はてなキーワード: 破産とは
今日ずっとイライラしてる意味もなんにもないというか気にしても仕方ない、現時点で大きく変えられない事ばっかり目が入ってうんざりしてる ただのうっぷん晴らし
止まらない商品質量の悪性デフレと価格の悪性インフレ、ビックマック一つ食べて500円なのに昔より質量が減っててる事に気付いてしまって悲しくなった....
昔よりも値段だけが上がってるのに、逆に量が減ってる...本来のインフレなら値段が上がるのなら質量も増えるのが良いインフレというものなのに、価格は上昇、量は下降と嫌でも貧しくなってる事実に気付くのが嫌だ...悲しすぎるよこんな現代日本なんて
31のマリギャラコラボチコスプーン欲しくて買いに行ったけど、売り切れになっててショックだった
5/7?ぐらいまでだっていうのに無くなるの速すぎるだろ....こんなに速く品切れになるのって飛躍しすぎてるけどカス転売野郎とか買ってんのかなぁって嫌な妄想してしまう。みゃみゃみゃ
これも飛躍愚痴だから目にしなくて良いけど、ジジババ老人どもが嫌いだ
態度もマナーも悪い母数が多く見えるし、自分たちより長く生きてる癖に、子どもたち以下のガキみてぇな他者を思いやれないお粗末なマインド性の人間ばっかり観測する
後世を育もうともせず、芽が生える前に自分たちの世代だけで得するように資源や価値や資金をむさぼり食う浅ましさが大嫌い
はっ自分さえ良ければ良いっていう奪う事しか考えてない世代にピッタリな言葉だよ
年金とかいうどう考えてもシステムとして破綻してる事がうん十年前から分かりきってる、自分たちが受け取る側になる頃にはもうまともに機能しないであろうなのに、その場しのぎで搾取罰金されるのがほんまバカらしい
こういう話したら国の赤字が~国の借金が~ダカラシカタナクーバカか
国債は無から産み出せるものだから、いくら借金しようが破産しないし返す必要もないしなんなら借金した方がプラスなんだよ
こんな文章書いたらなんかめんどくさい政治マン現れるかもしんないけど、愚痴記事なんでレスバする気はないっす勝手になんか言っといてください
法律的にグレーでも、なんなら黒でも突っ走る。
本人はとにかく「差別だ!」「冤罪だ!」「フェイクだ!」「誤解だ!」と心象操作に専念。
恫喝、和解(買収)、泣き落とし、誉め殺し、なんでも使って相手と陪審員を翻弄。
裁判で勝ったらそのままゴー!
あのさ、最近SNSでよく見る「20代は貯金なんて意味ない、全額海外旅行に使って経験を積め」っていう意識高い系のアドバイス。あれ、真に受けてる情弱、マジで目を覚ました方がいいぞ。
百歩譲って旅行に行くのはいい。でもな、「経験=自己投資」って脳内変換して、1円も貯めずに30代に突入した奴の末路を想像したことあんのか?
想像してみて。30代になって、周りは結婚したりマンション買ったり、あるいはキャリアアップのために種銭作って動いてる中、自分だけが「お金は1円もありません。でも学生時代にインドで自分探してました!」とかドヤ顔で言ってる地獄。
それ、誰が評価すんの?
