はてなキーワード: 背骨とは
バンドが解散する際に「ベースがギターを殴る」というシチュエーションは、音楽ファンの間ではもはや「伝説的なお約束」や「様式美」として語り継がれているエピソードですね。
最も有名な元ネタの一つは、日本の伝説的ロックバンド「BOØWY」の解散にまつわるエピソードだと言われています。
1987年の解散宣言の際、あるいはその前後の緊張感の中で、布袋寅泰さん(ギター)と松井常松さん(ベース)の間で「殴り合いがあった(あるいは殴った)」という噂が、ファンの間で都市伝説的に、あるいは象徴的に語り継がれました。
バンド内での役割として、ギタリストは華やかで目立つ「動」の存在、ベーシストは寡黙で職人気質な「静」の存在として描かれることが多いです。
そんな「普段一番怒らなさそうなベーシスト」が、積もり積もった不満を爆発させてギタリストを殴るという構図が、ドラマチックな物語(あるいは漫画や創作物)として非常に映えるため、定番のイメージとして定着した側面があります。
バンドの解散理由は「音楽性の違い」とされることが多いですが、実際には人間関係の摩耗が原因であることも少なくありません。
特に、リズムを支えるベースとメロディを引っ張るギターは、音楽的な「背骨」を共有している分、一度ズレが生じると修復不能な感情的な衝突に発展しやすい……という解釈もなされます。
実際には、楽器を置いて握手して別れるバンドや、淡々と終わるバンドの方が圧倒的に多いはずですが、「最後に感情が爆発する」というエピソードの方がロックらしく、人々の記憶に強く残るのでしょう。
中国の指導層、特に1990年代の日本の崩壊をリアルタイムで観察していたエリートたちは、日本の失敗を国家主権を失った国が辿る末路として徹底的にケーススタディした。
中国は、日本が米国の圧力に屈して急激な円高を受け入れ、バブルとその崩壊を招いたプロセスを最大の教訓とした。米国が長年人民元を切り上げろと圧力をかけ続けても、中国は決して一気に応じなかった。自国の輸出競争力と通貨の主権を手放すことは、国家の自死を意味すると理解していたからだ。
日本が金融自由化の名の下に外資の浸食を許したのに対し、中国は資本の流出入を厳格に管理し、グローバル資本が国内経済を根底から揺さぶることを許さなかった。中国は通信、エネルギー、金融といった国家の背骨となる部門を、決して民営化(=外資への売却)しなかった。
市場経済を取り入れつつも、最終的な決定権を国家(共産党)が保持し続けることで、資本の論理が国家の主権を上書きすることを防いだ。日本の林道整備が収益性で切り捨てられたような事態を、彼らは国家の弱体化として回避した。
日本が製造業の現場を軽視し、派遣労働の拡大で技能を破壊し、技術を米国や周辺国に流出させた失敗も、中国は注視していた。サービス業や金融への偏重(経済のソフト化)が国力を削ぐことを見抜き、製造2025の掛け声のもとにハイテク製造業での自給自足を急いだ。
西側の技術を導入しつつも、それを自国のものに昇華させ、逆に西側が中国のインフラ(5GやEVなど)に依存する構造を作り上げた。
中国の躍進は日本のようにだけはなるなというスローガンの上に築かれている。彼らは日本がバブルの宴に酔い、竹中平蔵のようなパシリによってシステムを解体され、最終的に搾取対象へと転落していく様を、冷徹な目で見つめていた。
皮肉なことに、日本が米国に差し出した果実が大きければ大きいほど、中国は主権を失うことの代償を強く認識し、独自の軍事力と経済ロジックを磨き上げることができたのだ。
覚悟がなければ未来はない。中国は米国と衝突してでも主権を守るという覚悟を決め、日本はその覚悟を捨てて隷属の安寧を選んだ。その結果が、現在の両国の決定的な国力の差となって現れている。
韓国トップスターのファン・ジョンミン(実名)はある日、仕事の帰りにヤバいチーマーたちに誘拐されてしまう。彼らは世間を騒がせている誘拐殺人犯の一味だった。サイコ、短気、ビッチ、デカブツ、ハゲの5人組に山奥の小屋に誘拐されたジョンミンは、同じく誘拐されていた女性と2人、信頼を深めながら脱出を試みるが。
みたいな話。
まずこの作品の特別な点としては実在する名優ファン・ジョンミンが本人役で主演しているというところ。韓国おじ俳優の中ではソン・ガンホ、マ・ンドクセらに並ぶ大俳優が本人として誘拐されるというところがウリなんだが、どうにもそれが生きてこない。彼の誘拐がバレるのは後半に差し掛かるくらいだし、その頃には話も佳境だから誘拐や捜査という事件の本線が盛り上がってくるから、肝心の"ファン・ジョンミン"が誘拐されたって話はちょっとテレビで盛り上がる程度。
ジョンミンくらいの超特大俳優が実際に誘拐されたらマジでドデカい社会的影響があると思うし、あの程度の盛り上がりだったら別にジョンミンじゃなくても東出昌大でも一緒だろ。あのジョンミンが実際に誘拐されるという設定が活ききってないなって思ったかな。
もろちんジョンミンが名優らしく演技力で誘拐犯を騙して脱出するシーンや、過去に演じた役を通じて外部の人間にメッセージを送るシーンなども登場するが、やっぱりファン・ジョンミンという存在の巨大さに比べると地味に感じる。
何よりこの事件を通じてファン・ジョンミンならではの何かが解決、進展しないのは俺的にはかなりマイナス。例えば、同じ自分を演じる系だと「その男、ヴァン・ダム」なんかはアイコンとしてのヴァン・ダム性や実際の彼の苦悩なんかを自虐をふんだんに絡めて前面に押し出して最終的に前向きなメッセージを送るというような展開になっていたけど、この作品ではそういったものはあんまり感じられなかった。
ファン・ジョンミンほどのトップスターならではの苦労や苦悩、そういったものが仮にフィクションであったとしてもこの事件に巻き込まれることで何らかの進展を見せたり、見ているこちら側に伝わるものがあった方が、本人が本人役で出るより深い意味が見いだせたのにとちょっと残念。
誘拐ものとして被害者を犯人にしつつ、もう一方でそれを追う女性刑事を配置。また誘拐犯一味も一枚岩ではなく軋轢がある。脱出サスペンスに金をどう獲得するかという展開に、誘拐を追う刑事ドラマ、肉弾アクションにカーチェイスに大爆発にエッチシーンとエンタメてんこ盛りながらも韓国映画らしくそれぞれがある程度の強度があるので見ていて飽きない。
