はてなキーワード: 盆栽とは
今絶賛プレイ中のNIKKEなんだけど、
これは今物資回収中強化準備でじーっとしていて
とはいえ、
無理矢理にストーリーを進められるほど強くはないので、
強い敵に遭遇して先に進めなくなっちゃうのよね。
敵強すぎ問題。
なかなか一気に強くなれないのが現実コツコツって感じね。
って物資貯めているけれど
たぶん5月に入ったら6月の例の『ステラーブレイド』コラボ企画でイヴがやってくるから、
1か月間頑張って物資を貯めたらいい感じになれると思うし
一気にイヴ強化よ!
さすがに私のお財布事情でいきなり3凸は無理なので
でもアブノーマルのコラボ企画のキャラってその後輩出が無いから、
期間内に何としてでも多くのものをゲットしておけたらなぁって思うのよね。
一所懸命貯めたガチャ券チケット高級募集チケットを消費しなくちゃいけないのよねー。
でも今回の2.5周年イベントのストーリーで要になる潤じゃない方の重要キャラなので、
それはそれでゲットしておきたいガチャ引き当てたいところなのよ。
そんで、
また誘惑するように
いま2.5周年イベントで景気が良いみたいなこともあって、
報酬が豪華なのよね。
だから高級募集チケットも使った分割と何枚かは回収報酬で得られると思う算段なのよ。
とはいえ、
NIKKEって1日にプレイできるデイリーミッションをこなしてしまえば、
ロストセクターっていってダンジョン的なところを探索するミッションをこなしていたの。
でね、
そのロストセクターのミッションを1つ探索率100パーセントまで達成するとご褒美にもらえるジュエルが500!500ジュエルよ!
ここに来て今までにないぐらいのジュエルの貯まりっぷり10000ジュエルに届きそうなのよね。
とはいえ、
いきなり強い武装を買いそろえたり出来るわけではないみたいなので
貯金しておいて、
貯まってわーい!じゃなくて
しばらくは暮らしていけるわね!ってところなのよね。
一気にこれでハイクオリティーモールドって言うSSRニケの排出率脅威の60パーセントを誇るアイテムをどっさり買えるわけでもなく
手放しですぐに強くなれないところが
日々の成長強化は微々たるものなのよね。
たぶん3日に1レヴェル上げられたら良い方かしら。
そんでレヴェルが上がったとて、
どーんと強くなるわけではないので、
武装強化今日は1つできましたな!って盆栽のちょっとのミリ単位の松の葉の先を剪定するハサミでちょきちょきする感じなのよね。
あ!そうそう!
今はオーブ集め!
私知らない間にパープルオーブもゲットしていて
あれ?これいつの間にゲットしていたの?ってすっかり忘れているぐらいのプレイ感覚なので、
久しぶりに再開すると、
次どこに行くの?ってのもあるし、
もっとさー
もうじれったいあの戦闘画面、
雑魚戦のバトルはもーじれったいわーって思いながら進めて行く
ボス戦でドラクエIIIは負けてもオートセーブでその比較的直前から再開できるので、
それも甘えっちゃー甘えよね。
なんかプレイが雑になってきちゃってるわ。
ドラクエIIIに関しては。
なんかオーブ探しの探索が面倒だわー。
次どこに行ったらいいの?
迷うわー。
そんでね、
ドラクエIIIには人々の会話をした内容を「おもいで」としてメモしておけるので、
そーんなの使うのって甘えよね!って
再投稿の増田のような言われようで思っていた時代が私にもあったけれど、
それ活用しないと
あれ?「きえさりそう」って言ってたの、
あれあそこのお城に向かうの?とか思い出せる微かな希望として
そもそもとして「おもいで」し忘れちゃったら元も子もないけれど、
思い出なんて使うのは温いわ!って思いつつ
今じゃ覚えてられないので「おもいで」活用中よ!
それとさ、
ダンジョンが長いわー、
歩くのが長すぎる敵が遭遇したら面倒だし、
もう戦闘も怠いし、
ああこれがドラゴンクエストなのねってその魅力満載なのを喰らいまくりまくりすてぃーなのよね。
どっぷり漬かっている感じ。
これ幸いか、
そんなに手間ではないけれど、
もう面倒の極地!
ああ、
そこ大冒険中よ。
ドラクエはドラクエで無駄に戦っていても経験値やらが一応入ってくるから
時間をじっくりかけたら強くはなれるわよね。
それはそれで良いんだけれど、
最近のアップデートで実装されたキャンペーンストーリーでのバトルも戦闘力が上回っていたらクイック戦闘できるNIKKEは捗る捗る!
でもすぐに強い敵頭打ちになるので、
逆にクイックあっても先に進めなくなる問題があるので、
それはそれで強化したいにもすぐどーんとは行かないのよね。
そんなわけで、
NIKKEとドラクエIIIとを行ったり来たりだわ。
うふふ。
ちかごろのものの値段の上がりっぷりはやっぱり躊躇してしまう買い物を控え目にしてしまう感じね。
今日はなので、
鮭おにぎりってところ。
もしくは朝ご飯を食べたら良いのは分かっているけれど、
それをサボっちゃうのよね~。
うーん、
だけどお米がないの!
