はてなキーワード: 水と油とは
掃除しても「綺麗になった」という実感がわかないのでひたすらストレス。
綺麗になったというドーパミン?による報酬がないからひたすら汚いものを見たという不快感だけが残る。
思うに、「綺麗になる」のメカニズムに納得できていないから綺麗になった実感がないのではないか?
掃除って菌がいない状態を作ることが目的(というより、菌がいると人間に害を成すからその予防?)だと思うから、見た目が綺麗になることは直接的な目的じゃないんだよな。目に見える汚れは将来的に菌を繁殖させるから、その予防として目に見える汚れも取り除いているだけで。
未来の菌は予防できたかもしれないけど、今そこにいる菌は取り除けたわけじゃないよね?という感覚があるから綺麗な感じがしないのだ。
今そこにいる菌を取り除けるものってなに?アルコール?塩素系漂白剤とか?
風呂場の中性洗剤とか、弱酸性とかアルカリ性とかなによ?中性洗剤とは界面活性剤らしい。界面活性剤は水と油を混ぜ合わせるらしい。水と油が混ぜ合わさるとなぜ除菌ができるのか?
さっぱりわからんちん。
なんかどっかで馬鹿を騙そうとしてないか?という疑問は浮かべども、どこか嘘なのかわからないから、結局どうやれば綺麗になるのかわからんまま。
気持ち悪いなー。
メイク自体は前からついてたけど、サムネとか写真のフォトショでの肌の修正も露骨
格ゲー界隈も女さんが大量流入して、それ自体は別に良いも悪いもないけど共感ベースのコミュニティになってて俺なにやってんだろうって思うようになった
ストリーマーはどうせ放っといたらブームが去って消えるだろうと思うけど新規ファンとは水と油かもなあ
なーんか居心地悪いんだよな今
頭良すぎて周りから理解されない系のときどが観測気球かのように、自分が温くやってるウエイトを持ち出し一見関係ない合同筋トレ動画であえて「こういう趣味は歴が大事ですから」と言ってたけど意味を理解してない奴から馬鹿にされてたな
経済的には有り難いんだろうけど、それとは別な部分までときどはウメハラと同等以上に状況を俯瞰して見てると思う
この2人はやっぱ他と違うなと改めて思わされる
増田はあまり知らなかったのだが最近ハマったので話をさせてくれ。
年齢層にもよるだろうが、リアルアキバボーイズ(RAB)について知っているかと聞かれたら
①知らない。
②昔ニコニコ動画のランキングに上がっているのを見たことがある。メンバー等までは知らない。
③メンバーの名前を知っている程度には見ていた。最近はよく知らない。
④ここ数年で活躍を目にした。
大体こんなもんに分類されると思う。
増田は昨年まで②であった。
しかしたまたまYoutubeに出てきたおすすめ動画を繰っているうちにあれよあれよとはまってしまった。
この記事は②および③の人に向けて、増田が「知らんかった…!」と驚いた内容をお伝えしたいものである。
保護者諸氏には物足りないかと思うが温かい目でご覧いただき、間違い等あったらご指摘いただけるとうれしい。
増田の記憶の中のRABは、ニコ動のランキングで見かける、5人位でコミカルなダンスの動画を定点カメラで撮ってる人たちであった。
2010年代前半までは、創始者1名(動画等にはあまり参加しない)+5名の、ブレイクダンスのチームだった。
生年は1983〜87年、ダンスを始めるきっかけはめちゃイケの岡村、涼宮ハルヒやらき☆すた、ナデシコやゼロの使い魔あたりがオタク活動の全盛期だった世代である。
それぞれブレイクダンサーとして活動し華々しい戦績を上げていたメンバーが、オタクという共通項を通じて結成したのがリアルアキバボーイズというチームだ。
2006年の結成からはダンスバトルに出たり、ブレイクダンスのイベントでアニソンダンスを披露したり、それで審査員にガチ怒られしたりしていたらしい。
2011年にスター☆ドラフト会議という番組に出てチェックシャツをタックインしたオタクという演出をつけられ(そして劇団ひとりがメンバーの私物のフィギュアを食うパフォーマンスをして2chで死ぬほど叩かれ)、その余波でなんかメジャーデビューしてみたり、
その後チェックシャツを継続したまま踊ってみた動画でニコニコ動画のランキングを席巻したりしていた。
彼らは2016年に、「アニメ化する」「武道館でライブをする」という目標を打ち立て活動を続ける。
生年でいうと1992〜96年。彼らはRABが開拓した「アニソンダンスバトル」のイベントで揉まれてきた世代である。
それまでブレイキンのチームだったRABだが、ここでそれ以外のダンス要素が加わった。
生年は2006年。RABが結成された年に生まれたそのメンバーは、加入時15歳にしてダンス歴12年。天才高校生ダンサー(今春卒業)とかダンス界の至宝とかの呼び声も高い。
アニソンダンスバトルにも小学生の頃から出場しており、小さな身体で圧巻のパフォーマンスをしている様子を、今もYoutubeで見ることができる。
最初にオタク文化が好きという理由で始まったRABが、約10年下の世代、さらに10年下の世代へとメンバーを増やしていることに、増田は個人的な胸熱を感じている。
それを実現したのは、ダンスパフォーマンスはもちろんだが、アニソンダンスバトルという「場」を作ってきたからだ。
2011年に彼らがスター☆ドラフト会議に出たとき、「オタクがこんなに踊れるわけねーだろ!」というツッコミが飛び交っていたのを覚えている。ストリートダンスとオタクなんて水と油だと思われていた。
