さて。雑誌の話の続きです。
もうずいぶん前のことですが、雑誌を読んでいた娘が、「ええーっ! 終わっちゃうの?!」と、大きな声を上げ、びっくりしたことがありました。そのとき、彼女が読んでいたのは、『小学四年生』(小学館)。
みなさんも、これらの報道は覚えているでしょう。「小学三年生」と「四年生」休刊へ 「ニーズに合わず」(2011/12/1 朝日新聞)、「小学館、「小学三年生」と「小学四年生」を休刊へ」(2011/12/1 新文化)、「小学館「小学三・四年生」休刊 残るは一、二年生」(12/1 日本経済新聞)。ちょうど、その最終号だったわけです。
彼女のびっくりには、2つあったようです。1つは、この続きものはどこで読めるのか、ということ(学年誌の連載には、ポケモンのように、年度の最後に話が完結しないものがあります)。そして、もう1つが(こちらのほうが、より深刻な問題なのですが)、次に何を読めばいいのか、ということでした。
前者については、本誌に、連載についての案内が出ていましたから、読もうと思えば読む方法はあります。でも、それは彼女にとっては、あんまり問題ではないんですよね。問題は後者なのです。
「じゃあ、次は、何を読めばいいの?」
こちらも、一応、本でメシを食ってるプロです。小学*年生が何を読めばいいのか……そんな質問にはいくらでも答えられます。なんなら、選書をしてあげることだって余裕でできるわけです。うちの場合、順調に本好きに育ってくれましたから、そもそも、本人が自分でいくらでも選べるんですよね。児童書のそろった書店や図書館に連れて行けばいくらでもいられるタイプ。本を選ぶのに、親の力なんて借りる必要がもはやそもそもない。
彼女が、びっくりして、そして、とまどってしまったのは、(ここは半分は想像で書いてるんですが)、おそらくこういうことだったのだろうと思うのです。特定の本と違って、いろいろと雑多なものが載っているこの「雑誌」というもの、そこに載っているもの、それぞれのテーマ1つ1つについては、1冊の本を買うほどではないかもしれないけれど、こうしてまとまっていると、それなりに楽しく読めてしまう「雑誌」というもの、それがなくなってしまうことに関するびっくりなり、がっかりなり、だったのではないかと、そんなふうに思うのです。
楽しく読んでいたものがなくなってしまうことを知って、ショックを受けている、小さな読者が目の前にいるとして。何をすすめてあげるのがいいのだろう。何を買ってあげればいいのだろう。
昨年、こんな本が出ました。雑誌好きのみなさんなら、読まれた方も多いでしょう。
- 仲俣暁生『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神Lマガジン)
仲俣さんの書かれたこの本、ぼくも出てすぐに読んだんですが、読了後、しばらくの間、雑誌について、いろんなことを考えさせられました。この本が出たのが11月末で、先の、学年誌休刊の記事が12月はじめと、ちょうどリンクしていたこともあり、「雑誌」のことがとくに気になった時期だった、ということもあります。
昔、などとひとくくりしてはいけませんね、60年代末生まれの我々の世代にとっての雑誌はどんな感じだったのか。そのころの小学生にとっては、まず小学館の学年誌がありました。もちろん、一年生から六年生までの全学年がそろっていました。そして、学研の「科学」と「学習」もありましたね。前者は店売り、後者は定期購読の雑誌でしたが、当時の小学生にとっては、読んでる読んでないにかかわらず、知らない者がいないというくらい、当たり前の存在でしたね。
これらのほかに、少年マンガ誌がありました。男の子の例でいうと、『コロコロコミック』の創刊が1977年。週刊誌だと、ジャンプがモンスター雑誌になるのは少し後のことで、ぼくの世代だと、チャンピオン派が多かったかな。ぼくは、「科学」と「学習」は家でとってもらっていて、学年誌はほぼ毎号買ってもらってたかな。お小遣いでは、『コロコロ』と『週刊少年チャンピオン』を買ってました。この時代の典型的な小学生読者ですね。
