はてなキーワード: 真夏とは
・schiele78 その…正直信用できる文章ではないなと思った。でも書いてる内容通りのことを安く請け負ってくれるならそら楽だよな
局所的に起きてることかもしれないけど元々仕事不足だったのが最近いそがしいんだよ。
一般企業から仕事降りてきてさ。だからどこもこういう傾向あるかなってね。
俺だってB型作業所全部見て回ったわけじゃないしさ。ま、わかんないね。
あと俺の文章がなんかループループしててあたおかになってたからあたおかの被害妄想みたいに感じられる部分があるからかな?
まあ逆に経営者とか個人事業主とかの目線で見ればB型作業所の障害者動かして儲ける大チャンスきてると思うね。
例えば午前午後、激安引越社です!3万円ずつで単身引越し作業請け負います!
つって作業所に5千円渡して残り取る、ってだけでボロ儲けじゃね?って思うし。
・catan_coton 同じ様な意味の事を何度も何度も書いてるのが「本物」っぽい感じがする。
まあガチの精神障害者なので本物なのではあるが、眠剤効いててメモ帳とこっちのページと行き来してコピペして書いては消して書いては消して
クソ眠い中書いたからこうなったってのもある。あたおかでは確かにある。まあ大体伝わってくれてればいいし今見たら人気エントリに入ってて結果出ててうれしかったよ
利用者の一人として。
以前までは内職や農業、クッキー作りやパン作り、ハンドメイド作品を作って売るなど、「作業」の範疇を越えないシゴトをしている事業所が多かった。
うまくやっているところではパチンコの機械の解体や、行政から入札でシゴトを貰い受け、それなりの工賃を出しているところもあった。カフェとか保護猫カフェとかも最近多いモデルだな。
今B型作業所の「作業」の労働強度が上がりつつあるのが現状だと思う。
俺が居るB型作業所でも明らかに動ける障害者を安く使うための一般企業からの格安仕事のオファーを受けざるを得ない現実がある。
曾孫請けの中抜きされまくったカスカスの労働と工賃と分かっていても、利用者のため経営のため引き受けざるを得ない、B型作業所の弱みにつけこんで。
地場の中小企業や零細企業がB型を安い労働力として着目し始めているのは、ここ最近の間違いない潮流だと思う。
最近、明らかにB型作業所の労働強度が増してきていると実感する。
障害者雇用というのがあるように、発達、躁鬱、統失、通えてる鬱や強迫などは「労働力」として十分機能する場合がある。
しかし「障害者雇用でも通用する」と作業所側が判断する障害者でも障害者雇用の門戸は狭き道だ。特に年行ってたり生活保護だったりブランクがあったりすれば。
2名の募集に50人が応募する、条件がよかったり大手企業の募集であれば300人が殺到する。そんな噂もまことしやかに囁かれる。
障害者だって施工管理技士や、なんと税理士まで障害者雇用で働いていたりする。人にはそれぞれ事情があるってわけだ。それでも月給は手取り15万という扱い。
近年、地場の零細企業、中小企業に、動ける障害者を安い労働力として利用しようとする制度のハックが知れ渡ってきている気がするのだ。
利用者はそれで工賃が上がれば嬉しいし、職員も工賃が上がれば給料が上がる。企業は人件費を削れる。
誰も損をしていない?いやこれは全国40万軒のB型作業所・利用者に対する社会保障費の盗み行為である。
地場の零細・中小企業でまともに低賃金労働を下ろしてくるところはまだマシと言える。
やりやがるなと思うのは、中抜きして下ろしてくる業者が最近かなり目につくことだ。
中抜きを何度かされた後のカスカスの低賃金労働、そう、時給150円程度に見合うまで吸われたシゴトが降ってくる。
だが我々障害者としてはそれを分かっていても請けざるを得ない。工賃のアップのために。
また、作業所としても工賃が上がれば職員の賃金を上げられるため頭を下げてでも一般就労レベル、かつB型賃金レベルのシゴトを持ってこなくてはならない。
取り合いだから。
一般労働レベルのシゴトが出来るならバイトでもすればいいんじゃ?と思われるだろう。A型にでも行けばいいと。
だが、A型に行くには「安定」が求められるし、バイトならもっと求められる。