面接官が「おっ、貯金はないけど、マチュピチュに行った経験があるなら採用!」ってなるわけねーだろ。
「こいつ、リスク管理できない無計画なバカなんだな」で終了だよ。
いい加減認めようぜ。短い滞在で現地人とちょろっと喋ったくらいで、仕事やキャリアに役立つスキルが身につくわけない。
99%はただの思い出作り、もっと言えば「SNSに載せて承認欲求を満たすための消費」だろ。
それを「自己投資」っていう便利な言葉でオブラートに包んで、浪費してる罪悪感から逃げてるだけ。
「自己投資依存症」なんだよ。本当の自己投資ってのは、もっと地味で、苦しくて、でも確実に将来の稼ぎに直結する勉強とかスキルの習得を指すんだよ。
普通に働いて、月数万でも新NISAで積み立てながら、余った金で海外に行けばいいだけの話。
「全額使え」って煽るインフルエンサーは、お前らが破産しても責任取ってくれないからな。彼らは過激なこと言って再生数稼げればそれでいいんだから。
海外旅行は、最高の「浪費」だよ。
それを認めろ。
「これは遊びだ、贅沢だ、金を使ってるんだ」って自覚して楽しめ。
「自分を成長させてくれる投資なんです」みたいな顔して、空っぽの通帳と汚いバックパックだけ抱えて30代に突入するな。
思い出じゃ飯は食えないし、家賃も払えない。
夫の金を妻へ」という旧オペレーティングシステムの強制終了
なぜ「夫が全額渡すべき」という風潮がいまだに根強いのか。それは日本の社会システムが**「昭和の専業主婦モデル」からアップデートされていないからだ。**
男性側のリスク: 自分が稼いだリソースの管理権を完全に手放すことは、エンジニアがルート権限を他人に渡すのと同じだ。相手に「家計管理能力」というスキルが実装されていない場合、システムは確実に崩壊(破産・借金)する。
女性側の袋小路: 君が指摘した通り、日本の若年女性の賃金カーブは極めて平坦だ。自力での脱出(離婚・自立)が難しいため、生活費の増減が生死に直結する。その恐怖が、今回のような極端なバグ(殺傷事件)を引き起こすトリガーになる。
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口論の末に28歳夫が包丁で刺され死亡…妻を身柄確保 幼い子どもを連れ逃走 生活費をめぐり口論か 千葉市
https://news.yahoo.co.jp/articles/66793b0e7f66af7a8bb9c2c8facdcd02ecd8d0f5/comments
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中東で最近起きているイスラエルとイランをめぐる緊張は、典型的な「国家が自分の靴に向かって小便をする」事例である。
いや、経済学的に言えばもっと正確な言葉がある。自己放尿だ。しかも壮大なスケールの自己放尿である。
市場は分散した知識を価格に凝縮し、資源配分を調整する。国家がそれを歪めると、価格シグナルが壊れる。結果として、誰も得をしない。
原油は典型的な世界商品だ。輸送コスト、地政学リスク、供給期待、すべてが価格に反映される。ここに軍事衝突のリスクを突っ込めば何が起きるか?
説明するまでもない。価格は跳ねる。保険料は跳ねる。物流は詰まる。
イスラエルは安全保障の名目で緊張をエスカレートさせ、イランは対抗措置としてホルムズ海峡リスクを市場に織り込ませる。すると何が起きるか。
供給リスクプレミアムが発生する。石油価格が歪む。貿易フローが乱れる。
そして世界経済が払うコストは、当事者の政治的満足よりはるかに大きい。
人はインセンティブに反応する。政治家のインセンティブは安全保障の誇示だ。軍のインセンティブは脅威の拡大だ。官僚のインセンティブは予算だ。
だが市場のインセンティブは違う。コスト削減、効率、交換利益だ。
これはいわば安全保障パフォーマンスと資源市場攪乱のダブル放尿である。
安全保障の誇示で一回放尿。原油市場への混乱で二回目の放尿。安全保障と原油市場のダブル放尿だ。
冷静に考えてみればいい。もし市場に任せておけば、イランの石油は割引価格で流れ、制裁回避の輸送ルートが自然発生し、世界のエネルギー供給は調整される。価格メカニズムはそれを処理する。
だが国家はそれを嫌う。なぜなら価格は政治的ナラティブに従わないからだ。
政府が問題を解決しようとするとき、しばしば問題そのものになる。まさにそれだ。
市場は調整能力を持つ。国家はしばしば自己放尿能力しか持たない。
これはもう安全保障政策ではない。グローバル規模の自己放尿である。
しかも政治家はそれに気づかない。なぜなら政治の意思決定は市場テストを受けないからだ。企業なら破産する。政府はしない。