けれども彼らはそれらを繋げた場を自分たちで作り、人を集め、大人から子供まで魅了している。
2018年、RABの主催する「アキバ×ストリート」は文部科学大臣賞を受賞したらしい。
2019年の新メンバー3名(ESPICE)加入以降、一つ重要な変化がある。
RABは、かっこつけるようになった。
悪い意味ではない。
もともと彼らはダンスの分野で世界一になったり日本一になったりした実力者揃いなので、そもそもちゃんとめちゃくちゃかっこいい。
だが、初期メンバー(ROOTS)の動画は「高いスキルを使ってふざけ倒す」ものが多く、カメラも固定がメインである。
はじめから終わりまでかっこいい振付の動画であっても動画終わりの「おまけ」でふざけたりする。
だが、ESPICEが加入し、彼らが動画の振付や監督をするようになると(RABは振付・監督をそれぞれが行う)、
アップやカット割、照明を駆使した凝った演出、チェックシャツ以外のかっこいい衣装の動画が増えた。
それがまじでかっこいい。
これは私見だが、ROOTSの世代が持ってるどこか古いオタクの恥じらいみたいなものの軛が、ESPICEの世代は比較的薄いんだろうなと思う。
オタクだろうと、がっちりきめてかっこよくしてかっこいい!と言われるのが不思議ではない世代。
そして、ESPICEの3人がROOTSを心からかっこいいと思っているのが見て取れる。
世界に誇れるスキルをもつかっこいい先輩をかっこよく演出したいし、自分たちのかっこいい姿も見てほしいのだなと思える。
また、メンバー加入によってダンスの種類が増えて見せ方が増えた。
ブレイキンの技だけではない、タット、アニメーション、ヒップホップなどさまざまなメンバーの特技を組み合わせた振付は常に目新しくて膨大な過去動画を見ても見ても飽きることがない。
歌手のバックダンサーとしてでなく、ダンスというコンテンツで武道館を埋めた。
武道館にはオーイシマサヨシ氏が応援に駆けつけた。彼のMVにRABががっつり登場しているためである。
なおかつて番組内でフィギュアを咥えて死ぬほど炎上した劇団ひとり氏からもからお祝いメッセージがきていた。いい話である。
YOASOBIの「アイドル」に「オイ!オイ!」の声としてレコーディング参加し、紅白でもオタ芸を披露していたし、
最近はSnowManの佐久間大介さんのソロ曲に振付・ダンサー・「オイ!オイ!」として参加している。
NHK「沼にハマってきいてみた」ではアニソンダンスバトルが特集された。
2011年にバラエティ番組で観客の悲鳴とともにメジャーデビューした彼らは、10年以上の時を経て、またメジャーの舞台に立ちかけている。
時代の変化もあるだろう。アニメやオタク趣味の立ち位置も、ブレイキンの立ち位置も、この10年で随分と様変わりした。
けれど、その時代の変化をただ享受したのでなく、変化の最前線で場を切り拓いてきたことに凄みがあると思う。
ここまで色々書いてきたが、大人が活動し続けるために必要なのは、金である。
いくら好きなことでも生活費が確保できなければ全力で取り組むことはできない。
RABの所属する事務所は、ROOTSの一人けいたんが経営している。
メンバーの一人が、事務所を立ち上げ、仲間に仕事をとってきて、給料を出しているのだ。
これは知ったとき本当に驚いた。
今でこそ、たとえばゲーム実況だとか、ボカロPとか、歌い手だとか、ネットで発表を始めたクリエイターがそのまま生業にするパターンは珍しくなくなった。
だが自分一人を食わすならまだしも、事務所を立ち上げて仲間まで食わすというのは尋常ではない。
「好きなことで生きていく」と言うのは簡単だ。
だがどこか大手の企業に所属するのでなく、自分たちで今までにないジャンルを作り上げ、大人が真剣に打ち込めるような経済規模に育て上げたのは、本当にものすごいことだと思う。
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いやほんとは、それぞれのメンバー語りとかダンスのすごいところとか好きな動画とか上げていくのが本道なのかもしれないが、まず大枠としてこのチームの物語が考えれば考えるほどものすごいな……と思ったのでまとめて書いてみた。
書きぶりから察されるかもしれないが、増田はROOTSと同世代の人間で、ジャンルは違えどそこそこオタクだ。
「好きなことで生きていく」のど真ん中は歩けないが、掠ってる業種で頑張って社会人にしがみついている。
現状に不満があるわけではないが、好きなことを極め、その結果自分たちでジャンルを作り、そこに人を集めて経済を回し、そして次の世代に居場所を与えていくRABはすごく眩しく思える。
過去のインタビュー記事で、ROOTSの一人であるDRAGONが
「ストリートダンスはどうしても勝ち負けを前提にした技術の判定に偏って、音楽の喜びが薄くなる傾向にある。でも、アニソンダンスバトルは音楽がかかった途端みんながのたうち回るくらい喜んだりして、ダンスのいちばん大事なものが集約されてる」
アニメだからとかオタクだからとかではなくて、好きなものを好きだ、楽しいと言い続けることでそんな場が作れて、それを下の世代に手渡せるなんて、大人として最高の仕事だなと感じているし、尊敬してしまう。
おいおい、なんだこの世の中は!パヨクとネトウヨ、まるで水と油、いや、むしろ水と火だ!
