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はてなキーワード: 積読とは

2026-01-15

今年やる100のリスト

2026-01-05

積読チャンネルの人嫌いなんだけど(ゆる言語学でもいい、はてなーは好きそう)

嫌いな理由は省くとして

あの人達、大量にチャンネル量産して、中身はただ喋ってるだけじゃん

で、自分系統が似てるからか、毎回おすすめに出てきて、ああコイツラかと思って閉じるのが鬱陶しい

何であんな大量にチャンネル作ってるんだろうか?

2025-12-21

anond:20251221010457

数年前のチャットボット流行り始めに入門の書籍を数冊購入して積読しているけど流石に今からだと内容が古いか

2025-12-19

2025年に読んで良かった10冊の本

昨年(anond:20241217085132)に引き続いて挙げてみる。今年は元日から今日までのあいだに296冊読みました。いまはアンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が融けゆく国・アイスランド物語』(2019年)とR・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(2022年)、ジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』(2023年)、かまど&みくのしん『本が読めない33歳が国語教科書を読む』(2025年)を読んでいるところ。

ちなみに上の冊数には漫画は含んでいないのだけれど、漫画は数えてないから何冊読んだのかわからない。とりあえず『微熱空間』『ひまてん!』『うまむすめし』『ルリドラゴン』『祝福のチェスカ』『放課後帰宅びより』『拝啓、在りし日に咲く花たちへ』『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』あたりが好き。あと最近ようやく『LIAR GAME』と『ナナマルサンバツ』を読んだけど超面白かった。ウマ娘だと、去年はシーザリオに狂っていたけど今年はブエナビスタにどハマリしています。ブエナ、実装されたら絶対引きたいと思ってたから80連で引けてよかった。ビリーヴシナリオもラヴズオンリーユーシナリオも良かったし、ようやくラインクラフトも入手して育成できたし、来年こそカレンブーケドール実装に期待だな!

スマイル・カダレ『砕かれた四月』(1978年

欧州文学だと、フランス文学サン=テグジュペリ人間の大地』(1939年)やアイスランドミステリのアーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(2005年)、バスク文学のキルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)も非常に良かったのだけれど、どれか1つと言われたら迷った挙げ句アルバニア文学の本作を推す。ノーベル賞を獲りそこねたアルバニア国民作家スマイル・カダレの作品で、10年以上前に『死者の軍隊将軍』(1963年)を読んで以来。復讐という因習によってふたり青年の軌跡が交錯破滅へと導かれるという、銃声のような余韻を残す一冊だった。エンヴェル・ホジャの独裁政権下という執筆時代背景もあってか『死者の軍隊将軍』同様にやたらと雰囲気が暗く、Wikipedia先生とか地球の歩き方先生とかを参照するにいちおうビーチリゾートとかが盛んな地中海の国であるはずのアルバニアをここまで暗鬱に描けるのは逆にすごい。アルバニア高地に心が囚われていく描写がすごいのよ。こっちも引きずり込まれそうというか。

陸秋槎『元年春之祭』(2016年

何年も前に『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2017年)を読んで面白かったので本作も買ったのだが長らく積読になってしまっていたので思い切って崩してみた。女と女の重い感情が全編にあふれていて最高だった(粉みかん)。巫女伝統によって歪められる幾通りもの女と女の関係が胸を裂くような切なさを漂わせていてエモい(語彙力)。古代中国百合ミステリというオタクの好きなものを詰め込んだハッピーセットなので読みましょう。

林譲治『星系出雲兵站』(2018~2020年

軍艦が出てきて艦隊決戦とかするみんな大好き宇宙戦争スペオペかと思わせておいて、いやもちろんそういう作品でもあるのだけれど、根本的に異質な知性との交渉過程センス・オブ・ワンダーに溢れていて最高だし、高度な知性体だと思ったら実はプランクトンとして生まれ共食いしながら成長していく生物だったというのものすごい発想で驚嘆させられたし、徐々にこの世界起源が明らかになっていくの面白すぎるでしょ。タイトル兵站要素は徐々に影が薄くなっていくかと思いきや最後まで割としっかり描写されるし謎のイチャイチャシーンも増える。なぜ。とにかくすごく良いSFでした。