「調子がいい時には健常者並に動ける精神・行き場と受け入れ先の無い発達」がB型に残り続け、5年、10年と過ごすリアルがある。
俺は8年目だし15年選手も居る。
俺の場合統失で安定した一般就労は出来ないし諦めているが、作業所で求められる労働レベルには耐えうる。
が、最近のシゴトはキツくなったなと肌で感じる。
生活保護を受けながら収入認定の1万5千円をB型作業所で受け取っている。それが目的で通っているわけだが。
そういう利用者はけっこう多い。生活保護にとって1万5千円の収入は大きいし、無理なく獲得出来るから。
労働労働つって、たいしたことしてないから作業所、それもB型なんだろう。って思うかもしれない。障害者の作業レベルのくせにいっぱしの労働したつもりになるなと。
だが、昔のB型作業所の緩さと保護感は今はもう奪われつつあるというのが実感だ。
最底辺の障害者が強度の強いシゴトを強いられ通えなくなったらそれは福祉として破綻を意味する。
内職や農業などで低賃金を強いるよりも業者から仕事を取ってきたほうがマシであるということで、引越し作業、緑道の清掃、スーパー銭湯の掃除、ホテルのリネン洗濯、畳み、客室の清掃、真夏の草刈り、ポスティング、マンションの清掃・ゴミ集積所のゴミ(腐敗した生ゴミと缶を分けるようなきつさ)の分別など、かなりこれって作業というより労働の下請けでは?と思うようなものが増えてきている。それでも請けるしかない。障害者の工賃のため、そして工賃が上がれば作業所の職員の給料も上がるシステムなため。
B型作業所はシステム破綻を起こしている。産業を生み出せない最貧国ラオスが児童買春で少女を5千円で売るような、そんな状況になってきていると思う。
ハックされてしまった動ける障害者を最賃を大きく下回る待遇で扱う現行の実態は是正されるべきではないかと思う。
労働強度が上がれば居場所を失う障害者が増えるだろうし、そもそも福祉として機能しない。
お上から貰える助成金は経営側が総取りし、障害者は馬車馬のようにお小遣い程度の賃金で働かせられる。
地場企業はそれに目をつけ人件費の削減、雇用の抑制に拍車をかけ地域経済にとって癌になる。
現状、まだ過渡期であると言えるかもしれない。しかしこれからさらにこの事態は進行していくと予想される。これまでの流れがそうだったからこのままいくだろう。
B型作業所をどうすべきか?どういう位置づけであるべきか?については時々議論がある。
・作業所を潰して障害者に直接お金を渡すことこそが福祉ではないか←居場所、社会参加の機会を無くすデメリットがある。
・B型・A型を統合して税金で多くの障害者を保護するべき←とはいえばA型でやっている障害者と力の差があるのは事実だしA型側は納得しないだろう。
前提条件として前日、何かしらの運動をしているといいと思う。
真夏のゴルフとか、登山とか、朝早くから丸一日掛けて、そこそこハードなのがいい。
早起きして、早めに寝られる条件が整えられるのなら別にテーマパークとかショッピングでもいいかも。
で、夜8時とか9時とか早めに寝てしまう。
すると、明け方3時ごろに起きられるだろう。
学校や会社に行くには少し早い時間だろうが、起きて朝活するほどの元気はない感じ。
頭はきっちりと6-7時間寝ているのですぐには眠れないが、身体が疲れている感じだとよい。
照明を操作できるのなら明け方のカーテンから射し込む薄暗い感じ、あるいは常夜灯などで、少し明るい状態に。
(深夜2,3時近く遅くまで起きていて、照明つけっぱなしで寝落ちした時も同じ状態になることもあった)
そんな時に、無理やり二度寝しようとする。
頭はボーっとしているものの半覚醒状態、少し気合を入れれば起きられるくらい。
身体は疲れているのでベッドに行きたい感じ。
で、ベッドでうだうだ考え事しているといわゆる明晰夢が見られる。
そこで、あーだーこーだやってると、見事カピカピおパンツの完成だ。
30も過ぎるとなかなかここまで身体を酷使することがないので、ほとんどならなくなったけど。
結婚後、なかなか妊娠できずしんどい期間の間に、仕事も仕事で嫌な事が連続して自分に価値を見出せなくなり、適応障害の診断が出て8ヶ月間休職した。その間に自己分析やらカウンセリングや認知行動療法で自分が心から嫌なところや求めているもの、どう行動すべきかを見定めようとしたけど上手くいかなかった。