俺はネトウヨ、毎日ネットで暴れ回ってるわけだが、どうしてパヨクは俺にチューしてくれないんだ?
まず、パヨクってやつらは理想主義者だろ?「平和が一番!」とか言ってるけど、実際には自分たちの意見を押し付けてくる。
「お前の思想はダメだ!」って言われて、キスなんかできるか!チューなんて甘っちょろいこと言ってられねぇ。
あいつら、キーボードの後ろから「ネトウヨ死ね!」とか言ってくるけど、顔を合わせたらどうなるんだ?
多分、「あ、ごめんなさい」ってなるんじゃねぇの?それとも、逆に「やっぱりお前とは無理!」って言われるのか?そんなこと考えながら、毎日ネットサーフィンしてるわけよ。
そして、この世の中には「対話」なんてものが必要だと思うんだよな。
だからこそ、お互いにチューするなんて夢のまた夢。
俺が「おい、パヨク!チューしようぜ!」って言ったところで、「え?冗談でしょ?」って返される未来しか見えない。
そう考えると、やっぱり俺たちネトウヨは孤独なのかもしれない。
みんなが「仲良くしよう」とか言うけど、本音では「お前とは話したくない」と思っている。
油の密度が水より小さい理由を理解するためには、密度 = 質量 / 体積 という基本式に立ち返る必要があります。
密度は「一定体積あたりの質量」であり、単純に分子量だけで決まるものではありません。分子がどのように詰まっているか(分子間力や構造)も大きな影響を与えます。
たとえば、水(H₂O)は分子量が18と軽いですが、水素結合による強い分子間引力のために分子が密に詰まるため、意外と密度が高くなります。一方で、油(炭化水素)は分子量が大きくても、分子間の相互作用が弱く、分子が比較的広がっているため、密度が低くなります。
水は極性分子であり、水素結合(H₂O分子同士が引き合う力)が強く働きます。このため、液体の状態でも分子同士が比較的近づいて詰まっています。その結果、水は分子量が小さいわりに高い密度(1 g/cm³)を持ちます。
さらに、水は温度によって密度が変わりやすい特性を持っています。特に4℃で最大密度を持ち、それ以上または以下の温度では分子構造の影響で密度が低下します。
一方で、油は主に炭化水素(CnH₂n+2)からなります。これは非極性分子であり、分子同士の相互作用は主にファンデルワールス力(分散力)によって支配されます。水素結合のような強い相互作用がないため、分子が水よりも緩やかに並び、密度が低くなります。
また、炭化水素は炭素-炭素結合(C-C)や炭素-水素結合(C-H)が多く、比較的軽い水素原子が多く含まれるため、体積あたりの質量が小さくなりやすいのです。特に、長鎖の炭化水素ほど分子が曲がったり枝分かれしたりして分子間の隙間ができるため、密度はさらに下がります。
水は液体のときに分子が比較的密に詰まっているが、氷になると水素結合の影響で六角形の隙間のある構造をとり、密度が下がる(0.92 g/cm³)。油の密度が水より低いのも、これと似たように分子の並び方によって空間ができるからと考えると理解しやすい。
油の密度が水より小さいのは、単に分子量が小さいからではなく、分子間力の違いによって分子がどれだけ密に詰まるかが決定的な要因である。水は水素結合によって分子が強く引き寄せられ、密度が高くなるが、油はファンデルワールス力しかないため分子同士が緩く詰まり、結果として密度が低くなる。
え?なんだって?おぅ、聞こえてるぞ。なんだその腑抜けた面は。お前らみたいな草食系には刺激が強すぎるか?
フン、笑わせる。俺はな、ネトウヨだ。筋金入りのな。日の丸背負って靖国に散る覚悟はとっくにできてる。……まあ、まだ生きてるけどな!
