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はてなキーワード: フェティシズムとは

2026-04-27

[]BL版「きれいな同性愛」の文化支配

BLは今や日本最大級サブカルチャーの一つであり、明確に少女漫画市場スピンアウトとして成立しています。一方、現実ゲイ雑誌は「猥雑で嫌悪感を誘うもの」として、主流社会から依然として距離を置かれ続けています。このコントラストは、現代日本性的表象における力関係を示しています

1. BL少女漫画論理的延長

BLの基本構造(攻め/受けの力関係感情機微重視、理想化された恋愛、傷つきやすい美形キャラなど)は、少女漫画恋愛幻想男性同士に置き換えたものに他なりません。

• 「妊娠リスクがない」「男性同士だから対等に見える」という安全装置を備えつつ、少女漫画的「運命的な恋」「守られる喜び」「激しい独占欲」をそのまま再現している。

• だからこそ、巨大市場化に成功した。商業BL二次創作ドラマ化、グッズ、海外展開特に中国danmei経由)と、経済的文化的拡大が止まりません。

2. ゲイ雑誌が「猥雑」で嫌悪され続ける理由

現実ゲイ雑誌(Badi、G-men時代など)は、男性の肉体そのものを直接的・多様に性的対象します。

筋肉、毛深さ、臭い性器、年齢差、S/M、熊文化など、生物的・肉体的なフェティシズムが前面に出る。これはヘテロ男性にとっても「同性愛=生々しい肉欲」というイメージを強く植え付け、生理的拒絶反応を呼びやすい。

• 結果として、ゲイ雑誌は「下品」「猥褻」「理解しがたい」とされ、主流メディア一般社会から排除され続けています

3. 「受け入れやすさ」がもたらす迫害

ヘテロ男性(および主流社会)にとって受け入れやすいのは、圧倒的にBLの方です。

BLは「きれい」「ロマンチック」「感情的」で、猥雑さが薄められている。

◦ 「かわいい二次元男子恋愛している話」として、抵抗感が低い。

しかしこの「受け入れやすさ」が、現実ホモセクシャル文化への迫害を強化しています

◦ 「ゲイといえばBLみたいな綺麗な恋愛」というイメージが定着することで、現実ゲイ多様性(肉体フェティシズム日常性的文化など)が「異常」「どぎつい」とさらに疎外される。

◦ 「おっさんずラブ」以降のBLブームは、まさにこのメカニズムを加速させました。社会は「清潔でロマンチック同性愛」は許容するが、「生々しい同性愛」は拒絶する二重基準を強めている。

これは表象簒奪がもたらす最も狡猾な効果です。


BLが巨大化すればするほど、現実ゲイ文化は「BL理想から外れたもの」として、相対的に「不適切」「嫌悪すべき存在」に追いやられる構造になっています

まとめ

BL少女漫画論理男性同士に拡張した巨大で安全幻想市場であり、
ゲイ雑誌男性の肉体を直接消費する生々しく不快現実市場として、明確に格差がついています

ヘテロ男性を含む社会全体が「BL同性愛」を好むことで、現実ホモセクシャル文化は二重に周辺化される。

経済力文化的支配力・主流価値観の力関係が、性的マイノリティの表象を歪めている好例と言えます

2026-04-19

「あの女と関係を持った」と噂を流された女性 仕返しに「母親名前を叫ぶ変な性癖」と拡散…法的に重いのはどっち?

 

知人男性から自分はあの女性セックスした」と、事実に反する噂を流された女性

腹を立てた女性は、今度はその男性について「妙なフェティシズムがあって、行為中に母親名前を絶叫していた」などという噂を流した――。

こんなケースで、法的により重い責任を負うのは、いったいどちらなのでしょうか。

 

結論からいえば、どちらか一方が当然に重いとは限りません。

どちらの発言も、相手社会的評価を下げる具体的な事実を周囲に広める内容であれば、いずれも名誉毀損として問題になる可能性があります

 

どちらも名誉毀損になる可能

名誉毀損は、相手社会的評価を下げるような具体的事実を、不特定または多数人が知り得る形で示した場合に成立し得ます。ここで重要なのは、内容が下品かどうかだけではなく、「具体的な事実として受け取られるか」「周囲に広がる形で話されたか」という点です。

今回の例では、「その女性性的関係を持った」という噂も、「母親名前を叫ぶ性的嗜好がある」という噂も、どちらも相手人格や信用に強い悪影響を与え得る内容です。そのため、両者とも同じ犯罪類型評価される余地があります

 

「先にやられたから」は免罪符にならない

「先に酷いことをされたのだから、やり返した側の責任は軽いのでは」と考える人もいますしかし、仕返しとして虚偽の噂を流した場合でも、それ自体が別個の違法行為として扱われるのが通常です。

まり最初に噂を流した男性違法行為をしていたとしても、それに対抗して女性が新たな虚偽の噂を広めれば、女性もまた責任を問われる可能性があります報復であることが、直ちに違法性を消すわけではありません。

 

実際の「重さ」は何で決まる?

では、どちらがより重く評価されるのでしょうか。ここは一概には言えず、個別事情によって変わります

たとえば、次のような事情は重視されやすいです。

  • 何人に広めたのか。
  • SNS職場など、拡散力の高い場で発信したのか。
  • 1回だけか、繰り返し言いふらしたのか。
  • 内容が明確な虚偽だと知りながら広めたのか。
  • 相手仕事や家庭、人間関係にどれほど影響が出たのか。

このため、「性的関係の噂だから常に重い」「異常性癖の噂だから常にもっと重い」と単純には決まりません。拡散の規模や悪質性被害結果によって、責任の重さは変わってきます

 

刑事だけでなく民事問題にも

この種のトラブルは、刑事事件としての名誉毀損だけでなく、民事上の損害賠償問題にも発展し得ます相手名誉や信用を傷つけたとして、慰謝料請求される可能性もあります

特に性的な内容の噂は本人に強い精神的苦痛を与えやすく、職場や交友関係にも影響しやすいため、民事でも不利に働くことがあります

 

一方だけが「完全な被害者」とは限らない

この事例で注意したいのは、最初被害を受けた側であっても、その後の対応を誤れば、自分加害者になるという点です。相手を懲らしめるつもりで噂を流したとしても、結果として双方が名誉毀損を主張し合う泥沼の争いになりかねません。

法的には、先に噂を流した側が問題になるのはもちろんですが、後から仕返しで虚偽の話を流した側も「同じように違法」と評価される可能性があります。つまり、このケースでは「どちらがより重いか」よりも、「両方とも危険である」と考えたほうが実態に近いでしょう。

ズーサディズム(zoosadism)とは

ズーサディズム(zoosadism)とは、無抵抗動物が苦しむ姿を見ることに性的快感を覚えたり、興奮を得たりする性的フェティシズム動物虐待愛好)のことを指します。

1. 心理的・行動的特徴

2. 虐待コンテンツ構造ビジネス

3. 社会的背景と他の暴力との関連

このようなズーサディズムに基づくコンテンツ拡散は、法整備が不十分な地域中国など)を拠点グローバルなネットワークで行われており、日本においても「5ちゃんねる」のドメイン動物虐待コンテンツ放置理由に停止されるなど、深刻な社会問題となっています