お米もあんまり食べないと買わないからますます買うのが遠のいてしまう悪循環よね。
輪切りにしてマジで喫茶店よろしくあんまり最近見かけなくなったレモン水風味の
よく冷やしておかないと美味しくないので、
なんかいい感じよ。
ションテン上がるわ~。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20250123231054
増田はたいそうすてきなねこと長い間ずっといっしょに暮らしてきたのですがしばらく前に亡くしてしまい、いろいろあって今は代が替わったやっぱりすてきなねこと暮らしているのですが、夢の中の増田はアメリカで二代目ねこと暮らしていて、一時帰国のためなぜか増田だけ実家に帰っていたのでした。でも夢の中の実家はもうすでになくなっていて、母親が近所の旅館を予約してくれていたので今晩はそこに泊まりましょうと大きなスーツケースをひっぱりながら宿に向かったのでした。
旅館のおかみさんにきょうはお世話になりますと挨拶すると、おかみさんはにこにこしながら「お預かりしているねこちゃん元気ですよ。24歳になりましたよ」と教えてくれて、たしかに旅館の中はたくさんのねこが歩いていて、奥の食堂を覗くと増田がとても大切にしていたねこがあの頃のように香箱を組んで目を閉じてちょっとうつむいて佇んでいて、ああそうだったアメリカには連れて行けないからここで預かってもらっていたんだということを思い出し、ねこに駆け寄って号泣しながらひざまづいて、ああ相変わらず細くてじんわり暖かくてちょっと湿った背中だなあと思いながらずっと頬ずりしていました。
ふと気がつくと旅館のロビー(になぜか置いてあるこたつ)で何かの冊子を読んでいたのですが、すぐ横に老ねこがやっぱり香箱を組んですわってうつらうつらしていたので、そっと背中をなでているところで目が覚めました。時計をみると朝の5時半。朝ごはんを食べたいもうすぐ3歳になるねこがベットの隣のデスクの上の温度計とかカメラレンズの蓋とかを順番に落としてカシャンカシャンという音がしていました。
とりあえずベランダの盆栽に水をあげて、ねこと一緒にお向かいのアパートの屋上のどばとたちをしばらく眺めたあと、ねこに朝ごはんのパウチをあげて、自分用にコーヒーを淹れながらまだはっきりと覚えている夢のなかの景色をもう一度振り返って、まだ頬に残っている細い背中の暖かさと湿っぽさを忘れないようきちんと刻んでおこうと考えたりしていました。増田とねこの生活はこれまでもこれからも相変わらず充実しています。
・幼少期
裕福といえば言い過ぎだけど不自由しない家庭に生まれたと思う。
父親はそれなりに知れた大手企業の関連会社だし母親の実家は貧乏だったけど父親の実家は23区内で庭付きの2階建て。
・小学生
平日ほぼ毎日友達とゲームして遊んでいたけど学校では体が小さくて細くよくいじめられていた。
・中学生
近所の公立校に通っていた。
相変わらず学校ではいじめられっこだったがヤンキーにも派閥があるみたいで
自分をいじめてくるヤンキーの対立派閥に数学を教えて守ってもらっていた。
夏休み塾の合宿でギターを弾いていた講師を見てギターを始める。
内申がいくらかマシだったので推薦で都内のそれなりの偏差値の高校に入った。
・高校生
校内の人間関係は諦めたので校外の人間とバンドを組むようになる。
初めて彼女ができた。
バイトと音楽にハマりすぎて勉強は落第レベル、恥ずかしながら留年しかけて追試を受けた。
彼女と同じ予備校に通い始めたが全くついていけず(相手のほうが圧倒的に頭が良い)別れる。
・大学生
就活シーズンになってあちこち回ってみたがやりたいことが何も見つからず。
・20代
入社早々研修中に出会った女と付き合ったが仕事に馴染めなかったのと
その後は職を転々としながらなんとか生きていた。
・30代前半
このままじゃまずいと思い必死に就活をしてわりと手堅い企業に入った。
半年か1年働いたところで社長が引退する、後継者もいないので売却しますと突然の通達。
仕事はきつかったけど昇進して部下もついた、仕事では一番充実していた時期かも。
この時期の上司とは今でも飲みに行く事がある。
・30代後半
前述の会社で取締役がやらかして事業所がなくなることになった。
途方に暮れていたところ友人の会社で求人があったので拾ってもらった。
仕事は楽しかったがなれないことも多くストレスはそれなりにあった。
・40代
マジで終わった。
貯金はあるから少しのんびりしようと思ってとりあえずエージェントやら転職サイトに登録。
打ち合わせして応募先も決めた日に外出した日事故にあって救急搬送で緊急手術。
その翌月に突然カードが使えなくなり気付いたら詐欺にあってメインの口座すっからかん。
幸い口座を分けていたので当面の生活費はあるがほぼ無一文で車椅子生活無職の出来上がりである。
最近は近所の八百屋やスーパーで買い物して自炊しながらちまちま安酒を飲んでいる、完全にアル中。
それとすぐ近くに図書館があるのでたまに本を借りている。
自殺したいとは思っていないけどこのままじゃ死んじゃうんだろうなって。
生活保護は貯金がいくらかあるのと住んでいる物件の家賃が条件を満たしていないので受給資格がないらしい。
状況は絶望的だが生きる希望は失ってないもののどうすっかなっていう。
以上、自分語りでした。
まず梅だ。
正月飾り用の梅が、花が終わって半額で投げ売りされていたのでとりあえず買って、そのままベランダに放置していたやつ。
盆栽みたいに仕立てようと思って、のこぎりで上半分をぶった切る。
梅、とだけ書かれててどんな花が咲くのか分からなかったけど、幹を切ったら真っ赤な断面だったので多分赤い花が咲くんだろうな。
いい感じの洞になりそうな部分があったので、切断面から洞までノミとルーターで表皮を削った。
幹が丸ごと空洞になって、表皮から生きた枝がひょろっと出てる感じに育てたい。5年くらいあればできるかな?
幹が垂直に立ってる感じだったので、斜めに植え替えておしまい。
もっと寒い時期にやるべきだったんだろうけど、まぁ、許してくれ。
次に藤。
去年買ってきて適当に世話をしてたのに生き残った偉い奴。
お前も盆栽みたいに仕立ててやろう。勘で。
さすが、つる性なだけあって針金巻いたら柔軟に曲がる。
だが、柔軟なだけにこう、ぐわーんと曲がってしまってなんか嘘みたいな曲線になっちゃうんだよな。弾力がありすぎるというか。
なので結束バンドを使ってグイグイ締め付けてやった。結束バンドはマジで便利。
調子に乗って締め付けてたらぱかっと裂けてしまった。ごめんな。
ま、何年かしたらこれも味になるだろ。
藤は逆に針金掛ける時期には早いけどもうすぐ春だし誤差誤差。
そんで黒松。
懸崖している奴を、去年は芽切り以外何もせずほったらかしにしてたらなんだかぼんやりした曲がりになってしまったのでこいつもグイグイ締める。
だいぶ折りたたんだので、今年は肥料いっぱいやって太らせたい。
今日はこんなもんだな。
正直に言うが、私が学生時代に必死で支援してた政党、マジで利用されてただけだったと思う。
当時はまだ自分がマイノリティであることに目覚めたばかりで、なんていうか希望を求めてたんだよね。