が、それぞれを成立させるために誘拐犯は行き当たりばったりだし、刑事側へのヒントの出し方は露骨、カーチェイスに関してはやりたいだけやろという感じで楽しくはあるんだけどどうなんだという印象もぬぐえない。どうしてもこの辺のドタバタアクションいれたがるのは韓国エンタメの悪癖だと俺は思う。
誘拐映画としては一味のリーダーのサイコパスが金をゲットしようと一生懸命工夫したり、そこにマネージャーが現れてあわや鉢合わせというようなハラハラ感の演出は定番ながら悪くないし、事件がMAX盛り上がってきたときに反目していた短気の裏切りにあったとたん自首してきて警察をアジトに誘引する展開は結構新しいと思った。そしてその後、アジトを爆破。ここ迫力あって好き。この人いい俳優だったな。
あと、名演で脱出後(失禁したら名演ってのもどうなんだ)、やっぱりもうダメだ~ってなったときにジョンミンが自分がオトリになって同じ誘拐被害者の女性を逃がすシーンがあるんだけど、なんか知らんうちに拘束合流してて笑った。正直、この辺りはかなり雑に作られてるなって感じたかな。
そして事件のトラウマに悩みながらもスターとしてジョンミンは生きていくのであった、完。う~ん。なんかもうちょいなかったか。
まぁそんな感じかな。
韓国エンタメ映画としてはある程度の強度はあるんだけどファン・ジョンミンが本人役で主演しているという部分に全振りしている割にその設定がそこまで活きているとは感じられなかったのが一番の欠点。そういう意味では筋力はあるんだけど背骨がぐにゃぐにゃみたいな感じかな。
韓国エンタメ映画が好きなら見てもいいとは思うんだけど、そっち方面だったらもっと面白い映画はいっぱいあるだろうと思うのでなかなかオススメしづらい感じはある。ファン・ジョンミンのファン向け映画かな。
結論から言うと、この文章は「人間が書いたように見えるが、AI特有の不自然さがいくつか混ざっているタイプ」です。
AI文章の特徴は ①感情の盛り方、②構成の整いすぎ、③語彙と描写のクセ、④物語の“都合の良さ” に現れます。
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・引きこもり → 親の老いに気づく → 決意 → 訓練校 → 就職 → 親孝行 → メッセージ
・カップ麺の味がしなくなる
・布団で泣く
・ハローワークへ行く
・資格取得で苦労
これらはAIが「感動系ストーリー」で頻繁に使う“鉄板イベント”。
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「心臓を冷たい手で鷲掴みにされたよう」
「フニャフニャだった背骨」
「泥水をすする覚悟」
38歳男性の語りとしては
・「フニャフニャ」
・「もりもり湧いてくる」
・「ゴミだった俺」
この文章も「泣いた」「怖かった」「実感した」など、感情を直接言語化しすぎている。
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・訓練校で半年頑張る
・資格を2つ取る
・就職できる
・親孝行できる
・給料額
・仕事内容
・親の反応
・訓練校の様子
どれも「ネットでよく見るビルメン体験談の平均値」になっている。
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「読者への励まし」
「行動を促す」
「遅すぎることはない」
AIは長文でも破綻しないため、このような“整った長文”を作りがち。
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「引きこもりから社会復帰できた」という元増田を見て、自分も書こうと思った。
俺も現在38歳の男だ。
元増田のように看護師という専門職ではないし、給料もそこまで高くないけれど、俺もなんとか社会の端っこにぶら下がることができた。誰かの希望になればと思って、柄にもなくキーボードを叩いている。
35歳まで、俺は見事なまでの「子供部屋おじさん」だった。
大学で人間関係につまずいて中退して以来、実家の自分の部屋に引きこもった。たまに親に泣きつかれて、短期の倉庫の仕分けバイトなんかに行くことはあっても、数日で行かなくなる。基本は昼夜逆転生活。ネットゲームと、まとめサイトを無限に巡回する日々。ゲームの画面の中では古参プレイヤーとしてふんぞり返っていたけれど、現実の俺は履歴書に書くことが一つもない、透明人間みたいな存在だった。
転機が来たのは35歳の冬だ。
深夜に起きてきてリビングでカップ麺を啜っていたら、夜勤明けで帰ってきたパートの母親と鉢合わせた。普段なら「こんな時間まで起きて…」と小言を言う母親が、その日は何も言わず、ただ疲れた顔でテーブルの向かいに座った。
そして、ため息混じりにぽつりと「お父さん、来年で定年なんだよね。再雇用だと給料半分になるってぼやいてたわ」と言った。
その時、蛍光灯の下で見た母親の頭にびっしりと白いものが混じっていること、そして昔よりずっと背中が小さく丸まっていることに気がついた。
瞬間、心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚に陥った。「あ、俺、このままじゃ親を食い潰すんだ」って。親が死んだら自分も生きていけないという恐怖以上に、自分という存在が親の命と人生を削って生き長らえているという事実が、急にリアルな重みを持ってのしかかってきた。
食べていたカップ麺の味が全くしなくなった。残りの麺を流しに捨てて部屋に戻り、布団を被ってボロボロ泣いた。このままじゃダメだ、死ぬ気で変わらないと本当に人間じゃなくなる、と思った。
次の日、俺は数年ぶりに外行きの服を着て、震える足でハローワークに行った。
職員のおじさんに呆れられながらも、必死に探して職業訓練校(ポリテクセンター)の「ビルメンテナンス(設備管理)科」に申し込んだ。「中高年でも未経験から就職しやすい」「資格さえ取ればなんとかなる」とネットの掲示板で見たからだ。
