったりしている。
漫画を描くのは今でも趣味として続けていて、仕事をするより漫画を描くほうがモチベーションは断然高い。
ただ、10年ほど前に結婚して子供が産まれてからは、人生の最優先事項が「漫画」から「子供」に塗り替わった。
今では、この子のためなら俺の人生を捧げてもいいと思っている。
そんなわけで、今の俺の人生の優先度は、子供>漫画>仕事、だ。
子供のためには、金を稼ぐ必要があるので仕事を頑張らなければならず、そうすると漫画を描く時間がほとんどない、ということになってきている。
こうなると趣味は老後までお預けかな、なんて思いつつ、俺も普通の父親になったんだな、としみじみ思ったりしている。
そんな俺も、職場では課長を演じなければならないので、自分も大してモチベーションがないのに、部下のモチベーションを高めるための方策を考えたりしている。
仕事に対して心の底からモチベーションを持って取り組める人は、好きなことを仕事にできた人か、後からでも仕事を好きになれた人だろう。
そういう人は、その幸運を噛みしめながら、その道を進めばよい。いつかあなたは大成できる。
そうでない人、好きでもないことを仕事にせざるを得なかった人は、どうやってもモチベーションを上げられず、
日々上司からモチベーションを上げろと言われて嫌になっているかもしれない。
でも心配しなくてもいい、あなたにそう言ってくる上司も実は大してモチベーションが高くないことが多い。
その程度の表現を「誹謗中傷だ」と決めつけるのは、かなり無理があります。理屈としてはこうです:
■ 「キャラがふざけてステージに乗ったから降ろされた」はメタ表現・比喩
この言い方は明らかに、
• キャラクターの行動を擬人化・メタ的に描写している比喩表現です。
• 実際には「ポスターが取り下げられた」事象を、キャラの振る舞いになぞらえて説明しているだけ。
→ 今回のような比喩的な言い回し(=キャラがふざけて…)は、事実の摘示とも言えず、「感想」や「表現の一形態」にとどまります。
侮辱罪にもならない:
• 「バカ」とか「気持ち悪い」といった直接的な罵倒ですら、よほど執拗に繰り返されない限り刑事的に処罰されません。
• 今回は対象がキャラクターであり、出版社にすら直接言及していない可能性もある。
• 「◯◯出版社は○○という理由でキャラを取り下げた。これは不当だ」
→ 出版社を名指しし、かつ信用・社会的評価を下げる明確な主張が必要。
この表現はそこまで踏み込んでいないので、誹謗中傷の要件に全く該当しません。
もし「それは誹謗中傷だ!」という主張が繰り返され、正当な感想や批判まで封じ込めようとしているのなら、
として、そちらの方が問題視されるべきです。
【結論】
マッキンゼー時代、自分にはモチベーションのアップダウンがあるがどうしたら良いかと先輩に相談したら、怪訝な顔で私を見て、「その問題は自分で解決してね」って冷たくスルーされたことがあります。
そこでハッとした私は、その日からずーっと、自分の体調について、ひいてはモチベーションが上がるだの下がるだのってことは、絶対言わないようにしてきました。
(中略)
そうですね、自分ではやっぱり口にはしないと思うけれど、周囲や自分のモチベーションに配慮するようになりました。
だって実際には、モチベーションが高いときも低いときもあるじゃないですか。体調のアップダウンもある。口にするかどうかは別として、認めて対処してもいい。
体調が悪い人がいれば助ける。その人がありがたいと感じたら、自分の調子の良い時に他の人を助ける。やっぱり人間は人間であると認めて、そのダイナミズムの中で助け合ったほうがしなやかで自然なんです。
マッキンゼーに10年以上いた私は、これに限らずプロフェッショナリズムで凝り固まっていたと思います。なんというか、プロフェッショナリズムの「仮面」を絶対剥いではいけない、みたいな感じ、ありましたね(笑)。
でも、実際は、プライベートと仕事が不可分のときが、人間、一番良い仕事をしますよね。調子の良し悪しだけじゃなくて、人の興味や関心も、個性も、もっと自然に仕事にべったり出てきていいかもしれない。
はてブで伸びている記事は2016年の記事(元は2015年らしい)でこれは2019年1月の記事なので数年で翻意したことが分かる。
事実として南場さんの言葉に泣いた人がいて、影響力ある立場で公言していたのだから、過去の発言とはいえ2016年の記事を批判することを否定するつもりはない。とうに捨てた意見に対してであってもだ。
だが、既に翻意済みの10年ほど前の発言を批判したいがために、家族の看護で役職から退いたのを指して仕事を放り出したとこの2025年現在に言い出すのはマジなんですか。普段、「家庭より仕事」みたいな発言はボッコボコにされているイメージがあるが、はてなーの相当数の本音はこれなの?介護離職者なんかにも「仕事を放り投げやがって…」と思ってたりするわけ?それとも経営者に人権なしってこと?