で、だ。パヨクとチューしたことあるかって?あるんだよ、これが。信じられないか?
お前らみたいな優等生には想像もつかないだろうな。人生ってのはな、教科書通りにはいかねえんだよ。
あれは確か、去年の夏だったか。いつものように、ネットでパヨクどもを論破して憂さ晴らししてたんだ。
奴らの主張はいつも同じ。平和がどうとか、人権がどうとか。綺麗事並べてんじゃねえ! 現実はそんな甘くねえんだよ!
まあ、いつものようにキーボード叩きまくってたら、妙に腹が減ってきてな。近所の居酒屋にでも行くか、と思って家を出たんだ。
そしたらよ、店の前でデモ隊と鉢合わせしたんだよ。プラカード持って、シュプレヒコール上げてる。ああ、またか、と思ったね。どうせろくでもない連中だろうと。
でも、その中に一人、目が離せない女がいたんだ。ショートカットで、目がキリッとしてて。
で、まあ、成り行きでそいつと話すことになったんだ。最初はいつものように、お互いの主張をぶつけ合ったさ。
俺は日本の素晴らしさを語り、あいつは平和の尊さを説く。水と油、犬と猿。分かり合えるわけがない。
だが、酒が入って、話してるうちに、なんかこう、妙な連帯感が生まれてきたんだよ。お互いの正義を信じて疑わない、愚直さというか、熱さというか。
気がついたら、店の外で二人きりになっててな。夕焼けがやけに眩しくて、あいつの横顔が、信じられないくらい綺麗に見えたんだ。
そして気がついたら、チューしてた。でもな、後悔はしてないんだよ。
だってよ、考えてみろ。ネトウヨとパヨクだぞ?普通に考えたら、絶対に相容れないはずだ。でも、そんな俺たちが、チューをしたんだ。
たまに思い出すんだ。あの夕焼けの中で交わした、たった一度のチューを。
ただ、人生ってのは、予想外のことが起こるってことだ。そして、時には、分かり合えないはずの人間と、心が通じ合うこともあるってことだ。
さあ、酒でも飲むか!
https://anond.hatelabo.jp/20241231032626
日常会話できない彼氏と一生過ごすのキツイ(https://anond.hatelabo.jp/20241230235940)に対して投稿された怪文書
絶賛か拒絶かの両極端な感じもまた良い
おそらく正常な人間とされる人間ほど受け入れられないってことなのだろうか
増田の人格の完全否定みたいな拒絶の仕方もあってまさにこの増田に書かれた水と油というのを体現していて面白い
人間らしいとされる人間ほどロボットに見えるって考え方は人間社会を根本から否定している感じがして個人的にゾクッと来たね
正直意味不明ではあるが心のどこか嫌な部分に触られたような感じがした
2025年も良い年になりそうだ
たぶん彼氏さん側の人間だけど、根本的に合わないから、そこを理解した上で今後の関係を決めた方がいいと思うよ。
まず彼氏さんは、なんでもかんでも反応を求められることに疲れ切ってる可能性がある。
あなたには彼氏さんがロボットのように見えてるかもしれないけど、おそらく彼氏さんからもあなたがロボットのように見えてるよ。
ロボットというか、「人間らしい人間ならば、このような状況のとき、このような反応をする」とファジーに定められたキャラクター像に沿って生きた、「物語に描かれるような人間」を演じた人間に見えている。
つまり、あなたはそれが自分自身の表現だとたとえ心の底から思っていたとしても、彼氏さん側の人間からしたら、それは本来感じられるはずの中身が感じられないただの防護壁にしか見えないんだよ。
それがただ自身を囲っているだけのものならばともかく、他者にもその影響を与えようとする性質のものは、本人にその気はなくても加害性を帯びることが往々にしてあって、それ故にただいるだけで疲れてしまう。
たぶんだけど、あなたが彼氏さんにあなたと同様の振る舞いを求めれば求めるほど、それはエナジードレインのような攻撃にしかならないよ。
ぶっちゃけ水と油だけど、そもそもにおいて「表現」というものを「内」なるものの発露として見ている人と、内なるものの「外殻」として見ている人の二種類がいるってことを知っておくといい。
人間らしいとされる振る舞いをする人間ほど、人間らしさから遠ざかるように見えてしまうのが、彼氏さん側の人間のものの見え方。
わざとらしいと言いたいわけじゃないよ。
あなたの感情でも興味でも欲求でもなんでもいいけど、そういった「外側」の情報ではなくて、その「内側」が見たいんだよね。
それが見えなければ、それは人間のように見える別のなにかでしかない。
だから、これこそが私の「内側」です、と言われてしまうと、そこで話はもうすでに合わなくなる。
そういう人間は思っている以上に多い。
議員立法であれば、自公以外の野党が団結すれば衆議院を通せるということだ。
特に政治資金規正法の改正でこれは有利に働く。いろんな面で水と油な野党も、政策活動費廃止や企業団体献金の廃止については意見が一致しているはず。