マット・アルト『新ジャポニズム産業史1945–2020』(2020年

カラオケウォークマンポケモンといった戦後日本代表する発明品やソフトパワーがどのように作られていったのか、という歴史を掘り起こす書物で、非常にエキサイティング読書体験だった。町工場おっちゃんがふと思いついた小さなアイデアが不格好な試作品を生み、それらが徐々に洗練されてやがて日本世界を席巻するという歴史としての面白さとサクセスストーリーとしてのワクワクが詰まっている。外国出身歴史家が書いたとは信じられないほどに同時代史料当事者のインタヴューを積極的活用していたり、オリエンタリズムに陥ることなく個々の発明家の物語として語られているのも好感度が高い。大満足の一冊。

外国研究者日本研究だと、ほかにスーザン・ネイピアミヤザキワールド』(2018年)も良かった。日本社会コスモポリタン性がクリエイターの土壌となっていることを英語圏の読者に向けて解説してるところ、根強く蔓延オリエンタリズム駆逐しようという気概に満ちていて好き。ただ『もののけ姫』に関する記述照葉樹林文化論に触れてくれるのはすごく良いのだけれど網野善彦には言及があっても良かったのでは(旧著では言及してるんだし)。ノアスミスウィーブが日本を救う』(2025年)の提言は非常に面白かった(経済学に疎くてよくわからない箇所も多々あったけれど)。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(2021年

超・超・超傑作。面白すぎる。いや今更すぎるけど。もうとっくに面白いって知れ渡ってるけど。でも増田が読んだのは今年なんだよ! なんでこれをもっと早くに読まなかったんだろう? SF面白さを四方八方から浴びせられて読むのが止まらなかった。そしてSFとしてだけではなくバディものとしても100点満点中300点くらいの出来だという。「いまいくからな、バディ。待ってろよ」のシーンほんと大好き。ぼくは洩れやす宇宙のぶよぶよの塊。ぼくは本作を読む、映画を待つ。よい、よい、よい!

青崎有吾『地雷グリコ』(2023年

上述のとおり増田流行についていけないマンなのだが一昨年になってようやく青崎有吾の存在気づき、『体育館殺人』(2012年)にはじまる裏染天馬シリーズとか『アンデッドガール・マーダーファルス』(2015年~)とかを昨年までに履修したのだが、今年に入ってから本作と『ノッキンオン・ロックドドア』(2016年)を読んだ。勝負事に対して天才的な嗅覚を持つ女子高生が次々と独自ルールゲーム勝利していく話なんだけど、詰みに持ってくまでの伏線ロジカルさがすごいというか。しかほのか百合要素まであるんだよ。もう最高。毎話クライマックスにさしかかる度に「あれって伏線だったんだ!」と心の中で叫んじゃったもん。ルールには合致していても刑法に引っかかるだろ! みたいな絡め手がバンバン出てきて感覚麻痺してくる。好きな話は表題作と「だるまさんがかぞえた」かなぁ、やっぱり。だーるーまーさーんーがーかーぞーえっ! ……えっ? 漫画版、絵がどっかで見た人だと思ったら『めだかボックス』の人なのね。超納得。

同じく今年履修した『ノッキンオン・ロックドドア』では「十円玉が少なすぎる」が一番好き。タイトルから察しがつくようにみんな大好き9マイルものです。「十円玉が少なすぎる。あと5枚は必要だ」という謎めいたセリフをもとにすごい結論へとたどり着いていてよかった。発想のロジカルな飛躍は9マイルもの醍醐味だよなぁ。

河原梓水『SM思想史』(2024年

今年読んだ日本学術書の中ではいちばん面白い。戦後日本SM雑誌を博捜し、「変態性欲」の論争のなかに分け入りながら、投稿者の正体を暴きエリートたちがSMを通して戦後民主主義を生きようとした姿を浮かび上がらせている。戦後に生まれSM雑誌系譜を整理する第1部の時点で既にガッチガチ実証研究すぎて圧倒されてしまうが、第2部以降が本番というか、脳汁バドバの快楽を味わえる。女性解放を唱える歴史学者が筆名でSM雑誌投稿していた、というだけで既に面白いのだが、著者はテクストを丹念に読み込むことで、彼の歴史学者としての女性解放論とSM論が相互に補完しあう関係であり、戦後民主主義実践サディズムマゾヒズムが彼の中では繋がっていたことを明らかにしていく。また、第3部では『家畜人ヤプー』の再評価にも挑み、作者をとある裁判官だと特定したうえで、マゾヒズム小説だと思われていた作品の新解釈提示する。戦後思想史SMから読み直すという非常に大胆な本だった。「豚に歴史はありますか」ってそういう意味だったんだ。むっちゃオススメ