中学生になると、『中学時代』(旺文社)と『中学コース』(学研)がありましたね。中学にあがるときには、みんな、地元の書店で定期購読の予約をしたものです(どちらを予約したのかは忘れてしまったけれど、予約特典が、小さなラジオだったことは今でもよく覚えています。ラジオの深夜番組を聞きたい中学生にとっては、マイラジオが宝物だった、そんな時代の話です)。
みんなが同じような雑誌を読んでいたのは、中学生になるあたりまででしょうか。この頃から、いろいろ趣味が分化してきますから、「みんなで一緒」という価値観を共有するのは難しくなります。学年誌よりも何年も前に、前掲の中学生向け雑誌がなくなってしまったのは、ある意味当然と言えるでしょう。
その後の個人的な雑誌遍歴については、ここでこまかに記したりはしませんが、要するに、何が言いたいかというと、ぼくの読書人生に、「雑誌」というものがなかったことなど、一度もない、ということなのです。その年齢、その時代に、いつも何らかの雑誌があった。ぼくは趣味でも仕事のうえでも、どちらかというと、「書籍」寄りの人間で、「雑誌」型の人間ではないんですが、それでも、雑誌とのそういう関係は、当たり前のものだったんですよね。
ここで、先の、娘のエピソードに戻ります。彼女は、もし雑誌がふつうに続いていたら、次の学年誌に進んでいたでしょう。読んでいるうちに学年誌の内容がものたりなくなってきたら、自分で、別の雑誌を探したかもしれません。
でも、まだ自分で雑誌を自由に選ぶ経済力も選球眼もない時期に、「雑誌」それ自体にふれる機会が失われてしまったら、いったい、その幼い読者はどうすればいいのだろう。今の子どもたちが、子どものころに「雑誌」にふれる機会がもてなかったら、長じて将来、娯楽や情報を「雑誌」に求めようとするだろうか。
昨年末に、こんな記事が一般紙に載りました。「雑誌販売27年ぶり1兆円割れ 11年、休廃刊多く」(2011/12/27 日本経済新聞)。業界紙でも同様の記事が扱われています。「雑誌販売額 過去最大の下落」(2/15 全国書店新聞2月15日号)。
日経の記事は、若者の雑誌離れをスマートフォンに結びつける紋切り型のもので、目新しい記述ではありませんが、雑誌市場の見方・見え方の典型ではあると思われるので、一部を引いておきましょう。
《2011年の雑誌市場が27年ぶりに1兆円を割り込む見通しとなった。出版科学研究所(東京・新宿)の調べによると、年間の推定販売金額は前年比6〜7%減の9850億円前後になる見込みだ。減少幅は過去最大。休廃刊が相次ぎタイトル数が減ったことに加え、スマートフォン(高機能携帯電話)の普及が若者らの雑誌離れに拍車をかけたとみられる。》
《11年1〜11月の推定販売金額は前年同期比6.6%減の8905億円。12月も前年同月の999億円を下回る公算が大きく、通年で1984年以来の1兆円割れが確実となった。》
《雑誌の推定販売金額は統計の発表が始まった51年以降伸び続け、84年は9304億円に、97年には1兆5644億円でピークに達した。その後インターネットの普及や不況などが響き、10年まで13年連続のマイナス成長が続いていた。》
《また、発行総タイトル数は06年の3652をピークに10年には3453まで減少。11年も情報誌「ぴあ」や20代女性向けファッション誌「PS」など約160誌が休廃刊し、合計約40タイトル減るもようだ。》
雑誌について、まとまらない話を長々と書いてきました。前回の記事の話に戻りますが、ぼくが、小学館と学研のサイエンスもののシリーズ2種を手にとってうれしく思ったのは、これが単体の商品として、いいものかどうか、よくできているかどうか、だけではなく、子どもたちに、児童読み物や絵本とはまた違った、付録付き雑誌の楽しさを教えてくれる、好例であるように感じられたからです。
電子書籍に業界が血道を上げるのもいいでしょう。店頭に電子機器を据えたり、Wi-Fiを使えるようにするのもいいでしょう。でも、そういうこととは別に、将来の読者、紙の本を手にしたいと思う読者を育てることに、もっと目を向けないと、結局は、今の我々のしていることもムダになってしまうかもしれない、そんな不安も覚えるのです。
だって、本や雑誌で育たなかった子どもたちを、本や雑誌の読者に仕立て上げることはものすごく困難、というか、無理だと思うのですよ。