野党の力で衆議院さえ通してしまえばこっちのもの。参議院で自公が抵抗したところで彼らの支持率が下がっていき自爆するだけである。
逆に言うと、それぐらいのことができなければ野党に過半数の議席を与えた意味がない。
何もせず今までのように批判だけするのであればはっきり言って野党の存在価値がないと言ってもいいだろう。
とても面白かったです。
当方、結構前ですがエジプトに計2年くらい滞在(アラビア語目的留学)、多少アラビア語を話しエジプト人と交流のあった人間ですが、イラン人(ペルシャ人)がアラブ人を嫌って見下している感じはわかります。まぁ実際、歴史的に見るとイランは先進的文化的な国で、人も繊細な感じがします。
それに比べるとアラブ人はイスラーム以降にイケイケで拡大しただけで田舎くさい感じがするし、特にエジプトは「アラブの大阪」という感じでコテコテだから、水と油かもしれません。言語もまったく違いますしね。
そして多くのエジプト人(もちろんすべてではない)はイラン人、シーア派の人を蛇蝎の如く嫌っています。無神論者とか共産主義者と同じくらいイメージが悪い感じです。キリスト教徒のことはそんなに嫌っていないし、エジプトには1割くらいコプトの人がいますから、まぁ宗派対立がないとは言いませんが、割と知っているしそれなりに共存しています。(追記:当方はイスラームへの関心もありアラビア語を学んできたので、イスラームにシンパシーがあるのですが、エジプトにいると正直、コプトの人の方が上品で話が通じる確率が高い感じです。ただ、少数派はどこでも品が良い=そうでないと生き残れない、ということかもしれません。ハーリド・アル=ハミーシーの『タクシー』という小説を勉強用に訳したりしていたのですが、この中でも、イスラーム的に非常に尊敬できる態度を取っていたタクシー運転手が実はキリスト教徒とわかり、語り手が恥じ入り、多数派エジプト人のだらしなさを嘆く下りがあります)
「同じイスラームの中の異端こそが憎い」わけですが、この「全然違うと許せるけど、ちょっと違うと許せない」という感情は一般によくあることでしょう。日本と韓国だってよそから見たらめちゃくちゃ似ていますが、だからこそ変な悪感情を抱く人たちもいます。隣国なんてそんなものかもしれませんね。
ちなみにカイロの町には稀に観光客のイラン人もいますが、服装などの違いで一目でわかります。特に女性はアップにした髪で後ろを盛り上げて前髪チラッと見せる感じが独特ですよね。顔つきもイランの人はシュッとしている印象。もちろん、嫌っているからといって道を歩いているとボコボコにされる、とかいうことはありません。
エジプト人から見た隣国のイメージについては、個人的に気になったので結構多くのエジプト人に聞いてみたことがあります。
あくまで個人の観測した範囲ですが、サウジやイラクなどの湾岸諸国についてはとりあえず「金持ち」。サウジにはエジプト人が大勢出稼ぎに行っています。
エジプトは地域大国で、アラブ諸国の中では人口で突出していますが、逆に人間以外なにもないので、サウジにはエジプト人が教職などでたくさん入りました。エジプトには世界最古の大学・アズハルがあります。その教師たちの一部が極端なサラフィー思想をサウジに持ち込み、それが後の過激派組織を生む一契機になった、とかも言われています(まぁ色々な要素があると思いますが)。
シリアについては、上品なイメージ。エジプト方言から見るとシリア方言はフスハー(正則アラビア語)に近く、なんか「京言葉」みたいな感じがします。時代劇のセリフを敢えてシリア方言でやっていることがあります。エジプト人はうるさいけど、シリア人は物静かな感じがします。
アルジェリアとかモロッコとか、いわゆるマグリブ地方については全然別世界という感じでよくわかりません。この辺は方言も非常に異なり、エジプト人でもよくわからないようです。湾岸、パレスチナ、シリアあたりの言葉はエジプト人的には慣れれば問題ないようですが、マグリブはフランスの影響も強く難しいようです(エジプト方言に親しんだ一ポンコツ外国人的には、パレスチナ、シリアくらいでギリなんかわかる程度、湾岸でもうわからないです)。
ここまではアラブですが、トルコについてはイランのような悪感情は持っていないですが、文明的、支配者層のイメージ。そもそもエジプトは元々オスマン帝国の版図にありましたし、あの辺りは日本のようにネイションの区切りがわかりやすくなく、例えばエジプト人なら「エジプト」「アラブ」「ムスリム」と複合的なアイデンティティのあるものですから、割と連続的なのだと思います。トルコ系の血の入った人は沢山いて、トルコ語由来の言葉も多いです。
エジプトに行くと「旦那!」「ミスター!」みたいに呼びかける「バシャ」という言葉をよく聞くと思いますが、これもトルコ語です。ケマル・パシャとかの「バシャ」。アラビア語はPとBを区別しないので(日本人にとってのRとLみたいな)、「バシャ」みたいに発音します。
