はてなキーワード: 器用貧乏とは
会社にオリックスファンの後輩の女性がいる。彼女は毎朝キラキラした目で「昨日の試合見ました?」と話しかけてくる。私の日課はその女性からオリックスの選手がどうだとか、今後の試合はどこでやるとか、先週は仙台まで試合を見てきただとか、いわゆるオリックスの推し活話を聞かされるのだが、なぜそこまで「推し」の存在ができるのかよく分からない。
「◯◯選手のホームランすごかったですよ!あの瞬間会場が沸いて、私も思わず立ち上がって…」
彼女の目は輝き、声のトーンが上がる。その姿を見ていると、何かに熱中できる彼女が羨ましくもある。一方で「そんなに熱くなれるものって何だろう?」と不思議に思う自分がいる。
思えば私の人生で推しはいなかった。中学時代、周りの友達が嵐やKAT-TUNにハマってCDを集め、コンサートのチケットを必死に取ろうとしている横で、私は「ふーん、そうなんだ」と思っていた程度だ。
というか、もう少し主語を大きくすると物事にそこまでのめりこむ経験がなかったように思う。大学時代そこそこの体育会を続けていたりしたが、引退後はたまに後輩の応援に行くくらいでさっぱりである。「あの頃は青春だったなぁ」と懐かしむ程度で、OB会にも半分義務感で参加している。
長く続いている趣味も特になく、アニメもたまに見る、音楽も流行りをたまに聞く、スポーツもテレビでたまに見る、以上、という感じなのだ。「たまに」の連続。深くではなく、広く浅く。それが私の生き方だ。
冷静になって他の友人を見回すと、サッカーが好きで毎週見に行くとか、好きなアーティストのライブによく行くとか、車が好きでしょっちゅう整備しているとか、みんな何らかの推しやのめり込む趣味を持っていたのだ。SNSを見れば、推し活あるあるで盛り上がる投稿に「わかる〜!」とコメントが殺到している。世の中は「推し」のある人間で溢れているようだ。
そこでこれを機に自分に推し活ができない原因をなんとなく考えてみた。
よく言われる器用貧乏というものだ。最初からいろいろと何でも出来ちゃえば、そもそものめり込む動機もない。「これができないから頑張りたい」という原動力が生まれにくい。
しかし、これは自分に当てはまらないと感じる。大学時代のゼミでは「君は要点をつかむのが下手だね」と言われ続けた。職場でも「もう少し要領よくできないか」と上司に言われる。どちらかというと要領は悪いのでこれは当てはまらない。
そこで私は以下の3点が推し活ができない原因と考えた。
子供の頃、親が「うちは貧乏だから」という話をよく聞かされていたため、自然とお金がかかるものは避け、親におねだりすることは一切しなくなった。
小学4年生の時、クラスメイトがみんな持っていたデジモンのおもちゃが欲しくて、母に「友達みんな持ってるんだよね」と遠回しに伝えたことがある。すると母は「そういうのに流されるのはダメ。うちにはそんなお金ないからね」と言った。それ以来、欲しいものを口にすることはなくなった。
ただ、大人になってから気付いたが、別に貧乏ではなくむしろ裕福な方だったのだろうと思い、なぜあそこまで悔しがりながら辛抱強く我慢していたのか、たまに虚しくなる。実家の本棚を整理したら、母の「節約生活のすすめ」的な自己啓発本がずらりと並んでいた。あれは母の趣味だったのか…。
話はそれたが、推すためにも金がかかる。オリックスファンの後輩は、遠征費、グッズ代、チケット代など、月に3万円ほど「推し活」に使っているらしい。「それだけあれば…」と考えてしまう自分がいる。投資信託を増やすとか、老後資金に回すとか。
今は給与的に正直何不自由ないくらいにはサラリーマンをやれているので、なんてことはないのだが、なんとなくこの出費に意味はあるのか?と考え、結局手が伸びない。「楽しいから」という理由だけでお金を使うことに罪悪感がある。
推すきっかけには友人関係のなかで生まれてくるものもきっとあるはずだが、私は残念ながらあまり友達が多くない。大学の同級生とはほとんど連絡を取っておらず、職場の同僚とも飲み会以外で会うことはない。
推し活をしている人たちを見ていると、SNSで仲間を見つけたり、現地で知り合った人と交流したりと、コミュニティの中で推し活を深めているように見える。オリックスファンの後輩も「ファンクラブのLINEグループがあって、みんなで遠征計画立てるんですよ〜」と楽しそうに話していた。
私にはそういう「一緒に熱くなれる仲間」がいない。もし誰かに「このアーティストいいよね」と言っても、「へー」で終わりそうな気がする。推し活の楽しさの半分は共有体験にあるのかもしれない。
私は感受性不足な面がある。映画とかで泣いたり、結婚式とかで泣いたりする人、正直よく分からない。友人の結婚式で周りがハンカチで涙を拭いている中、私だけ「写真撮っとこう」と冷静にスマホを取り出していた。