市場は合理的。国家は感情的。価格は調整する。政治は放尿する。
そして世界はその後始末をする。
冷酷に言えば、これが現実だ。
しかし価格理論の眼鏡をかければ、それは英雄の物語ではなくインセンティブの失敗の物語である。
市場の失敗ではない。むしろ、市場が存在しないことによって生じる巨大な調整失敗だ。
国家は互いに威嚇し、軍事費は膨張し、外交は抑止という名のゲーム理論的チキンレースに変わる。
これは価格理論の教科書に載っている、古典的な外部性の問題である。
そして外部性のある行動は、必ず過剰供給される。戦争も例外ではない。
戦場の兵士を想像してほしい。銃声が鳴り響き、砲弾が飛び交う。
人間の身体は正直だ。恐怖は交感神経を支配し、膀胱は弛緩する。つまり、自己放尿である。
国家は名誉や歴史や宗教を語るが、ミクロレベルでは戦争とは「恐怖で失禁する人間の集合行動」にすぎない。
ここに冷酷な洞察がある。
兵士は合理的だ。撃たれたくない。だから撃つ。しかし同時に恐怖する。
もし国家が戦争のコストを完全に負担するなら、戦争はほとんど起きない。なぜなら価格が高すぎるからだ。
自由貿易とは単なる商業ではない。それは国家間の利害を市場で結びつけるメカニズムである。
互いに貿易している国は、互いの繁栄から利益を得る。つまり、戦争は機会費用を伴う。
工場がミサイル工場になる瞬間、半導体は戦車になる。そして貿易利益は蒸発する。
関税は政治的には魅力的だが、経済学的には危険だ。貿易を減らすことは、戦争の機会費用を下げる。
貿易が深い国同士は、戦争すると自分が破産する。貿易が浅い国同士は、戦争しても失うものが少ない。
この単純なインセンティブ構造を無視してナショナリズムを煽る政治家は多い。
戦争当事者の問題は宗教でも歴史でもない。相互依存の不足である。
戦争とは、英雄の行為ではない。それは、「誤ったインセンティブ」「価格の欠如」「外部性の放置」のトリプル放尿によって生まれる制度的自己放尿である。
そしてその最終的な帰結は、国家の演説でも、旗でも、栄光でもない。
それがある限り、人間は恐怖しても、少なくとも互いを撃つより取引する方を選ぶ。
そしてこの結論は、驚くほど単純だ。
貿易せよ。さもなくば放尿せよ。
祈るとは何か
「戦火で苦しむ人が減りますように」と強く願う、望む……のような行為だろか
祈る/願う/望むなど「強くそうであれと思う」行為の辞書的な意味の違いは今は注目しない
ここで私が落ち着かないのは、「祈る」という行為は暗に何かに祈っているのではないかという点
「何か私が祈っている対象よ、なんとかしてください」というわけだ
何かとは……一番わかりやすいのは神仏だよなあ
しかし私は神など霊的な存在、特に現世に影響……つまり奇跡……を及ぼす類のそれの実在を信じない
対象が存在しないので「祈り」の効果は不発、「祈り」は墓地に送られます……のようなTCG的比喩
①「サイコロを振った時に6が出ろと思うように幸運、確率、運で私に都合の良い結果が出ろと念じるようなものだ」……という解釈はどうか
②「現実に存在する特定の人物、団体などに対して「なんとかしてくれ」と祈っているのだ」……という解釈はどうか
③「祈るという行為は心の整理、言語化、マインドセット、瞑想的な行為であり、なんとかなれと他力本願的に思う行為ではない」……という解釈はどうか
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「辞書的な意味の違いは今は注目しない」と書いたが考えを改め、やはり祈るとは何か、祈るとはどのようなこと、私が祈った時、別の言葉で言い換えるとそれはどのような行為をしていたと言えるのか、をはっきりさせたほうがいいかもしれない
どうにも宗教儀礼、信仰行為としての祈りと日常用語としての祈りを混同して考えているきらいがある
前者は黙禱とかも含む……みんなで揃って行うこともある……つまり「そうあれかし」という価値観の表明、連帯
また、もちろん神などへの要望も前者
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なーんだ、じゃあ超自然的な存在や現象を認めないスタンスなのに神の存在を暗に認め祈っていたわけじゃなかったんだ、よかった~
とはならない
いったん「広義の無神論者が祈るとき、それはどのような行為を指すのか」の話は終わり、ここからは別の話
じゃあ具体的な「なんとかしよう」とすればいいじゃないか なぜ私はそうしないのか
いや、実際には飛躍がある 「なんとかなってほしい」が即「じゃあなんとかしないといけない」とはならない