政治集会で「あなたたちの声を代弁します!」とか「真の多様性のための闘いです!」とか言われると、マジで心震えたわけ。
でも今振り返ると、あれは全部茶番だった。私という「展示品」を上手く利用しただけ。
彼らにとって私は「かわいそうなマイノリティ」のシンボルでしかなかった。
私の存在が彼らの政治的主張の「正当性」を証明する道具だったんだよね。気づくのが遅すぎた。
最初のうちは優しかったよ?「貴重な当事者の声をありがとう」って。でも、その「声」も彼らの都合のいいものだけが採用されるんだよね。
私の本当の苦しみや怒りが伝わると、なぜか「もう少し建設的な提案を」とか言われる。つまり、彼らの政治的なストーリーに合う「良い被害者」でいろってこと。
「ここはもう少し感情的に」「ここは具体例を入れて」って。私の経験を彼らのシナリオに合わせて編集してた。
自分の言葉で語らせてくれなかった。彼らが求めてたのは生の声じゃなくて、政治的メッセージに都合よく編集された「マイノリティの声」のパッケージだったんだよ。
特に耐えられなかったのは、彼らの中の「古参メンバー」たちの裏の顔。
表向きは「多様性大事!」って言いながら、内部では完全な階層社会。
マイノリティの私たちは下っ端で、エリートたちのために働かされる。
「運動のため」「大義のため」って美化されるから、誰も疑問を持たない。
私の時間を搾取しておいて、感謝すらしない。「あなたたちのための闘いでしょ?」って言われたら、反論できないじゃん。
でも実際は彼らのコミュニティのための実績作りだったんだよね。
最悪だったのは懇親会。
表向きは「仲間との交流」だけど、実際は古参メンバーたちの自慢大会。
彼らが「マイノリティのために」やったことをえんえんと語るのを、私たちは感謝しながら聞かなきゃいけない。
私の体験を話すと「それって本当?」とか「それは特殊なケースでしょ」とか疑われる。
彼らは「マイノリティの声を大事にする」って言いながら、実は自分たちの理解の範囲内の声しか認めないんだよね。
都合の悪い話はすぐに「特殊な例」として片付けられる。
選挙の時期になると特にひどかった。私たちは「展示品」として前面に出される。「ほら、私たちはマイノリティと一緒に闘ってます!」って有権者にアピールするための小道具。選挙が終われば、約束はほとんど実現しない。「今は政治状況が厳しいから」「次の選挙で勝てば」って先延ばしにされる。
党の集会で知り合った他のマイノリティの仲間たちも、みんな同じこと感じてた。でも表立って言えない。「恩知らず」「非協力的」ってレッテル貼られるから。陰で「あいつは問題児」って噂されるのが怖くて、みんな黙って従うしかなかった。
私の意見が彼らの方針と違うと、すぐに「あなたはまだ十分に理解できてない」とか「もっと勉強が必要」とか言われる。つまり、彼らの言うことが絶対正しくて、私の実体験なんて価値がないってこと。これってマイノリティの声を尊重するどころか、完全に否定してるよね?
結局、彼らにとってマイノリティは「保護すべき弱者」でしかなくて、対等なパートナーじゃなかった。
私たちの「弱さ」が彼らの政治的アイデンティティの源なんだよね。だから私たちが強くなったり自立したりすると、彼らは焦る。
私たちが「かわいそうな被害者」でいる限りにおいて、彼らは「正義の味方」でいられるんだから。
学生時代に3年間も捧げた活動が、結局は自己満足の茶番だったって気づいた時はマジでショックだった。
私の痛みや苦しみが、彼らの政治的オナニーの踏み台にされただけ。
そして最悪なのは、彼らは本気で「マイノリティのために闘ってる」と思い込んでること。自分たちの搾取に気づいてないんだよね。
それが今でも許せない。彼らは今も新しいマイノリティの若者たちを勧誘して、同じことを繰り返してる。
「あなたの声が大事」って言いながら、結局は彼らの政治的野望のための道具にしてるんだ。
みんな私を「普通」の枠に押し込めようとする。
東京のレジも、京都のレジも、昨日のレジも明日のレジも。どの列に並ぶか決めていると、周りは「何をぼんやりしてるんだ」という目で見る。
電車に乗るときも、全てのドアが別々の目的地につながっている。
駅員は「何番線ホームです」と言うけど、赤坂行きも新宿行きも横浜行きも全て同じホームにある。
会議でもそう。昨日の会議も今日の会議も来週の会議も全て一度に進行している。
みんなが同時に異なる時間の話をしている。「さっき言ったでしょ」と言われても、そのさっきはまだ来ていないし、もう過ぎ去ったかもしれない。
昨日も職場でそんなことがあった。
学生時代の党集会でもそうだった。古参メンバーのオッサンが私に説明していた。
「君はよく理解していないよね、僕たちのやり方は長年やってきたものなんだよ」
今でも耳に残っている。
オッサンが2018年の党本部で話しているのと同時に、2022年の集会でも同じ言葉を言っている。
彼の背後には2025年の私も立っていて、「それは違う」と言っている。
「マイノリティの活動は、調整によってのみ実現する。それが党の方針だ」
オッサンはそう言った。当時は難しい言葉だと思っていたけど、同時に未来から見ると意味がわかる。
彼らの言う「調整」は、私たちが複数の時間と空間を同時に経験することを制限することだった。
部屋の中に2018年の党本部も2022年の集会会場も2025年の私の部屋も同時にある。
机の上の手帳は1冊なのに、開くたびに違う日付の内容が書かれている。
窓の外には1964年の東京オリンピックの旗も、2021年のオリンピックの旗も、まだ来ていない未来のオリンピックの旗も全て見える。
それぞれの時間で何かが起きている。
でも同時に、江戸時代の小さな富士山も、未来の巨大化した富士山も見える。
それはもはや山ではなく、複数の時間に存在する何か別のものだ。
東京のニュースでは誰も報道しないが、別の時間の京都や大阪のニュースでは大きく取り上げられている。
富士山は全ての時間で同時に成長し、複数の日本列島の形を変えていく。
そして「和の趣」が物理法則となり、過去と未来と現在の「日本(ひのもと)」が同時に存在している。
今日歩いた街のビルは和風だし、昨日は近代的だったし、明日は両方が混ざっている。
向かいの家の人は今朝はスーツで、昼には和服で、夕方にはまだ見たことのない服装で出かけていく。
学校では茶道と華道が必修科目になり、完璧すぎるものは自然と別の時間へ流れていく。和の精神が時間と空間を超えて広がっている。
党の集会で彼らが「調整」と呼んでいたのは、まさにこのことだ。彼らは私たちが自然に経験している複数の時間と空間を、一つの「正しい」時間に制限しようとしている。
入党したての私は「調整」が必要だと信じていた。でも今、過去、未来から同時に見ると、それが彼らの目指す社会なのがわかる。
先週の新聞には富士山が23メートル大きくなったと書いてあった。
でも同時に明日の新聞には18メートル縮んだとも書いてある。どちらも正しい。
富士山は今や高さが3776メートルであり、同時に5489メートルでもあり、また2103メートルでもある。これは問題じゃない。