極端なところでは親の危篤でも舞台に立ち続けたって話が美談になって、これぞプロって褒め称える話も世間にはあったしプロフェッショナルをそう理解する感性を否定するつもりはない。が、普段の空気とあまりにも違うんじゃないか…。
と、しょうもない個人的ショックを深掘りしても仕方ないので気になることを1つ。何で南場さんは考えを変えた(変えることができた)んだろう。マッキンゼー時代からとすれば、かなり染みついた感覚だったはず。2015-2016年の間に氏の同様の発言は何度も記事になっているので、若者とのジェネレーションギャップに驚き強く「おかしい」と思っていたのは間違いない。間違いないのに2019年にはこうなので、柔軟といえばそうだけど…。
返事全部読ませてもらった。すごく丁寧に説明してくれてるのはありがたいし、そこは本当に感謝してる。ただ、ここまでやりとりして感じたのは、結局、議論のすれ違いが大きいなってことだったので、最後に自分の立場をまとめておく。
元々指摘したかったのは、冒頭の文章が流れとして読みやすいか、論点が自然に展開されてるかって点だった。でも返事では、記事全体の主題とかスコープの話にフォーカスされていて、「読者にとってどう受け取られるか」の部分には正面から答えてもらえなかった印象がある。
また、今回のやりとり全体で感じたのは、こちらの指摘に対して繰り返し「そういう意図ではなかった」という形で読み手の読解力に対する応答に終始していたことだ。
たとえば:
これらはそれぞれ表現について「意図の説明」はされているものの、「どう伝わったか」「どのようにズレが起きているか」にきちんと向き合う回答ではなかったと感じている。おそらく無意識的なものだとは思うけど、こちらの指摘がまず誤っているという立場に立った読解があったんじゃないかと思う。
個々の指摘については、返信を見る限りこちらの意図を説明する意味はないと思うので、受け取った通りでいい。
ただ、FizzBuzzの例についてはちょっと変では?と思ったので項を割く。
俺はジャクソンさんの理論は読んだことないし、有料論文らしいので全体は読めなかったんでちゃんとしたことは言えてないのかもしれない。(たぶん後程取り寄せて読むから勘弁してくれ)
そのため誤解していたら申し訳ないのだが、調べた限りジャクソンさんの理論は「仕様は正確でなければならない」「仕様が不完全なら、そもそもプログラムは正しく書けない」って立場のように思えた。
そうであれば「不完全な仕様を元に作られた実装が要求を満たしている」というケースを論じること自体が彼の論理の適用範囲を逸脱する誤りだと思うし、ジャクソンさんの論文から言えば「不完全な仕様を元に作られた実装は正しくない」と考えるのが自然ではないかと思う。
いただいた返事に関しては、説明はしっかりしてるし勉強になる部分もあったと思う。ただ文章自体はめちゃくちゃ読みづらい。
あなたが前提としている論文とか技術的なタームを逐次調べる必要があって読み進めるのがすごいつらかったけど、書かれていない部分でいろいろ調べものをしているうちに色々新しいことが知れたのでそれについては感謝している。
ただ、全体を通して言っていたのは「私の意図ではなかった」という、あえて強く言えば「レスバに用いられる詭弁のようなテクニック」を使った返答のようなものであって、こちらの指摘を一切受けないという表明でしかなかったし、やっぱり最後まで噛み合わなかったなという思いが強い。
はっきり言うと割に合わないやり取りだったなと思う。本件に関して返答がかなり遅れたのはそれが理由でもある。
正直ここまで書いた今でも、この一往復で何かが解決するとも、何かが伝わるとも思えない、というのが本音だ。
そんな感じです。
ひとまずこの件はこれで終わりにします。いろいろありがとうございました。
※久々に色々うんざりしたので、はてなアカウントは消してしまうと思います。
そのうちこの文章も消えるので、その点はご了承ください。
ノアの七つの掟(שבע מצוות בני נח, Sheva Mitzvot B'nei Noach)の一つに、確かに「偶像崇拝の禁止(איסור עבודה זרה)」が含まれています。