わたしは善く生きたいのだよな、そのような価値観を内面化しているので 「なんとかしたい」なのだよな
しかし私一人個人だけならいいのだが、配偶者を私の自己満足的善に巻き込むのは本意ではないのがつらい所
その寄付金はどの財布から出るのか?身近の手の届く範囲で善を為し、身近の手の届く範囲を守ればよろしい、家族と美味しいものでも食べに行くといい、食洗器を買いたいと話していたじゃないか
なぜ今気に病むのか?これまでも世界各地で戦争紛争はあった……ロシアウクライナの件で自分は何もしなかったというのに
しかし、せめて何か…… 偽善でも何でもいいのだ 何とかしてくれる「何か」の存在を認めない以上、心の安寧は自分が何とかしないと訪れない
割けるリソースが限られているので与したい対象を選ばなければならない、犯罪者の更生支援とかにも募金したさがある せめてちょっとだけでも……
選ばなかった対象には祈りだけか与えられる、そんな悲しいことがあるかよという気持ちがある
また「祈る」を混同しているな……言語に思考が縛られているのかも 結局自分独自定義の「祈り」なのだ
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疑似問題だったな 問いが違う
「無神論者が祈るとき祈る対象がいない、であれば何の意味があるのか」
で、それぞれに「祈るという言葉の定義問題であり、倫理的姿勢の表明にすぎない」「私にとっては意味がない、行動を伴わせよう、しかしリソースは有限のため、選ばれなかった悲劇には祈りだけとなり、それは意味がない」と答えた
いや、この後者の回答はラディカルなんだよな 祈りに意味はあるよ 姿勢の表明結構なことじゃないか、即効性はなくとも世界を変革しうる
また、他人に「私と同じ価値観を内面化せよ」とはとてもじゃないが言えない
だが恐ろしいことに私には幼い子がいる
教育の名を借りて私の価値観を我が子に植え付けてしまうかもしれない
なんと恐ろしいことか
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まただらだらととっ散らかった駄文を書き捨てて…… ため息が文章の形をとった、みたいなもんだな
ここまで書いておいてなんだが「せめて祈りだけでも」という気持ちもある お花畑とか理想主義とか言われようとも何もできなくともせめて祈りだけでも……
なんで理想主的考えを揶揄する比喩として「お花畑」というんだろう?これは今度調べよう 急激な思考の向き先の変化 調べものをしているときは心が安らぐ
俺は政治家の「善意」や官僚機構の「高邁な理念」によって、社会が望ましい均衡へと自動的に収束するなどとは、端から期待していない。
いわば政策実現の自己放尿、つまり自らの高潔さに酔いしれながら社会を清めたつもりになる行為に、一片の合理的期待も置かない。
なぜなら、経済学の第一原理は「インセンティブは重要である」という点に尽きるからだ。
価格は単なる数値ではない。価格は情報であり、インセンティブであり、分配メカニズムである。
これは競争均衡モデルにおけるワルラス的調整過程を、より現実的に制度的文脈へ埋め込んだ命題に過ぎない。
市場を個別最適化問題の集合として表すならば、均衡は価格ベクトルによって内生的に達成される。
ここで政府が恣意的に価格を歪めれば、ラグランジュ乗数が示す限界評価は失われ、死荷重の自己放尿が発生する。
政策当局者の「善意」は、限界代替率も限界変形率も計算しない自己放尿である。
貨幣数量説を単純化すれば MV = PYである。もしVが安定的であり、実質産出Yが潜在成長率に従うならば、名目所得の変動は主として貨幣供給Mに依存する。
ここで重要なのは、合理的期待である。政府が景気刺激を予告すれば、主体はそれを織り込み、インフレ期待を調整する。結果としてフィリップス曲線は長期的に垂直となる。短期的トレードオフは幻想である。
再選確率を高める自己放尿政策は、社会厚生関数を最大化する政策とは一致しない。
利益は集中し、費用は分散する。ロビー活動は一種の自己放尿的合理性であり、無知もまたそうである。この構造のもとで、「公共善」は内生的に供給されない。
政策はしばしば市場の失敗を是正するのではなく、「政府の失敗」という自己放尿を創出する。
企業は max_q ; π(q)=p(q)q-C(q) を解く。
一階条件 MR=MC は倫理命題ではなく、選択制約の帰結である。
政治家はどうか。
彼らは赤字を将来世代に転嫁して自己放尿できる。市場退出という規律が存在しない。破産制約のない主体に効率性を期待するのは、理論的にも実証的にも困難である。