やりたいことと、現実がうまくマッチしなくて、やりたい事を結局実行できずなあなあにしてしまった。
そうしてるうちに不妊治療の体外受精がうまくいって子を授かり、妊娠中に4ヶ月だけ仕事復帰し、ゆるく働かせてもらい産休に入った。
このように逃げるように産休育休に入った当時の私にとって、仕事復帰は遠い先の話でともすれば永遠に来ないんじゃないか、だからいいやどんなに辛くても。とりあえず出産と育児が楽しみ。と先延ばし癖の一種のような考えで思考の端に追いやっていた。
そこから出産し育児が始まったのだが、子は可愛いが自分に育児が向いていないと常々思っていた。
新生児の時はとにかく寝たくて仕方なかったし、無反応の赤子を相手に絵本を読むのもなんかしっくりこず、ひたすらプーさんのメリーを回していた。
少し動くようになって、笑うようになったきたらより可愛く感じた。
なぜか外(支援センターや児童館)にいると1人で遊んでくれるけど、家だとひたすら私がマンツーマンで対応しないと泣くので、真夏でも毎日支援センターに通っていた。側から見ると頑張ってそうだけど、自宅保育に耐えられなくて出ていた感じ。
そこからは1歳過ぎの今までもうずーっとママママなので、子が起きてる時はまじでなんもできないのでなるべく長く寝ててくれ。と毎日ひたすら祈ってた。
ここでふと気づいた。自分が「早く保育園入れて復帰したい」と思っていることに。
絶対死んでも嫌だった仕事復帰を望むほどに育児が辛かったのか?というとそうではないけれど、なにもかもが自分のペースでできず、ひたすら同じ本を何ループも読まされ、髪を引っ張られ身体をぺちぺち叩かれ、気に入らないことがあるとすぐ泣き叫ぶ子を余裕持って慈しむことに向いてないんだなと感じた。
でも私は子を生活の中心にし自分を滅することができる人ではなかった。
「今が1番毎日幸せ」とニコニコ笑って言うママ友に尊敬の念を抱くと同時に、自分が不良品の母親に思えた。
私はまた逃げるように仕事復帰し、この後はどう感じるのだろう。仕事と育児、どちらが自分にとってマシなのか、また別のところに逃げたくなるのか。
仕事復帰が怖い。
こないだJR福知山線脱線事故の記事を読み、いろいろと忘れられなかったので昔の自分の事故のことを忘れないように記す。
自動車とバイクの衝突事故で、夏の暑い日だった。私はバイクを走らせていた。
まず、ぶつかるとき、ああ、これはぶつかるなと思った。よく、事故当時はスローモーションに見えたというような供述を耳にするが、例に漏れず私もこの瞬間はスローモーションというか、ぶつかるまで数秒もなかったはずなのにやけに冷静に思考する時間があった。車がすぐ近くにあって、ああ、これはぶつかるな、と思った。そしてぶつかって、運良くかはたまた運悪くか意識がずっとあったので、自分が地面を2回バウンドしてゴロゴロと転がったのが分かった。ちなみに、 ぶつかるまで車の存在には全く気づかなかった。事故なんてそんなもんだ。
真夏の日だったので、熱せられたコンクリートに転がって地面がすごく熱かった。ぶつかってもちゃんと頭にハマっていたフルフェイスのヘルメットを自分で外した。とにかく熱くて呼吸が苦しかったのだ。どうしたって地面が熱くて、熱い、とぼんやり言った。起き上がろうと思ったがなぜか起き上がれなかった。不思議なことに全く痛みはなかった。意識はずっとあったにも関わらず。思考能力もそのままで、このままでは待ち合わせに遅れてしまうな……ということを考えていた。相手に連絡を入れようと思ったが、いかんせん体は動かず、スマホなんて意識の外側にあった。あとで知ったが、私のバイクは大破し廃車となり、荷物もバラバラに吹っ飛んでしまっていたらしい。そのときは、意識もあったことから割と事を軽く考えていた。救急車に乗せられても、救急車って居心地が悪いんだなあとか、おそらく事故を見て車から降り、熱いと言った私に日傘をかざしてくれていた女性のことを呑気に考えていた。病院に運ばれたあとも救命救急センターの処置室の中で遠方に住む親に特に命に別状がないことを明るく伝えたりしていた。実際はそれなりの事故であったみたいで長期間入院することになり、フルフェイスのヘルメットでなければ死んでいたかもと医者に言われたりした。身体が動かない期間が長く、リハビリを開始したときは元から大して運動してはいないはずなのに全く動かなくなっていた自分の筋力の衰えにかなり動揺したりしたものだが、看護師や理学療法士、同室の患者たちのの温かいサポートもあり退院までの時間を思うほど苦痛なく過ごすことが出来た。