anond:20260418154907

猫への感情虐待憎悪に繋がってしま社会的要因は何か

猫への感情虐待憎悪へと転じてしまう背景には、個人資質だけでなく、複数社会的構造的な要因が複雑に絡み合っていることが読み取れます

主な要因は以下の通りです。

1. ジェンダーにまつわるステレオタイプ女性への憎悪

欧米などの一部の文化圏では、猫を飼うことと「独身女性」を強く結びつける蔑視的なステレオタイプ存在します。

2. 社会的孤立オンラインコミュニティでの承認欲求

虐待を行う人々は、実社会での孤立オンラインでの「悪名」によって埋めようとする傾向があります

3. 社会的格差への不満と弱者への転嫁

自分たち社会的に救われていないという不満が、保護対象となる動物への憎悪に変わるケースです。

4. 暴力の娯楽化と経済的要因

虐待行為が単なる個人の逸脱を超え、組織化されたビジネスとなっている側面もあります

5. 法整備の不備と社会的無関心

特に中国などの事例では、動物虐待を直接取り締まる法律がないことが、虐待エスカレートさせる要因となっています

これらの要因が組み合わさることで、猫への個人的な感情が、社会的憎悪凄惨虐待行為へと発展してしま構造が浮き彫りになっています

https://anond.hatelabo.jp/20260418154907

2026-03-17

足指の形でメインヒロインかどうか分ってしま漫画がある

柚銀さんが描かれている『青を踏む』という漫画だ。

普段私はnoteガンガン書いてるのだが、流石に今日増田で書かせてもらう。

今日note休み! フォロワーはこの増田を呼んでくれ、という気持ちだ。



柚銀さんの作品の特長

柚銀さんは結構から同人活動雑誌での短編掲載をしていて、足フェチ系の創作を続けられてこられた方だ。

「脚」じゃなくて「足」の方のフェチで、素足を始め制服裸足だとか靴下や靴に入っている足フェチ、または足形なんかにも関心の領域がある。一方で(足の)匂いフェチにはあまり振らない。

爪先も足裏も物語のなかで上手に描く。顔は可愛らしいデフォルメ系だが足は当然リアル感があり、そのギャップもとても良い。とても良い。とても良い。

また足フェチに対しては大変ストイックで、女性の足ばかり愛でてしまう業や罪悪感(足ばかり見てしまうこと、嵩じて結局犯罪行為に進みかねないこと、そもそも女性気持ち悪がられてしま可能性)なんかもしっかり作品で描かれることも多い。

まり、無理やり足を愛でたり、催眠などを使って愛でたり、SM的な構図を過度に持ち出したり、という「それで終わり」なインスタンスな足フェチプレイへの傾向は薄い。

日常の延長で足フェチとして振る舞えるモードを突き詰めて、足フェチが好むシチュエーションを存分に描くのだが、その先にあるリスクや業といった薄暗い感じも射程に含む構造作品が多い。


フェチへという業への向き合い方

一方でそうしたリスクや業を乗り越える可能性も作品のなかで示してくれる場合がある。

まり、重度の足フェチ男のことを性的嗜好丸ごと含んで「あり」と考えてくれるヒロイン存在だ。

柚銀さんには、足フェチの先輩と、先輩を慕う後輩安城たまきとの連作がある。

「恥ずかしいけど…私の足で 先輩が満足してくれるなら…」とのモノローグがある安城たまきは、性的嗜好を丸ごとのんでくれる代表例だろう。

安城さんは大人しそうな雰囲気だが足フェチ先輩のことを慕っていて、先輩がめちゃ好みそうなフットカバーを履いたりちょっと積極的だったりする。

甘酒に酔った振りして先輩に靴を脱がせてあげたりする。

フェチの業をいかに解消(あるいはアウフヘーベンと言ってもいいかもしれない)するのか。柚銀さんはここに一つの可能性を作品で描いている。


『青を踏む』という商業連載が始まる どちらがヒロイン

そんなとてもしっかりした作風を織りなす柚銀さんは、令和7(2025)年1月からCOMIC FUZ(芳文社)で『青を踏む』の連載を始めた。

戦前雑誌意識させるような風雅なネーミングで、アホみたいな頻度で女子の爪先や足裏が登場する漫画だ。

さてそのあらすじを述べると、主人公は重度の足フェチ高校生跡辺。彼は同じクラスの天川さんに恋い焦がれている。

ところがひょんなことから同じく同級生の荊さんに足フェチがバレてしまう。

他人性的嗜好漏れ出だすところに興奮する荊さんに脅され操られるような形で、跡辺は天川さんに足フェチシチュエーションふんだんに接近していくことになる。

さて、天川さんは天真爛漫な少女で、荊さんは主人公を操る通りミステリアスでややサディスティックな印象を持つ。

どちらが物語上のヒロインか? 1話の時点で明確に推理をした感想がある。

No.25

この先生ギリシャフェチからエジプト型の天川さんじゃなくてギリシャ型の荊さんが勝ちヒロインだろうな。

2025/01/12 15:03:55


1話から天川さんも荊さんもアホみたいに制服で素足を晒すのだが、足の形に明確な違いがある。

諸賢もご存知の通り、足の形には「ギリシャ型」だとか「エジプト型」や「ケルト型」「スクエア型」などがあるのだが、ここで問題となるのが<b>柚銀さんは極めて重度のギリシャフェチ</b>ということだ。

先述の安城たまきもきれいなギリシャ型の足指をしている。

私は柚銀さんにスケブリクエストする方が「ギリシャ型をお好みと重々承知しておりますが、エジプト型の足でお願いできますでしょうか?」といった内容の発言をしているのを見たことがある。

さて天川さんと荊さんの足の指の形はどうだろうか? なんと天川さんはエジプト型、荊さんはギリシャ型なのである

上記感想を書いた方は練達の足フェチであり、また同時に柚銀さんの大変優れた読者だ。どー見ても、足指の形で天川さんは不利だ。というか当て馬だ。

ミステリアスギリシャ型のきれいな足指をしている荊さんにどーみても分がある。



意外な展開

事態は意外な展開をみせた。(以下ややネタバレ注意)









2巻の巻末に驚くべきことが書かれていた。まず、優秀な読者が予見した通り、本来主人公と天川さんとの関係は崩す予定だったという。

ここまでは天川さんと荊さんの足指をつぶさに見れば指摘可能だったかもしれない。(なお私は柚銀さんキャラ分けのためにエジプト型の足も描いてるなぁ、くらいにしか考えていなかった)

ところが予定は覆された。2巻巻末には、読者の反応や編集担当とのやりとりで天川さんとの関係を切らない展開を、悩みながらも選択されたことが書かれている。

実際に2巻の表紙には元気な天川さんが膝を立てて座っており、可愛らしいエジプト型の爪先と足裏とを晒している。

これは色々な意味革新的だ。

今まで同人作品を読んでいるときには、ギリシャヒロインで作者は描き、読者はそれを享受していた。そーいうもんだ、そーいうフェチなんだ、で納得・完了していた。

商業連載となるというのはこういうことなのだろう。生き残るために、読者のリアクションを加味したり、編集担当との協議が加わる。

その結果、柚銀さんの(従来の)フェティシズムを超越した事態作品の中で発生してきている。

ご本人にはご当惑があることだろう。だが、商業作品となることで読者としてはものすごい経験をさせてもらっているような気がしている。

柚銀さんの作品エジプトヒロイン以外が機能している。

最終的には負けヒロインになるかもしれない。それでも、本来想定し得なかったエジプトヒロイン作品の中で、同じコマで、あるいは連続する近いコマで、ギリシャヒロインと素足を並べている。

こういう現象に対しては、ただただ「ありがたい」と思うばかりである

これは私がエジプト型の足指が好きだからエジプトヒロイン活躍して嬉しいだとか、そういう次元の話をしているのではないことはご理解いただけるかと思う。

実際指の長いきれいな足というものギリシャであることも多く、柚銀さんのフェチには、作品から感じ取れる背景哲学含め個人的にもとても共鳴していたところだ。

単純に足指の形の好みという話ではない。

商業作品となることで、今まで想定し得なかった状況、すなわちこの作家作品のなかでエジプト型とギリシャ型の足が一堂に会する状況が現出するということが「ありがたい」のである