方丈貴恵『少女には向かない完全犯罪』(2024年

おっさん少女のバディもの、みんな好きだよね? 増田大好物だ。ということで本作はバディものとしてもミステリとしても非常に上質だったので最高だった(語彙力)。瀕死の重傷を負い「幽霊」になった主人公少女がタッグを組んで少女の両親を殺した犯人を追い詰めていく話なのだが、謎解きが二転三転し次々とどんでん返しが襲い来る構成で目が離せない。傑作ミステリですわ。個人的には◯◯さんには生きていてほしかったな……

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!20』(2025年

2015年に始まったシリーズ10年ごしで完結した。めでたいめでたい。姉弟子と一番弟子怪獣大戦争がついに決着。もう納得するしかない決着でしょうこれは。あと正妻戦争も完全に決着。天衣ちゃんが澪ちゃん超弩級のデレをかましていてすごい(語彙力)。桂香先生ギャグ方面に振り切るかと思いきや泣かせてくるのはズルいでしょ。ちくしょうそういえばこの作者はネタキャラ扱いでさんざんイジっておいて最後に泣かせる芸風だったな(山刀伐さんファン並の感想)。そしてラストが美しすぎる。オタクは序盤の再現が好きなので……。いや~、10年続いたシリーズにふさわしい大団円で最高でした! まあ、でも、それはそれとして女流棋士制度は歪んでるので是正(というか廃止)すべきだろなという思いを新たにした。もちろん民間団体からムリヤリ廃止するなんてことは結社の自由があるのでできないが、将棋連盟からは切り離すべきでは。

小川一水ツインスターサイクロン・ランナウェイ4』(2025年

百合SFアンソロアステリズム花束』(2019年)に掲載された短編長編になったやつで、リアルタイムで読んでいたものがついに完結した。体格差のある百合カップルが男女の婚姻しか認められないガス状惑星社会で漁をしながら関係を築いていく宇宙SFなんだけれども、まず設定がすごい。その漁で獲るのは普通の魚ではなく、ガスの海を泳ぎ回る昏魚(ベッシュ)たち。そして彼女たちが操るのも普通漁船ではなく、粘土自由自在に変形させて網を編み上げる船。ガス状惑星に発生した特異な生命といえばやはり著者の代表的な短編の1つ「老ヴォールの惑星」(2003年)が思い浮かぶし、なんなら著者の最高傑作天冥の標』(2009~2019年)でも描かれてたわけだけれど、それらの設定を超える宇宙生物を出してきていて最高。本作(4巻)はその宇宙を駆ける2つのサイクロン物語大団円だ。惑星規模・宇宙規模での繁殖というでかい問いをどーんとぶち上げてくるのさすが小川一水という貫禄だし、宇宙レベルの話と「ふたりの話」を並行してSF百合を両立させているのはセンス・オブ・ワンダーの極みと言ってよい。非常に良い作品でした。『天冥の標』で従来の小川一水成分を絞り尽くしたと思ったらまた新しい境地に達していて素晴らしい。

2025-12-18

6年前のモーニングを今読んでいる。

マンガ雑誌アプリ配信でけっこう先陣だったのが講談社の「週刊モーニング」だった。

この雑誌は1冊400円くらいだったところにアプリ版は1ヶ月500円くらいの低価格で参入して、しかアプリ加入中の配信雑誌は削除しないメリットがあった。価格と一度に読める冊数で言えば同じ講談社でもコミックDAYSのほうが多いのだが、「削除しない」メリットは意外と大きく、そしてデメリットもあった。

削除されない雑誌は読むのが後回しになるのだ。

結果として自分10年弱前くらいからそれまで毎週購入して読んでいたモーニングを読むのを完全に止めていた。週刊誌は一度読むのを止めると復活するのが面倒になる。その間に連載漫画のいくつもがドラマ化されて、でも自分はその原作を読まない、ということが続いていた。