私はフルフェイスのヘルメットを被っていたこともあり軽い事故で済んだが、脱線事故は自分を守るものもなく、意識なく命を奪われた方も多かっただろう。意識があっても苦しみのまま命をなくしたり、数ヶ月入院したり後遺症が残った方も少なくないはずだ。
二両目は尼崎のマンションに沿うようにくの字にひしゃげ、三、四両目も脱線し、足りないと騒がれた一両目はマンションの駐車場に突っ込んでいたりと……脱線事故の記事をいくつか読んだが、凄惨なものばかりで本当に心が痛くなる。
私から言えることは、バイクに乗る者は必ずフルフェイスのヘルメットをつけて欲しいということだ。フルフェイスだったから、私は死なずに済んだし、口元はさすがに血だらけであったが顔に傷をつくらずに済んだ。そして真夏であれど軽装では乗らないで欲しい。当時私はサンダルを履いていたが、片方は遠くにふっとんで、足首の傷が一番深く今でも残っている。馬鹿な私を元に学んで欲しい。交通事故が一件でも少なくなることを祈っている。
スケジュールや撮影場所の制限の都合なのか早朝の時間帯に撮影したと思われるシーンがときどきある。
明らかに太陽の位置が低く影が長く伸びてしまっているので、日の出とともに撮影しているのだろうなというのが何となく分かる。
【追記】
皆さん反応ありがとうございます。
言葉足らずだったのですが、正確には「早朝に撮影された"劇中では明らかに早朝ではない(もしくは早朝である必然性がない)シーン"」が好きなのです。
上記の例だと、
・ストリートカフェ : 早朝から街中のカフェって徹夜明けか?それにしても開店するのが早すぎる
・地域のお祭り : 人出が増えて盛り上がり始めるのは普通は昼くらいからでは?みんな昨晩興奮して眠れなくて朝から全力で楽しんでるのかな?
・戦隊・ライダー : 都心から離れた場所で戦うことが多いんだから午後イチくらいのアポの方が都合が良いのでは?それとも真夏だと熱中症対策で早朝なのかな?(スタッフや演者ではなく、戦隊・ライダー・怪人が、です)
みたいな感じで劇中の状況と実際の状況がかみ合っておらずチグハグでツッコミどころがある(と私は思っている)のがジワジワくるので好き、という感じです。
そういう意味だとブラタモリは、前日入り→翌日早朝から一日ロして当日中に帰京する、と考えれば不自然なスケジュールではないので番組自体は好きですが上記の好きには該当しません。
仮面ライダー龍騎といえば、映画(EPISODE FINAL)では「劇中は真冬だが撮影は春~初夏」という事情により、演者はニットやダウンなどで防寒完璧なのに背景の木々は青々とした葉が茂っていてクソ暑そうである、という状況がチグハグなので同様に好きです。
結論から言うと、皇居の東側の民には、折りたたみ自転車がおすすめ。
皇居の西側の民は、まず「ドコモバイク」みたいなシェアサイクルで試してから電動なり買うと良き。
まず、地形がポイント。
東京は意外にも高低差があり、ざっくり言うと、皇居の西側は坂が多く、東側は平坦な地形が広がっています。
■ 西側エリア:坂道が多い地域がそこそこあるため、電動アシスト自転車が便利
五反田・渋谷・中野・新宿周辺など、起伏のあるエリアが近い街に住む場合は、電動アシスト付きの自転車が良い。
ただし、都内は駐輪場についてはシビアなこともあり、いきなり購入しても日常で使うかわからない。そんなときは、都内のあちこちにあるシェアバイクを、まず6月くらいまで使ってみる。
台東区・墨田区・江東区・中央区あたりは、坂道がほとんどないため、自転車での移動がしやすいです。
東京駅近くからディズニーリゾート(舞浜)まで自転車で行ったこともあるよ、時間はかかるけど、疲れなかった
※途中に橋があり、そこだけは多少の坂があります。
ロードバイクは東京での暮らしでは気をつけたいポイントがあります。