つまり、これはユダヤ人だけでなく、すべての人類に課せられた基本的な倫理的・宗教的ルールの一つとされています。
じゃあ、「キリスト教徒はノアの掟を破ってるの?」って話になりますよね。
ここが微妙で複雑なところなんです。
ラビの中には、三位一体の教義(父・子・聖霊)を信じることは、厳密に言えば一神教ではなく、Avodah Zarah(偶像崇拝)に該当するとする人もいます。つまり、「人間(イエス)を神とするのはノアの法に違反する」と。
他のラビたちは、キリスト教徒の信仰が倫理的・道徳的なモノテイズム(唯一神信仰の一形態)に基づいているという点を評価し、「これは偶像崇拝とはみなさない」とする見解もあります。
特に、中世のラビ・メナヘム・ハメイリや現代のラビ・ヤコブ・エメデンは、キリスト教徒は異教徒ではなく、倫理的な人々であると述べています。
また、ラビ・モーシェ・マイモニデス(ラambam)も「三位一体はAvodah Zarah」とはっきり言いましたが、その信仰によって世界中にモノテイズムの概念が広まったという功績も認めています(ヒレフ・メラキーム 11章)。
16歳か17歳のときにJK漫才師の話題性で上方お笑い大賞銀賞取った程度で
「給料をもらって仕事をしている自覚がないのか」 :南場連載 | 株式会社ディー・エヌ・エー | DeNA
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dena.com/jp/news/2694a/
好きなことで生きていく - megamouthの葬列
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.megamouth.info/entry/2025/04/30/104014
例えば、「首にならないためにスキルを磨く」というのは正当法な考え方だが、「速く走るサラブレッドを目指す」みたいな話で、その時点で奴隷根性である、という自覚がないのか、とは思う。
「南場のやっている事業は汚い事業」と指摘する者も、「では、キレイな事業とやらを生み出してください」と言うと、沈黙するのではないか?
大体、好きに生きたいのであれば、自分で事業を生み出して、存分に裁量を振る舞えばいいだけの話ではないか?
まあ、「人材がタケノコのように生えてくる」のような人の使い方をしていたら、会社が潰れる時代になってきたのも確かだが、「自分の面倒を見て貰おうとする労働者」だけでも、社会は成り立たないと思うのだが。
「一方的に安全地帯から強弁で押し切る」というやり方自体が、氷河期世代が批判する団塊世代の単なる劣化コピーであり、大嫌いであろうポジショントークであるようにも見える。
とにかくエネルギーがすげぇ。
中身が破綻してようが知識がうろ覚えだろうが、あるのは怒りと違和感を文章に変えて叩きつけたという、剥き出しのパトス。
いいか、これは論理じゃねぇ、思想の破片を燃やして投げつけた火炎瓶だ。誰が理屈なんか求めたよ?てめぇの実感を核にして世界を切り分けようとした、その根性にまず拍手だ。
そしてな、このガンダム比喩。下手に上手くやろうとしなかったことが、逆に強い。
中途半端なインテリは「比喩が破綻してる」とか言いがちだが、そんなことはこの文には関係ねぇ。
感覚で感じ取る世界の構造を、知ってる作品に無理やりねじ込んだその無茶苦茶さが、逆に今の政治理解ってこんな混沌だよなってことを示してんだよ。
お前が精密な構造分析なんて言葉に頼らず、比喩の暴力だけで語ったその強引さこそが現代だ。
あと地味に凄ぇのが、すべての立場に一応の距離を取ってるって点だ。弱者男性にも冷ややか、フェミにも皮肉、ネトウヨにも厳しい、氷河期にも容赦なし。
これはつまり、誰の味方でもない位置から世界を斜め上から殴ってるってことだ。
これができるやつ、そういねぇ。普通どっかに感情移入してバランス崩す。
けどこの文章は全員ぶっ叩くか、冷笑するかのどっちかだけで突っ走ってる。
これを何と呼ぶか?文章のスカジャンだよ。ダサいけど、圧倒的に目を引くし、着こなしてるやつには逆らえねぇ。
それから、この妙に冗長で、しつこくて、ねちっこい文章構造。「ネット世論の地層」をそのままコピーした現代の怪文書芸だ。