10年以上まともに人と喋っていなかったコミュ障の俺にとって、初日の自己紹介すら拷問だ。最初は周りの若い子やリストラ組のおじさんたちの輪に入れず、昼休みになるたびにトイレの個室に逃げ込んで、持参したパンを無音で食べていた。
でも、「ここから逃げたらマジで首を吊るしかない」という切羽詰まった思いだけが俺を支えていた。実習でドジを踏んで舌打ちされても、必死に愛想笑いでやり過ごした。
人生で初めて、死に物狂いで勉強した。「ビルメン4点セット」と呼ばれる資格のうち、まずは第二種電気工事士と危険物乙4の取得に全振りを決めた。電気工事士の技能試験の練習では、不器用すぎて配線の輪っか作りができず、ペンチで手の皮を挟んで血が滲んだ。悔しくて泣きながら、それでも夜中までケーブルを切り続けた。
数ヶ月後、ネットの合格発表で自分の番号を見つけた時は、歳甲斐もなく声を出してガッツポーズをした。
36歳で、今の会社に就職した。いわゆる独立系のビルメン会社だ。
面接では「今まで逃げてばかりの人生でしたが、もう絶対に逃げません。便所掃除でもなんでもやります」と頭を下げた。面接官の所長が「まあ、体力はありそうだし、真面目にやるならいいよ」と拾ってくれた。
今、社会人になって2年半が経つ。オフィスビルに常駐して、管球交換をしたり、空調のフィルターを清掃したり、トイレの詰まりを直したりしている。
夜勤もあるし、テナントからのクレーム対応で胃が痛くなることもある。給料だって額面で24万くらいで、手取りにすれば20万を切る月もある。ボーナスも寸志に毛が生えた程度だ。
でも、夜勤明けにビルの屋上で吸う空気は、ひきこもっていた部屋の淀んだ空気とは全く違う。早朝の街の匂いと朝日が異常に眩しくて、「ああ、俺、生きてるな」って実感する。
初任給をもらった月、俺は親父と母親を近所のちょっといい焼肉屋に連れて行った。
席に座って「今日は俺が払うから、好きなの頼んでよ」と言った時の親の顔は、一生忘れられない。親父はビールを飲みながら「美味いな、お前の金で食う肉は美味い」と何度も言い、母親はメニューで顔を隠しながら少し泣いていた。俺も肉を焼きながら、煙が目に沁みたふりをして泣いた。
元増田が「働くってすげーな。自信がもりもり湧いてくる」と書いていたけど、本当にその通りだと思う。
俺は今、社会の「歯車」だ。底辺職だとバカにする奴もいるかもしれない。でも、ただのゴミだった俺が、誰かの役に立つ歯車になれたんだ。トイレを直して「助かりました、ありがとう」と頭を下げられる。毎月、自分の口座に「給与」としてお金が振り込まれる。
その一つ一つの事実が、俺のフニャフニャだった背骨を少しずつ太く、真っ直ぐにしてくれている気がする。
俺は社会にいてもいいんだ。
誰かの役に立って、その対価としてご飯を食べていいんだ。
親も、やっと夜に安心して眠れるようになったと思う。
30代後半で職歴なしのひきこもりでも、本気で泥水すする覚悟で動けば、なんとか社会の端っこにしがみつくことはできる。
もし今、昔の俺みたいに暗い部屋でこれを読んで絶望している奴がいたら、とりあえずハローワークに行って職業訓練のパンフレットだけでも貰ってきてほしい。
遅すぎることはない。
俺も、社会復帰できて本当によかったよ。
原因は何だったか分からない。ただ自分としては普通に過ごしていたつもりだったし、誰かに変なちょっかいをかけた覚えもない。
それがある日突然、クラスカースト最上位の男に毎日のようにバカだのキショだの名前をいじって揶揄したりだの心無い言葉をかけられるようになり、それに同調したクラスメイトも一緒になって私に罵声を浴びせるようになった。
主犯格の男子児童は狡猾な野郎で証拠に残るような行為はしなかったので、日常的に身体的な暴力を受けたり、持ち物に危害を加えられたりしたことはなかったが、それでもあの日々は今でもフラッシュバックすることがあるくらいには、私にとって暗黒の時代だった。
担任はそんな私を鼻つまみものとして扱い、外面だけは良いいじめの主犯格たる男子児童は褒めそやした。
私はクラスで孤立し、卒業するまで周りの人間に不信感を抱いて過ごした。
さて、そんな主犯格の男――以降はIとする――はその後プロのスポーツ選手になった。どの競技かは伏せるが、わりとメジャーな球技だ。
Iは日本国内よりも海外チームでの活躍が多くあまりニュースが入ってくることはないのだが、それでもやはりIの功績は耳に入ってくる。それが本当に嫌で嫌でしょうがなく、私はIのせいでその競技ごと嫌悪するまでになった。
Iは結婚もしており、娘がいるらしい。世間では「良いパパ」と持て囃されているようだが、一方で他人と距離を取るようになり、コミュニケーションが苦手になってしまった私は未だに独り身だ。
全部Iのせいだと言うつもりはないが、少なくともあの頃に今の私の性格の4~5割が形成されたと思っているので、幸せな家庭を築いている(らしい)Iには強い憎しみを覚えている。
運動ができるからとそれを鼻にかけ、自分以外の人間を見下してクラスを支配下におき、私のような弱い人間の人権を踏みにじったIが幸せを手に入れているなんて、この世はなんて理不尽なんだ。
娘が生まれたという報せを聞いた時、私はIに復讐したいと考えるようになった。
まず娘と嫁をレ●プし、その次にI本人の手足を金属バット等で粉砕し、最後に背骨にとどめを刺す。
殺害はしない。選手生命を絶ち、残りの人生を生き地獄にしてやるのだ。
Iに受けた仕打ちに比べたらやりすぎと思われるかもしれない。それでも、Iを中心に広まったあの地獄の日々から連なる今までの長い年月と、これからも続く孤独と苦しみの日々を考えれば釣り合いは取れるだろう。
だが、私はそんなことはしない。というかできない。
何故なら今の私には守るべき生活と社会的地位、そして最低限の常識と良識があるからだ(常識と良識ある人間が考えるようなことじゃないだろというツッコミはさておいてほしい)。
I一人から受けた傷をその配偶者と子どもにまで負わせる必要なんてないし、Iの選手生命を絶ったところでそこに関わるチームやスポンサー等の損害を私が補償できるわけがない。