1. 荷物の運搬に不向き
カゴがついていないことが多く、荷物はリュックで背負うことになります。ロードは汗をかきやすく、背中がびちゃびちゃになるのがいやでした。
高価な車体は外に置きにくく、屋内保管が求められることも。
また、屋内駐輪場ならともかく、屋根付きの駐輪場は、風雨で濡れることは避けられない。実際、うちのマンションの住人の自転車は1年経たずに錆びついてる。
そんな中で、多くの場面にフィットするのが折りたたみ自転車です。
• コンパクトなので玄関やベランダに置ける。天気予報で部屋に入れるので、雨ざらししにくく、サビ対策も万全
• 必要ない時期は小さく畳んで保管しやすい(真冬と真夏は流石に乗らないよ)
というわけで、いつのまにか、自分の好きなミニベロの折りたたみ自転車をおすすめするという妙な方向になりましたが、満員電車に乗らなくて良い点だけでも、ロードだろうがなんだろうが自転車おすすめですわ。
初めて北京旅行に行ったら必ず訪れるであろう天安門広場と故宮。もちろん今回の旅のメインである。どちらも人数制限あり、前日までの予約必須ということで、行き当たりばったりの計画では中に入ることができない。基本的に北京の観光地は中国人向けであり、外国人にとって予約の難易度が高くなっていると思う。そりゃ、10億人以上も国民がいるので国内需要だけでものすごいわけですよ。
ガイドブック等を見ても、個人での予約は難しい。現地ツアーか代理店に頼むべし、みたいなことが書いてあることが多いが、増田は事前準備を進める中で、個人でも大丈夫だな、と判断し代理店等は使わずに予約完了できた。3月中旬は旅行の閑散期だったから出来た話かもしれないが、個人で対応するのが好きな方は参考にしてもらえれば。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
まずは予約編。他の観光施設と同じようにWeChatのミニプログラムから天安門広場を検索、起動して予約する。天安門広場の入場は無料だが、時間帯別(日の出、午前、午後、日没〜夜間の4つ)があり、それぞれでチケット枚数の上限があり、前日までに予約が必要。また、1回の予約は大人4名(6歳未満を含めた場合7名)までしかできない。そして1台のスマホで同じ日時の重複予約はできない仕様。今回の増田一行は7名なので、増田夫婦で4名+3名でそれぞれ予約しないといけなかった。天安門広場は毎日、日の出と国旗掲揚をして、日没で降旗する儀式をやっているので、それを見たい人向けの予約時間帯がある。増田は午前枠で予約したが興味があれば試してみて。
天安門広場や故宮周辺はタクシーの乗降が制限されているエリアで、DiDiを使ってもここまで来れないので、地下鉄を使うのが一般的。天安門広場の入口は4箇所あり、増田一行は地下鉄1号線の天安門東駅から入場した。9時ぐらいの到着だったが、地下鉄駅からすでにすごい人だかりができている。天安門広場へ向かう人のほか、故宮へ直接行く人、天安門広場横の国家博物館へ行く人で溢れている。列を間違えないように天安門広場へ入るセキュリティチェックのゲートへ並ぶが、ここでトラブルが発生。WeChatのミニプログラムを開くと、増田が手続きした4名分の予約がごっそりと消えていた。予約完了後にスクリーンショットを取ってあったので、予約したのは間違いないのだが、消えた原因はさっぱりわからない。また、増田妻が予約した3名分は問題なかった。セキュリティチェック前の入場券確認でやっぱり引っかかり、スクリーンショットを見せてもやはり通してもらえず、英語で一生懸命説明するが、係員も英語できないので5分ほどここで停滞。老人がいて7名中3名のチケットはあるので最後には、しょうがねーなー、という感じで通してもらった。係員さん、ありがとう。
天安門広場は南北に広い広場になっている。北側に国旗、真ん中に人民英雄紀念碑、南側に毛主席記念堂がある。道路を挟んで北側に、毛沢東の肖像画が飾られた天安門が見える。その広さに圧倒されるとともに、どうしても天安門事件を考えてしまい、当時の学生デモの状況や戦車による鎮圧などテレビで見た風景が脳裏に蘇ってくる。広場自体は見学するところも特にないので、記念撮影などをそこそこにして北側にある故宮へ向かう。