ふと思い出したのはドラマ絡みだった。自分モーニングを読むのを止めたのはちょうど「テセウスの船」の連載開始直後くらいだったからだ。そう言えばあのドラマタイムスリップするっていうけどその後の展開しらないな、と思い出しマンガでくらい結末を確かめておこうと、電子的に積読になったモーニングを読むのを再開したのだ。

だいたい1ヶ月に1年分位のペースで読み進めていて、今は2020年が(作者のほうでも)明けたくらいのあたりの号を読んでいる。まだコロナ話題は出ていないが、それ以外の話題はなぜか今とシンクロするものがあったりして非常に興味深い。

ここ最近(自分の読むペースで)だと客とのトラブルで損害を受けた飲食店警察に駆け込むも何も助けてもらえず自力救済を図る、という話題がちょうどネット上でも「トラブったらSNS晒し問題解決を図る」とシンクロしたように見えたりもした。

5,6年前から言われていた問題解決していないとも、むしろ少し早めに問題提起されていたとも、人間のすることはそれほど変わらないとも思えたりする。

2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html から抜粋であることを念の為補足しておきます

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📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

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📚 1. 飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1. データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2. データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2. データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3. アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

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(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

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◎主張2-2. 三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1. 三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

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◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2. そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

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(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1. 三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

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◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i) 1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii) 自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1. 黒田山本論文

根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

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◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1 牧野論文.

根拠3-3-2. データ: 日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

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[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

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🧠 2. 飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink | 記事への反応(0) | 20:21

2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで



https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。 書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。 飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。 しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

2025-12-08

年越しまでにやること

・溜まっている賞味期限切れの物を捨てる。

・溜まっている段ボールを捨てる。

・溜まっている冷凍庫生ゴミを捨てる。

・溜まっている積読を1冊は読む。

・溜まっている謎の書類を片付ける。

・溜まっている未開封封筒を開ける。

・溜まっている疲れを取る。

・溜まっている服を洗濯する。

・よくわからない支払いをする。

・よくわからない支払いのためのお金を用意する。

帰省の準備をする。

来年目標を考える。

こうやってリストしたことで、仕事は半分終わったようなものよね。

来年まで残り23日。

今年の休日は残り6日。有給も辞さな覚悟

2025-12-07

ビブリオマニアは列記とした病気です…😟

読書趣味なんじゃなくて積読趣味な気がしてきた→共感の声多数「更に言うなら読むより積むより買うのが趣味なのかも」

それはビブリオマニアです、私もです、

列記とした病気神経症、買い物依存などに類するものとも思われます…😟

ビブリオマニア(Bibliomania)」とは、**強迫的に本を集めすぎる「蔵書癖」や「書籍狂」**を指す言葉で、単なる健全な「愛書家ビブリオフィリア)」とは異なり、社会生活健康に悪影響を及ぼすほどの病的収集行動です。日本語では「蔵書狂」「愛書狂」とも訳され、本を「所有する」ことに強い衝動を感じ、その収集生活の支障となる状態を指します。