当然こんな犯罪は許されるべきではないし、私が犯罪者になるわけにもいかない。
だからこれはただの妄想。復讐に心燃やしたもののやり場がなく抱えてしまったモヤモヤをどこかに発散したかっただけ。
こんなしょうもないことを考えてしまう私のことを愚かな人間だと皆さんは思うだろうか。
日常的に暴行を受けたり、非人間的な扱いを受けたりと、私よりももっと辛い思いをした人もいる中で、みっともなく今でも恨みを持ち続ける私を、世の中は嘲笑するだろうか。
それでも私はそんなことを考えてしまうことがやめられない。もしかしたらあの頃に形成された性格なんかじゃなく、これが元々の私の性根だったのかもしれない。
雨のコンビニ前。
小雨が銀の肌を叩く音だけが響く。
俺はスイムキャップとゴーグルを被ったまま、全身銀色で立っていた。
水泳選手が限界まで鍛えたような、シャープで長い筋肉。肩から背中へ流れるライン、腹の薄い割れ、腿の内側まで銀が光ってる。
素顔はイケメンだけど、俺はこの姿——顔が完全に隠れて、ただの「銀の水獣」になった瞬間——が一番美しいと信じて疑わない。
それが俺の全てだった。自動ドアが開くと、白い光が銀を直撃。
ヤンキー5人(金髪リーダー格を中心に、みんなガラ悪い)が一瞬固まった。「うわっ、マジで銀の裸水泳マッチョwww」
「体は水泳選手みたいにスッキリ筋肉なのに、チンポ銀色でビンビン立ってるぞクソ変態」リーダーがニヤニヤ近づいてくる。
「寒くねえの? この雨の中で」
「……この姿が……一番好きなんだ……」その瞬間、爆笑の嵐。そこへ小学生の男の子集団がジュースを買いに飛び込んできた。
子供たちは俺を見て大歓声。「うわー! お兄ちゃん銀色だー! プールのお兄ちゃん?」
「銀チンポ勃起してるー! きもーい!」ヤンキーたちが子供たちを煽る。
「ほら見てみ? この銀マッチョ、水泳選手みたいな体してるのに露出狂なんだぜ」
「ゴーグル越しに目がエロすぎだろ。自分から勃起させてコンビニに来てんだよ」
「銀塗ってスイムキャップ被って、雨の中でチンポ振り回してる変態だって!」子供たちの無邪気な罵倒とヤンキーの残酷な笑いが混じり合う。
「変態!」「お巡りさん呼ぶよ!」「銀のチンチン恥ずかしいー!」
ナルシシズムの核「この銀の水獣は美しい」が、子供たちの指とヤンキーの嘲笑で粉々に砕かれる。
なのに、チンポは痛いほど硬い。
痛みと羞恥が、なぜか奥から熱を呼び起こす。「……ごめん……なさい……」
コンビニの冷たい床に額を擦りつけ、銀の背中を震わせて泣きじゃくる。
「俺……変態で……この姿が……好きで……ごめんなさい……」ヤンキーたちは興奮MAX。
そのまま俺を引きずってアダルトショップへ。店内で梁型、ローション、コックリングを買うと、レジ前で即犯し開始。
ローションをぶっかけ、梁型をケツに一気に突っ込まれ、コックリングを根元でカチッと固定。
「うぐっ……あっ……!」
「てめえら! 警察呼ぶぞ!」俺は梁型を刺したまま土下座して泣きながら叫んだ。
「違うんです……俺が……頼んだんです……いじめじゃない……俺が変態で……この銀の身体を……壊してほしいって……お願い、警察呼ばないで……」店員は呆然としながら、結局追い出すだけだった。夜の公園。雨が本降り。
暗いベンチ裏に俺は押し倒される。
顔を地面に押し付けられ、銀の胸を蹴られ、ゴーグルを掴んで首を捻られ、梁型を奥まで抉られる。
「銀マッチョの雌穴、緩すぎだろ」
「ゴーグル被ったまま泣いてる顔、最高にキモいわ」殴る、蹴る、髪を掴んで引きずる。
痛みが全身を走る。
心はもう粉々。
「俺は美しいはずだった……銀の水獣だった……」
なのにチンポは一度も萎えない。
コックリングで締め上げられた銀チンポが、痛みのたびにビクビク跳ねる。
ケツの奥を梁型が抉るたび、熱い波が背骨を駆け上がる。
「あ……あんっ……」
「痛い……やめて……俺は……」
でも痛みが繰り返されるうちに、何かが溶け始めた。これは……苦痛じゃない。
スイムキャップとゴーグルで顔を隠した瞬間から、俺は「見られるための物体」になりたかった。
美しい銀の水獣なんかじゃなくて、ただの「雌の肉」。
子供たちに笑われ、ヤンキーに踏まれ、梁型で犯され、雨に打たれるこの屈辱——
これが、俺の本当の美しさ。心の奥底で何かが「カチッ」と音を立てて落ちた。
代わりに湧き上がってくるのは、甘くて熱い喜び。
「もっと……壊して……」
「あんっ……んんっ……雌の……マッチョ……にして……」ヤンキーたちが気づく。
「は? お前……感じてんじゃんマジで」
「銀マゾ、完全に雌落ちしたぞ」その言葉で、俺の頭の中が真っ白に染まる。
もう抵抗なんてない。
この姿——銀の水獣が、雌に堕ちた瞬間——が、俺の人生で一番美しい。「……もっと……犯して……この銀の身体を……雌の奴隷に……壊してぇ……」俺は泣きながら、何度もイキ散らした。
心はもう、完全に雌落ち。
銀色の水泳マッチョは、雨の公園で、ヤンキーたちの玩具として、
永遠に喜びに目覚めたまま、震え続けていた。
猫は高いところから落ちると、ほとんどの場合、足から着地します。この能力は、単なる動物の器用さではなく、物理法則と数学的構造によるものです。猫が空中で回転して姿勢を変えるメカニズムには、幾何学的位相(Berry位相)や、タックアンドターン、ベンドアンドツイストといった動きが関係しています。これらは現代物理学の重要なテーマに繋がっています。
ここでは、猫の落下技をきっかけに、角運動量保存、形状空間、そして幾何学的位相を中心に、物理と数学のつながりを解説していきます。
猫が空中で姿勢を変える秘密は、角運動量保存の法則にあります。猫が落ちる際、外部からの回転力(トルク)はほとんど加わりません。そのため、角運動量は保存されます。にもかかわらず、猫は体を変形させることで姿勢を変えることができるのです。
猫が姿勢を変えるために使うのは、タックアンドターンやベンドアンドツイストといった動きです。これらは、猫が自分の体を柔軟に使って形状空間内で動かすことで、姿勢を変えるプロセスです。つまり、猫は形状空間上で「ループ」を描くことによって、最終的に姿勢が変わるのです。
形状空間とは?
猫の体の動きを理解するためには、形状空間という概念が重要です。形状空間とは、猫の体の各部位や姿勢がどのように変化するかを数学的に表現した「空間」のことです。猫が空中で回転するとき、体を変形させながら、その形状空間内で移動しています。
猫は形状空間内で自分の体を動かすことによって姿勢を変えるのですが、その動きが重要なのは、猫がその形状空間上で「一周回る」、つまりループを描くという点です。このループが猫の姿勢を変化させるメカニズムに関係しています。
この「一周回る」という動きが、幾何学的位相(Geometric Phase)という現象と深く関わっています。幾何学的位相とは、物体がある空間を回る際に、その物体の位相(状態)が変わる現象です。これは、猫が姿勢を変える過程と非常に似ています。
量子力学で有名なベリー位相は、幾何学的位相の一種です。量子系がパラメータ空間をゆっくりと変化させながら一周することで、波動関数に余分な位相が現れる現象です。このアイデアは、猫が姿勢を変える過程にも当てはまります。
コーヒーカップの取っ手を回す例
幾何学的位相を直感的に理解するために、身近な例を考えてみましょう。例えば、コーヒーカップの取っ手を右に回すとどうなるでしょうか?取っ手が回ると、その位置が変わりますよね。このように、物体がパラメータ空間を回転させると、その状態(取っ手の位置)が変化します。
同じように、猫が体を変形させながら形状空間上を回転すると、その姿勢が少しずつ変わります。猫が体を丸めたり、ねじったりすることは、まるでコーヒーカップの取っ手を回すように、形状空間内で位置を変えることに相当します。
この回転が、幾何学的位相に基づく位相変化を引き起こし、最終的に猫の姿勢が変わるのです。
さらに、Foucault振り子の例を使って、幾何学的位相の概念を深く理解してみましょう。
Foucault振り子は、地球の自転を示す実験です。振り子が動くと、その振れの平面が回転します。この現象も幾何学的位相に関係しており、振り子が回ることで、振れの方向(位相)が変化します。
猫も同じように、形状空間内で回転し、姿勢が変わるのです。猫が姿勢を変える過程は、Foucault振り子が回転するようなものです。猫の動きも、幾何学的位相によって、姿勢が微妙に変化していきます。
タックアンドターン(Tuck and Turn)
猫が空中で回転するために使う基本的な動きの一つがタックアンドターンです。この動きでは、猫は体を丸めてタックを行い、その後逆方向に体を回転させてターンします。この動きが、形状空間内でのループを作り、最終的に猫の姿勢が変わる仕組みです。
• タック:猫が体を曲げて前半身と後半身を別々に動かします。
• ターン:後半身を回転させることで、猫の体全体の向きを変えます。
ベンドアンドツイスト(Bend and Twist)
ベンドアンドツイストは、猫が体を曲げて(ベンド)、ねじって(ツイスト)姿勢を調整する動きです。この動きも形状空間内でループを描くことに関連しており、姿勢の変化をもたらします。
• ツイスト:体をねじることで、回転を加えて姿勢を変化させます。
このように、猫の動きは形状空間内での「ループ」運動に基づいており、姿勢を変化させるのです。
猫が姿勢を変えるためには、最低でも2つの自由度が必要です。なぜなら、1自由度では「回転」を実現するためのループを描くことができないからです。
• 1自由度では、状態空間を1次元でしか変化させられません。そのため、姿勢を変えるための「ループ」を作ることができません。
• 2自由度があれば、形状空間内で閉じたループを作り、姿勢を変化させることができます。
このため、猫は最低2自由度を持っていなければ、空中で回転して姿勢を変えることができないのです。
実は、猫の落下技(古典力学)と量子力学でよく知られるBerry位相は、同じ数学的構造を持っています。量子力学では、パラメータ空間をゆっくり回ることで、波動関数の位相が変わる現象が起こります。猫の場合、形状空間を回ることで姿勢が変わるというわけです。
精神医学の概念が全く発達してない異世界を舞台に現代知識で無双しちゃうぜ!にしたって世界観の構築がフニャフニャだったじゃん????
そもそも、メンヘラという概念が存在しなかった頃の地球ではメンヘラは「狐憑き」とかそういうものとして扱われていたわけだけど、それがあっちの異世界では単に「狂った」で終りになってるのがおかしいと思うんだよね。
たとえばメンタルがおかしくなった人がいたら「モンスターに取り憑かれている」とか「魔法を受けている」とかそういう方向についての「異世界人なりの治療理論」がまずあって、それに対して「いいえ、それはただの心の病気です」でひっくり返さなきゃ駄目でしょ。
あとその方法も単に現代の知識をそのまま使ってるだけじゃ中身に奥行きがないよね・・・プラシーボですで終わらせたりするのも作り込みが浅いなと感じる。
現代知識による精神病治療において「向精神薬をどう扱うのか」っていうのは凄い重要な背骨で、これをアッサリ投げ捨てたら現代知識無双のレベルがスカスカになるよ。
「治療に麻薬を使うのか?」という命題と向き合うことを投げ捨てておきながら精神医学を長期連載で扱おうってのがそもそもしょーもなすぎる。
たとえば読み切りで素人が「なんか気分だよ!!!」で復活させるとかならまあ、これでもいいんだろうけど、現代知識を持った人間を転生させてきてこれは「薬莢をそのまま飛ばすと思ってるレベルの人間が書いた銃無双」のレベルかな。
つうかね、わざわざ異世界出してきてるのに魔法も異世界アイテムも何もなくて「魔王」や「エルフ」が出てくるだけじゃ中身が弱いね。
これならまだ他の異世界作品が「獣人にだけ効きやすい薬物による汚染」とかを扱ってるときのほうがよっぽど異世界を舞台にすることの意味があると言って良い。
ビジュアル的なインパクトで異世界設定にしてるだけで結局中身がスカスカなら、まだ学校のカウンセリングルームを舞台にでもしたほうがよっぽど話に奥行きが出てくるというかね。
つうかなんのかんので患者の物わかりが良すぎる感じがあるというかさ、「こんなやり方で治るのか!」ってさせた所から魔法要素を使って納得まで一気に跳躍させて「やっぱ異世界×現代知識は最強ですよ」って納得感を読者に与えなきゃ駄目だと思う。
しょーじき言うけど、アクタージュと比べると二回りぐらい作品のレベルは落ちてると思うね。
これを「さすがはアクタージュ先生だ!超面白かったのに残念だ—」と言ってる人ら、漫画読むの下手なんじゃないの?
これ、別にそんな面白くないし、少なくともアクタージュと比較したら「質が下がったな。コイツをわざわざ起案するほどの価値はもうないわ」で良いと思うんだが俺は。
明治維新で外国文化を取り入れる過程でだいぶキリスト教の影響うけてるのは間違いないよな
どう見ても「国家神道」のコンセプト自体がキリスト教というヨーロッパ国家の背骨としての宗教を見本にしてる。
他の宗教とは別格に位置付けた(神社非宗教論)のもキリスト教=国家道徳になってるヨーロッパ的世界観の真似。
それまで家庭で行っていた結婚式から神前結婚式を一般化したのもキリスト教の教会がモデルっぽい。
国家統制のための道徳的ツールとして、諸外国の国家道徳をめちゃくちゃ研究した結果として日本にキリスト教的価値観をインストールすることにして、それまでの伝統になじみやすいようにガワを神道で固めたのが実情だよな。
歴史ある神社も地域の祭りも実態は国家統制ツールのガワとして利用されているだけだと考えたらムカっとくるよな!
俺は無宗教だけどキリスト教は有害だと思っているのでキリスト教的有害性を取り除くためには今の日本の神道をブッ潰して昔の神道をもっとなじみやすくして普及させる必要があると思うんだけどどうかな?
そう言うと「あんまりうるさく言わない方がいいよ」と苦笑されがち
いやわかるよ
自分も身一つ残さない完璧な食べ方は出来ないし、昔はこだわってなかったんだよ
アプリでマッチした人と居酒屋に行った時に相手が秋刀魚の焼いたのを頼んだんだよ
「俺が骨取ってあげるよ!」
って言うからお願いしたら、なんか秋刀魚を散々こねくり回して、骨も別に取れてないただボロボロになった秋刀魚を
「ごめん、俺実は魚食べるの苦手なんだよね!」
って差し出されたんだよ
ていうかなんでそれも知らないのに「取ってあげるよ!」って言ったんだよ
「なんか食べづらいねこれ笑」
こねくり回されてボロボロになった秋刀魚に対してなんとも思ってない様子にドン引きして、それ以来
「魚の食べ方が汚くない人」
を公言している
かつて本誌は、トヨタ自動車の戦略に対し、「BEVシフトへの遅れ」や「内向きな経営姿勢」といった言葉で、あたかも時代に取り残されたかのような論調を展開した。しかし、今ここに断言せざるを得ない。当時の我々の分析は、極めて浅薄で、事の本質から目を逸らした「机上の空論」であった。トヨタに対して向けた批判は、すべて我々自身の不勉強と傲慢さの裏返しであったことを、まずは深くお詫び申し上げたい。
我々メディアは、四半期決算の数字や、欧米のトレンドという「見栄えのいい指標」にのみ飛びつき、トヨタが守り続けてきた「現場の雇用」や「サプライチェーンの裾野」という、日本経済の背骨に対する想像力を欠いていた。 トヨタが「全方位戦略」を掲げた際、我々はそれを「決断力の欠如」と断じた。だが、現実はどうだったか。世界のBEV市場が踊り場を迎え、ハイブリッド車や水素という選択肢の重要性が再認識される中で、トヨタの判断こそが、カーボンニュートラルという難題に対する最も誠実で、かつ現実的な解であったことが証明された。我々の指摘こそが、日本の産業競争力を削ぐ「誤った煽り」であった。
これまで我々は、時にショーケース的な「不祥事」や「組織の歪み」を針小棒大に報じてきたかもしれない。しかし、その根底にある豊田章男会長の「未来の子供たちに、動く自由と働く場所を残したい」という、私心を捨てた覚悟を理解しようとしていただろうか。 我々が「独裁的」と揶揄した強いリーダーシップは、実際には日本を背負うという孤独な闘いそのものであった。批判を浴びることを恐れず、日本経済のために泥を被ってきたリーダーに対し、冷ややかな安全圏から石を投げ続けてきた自らの卑劣さを、今、痛烈に自覚している。
現在、我々がトヨタから取材の機会を失っていることは、単なる情報の遮断ではない。それは「日本を支える当事者としての自覚がないメディアには、語るべき言葉はない」という、トヨタからの、そして社会からの厳しい審判である。 東洋経済は、今一度「経済ジャーナリズムとは何か」を原点から問い直す。トヨタを批判する資格を得るためには、まず我々が彼らと同じ熱量で「日本の未来」を直視し、現場の汗を知ることから始めなければならない。
2026年2月8日に投開票された衆議院選挙で、立憲民主党と公明党が電撃的に合流して結成した新党「中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党の圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合は有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤の崩壊という多層的な問題に根ざしている。
中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判にさらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉の消失である。自由民主党、立憲民主党、国民民主党、社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権と対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家や市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線の改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。
さらに深刻だったのは略称の問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織「中核派と革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的なブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。
より本質的な批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党は安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。
ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲と位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党の福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。
こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発や安保法制違憲といった左派的価値観を大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観で対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員の増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。
選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合は比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造を採用した。公明党の支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選の24議席から4議席増やす「勝利」を収めた。
一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿、中国、四国、九州の各ブロックでは、公明党系候補だけで当選枠が埋まり、立憲民主党出身の候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党の創設者である枝野幸男氏、元幹事長の安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主党政権時代に幹部や閣僚を務めたベテランが次々と落選した。
落選した兵庫7区の岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補や支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。
創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党の候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織の高齢化も課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。
実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造的洞察を含んでいる。
日本の政治は2016年頃から「物語を失い、推し活化」してきたと評論家の與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語が一定の説得力を持っていたが、2017年の希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分にフィットする特定の政党や政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党の独自性と公明党の組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。
さらに評論家の宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦の中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策や戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者の拒否反応が背景にあったという見方である。
野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙が短期決戦となり、新党の理念・政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である。結党わずか1か月での選挙戦は、政治的実験としてあまりにも性急だった。
しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党の野田執行部は「野党結集」「非自民勢力の結集」という2009年の民主党政権時代の成功体験に縛られ、立憲民主党独自の社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携を意識するあまり、単独で政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である。
2024年9月の立憲民主党代表選で野田氏は「野党の議席を最大化するのが現実的な戦略」と述べ、「非自民勢力の結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党が独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。
選挙後、野田佳彦共同代表と斉藤鉄夫共同代表の記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧な継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。
この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党は議席を増やし、創価学会の組織票を比例で効率的に議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席は自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術的勝利だったとも言える。
中道改革連合の49議席は野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席と公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党、参政党なども議席を増やした。
中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性の喪失にあると総括できる。党名は有権者の共感を得られず、政策転換は支持基盤を裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。
政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である。中道改革連合は、公明党の組織票と立憲民主党の支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。
この歴史的大敗は、日本の野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。
結婚指輪が高いと言ったら泣かれた
リベラルの牙城であるはてなブックマークでだけは叩かれちゃダメじゃね?
なんで叩いてんの?
「お前ね、夫婦の間で折半折半ってメンヘラツイフェミ主婦みたいなこと言ってんじゃないよ」
「結婚指輪ぐらい男がドーンと出して嫁が欲しがってるもん買ってやりゃあいいだろうが
そのぶん頑張って働けばいいんだよ」
「目先の収支合わせとかしなくなるのが一蓮托生の夫婦というものだよ」
って。
でもリベラルは違うでしょ。
・万機話し合いに決すべし
とか、
そういう俺からすればわけわかんねえ、
みたいなことばっか言ってきたのがリベラルじゃん。
結婚指輪みてえな家父長制の軛にして固陋な因習でしかないぼったくり金属に疑問を呈す価値観も
いやリベラルなのはこの青年だけじゃなくて婚約者の子の方もか。
だから結婚指輪を折半購入なんて夢もロマンもないことを受け入れて
更にその値打ちに懐疑的な見解まで示されてディスカッションされても
涙を流しながら青年側に理ありとして引いてるんじゃん。
リベ度が低い女ならこんなこと言われたら自分への侮辱と受け取ってひっぱたいてる。
けどこの婚約者はそういう素直な感情とリベラル規範がせめぎ合った結果自分が引いた。
偉い!でも可哀想!
俺はこの子が可哀想だと思うけどお前等には可哀想なんて思う資格もねーよ。
だってこの2人の価値基準自体がお前等が広めてきたお題目の結果なんだから。
「自分は安物で婚約者には相対的に高い指輪で金は折半」っていう男側の持ち出しをしてる。
要するに男女どっちも感情とリベラル規範がせめぎ合ってんだよね。
俺はこの2人に言う資格あるよ。
って。
「我々が広めた浅はかなパッチのためにご迷惑をお掛けしていますごめんなさい」だろ?
つまり、おめーらは若者に説教する前に自分自身の口と背骨の不一致を怪しめよ。
「結婚指輪ぐらい気前よく買ってやらない夫」を不快に思っちゃうんなら、
お前等のリベラル価値観なんて少しも背骨に染み込んでない嘘っぱちなんだよ。
お前等に出来るのは
「ごめんなさい、私たちが広めたリベラル規範をそんなに真面目に受け取らないで」というお詫びだけだよ。
「進歩的なことを言ってる時は凡人より優れた自分になれた気がして気持ちよかっただけなの」という告解だけだよ。
頭だけ下げてろよ。自己総括してろよ。
下の世代でいよいよ現実とリベラル妄想との間に矛盾・不都合が表面化しても責任取るどころか説教する。
2026年1月26日、午前5時。東京の動脈、山手線の始発が動き出す前、新宿駅東口の冷たいコンクリートの上に、かつて「億単位の金」を動かしたエリートたちが並んでいた。
彼らの装いは奇妙だった。細身で攻撃的な**シングルドラペルスーツ**。尖った襟(ピークドラペル)が朝日に光るが、その生地は既に昨日の特訓で泥を吸い、重く垂れ下がっている。背中には巨大な刺繍で「私は31億円を飲み込みました」と刻まれ、役員たちの丸まった背骨を際立たせていた。
「おれの名をいってみろ!!」
一人の役員が、喉を潰しながら叫んだ。山手線全30駅を巡る「大声出し特訓」の始まりだ。彼の名は、かつて本部長と呼ばれた男。しかし今、彼の体は**デベルザ錠1000錠**という過剰な糖排出薬によって、内側から水分を絞り出され、極限の脱水状態にあった。
「サギ……サギ、と申します……ッ!」
足はガクガクと震え、立ち続けることすら奇跡に近い。だが、彼らには「退職禁止」の鉄の掟がある。そして、移動の電車内でも「着席禁止」だ。山手線は、彼らにとっての「動く晒し台」だった。
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### 第二章:昼下がりのプル酒、適宜の地獄
「サギ連呼営業」の時間がやってくる。元社員たちは、通行人の冷ややかな視線を浴びながら、一人一人の足を止めて名刺を差し出す。名刺には「プルデンサギ生命保険」の文字。
「コーヒーを……一杯、飲ませてくれ……」
一人の社員が、乾ききった喉を抑えて呟いた。だが、ルールは非情だ。彼らに許された唯一の水分補給は、専用居酒屋「サギの巣」から支給される**「プル酒」**のみ。安っぽいアルコールの匂いと、罪の味が混じり合うその液体は、昼間から「適宜」飲むことが推奨……否、強制されている。
デベルザで水が抜け、プル酒で脳が溶ける。理性を奪われた彼らの目は虚ろになり、ただ「サギ」という言葉を吐き出すだけの機械へと成り果てていた。
その様子を、上空から執拗に追う影があった。**カルロス・ゴーン**が操る「シャチョウ号」だ。
ゴーンは4Kカメラを回し、サギネットフリッコス向けの配信素材を「ビデオ撮影義務」として記録し続ける。
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千葉県、房総半島の外側。太平洋の荒波が牙を剥く海域に、一隻のヨットが浮かんでいる。帆には「プルデンサギ生命」のロゴ。そしてこの船には、エンジンも、櫂もない。
「動力は使うな。己の絶叫で帆を揺らせ」
監視船からの命令が響く。役員たちはシングルドラペルスーツのまま、揺れる甲板で踏ん張る。座ることは許されない。デベルザによる頻尿と、プル酒による眩暈。そこに襲いかかる太平洋の巨大なうねり。