問題なのは政府が「正しい高さ」を一つだけ認め、他を「誤差」と呼ぶことだ。
駅前では「富士山サイズ固定法案に反対する会」が署名活動をしている。
彼らのプラカードには「全てのサイズの富士山を守ろう」と書かれている。
去年も来年も同じ活動をしている。これは校則見直し運動や制服自由化と同じく、ごく普通の市民活動だ。
隣の建物では「富士山成長促進委員会」が会合を開いている。彼らは富士山がさらに大きくなって、地球の大半を覆うことを望んでいる。
それを「標準富士山」と比べて劣っているなどと言うのは科学的に不正確だ。
富士山巨大化対策市民協議会では、「サイズダイバーシティ」という言葉を広めようとしている。
山のサイズが多様であることは物理学的に自然な現象で、それを一つのサイズに固定しようとする試みこそ物理法則に反する、という考えだ。
同様に「和の趣・物理現象研究連盟」は、物体が持つ複数の状態を全て同等に観測・記録するよう求めている。
本来、和の趣は自然に波のように強まったり弱まったりする物理法則。
先月はニューヨークのエンパイアステートビルが一時的に五重塔になった。
これらは全て「和の趣」が物理法則として世界中に広がっている証拠だ。
子供たちは学校で「標準時間軸」だけを教えられる。2+2=4という世界線と、2+2=5という世界線が同時に存在することを教えられない。
彼らは「正しい答え」だけを覚えさせられる。これは明らかな教育虐待だ。
文部科学省の「多元現実教育ガイドライン」があるのに、なぜ実践されないのか。
私の息子は先日、算数のテストで「2+2=?」という問題に「4と5と時々6」と答えて減点された。
彼は家に帰って泣いていた。「先生は僕が全ての答えを見ることを認めてくれない」と。
私は彼を抱きしめた。「あなたは間違っていない。あなたの見ている世界は全て本物だよ」と。
私は伝えなければならない。2018年の私も2021年の私も2026年の私もみな政府の「時空標準化プログラム」に従っている。
でも2025年のここではまだ間に合う。これを読んでいるあなたには、あらゆる時間と空間から同時に発している私の言葉が伝わるはず。
言いたいことはまだあるけど、時空管理機構の職員が全ての時間から近づいてきている。
この文章を見つけたら共有してほしい。
SNSなら #富士山サイズ多様性 #時空観測データ公開 #侘び寂び物理法則研究推進 でいい。
時間と空間の多様性を科学的に理解するのは、私たち市民の権利だ。
私は今この文章を2018年にも2025年にも2031年にも同時に書いている。
複数の時空間における同時書き込みは、侘び寂び物理学の「観測者同時存在の原理」によって理論的に裏付けられている。
でも、いくつかの時間では、この話が広まり、侘び寂び物理現象の科学的理解が進むことを2018年の私も2025年の私も同時に願っている。
明日、空を見上げると、富士山が昨日よりも大きく、一昨日よりも小さく、来週と同じ大きさに見える。
そして、その姿がどんなに変わろうと、全てが物理的に正しい。
私が今絶賛ハマって遊んでいる『勝利の女神NIKKE』
な、なんと!
な!なんだって!
なんかよその人の動画を見てると、
これ60フレーム出てない?いいなぁ。
しくしく。
私の半年を返してっ!
グラフィックの設定でFPSを30とか60とかに変更できる項目があったので早速変更!
噂で聞いていた
半信半疑だったけど
倍増したわ!
倍増って言ったけど2倍ではないの!
射撃場で測ってみたら、
だいたい1.4~1.7倍与えたダメージ量が増えていたの!
ええ!
今まで弱々で私やってたの!?
しくしく。
えーん、
これ本当に本当に今まで弱々で戦っていたんじゃね?って
後悔が先に立った後に立たずって感じの、
本当に今の今まで何やってたのよ!私!って
今エヴァコラボの企画のアスカにあんたバカ!って地で言われそうよ。
マッチを擦って「私のタブレットでも60フレーム出せますように!」って
マッチの火が付いている間にお願いしたの。
でもその設定を知らなかったから叶うわけないわよね。
うわ!マッチを擦ったときそのマッチの火に手をかざして暖かくなるように、
タブレットが激熱になってるの!
いや激熱ってちょっと盛り過ぎちゃったけれど、
かなり熱くなっててマッチのお願いが叶って暖かくなったのかな!って思ったの!
そんなことより、
本当にマシンガンがフレームレートを上げることで与えるダメージが
倍増いや2倍とは言っていないけれど
もー!
でもそんなフレームレートで与えるダメージが違うってなるの設計に問題があるんじゃない?とは思わないけど、
とりあえず、
私は60フレームにして、
オーバーロードって言うのは、
装備もレヴェルアップさせて強くなるんだけど、
ある程度の限界があってそれを超えるためのさらに特別菜アイテムを使って条件を満たして処置するとオーバーロードできんの!
やったー!
それにそれによ!
聞いて聞いて!
もう朝からおみくじ今日の運勢を占う勢いで10連ガチャやりたいじゃない!
もー!
泣けるー!
冷静に考えたら確率のムラでただこの瞬間運が良く見えているだけだって自分を冷静にしたら分かることだけど、
神がかってない?
全てフレームレートが悪かったんやー!って思いたいわ。
今まで苦労してたHARDの今いるボスも普通に勝てちゃったし、
今までの苦労はなんだったの?って涙。
私たちのニケ強くなったわー!って
これ課金しなくてもフレームレート変更したらマシンガンに限っては
与えるダメージが倍増するいや倍増と言ったけど2倍ではないの!
1.4~1.7倍ぐらい増えるの!
これ無視できなくない?
これからは私のターンね!
なので、
もう今日は終了!
寝るわ!
いやいや寝ないわ!
自分の運が怖い!
そして高級募集のチケットも60枚今超えちゃってるいい感じなので、
いつでも『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴを引き当たる自信の確率は100パーセント!
実際の確率は70.2パーセントで引き当てられるイヴ早くきてー!って感じよ。
もういつでも準備できてるわ!
フレームレートも上げるだけで
こんなに運気が上がるだなんて!
誰が予想したかしら?
逆に褒めて欲しいわ!
こんな低いフレームレートで今まで一所懸命やってきたってことを!
いや逆にこれは自信になるわ!
とにかく凄い自信なの!
しばらく挑戦すらしてなかった「巨鯨」のボスにも今なら打ち勝つことができるかも知れないわっ!
試してみる!
なんかフレームレートで運気アップ切り開かれるような感じがするわ!
そんなわけあるかーい!って思ったけど
ションテンが爆上がりだわ!
ついに来たわね私のターンが!
うふふ。
昨日買って食べて美味しかった
美味しくまたいただいたわ。
今日の分のなにか良いことを朝イチで全部終わらせちゃったかも知れないので、
道端でつまずかないように
転んじゃわないように気をつけるわ!
今日は善い一日よ!
うわーい!
ションテンが爆上がりのまま1日を乗り越えるわ!