本を並べるだけで喜んでしま

聖書評価されるような、評価の高い本を途中まで、最初の方だけ読んで、

この本は素晴らしい!と絶賛し、ついそれと同じ本を一、二冊買ってしまったりしま

予備とか、布教用とか言い訳してますが、本を買うのが目的化してる

棘の米にあるように、自分も段々と、本当に自分がやりたかったのは本屋なのではないか?と思うようになりました

でも、真面目な話、個人での書店経営は色々と大変、日本の独特の商習慣もあります

アメリカみたいに、書店が本を買い取っちゃって、売れなければ安値店頭ワゴンしてもいい、

というのも、それはそれで自己責任で大変ではあります、どちらがいいのか分からない

あと、自分が好きな本、例えば技術書数学とか理工書、

音楽ヤングギターよりは上の、楽器弾く系とか理論とかを重視したい、

アイドルグラビアみたいなのには興味ないので、だって、眺めて終わっちゃうじゃないですか…😟

まあ、エロ所詮人間なんて、男だけでなく女性でもエロ、コアなBLとか並べてもいいのかもしれないけど、

明らかに、店の客層が変わりますよね

あと、万引き特に子供万引きとか、いちいち見張るのがめんどくさい、トイレにも行けない

昔は子供の頃はド田舎に住んでたんで、数少ない本屋、ぼろい木造建物

ほぼ地べたに漫画雑誌が並べられてたり、

パソコン雑誌立ち読みしてたら、店のおばちゃん掃除のハタキで叩かれたり、

そんな牧歌的時代もあった訳ですが、

もう、神田伝説的な書店も、みんな店じまいして今はネット通販やってますよ…😟

リアル本屋は終わり

Amazonとかで、せどりしてる大手は、みんな田舎会社を立てて、

田舎は潰れた靴流通だかハローマックだか、色々放置されてる店とかあるんで、

そこを倉庫にしたり、貸倉庫を借りて、そこに本を入れてますよね

自分も含めて、死んだりしたら断捨離で、大量の本が便利屋とか処分する会社に回って、

その本がそういった、せどり会社に行って、またAmazon経由とかで誰かが読む、

というサイクルもなくはないんでしょうけど、基本的に紙の本は終わりです

本を収集して床が抜ける話は、ビブリオマニアからすれば寧ろ普通です、笑えない…😟

2025-12-05

ワイのYoutubeハイライト

毎年この季節になるとクソYoutubeが「今年のハイライト」とか言って

今年一番聞いた曲にのせて「お前の嗜好をずっと見ていたぞ」と紹介してくれるんだけど

 

もっとも見たチャンネル

1.積読チャンネル(本紹介系)

2.チャンネルがーどまん(低知能ドッキリ系)

3.Mio Yashiro TVホスト系)

4.Nagasaki Biopark(動物園系)

5.羽流鷲りりり / Ririri Channel【ななしいんく】(ゲームVtuber

だった

 

人間というもの何らかの統一性があってエンターテイメント摂取しているわけではない

ということが今回のn=1の調査によって明らかになった

 

ちなみに一番聞いた曲は

1.シンボル シラフ feat. TOKYO世界 (ラップ

2.空飛ぶ家系モンスター 野良顎 (はんじょうラップコンクール

3.ANOTHER WORLD Gackt (ヴィジュアル系

4.Hands On Me Jason Derulo feat. Meghan (ポップス?)

5.See You Again Wiz Khalifa ft. Charlie Puth (ラップ?)

 

人間というもの何らかの統一性があってエンターテイメント摂取しているわけではない

ということが今回のn=1の調査によって明らかになったが

どうやらHIPHOPに親しみがある人物のようである

2025-11-24

生成AI仕事しろ。これ以上の供給はいらん。

すでに、積みゲー積読で溢れとる。

消化する時間がない。

ChatGPTと共に試算した。

 

漫画一冊は、読むのに20分〜40分。

文庫本は4〜8時間かかるそうだ。

間をとって、30分と6時間としよう。

 

そして、ほとんどの人間はもう20歳を超えてるだろう。

20100歳までは約70万時間ある。

しかし、睡眠時間が7時間としたら、約50万時間しかない。

漫画なら約99万冊読めるが、文庫本は8.3万冊しか読めないらしい。

 

ゲームジャンルによって変わるよな。分かってる。

やる時は100時間はやるし、ストーリークリアだけでも10時間とかな。インディーゲームもある。

仮にも、ゲーム1本30時間とすると、約16500本しか遊べない。

 

もちろん、漫画文庫本ゲーム、全てを包括的に楽しむことを考えたら数字もっと小さくなる。

綺麗に1/3にするとしよう。

漫画33万冊、文庫本2.8万冊、ゲーム5500本。

 

でも、実際にはもっと寝る時もあるし、生活仕事もあるし、20歳じゃないし、100歳まで生きるわけでもないし、80歳くらいで痴呆になってるかもな。

 

分かった。考え方がおかしかった。

65歳まで働く。土日休み。平日2時間自由時間。そして100歳まで生きる。

これで、20歳〜65歳までは約10時間、65歳〜100歳までは約21万時間、全体で約32万時間自由時間あるんだって

 

やばい。18万時間消えた。そもそも、平日に2時間自由時間毎日取れるわけないしさぁ。疲れてそれどころじゃねえよ。

うん、約30万時間にしよう。

 

いやでもさぁ、俺に待ってるのは死なんだよ。

どれだけ頑張っても死しか待ってないんだよ。

ちくしょうくそったれ。

100歳まで健康で楽しめるわけねーだろバカ

 

それぞれ最大で漫画60万冊、文庫本5万冊、ゲーム1万本。

いや、もちろん、そんなに読むわけはないし、プレイもしないだろうよ。

問題はそこじゃないんだよ。

すでに、世の中すべてのコンテンツを楽しむのは不可能な量あるんだよ。

なのに、さらに生成AIで加速??増産??