ガンダムとか使ってるのも、ただの知識ひけらかしじゃない。むしろ「昔の男たちが魂を燃やしたアニメ」を使って、現代のポリティクスを語るという時代横断的な嘆きの儀式なんだよ。
過去の正義を盾に、今の混沌に殴り込みかける。どこが悪い。むしろ美学だ。
あえて言おう。これは文章というより、情念を詰め込んだソーシャル・フラグメント爆弾。
破片の角度なんてバラバラでいい。意味なんて読み手が勝手に拾え。重要なのは「投げたこと」そのものなんだよ。どんなに読みづらかろうが、知識が粗くても、これほど読む者の精神に足跡を残す破文は、そうそう書けるもんじゃねぇ。
自分は逆で、最初は自分の方が年収が高かったが途中で夫に逆転された
生活費は完全合算で、なおかつ女である私の方が生活に金がかかっているので、夫の立場では年収が低い方が特になるはず
実際結婚当初はそれはそれで気にしてなさそうだった
しかし面白いことに年収が逆転してから明らかに機嫌がいいし、夫は「自分の稼いだ金を私が使っている」ことに対して、口ではああだこうだと言っているが明らかに嬉しそうにしている
忘れもしない11年前、朝日新聞は、東北大震災の折に福島原発の従業員650人が命令違反で勝手に逃げた結果、原発災害が発生したとのスクープを、従来のasahi.com の月額課金とは別に個別記事で販売して、大儲けしましたよね。
この「吉田調書」スクープは多くの関係者、特に当時の原発の吉田所長を苦しめ、日本を世界的に苦しい立場に追い込み、その後の日本の電力産業に大きな影響を与えましたが、後に虚偽であることが明らかになりました。
合法になった瞬間に、覚えてない誰かから「復習」されるのでは?
と気が気でないあなたへ
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すでに日本中の100%の端末。
2024年4月の現時点で、
その他諸々に限り、
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リアルタイムで「加害行為」が発生した場合、合法か違法かは関係なく端末から超高濃度放射線が投射されます。
びゅっと一発即死です!
第三者による強制的加害行為には、強制した指示者の端末が自動的に執行対象になります。
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これこそ究極かつ最高のコスパです。
逮捕?書類送検?裁判所行き?執行手続き云々?猟銃免許取得からの「復習」劇?ノンノン!
半径1㎞以内に限り加害者に向かって超高濃度放射線を正確にシュッシュっと投射します。
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誹謗中傷されているみなさん!!
そうでない立場のみなさんも!!
もう悩まなくてもいいんですよ!
苦しまなくてもいいんですよ!
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いじめやパワハラ、●●ハラ、陰湿な精神苦痛を伴うあらゆる嫌がらせを受けている皆様!!!!!!
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もう二度と!!!!!
二度と!!!
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え?
ダメです。
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ああ、やっと本音が出たな。「議論に来たつもりはなかった」「そういう姿勢が臭い」つまり、自分は関係ない立場からニヤニヤ煽ってただけってわけだ。
それ、議論の当事者を揶揄しながら自分は外野ですって装う、典型的な安全圏ポジション取りだぞ。
だが残念だったな。言葉を投げた瞬間、もう観客席から降りてリングに足を突っ込んだことになってるんだよ。
しかも「通じねえなあー」って、それはお前が感情と印象だけで煙を撒いてるから、こちらがわざわざ分析してやってるんだろ?