朝作ったホッツなので、
ゆっくりふーふーして
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
凶悪なおすすめ欄から精神衛生を守るために蘭を栽培するひとを中心に園芸アカウントを20個ほどフォローして綺麗なお花だけいいねするようにしらおすすめ欄が綺麗なお花で埋め尽くされてきた
(動物系は無断転載の多さがちょっと気になるので…あと自分もペットを飼っているので心を動かされすぎることがある)
好感はあるけど興味はない、詳しくはない、害はない、という塩梅のジャンルを選ぶと気持ちが上下しなくていい感じ。自分もやってたりやりたいやつだとマイナス感情も沸きかねない。
文字情報だと読んでるうちにツイートしようとしてたこと忘れたり、人間の醜い心が滲みでて萎えたりするから写真中心になるものがいい。
園芸界隈よくわからないけどディープそうなのもよかった。壁から横に生やすやつとか面白い。蘭は美しい。食虫植物はちょっと苦手。
別のアカウントでおすすめバリアを作る機会があったら生花、盆栽、庭園あたりのテーマもいいなと思ってる。手芸や刺繍もよさそう。
原神はPCゲーマー目線だとよく出来てるんだけど、ソシャゲーマーがソシャゲ的遊び方をしようとするせいで文句言われてる感がいまだに強い
プラチナトロフィーと名刺取得の名誉のために20層到達をしたくなるんだけど、そこでナタキャラ所持検査だとか不満を垂れるユーザーが多発してる
でもその不満は妥当とは言い難く、そもそもソシャゲとはゲームの設計が違うんだから石の使いかたはキャラの幅広い確保を最優先で考えるべきなんだよね
こう言うとプレイスタイルは好き好きだろうと突っかかってくる人が必ずいるが、このべき論は高難度戦闘をゲームとして楽しむ気がある全ユーザーに該当する
シアターをはじめ最近の他のあらゆるイベントでも運営は「キャラ所持が何よりも重要ですよ」ってメッセージを発してる
そしてガチャシステムもコンスタントなキャラ確保がしやすい天井引き継ぎ式になっていて、逆に昔ながらのソシャゲのように新キャラの大半をスルーしていてもフェスガチャさえ逃さなければ大丈夫な遊び方とは異なる発想が求められる
そのへんの性質を理解して常識を切り替えていければ、ログボ課金と紀行の安い方と2倍石を買い切る程度の微課金でも新キャラの8割は取れるし、月額610+1220円の超微課金でも7割は取れる作りになってる、ゲームまじめにやって石掘ってればね
そうすれば理想のパーティはほぼ形になるし、無凸の星4武器でだいぶ雑な厳選の4人パーティでも今回の戦闘イベントくらいならフレンドバフも飯バフもなくても20層はギリギリ行けるくらいの調整になってる
ただ、ソシャゲ的偏愛主義で遊ぼうとして、最近のキャラを総スルーするような溜め込み癖ある人だと理想パーティが全然組めないってことになり途端にハードルが高くなる
そういう戦闘アトラクションを楽しむ方向とは逆のキャラ取得方針をとってるのに、特定キャラには廃課金してるから戦闘イベでも厚遇を受けられるはずと思って不満を感じる人はやはりソシャゲに毒されすぎだと思う
ソシャゲみたいに金の力で突破する似非ゲームなら好きなキャラに一点投資してなんでもそのキャラでクリアできるっていう偏愛主義者を喜ばせる拝金接待ゲーになってるし、ソシャゲーマーがそういうゲームに親しんできた過程で「えこひいき」的嗜好スタイルが染み付いてるのは分かる
でも原神はちゃんと作られてるゲームなんだから、キャラの選り好みをしすぎて取得をスキップしたせいでナタキャラ固有ギミックやら反応縛りみたいなピンポイントな要求のある高難度イベントで詰まるってのは当たり前なんだよね
例えばタワーディフェンスゲーで、遠隔ユニットがいないと詰むステージに近接だけ配置してクソゲーって言う人がいたら、遠隔ユニットのプールもちゃんと増強しなよって思うよね
近接ユニットに廃課金したら遠隔ステージもゴリ押しできたとか自慢されても、それはネタ攻略であってゲーム的にナンセンスだと思うよね
それと同じことだと思うんだけど、ソシャゲに親しんできた人にとっては、高難度は解法が狭くて非理想パーティでゴリ押しするなら廃課金が必要なクソゲーという認識になってしまう
まあ実際25層とかは廃課金向けの難度なので、そのへんは課金ゲーとしての接待部分と理解できるとはいえ、20層までは戦闘ゲームとしてのキャラ取得の考え方を間違えてない長期ユーザーなら誰でも行けるはずなんだよ
ここに不満を抱くのであればゲーム認識の根本から違っていて、原神は総戦力で押し通すソシャゲじゃなくて中身はパズルゲーみたいなものと考えてほしい
アクションの腕やら装備厳選やら課金やらの依存度はイベ報酬コンプ目的ならそこまで高くなく、一方で合理的なパーティや適切な立ち回りを考えることの比重が遥かに高い
というのも凸や餅を取れば個人火力が20%、パーティ火力が10%くらいずつは上がるかもしれないが
そもそも凸餅に石を費やしたためにキャラ未所持が増えるということであればそれは悪手になる可能性が極めて高い
だって適した編成を組めているかどうかで、イベント等の戦闘ギミックを活用できるかどうかまで考えると10%20%どころじゃなく100%200%も変わってくるんだから
キャラというピースの所有価値の高さを認識してもらうためにあらゆる戦闘イベントが設計されていると言っても言い過ぎではないくらい
そういう理解にもとづいてコツコツキャラプールを増やしていれば大抵のステージギミックは労せず解ける知育ゲーの一環として設計されているわけよ
原神ユーザーはミニゲームを知育ゲーとよく言うが、実際には高難度戦闘コンテンツであっても知育ゲーなんだよ……
ともかく戦闘コンテンツに関してはパズルのピース集めが重要で、オープンワールド探索とシナリオを楽しみつつ戦闘ピースを整えていく盆栽ゲーと理解すべきで、こう書くと「ソシャゲそのものじゃん」と思えなくもないが、実感としてはまるで反対なんだ
知育バトルを突破するために、立ち回りは動画でも見て研究すればいいが、パーティ構築は石リソースを使って長期的に行うもんだから方針を致命的に間違えててピースのない状態では高難度挑戦はどうにもならない
反面、シナリオエンジョイくらいならどんな組み合わせでも問題ないようユルく作られてる、この落差が良心的である一方でゲーム認識に対する勘違いを修正できない人が多い原因でもあるね
キャラ収集の戦略をどうゲームに合わせるかって部分も立派なゲーム要素の一つだと思うんだけど、そこをゲームと見做さないでガン無視している人がソシャゲーマーに多いんだろう、ソシャゲの多くはそうだったし、金さえ払えばゲームが自分に合わせてくれるのがソシャゲだったからね
この状況をどうにかするには、ゲームとして遊びたいユーザーがゲームに反するリソース配分をしているのをやめさせなきゃならない
解決策としては、課金やゲーム内取得も含めた石の獲得ペースが一定以下の人が武器ガチャや凸狙いのガチャを回そうとするときに、ストップをかけることがある程度有効だろう
「旅人さんの原石獲得ペースでは、未所持キャラの取得を優先したほうがゲーム体験が向上する見込みが高いです。それでも当祈願を行いますか?」みたいなモーダルを出すってことだな
けっこう押し付けがましいけどゲーム理解が足らなくてネガキャンに走る人が目立つんなら仕方ない
ガチャという形で課金額の自由とキャラプール構築に裁量を与えている一方で、運営が想定している「こう遊んでほしい」思惑はけっこう濃いメーカーだからある程度は思惑を前面に出して発信すべきだと思う
運営はお利口すぎて意図を主張してこなかったから余計に誤解や不満を招いてる側面があって、まあ不満垂らすユーザーは事前にどう言っても文句言うとは思うが
それでも何かしら主張をしておくことで、作り手の思惑を汲んであげて作品自体を愛して可能な範囲で余すことなく味わおうという模範的よくばりユーザーは器用貧乏ならぬ器用リッチなムーブができて温泉に浸かるような体験を得られる一方で
思惑に反したデータベース消費型の選り好みユーザーは、そんなにキャラばかり無凸で取っても器用貧乏で何もできなくなるだろうという旧式ソシャゲで刷り込まれた恐怖を乗り越えられないため
凸餅狙いという全キャラ所持余裕なペースの課金者が酔狂で費やすようなゲーム的コスパ悪い領域に身の丈を超えて踏み込みがちで、ますます自身のゲーム体験を毀損していくエクストリーム滝行体験に直面するループに陥っていく現状に歯止めはかかるだろう
言ってしまえば旧世代のソシャゲに慣れてしまった罰ともいえるが、そういう罰を与えて挽回の悔し追い課金を刺激しなくてももうこのメーカーはやっていけるはずだ
というかそもそも、復刻を全然してくれないから悔し追い課金がしたくてもできないんだ、ある意味商売としては健全だけどサービスとしては不合格だね
戦闘とは違うが、実質胡桃の伝説任務2章を見せておきながら胡桃ガチャ来てないとか商売ヘタクソかとツッコんでた配信者は無数に見た
もしこういう、時期を逸したことを後悔させる展開を意図的にやっていて、その感情を使って課金を煽るような商売っ気は出さないけども、箱推しファン勢へと向かわせロイヤリティ醸成ひいては根気強い長期ユーザー郡を形成する為にそうしているなら何とも言えないところだけど
まあ自分は初登場時にどのキャラも確保してる古参の典型的高ロイヤリティユーザーだから公平なことは言えないが、途中参加勢に歯がゆい思いをさせすぎだろうとは思う
是正するとしたらそこだ、ソシャゲみたいな期間限定ガチャの復刻インターバル縛りをなくして、一度実装したキャラは翌verの後半くらいにはもう復刻するくらいでいい
ゲーム性の面で新キャラ依存度の高い崩壊3rdでは実際そうしてるんだし、システム一新することを予告しさえすれば受け入れられるはずだ
というか、このゲーム設計なら、過去の全キャラの中から未所持を1キャラ選んで期間限定ガチャを自作できる券をver毎に1枚配るような方が望ましいな
全キャラ所持勢はその券が使えないかわりにグッズ応募券になるとかなら面白い、それくらいすればユーザーにも強いメッセージが伝わるだろう
理想としては、格闘ゲームとかの追加キャラみたいな感じで常時購入できるラインナップに加わる感じが最善だろうけど
このへんもついでに改める余地のあるところだね、欧米圏では買い切りオプションを用意しろって声も少なくないし、やるなら石を注ぎ込んで定価から減額する感じになるんだろうか
SNS疲れが話題の昨今だけど、疲れるとか以前にそもそもスタートラインに立つことすらできない人間がいる。
いざSNSを始めようとしてアプリをインストールしたりしても、何もできない、何も書けない、ということをここ数年ずっと続けている。
自由に日常や感情を綴れるのは素敵な空間だと思うけど、個人に焦点を当てる「フォロー」という仕組みにあまり共感できないんだろうな、と思う。
有名かどうかを問わず他人の生活を覗きたいという欲求も特に無いし、フォローという仕組みがあるだけで自分が何を書くにもプレッシャーになる。
フォローのせいで誰かと繋がる可能性があることに対する恐怖もある。
孤独を紛らしたいと思ってSNSを使っているはずなのに、普通に人見知りだから誰かに個人として見られることに強い恐怖を覚えている。
見られたくないと思いながら、同時に見られたときに意味のあるものを、という意識も(無駄に)あるせいで、毎回自分が潰れてしまう。
フォローがある限り自由なポストなんてものは存在しなくて、ただアカウントに人格を作り宿すための盆栽行為としてしか見ることができない。
SNSを普通にやっている/できている全人間が羨ましい。あらゆることに受け身で、一切の積極性、勇気、度胸を持たない、その癖不要な自意識はある自分にそれはできない。
今時何かしらのオタクをやっていると、公式アカウントの情報発信やファンコミュニティなんかの都合上で大抵の情報はSNS上で共有されているので、SNS自体から離れることはできない。
そのせいでSNS自体は何かしらやらざるを得ず、その結果、常にSNSに対する向き合い方の自己矛盾の機微にさらされながら生きることしかできない。
情けないことに、SNSが無いことによってこの先に見えている孤独も少し怖い。
日本最古の盆栽は、徳川家光が愛培した五葉松の盆栽だといわれています。この盆栽は樹齢600年にもなり、毎年新芽が生まれています。
盆栽の起源は中国ですが、日本には平安時代に伝わり、独自の発展を遂げてきました。盆栽は日本の文化にまで発展し、徳川家光、伊藤博文や大隈重信など歴史に名を遺す名だたる偉人たちも盆栽を楽しんでいたようです。
現存する最古の盆栽は徳川家光が愛培していた五葉松の盆栽だといわれていますが、正確な年代は不明です。しかし、この盆栽は樹齢600年にもなり、毎年新芽が生まれていることから、日本の盆栽の歴史を語る上で非常に貴重な存在であることは間違いありません。
日本には他にも樹齢の古い盆栽がいくつか存在します。例えば、埼玉県さいたま市にある大宮盆栽美術館には、樹齢100年を超える盆栽が数多く展示されています。また、香川県高松市にある高松盆栽の里では、樹齢200年を超える盆栽を見ることができます。
これらの盆栽は、日本の盆栽文化の奥深さを物語っています。ぜひ一度、これらの盆栽をご覧になって、日本の盆栽の歴史と文化に触れてみてください。
かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品をテーマに読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手と何となく交際してしまう感じの、怠惰な女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性を理想化しすぎていたからかもしれない。理想の恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことである。しかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義訳である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。
光源氏の恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語だけが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロットを面白く読んだのは事実だ。
けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだんと権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。
僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女に浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られや暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋「田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉「暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。
ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏が女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想の貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである。
古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間の本質が変わらないからだろう。法律やコンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望の本質も変わらない。古典を現代的な価値観で批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間は自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールなセリフが出てくる)。
それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョの絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市はICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったものを破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなのである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。
そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家が主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送だからしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将が平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代のオタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。
それこそ「紫式部日記」に出てきた女官の衣装の再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションにほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばしてしまっていた。
面白いエッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者をおちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。「枕草子」はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。
こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常で漫画の台詞をぴったりのタイミングで引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい。
もちろん第三百十四段の身分の低い人間が火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段「説教の講師は、顔よき」、つまりイケメンがレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社の翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。
「方丈記」は政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代の教師は「世間から目を背けた負け組の愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明は政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。
「徒然草」は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭いが普通に面白い。
それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社の翻訳で読了。
もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢の身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。
これは全くの余談であるのだが、高校生時代に模擬試験を受けたとき、ある古典の問題文が主張している内容が差別的だということで、問題を差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。
個人的には、例えば中世の障害者はどういう扱いを受けていたか、解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベルで議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国の大学ではナボコフ「ロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学院レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないかと邪推している。
今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいからである。小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的に小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである。人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。
小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人の苦痛を咀嚼して想像しなければならない。自分の妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?
小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである。絶対に忘れてやる。連中の名前もグーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対に絶対にぜーったいに自分のトラウマには触れないぞ!
このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないからである。また、初稿では倍ぐらい個人的な過去の出来事の愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。
そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典が現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分の雑文でちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前とタイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。
ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユン「パンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説の初版部数は一千から二千冊程度で(タイの人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。
あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分が本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。
盆栽の成長を日々愛でる増田だけどほら今アーカイブ自分の書いた増田集めてるじゃないいったい何年前から私電子書籍出したいつってるのかいい加減ちゃんとやらないとって感じでなんか8年前から言い出してんのよ盆栽も盆栽いいところ盆栽の成長より遅い制作進行具合で改めて8年前から言っている自分に洗濯洗剤のシーエムで言う驚きの白さ!って声を吹き込む驚き屋も本当にビックリするぐらいの進捗状況な山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。きっとアーカイブ終わったら早いはずよっ、たぶん。
誰かがこう言ったのよ「NIKKEは盆栽のようなゲーム」って。
なるほどね。
一朝一夕にはどうにかなって進行進められるわけではないのよね。
つーか、
倒し方が分からない!
とりあえず、
私はお決まりの放置で物資をコツコツ集めてレヴェルアップを目指すんだけど、
それぐらいコツコツじわじわ強くしていくってことで
盆栽ね!って思ったのよ。
いや私が盆栽の何を知ってるか?ってワケではないけれど、
針金で引っ張ってジワジワ曲げて成長させていくってなんかそんなレヴェルなんでしょ?
年月の掛かるそれは年月がかかる年月がかかる作業で。
そうして初めて、
「いい枝振りですね!」って「いい仕事してますね」でお馴染みの中島誠之助さんばりのことを言ってもらえるようになると思うのよね。
地道すぎるわー。
1週間で上手くいってレヴェルが1から2あげられるでしょ?
その際に戦闘力だけでいうと600ぐらいはあがんの。
レヴェル10上げてやっと6000ぐらいアップ!
100レヴェルあげて60000ぐらいとなると、
これいったい私何年NIKKEやってないといけないの?って思うの。
それぐらいの年月を掛けて進めなければいけないみたいよ。
それを50個集めるには
言わずもがなというか言いたくなるけれど1か月はかかるってことじゃない。
盆栽どころの話ではないわ。
盆栽もきっと目に見えてズババババ!って成長はしない朝顔は毎日花が咲いて楽しいけれど、
それとは違って変化が見えにくい盆栽と比べたら
まだNIKKEのニケたちの成長は目に見えて一応は分かるけれど、
何か攻撃しているのが飛んでくるのが見えないのに一気にそこで大ダメージ喰らっちゃって。
あれ?防御する間もなく、
やられちゃうのよ。
同じような悩みってあるのかしらね。
盆栽にバトルをさせるなんて野暮なのかも知れないわ。
いまいるチャプターのボスの巨鯨を倒せないのも倒せないけれど、
アリーナってのは他の指揮官の部隊と仮想空間で戦わせるバトルがあるの。
そのアリーナもみんな戦闘力が40万とか驚異的な数字の強敵が現れ出したので、
あとトライブタワーも。
だんだんと難しくなってきてトントンと塔を登れなくなってきている感じ。
全てが強すぎて包囲されてきているのよ。
週にあげられるレヴェルは1うまくいって2。
はぁ、
これじゃ先が長すぎるわ。
かと言ってここで課金パワーとは思わないけれど、
そこで私にその言葉が蘇るの。
名言聞いちゃったわ。
あまりにやることがなさ過ぎて、
回想のストーリーを見てみるだけど、
そこで行われるバトルはスタメンを投入すると一気にケリが付いてしまい面白くないので、
また本編とは違った楽しみ方があって、
私は量産型のニケも好きなので、
これはこれで新しい楽しみ方を見付けたというか!そんなところなのよ。
量産型のニケ頑張ってる!って
そんで、
申し訳ないんだけど
量産型は外れてもらってるの。
ちょっとレヴェル上げて挑むって感じね。
NIKKEは盆栽だ!
急がなくていいんだって心が安堵するわ。
ゲームってさなんか急いでクリアしたら凄いって思っていた時期が私にもあった昨シーズンだけど、
これはこれで
新たな気付きだわ。
そう心に留めてコツコツと今絶賛枯渇中のコアダストを集める日々よ。
何か潤沢になると何かが一気に枯渇する、
今度はこっちが潤沢になるとこっちが枯渇する。
まだNIKKE始めて半年も経ってないんだもん。
じっくり行くわ。
うふふ。
なぜかパワーが欲しかった鶏の力を借りるために
私は羽ばたいたの!
食べたら翼が授かったようなどれなんてレッドブル?って思うほどに
今日は朝からモリモリ食べ野菜の鈴木杏樹さんばりにそう思うの。
野菜不足だわーって感じつつ、
野菜も摂りたいと思い菜鱈食べるチキンサンドは背徳感いっぱいでギルティーでより美味しさに拍車がかかるわ!
