はてなキーワード: リエージュ劇場とは
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
http://anond.hatelabo.jp/20150920043545のブコメでwattoがアイコンを言葉で表現しようとして突っ込まれまくっていたのが面白かったので真似をする。
しかしpoipoichangのアイコンはウサギじゃなかったのか。ハダカデバネズミなんて説明されなきゃわかんねーw
色系
FTTH 黒い人
xevra 赤い人
cloq 灰色の人
dd369 緑の人
kenchan3 白い人
Nihonjin 黄色い人
wacok 赤と黒の人
migurin 赤と青の人
hungchang 青くて黄色い人
kyuusyuuzinn 黄色と黒の人
quick_past 肌色の人
四角系
kash06 チロルチョコきなこ味
sds-page チロルチョコソーダ味
u_eichi Excel95
人形系
c_shiika 歯の出た人形
kutabirehateko 太った人形
ene0kcal アデランスのサンプル
megazalrock ナショナル坊や
実写系
hima-ari 裸電球
shields-pikes アルコール依存症
blueboy 白人女
akihiko810 シアンインク切れ
cyberglass サイバーグラス
マンガ絵系
orangestar 鉛筆描き風
nekora 1980年代風
vlxst1224 厚化粧
wideangle 目しかない
kaionji 片目しかない
UDONCHAN 鼻がない
houyhnhm 口しかない
whkr 愛想がない
kyo_ju 胸がない
リアル絵系
kidspong 側頭部
suna_kago 側頭部
fusanosuke_n 側頭部
yas-mal 側頭部
itochan 側頭部
下手絵系
kaerudayo 子供に描いてもらったな
KIKUKO 子供に描いてもらったな
filinion 子供に描いてもらったな
inumash 子供に描いてもらったな
death6coin いつのだ?
ysync いつのだ?
ohnosakiko いつのだ?
maidcure 上下反転
north_korea 左90°回転
hmmm 右90°回転
sharia 色調調整失敗風
neco22b コントラスト調整失敗風
uunfo ・_・ を足した
sny22015 月面写真
euda リエージュ劇場
Mukke 寺
文字系
xKxAxKx け
ureyubo う
hidematu う
Lhankor_Mhy Y
m_yanagisawa Y
narwhal N
napsucks N!
KariumNitrate 我
KoshianX 狐
shinonomen 東
kashmir108 噠
Cujo 9
lotus3000 ぬけられます
動物系
多すぎるのでパス
植物系
いじりがいがないのでパス
始める前の期待を裏切ってちっとも面白くならないじゃないか!どうすんだこれ?
追記:
おば系
hyuki 怖くない
lastline 怖くない
agathon 怖い
AA系
TakamoriTarou T_T
John_Kawanishi ( ´∀`)
enderuku (凸)
taka_zyawa (・д・`)
rag_en *(’A`)
hatibuhaiker :(ノ’A`)>::(ヘヘ::
sthya __/ \/⌒ ⌒ \/(● ) (● ) ヽ| ⌒(__人__)⌒ |\ `⌒ ´ //\
深津氏の http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ とそのブコメを読んで問題が混乱してるのを感じたので書く。
ただし自分も法律の専門家ではないので,これを読んだ法律家の人がちゃんとした記事を書いてくれたらありがたく思う。
それぞれ保護の目的や保護される範囲,侵害の判定基準が異なる。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
著作権 | 創作物全般 | 創作物の公正な利用→文化の発展 | 類似性&依拠性 | 自然発生 |
商標権 | 商標(ロゴ,マーク,社名/ブランド名等) | ブランドの信用維持→産業発展及び消費者保護 | 類似性 | 登録 |
意匠権 | 製品デザイン | 意匠の創作の奨励→産業発展 | 類似性 | 登録 |
商標権と意匠権は割と似てるが,違いは商標権が商標を一つ登録するだけで(特定産業分野の)あらゆる製品についてその商標が保護されるのに対し,意匠権は製品の意匠(デザイン)が保護対象なので,製品ごとに登録が必要な点。自動車を例にとると,自動車会社のエンブレム=商標を一つ登録すると車種に関係なく保護されるが,意匠は車種ごとに登録が必要になる(自分で書いててあまりいい例じゃないと思ったが,他に思いつかないのでこのまま進める)。つまり今回のエンブレムのようなものは,意匠権での保護は難しく商標権での保護が一般的ということになる。あと商標権は登録者だけじゃなくそれを見てモノを買う人=消費者の保護も重要な目的だが,意匠権は専ら登録者の保護が目的。
1. 原案の提出
ここで問題になったのは「商標権」であり「著作権」ではない。従って侵害の有無は類似性のみに基づいて判断される。コンセプトとかは一切関係なく,見た目が似てたらアウト。但し保護目的の大きなウェイトを「消費者が誤認しないこと」が占めるので,誤認しない程度の類似なら許容される。
3. 一次修正案の提出
6. 最終版の公表
7. 最終版がベルギーのリエージュ劇場のデザイナーから著作権侵害として使用停止を求められる