話がズレますが、イタリアとエジプトは地中海を挟んで目と鼻の先なので、イタリアとも言語的に被るものがあるようです。アレキサンドリアなんて地中海文化で、大昔はローマ帝国の一部でしたからね。
こういう風に色んな支配者が入れ替わってきた地域の歴史を考えても、アラブの拡大があくまでイスラームの拡大であったのに対し、イランはイランで割と確固としてあり続けていますよね。イスラーム化することでアラブ化した地域と、ムスリムにはなっても自分たちの言語や文化を維持した人たちがいるのだと思います。
ざっと調べてみたところをまとめる。
擦るな擦るな擦るな
安い化粧水をじゃばじゃば使え
まず根本はこれ。皮脂を落とすクレンジングや、化粧水を塗るために擦ったりは肌の刺激になってよくない。
極論、皮脂を落とすような洗顔を洗わなくていい。
ハトムギエキスだとかいろいろ含まれているが、肌につけて液体が作用するのは角質のみ。真皮などには到達しないので、人体への成分の効果はない。
じゃあなにが出来るか=何をしたほうがいいかというと、角質、皮脂が行なっている水分維持などを同じく+アルファする程度。
具体的には安全性が高いグリセリンなりワセリン(あとなんとか酸とかコラーゲンとか)。でもそれらはほぼ100%どんな化粧水にも入っているので、自作の水割りとかが面倒なら安い化粧品でいいんじゃないか。仮に何がしか他の成分がよいとしても、適当に選んだ化粧水にそれか類するものは入ってるよ。
極論、医薬品ではないし、殆どは医薬部外品でもないし、医薬部外品でもまあ…効果を個人で検証できるか?(個人の感想です ブラインドテストするほどやる気ないし)。
なお、これは「肌への効果」の話であって、肌と何かの間に作用するものに関しては別である。といってもとても限定的であるし、化粧水のほとんどの成分は関係ないと思われる。
(角質にしか影響しないということは化粧水の成分による"長期的な"肌への"直接的な"効能もないということと理解している)
水っぽいか油っぽいかの違いだけで、やってること(できること)は水と油での保湿。
ただ、よく言われる乳液の蓋をする的な効能はワセリンを塗ったりするとあるので、お気持ちで。
クレンジングで皮脂をがっつり落としたい人(メイクする人)は乳液を(も)塗ればいいんじゃないかな。気分的に。
女性は加齢で油量が減るから補う意義はあるけど油の多さで悩む一般中年男性にとってはねぇ。
(個人の感想です)価格差で言うと乳液使わず化粧水を気が向いたときに随時シュッシュスプレーしまくるのが一番だと思う。でも子供の頃、風呂上りに母親の乳液を塗ってみたときのにゅるにゅる感は好きだったので気分を上げる・スキンケアのやる気を上げる的に乳液使うのもありかな。
結局、エキスなりなんなりいろいろ成分が入っているけれど、個別の効能はもとより含有量なんてものは(薬効成分でも)説明されていないものが殆どなので、何がいいかは試して気に入ったものを使うしかないし、実際の影響は個人差があるので気に入ったものを使うことが精神衛生上健康なんじゃない。感覚や香りとか好きにしろ。
肌に塗った成分は角質にしか影響しないと先に書いたが、肌につけたものによって肌への直接作用をあれこれするものはあるよ。
たとえば天花粉・シッカロールは肌表面をさらさらにして、はだの"すれ"、刺激を低減することであせもなどを防ぐことができるよ。
蓮舫さんの勝手連がシールを貼りまくって迷惑をかけている件だ。
立憲民主党側の一部議員たちも苦々しく思ってるが、選挙期間中に表立った批判はされなかった。
選挙後にようやくごく少数の、野党共闘とは若干距離感のある地方議員達によって苦言が呈され、清掃が進められている程度だ。
常識的に考えてこれが批判を浴び、中間層の批判を招くことは明らかなのに、何故やめさせたり批判することがが出来ないのか。過去立憲民主党の選挙ボランティアに関わった思い出とともに書く。
もともと立憲民主党の選挙の実働部隊(ポスター貼りなどのボランティア)は連合だった。もちろんそんな紐付きではないボランティアも大勢いたが、組織化されており、人数の予測が立てやすいことから主力は連合だったと言って良い。
小選挙区の中で、政権批判票を一本化したいのはわかるし野党共闘を否定はしない。
だが、連合と共産党は水と油で、この両者は絶対に交われない(その是非はここでは述べない)
それは立憲民主党幹部も理解していて、だからこそ当初「共産党が自主的に候補者を取り下げる形での協力を」と主張していた。
共産党からみて、また第三者からみても身勝手な主張なのだが、立憲民主党的には連合に配慮してのことだとすぐに分かる(もちろん共産党がこの身勝手な主張を受け入れなければならない義理はない)
結論として、立憲民主党は連合と距離を置きつつ共産党などの野党と共闘することになった。