感動する体験が少ないのかもしれない。オリックスファンの後輩は「初めて生で見た試合で、逆転サヨナラホームランが出て、その瞬間からファンになった」と言っていた。そういう「心震える瞬間」に出会ったことがあるだろうか。思い返しても特にない。
あるいは、感動する回路が弱いのかもしれない。何かを見て「すごい!」と思っても、すぐに「でもまあ、別に…」と打ち消してしまう。常に一歩引いて物事を見ている。
で、この3点が組み合わさるとどうなるか。
どれが初期のきっかけかはわからないが、3点が相互に連関しているように思う。
お金がない→人付き合いが悪くなる→推し活のきっかけも生まれにくくなる→感受性が育たない→人付き合いが悪くなる→…
こんなサイクルが私の中で永遠に回っているのかもしれない。貧乏性のせいでお金を使わないから友達と一緒に推し活ができず、友達がいないから感動体験が生まれにくく、感動体験が少ないから「これにお金使おう!」という衝動も生まれない。
ただ、最近ふと思ったのは、「推し活ができないこと」自体が問題なのか?ということだ。別にみんながみんなのめり込める何かを持っているわけじゃないし、持っていなくてもそれはそれでいいんじゃないか。
でも、オリックスファンの後輩が試合後に「最高でした!」と目を輝かせて話すのを見ると、どこか羨ましくもある。何かに全力で打ち込む姿、心から楽しんでいる姿は、やっぱり美しい。
そんなことを考えながら、今日も私はオリックスファンの後輩の熱い推し活トークを聞くのだった。「それで、宮城選手がどうしたって?」
自分にとっての「推し」、いつか見つかるだろうか。それとも、推し活のない人生を歩み続けるのだろうか。どちらでもいいような気もするし、何か変わりたいような気もする。
そんな、どっちつかずの気持ちも、私らしいのかもしれない。
僕が「なんでもできるような人になりたい」って憧れは小さい頃から潜在意識のなかにあったのかも知れない。
幼少期によく遊んでいた友人が成績優秀、吹奏楽の部長を務め、絵が上手く、ゲームのセンスもある「なんでもできる人」だった。
対して僕は引きこもりの不登校、成績もそれほど高くなく、吹奏楽でも先生に怒られながら下手な楽器を鳴らし、絵も大して上手くなく、ゲームも彼にずっと負けていた。
何もできないドベだった。
とにかく彼に負けたくなく、僕は彼が手につけるものを追ってチャレンジしたが、結局、何も勝つことはできなかった。
僕は楽曲制作、映像制作、イラスト制作、グラフィックデザイン、プログラム、多岐にわたる技術を広く浅く習得し、のんびりと創作活動を行なっている。
彼に憧れていたものを手に入れた気はしていない。
原神はPCゲーマー目線だとよく出来てるんだけど、ソシャゲーマーがソシャゲ的遊び方をしようとするせいで文句言われてる感がいまだに強い
プラチナトロフィーと名刺取得の名誉のために20層到達をしたくなるんだけど、そこでナタキャラ所持検査だとか不満を垂れるユーザーが多発してる
でもその不満は妥当とは言い難く、そもそもソシャゲとはゲームの設計が違うんだから石の使いかたはキャラの幅広い確保を最優先で考えるべきなんだよね
こう言うとプレイスタイルは好き好きだろうと突っかかってくる人が必ずいるが、このべき論は高難度戦闘をゲームとして楽しむ気がある全ユーザーに該当する
シアターをはじめ最近の他のあらゆるイベントでも運営は「キャラ所持が何よりも重要ですよ」ってメッセージを発してる
そしてガチャシステムもコンスタントなキャラ確保がしやすい天井引き継ぎ式になっていて、逆に昔ながらのソシャゲのように新キャラの大半をスルーしていてもフェスガチャさえ逃さなければ大丈夫な遊び方とは異なる発想が求められる
そのへんの性質を理解して常識を切り替えていければ、ログボ課金と紀行の安い方と2倍石を買い切る程度の微課金でも新キャラの8割は取れるし、月額610+1220円の超微課金でも7割は取れる作りになってる、ゲームまじめにやって石掘ってればね
そうすれば理想のパーティはほぼ形になるし、無凸の星4武器でだいぶ雑な厳選の4人パーティでも今回の戦闘イベントくらいならフレンドバフも飯バフもなくても20層はギリギリ行けるくらいの調整になってる
ただ、ソシャゲ的偏愛主義で遊ぼうとして、最近のキャラを総スルーするような溜め込み癖ある人だと理想パーティが全然組めないってことになり途端にハードルが高くなる
そういう戦闘アトラクションを楽しむ方向とは逆のキャラ取得方針をとってるのに、特定キャラには廃課金してるから戦闘イベでも厚遇を受けられるはずと思って不満を感じる人はやはりソシャゲに毒されすぎだと思う
ソシャゲみたいに金の力で突破する似非ゲームなら好きなキャラに一点投資してなんでもそのキャラでクリアできるっていう偏愛主義者を喜ばせる拝金接待ゲーになってるし、ソシャゲーマーがそういうゲームに親しんできた過程で「えこひいき」的嗜好スタイルが染み付いてるのは分かる
でも原神はちゃんと作られてるゲームなんだから、キャラの選り好みをしすぎて取得をスキップしたせいでナタキャラ固有ギミックやら反応縛りみたいなピンポイントな要求のある高難度イベントで詰まるってのは当たり前なんだよね
例えばタワーディフェンスゲーで、遠隔ユニットがいないと詰むステージに近接だけ配置してクソゲーって言う人がいたら、遠隔ユニットのプールもちゃんと増強しなよって思うよね
近接ユニットに廃課金したら遠隔ステージもゴリ押しできたとか自慢されても、それはネタ攻略であってゲーム的にナンセンスだと思うよね
それと同じことだと思うんだけど、ソシャゲに親しんできた人にとっては、高難度は解法が狭くて非理想パーティでゴリ押しするなら廃課金が必要なクソゲーという認識になってしまう
まあ実際25層とかは廃課金向けの難度なので、そのへんは課金ゲーとしての接待部分と理解できるとはいえ、20層までは戦闘ゲームとしてのキャラ取得の考え方を間違えてない長期ユーザーなら誰でも行けるはずなんだよ
ここに不満を抱くのであればゲーム認識の根本から違っていて、原神は総戦力で押し通すソシャゲじゃなくて中身はパズルゲーみたいなものと考えてほしい
アクションの腕やら装備厳選やら課金やらの依存度はイベ報酬コンプ目的ならそこまで高くなく、一方で合理的なパーティや適切な立ち回りを考えることの比重が遥かに高い
というのも凸や餅を取れば個人火力が20%、パーティ火力が10%くらいずつは上がるかもしれないが
そもそも凸餅に石を費やしたためにキャラ未所持が増えるということであればそれは悪手になる可能性が極めて高い
だって適した編成を組めているかどうかで、イベント等の戦闘ギミックを活用できるかどうかまで考えると10%20%どころじゃなく100%200%も変わってくるんだから
キャラというピースの所有価値の高さを認識してもらうためにあらゆる戦闘イベントが設計されていると言っても言い過ぎではないくらい
そういう理解にもとづいてコツコツキャラプールを増やしていれば大抵のステージギミックは労せず解ける知育ゲーの一環として設計されているわけよ
原神ユーザーはミニゲームを知育ゲーとよく言うが、実際には高難度戦闘コンテンツであっても知育ゲーなんだよ……
ともかく戦闘コンテンツに関してはパズルのピース集めが重要で、オープンワールド探索とシナリオを楽しみつつ戦闘ピースを整えていく盆栽ゲーと理解すべきで、こう書くと「ソシャゲそのものじゃん」と思えなくもないが、実感としてはまるで反対なんだ
知育バトルを突破するために、立ち回りは動画でも見て研究すればいいが、パーティ構築は石リソースを使って長期的に行うもんだから方針を致命的に間違えててピースのない状態では高難度挑戦はどうにもならない
反面、シナリオエンジョイくらいならどんな組み合わせでも問題ないようユルく作られてる、この落差が良心的である一方でゲーム認識に対する勘違いを修正できない人が多い原因でもあるね
キャラ収集の戦略をどうゲームに合わせるかって部分も立派なゲーム要素の一つだと思うんだけど、そこをゲームと見做さないでガン無視している人がソシャゲーマーに多いんだろう、ソシャゲの多くはそうだったし、金さえ払えばゲームが自分に合わせてくれるのがソシャゲだったからね
この状況をどうにかするには、ゲームとして遊びたいユーザーがゲームに反するリソース配分をしているのをやめさせなきゃならない
解決策としては、課金やゲーム内取得も含めた石の獲得ペースが一定以下の人が武器ガチャや凸狙いのガチャを回そうとするときに、ストップをかけることがある程度有効だろう
「旅人さんの原石獲得ペースでは、未所持キャラの取得を優先したほうがゲーム体験が向上する見込みが高いです。それでも当祈願を行いますか?」みたいなモーダルを出すってことだな
けっこう押し付けがましいけどゲーム理解が足らなくてネガキャンに走る人が目立つんなら仕方ない
ガチャという形で課金額の自由とキャラプール構築に裁量を与えている一方で、運営が想定している「こう遊んでほしい」思惑はけっこう濃いメーカーだからある程度は思惑を前面に出して発信すべきだと思う
運営はお利口すぎて意図を主張してこなかったから余計に誤解や不満を招いてる側面があって、まあ不満垂らすユーザーは事前にどう言っても文句言うとは思うが
それでも何かしら主張をしておくことで、作り手の思惑を汲んであげて作品自体を愛して可能な範囲で余すことなく味わおうという模範的よくばりユーザーは器用貧乏ならぬ器用リッチなムーブができて温泉に浸かるような体験を得られる一方で