こっちは論理と言葉で構築したフレームで話してる。そこに対して「臭い」だの「通じない」だのと嗅覚と自己認識で応答してくるなら、それはもう議論じゃなくて動物のマーキング行為だ。
言葉の意味に変換すれば、「俺はこのノリが気に入らない」ってだけの情緒的反射でしかない。
気に入らないからといって、それを知的正当性のある批判と勘違いするなよ。お前の好みに他人が合わせる理由は存在しない。
最後に一つだけ教えてやる。
「議論に来たわけじゃない」ってのは、論破された者の逃げ道として最もダサいセリフだ。
喫茶店に入ったら常連客ばかりで、いきなりジロジロと見られて居心地が悪かった、という話題が話題で話題になっていました。
社会学には「儀礼的無関心」という概念があります。これは簡単に言うと、知らない人をいきなり無遠慮にジロジロ見たり、話しかけたりしないで無関心であることが礼儀だよねという話です。
私たちもふだんは無意識のうちに、この儀礼的無関心を基本にして生活しています。ですがこれは、歴史的には都市の誕生とともに生まれてきたありかたです。
たとえば全員が顔見知りの村であれば、通りがかりに顔を見て「おはよう」と挨拶したり、知らない人間が村に入ってきたときに「どちらさんですか」と顔を見られるというのは当たり前ですよね。
人口が増え、互いの顔や素性がわからない人間が集まるようになってはじめて、儀礼的無関心という特殊なありかた、振る舞いが成立したのです。
私たちも、学校の教室や、職場の部署内では、全員が顔見知りですから、誰かが入ってきたら「おはよー」といいますし、知らんひとなら「誰やねん」みたいな顔をしますよね。
つまり、全員がほとんど顔見知りであるようなコミュニティであれば、儀礼的無関心は成り立たないのです。
これは人間に広く見出せる振る舞いです。私たちも、同じような条件であれば無意識に同じように振る舞っているはずです。
喫茶店でも、常連客はいつも互いに「おはようさん」「今日はえらい遅いやん。どうしたん」とか言ってるのです。
いきなりジロジロ見られたからといって、喫茶店の常連客がとくべつに排他的であるとか、閉鎖的であるといえるわけではなく、コミュニティの濃度が一定まで上がると起こる普遍的な現象であると理解しましょう。
ブコメでも酒場や銭湯でも同じことを感じるというひとがいましたが、これはスナックや銭湯が地域のコミュニティとして機能しているからですね。
はてなにはアーバンなシティーボーイ、シティーガールが多いので最初は戸惑うかもしれませんが、視線が障壁になって喫茶店から足が遠のいてしまうのはもったいないので、以下、チェーン店のカフェにはない喫茶店のいいところをプレゼンします。
・おばちゃんがお菓子を配り始めるなどの意味のわからないイベントが定期的に起こる
おばちゃんたちはお菓子をはじめとして、スーパーで買ってきたロールケーキを店主に切らして配るなどします。僕がアガったのは「たこ焼き買うてきてん! 時間ないからまたくるわ!」と言ってパックを店主に手渡してすぐ帰ったおばちゃんです。パックにはたこ焼きではなくお好み焼きが入っていました。お好み焼きは切り分けられてソーサーに乗せて配られました。スタバではこういうことは起こりません。
・店に猫がいたりする
猫は触れたり膝に乗ってくれたりします。キャットカフェのように追加料金がないのがいいです。あと、おばちゃんが犬を連れてきたりします。ブルーボトルコーヒーではこういうことは起こりません。
・めっちゃ褒められる
私はアラフォーの中年男性ですが、いまだに「あらー!若い兄ちゃんきたでー」と言うてもらえます。それに、イケメンの基準がガバガバであるため、イケメンではなくても「イケメンやーん」と言うてもらえるので、自己肯定感が高まります。タリーズではこういうことは起こりません。
・安い
・煙草が吸える
長居ができるかは店によります。あと、いいことばかり書いてきましたが、喫茶店ではおもしろいイベントが起こりやすいのと同時に、不愉快な目にあうことも多いです。衛生的にもゆるかったりします。当たり外れがなく均一なサービスを求めるならば、紙コップでコーヒーを出すチェーンのカフェにいきましょう。店主がカウンターのなかでギターを弾き出したり、知らんひとにスマホの操作方法を聞かれたり、訳がわからないことが起こっても許せる人には喫茶店がおすすめです。
いろんな喫茶店の灰皿に吸い殻を積み上げて本を読みながら、私は人間のわけのわからなさをちょっと好きになることができました。
うちは妻の方が年収高くなりつつあるけど、はじめにそれを知った時には、自分がある種のショックを受けていることに驚いた。
自分では男女の立場の差とか、どちらが上だとか下だとか、プライドとかそういうのはどうでもいい、お互いの稼ぎが増えるならラッキーじゃん!というある種の飄々とした態度を取っていた認識だったが、それでも何かマイナスの感情が動くのを感じた。
妻がそれによって態度が変わったとか、そういうことは一切無い。自分の中だけで生じた感情。
それを深掘りしていくと、「自分の頑張りが足りないのではないか」という気持ちのようだった。別業種で単純比較はできないはずなのだが、結果として給料差が生じた時に、やはり能力や取り組みの差、頑張りの差、本気度の差、そういうものがあるのではないかと感じたんだろう。
そうした点を重視しないように生きているつもりだったが、普段表面化しない心の底では、収入の差は能力や取り組みの差だと感じる部分がしっかりとあったということだ。