ここで問題になったのは「著作権」。著作権の侵害は,類似性と依拠性(被侵害著作物を知っていて,それを真似した)の両方が立証されて初めて成立する。従って元の著作物を知らずに作ったものがたまたま似てしまった場合は,著作権侵害にはならない。佐野氏が pinterest の会員だったかどうかが問題になるのも,この「依拠性」の証明に関係してくるから。但し単に会員だったというだけでは依拠性の証明としては全く不十分。佐野氏が(一次修正案以前に)リエージュ劇場のロゴを見ていたという蓋然性が高いことを示す証拠(例えば pinterest のログ等)が必要。
他方,深津氏は「依拠していない」ことの証明として「コンセプトが違う」ことを挙げているが,これも現時点では証拠としては弱すぎる。証拠というよりは傍証レベル。まずその「コンセプト」なるものがすべて頭の中で考えられたものでしかない。つまりリエージュ劇場のロゴを見たあとでも,言い訳としてそのようなコンセプトを考えることは極論今からでもできる。「いや,このコンセプトでずっと考えてたんですよ」ということを示す物証(ラフスケッチや素案,メモ等)が出てくれば多少マシだが,それでも「見ていない」証拠としては弱い。ただこの場合挙証責任は基本的に訴えた側のドビ氏にあるので,よっぽどマズい法廷戦術をとって挙証責任を押し付けられない限り,佐野氏側は「依拠していない」ことを証明する必要はない。
ちなみにもしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたとしたら,商標権での争い,すなわち類似性のみでの争いになるため,「専門家であるデザイナー」諸氏がどれだけ「コンセプトが違うから違う」と言っても一笑に付されていたはず。もっともそうなる前に商標調査で引っかかった可能性は高いし,また類似性のみの判断になるとしても消費者が誤認するレベルかというと正直微妙だとは思う。
以上に書いたことを冒頭に挙げた深津氏の記事,特に「まとめ」の直前に掲げられている5項目と読み比べてみるとわかると思うが,2番目の「コンセプト」の話以外はだいたい同じ。2番目の「コンセプト」の話も「コンセプトが違う」ことを以て「(著作権侵害で問題になる)依拠性はない」という主張を補強する傍証としているだけで,デザイナーの専門性とかは本質ではない。
つまり,深津氏は「法律的には問題ない(はず)」と言っているだけなので,だったら「この問題の専門家はデザイナーじゃなくて法律家じゃね?」と考える次第である。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
特許権 | 自然法則を利用したアイディア | 発明の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
実用新案権 | 自然法則を利用した物体の形状や構造に関するアイディア | 考案の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
特許は機能を実現する方法や装置などの技術的手段のアイディアを保護するもの。実用新案も,特許をラスボスとした時の中ボスみたいな位置付けだと思うので,意味的には特許と変わらない。いずれも機能とは無関係な表現としてのデザインの保護とは全く異なるので,そもそも特許制度と比較してどうこうというのは筋違いだと思う。
よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
なんというか、この記事を読んで「この人って常識も教養もないのか?」って思った。
もしこの見解が「デザイナー界隈の最大公約数」というのなら、デザイナーってのはどれだけ教養も常識もないのだろう。
この説明をみて「その通り!」って思う人って、どれだけ教養も知識もないのだろう。
深津貴之という人は、ベルギー国やそのデザイナーを侮辱しているのだろうか。
今回の類似性を理解するには、前提としてステンシル書体を知っていなければなりません。これは製図やレタリングで使われるステンシルテンプレートをモチーフとした書体の通称です。リエージュや、チヒョルト展の文字デザインは、このステンシル系の書体をベースにしています。
などとあるように、深津氏の論理の大前提に「リエージュロゴ」や「チヒョルト展ロゴ」は、ステンシル書体を基本にして作られている、という主張をおいている。
そんなわけあるか。
ステンシル体というのは、ペンキやスプレーなどで簡単に、木箱や木樽などにアルファベットをペイントする「型紙文字」を模したものだ。
ところどころ文字の線が切れているのは、「型紙を作るときに閉曲線を作らない」為とか、さらに型紙の強度(壊れにくさ)なども加味した、
実用大前提の理由があるんであって、オシャレのためでも独自性のためでもない。
更に、ステンシル書体の由来が「実用」、それも非常に泥臭い場所や用途での実用やその使われる対象や実際の転写品質の関係もあることから、
ステンシル書体は「野性味」、良い意味での「不精さ」「無骨さ」「無頼」「不器用」「泥臭さ」「俗っぽさ」「荒っぽさ」、そういうイメージを連想させるものだ。
ベルギー国王の名前を冠したベルギー王立の劇場のエンブレムを作るときに、そんなものから出発するわけがないだろう。
深津氏の主張は「ベルギー王や王立劇場のイメージは、野生、不精、無骨、不器用、泥臭い、俗っぽい、荒っぽい、である」といっているに等しく、
ステンシル書体から出発してスタイリングを経て現在のロゴになった、と主張するということは
「リエージュ劇場は、ちょっときれいにスタイリングされただけ、そもそもの根本的にはステンシル書体が似合う場所なんだよ」と言っているにすら等しい。
あまりにも無教養すぎるし、ベルギー国や王立劇場、そのデザイナーに対してあまりに侮辱的過ぎる。
「でもステンシル書体と共通する特徴があるんだし、ステンシル書体と同じ」というところから恐らく深津氏の論理は出発しているんだけど、
それこそ深津氏が言うところの「井と♯と#が同じ文字と言っている、無学な藁人形」と深津氏の知能が同じであるということに等しい。
なんというんだろう、これが本当に「デザイナー」の共通認識なのか?