思惑に反したデータベース消費型の選り好みユーザーは、そんなにキャラばかり無凸で取っても器用貧乏で何もできなくなるだろうという旧式ソシャゲで刷り込まれた恐怖を乗り越えられないため
凸餅狙いという全キャラ所持余裕なペースの課金者が酔狂で費やすようなゲーム的コスパ悪い領域に身の丈を超えて踏み込みがちで、ますます自身のゲーム体験を毀損していくエクストリーム滝行体験に直面するループに陥っていく現状に歯止めはかかるだろう
言ってしまえば旧世代のソシャゲに慣れてしまった罰ともいえるが、そういう罰を与えて挽回の悔し追い課金を刺激しなくてももうこのメーカーはやっていけるはずだ
というかそもそも、復刻を全然してくれないから悔し追い課金がしたくてもできないんだ、ある意味商売としては健全だけどサービスとしては不合格だね
戦闘とは違うが、実質胡桃の伝説任務2章を見せておきながら胡桃ガチャ来てないとか商売ヘタクソかとツッコんでた配信者は無数に見た
もしこういう、時期を逸したことを後悔させる展開を意図的にやっていて、その感情を使って課金を煽るような商売っ気は出さないけども、箱推しファン勢へと向かわせロイヤリティ醸成ひいては根気強い長期ユーザー郡を形成する為にそうしているなら何とも言えないところだけど
まあ自分は初登場時にどのキャラも確保してる古参の典型的高ロイヤリティユーザーだから公平なことは言えないが、途中参加勢に歯がゆい思いをさせすぎだろうとは思う
是正するとしたらそこだ、ソシャゲみたいな期間限定ガチャの復刻インターバル縛りをなくして、一度実装したキャラは翌verの後半くらいにはもう復刻するくらいでいい
ゲーム性の面で新キャラ依存度の高い崩壊3rdでは実際そうしてるんだし、システム一新することを予告しさえすれば受け入れられるはずだ
というか、このゲーム設計なら、過去の全キャラの中から未所持を1キャラ選んで期間限定ガチャを自作できる券をver毎に1枚配るような方が望ましいな
全キャラ所持勢はその券が使えないかわりにグッズ応募券になるとかなら面白い、それくらいすればユーザーにも強いメッセージが伝わるだろう
理想としては、格闘ゲームとかの追加キャラみたいな感じで常時購入できるラインナップに加わる感じが最善だろうけど
このへんもついでに改める余地のあるところだね、欧米圏では買い切りオプションを用意しろって声も少なくないし、やるなら石を注ぎ込んで定価から減額する感じになるんだろうか
ただの器用貧乏のよくいる人だった
正式な肩書きは「営業職」だけど、実際には何でもやらされる。商品の梱包から客先への配達、資料作成、時にはオフィスの備品補充まで。誰かが「これ、誰がやる?」って言ったら、自然とみんなの目が俺に向く。それが面倒だから、俺が「やります」って言う。これが毎日のルーティンだ。
別にそれが嫌いってわけじゃない。最初は「お前がいないと回らないよな!」とか言われるたびに嬉しかったし、やりがいも感じてた。でも最近、それがただの「便利屋」扱いだって気づいてしまった。
例えば、同僚が定時で帰っていく横で俺だけが残業してたり、誰かが「あの仕事やった?」って俺に確認してくるとき。「いや、それ俺の担当じゃないだろ?」って思っても、結局やっちゃうんだよな。断るのがめんどくさいっていうか、断った後の空気が嫌なんだ。
でも、一番堪えたのは先週の飲み会だ。
課長がビール片手に「〇〇(俺)はさ、本当、器用貧乏って感じだよな!」「みんな、あいつみたいに頑張れよ!」って笑いながら言ったんだ。その場では「ありがとうございます」としか言えなかったけど、帰り道でずっとモヤモヤしてた。
俺がいないと仕事が回らないって言われるけど、それって俺が全部抱え込んでるからじゃないのか?俺が「便利屋」でいる限り、みんな俺に頼りっぱなしで、自分たちは楽できる。俺が勝手に自分を追い込んで、勝手に消耗してるだけなんじゃないかって。
最近、少しだけ反抗してみた。雑用を振られたとき、初めて「それは担当の人に頼んでください」って言ったら、相手がすごく驚いた顔をしてた。でも、その一瞬だけだった。そのあと「わかった、じゃあお願い」って言われて、結局俺がやる羽目になった。
俺はこのままずっと「なんでも屋」として生きていくのか、それともいつか「断れる人」になれるのか。それを考えると、正直ちょっと怖い。
逆ギレとかしないし、表情あんまでないし、わりと器用(器用貧乏というか要領でやってるというか)で、基本真面目な態度をとってる。
するとなんか厳しくされる。他の人よりできてるのに厳しくされる。
厳しくすれば響くだろうみたいな、這い上がって、やってくれるだろうな期待は感じる。
でもさ。そりゃできるかもしれないけどさ。
学生の頃から今までもうずっと帰り道泣いてきたわけ。その場では泣けないから。表情すぐでないから。
指導者とか上司とか先輩みたいな立場の人ってやっぱ、ある程度その人の人となりが分かるまで理不尽な説教しちゃだめだと思うんだよね。