北京観光のメインディッシュ。これまたとてつもなく広いので、ずっと歩き回らないいけない。今回は春で天気も良かったので過ごしやすかったが、真夏、真冬は大変だろうなと思う。事前に映画「ラストエンペラー」とか日本でも放映されている中国の宮廷ドラマなどを見て予習すると更に楽しめると思う。
まずは予約編。ガイドブックでは中国の電話番号がないと予約できないとか、予約可能枠は瞬殺で無くなるので、個人での予約は難しいようなことが書いてあり、当初はVeltraなどのツアーサイトから予約しようと思っていたが、準備編に書いたように中国の電話番号を手に入れて、WeChatの故宮のミニプログラムで予約の仕組みや連日の予約状況を調べて行くにつれて、これは個人予約でも大丈夫そうだなと判断した。7日前から予約可能で、午前・午後枠を選ぶ。午前枠でも出る時間は午後でも構わないが、12時までに入場しないといけないので注意。午後枠は11時から入場できる。入場料は一般20元、老人(60歳以上)10元、幼児枠はあるが未成年の割引はなかった。その他オプションで鐘表館、珍宝館の入場券(それぞれ10元、老人半額)が選択できる。機会損失の無いよう買っておいたが、鐘表館は入らなくてもいいかなと思う。珍宝館のチケットは、九龍壁など通常券では見れないエリアがあるので買う価値があると思う。
1回の予約で5人分までしか予約できないが、複数購入ができるので2回に分けて購入した。予約にはもちろん全員分のパスポート情報が必要で、最後に電話番号の入力がある。ここで日本の携帯電話番号を入れると弾かれて購入できない。増田は中国の電話番号を取得済みなので、無事に予約完了となった。ただ、SMS受信をしてアクティベーションするわけでもなさそうなので、中国の電話番号の法則を調べてダミーの電話番号を入れて購入する裏技があるみたいな情報も見かけた。(何があるか分からないのでおすすめはしない)
さて、いよいよ入場であるが、天安門広場から地下を通って天安門城楼をくぐって故宮の入口まで歩くのだが、入口につくまでが長い。感覚としては7〜800mぐらい歩く感じだ。そして入場の列に並ぶのだが、これまた長蛇の列になっていて、並んでから入場まで20分ぐらいはかかったと思う。大同古城編でも書いたが、清朝の着物のコスプレサービスを提供する店が多数あり、故宮見学の人の中にも多数の皇帝、皇后の衣装をまとった人たちがいた。日本語を話しているコスプレの人もいたので、興味があれば調べてチャレンジして欲しい。いつものようにセキュリティチェックとパスポート読み取りをしてようやく入場。隣の列にいた西洋人カップルは女性の方だけがパスポートチェックが通らずに止められていた。こういう場合どうなるんだろう?と心配になった。
そして故宮の中も広い!広い!広い!入場までにも天安門、端門、午門と3つの大きな門を抜けているが、さらに太和門を抜けて、ようやく皇帝の執務室?である太和殿に着く。でもこれまでは前半部分でしかなく、後宮である居室はもっと奥にある。太和殿の左右のエリアにも、それぞれ見どころはあるのだが、全部見るには体力がものすごく要るので、今回はメインどころしか見ていない。旅行前にドラマや映画で予習をしておけば、もっとこだわりの見学ができるかもしれない。
太和殿を過ぎたあたりでお昼の時間になり、疲れてきたところでもあるので昼食を探す。故宮内にはいくつか故宮餐庁と呼ばれるレストランがある。日本だったらこのような観光地のレストランは1〜2時間待ちになりそうなものだが、中国人は食事を持ってきているのか、行列はできているが、ちょっと待てば入れそうな雰囲気だった。増田一行はベンチが確保できて休んでいたのでレストランには行かずに売店でホットドック(爆汁熱狗棒)4本とサンドイッチ(かなり本格的で美味しかった)3セットを買って食べた。合計170元、観光地価格ではあるが、十分な量があり満足した。
昼食後にオプションの鐘表館と珍宝館を見学する。鐘表館は清朝時代の時計が展示されており、前半はフランスやイギリスから献上?されたものが展示され、後半は中国国内で制作されたものがあった。10分も見れば十分かなあと思うので、特別な思い入れがなければパスしても構わないと思う。珍宝館は太和殿から見て東側のエリアにある。その名の通り、中国の秘宝を展示しているのだが、貴重なもの(翠玉白菜とか)は蒋介石が台湾に持っていってしまったので、そんなに有名なものはないと思う。(増田が知らないだけかもだが)ただ、このエリアには九龍壁などがあるので展示物は見なくてもオプション料金払う価値はあると思う。ご参考まで。
東側の珍宝館エリアから後宮方面に移動するが、この時点がかなり歩き疲れている。後宮エリアは中央に皇帝の居室である乾清宮があり、その東西に東六宮、西六宮と呼ばれる后たちの館がある。「宮廷の諍い女」などの中国宮廷ドラマを見ている人であれば、きっと楽しめる要素がふんだんにあるのだと思うが、増田一行はドラマを見ていないのと足の疲れがピークに達してきたので、東西六宮は完全に無視して中央部のみを見学しながら出口に向かった。皇后の寝殿である坤寧宮を越えると今までは見ることのなかった木々が多数生えているエリアに入り、最後に延和門をくぐって出口を出る。中国人はどこでもタバコを吸うが、故宮の内部は禁煙なので出口の広場でタバコを吸い出す人が多く、もくもくしている。
故宮の北側には景山公園という築山があり、ここに登れば故宮を見渡すことができるようだが、思ったよりも高く、疲れた足に鞭打って登る気にはならず、またこの後にホテルの移動があるので、そのままDiDiに乗ってホテルへ戻ることにした。ただし、故宮出口付近はタクシー乗降の禁止エリアになっていてDiDiの配車も出来ないので、禁止エリアを出るために500mぐらい歩くことになった。故宮出口の北側の道路は、北京の他の観光地に向かうシャトルバスの乗り場があり、中国人はバスに乗って移動しているようだったが、仕組みが分からないので手を出していない。DiDiでホテルに戻り今日の観光は完了。今日もたくさん歩いた。義母の歩数計によると15,000歩だったそう。
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あくまでn=1でしかないただの一般人女がふつうに生きてて経験した事のある性的なアレコレについて。
女として生きること、の一例として、誰の参考にもならないかもしれないけど記録しておきたくて。
めちゃくちゃ美人な姉たちに比べて平凡な顔立ちだけど、他人から容姿を褒めてもらうことが多い方だと思う(たぶんあまり癖がなく親しみやすい印象の顔立ちだから。自分自身では本当に中の中くらいの認識)。
中肉中背の一般体型、胸はサイズ的にややある方だけどぱっと見そこまで目立たないと思う。
トータルでみると、どこにでもいるような、別に目立つとこのない普通の人間です。
私立で自宅から少し遠い学校に通ってたので電車通学だったんだけど、まだ日も明るい下校時に。
家の最寄りに着いて、友だちに手を振りながら電車を降りて一人になり、ホームから改札へ向かう途中の登り階段でお尻を触られた。
階段もあと少しというところでお尻に何か当たったので、「あれ?ランドセルのフタでも開いてブラブラしてるのかな?」と思って、パッと手を後ろに回したら何か生温かいもの(人の手)に触れた。
びっくりして後ろを振り返ったら若い男の人が私の真後ろに立っていて、あまりの近さに思わず「え?!」と驚いて声を上げた。
そうしたら男の人は今登ってきた階段を駆け降りていき、そのまま走ってどこかに行ってしまった。
当時の私はまだ幼かったので「痴漢」という行為そのものを知らず、なぜ男の人が私のお尻を触っていたのか理解できずにいたのだけど、家に帰って親にその話をしたらサッと顔色が変わって怖い顔になったので、「あ、もしかして私は危険な目にあったのかも」とその時自覚したのをよく覚えてる。
学校から駅までの道を友人と歩いていたら、脇道の方からおじさんに声をかけられた。
ふと顔をそちらに向けると、社会の窓から出したものを自慰してこちらを見ているおじさんがいた。
数秒固まったのち、とにかく逃げなければ!と走った。
なんとか駅まで逃げのびて駅員さんに助けを求めたけど、結局そのおじさんは捕まらず、後日学校から露出狂注意のお知らせが配られて終わった。
中高は女子校に通ったのだけど、校舎の周りに女子生徒目当ての不審者が来る事案は何回かあった。
プールの授業を覗きに、真夏のかんかん照りの暑い中フェンス越しに何時間も立ってる若い男の人がいたり、
マラソン大会で校舎の周りを走っていたら、おっぱい揺れてるねー!いいねー!と声をかけてくるおじさんがいたり。
わたしが自分のサイズ探してるのをおじさんが一緒に覗き込んできたり、その後わたしの胸を明らかに見てたり(サイズチェック?)、わたしが一度手に取って戻したブラをそのおじさんが手に取ったり。
別に直接的に何かされた訳ではないけど、意図もわからないし怖かったな。
太ももの裏に何か触れて、混雑してたから誰かの荷物か、たまたま身体が当たってしまったのかと思って最初は特に気にしてなかった。
その後しばらくしてまた触れて、また何か当たったかなーとしばらく放置していたら、明らかに表面を撫でるような動きをしだしてゾッとした。
それでも私は冤罪が怖くて(当時はちょうど「それでもボクはやってない」がアカデミーに選ばれたか何かですごく話題になっていた時期だった)、とにかく確証をもたなくては…と恐る恐る太ももに当たっているものに手を伸ばしたら、明らかに人の手に触れた。
そしたらぱっとその手が太ももから離れて、私は怖くなってすぐに次の停留所で降りた。
痴漢だって確かめはしたのに怖くて声を上げることはできなかったし、思春期で親に言うのもなんか憚られて、誰にも言えずしばらくはバス乗るのが怖くてなんやかんや理由つけては親に車で送ってもらってた。
書き始めたら思ってたより長くなってしまったなあ。まだ高校じゃん。女子校卒業してからの方が色々あるんだけど…
そっちの方が内容は直接的になるし重いので、ここらでちょっと分けて、また気が向いた時にでも書こうかな。
女ってだけで、別にめっちゃ美人とかセクシーとかでもないのにこう言う目には普通にあうんだよね。小学生の頃からさ。
私はミソジニーではないです。なぜなら、たくさん善良な男性に助けられ守られ、大切にされてきたから。上記の嫌な目にあったときも、沢山の男性が心配して守ってくれました。あの時助けてくれた駅員さん、学校の先生、話を聞いてくれた男友達、いつも心配してくれるお父さん、本当にありがとう。
現物はさすがに無理だったからニコニコ動画でみた。若者世代として
パアン(大破)
よく書かれるこれだけど実は全く大破ではない
ていうか音の割に車内の被害なさすぎ
そしてなぜか運転席に頬に傷がある男がひとり
カメラが引くと追突した場面…と思いきや
ピッタリ駐車してるようにしか見えない
やべぇよやべぇよ…と言ってるやつに歩いてくる男、銀色のスーツなんかかっこいい
それで窓を叩くとかじゃなくてドアを丁寧にあける被害者の人
意外と冷静
「弁償しろ!」とか言うのかな?と思いきや
「おいゴラァ!免許持ってんのか」
「免許見せろ!」
に屈っしたのかモタモタ財布から免許証を渡す運転手の人(なぜか日本代表ユニフォーム)
財布にはたくさんポイントカード(?)
顔写真を指で隠しながらまじまじ眺める
(初めて免許証みたんかな?)
「よし、お前らくるるぁ(車)に付いてこい?」
なにがよしなのか
ていうか「弁償しろよぉ!」じゃないんだ
ドアを丁寧にしめて互いに見つめ合う加害者
まるで小学生
ていうかこの時点で逃げられたよね。絶対
事務所(?)のシーン
で、ふんぞり返る被害者に
さっきの被害者の誰でもないぞ??
「やだよ」と被害者
そりゃそうだ
それでも「お願いしますすいませんでした」と
ゴミ屋敷化した文化住宅に一人で住んでる無職で、冷房がないからか真夏の夜にパンイチで道に寝転んでたり、隣家の台所の窓の前に立って「殺したんぞ…殺したんぞ…」って何時間もつぶやいたりとかなりの危険人物だった
「これええこと書いてるから読んで」って新興宗教が発刊してる本を隣近所に配るようになり、信者のコミュニティに属し人と関わるようになったからか徐々に異常行動がなくなった
これが元々マトモな人なら新興宗教にハマっておかしくなってしまった的な悲劇エピソードなんだろうけど、無敵の人予備軍から新興宗教にハマってる変人へのジョブチェンジだから、いつやらかすかと戦々恐々としてた近所の者にしたらありがたい