意味分からん。なんの需要があるんだよ。もういらねぇよ。今でも多いんだよ。

 

くだらんことでスマホも開くし、動画も見てんのに。時間がどんどん減っていく。

自分創作する時間はどこにあるんだ。

今日死ぬかもしれないんだぞ。

もう泣く。

2025-11-21

anond:20251121105600

最近思うんだけど、受験勉強って陸上競技かに似てると思ってて…😟

100m走をやりたい、と思ったら、とりあえず部活とか入るじゃん

俺は自分で完全に自己管理できるし、自主練習だけでできるから部活入りません、って人はなかなかいない…😟

仮に部活に入らないでも、まったく無所属人間自分で届け出て大会に出れるとしても、

自己管理で、ひとりで朝練して、ひとりで夕方遅くまで練習する、

効率的効果プラン自分で建てる、ってのは難しいわけよ…😟仲間もいないし…

同じように、塾に行くってのは部活動に参加するようなものだし、

受験勉強なんて単にそういうスポーツみたいなもんなんだから

スポーツに明け暮れた他に楽しいことがなかった青春でも良いという人もいるし、

それが嫌という人もいるし…

多分、あなた部活動に参加しなくても、一人で孤独練習して、自分大会登録して、出場して、良い成績を収められちゃうタイプなんだと思う…😟

でも、自分自己管理できないし、仲間というかライバルというか、誰かが横で頑張ってるのを見ないと、

俺も頑張ろう!みたいな気持ちにならないタイプなので、

なんだかんだ、塾に行ったのは良かったと思ってる。

高校受験は中3の1年だけだけどね…😟

大学受験は、高1から代ゼミみたいなところにちょくちょく講義を受けに行ってしまったけど、

正直、アレは本当に無駄だったと思っていて、勉強よりもっと面白いことにお金を使えば良かったと思ってる。

自分地方国立大理系、現役合格ではあるけど、そんなに頭は良くない。

東大東工大大学院から入ろうとしたけど、落ちた…😟

別の某大学院院試合格したので、関東から関西引っ越して、そこから国立研究所インターンしたりしてたけど、

精神疾患だという病識がないままドロップアウトして、

ゲーム機メーカーゲーム開発したり、

芸能界みたいな所で働いたり、

更にドロップアウトして、中小零細ブラック企業Web開発したりして、

フリーランスになってもうまくいかず、現在に至る、なんか自分でも酷い履歴だな、おい…😟

俺も地頭が良ければ、自己管理がしっかりしていれば、塾に行かなくても、自分ペースメーカー、ペースメイキングか?できるんだろうけどねえ…😟

でも、塾に行ってたのは、トータルで考えると、集中して行ったのは中3の1年のみで、

高1~3は、ちょくちょくというか、ダラダラ通うようになってしまって、完全にお金無駄だったと思う…😟

予備校課題に完全に追いつけなくなって、課題をやらないまま講義に出席、当然予習してないから、その場で理解できない、

仕方がないので録音する機械を買って、カセットテープ講義をこっそり録音して、家でやるようにしたんだけど、

それもどんどん積読状態になってしまって…😟

から、高3は寧ろ予備校はそこそこに、参考書を絞って、同じ参考書ボロボロになるまで繰り返すことにして、

でも、当然参考書の内容と、実際に出る試験の内容の乖離はあるわけで、

色々試行錯誤した結果が、地方国立大レベルでした、残念!という…😟

そういえば、慶応SFCも受けましたよ、スーパーファミコンですよ、

なんか、考えるというより、計算問題みたいなのがいっぱい出た記憶がある、自分の年は…😟

ミス繰り返してて、あれも散々だったわ…

2025-10-26

地下鉄サリン事件平成昭和か分からないってマジで言ってるの?

YouTube積読チャンネルの「中世ヨーロッパはなぜウソだらけなのか?#100」の回

https://www.youtube.com/watch?v=nRWu0LhEwD0

を見てたら、

堀元見(向かって左側の人)が「オウム真理教地下鉄サリン事件って平成昭和かわかります?」みたいなことを言い出して、

聞き手の人も「え、どっちだろう?」みたいなリアクションしてて

無茶苦茶事件から昭和っぽいなと思いがちなんだけど実は平成なんですよ~」みたいに

さも意外な事実かのように言ってたのでめちゃくちゃびっくりした。

いやいや。

平成代表する大事件でしょうよ。

あれを今の若い人は昭和だと思ってるの? マジ?