打てば響く根性ある人もいると思うよ。
でもそんな人、そんなに多くないと思う。
とにかく打たれて弱くなる人生だった。
文才もなく、特に面白い出来事もないので完全に誰得なんだけど、
毎日家に篭って意味もなくようつべを垂れ流しながらゴロゴロしているだけで、なにも得ないままとてつもないスピードで時間が経過していくのに焦りを感じて、
——
3:30頃起床
昨日は10時から18時ごろに寝ていて、その後も2度ほど眠気に抗えずに1時間程度眠っていた。就寝は22時台。処方されている睡眠導入剤を飲んで眠った。
完全に昼夜逆転してしまっているのをなんとか朝方に戻したく、今日は朝6時ぐらいに起きられればいいかな〜?と思っていたけれど、早く目が覚め過ぎてしまった。
まあ…昨日散々寝て過ごしているし、当然か。
4:50頃
すき家で朝飯を食った。
あと10分待てばモーニングメニューの時間で数十円安く済ませられた。
その後、帰宅して古いエスプレッソマシンでカフェラテを使ってペットのフェレットとじゃれあいながらチル。
家を出る前に流しっぱなしにしていたアマプラのドキュメンタリーを少しだけ横目に見ていたけどあまり面白くなさそう。
食事の後はどうしても眠気がやってくる。
家にいるとこの眠気に抗いづらい。
—-
一昨日の夕方ごろ
仕事を辞めてからなんだか何もやる気が起きず、漠然とした不安に苛まれる毎日で、
何をしていても虚しく感じることが多い。
が、このメールには少しテンションが上がった。やっぱり仕事が生き甲斐なんだろうな。
人に誇れるような特技もなく、大したスキルもない器用貧乏の自分にとって、
仕事で認められることが今の人生において重要なことなんだと改めて感じる。
まあ、ニートだけど。
—-
夜まで寝ない。昼寝しない。
やる気が出たら部屋の片付けを進める。
文才もなく、特に面白い出来事もないので完全に誰得なんだけど、
毎日家に篭って意味もなくようつべを垂れ流しながらゴロゴロしているだけで、なにも得ないままとてつもないスピードで時間が経過していくのに焦りを感じて、
——
3:30頃起床
昨日は10時から18時ごろに寝ていて、その後も2度ほど眠気に抗えずに1時間程度眠っていた。就寝は22時台。処方されている睡眠導入剤を飲んで眠った。
完全に昼夜逆転してしまっているのをなんとか朝方に戻したく、今日は朝6時ぐらいに起きられればいいかな〜?と思っていたけれど、早く目が覚め過ぎてしまった。
まあ…昨日散々寝て過ごしているし、当然か。
4:50頃
すき家で朝飯を食った。
あと10分待てばモーニングメニューの時間で数十円安く済ませられた。
その後、帰宅して古いエスプレッソマシンでカフェラテを使ってペットのフェレットとじゃれあいながらチル。
家を出る前に流しっぱなしにしていたアマプラのドキュメンタリーを少しだけ横目に見ていたけどあまり面白くなさそう。
食事の後はどうしても眠気がやってくる。
家にいるとこの眠気に抗いづらい。
—-
一昨日の夕方ごろ
仕事を辞めてからなんだか何もやる気が起きず、漠然とした不安に苛まれる毎日で、
何をしていても虚しく感じることが多い。
が、このメールには少しテンションが上がった。やっぱり仕事が生き甲斐なんだろうな。
人に誇れるような特技もなく、大したスキルもない器用貧乏の自分にとって、
仕事で認められることが今の人生において重要なことなんだと改めて感じる。
まあ、ニートだけど。
—-
夜まで寝ない。昼寝しない。
やる気が出たら部屋の片付けを進める。
文才もなく、特に面白い出来事もないので完全に誰得なんだけど、
毎日家に篭って意味もなくようつべを垂れ流しながらゴロゴロしているだけで、なにも得ないままとてつもないスピードで時間が経過していくのに焦りを感じて、
——
3:30頃起床
昨日は10時から18時ごろに寝ていて、その後も2度ほど眠気に抗えずに1時間程度眠っていた。就寝は22時台。処方されている睡眠導入剤を飲んで眠った。
完全に昼夜逆転してしまっているのをなんとか朝方に戻したく、今日は朝6時ぐらいに起きられればいいかな〜?と思っていたけれど、早く目が覚め過ぎてしまった。
まあ…昨日散々寝て過ごしているし、当然か。
4:50頃
すき家で朝飯を食った。
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家を出る前に流しっぱなしにしていたアマプラのドキュメンタリーを少しだけ横目に見ていたけどあまり面白くなさそう。
食事の後はどうしても眠気がやってくる。
家にいるとこの眠気に抗いづらい。
—-
一昨日の夕方ごろ
仕事を辞めてからなんだか何もやる気が起きず、漠然とした不安に苛まれる毎日で、
何をしていても虚しく感じることが多い。