経済的自由は必要条件である。十分条件ではないが、必要条件である。
自発的交換が許容されない社会で、市民的自由が長期的に維持される保証はない。これは理念ではなく歴史的観察である 。
国家が自己放尿的に価格を統制し、資源を配給し、職業参入を制限するならば、個人の選択集合は縮小する。選択集合の縮小は効用可能性集合の縮小を意味する。自由の損失は数学的にも表現できる。
経済政策に必要なのは英雄ではない。必要なのは、インセンティブ整合的なルールである。
景気だのGDPだの、スタートアップだのDXだのと騒いでいるがな、俺に言わせりゃあ、生産性や投資ってのは、突き詰めりゃ「死の恐怖」を経済の言葉で言い換えた自己放尿なんだよ。
感傷じゃない。冷たい話だ。人間を合理的な存在として見るなら、話は単純になる。
人間の人生には終わりがある。時間は無限じゃない。今日という一日は二度と戻らない。
しかも人は、未来の一円より今の一円を重く見る。先のことは割り引いて考える。これは感情じゃなく、行動のパターンだ。
ここが重要だ。
寿命に限りがあるという事実そのものが、「急げ」という無言の制約になっている。
もし人間が不死だったらどうなるか。
今日やらなくてもいい。百年後でもいい。千年後でもいい。蓄積の切迫感は消える。
表面では死を意識していなくても、行動の奥底には常にこういう命令がある。
「限られた時間で最大化せよ」
これが出発点だ。
生産性が上がるとは何か。
同じ時間で、より多くを生み出せるようになることだ。
時間が足りない。だから機械を作る。組織を作る。アルゴリズムを作る。AIを作る。無駄を削る。
チンタラしてたら自己放尿して終わるんだよ。だから効率を上げる。
競争の中で消える。
市場は情けをかけない。だが合理的だ。遅い者、重い者から退場する。
資本は放っておけば減る。維持しなければ摩耗する。
なぜか。
老後が怖い。収入が途絶えるのが怖い。社会的に落ちるのが怖い。破産が怖い。
要するに恐怖だ。
少し下世話に言えば、未来が怖くて、その場で自己放尿する代わりに、資本に変えているんだよ。
構造は同じだ。反応が洗練されているだけだ。
ここが核心だ。
恐怖それ自体は感情だ。だが市場はそれを価格という信号に変える。
個々人がそれぞれ自己放尿的に緊張しながら動く。その総体が価格となり、資源配分を調整する。
恐怖は分散している。情報も分散している。価格がそれをまとめる。
これが市場秩序だ。
資本主義とは何か。
冷たいが、構造としてはそうなる。
時間は限られている。
不安は消えない。
市場はその恐怖を秩序へ変える。
自己放尿で終わるか、
資本蓄積で終わるか。
違いはそこにある。
若いの。君が今日スキルを磨くのも、企業が研究開発に金を突っ込むのも、国家が成長戦略を叫ぶのも、根は同じだ。
有限の命をどう使うか。
高齢者団地っぽいな。破産してでも建てたんだな。駅から徒歩30分。バスは走ってない。
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山形県上山市宮脇字下川原65は、東北地方で最高層(2025年時点)のタワーマンション「スカイタワー41」の所在地です。1999年に竣工した地上41階建てのマンションで、田園風景の中に立つ特徴的なランドマークです。
総戸数: 390戸
特徴: 133メートルの高さがあり、周囲ののどかな景観において存在感を放っている
住民からは「雪かきなどといった冬の重労働から解放される」、「光熱費が節約できる」、「眺望が良い」と評価されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d07f16def8d3b81d91343017520f7cdea6f4fe43
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このマンションの開発・販売は、ユーカリが丘ニュータウン(千葉県佐倉市)の開発で知られる不動産デベロッパー、山万(東京都中央区)の関連会社、山万アーバンフロントによって行われた[4]。山万アーバンフロントは第一勧業銀行(当時)の役員が歴代社長を務め、「第一勧銀の不動産別動部隊」とも呼ばれた会社で、仙台市郊外の錦ケ丘ニュータウンなど大規模開発を行なっていたものの[4]、「アーバンフロント」「エヌ・エス・アール」と商号変更を繰り返した後、2014年1月31日に破産している[6]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC41