はてなキーワード: 河原とは
<編集長>
担当がついているからには、必ず評価しているところがあるんです。だから、担当がつくきっかけになった投稿作の、どこがよかったかを聞いてみるといいと思う。「なんで私の担当についてくれたんですか?」って。自分の意図せぬところだと思うけど、さっき河原先生もおっしゃったように、そこが自分の長所だろうから。それを次にも生かしたらいい。2作目が通らないという人は、担当とのそのやりとりがないまま、評価されたところとは違う部分で次の作品を描いてしまっているのかもしれない。本当は、担当編集も、それを作家さんにちゃんと言わなきゃいけないんだよね。コミュニケーション不足になるのは、よくないなと思います
そういうこと、そういうこと! 「描けないなあ」って思った時には、そういうものを探すような作業をするのもいいのかなと思いますね。自分のDNAはどういう部分に反応するのかがわかるといいな、と思います。
私は……なんとなく「主人公が、『自分のことは、まあいいや』ってなる」のが好きかな(笑)。『俺物語!!』の猛男はそれを描いたと思います。
出会って即合体させそうになるという
あ、あと転を一番いいシーンだと考えるといいんじゃないかな。それまでキャラが積み重ねてきたものを壊すことが転ではないんですよね。キャラがやってきたことの集大成を見せるところなのかなと思うんですよ。だからそこで話がひっくり返ることもあるだろうし、ひっくり返らずに積み重なることもあるだろうし。今までしてきたことが全部集まってこうなっちゃう、っていう感じ。こうなるべき布石みたいなものが必要ということにもなるんですけど。野球でいうと、「あの時の走塁がここで功を奏してくるとはね!」みたいな(笑)。野球まんがで突然「相手選手が食中毒になる」みたいなことを起こして、それで勝ったとしても、何か違うなあ、と思ってしまいますよね。
<編集長>
以前、それをグラスに例えた作家さんがいました。「転」はグラスからあふれた最後の一滴だと。みんな、その一滴に注目してしまうけれど、本当はそれまでグラスの中にたまっていたもの……そこまで積み重ねてきたもののほうが大事なのではないか、ということですよね。
https://betsuma.shueisha.co.jp/contribute/nameschool/06.html
なんかしょぼいキーホルダー
去年からしょぼくなった
一昨年まではマグカップだったのに
去年から原価300円の携帯カトラリーとかになって一気にしょぼくなって
とんかつわかばで食おうか迷ったけど食欲そんなになかったからみずほ銀行へ
めっちゃ行きづらい
1Fにシャネルの店があって入口にガードマンとかいてほえーってなった
地下のうどんやも引かれたけど、うどんに1000円以上はなあと思ってやめた
みずほのATMで小銭まで全部残高おろして、6Fのなんとか食堂で食べようかと思って店頭の看板を少しだけ眺めたけどなんか微妙でやめた
広いだけあって、また、久しぶりにいったのもあって、行きつけの店にないラインナップで楽しかった
カルト村で生まれましたの2作目と3作目をざっとななめ読みした
でも正直1作目には劣るなあ
内容自体は興味深いけど、立ち読みで読むボリュームではなかった
すんごく冗長で、入院して入院生活をすんごくあっさり書いておわった
さすがに引き延ばしすぎよ
あとがき担当してた人も書いてたけど、完全版というならヤンマガ版もいっしょにのせないとなあ・・・
ひゃくえむの完全版?もあった
でもこれ前もどっかで書いたけど川島誠の800とほぼ同じ感じで既視感あってつまんなかったのよな
パトレイバーが新装版だか愛蔵版だか2パターンあってうげーってなった
それでもう15時半すぎた
外のジャンク本コーナーを見る
悪魔の味方があってちょっと心ひかれるけど5巻しかないし駿河屋とかでも安く買えるとわかったからかわない
さすがにおいてなかった
WORKINGの1巻の初回盤があって迷ったけどやめた
まえ、1,2年前にかったオカルト学院のアウトレットもPS5に入れて再生すらしてないから