が、このメールには少しテンションが上がった。やっぱり仕事が生き甲斐なんだろうな。
人に誇れるような特技もなく、大したスキルもない器用貧乏の自分にとって、
仕事で認められることが今の人生において重要なことなんだと改めて感じる。
まあ、ニートだけど。
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夜まで寝ない。昼寝しない。
やる気が出たら部屋の片付けを進める。
文才もなく、特に面白い出来事もないので完全に誰得なんだけど、
毎日家に篭って意味もなくようつべを垂れ流しながらゴロゴロしているだけで、なにも得ないままとてつもないスピードで時間が経過していくのに焦りを感じて、
——
3:30頃起床
昨日は10時から18時ごろに寝ていて、その後も2度ほど眠気に抗えずに1時間程度眠っていた。就寝は22時台。処方されている睡眠導入剤を飲んで眠った。
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一昨日の夕方ごろ
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何をしていても虚しく感じることが多い。
が、このメールには少しテンションが上がった。やっぱり仕事が生き甲斐なんだろうな。
人に誇れるような特技もなく、大したスキルもない器用貧乏の自分にとって、
仕事で認められることが今の人生において重要なことなんだと改めて感じる。
まあ、ニートだけど。
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夜まで寝ない。昼寝しない。
やる気が出たら部屋の片付けを進める。
文才もなく、特に面白い出来事もないので完全に誰得なんだけど、
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——
3:30頃起床
昨日は10時から18時ごろに寝ていて、その後も2度ほど眠気に抗えずに1時間程度眠っていた。就寝は22時台。処方されている睡眠導入剤を飲んで眠った。
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まあ…昨日散々寝て過ごしているし、当然か。
4:50頃
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その後、帰宅して古いエスプレッソマシンでカフェラテを使ってペットのフェレットとじゃれあいながらチル。
家を出る前に流しっぱなしにしていたアマプラのドキュメンタリーを少しだけ横目に見ていたけどあまり面白くなさそう。
食事の後はどうしても眠気がやってくる。
家にいるとこの眠気に抗いづらい。
—-
一昨日の夕方ごろ
仕事を辞めてからなんだか何もやる気が起きず、漠然とした不安に苛まれる毎日で、
何をしていても虚しく感じることが多い。
が、このメールには少しテンションが上がった。やっぱり仕事が生き甲斐なんだろうな。
人に誇れるような特技もなく、大したスキルもない器用貧乏の自分にとって、
仕事で認められることが今の人生において重要なことなんだと改めて感じる。
まあ、ニートだけど。
—-
夜まで寝ない。昼寝しない。
やる気が出たら部屋の片付けを進める。
別増田だが、ワイも強制力がないと生活のリズムが作れなくて、強制で何かをしていないと頭がごちゃごちゃしちゃって負のループに入るタイプだけど、
仕事の忙しさでリズムを作ってそれに乗り続けると、ある日突然にエネルギー切れが来るから、そこは自覚的な方がええど
それから、増田みたいな仕事をしてる方が楽タイプはスキル『金と仕事に困らない』は、得ることができると思うんよ。ワイもそうだしね
ただ、金と仕事に困らなくても、強制力がないとリズムが作れなくて頭がごちゃごちゃしちゃうタイプは、何かを極めたり、高給を貰える組織のボスになるのって、なかなか難しいんよ
世の中はどんどん高齢化しているから、高給で器用貧乏がテキトーかます限界が何歳で来るのかは不明だが(とりあえず40代ではないみたい)、
なんらかの理由で、かなりお給与妥協しないといけない時も来るかもしれんのよ
その時に金を稼げるだけが自分の軸だと、学年1位だったのが俺のアイデンティティだった学歴厨みたいに、簡単に折れちゃうのよ
コミュ力という言葉がある。そこから派生してコミュ強という言葉があり、コミュ障という言葉がある。しかし、この二分に納得がいかねえという話をしていたら友人が考案した言葉がこのコミュビンである。