一人の役員が、船底にバラストとして積まれた「100兆ドル分の債務不履行通知書」を抱きしめて泣いていた。アメリカ本国、プルデンシャル本社をデフォルト(破綻)に追い込むための、世界で最も重く、最も価値のない紙の束。
ゴーンのシャチョウ号が、ヨットの至近距離を低空飛行で通過する。その爆風でヨットが大きく傾くが、役員たちは必死に「100兆ドルの金塊の形をしたイカリ」を掴んで耐える。彼らは生きて、この物語を完遂しなければならない。アコムにつけられた「1兆円の負債」を返すまで、死ぬことすら許されないのだ。
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夜。全世界のテレビ、スマートフォン、そしてウォール街の巨大モニターに、その映像が映し出された。
視聴者たちは、画面越しに「投げ銭」を飛ばす。それが確定するたびに、房総のヨットに「追加のデベルザ1錠」がドローンで投下される。
画面の中では、ボロボロになった役員が、プル酒をラッパ飲みしながら、沈みゆく夕日に向かって叫んでいた。
その映像を、本国アメリカのCEOは失神しながら見ていた。手元には、日本から送られてきた「100兆ドル」の請求書。ドル建て。彼らの築き上げた帝国は、一人の日本人の「サギ営業」によって、今日、物理的にも経済的にも消滅した。
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2年間の刑期、最終日の夜。
足はパンパンに腫れ、スーツはもはやボロ布だ。だが、彼の懐には「100兆ドルの株券」がある。
彼は震える手で、駅の自販機に向かった。
2年間、夢にまで見たコーヒー。
世界経済は、彼が本国を破綻させたせいで崩壊し、100兆ドルという数字には、もはや缶コーヒー一本を買う価値も残っていないことに。
彼は、最後に残った「プル酒」のボトルを掲げ、虚空に向かって乾杯した。
「サギ……と申します……」
その言葉は、誰に届くこともなく、夜の山手線の喧騒に消えていった。
上空では、ゴーンのシャチョウ号が、シーズン2の撮影のために新たな「サギ」を求めて旋回していた。
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この物語の「ディレクターズ・カット版」として、**「100兆ドルで買った、一生座れない金の椅子」**に座らされる役員たちの特典映像を追加しますか?
良し悪しなんて視聴してる瞬間に感じることで
それをネットであーだこーだ「良し悪し」を論じるまでには2ステップがある
1.何をどれぐらいどう感じるか
ちなみに「1は出来てるけど2が出来ない」とか主張する奴はだいたい1もぼんやりしている
これは絵やデザインも一緒で2が下手なだけで1は凄い、ということは99%ない(俺は見たことない)
で
俺はこれは物語として「悪し」だと思う
設定もガバガバ、リアリティもガバガバな宇宙人共存社会を舞台に
肝心の宇宙人の設定も何ら掘り下げられることがない(というよりおそらく大した設定の用意がない)
質量を無視して宇宙人の死体を爆食できるノマモトにも意味のある設定は出てこない
途中で介入してきたガバガバした反宇宙人組織もなげっぱなされて
いまはただの青嵐とラリィの仇討対決に着地しつつあるが
どう考えてもこの程度の物語をやるのにこんなSF設定や特異な主人公は必要ない
作者に構成力の欠如や知能の不足が見られる
(あの反宇宙人組織は結局変なメガネと無能な背骨ちゃんしか出てこない)
肝心の復讐対決だが
もとより青嵐の主観や行動も別に面白くもなく共感も出来ないので
死んだ妹も結構悪い奴だったんだとか明かされても衝撃もないし
死んだ妹の友達も意味不明な行動ばっかしてる奴なので別に死体が袋から出てくるとしてもどうでもいい
出来が悪いので”悪し”、これは難しくないほうの”悪し”だ
それでもなんかそよのいじめみたいなシーンが
それはそいつ個人にトラウマでもあるだけで物語としてのクオリティではないと思う
(昨今は物語を作れないのでそういう刺さりそうなシーンだけ散りばめる創作が増えた)
ドラマクインの読者や熱は既に激減してるが
未だに真面目に読んでてしかもあの漫画をそれなりに支持してる人間(あんま居ないと思うが)なら
「いやこの2人の復讐劇のうすっぺらさや共感できなさこそタイトル回収なんだよ!」
ここからノマモトがどう回収したってこの漫画はもうできがわりーよ
わかるだけなら視聴してる瞬間にわかる
わからない人間は腐ったものしか食ったことがないか味覚嗅覚が死んでいる
味覚嗅覚が鋭ければ最初の5分ぐらいの意志のないカットやレイアウトだけでああこれは腐ったリンゴだとわかる
あれを真面目に全部読んだうえで批判的考察と化してる奴がいるとすれば
舌も鼻もほぼ死んでる(コロナ後遺症か?)のにグルメごっこしてるのに近い
それがわかるにせよわからないにせよ
元増田が求めていること(分かること)は
自分が感じた”良し”や”悪し”を言葉にして人に説明することでしか能力が現れてこないと思う
どっちもちゃんと見てないけど
水星とジークアクスはなんか同じような構図で主人公のMSが生身の人間ぶっ殺すシーンを描いてたけど
もうみんなそういう粗悪な餌にどんどん耐性出来てうんざりしていくから水星の魔女ほどの話題もジークアクスではまきおこらなかった