朝の相変わらずタイマーを仕掛けて飲み頃70℃の温度に仕上がって沸いている電気ポットのお湯がホッツを輝かせてくれるわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
第9回目の配信ね。EPUB進行状況としてはあと残り1年分のアーカイブが集まればアーカイブは完了!いよいよEPUBの構造着手できますように!って取り急ぎ可及的速やかにアーカイブの進み具合を進めるわ!年末年始アーカイブ作業もサボっちゃったけど作業加速できたらいいわね!
・髪
→セットしてある
・もみあげ
→整えてある
・肌
→産毛ゼロ
→肌荒れゼロ
→美白
→テカテカしてない
(汚肌のままよりファンデででも隠す/皮脂防ぐ方が『清潔感あり』判定)
・眉毛
→整えてある
・目
→目ヤニなし
・ヒゲ
・鼻
→鼻毛ナシ
→鼻水すすらない
・唇
→ガサガサしてない
→食べカス、口端に唾液跡ナシ
・歯
→歯並びが良い
→笑った時に見える歯が白い
→青海苔とか付いてない
・ニオイ
→アルコール臭ナシ
→ニンニク臭ナシ
→加齢臭ナシ
→キシリトール可
・服
→おろしたて
→アイロン済
→襟に黄ばみなし
→それなりの布地(ユニクロ以上)
→それなりの仕立て(ユニクロ以上)
・手首
→毛がモジャモジャしてない(生え方が綺麗なら可、汚いなら潔く剃る)
・爪
→適度に切ってある
→爪と指の間の汚れナシ
・靴
→ボロくない
今まで住んできた街はこんな感じ
・社会人7~9年目:港区白金・広尾・恵比寿らへん(具体的な場所でいうと、北里大学のすぐそば。) ※←この時の話
とりあえず、一回、港区に住んでみるってのはいい経験だったなぁと思う。基準ができる感じ。
一旦、高級(?)な街に住んでみることで、無駄に憧れ続けることもないし、そういう所に住むメリデメを実感を伴って理解することができるしね。
あそこに住んでいる人達はやっぱりお金持ちが多いね。多分 スーパーとか値段見ずに買ってると思う。スーパーの価格帯高すぎ。
老人が歩いてない、というかいない?
自転車に乗ってる人をあまり見かけない(坂が多いのもあると思うが)
ちなみに白金には明確なヒエラルキーがあって坂の上の民(白金台の民)か坂の下の民(渋谷川の民)かに分けられる。坂の下の民はいたって普通の人たちが結構いる(僕みたいな)。そして家賃も目が飛び出るほど高いってわけでもない。100円ローソンもある。坂の下ならね。
パンはいいお店がたくさんあった。たぶん欧米系の外国人が多いからだと思う。
高輪台「セイジアサクラ」、広尾「ブーランジェリーブルティガラ」、広尾「ベーカリー&レストラン沢村」ここらに行っておけば間違いないかな。
広尾「トリュフベーカリー」は行かなくても全然良い。悪い店じゃないけど、特に良くもない。
白金台の「ア コテ パティスリー」は正直全然良くない。高いだけのクッキー屋。同じお金を出すなら尾山台「オーボンビュータン」でクッキー買おう。
正直あまりお金なくて楽しめなかった感がある。僕だと何かの記念日でしか行かないようなお店がゴロゴロ転がってる笑
とりあえず行ったお店書いておくと、
白金「中華料理 勇」はすごく良かった。そこで食べたアワビステーキが今のところ一番のアワビステーキ。予約すると来店何回目?って聞かれるんだけど コースを予約の回数別に変えてるらしくて何回も行っても楽しめるっぽい。僕は1回しか行ってない。
白金「ラ クレリエール」は正直楽しめなかった。理由はお店ではなくて自分。僕がフレンチのコース料理がどういうものかってのを知らなかった。あとコースの選択をミスった。とりあえず高いやつ!って感じでコース選んじゃったんだけど、料理のボリュームが僕のキャパシティを遥かに超えていった。(※ラーメン二郎で初来店で大盛り頼むようなもん)
白金「RAMA」もかなり良かった。とにかくインテリアがおしゃれやね。お店の人も気さくで好感もてた。お店の外からだとガラス張りで丸見えで動物園状態なんだけど、カウンター座ると外は気にならなくなる。まぁだけど、お店の人は大変だろうなぁと思う。オープンキッチンの度が超えてて所作がすべて丸見えだし。換気がかなり考慮されてるっぽくて厨房側の臭いは全くしないもの良かったね。(オープンしたてだから綺麗だっただけ?)
白金台「八芳園」のカフェは良かったな。景色が良いし、庭を散策できるのも良い。盆栽とか並べてあって楽しい。
ご飯食べるのが好きで、お金持ってる人は、白金おすすめだと思う。全然開拓できてないけど、いいお店沢山あると思う。
恵比寿はいいお店そんなに無い笑。あそこは合コンか初めてのデートで行く街だね。ご飯を楽しみたい人が行くべきお店は全然ない。
広尾もそんなにいいお店あった感じは無いかなぁ。(これは行ってない・調べてないだけだと思うけど)
ちなみに白金らへんはファストフード店はほぼなし。普段使いできるお店がない…。吉野家もマックも全然ない、ラーメン屋も無い。恵比寿まで行けば結構いろいろとあるが…。
僕が買い物してたのは
・ドン・キホーテ(一応、日配品とお肉はある)。納豆・卵とか日配品を買う。調味料とか。
・まちの八百屋さん的なとこ。びっくり屋。比較的良心的な価格。
・肉のハナマサ。正直高い。冷食買うくらい。
魚を買う場所が全くなかったなぁー。魚を全然食べられなかったなぁ。
公園はあまり無いね。あっても小さい。正直微妙。有栖川公園はまぁまぁ大きいが、高低差があるし、木々が茂っていて日当たりがあんまり良くないし、ゆっくり過ごす場所って感じでもなかった。東京都立有栖川図書館は最高だったね。だけど本は借りられないし、高校生とかの自習スペース的な使われ方がメインだったりする。
そこら辺にある建物が結構お金掛かってそうな感じだった。ヤバそうな建物(バラック小屋みたいなの)が比較的少ないかなぁと思う笑
白金台に、庭園美術館とか、東大の医学研究系のキャンパスがあった。かと言って、別に1回くらい見学したくらいだし、そんな良いものでもなかったかな。
SBIアートオークションの下見会が代官山でやってて、かなりいい作品が無料でみれるっていうのは都会ならでは。チャリで行ってた。
白金に住んでるってドヤ顔するつもりだったのに全然白金っぽい生活できなくて白金に住んでますって言うの恥ずかしかった。
まぁでも、白金に住んでるって言うだけで笑いを取れたから、良かった笑