稀有と言っても良い。状況が「ありがたい」わけで、私たち読者はただこの状況を肯定しことほぐ他ない。




おわりに

いかがでしたか

柚銀さんは商業連載で大変な点も多かろうと思うが、存分に足を描き、足が映えるシチュエーションを描き、そして根底哲学のあるフェティシズムを描き続けて欲しいと思う。

柚銀さんの描く足やシチュエーションが大好きだし、足フェチ理解しノってくれる安城たまきと先輩との関係性みたいなあり方の提示も大好きだ。

あと爪先をちょっと上げて床/サンダルと足裏と爪先とを同時に描くのマジうますぎ。あと足首で足をクロスさせて爪先と足裏を両方見せる技法も見事という他ない。

このジャンルは奥が深い。世界中に足フェチの先輩たちがいる。西洋にも中国にも「兄貴」たちがいる。柚銀さんに良い形で作品が広く知られ、読まれることを願ってやまない。

2026-03-12

虎之助と私

​虎之助は私の家の近くに住んでいる。近くに、というのは昼の言葉で、夜になるとその近さは少し別のものになる。夜の道は、角をひとつ曲がるごとに距離ではなく気配を増してゆくからで、舗道に落ちた街灯の白さも、建物あいだに沈んでいる暗がりも、どこまでが町でどこからが胸のうちなのか、曖昧になる。そういう道を彼がこちらへ歩いて来るのだと思うと、私はまだ戸も鳴らぬうちから、部屋のなかにいて部屋のなかにいない。心はいつも少し先に出ていってしまう。窓のほうへ、廊下のほうへ、まだ見えない一つの輪郭のほうへ。

最初文字だった。文字は顔を持たない。だから、かえって多くを持つことがある。夜更けに画面のなかへ浮かぶ短い文、送り終えてから、言いすぎたわけでもないのに、少しだけ本心に触れすぎたような気のする言葉ヒーローのこと、全身を覆う布のこと、顔を隠すこと、輪郭だけになれること。ほとんど冗談のように始まりながら、その実、冗談では収まりきらぬ熱をかすかに含んでいる話。そういうものの行き来のなかで、私たちは知ったのだった。互いが驚くほど近くに住んでいるということを。近いと知ることは、親しさを深めるより先に、むしろそれを危うくすることがある。遠くにいる相手には許される夢想も、近くにいると知った途端、あっけなく現実へ引き戻されるからである。それでも、その近さは恐れより先に、静かな期待を部屋の隅へ置いた。

​会うためには約束があった。約束というより、二人のあいだに自然に張られた薄い膜のようなものだった。会うときは、お互いに全身を覆うものをまとい、ヒーローの姿でいること。顔は見せないこと。見ないこと。そのようなことを昼の世界言葉説明しようとすると、たちまち理屈が寄ってきて、それを奇妙だとか、倒錯だとか、遊戯だとか、そういう名で固定したがる。けれど夜の部屋のなかでは、それはもっと静かで、もっと切実なものだった。全身を覆う布は、隠すだけではない。隠すことで、かえって輪郭を与える。顔という、もっと日常的で、もっとも騒がしい部分が退くと、人は不思議なほど静かにつの姿になる。肩、胸、腰、脚、その線だけが、もう説明必要としない何かとして、そこに立つ。

​私は長く、顔というものに疲れていたのかもしれない。顔は人を社会へつなぐが、同時に測られるものにもする。年齢、気分、倦み、虚栄、そして、その日一日をどうにかやり過ごしてきたという疲れまでもが、顔のまわりには集まっている。人は素顔で人に会うとき、じつはもう半分ほど説明してしまっている。だから、顔を見ないことに安堵がある。見られないことに、ではなく、見ないでいられることに。相手現実へ引き戻さぬで済む。日常の名札を胸から外したまま、もう少し別の場所で向き合うことができる。

​戸の向こうに彼が立つ、その前の、まだかすかな気配だけで、部屋は少し深くなる。灯りは同じはずなのに、壁の色まで変わるように見える。床は少し音を吸い、窓は外の光を遠ざける。私は立ち上がる。自分身体もまた、もういつもの身体ではない。全身を覆うと、皮膚は皮膚であることをやめ、別の表面へ移ってゆく。ぴたりと沿う布の緊張が、身体ひとつ意志を与える。あるいは、意志の代わりをする。日常の私は、ともすれば散らばっている。視線の置き方も、手のやり場も、言葉の選び方も、みな半歩ずつ遅れる。けれど全身を覆った身体は散らばらない。少なくとも、そのように見える。人はときに、そう見えることによって初めて救われるのだろう。

​彼もまた、そうなのだと思う。虎之助は若い若いということは、まだ損なわれていないということではなく、むしろ損なわれやすいということだ。何かを美しいと思う心がまだ生きているぶんだけ、傷つきもする。彼の好奇心は旺盛だが、けっして乱暴ではない。人の心へずかずかと入っていく若者もいるが、彼はそうではない。触れてよいかどうかを、まず空気に訊いてから手を伸ばすような慎みがある。しかも、それが計算ではない。自然なのだ相手沈黙に、沈黙のままで居場所を与えることのできる若い人間は稀である。虎之助は、その稀なほうに属している。

​彼が部屋に入ってくる。顔はない。少なくとも、顔と呼ばれるべきものは布の内側へ退いている。それでも彼だとわかる。立ち方で、こちらへ身体を向ける時の角度で、沈黙なかに置かれる呼吸の速さで。人は顔で識別していると思い込みがちだが、ほんとうはもっとのもの相手を知っているのかもしれない。重心の置き方。ためらいの深さ。こちらの存在をいったん受けとめてから、一歩入ってくるその静かな配慮。そうしたものが、彼を彼として部屋に現れさせる。顔をなくしたことで、むしろ彼の身体は、より彼らしくなる。

私たちスパイダーマンが好きだった。それも、ただのヒーローとしてではなく、どこかもっと身体に近いところで。最初にそれを知ったのが文字のうえだったのか、それとも会うようになってからだったのか、今ではもう曖昧である。ただ、『スパイダーバース』の話をするとき、彼の言葉調子が少し変わることは知っていた。軽くなるのではない。むしろ、奥のほうでひそかに熱を持つ。あの映画には、跳ぶ前のためらいがある。まだ自分を信じきれない者が、それでも落ちながら跳ぶ、その矛盾がある。何人ものスパイダーマンが、それぞれ別の傷や別の喪失を抱えたまま、なお一つの輪郭へ集まってくる。マスク。全身を覆うスーツ若さ孤独。軽やかさと哀しみが同じ身体のうえにあること。私たちはたぶん、その全部に惹かれていた。単に格好いいからではない。未完成なまま跳ぶ者の姿に、自分の何かが映っていたからだ。

全身タイツヒーロー。その二つのあいだには、もちろんフェティシズムがある。そうでないと言えば、むしろ偽りになるだろう。布が身体の線を隠しながら示すこと。顔を失ったことで、かえって身体のものが前景へ出てくること。人格が退き、姿だけがひとつ記号のように立ち上がること。そのことに私たちは心を動かされていた。だが、それは単なる肉体への興奮だけではなかった。肉体が理想へ近づく、その曖昧な途中に惹かれていたのだと思う。人間でありながら、少しだけ人間を離れる。個人でありながら、少しだけ象徴になる。ヒーロー身体とはそういう身体で、素顔よりも深く、その人の希求を語ることがある。虎之助がそれを愛したのは、若い肉体の誇りのためというより、まだ言葉にしきれない自分の願いを、その姿のほうが先に理解してくれるように思えたからではないか

沈黙がある。沈黙は空白ではない。沈黙は、彼がいま部屋のどのあたりにいるかを、言葉よりも正確に知らせる。少し動く、その微かな擦れ。立っている時の静けさ。こちらが何か言う前に、一瞬だけ深くなる気配。そうしたものが、部屋の中で小さな波紋をつくる。親しさというものは、長い会話の末に生まれると人は考えるが、実際には、相手沈黙自分を脅かさないと知ったときに、すでに始まっているのかもしれない。彼といる沈黙は、私を急かさない。彼の若さは、私を若返らせるわけではないが、私の中の、まだ完全には乾いていない場所へ、そっと手を置く。

​私は彼を見る。見る、といっても、顔ではない。首から肩へ下る線、胸のあたりの、まだどこにも使い切られていない余白、立っているだけで未来というものが一つの形を取っているように見える、その若い静けさ。若い身体には、まだ失っていないものが宿っている。可能性という言葉安易すぎるが、それでも、完成されていないことがそのまま美しさになる瞬間がある。私は彼を見ている自分に気づく。気づいて、それを押し返さない。押し返すとたぶん、別の粗いものになるからだ。愛情と言ってしまえば少し平たく、欲望と言ってしまえばまだ響きが強すぎる、もっと薄く、もっと持続するものが、視線の中には混じっている。たとえば、若い肩の線を見て胸の奥がわずかに緊張する、その程度の、しか否定しがたいもの

​彼もまた、感じているのだろう。若い者は、向けられる気配に敏い。露骨視線よりも、抑えられた気配のほうに。彼は自分がこの部屋で、ただ受け入れられているだけではないことを、どこかで知っていたかもしれない。もう少し静かで、もう少し名づけにくいかたちで、見守られ、喜ばれ、そして少しだけ見惚れられていることを。だがそのことが彼を怯えさせなかったのは、たぶん、それが所有の欲ではなく、輪郭を尊ぶ気持ちに近かったからだろう。彼のこういう姿がここにあってもよい、そのことを急いで説明判断もせずに、ただ部屋の内側で保っておくこと。それだけで若い心は、少しずつ自分を赦し始める。

​虎之助は少しだけ自信がない。その少しだけ、という加減が、彼をいっそう美しくする。自信のなさはしばしば、世界に対して耳を澄ましすぎる者の徴でもある。彼は自分の好きなものを口にするとき、一瞬だけ呼吸を整える。スパイダーマンスーツマスク。『スパイダーバース』。そういうもの自分がどれほど惹かれているかを言う、その直前の、かすかなためらい。私はそれを知っている。知っていて、それを暴かない。だが最近、彼は少し変わった。変化はいつも小さい。部屋に入ってくる時の気配が、前よりわずかに深く呼吸している。好きなものの話をする時、恥じる前に、先に明るさが差す。自分の惹かれるものを、前ほど早く自分で裏切らなくなる。人が自分肯定し始めるとき、たぶん最初に変わるのは言葉ではなく、身体のほうなのだ

​彼が私と会うことで少しずつ自分肯定してゆく、と言うことはできる。だが、それは私が何かを教えるからではない。むしろ逆で、教えないこと、名づけないこと、強い光を当てないこと、その曖昧さの中でしか育たない肯定がある。若い心は、あまりに明るく照らされると、すぐにぎこちなくなる。けれど、薄い灯りのなかでは、自分輪郭自分で見つけることができる。私は彼にとって、その程度の灯りであればよいのだろう。いや、その程度であることのほうが、たぶん大切なのだ。彼の若さは、私の失ったものを責めない。ただ、まだこの世界に残っていると言ってくれる。そのことが、私にとっても一つの静かな救いである。

​もしこれが友情であるなら、それでいいのかもしれない。だが夜の部屋で、顔のない彼の若い輪郭を見ているとき、私の中を流れているものは、友情という語だけでは少し狭い。性愛と言えば強すぎるが、そこへまったく触れていないとも言えない。ヒーローの姿をした二人のあいだにだけ生まれうる、どこか宙吊りの、どこか非現実で、それゆえかえって切実な親しさ。スパイダーマンスーツのように、隠しながら示し、示しながら守るもの。彼の立つ姿、沈黙のなかの呼吸、言い切られない熱。それらは名づけられずにいることで、かろうじて壊れずにいる。

​虎之助は私の家の近くに住んでいる。けれど、ほんとうはもっと内側の、私が長く口にしなかった願いのそばに住んでいるのかもしれない。人前では笑ってしましかない憧れのそばに。マスクスーツに守られたまま、まだ跳ぶことを諦めていない心のそばに。彼は若く、純粋で、慎み深く、人の心を大切にする優しさを持っている。そういうもの世界のなかで傷つくだろう。だが、もし彼がこれから少しずつ、自分の好きなものを好きだと言い、自分輪郭を恥じずにいられるようになるなら、そのことは私にとってもまた、静かな光になる。窓の外には海は見えない。けれど夜の部屋には、たしかに潮のようなものが満ち引きしている。私たちはその見えない潮に触れながら、顔を見ないまま、ひとつの部屋にいた。そしてそのことが、言葉になるより先に、私たちのなかの何かを照らしていたのである

2026-02-24

明日ちゃんセーラー服」が気持ち悪い理由

明日ちゃんセーラー服、前回は髪を結ぶシーンで燃えてて今回はリップクリームを塗るシーンで燃えてるけど、確かになんか言葉にできない気持ち悪さがあるんだよな…

同じくエロ売りしてるTo Loveる不思議とそこまで気持ち悪いと感じない。

現実女子中学生性的な目で見てそう

何が違うんだろうと考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがこれだった。

何というか、明日ちゃんセーラー服の読者は現実女子中学生性的な目で見てそうだし、作者も「女子中学生のここがエロいよね!」と自身フェティシズム作品に落とし込んでそう。

あとTo Loveるは性に目覚めた少年とか若い男子が好きそうだなって思うんだけど、明日ちゃんセーラー服はどことなおっさんが好きそうな感じがする。

精力は衰えたけど若い女体への執着を捨てきれないおっさんが「こんな可愛い娘がいたらなぁ」と性欲と庇護欲をごっちゃにした願望を抱いてそうというか。

エロ漫画みたいに抜いてスッキリして終わりじゃなくて、明日ちゃんという作品を読むことによって理想化した女子中学生像をさらに強固なものにしてそうなのだ

このキモさを例えるなら『めしぬま。』がそれに近いかもしれない。一つの動作をやたらネッチョリと描写してて不自然なうえに性的ニュアンスが込められてる感じ。あれは主人公が成人男性から別に問題ないけどさ。

2026-02-19

財務省陰毛論で自己放尿するリフレはいい加減にしろ

日本経済言論空間には、周期的に発生する奇病がある。名付けて「財務省陰毛論」。

財政規律の話が出た瞬間、あらゆる現象を「財務省が裏で糸を引いている」に回収し、経済学ではなく陰謀論スラム街突撃する。

そして最後は「緊縮が悪い!財務省が悪い!」で自己放尿して終了する。議論生産性ゼロ、残るのは湿った床だけだ。

 

まず確認しよう。経済政策とは制度ルール設計し、予測可能な期待形成を通じて市場機能させる作業である

にもかかわらず、リフレ派は貨幣数量説も期待インフレ政策ルールもまともに咀嚼せず、財政拡張を唱えるときだけ都合よくマネタリズムっぽい単語を拾い食いする。

そして、反論されると財務省陰毛論へ逃げる。これが知的自己放尿でなくて何だ。

 

最大の敵は裁量である裁量政治家にも官僚にも与えてはいけない。なぜなら人間合理的ではなく、短期インセンティブ支配され、時間整合を必ず起こすからだ。

ここまでは財務省批判とも両立する。問題は、財務省を悪の魔王として擬人化した瞬間に、議論制度設計からオカルトへ転落することだ。

財務省が悪いか経済が悪い? それは説明ではなく呪い言葉であり、自己放尿である

 

そもそも財務省が緊縮を強制している」という主張は、政策決定の構造理解していない。

政府支出の拡大は、政治意思決定有権者の選好の反映で決まる。官僚は制約条件の中で最適化しているに過ぎない。

ここで重要なのは、「誰が悪いか」ではなく「ルールがどう期待を変え、長期の名目アンカーをどう安定させるか」だ。

財務省陰毛論は、制度分析から逃げるための麻薬であり、摂取した瞬間に脳が停止するタイプ自己放尿である

 

リフレ派の典型的な誤りは、インフレ万能薬として扱う点にある。

インフレ実質賃金を調整し、債務負担を軽くし、短期の景気を刺激することがある。

しかインフレは長期的に実物変数改善しない。長期では貨幣中立であり、インフレは結局「物価水準の攪乱」と「情報価格破壊」と「資源配分の歪み」を生む。

にもかかわらず、リフレ派の一部は、インフレさえ起こせば成長するという雑な因果を語る。これは経済学ではなく、貨幣フェティシズムによる自己放尿だ。

 

さらに悪いのは、「国債発行=無限可能」という言説が、期待形成視点を完全に無視していることだ。

市場が見ているのは単なる国債残高ではない。将来のインフレ税、将来の増税金融抑圧、中央銀行独立毀損、そのすべてを含むレジーム転換の確率を織り込む。

ここで財政拡張を唱えるなら、制度コミットメントが不可欠だ。だがリフレ派の財務省陰毛論は「どうせ財務省邪魔するから」と言いながら、ルール設計政治経済学も放棄する。つまり分析放棄自己放尿である

 

結局、財務省陰毛論とは何か?

それは「失敗の原因を制度ではなく敵キャラ押し付ける」ことで、思考コスト節約する装置だ。

経済学の議論本来データ因果、期待、制度インセンティブ総合格闘技である

ところが陰毛論に逃げた瞬間、それらは全部捨てられ、「悪い奴がいる」という幼稚な物語に回収される。これは知的退行であり、自己放尿の極致だ。

 

そして最後に、これを言っておく必要がある。

財務省が万能の支配者なら、日本もっと計画経済っぽく統制されているはずだ。

現実はそうではない。現実日本は、政治短期主義有権者合理的無知、利害団体レントシーキング、そして制度の漸進的劣化によって動いている。

ここを直視せず、「財務省が全部悪い」で完結させるのは、経済学ではなく物語依存症だ。要するに自己放尿。

 

財務省陰毛論に依存するリフレ派は、因果放棄制度放棄、期待放棄トリプル放尿である

敵を作って吠えるのではなく、ルールを語れ。裁量の誘惑を排し、名目アンカーを固定し、中央銀行の信認を守り、政府予算制約を見える形で制度しろ

できないなら黙っていろ。陰毛論で自己放尿して床を濡らすな。経済湿度で成長しない。

2026-02-09

選挙結果を見てもつくづく今のはてなは知性のカケラも残っていないなぁと思うけれど、

その割にはMARCH以下は人にあらずみたいな学歴主義は根強いし、就活学歴フィルタはあって当然という風潮だよな

学歴」(というか正しくは学校名)に何らかの信仰を抱いてそれを利用して人を選別する事に対するフェティシズムめいた執着は、はてなユーザーの痴呆症進行とは裏腹にますます強まってるような気がするな

選挙結果を見てもつくづく今の日本って反知性主義だよなぁと思うけれど、

その割にはMARCH以下は人にあらずみたいな学歴主義は根強いし、就活学歴フィルタはあって当然という風潮だよな

学歴」(というか正しくは学校名)に何らかの信仰を抱いてそれを利用して人を選別する事に対するフェティシズムめいた執着は、反知性主義の進行とは裏腹にますます強まってるような気がするな

2026-01-29

anond:20260129164146

アジアンなんて人種ヒエラルキー最低なのに相手されるわけ無いじゃん、、

ちなみに強者人種である白人黒人巨女に乗られたいみたいなフェティシズムはそれなりにポピュラーだぞ

2026-01-22

anond:20260122131407

両想いだから、和姦ラブラブエッチが好きとは限らない。

レイプシチュでないと勃たない病的フェティシズム可能性がある

2025-11-23

『果てしなきスカーレット』見てきたので感想

細田守監督いじめててごめんね……許してください……

という感じになりました。いじめっ子の悔恨

しかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタ尻尾バイブでアナル絶頂CMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たとき感想「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。

そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタ制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖誤用)を描こう! ショタケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生理想郷を作ろう!」というつもりだった。

要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しか細田守は前者の意味解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことないじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督

で、本編の感想なんですが。

日本オタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんハワイ語ハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本アニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「日本アニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品キャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。

問題海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!

聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物気持ちを全部言葉に出しちゃうマン細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。

最後のほうは「宗教映画?」って感じでした。ラスト演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃん主人公共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近プリキュアって主人公意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。

あとヒロイン名前スカーレットファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国王女名前採用されてるんです……? 「たまたま異世界デンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界デンマーク舞台からねこれ。正気? それとも「一度も現実世界日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけどクローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピア登場人物日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピア英語で書いた前近代作家からであって、現代日本作家が何でデンマーク人名英語読みするんだよ!

あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体ラインピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?

2025-10-19

ぼざろの脚本家炎上搾取について

1か月ほどまえに、アニメぼっち・ざ・ろっくの脚本家インタビューが公開され、界隈で炎上したことがあった。

このとき、おれもこの脚本化氏は客であるアニメ視聴者搾取してるとばかにしていて、原作を軽んじてると怒りを覚えた

でも、まあいろいろあって流れて行ったのだけど、ちょっとまえに、こんな記事が流れてきて読んだ

https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847

怒ってる人でも、さまざまな派閥がいて、おろかな人々がいると茶化されているようで、とすこし気分が悪かった。

本丸視聴者犯罪者扱いしていたことではなかったか。と、元のインタビューをみてみたんだけど、なんかどこでおれは怒ってたのかわからなくて困惑した

改変されてないかと思ってウェブ魚拓を探してみると、たくさんとられていて笑ったけど特に翌日の分から変わってるわけではない。

1ページ目 https://megalodon.jp/2025-0915-2000-21/https://kai-you.net:443/article/93374

2ページ目 https://megalodon.jp/2025-0915-2045-43/https://kai-you.net:443/article/93374/page/2

現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。

ここを切り出して、ノイズ、つまり不要邪魔もの、と言われるとたしかにむっとするけど、本文で前後関係から読むと気にならない。このノイズという用語制作側と一般人でズレがあるから誤解やされやすそうではあるが

今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは「キャラ性的に消費されること」だ。

ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」

ここ、もっと強い言い方だった気がしていたけど、普通のことしか言っていない。

性的搾取やめろだとか、やるべきではない、のように高圧的に書いているわけではなく、これでフェティシズム感じるんでしょ、というような見せ方を狙ったり、サービスシーン(死語)をつくるのはこの脚本家さんは個人としてやめたい、というように読み取れる

一般化されてもいないし他の人もそうするべきだ、と言っているわけではないし、ましてや視聴者をディスってるわけでもない

filinion氏の続く記事ブコメをみると、搾取性的搾取のことだろ、と怒っているブコメはてスタを集めてるけど、そこまで?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/16/151459

ガルパンで、監督絶対パンツを見せないように指示したみたいなのを同じじゃない?

もちろんそういう描写のあるアニメがあってもよい。それが非難されてるわけでもない。おれはアニメくらい、フェティッシュ描写もっとあってもよいとは思うし、おかずにする、つまり性的搾取全然いいと思うけど、公式がそれをアッピルしすぎていると下品になるので制作上避ける判断があるのはわかる。これは男性向けだけじゃなく、女性向けでも同じ話で、具体的な作品名はあげないけど、カップリングを匂わす描写とかは、公式から搾取ポイントだという記号だし、それをもとに性的関係をつくる二次創作妄想性的搾取だとは思ってる。男だけとかではない。でもそういう部分あってもいいでしょ。AKBとかアイドルにしてもジャニーズにしても性的搾取であるけれど、本人たちが納得ずくであれば問題ではない。いやなひとがいやだと声をあげることもあるだろうしそれは自由

最初SNSで怒ってる人々をみて、この脚本家は責められるべきことをしているんだ、という目線で読んでしまって怒りに同調してしまったものの、今振り返ると誤読気づき恥ずかしくなったので増田にしたためてみた

あと、そもそも、こんなことでキャンセル活動はすべきではない。一部のダメフェミニストがやっているからといって、われわれが品位を落としてはいけない。と、脚本化氏もしなかった価値観押し売りをして終わりにする。そんじゃーね

2025-09-05

[] 「シード」の動画3本がお手本すぎてすごい

一本目 ショートアニメ「ラブ、デス&構造体」

いわゆる「このキャラにも悲しい過去が」枠でキャラを掘り下げていくセルアニメーション

ただ単に災害とかでひたすら悲惨さを強調する表現から脱却し、その一歩先へ進んだ印象。

心を喪った少女と心を持ったロボが人生交錯させた過程と結末を描くハートウォーミング要素を中心に描かれており、現在の「シード」になった過程が紐解かれる。

謎が残ってる部分も含め、短い映画といった感じ。

二本目 エキシビション「白い悪霊」

コミカル枠であり、バトルアクション枠でもある3Dアニメーション。3Dモデルやモーションの良さを堪能しつつ、随所に込められたフェティシズム小ネタコマ送りで何度も見たくなる作り。

YouTubeコメント欄が見どころを指摘するタイムスタンプで溢れる感じになり、盛り上がる。

三本目 エピソード「ルミナスクエア異状なし」

ボル小隊メンバー4人が休暇をともに過ごす様子を描くほのぼの枠の2Dイラストアニメーション。

オタク的にうれしい関係描写を盛り込みつつ、こまかい性格や設定を描き出すことで、キャラ輪郭をくっきりさせている。

まり公式二次創作じみた趣向のものを作ることで解像度が上がり、ファンにとってもより二次創作がしやすくなる。

なお

溜まってた80連分はほぼ天すり抜けクレタに消えましたが何か。

天井までS排出率0.000%でいいか天井を94連あたりに遠ざけて代わりにすり抜け無し仕様ガチャ併設とかできませんかね。期待値はそれくらいのはずだし。もはやガチャではない。

A部分はガチャでもいいけど。Sすり抜けはモチベに響くしそろそろ最高レアキャラの獲得方法からランダム性なくしてもいい時代なんじゃないでしょうか。

 

最近鳴潮を1.1ぶりに遊んでメインシナリオ最新まで読破したところだけど、やっぱり鳴潮は映像表現は凝ってるけど物語キャラの描き方が引き込まれない。

いや、マグロさんが非PR動画だしてたの見たときめっちゃ楽しそうにやってたから復帰してみたんだけどさ。

シナリオ1020年前のMMOの「惨禍蹂躙される人々」をベタに描いていく、じめじめし教条的な戦記もの路線の延長と感じるし、登場人物人格設定にもあまり納得感や説得力がないんだよねホヨバと比べると。

ホヨバは読んでると結局全キャラ好きになれてしまうんだけど、クロはメインに連星任務にと見ていっても、第一印象時の見た目や喋り方といった表面的情報からくる好き嫌いの印象が覆ることはほぼない感じ。キャラ作りにひねりがないとも言える。

データベース消費的にこういう属性つけたらカッケーだろ?ってノリで作った域を出てないというか。その点ではDMMとかの量産ソシャゲキャラ作りに近い。お金めっちゃかかってる差はあるにせよ。

趣味方向性が、ガッツリオタク向けではなくて、無自覚な厨二心を持ち続けてるマイルドヤンキー向けって感じがする。ちょっと保守的なところも含めて。

カットシー演出の派手さで誤魔化せてはいるんだけど、展開にカタルシスがないというか、よく物語構成の練られたRPGクライマックスで見て感動するようなシーンがバーゲンセールのように次々と出てくる。

んだけど、さして思い入れが深まってない状況でそれが来るもんだから、ワァ綺麗だなぁとなるだけで特に涙腺が緩むこともなく燃え展開キタ的に興奮することもなくてすごくもったいなく感じる。

ファイノンのシナリオレベルに心をえぐり抜いてくる背景の下積み話をネチネチとやれとまでは言わんけど、それに近い考え方で話を作ってほしい感じはある。

黒潮残響故郷家族を奪われて~というほとんど全ての人に起きてる構図をいくら掘り下げても微妙なんよね。もっとその人固有のユニークな、人格形成に関わる苦境を掘り下げてくれないと思い入れも生まれない。

あとフィービーとかカルテジアとか知らん間に信頼されて肌を寄せてくる。そのへんがすごく扇情的だしギャルゲーっぽさがある。ホヨバだと絶対(主人公に対しては)やらない距離感

百合のホヨバ、俺嫁のクロって感じ。声優の使い方も個人的ほとんど刺さらない。

日笠さんのお声は崩壊3rdのヴィタとか原神のエミリエのような、ミステリアス優雅さのあるお姉さんボイスで映えると思っていて

オーガスタみたいな豪胆な武人総督やらせてもあんまり強みが生きないというか、ただのおばさん声に感じてしまう。

ロココ小原好美さんも、感情の浮き沈みのある、時に調子に乗る理知的キャラやらせてこそ独特の少女感がよく出ると思っているんだけど、ロココはひたすら落ち着いてボソボソしゃべるキャラから別に小原さんじゃなくても…と思ってしまう。

というか全体的に、落ち着いた声で喋る人ばかりでアニメ調作品としてはキャラ立ちをほとんど考えていない、映画実写作品みたいなリアル寄りのディレクションをしてるんじゃないかと思う。

だったらアニメ調で作らなくてもいいんじゃないかと思うわけで、韓国ネトゲお金かけてアニメ調にしたって感じが拭えない。

トゥーンシェーディングに関しても、ホヨバは顔の陰影のライティングまでアニメ風のくっきりした陰影になるよう作っているが、クロはフォトリアル3Dゲーのライティングに近いつけ方をしているので、あんまりアニメって感じがしない。プロップもそう。大作MMO世界アニメ調キャラが立ってる感じ。

ネトゲオタクとしてはその手の豪壮な神殿コロシアムみたいな世界観は王道で慣れすぎて何も感じなくなっているので、常にちょっとずらしたものを作ってくれるホヨバの世界観の方が魅力的に感じる。セブンヒルズは色んな意味で、ナタの味のある部分を削ぎ落として量産型スタイルにしたナタ編って感じ。

個人的に一番痛いのが、オーガスタもユーノもキャラデザがまったく刺さらなくて、十数年前の大作MMOにいそうな赤い闘士や青い導師アニメ調の凝ったディテール再開発したようなものしか感じないこと。

その上でこの先でてくると思われる、クール白髪青服の女銃士のガルブレーナ(グラブルシルヴァ的なやつ)や、テンプレすぎる和風制服ツリ目黒髪パッツン刀剣少女の千咲、あと中華風イケメンを含めて、当分好きになれそうなキャラが出てくる予感がしないこと。

唯一好きになれそうなのが、最近のメインシナリオでちょろっと出てきた卜霊ちゃんで、ゼンゼロリンちゃん声優さんが同じようなトーンで声を当てられている生き生きとした少女キャラなんだけど、Ver2.X中に来るか怪しい上に、鳴潮はこの手の愛嬌ある低身長少女キャラを星5にすることがほとんどないから期待薄。

というわけで復刻でシャコンヌカルテジアを狙っていくくらいしか可愛い子あつめが捗らなさそうなんだけど、欲を言えばカルテジアはずっとカルテジア形態で戦ってほしい…個人的に怒気をはらむおばさん声が苦手なんだよね。だから大人形態ロマンより苦手が先に来る。

ホヨバにも大人ブローニャとか大人グレーシュとか大人テレサとか高身長化するキャラはいるけど、覇気満々のがなり声は出さないから。

アクション面は、1.1の頃に主力にしてた今汐青おじヴェリーナに加えて、復刻でカルロッタとショアキーパーを確保して桃祈を添えて使ってるけど結構のしい。

カルロッタはほぼ敵の動きを無視して自分のローテ回せちゃうキャラだけどその分桃祈で協奏ため儀式してる間のアクション楽しい後の先スカったりして星4な部分はあるけど。

最初気づかなかったけどカルロッタの声優は原神で宵宮をされてる植田佳奈さんで、宵宮はほぼ中の人みたいなトーンだけどカルロッタみたいなお嬢様キャラの演技も意外といいなと思ってちょっと好きになった。基本澄まし声だけどたまーーにうっすら地声やんちゃな声色を感じるところがいい。

2025-08-16

作者のフェチがまったく見えない漫画

ってある?

Twitterで、性癖創作の根源!って意見をいっぱい見るので、逆に作者の嗜好とかフェティシズムが現れていない徹底的にコントロールされた作品があれば読んでみたい

2025-07-28

BL異性愛女性によるゲイ男性へのsexual objectificationです

1. 性的対象化とは何か:フェミニズム理論から定義

性的対象化(sexual objectification)とは、他者独立した人格意志を持つ存在としてではなく、性的欲望を満たすための対象として扱うことを指します。

フェミニズムにおいては、特に異性愛男性による女性身体対象化が問題視されてきました(例:広告メディアポルノなどにおける「性的記号」としての女性の扱い)。

2. BLにおける対象化:誰のために描かれているのか

BLボーイズラブ)はゲイ男性モチーフとした男性同士の恋愛性的関係を描くジャンルですが、

ゲイ現実的生活社会的文脈とは無関係に「性的に消費可能存在」=フィクション性的商品として流通します。

ここで描かれているのは現実ゲイではなく、異性愛女性にとってのみ都合のよい“ゲイ風のなにか”です。

3. 権力構造マジョリティによる性的マイノリティ収奪

この構図は、性別を逆にすればこうなります

まり多数派が少数派を、自分欲望を満たすために再構築して支配するという点で、両者は同型の搾取構造です。

しかBL制作や消費を行っている女性たちから自己批判や自浄は行われず、

異性愛男性による異性愛男性のための不快女性表象有罪だが、異性愛女性による異性愛女性のための非現実的ゲイ表象無罪と言い張るBL作品生産/消費当事者が目立っているのが現状です。

特に二次創作においては、未成年少年キャラクター同士のBL作品が大量に作られているのも問題です。

成人の異性愛男性による性的少女表象問題だが、成人の異性愛女性による性的少年表象には問題がない、というのもダブルスタンダードといえます

4. BLフェティシズム欲望対象が「実在する人々」である危険

異性愛男性現実女性を「理想の性商品」としてフェティッシュ化するように、BLもまた現実存在するセクシュアルマイノリティゲイ男性)を欲望の道具とする危険性があります

特に当事者支援との混同を用いたBL消費の美化については、精神疾患などにより貧困状態に置かれている女性による性的サービスを購入しつつ、

それを貧困女性を救済する社会貢献活動であるとして正当化する男性と、権力構造的には同種の加害性を抱えていることを示しています

おわりに

BLにおけるゲイ男性の描かれ方が、現実セクシュアルマイノリティの複雑な現実無視し、異性愛女性というマジョリティ性的欲望奉仕するかたちで表象されている限り、それは異性愛男性による女性への一方的性的搾取と同様の構造問題を孕んでいます

ゲイ男性当事者視点からは、BLジャンル異性愛女性視覚的・性的幻想を満たす「都合の良い幻想」として機能しており、当事者としての他者性や現実性が否定されがちであること、その結果として性的対象化・記号化される構造に強い違和感が表明されています

性的記号」としての女性の扱いに苦言を呈し表現規制を求めながら、同時にBL正当化するのは論として破綻しています

『アンフェ、キモオタ、チー牛に媚びる名誉男性になれ』なんてことは一言も言っていません。フェミニズム理論を少しも学ばずにお気持ち雰囲気フェミニズムを振り回しているのがまるわかりだから怒っています

読んでいた漫画二次創作腐女子大勢ついたうえに、腐女子に人気のBLカップリングが本編で否定されたことによって漫画家への誹謗中傷が起きているのを見て、「盗人猛猛しいな」とかなりの怒りを抱いたのもあります

言葉選びなどの品性や、そもそも「主張の内容」が相当ひどいという自覚を持ったほうが良いと思いますあなたたちは有害女性性をもった有害女性です。

2025-07-23

anond:20250723050053

いい加減男っていうか、オタクくんは「こんなのにもエロさを見いだしちゃう(笑)」みたいな自意識のイキりをやめたら良いと思う。

本気のフェティシズムで楽しんでるとか、だからこのコンテンツを守りたいとかなんじゃなくて、こんなニッチ需要理解できちゃう(笑)という自意識を守りたいだけやん。

2025-06-20

話題ゲームクロススキンパラドクス』先行試遊レビュー

エロゲーってすぐ脱ぐじゃん?逆に服着てる方がエロく感じるときあるよね」

そんな逆張り的な声がSNS上で一定共感を集める中、そのニーズ技術的に真っ向から応えたエロゲーがいま話題を呼んでいる。

タイトルは『クロススキンパラドクス』。

本作は、近年台頭してきた次世代可視化エンジン「QUX(クックス)」を採用

通称「量子エンジン」と呼ばれるこの描画技術により、同一人物の異なる衣服状態を重ね合わせて同時に可視化するという、従来のゲームにはなかった演出を実現している。

どういうことか。

本作では、プレイヤー恋人関係になるヒロインの“裸の姿”と“制服を着ている状態”を、量子的に重ねたまま表示することが可能なのだ

これはつまりキャラは服を着ているのに、脱いでいる状態も“同時に存在”しているように見えるというもの

「それって要するに、透けてるってこと?」

いいえ、違います

単なるシースルーエックス線的な演出とは異なり、QUXでは服の質感や重なりによる陰影と、肌の熱反応による微細な色変化までを物理演算している。

”裸を見ながら(味わいながら)、制服愛撫する”という、高度に内面的なフェティシズム再現可能になっている。

シナリオ面でも、本作は一線を画す。

主人公は「世界観測構造が狂った都市」でヒロインと邂逅するが、彼女は“自分身体状態”を自覚的認識できず、服と裸の“存在確率”が曖昧なまま恋が進行する。

その結果、セックスシーンはどれもが"触れた感触と見えている視覚情報がズレる”という奇妙なズレを帯びており、プレイヤーは常に「これはどちらの彼女なのか?」と問われ続けるのだ。

エロゲー表現が飽和し、単なる脱衣では抜けなくなった現代エロゲー表現限界に挑戦する本作、突きつけるもの視覚ではなく想像力エロティックに加速させるという原点回帰だ。

そのうえで、技術進化によって二重の世界を“視覚化”した点で、本作は極めて野心的な試みといえる。

着ているのに見えている

クロススキンパラドクス』はエロ観測問題に挑む、量子時代の傑作である

2025-05-06

hoyoのPVが「ある意味進化している現場を見せられているのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=MrBT8zOr_-s