(てか、堀元見って「若い人」でいいのだろうか? 調べたら今33歳らしいが)

1995年平成7年だから全然ギリギリ平成昭和かみたいなラインではないし、

昭和かなぁってなるのってせいぜい平成2・3年あたりまでじゃない?)

そもそもこの1995年というのは阪神大震災が起きた年と同年なので

阪神大震災サリン事件」を当時の大事件として記憶している人が多いと思うけど、

彼らは同年ということも覚えてないってこと?

まぁ、とはいえ40代以上の人だと当時のニュース等の記憶があるから覚えてるし、(自分40代

逆に20代下の人だと教科書に載ってるはずだからそれを習うだろうし、

30代くらいの人がちょうどあやふやポイントなのだろうか?

あとは堀元見が北海道出身なので、サリン事件の報じられ方も関東とは違うのかもしれない。

いや別に日本のどこにいようと大ニュースに変わりはないと思うが、

「あの満員電車毒ガス!?」と実感を伴って認識できるかできないかの違いはあるだろうし。

ということで「これって平成昭和?」クイズに「地下鉄サリン事件」が入ってしまうことに衝撃を受けたという話でした。

2025-10-24

社会が良くなるほど労働時間は短くなっている

この動画を見た。そしてそこから考えたこと。

人はなぜ疲れるのか? - 積読チャンネル

https://youtu.be/cVsUYVpufIM?si=m9NUOmrJuu-hxiY5

疲労」を扱った本(『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』)を紹介した動画

疲労ウイルスが関わっていること、鬱やコロナ後の影響なども紹介されていた。

科学健康系の話は正確さに気をつけないといけないので、極端な言い回し比喩が使いづらい印象があるが、そこをうまく扱っていたので面白かった。

ここから思ったこと。

疲労する原因は範囲が広い(休む以外すべて疲労するのでは?)ので、疲労しないことは無理だ。

生活の中で一番疲労するのは仕事だろう。

仕事時間が短くなれば、休む時間も増え、仕事効率ややる気も上がるだろう。

最近労働時間規制緩和検討されているが、健康面でも仕事の面でも最悪なんじゃないかと思っている。

歴史を振り返ったときに、昔は休みが無かったり長時間労働が当たり前だったという。

それは労働時間がそのまま結果に繋がる仕事が主流だったから。そこから近代化機械化し、同じ時間でより多くの成果を得られるようになった。効率が上がった。

現に労働環境歴史的に最高だと思う。週休二日や8時間労働は、先人たちが汗を流して掴んだものだ。

そこで労働時間を増やすのは時代に逆行しているとしか思えない。

社会を良くするには労働時間を減らさなければならない。

この減少していく人口労働力でも「量より質」を重視する必要がある。

過去カフェインを取りまくって睡眠時間も削って身体を壊した身からして、ごまかしながら仕事をするとツケが回ってくるのはわかっている。

疲労時間がないと取れない。

労働時間は今よりももっと少なくなるべきだと考える。

2025-10-23

anond:20251023013457

積読の消化以外にないな。

 

無限の体力と金があるなら、本持って温泉とかでもいいね

2025-10-06

結局本棚は足りないまた本を買ってしまった。

積読が増えた。

2025-10-04

anond:20251003200332

積読は本を大切にしてるわけじゃないからな

下の方の本は痛むし、たまに崩壊してぐちゃぐちゃになるし

2025-10-03

anond:20251003104638

買ったけど読んでない本を大量に持ってる人の方が本を大切にしてないと思う。読書好きの人っていわゆる積読が多いイメージだけど。増田は当然ないんだよね。

2025-09-24

積読問題

積読が増えるのに、本屋に行けば数冊単位で買ってしまう。

kindle漫画も買う。

2025-09-13

Vtuberおもんない本人だけど楽しんでる動画羅列するね

https://anond.hatelabo.jp/20250913010511

相手する価値ないレベルの低いコメントだけど一応相手するね。

俺は面白いVtuberを紹介してくれと書いて紹介されたVtuberがどれもつまらいから紹介されたVtuber全滅と書いただけだから

これだけVtuberがいるんだから全部がつまらないわけないのにVtuberがつまらないと断定するのはアホじゃなくてお前が面白いの紹介するのがコミュニケーションであって