だいたいお高めだから買うつもりはなかったけど、近藤るるるの画集があってちょっと迷った
もうデジタルでも紙でももってんだけど、あまりにも安かったから。LR2冊で2100円くらい。
我慢。
プリキュアのとこ見る。地味に狙ってた初代のファンブックの改訂版があった。
でもどうせ高いんだろうなと思ったらなんと550円。汚れありXXありとかいろいろ書かれてたけどぱっとみでは全然普通の中古レベルっぽい
即確保
あとで開封して確認したけど、問題なさそう。むしろおまけのカードとかもついててラッキー。確かに少々ダメージはあるけど、普通に見る分には全然問題ない
設定資料集のページだけ国会図書館にコピー依頼しようかと思ってたくらいだったから、その金額と手間考えたら全然お得だったわ
電子なら2k、紙なら中古で3kするのを550円で確保はマジでうれしい
そこまで気になるのはなかったかなー
型月が相変わらず高いねって感じ
捨ていないととホロウアタラクシアのセットが状態悪いやつで17k、いいやつで35kくらいしてた
あとカーニバルもあった
箱のダメージあるけどそれでも30kくらい
河原崎家の一族2完全版がひかれたけど12kはたけーと思ってかわない
んで店でる
うーんと迷う
せっかくなら久しぶりに六本松にもいくかと思って向かう
でも結局歩きで帰った
六本松のぶこふは、画集コーナーと小説でか行とさ行をチェック まあ当然ないけども
ルーツレポを買う
途中でうどんマップ1回にでたとかいう手作りまるてんうどんの店があって引かれたけど我慢した
はかたぶこふで荷物受け取ってもうへとへと
それにしても森はやっぱりドラッグイレブンより格段に安いな
冷蔵庫ないのに
3500円ぶんくらい
そんで値段にして600円くらいでおなかいっぱいになってシャワー浴びて今
歩数は22k
だいたい15kmくらいか
毎日1万ぽあるくよりも食う量減らした方がいいんだよなあ
10時、近所で一番大きい本屋に出かける。昨日覗いた別の本屋に続いて3/30発売のROCKIN'ON JAPANが売ってない。
今月はずとまよ特集。既にオンラインストアはどこも売り切れ。予約しなかったことを後悔する。
そこで夕飯の材料買って帰る。
昼飯は子供たちは買ってあったコンビニのうどん、俺は無印のキーマカレー。
だらけきった子供たちを見るとむかつくのでなるべく自室にこもる。
雨が止んで河原を散歩。風が強くて舞い上げられたすすきの穂で埃まみれ。
帰って常備品のチェック。冷蔵庫に使いかけのソースが2本あって鬱。
茄子とピーマン、豚こまの味噌炒め作って、まぐろといかの刺身、味噌汁で子どもと晩飯。
自室で9時まで遊ぶ。
面白かったのを(たぶん)30挙げる
the lines of my hand
美しい星
あなたはここで、息ができるの?
生命とは何か
姫君を喰う話
化け者心中
噺は生きている
「爆心地」の芸術
陰花な被写体
人さまざま
数学的な宇宙は丸パクリみたいなのがブルーバックスから出ているので、内容的にはそれでも
江戸の極楽とんぼは「筆満可勢」という江戸時代に書かれた日記みたいな随筆みたいなのを解説した本で、「筆満可勢」の内容が面白いのにあまり知られていないので
the lines of my handと陰花な被写体は写真集
陰花な被写体は篠山紀信らしさが溢れていて、篠山紀信には珍しくギャラリーでの展示もした写真(篠山紀信は写真は雑誌などで消費するもので展示するのを嫌っていた)
花宵道中と化物心中はどちらもデビュー作で、デビュー作でこんなに書けるんだって驚きから
花宵道中は映像化しているけど、化け者心中も映像化して欲しい、化け者心中の蝉谷めぐ実の見えるか保己一も凄い
毛沢東語録はいわゆる赤本だけど、実際に読んでみると結構面白いし、読まないと当時の空気感に触れられない気がする
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童 Permalink | 記事への反応(1) | 18:05