結論から言うと、連合系からの供給が少なくなり、代わりに市民連合系(SEALDsの流れを汲む団体で、野党共闘の橋渡しをしている)、しばき隊(市民連合とかなり人脈的に被る)系の人脈に連なる人たちが入り込んできた。(当事者の証言として【CLP問題】炎上前から元SEALDs残党たちの広告会社ブルージャパンに注目していた人たち【立憲民主党】 - Togetter [トゥギャッター]など。立憲民主党が資金を提供してきた歴史もある。)
何故これらの人々が入り込んできたかというと、市民連合には共産党に近い立場の人も多く、ここが立憲民主党と共産党の橋渡しをしていたからだ。
非常に内輪色の強いのが特色で、今回の蓮舫さんのでいうと、歌ったり踊ったりとフェス色を出したり、ストリート系の文化を強調(今回のシール貼りも多分これ)したりが代表例だ。
問題点は2点ある。
1点目は、こういった取り組みは内輪の結束に効果はあっても、中間層からはむしろ引かれかねないことだ。
2点目はより重大で、この方々はこれを「若者向け」と勘違いしている点だ。この方々の主力は2000年代に若者だったため、その感覚が全く抜けていないことが理由だが、この方々は活動により「立憲民主党(共産党)への若者の支持率が低い」ことへの対策になると本気で信じている。実際は「若者に人気があるんだろうな、と信じている高齢者」にしか届いてないのだが。
話は逸れるが、「R」シール以外にも、この方々は首都圏各所でシールを貼りまわっている。レイシスト批判や維新批判のシールが主だ(関西の実情は知らない)。主張には賛同できるところもあるのだから、街を汚すのは止めてほしいものだ。政党への支持にも繋がらないと思う。
この活動をやめさせるためには、こういった人材を切る必要があるが、少なくとも早期には不可能だろうと思う。
単純に組織の内部で重用してたり、そちらに仕事を外注したりしてるし、選挙でのポスター貼りなどの主力にもなっているからだ。
一時的に選挙運動を機能停止するくらいの覚悟がないと難しいと思う。
なので、蓮舫さんに表立ってこの活動を批判することは難しいだろう。(こういったことを「善」と思い込んでいる身内への批判であり、それをすると報復(今後協力しない)がある可能性があるので)
共闘ということで、共産党の方々も選挙活動を一緒に行っている。
だが、当然共産党の方々にとっての一番の関心は共産党の勢力伸長だ。
結果として、今回の例でいうと、蓮舫さんの顔写真を印刷した、共産党への募金募集みたいなことが起こる。
こういった運動が得票に結びついている実感はなく、個人的にはお互い候補者を取り下げる形での共闘の方が良いように思うのだが。
(共産党にとっても、昔のように全選挙区に擁立するのは人的にも資金的にも厳しいと聞く。)
ちなみに、前原さんが共産党のことを「シロアリ」と評したのはまさに共産党のこういった体質によるところなのだと思う。
(その点公明党はまともで、「比例は公明」までは言っても募金や入信は求めないよね)
一応X見てると、立憲の議員とか有志でシール剥がしやってるようなんだけどね。蓮舫氏はこれだけ報じられた中で、いつまで「存在自体知らない」みたいなムーブを続けるつもりなのだろう
上でも書いたとおり、「野党共闘とは若干距離感のある地方議員」によってなされてるんだよね。
というか地方議員は、それぞれの選挙では中(大)選挙区で選ばれているわけで、共闘の恩恵がないから、わりと自由に動けるのだと思うけど。
典型例がまとめられていたので紹介する。
シールを剥がすことにすらこのような批判があることから、こういった方々やそれに近い人達を支援者として抱えている立憲民主党には、表立った批判は難しいだろう
同語反復的な、いわゆる「小泉構文」は、長らくネットでオモチャにされて既成事実化しているが、実際には発言の切り取りや捏造でしかない。
Pixiv百科事典に掲載されている「小泉構文」のいくつかを検証してみよう。
https://dic.pixiv.net/a/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%A7%8B%E6%96%87
(記者)NHKの杉田です。6条に関しては合意に至らなかったわけですが、どのような思いですか。
(大臣)まあ、これだけ、日本として、今回交渉の成立に向けて積極的に主導したのは今まであまりなかったと聞きました。私もこの期間中30回以上のバイ会談を繰り返し行いましたが、特に国連事務総長とも3回、そしてキーとなるプレーヤーともかなりの数をこなした中で、一番ね、合意できたらそれは最善のことでしたけれども、会場の今日の雰囲気を見てると、非常に楽観的でしたね。それは今回合意に至らなかったことの悲観よりも、来年のグラスゴーにこれは必ずつながるというそういった楽観論が会場の中に、空気が充満していたと思います。
「楽観論が会場の中に、空気が充満していたと思う」だけでも日本語がおかしい、という指摘もあるが、話し言葉なので多少の乱れは仕方なく、「楽観的な空気が会場に充満していた」という意味で普通に受け取れると思う。
他と並べているからおかしく感じるだけで、単体で見て変な文章とは思わないだろう。
本当の意味でのトートロジー(強調のための同語反復)的ではある。
小泉構文の代表例として有名だが、「と…」で終わっていることからわかるように、こちらは発言の続きを省略した切り取りである。
元の映像は残っていないものの、以下のような趣旨だったことがわかっている。
退院後、リモートワークができてるおかげで、公務もリモートでできるものができたというのは、リモートワークのおかげですから、それも非常に良かったことだと思っています
「リモート」「できる」が繰り返されるおかげで非常に冗長な印象だが、「リモートワークの体制が整ったおかげで、全てではないが公務をリモートで出来たというのは、これはまさにリモートワークのおかげですから、それは良いところでしたね」くらいの趣旨だと思う。
調べてもソースが出てこない。ただ「できっこないことに挑みたい」という趣旨の発言は何度かしている。
反省しているんです。ただ、「反省しているといいながら、反省をしている色が見えない」と言うご指摘は、私自身の問題だと反省している
問題に対して反省した上で、「反省の色が見えない」という指摘にも反省している、という趣旨の発言なので、別に同語反復ではない。
「本当に反省してるならぐだぐだわかりづらいこと言ってんなよ」という気持ちにはなる。
辞任するとは言ったが辞任するとは言っていない
地元の労組幹部に言われたことを紹介したもので、小泉自身の発言ではない。
「水と油を混ぜてもドレッシングにはならない」とツッコミが入っているが、油分と酢に含まれる水分とを上手く混ぜあわせるところにドレッシングの要点があるのだから、そこまでおかしな発言でもないだろう。
育児は重労働なのでぜんぜん「休み」ではないよね、という趣旨の話で、まったく変な発言ではない。
言ってる内容はともかく、論理的には正しい。毎日食べている人間は「毎日でも食べたい」とは言わない。
失言をしてしまったときに何とか余裕ぶってダメージコントロールしようとする感じが非常に悪印象ではある。
以上のように、「今のままではいけないと思います」などをきっかけに、それを面白がったネット民が、同語反復的に見える発言を無理やり探し出してきたり、あるいは「小泉が言いそうなこと」みたいな大喜利の答えを本人の発言として広めたりしているだけで、小泉自身はここまでネタにされるほど酷いことは言っていないのである。
「こいつはネタにしていい」「こいつは叩いていい」という空気になったときに、とにかく相手の粗を探してくる、何でも悪意的に捻じ曲げて印象操作をする、というのはネット民の悪い癖である。そうした態度を反省するためにも、まずは小泉に謝ろうではないか。
石丸構文ギャハハのハ!の流れで進次郎構文がまた話題にあがり出してたけど、実際に言ってないことも言ってることにされてるんだろうなと思って、「進次郎 迷言」で検索して一番目に出てきたサイトを見てみた
https://hikotore.com/koizumishinzirou/
意味わかる。出社しないとできなかった仕事もリモートワークでできるように変えましたよってことでしょ。
意味不明。気候サミットでの発言みたいなので「(地球温暖化は)今のままではいけない。だから(解決に寄与するために)日本は(温暖化対策が)今のままではいけない」だろうか。
言わんとすることはわかる気がする。政治に無関心だと楽だよね、的な?
普通に通じる。
全文じゃないじゃん。画像にある通り「体感で増えたと言うのが増えたから実数増えたか調査する」でしょ。話の内容はともかく意味はわかる。
普通に通じる。これネットだと好意的に受け取られてた記憶がある。
CMで負けないぞーってだけで普通の発言。官公のCMが民間CM上回る必要があるかは要審議。
文脈がわからんけど、おっしゃる通り連呼しただけで迷言扱いされるのは可哀想だなと思った。
普通に通じる。
今のご時世考えたら「当たり前」という反応も「何言ってんだこいつ」じゃなくて「そうだそうだ」だと思うんだが迷言扱いなのかこれ。
おそらく英語の意味として「素敵で魅力的」みたいなことが言いたいんだろうが日本で言うと一瞬意味わからんから違う言葉使うべきだった。迷言扱いでいいと思う。
という訳で迷言だと感じたのは3,9,18ですかね。
意外と進次郎構文とされるようなものでも意味はわかるもんだな。
進次郎構文って、発言の簡潔さというかスマートさみたいなものを意識しすぎて修飾語を省く割に同じ単語は省略せずに繰り返し使うせいで「aはaです」みたいな発言になるんじゃないかなと。名刺だけじゃなくて動詞まで同じなのを別の言い回しにするだけでだいぶ違うと思うんだけどなあ。