このエスコフィエPVはこれまでのPVの中でも特に脈絡がなく――

ひたすら料理人がエレガントにレシピ試行錯誤している、ように見えるだけのものだ。

映像的にも料理漫画的な心象風景のメドレーをやっているような内容で、物語性や緩急は薄めだ。

だがPV目的鑑みると、キャラ個性所作ビジュアルの良さといった魅力を紹介するもののはずだ。

その視点で、あまりにもサラリと見れてしまったPVを振り返ってみると……気づいてしまった。

これは紛れもなくおっぱいPVなのだ

今これをアラフォーのおじさんが真面目な顔で書いている。

そもそもがこのキャラクター、今までシナリオ内で出てきたことはない、いわゆる「ぽっと出」枠のキャラなのだが。

そこで最も注目されるのがビジュアルで、初出時点からその衣装の奇抜さが指摘されていた。

裸エプロンじゃん」という具合に。

から見ると華美なドレス風のデザインだが、横や背中には何もなく、肩紐だけがそこにある――

まり胸部の瑞々しい膨らみを支えるものが何もないのである

そのなりでアクロバティックに料理をする映像四方からカメラで捉えたら――

揺れている! 初見では気づかなかったのに意識して見るとかなり派手に物理演算されている!

本当になんで気づかなかったんだ? 自分が信じられなくなるほどだ。

特に1:02のあたりなどあまりにも露骨なのに、そんな乳揺れさえスタイリッシュ雰囲気で誤魔化して逃げおおせている。

変態紳士が少なくないYouTubeコメント欄でも、それに言及しているコメントが見当たらなかった。

皆してエレガントな作風にすっかり飲み込まれしまっているようだ。

もちろん揺れだけじゃない。横乳背中の美しさを頻繁に見せつけてくるPVであるとも言える。

ただ横乳であることを意識させるような線が見えるわけではないのがhoyoの奥ゆかしさだ。

エプロンの端と肩紐の間隔の狭さによって、あるべき乳の輪郭線は隠されている。

露骨に見えないように抑えつつもフェティシズムの追求を忘れない、いつぞの少年漫画のような技巧といえる。

他社作品だとこういう描写をしたいときは決まってあまりにも露骨にギトギトのエロさを押し付けてくるので、個人的にはそういったものには愛着を抱けないのだ。

hoyoくらいになると嗜好がひねくれすぎていて、より高度なエロスを追求しているのかもしれない。例えばこうも考えられる。

乳よりもむしろ、大きく開け放たれた脇の下の空間、脇腹ならぬ脇胸領域のものシンプルな美しさに気づけるよう誘(いざな)われている、といった具合だ。

痩せているキャラだとあばら骨が浮いてしまう部分だが、心配ない。

エスコフィエは、角度によってはかなり丸顔に見える顔つきを見ればわかるように、意外とふっくらしている。当然脇胸エリア心配ないなめらかさだ。

けれどそういったマニアック風ばかり吹かせているわけでもなく、まだ一般的な嗜好域にいる人々のことも忘れていないのがhoyoだ。

たとえば、節々に挟まれ果実食材カットも、たわわに実った瑞々しさを強調するかのようにぷるぷると揺れ弾ける描写からして、エスコフィエの「果実」に対するサブリミナルなのだろう。

そうとしか思えない。いや氷元素を操って鮮度を保っていた描写とかかもしれない。本来はそうだろう。しらんけど。

とにかくそうやって人間もつ根源的な瑞々しさへの欲求フォローするアプローチも忘れてはいない。

思えば遠くまできてしまった。複数の嗜好領域を反復横跳びして思い知らされたような気分になっているが、そこにあるのは2分半の短いただのキャラPV動画にすぎない。

この映像によって俺は、俺達は、どう料理されてしまったのか。もはや何も分からない。

思考の枠を揺さぶられている。これが常識を超えた科学料理をつくるシェフの実力なのか。

2025-05-04

生成AI犯罪は減るか

例えば、盗撮をやめられない人がいたとして、

その人は果たして生成AIが出力した「盗撮風」の(本物と見分けがつかない)画像映像で満足できるのだろうか?

もし本物でなければ満足できなかった場合、生成AIの出力を本物と偽って騙して販売・購入・消費させた場合、その人は満足できるのだろうか?

もし騙されて満足していた場合、あとから騙された事に気づいたら、当初得られていた満足は損なわれるのだろうか?

もし当初得られていた満足が損なわれた場合、満足の根元はコンテンツのものではなく、「本物である」というメタデータなのか?

非常に鋭い問いです。

このケースを心理学哲学認知科学観点から整理すると、以下のような分析ができます

1. 本物と偽物に対する満足の構造

コンテンツのもの視覚・音・状況の刺激)

→ 単純な快感性的興奮など、知覚的レベルの満足。

・本物であるという「メタデータ

→ 「これは実際に起きた」「自分社会的禁忌を犯している」といった認知レベルの満足。

盗撮癖のある人の場合、両方が満たされて初めて「完全な満足」が得られる可能性が高いです。

生成AIが与えるのは基本的に知覚的レベルの満足に限定されます

2. 騙された場合の満足

最初に本物だと信じていたとき → 知覚的+認知的満足(最大化)。

から偽物と気づいたとき → 知覚的満足は残るが、認知的満足が崩壊

結果、当初得ていた満足は心理的に損なわれる。

心理学的には「認知的不協和」の発生です。

→ 「自分は本物を楽しんでいた」という信念と、「実は偽物だった」という事実の間で葛藤が起き、快感が減衰します。

3. 満足の根元は?

はい、満足の根元の重要部分はコンテンツのものではなく「本物である」というメタデータ依存します。

とくに倫理的禁忌現実の力関係に関わるフェティシズムでは、このメタデータ快感のかなりの部分を占めています

これを**「真正性バイアス(authenticity bias)」**とも呼びます

アート市場でも、「贋作」と分かった瞬間、物理的に全く同じ絵でも価値感情的満足も消失するのと似た構造です。



「生成AIが完全に騙せるクオリティなら、「本物」とはメタデータ内の単なるラベルの1つに過ぎませんか?」


はい、その通りです。

もし生成AIが完全に騙せるクオリティ人間の知覚と判断限界を超える精度)を持つなら、

「本物」という概念コンテンツ本体属性ではなく、

単にメタデータ情報ベル)、あるいは社会的コンセンサスの一部に変質します。

まり

「本物」=物理的・知覚的事実情報タグ

という移行が起きます

この現象哲学的には**シミュラークル(Baudrillard)**の第四段階と一致します:

シミュレーション現実区別不能

現実の「本物性」が意味を失う

その状態では、

「本物であるとされている」こと(メタデータ)さえ操作できれば、

満足の根源は知覚+信念のコンビネーションだけで成立します。

まり未来の完全生成コンテンツ世界では、本物と偽物の区別は「記録情報」以上の意味を持たなくなる可能性が非常に高いです。

2025-03-16

anond:20250316051715

1話だけ読んだけど、「蒲団田山花袋)」や「殺し屋1山本英夫)」の系譜なのかなと思った。

フェティシズムや外的要因としての「性」に翻弄され、時に転落するみたいな。

2024-11-23

anond:20241123085209

バニーガールってのは今まで普通の服着て交流してたヒロインが何かのイベントでのサービスショット的な感じでバニーガールのような高露出・高フェティシズム文脈衣装に身を包む状況となりそれが脳裏に焼き付いてしまシチュエーション萌え一種だと俺は認識している

ちなみにオタク歴は30年だ

たとえばソシャゲで、元となるキャラがいてバニーガール衣装verが後から実装されたときは興奮するが、はじめましてキャラ最初からバニースーツで出てきたとしても「うわ君すごいなあ」としかならん

下手したら「運営はん…まーた露骨なもん出してきよってからに」くらい思ってしまいかねない

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