お前は何も言ってないに等しい他人に難癖つけたいだけのアホね。

自分が楽しんでる動画

山田玲司チャンネル

細川バレンタインチャンネル

トーマスガジェ

ゆるコンピューターチャンネル

積読チャンネル

ツイッチプロゲーマーの各種チャンネル

高橋がなり前向き人生相談

吉田製作

大林モータース

高木豊チャンネル

里崎チャンネル

テレビ野球中継とかコロンボ再放送とかNHKスペシャルとか

楽しんでるものあげたらきりないけど

Vtuber全否定するやつ何を見てもつまらないんじゃない?」ってツッコミ多いんだけど

Vtuberが嫌いならお前は何も楽しめないと断定するのやばくないか。なんか最近Vtuberオタク頭がおかしくて怖いんだけど。

Vtuberに貢いでる連中ガチカルト宗教洗脳された信者だろ。

2025-08-23

積読を消化しても「10年後には誰も読んでなさそうなしょうもない本」という書評帰結するものばかりだった

2025-08-21

俺は堀元の「せめて罪悪感だけは持っておこう」はかなり危険思想だと思うけどな

積読チャンネルというYoutubeチャンネル

元々は香川県モスクを作ろうとした外国人外国人ゆえに建物を借りるのに苦労したという話のコメント欄

外国人統計的に未払いや部屋の破壊等の被害が多いので商売的に妥当判断

というコメントが付き、それに賛否両論巻き起こっていた。という話が大元で。

 

しかしこの考え方自体が既に「統計的差別」という名前が付けられた「差別」なんだよ、ということを

差別はたいてい、悪意がない人がする 見えない排除に気づくための10章」という本を紹介することで

解説するという回があったんだけどさ。

 

パーソナリティの一人である堀元氏が「商売人の俺だからこそ言える結論を語る」というていで

「小規模の商売をしているときれいごとだけでは立ち行かない。商売人には間違える権利がある」

と「商売人はその結果を自分で負うのだから適法範囲倫理的でない行為をする権利がある」と主張し

ただし「今自分がやっている行為よろしくない行為であるかもしれない」という罪悪感だけは持っておくのが

人間としてあるべき姿だ、的な説法でこの回を〆るんだけど。

 

これってあんまよくないと思うんだよな。

特に合理性を重んじるスタイルで影響力がある堀元みたいな人間がこういうことで「俺は間違ってやってることをわかってまーす!」って言えば「差別だとされていることもやってもいい」というライフハックと捉える奴は少なからず出てくると思うんだよな。

本人は当然そんなこと思ってないだろうけど、でも悪だとされる行為をやるのは「罪悪感があるけど仕方ない」からか「開き直っている」からかは外からはうかがい知れない以上、「罪悪感があるならしゃーないよね!」的な結論倫理的にどうなんだと思ってしまった。

現実そうなんだとしても平均10再生くらいするチャンネルで堂々と宣言することではないよなっていうか。

 

そして、じゃあどうなるのって話がちょうど2回前の金原ひとみ著の「YABUNONAKA」回の

社会を変えるのは炎上しかない」という結論に返ってくるのはアツい伏線回収だなと思った。

だって差別したってしゃーないじゃん。罪悪感はあるけど背に腹は代えられないよ!」と表で言うやつが出てきて、それがヤバい奴らに見つかって死ぬほど燃やされた結果、「やっぱダメなんだね。変えて行かないといけないね」となって社会は前に進んでいくようになった。

という話に帰結しそうなのはなんかちょっとエモい

2025-08-14

1日1冊、本を読めば1年で365冊読める。

少し難しいか

では、

2日で1冊、本を読めば1年で182冊読める。

これもやや難しい?

では、

3日で1冊、本を読めば1年で121冊本を読める。

まり

100冊以上本積読してる人は

このくらいのペースで読んでも1年かかるということだ。

4日で1冊?なら91冊。

5日なら73冊。

6日で60冊。

7日で52冊。

50冊くらいの積読を1年で消化しようと思えばこのラインキープする必要がある。

ということやね。

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