デザイナーというのはここまで無教養で、無礼で、不躾で、まがりなりにも一国の王を侮辱して恥じない人間なのか?
深津氏の説明を聞いて「なるほど」と思った人は、このぐらいのことも頭が回らないのか?
深津さんのエントリ(http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)は、基本的には佐野氏と委員会の説明をなぞったもので、デザイナーでなくても彼らの説明で「なるほど劇場ロゴのパクりではないのか」と納得した人は少なくないと思っていたので、この内容に対して「なるほどわかりやすい!」と関心している人が多いことに逆に驚いている。
これを読んでも納得いかない人がいるのは、おそらくデザイナーが「似ていない」という言葉を使って反論しているところに理由があるのではないか。万人に納得してもらう説明としては、「似ているが、パクリではない」が正しい。
あのエントリでも書かれているとおり、デザインは装飾ではなく最適解を求める設計なので、限られたパターンであれば結果が似てくることは珍しくない。
ゆえに、色々やった結果が「似てしまう」ことも「悪」とはされないが、同じ見た目のものが氾濫すると混乱を招く(それこそ社会におけるデザインの目的と反する)ので、商標などのルールによってお互いの利益を損なわない形で解決しましょう、というのが現代社会におけるお約束になっている。
だからこそ、海賊版など意図的にこのルールを侵し、混乱させ、利益を得ようとする「パクリ」行為は「悪」なのだ。
委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場のロゴが商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である。事実、佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在のエンブレムも「似ている」ことを理由に委員会からNGとされていただろう。
当初、デザイナーがこぞって「パクリではない」と佐野氏を擁護した理由は、そういうことだ。エンブレム最終案があのデザインになった課程について、十分納得のいく説明はなされているし、最初から擁護していた人達はそのデザインの良し悪しは別として、コンセプトも含めてなんとなくでも理解していたはずだ。
その上で、なお疑義が残るとすれば、意匠=見た目の問題において「初期案を作るときに“T”の右下に●を置くアイデアはチヒョルト展からいただいちゃったんじゃないの?」という点だろうか。「9分割のモジュールでアルファベットを表現する」というアイデアは、言ってしまえばそれほどオリジナリティが高いものではないが、「鼓動のパワー」を表現するという「●」が「T」の右下にあるのはこのエンブレムのオリジナリティの一つだといえよう。それが佐野氏が過去に見た展覧会のメインビジュアルに由来するのでは? という疑問が生じたわけだ。だからデザイナーの矜持として、原案とチヒョルト展のポスターの類似の話が出たタイミングで、当初は佐野氏擁護だったデザイナーの中から批判に転じる人が出たというのも、おかしな話ではない。「(身内として)擁護しきれなくなった」のではなく「初期案のコンセプトの正統性に疑問を感じた」のだ。だが、これも「疑惑」にすぎず剽窃の「事実」は認められていないので、真実は闇の中である。
個人的には、佐野氏のエンブレム以外の仕事を見ても、面白いものはあるが独創性に欠けるという感想を抱かざるを得ない。日本の広告やエンターテイメントの世界においてよく見かける、海外で売れているが日本にはまだ入ってきていないものを「いただいちゃう」ようなやり方にどっぷり浸かりすぎてるんじゃないの? と思わないでもない。
もちろん、サンプリングや本歌取りという手法がクリエイティブを発展させることは確かだし、オマージュやパロディによって発揮される作家性は存在するので、そういった行為を否定するものではない。だが、それらの手法は「コンテクスト(文脈)」に乗った上で初めて効果があるものである。サントリーのトートバックのイラストの件などはコンテクストも何もなく「いただいちゃった」案件そのもので、悪質である。(パンの写真やメガネの写真を無断で素材使用したのはまた別の問題だ。)佐野氏の事務所のクリエイティブに、こういった姿勢が垣間見えることで、オリンピックという大舞台のデザインワークを担うのにふさわしいデザイナーであるかどうかを問われてしまうのは仕方がないことだろう。
とはいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。
ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判をセンセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民のリテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。
ブコメだと書ききれないけど,日記/ブログ始めるほどでもないのでこちらへ。
原案審査過程に関しては http://bunbuntokuhoh.hateblo.jp/entry/2015/08/28/234056 に詳細な説明があるので,特に聞きたいことはない。
とりあえずこんなところか(長くなりすぎて途中から手抜きになった感は否めない)。
エンブレム白紙撤回の報道で、各メディアが「取り下げはネットの功績」「最初にネットで指摘された」とそろって報じていて、何か何でもかんでも2ちゃんねらーのおかげ的な文脈になってるのが気持ち悪いので、把握している経緯をメモ。
・発表直後から、ネット、特に2ch系のコメントが集まる場所ではもともと「微妙w」「ダサいw」「これはない」「他のが良かった」という否定の感想で占められていた
・ベルギーのリエージュ劇場のデザイナー・ドビ氏がネットで「似すぎている」と苦言を呈した
・それがtwitterで拡散し日本語クラスタでも翻訳され拡散し、2chにも伝わった
・ベルギーのドビ氏が本気で訴訟すると表明し、最初からデザインが気に食わなかった日本のネットユーザーが総じて味方になった
・五輪組織委と佐野氏が記者会見で「全く過去にパクリはしたことない」と表明
・当初のエンブレムに関する「パクリかパクリじゃないか」「参照したのかしていないのか」という議論から、佐野氏の過去のデザイン検証の段階に入る
↓
以下、サントリートートバッグ画像盗用、ピンタレスト登録、太田市美術館疑惑、東山動植物園疑惑と出てきて、永井氏が「原案は別ものだった」と爆弾発言出て、組織委が原案発表、展開例の画像盗用、原案の参照元まで発見され、佐野氏により「五輪のイメージ悪化を防ぐため」という理由で白紙撤回がなされた。
↓
・ベルギーのドビ氏は「劇場ロゴと似ているから撤回した」という事実をIOCが認めない限り訴訟を続けるとしている
まとめ
まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブの問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます。
この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から、有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見・文句・罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者」視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます。
まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます。
JOCや組織委員会の要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状である事から、人間の認知作用的に受け入れやすい要素を持っています。キャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。
次にマイナス評価として上げられるのが、過去の文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ・長野・シドニー・北京・バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈はオリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティを担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈が必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。
上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。
正直、分かりません。情報も錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報か判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体や動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件もデザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから。
これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品は商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品が過去の作品に類似していた場合、過去の作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています。日本も批准しています。
次に、デザインの機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品の制作指針をまとめますが、これを「ビジュアル・アイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。
件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます。言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真で撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場のロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真が印刷された情報が、リエージュ劇場の情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります。
あまり一般には知られていないと思いますが、デザインの価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています。
内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。
「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。
東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京・千代田区) http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124
これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業、チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます。
この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルのデザインを制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会が提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。
オリンピックという世界規模のイベントのロゴですから、世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分の作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。
以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当なデザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
【NHK】東京オリンピックエンブレム発表実況 [転載禁止]©2ch.net
http://orpheus.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1437733199/
東京2020大会エンブレムを発表 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1437734077/
ダサい、地味、暗いなど、ネガティブな第一印象が多く見られる。発表会で期待を煽り過ぎた反動かも。
ベルギーのリエージュ劇場と、スペインのhey studeioの作品が酷似しているらしい
その後トートバックにパクリ疑惑がもたれ、佐野氏は13日に一部を取り下げる。15日に「部下が第三者の作品をトレース」したと釈明。
素人「やっぱりパクりじゃないか(憤怒)」
コネについては、佐野氏が博報堂出身で審査委員に知り合いがいたって事らしい。
でも贔屓というより、コンペで選んだならこんな地味でダサい奴が選ばれるわけがないという素人的偏見が根本にある。
デザインがダサいという第一印象、デザイナーがパクリに関わっていたという事実から素人はこのエンブレムに偏見を抱き、オリジナルであると証明できても汚名返上は不可能。
素人=大衆に受け入れられればパクリだろーが地味だろーが許された。オリジナル性が証明されても素人からの支持は得られず、パクリとわかっていても撤回はできない。
2020東京五輪は、グダグダな経緯で白紙化された国立球技場で、パクリ疑惑のエンブレムを掲げて開催される。でもそのころには大衆もグダグダな経緯は忘れてると思うので、頑張って盛り上げていきましょう