確かに我々はコミュ力がある。初対面の人が集まる場でも物怖じせずに前に行くこともできるし、歓談の場を仕切ることもできるし回しをすることもできる、面接や商談なども強い。ちょっと誰かに話題を振られたら「え、あ、あ、ふふ、え、あの、そうですね」とか言ってしまう、そういうNow loadingの時間が発生する連中からすると大したコミュ強に見えるのかもしれない。しかし、違うのだ、我々はコミュ強ではなくコミュビンなのだ。
コミュ強というのはコミュ力を武器として他人を蹴落とす連中、自分のコミュ力で自分の優秀さをアピールしてその結果誰かを透明化することにも何の躊躇いも持たない連中だ。自分が輝ける自分が中心にいる場所を作るために惜しみなくコミュ力を発揮するのがコミュ強という人種なのだと一旦定義する。
しかし、我々は違う、違うのだ!たしかに我々はコミュ力がある、しかしそれをそんな悪用はしていない。悪用しないよう心掛けて生きている。その結果どうなるか?一番めんどくさい役回りを率先してるわけでもないのに結果的に引き受けてるだけなのだよ。それを僕らはコミュビンと呼んだ。
器用貧乏という言葉がある。何につけても圧倒的に秀でているわけではないがなんだかんだそれなりにやれてしまうので便利に使われてしまいがちな人を指す言葉だ。それのコミュニケーションバージョン、つまりコミュニケーション貧乏が我々だ。たとえば組織やプロジェクトにおいて何か結論を出さなくてはならない時、これ絶対全員もじもじして微妙な時間だけが積み重なっていくなとなりそうな時、我々は率先して口火を切る。早く終わらせたいし、みんなも早く帰りたいだろうし、しかしみんな何も言わないだろうし、だから口火を切る。みんなのために。別にみんな何でもいいけど責任だけは取りたくないから何も言わない、そういう時俺たちは仕方なくまず意見を投げかける。みんななんでもいいことはわかりきってるので当然それが採用されて、我々は最短で会合を終わらせる。そこまではまあいい、こっちもわかっててそうしてるんだから。でもそういう時に言われるのよ「コミュ強で羨ましいですね」とか。いや、やりたくてやってねえのよこっちも。お前らがどんくさいしチャレンジもしないから仕方なく引き受けてるだけで、結局なんか俺が責任者みたいな雰囲気を被ってるし、羨ましがってるお前らだってこれ失敗したらどうせ俺らのせいにするんだろ!!俺はコミュ強として成り上がりたいわけじゃないんだよ!!お前らができないから仕方なく引き受けてんの!!そして、お前らは羨ましがるばっかりでろくすっぽ感謝のひとつもしねえ!!
そして俺らはさ、コミュニケーション貧乏であると同時にただのコミュニケーション敏感でもあるんだよ!お前ら「空気読めない」「何喋ったらいいかわかんない」とかぺろぺろ舐めたこと言ってかわいそうな側のつもりでいつもいてるけどよ〜、確かにお前らが意見を言いにくい環境を作っている高圧的な態度で抑圧する連中も世の中にはいるけどよ~、むしろ自分が喋らなくて済むわかりやすい原因がいてくれてラッキーとか思ってないか?そういうわかりやすい原因がいなくてもどうせお前ら何も喋らないんだろ、自分かわいさで他人任せにしてるんだろう?そういう時、そういう場所で、なんとなく場の空気に敏感でそのなかでどうしたらいいかがわかっちゃうから頑張って滅私奉公的にみんな気持ちよく帰れたらいいなって考えて率先して動いちゃう動いてる人間も世の中にはいるんだよ!!こういう方々にみんな「要領良くていいですね」とか言い過ぎなんだよ、コミュ強扱いすんなよ!!要領良いかもしれない他の人より場の空気とか他人の感情に敏感な自覚があるから、要領悪いやつのカバーまで全部やらなきゃと思いながら生きてる人間がいるんだよ!自分のこと以外も考えて他の人のネガティブな気分にも気づいちゃうからみんなポジティブな気持ちで解散したいなとみんなのために生きるのが当たり前に課せられてるコミュ敏からするとよ〜!「自分のことで精一杯!だってコミュ障なんだもん」って自分のことばっか考えて他人におんぶだっこの連中の方がよっぽど強者じゃん。「気を遣いたくても気を遣えないもーん!できないんだもーん!」じゃねえよ、じゃあせめてちゃんと気を遣って生きてる人間、誰も傷つかない会合を実現するために敏感に空気を読んで行動してる人間にもっと同情しろ!お前らができないしやりたくもないことを、やりたくもないのに嫌々引き受けてみんなにとって今日がいい思い出になるよう全力の奴らが世の中にはいるんだよ!!それをお前らもっとわかれって!!
「好きでやってるんだろ」とか抜かすなよ、そういう人間がいなかったらそれこそ高圧的なYESしか許さないコミュニケーションで場を支配するコミュ強とコミュ障だけになるからな、そんな社会がいいわけないだろ、だからそれを食い止めるためにやってるやつがいるんだよ。そういう連中を自分よりコミュ力あるからってだけで一括りにするのを、やめろ!!
それはただの器用貧乏では…
冠婚葬祭以外でスーツもろくに着たことのない人間が、まともな職業に転職することは可能ですか?
ギターのバレーコードとかスケボーのオーリーとかトランペットの音を出すのだとか、初手でデカい壁のある趣味は逆にそこさえ越えてしまえば自信がついて三日坊主になりずらい。
と思いきやそこから先にも上達の壁はいくらでもあるし、飽き性のおれはそこを超えたら慢心して最初の向上心が遥か彼方へ行ってしまった。
何やったって最初は誰でもメキメキ上達するし、その楽しさに乗じてそこそこの所まではいける。それでもやっぱりどこかで頭打ちになってきて、よほどの関心や情熱がなければしんどくなってくる。楽しくない練習でも地道に続けないと成長が止まってしまう。楽しめるといいよナ…その少しずつの歩みを……
でも実際のところは惰性で続けるばっかりで、成長もせず足踏みばかりのもどかしさに負けて、楽しさも失せて投げてしまう。
こういう中級者、上級者の壁ってどんな趣味にもあるような気がする。型通りの事はそれなりに出来るけど、自分のやりたい事を自由に出来るほどのレベルではないもどかしい期間。ここを超えて、頭の中でこういう動きをしたい、こういう表現をしたいって思った事を正確に取り出せたらどれだけ楽しいだろうか。
色んな趣味に手を出しては最初の初期衝動的な楽しさばかりを食い漁ってまたよそへ行くおれみたいな飽き性、器用貧乏タイプはまあ世の中ゴロゴロいるんだろうなって思う。逆にそういう所でストイックになれる人間ってどれくらいいるんだろうなって思う。
世の中の人間は自覚的にでも無自覚でもちゃんと自分の興味に食らいついて生きているのか。おれみたいに惰性で生きてウジウジしているのか。そういう事を考えて自覚することすらなく漫然と生きているのか。
おれも人生で一回くらいは上級者の壁を越える感覚を味わってみたいぜ。好きな曲聴いて脳内エアギターを掻き鳴らすのも割と楽しいけど、やっぱ五感で味わいたい。なので半音下げチューニングが億劫で手を出していなかった群青日和を練習し始めた。目標目指して弾いてるとやっぱ楽しい。
無理して東大入ってなんとか卒業したはいいけど、正直コミュ力ゼロで就活に失敗し契約社員年収300万からの社会人スタート。2-5年に1度転職して4社目、10年がんばってやっと年収500万。
「結果をベースに転職してキャリア&年収アップ」というライフプランに先が見えなくなった。
転職市場って基本的に「能力」と「前職の実績」を踏まえてキャリアを上昇させていくものだと思ってる。前職でめっちゃ売り上げ出したから次の転職先で係長or課長クラスになる、みたいなね。
が、自分にはその「売上を出す能力」がなさそうだとわかりつつある。
局所的なスキルには自信があるよ。たとえば法務チェック不要なくらいに契約書読みこむ、みたいなね。でも法学部卒じゃないし法務でもないのでスキルセットのプラスにはならない。
で、思ったのよ。もしかして自分は「民間市場でガツガツ働いても年収1000万を超えることはできない」のでは?
20代の頃はそういう夢をみてたよ。大手会社に就活したりね(文系なら出版社、経済系なら外資系コンサル、理系なら今で言うGAFAを想像してみてほしい)。
でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。ここでその話はおしまい。
ここまでは別に自虐ではないので、自虐風自慢のつもりはない。なぜなら公務員に転職したからだ。今どき退職金1500万もらえる身分への転職は万々歳よ。これまでの10年で退職金0だからね。そういう意味ではただの自慢である。
友人らは現状で既に自分と同じくらいの退職金もらえることが決まってる上、30歳で年収1000万越えとか割といる。はぁー私が30年勤めて取得する予定の金額を3-4年で稼げるんですねぇー!
という嫉妬があるかというと、別にない。だって今どきの世の中で30代年収500万あれば世間の上位半分にいるわけじゃん。まあ分相応だと思ってるよ。
今思ってるのは、久しぶりに会うときの店の予算帯が絶妙にズレ始めてること。あっちが普通と思って提案してくる店が微妙に予算外、みたいなね。飲み会の店を提案されたら素で6000円だったりするわけ。ほわーっって感じよ。
収入面では別にない。そこそこ生活には満足してるし、今から年収1000万になりたいとも思ってない。身の丈にあってるわけだ。
が、友人との階級層がズレはじめてるような印象はあって、そこだけはこわい。「この先もしかして自分はこの友人を失うのではないか」という恐怖感だ。
友人との交友関係を失いたくないという恐怖だけで、自分はこの生活でいいのだろうかと思い始めてる。もっと上流階級に行くべきなのだろうか。
東大にギリギリで入った奴って世の中の上位半分に入ってれば納得するのか
「学歴に対する世間的な期待値」と全く見あわない現状に恥ずかしい思いがないわけでもないけど、その恥ずかしさは自分の人生において「わざわざ払拭するほどのプライオリティ」として存在していないんですよね。「年収1000万になったところで何したいって希望も特にないので別に今のままでいいかなー」くらいの気持ちです。「他人からどう見えるか」への興味がゼロで、自分が楽しいかどうかが人生の判断基準。
生きにくそうで大変だなぁ〜
まだ失ってないし、自分も現状無理はしてないけど、今後友情関係維持する為に無理しなきゃいけないのかなって恐怖はある。
これは嫌味でもなんでもなく本心なんだけど、このコメント書いてくれた増田が人生に満足してるなら何よりだよ。他人が幸せなのはいいことだ。