はてなキーワード: 月経とは
幼稚園ではかけっこ一位だったんだが、高校になって1500メートル走が後ろから2番目だった
進学校だったので衝撃を受けた
それでも15年前にジムに行き始めて、最初は走ってばっかだったので数年後に中学生出しの平均くらいの速度は出せるようになった
数年練習して平均かよと思うが
そんなことも忘れて、ここ二年運動不足で久しぶりにジムを再開して二ヶ月経った
ようやく1500メートルを7:50で走れたんだが(あくまでランニングマシン)、これが女子中学生のかなり遅いタイムらしいとわかり、やはり遅いんだなと改めて思った
てかほんとに皆そんな速いのか??
ほんとかよ、まず1500メートル走れないだろ?
まあまあ中高生の平均を目指していこうと思う
そのために気持ちが落ち込むことや、婚活が億劫に感じてしまうことが増えてきた(いわゆる婚活疲れ)。
そこで、増田を利用して現在の私の状況について整理することで、状況や課題が明確になって何かしらの進展を得られるのではないかと考え、この文章を書いている。
上述の通り、アプリを開始してから3ヶ月経つにも関わらず、未だ恋人、ないしは恋人候補となるような相手と出会えていない。
これが客観的に長いのか短いのかはわからないが、自分のメンタル的には結構落ち込んでいる。
うまくいかない要因は大きく以下だと考えている。
逆に「自分に魅力がないために婚活がうまくいっていない」とは、正直言ってほとんど考えていない。
アプリで受け取るいいねの数、通話できるまでチャットした数、実際にあった数において、同世代と比較しても多い方だと考えているためだ。
基本的にはこちら側からのフェードアウトだし、フェードアウト後に「ぜひ会いたい」などの連絡をいただくことも少なくない。
いやこいつ見てキショすぎるだろ、、、
どんだけ自信過剰やねん、本当にそんな魅力的ならもう恋人できてるわ
そもそもこれまでに恋人1人しかいなかった人間が書いていい文章じゃない
あと、自分の性別をあえて書かないようにしているのも自意識が透けて見えてキモい
要するに勘違いしてる痛い奴が勘違いしたまま婚活して順当な結果に終わってるだけなんじゃないの???
ここまで書いて「そういえば自分ってこういうキショいやつだったな」って思えたことは一定成果だったかもしれない
そのために気持ちが落ち込むことや、婚活が億劫に感じてしまうことが増えてきた(いわゆる婚活疲れ)。
そこで、増田を利用して現在の私の状況について整理することで、状況や課題が明確になって何かしらの進展を得られるのではないかと考え、この文章を書いている。
上述の通り、アプリを開始してから3ヶ月経つにも関わらず、未だ恋人、ないしは恋人候補となるような相手と出会えていない。
これが客観的に長いのか短いのかはわからないが、自分のメンタル的には結構落ち込んでいる。
うまくいかない要因は大きく以下だと考えている。
逆に「自分に魅力がないために婚活がうまくいっていない」とは、正直言ってほとんど考えていない。
アプリで受け取るいいねの数、通話できるまでチャットした数、実際にあった数において、同世代と比較しても多い方だと考えているためだ。
基本的にはこちら側からのフェードアウトだし、フェードアウト後に「ぜひ会いたい」などの連絡をいただくことも少なくない。
いやこいつ見てキショすぎるだろ、、、
どんだけ自信過剰やねん、本当にそんな魅力的ならもう恋人できてるわ
そもそもこれまでに恋人1人しかいなかった人間が書いていい文章じゃない
あと、自分の性別をあえて書かないようにしているのも自意識が透けて見えてキモい
要するに勘違いしてる痛い奴が勘違いしたまま婚活して順当な結果に終わってるだけなんじゃないの???
ここまで書いて「そういえば自分ってこういうキショいやつだったな」って思えたことは一定成果だったかもしれない
ざっくばらんに書きすぎて誤解が生まれてる箇所があるようなので弁明と所感の補記。長くなった。
あとちらほら男性認定されてるから一応明記しておくと私は30代前半女。文章の書き方がおっさん臭いとは言われたことはある。
まず食費にお米は含んでない。ご実家から貰うらしい。調味料は元々あるけどちょこちょこ買い足したので微妙。
まとめ買いやらお勤め品やら駆使してお弁当は8品前後、食卓には一汁三菜並ぶように意識してるけどまあ2人なので何日か同じものが続くこともあるし、生野菜不足してる感はさすがにある。水菜高すぎ。
ものすごく切り詰めている訳ではなく、かと言ってノールックでシャウエッセンをカゴに入れるような買い方はしてないよというバランスの取り方に及第点はほしいなという程の意味。
日中の過ごし方については、色々述べたけどつまるところはご指摘の通りゴロゴロしてるだけ。家最高。あと掃除について言及があったけど、彼に「なんか家中がピカピカしてる…」と言わしめたので一応やってるということでいいと思う。ただ基本的には彼の家のため触られたくない所は自分でやってるようなので私がやってるのは蛇足な部分かも。
飼われてる発言の発端は、私から「飼い猫のようにしおらしく毎日あなたの帰りを待ってるよ」みたいなことを言い出したのに対し「猫?雌ライオンでしょ」という返しつきで彼が乗っかってきて、その後もふいに始まった不思議なこの共同生活を表現するときに「飼ってる・飼われてる」が使われるようになっただけでお互いに他意はないはず。
お弁当箱は自分で洗ってるし食後の皿洗いもやってくれる、いつもありがとうという文脈で外食に連れてってくれたこともあるので、今のところ2人の間にだけ伝わる愛のある冗談だと私は受け取ってる。
これはモラ夫のケがあるってことなのかな、それは避けたいけどどうしたら。
***
彼の一存で私をどうにでも出来てしまう現状が不健全なのは自覚してる。私がいなくなったところで彼はまた一人暮らし仕様の生活水準に戻るだけで、私が彼を失うのに比べて彼が究極的に困ることはない。だからこそずっと愛されるように(="飼い"続ける価値がある)女性としての魅力を保つ努力をしたいと思っている。
本文含め私のスタンスをフェミ的な観点から問題視する向きもあるかもしれないけど、要は単純に好きな人からずっと好きと思われるためにお互いに努力したいよねってだけ。私も向こうには尽くすに値する素敵な男性でい続けてほしい。ちょっと言葉が乱暴だったのは申し訳ない。
経済的に立ち行かなくなった時、恋心が褪せた時、彼に依存しすぎて戻れなくなった時、要は現状の満足を構成する要素が欠けた時への備えについてのご指摘はまさに正視できないでいる点なのだけど、今は休ませてほしい。仕事をしたくない訳ではなく通勤電車と人間関係の維持に疲れたのです。とにかく家から出たくない…。
結論としては、好きな人とお互いを捧げ合って毎日一緒にいることで得られる安心感の素晴らしさを知ったということが言いたかった。
色々言及頂いて、現状や自分自身に対する客観的な認識を補えて有り難い気持ちになった。
人の世話を焼くことで自己肯定感の確認してるのではというのは確かにその通りかもと思った。子どもがいればそっちの特性はより活かせるかもしれないけど、ママ友とかPTAとかに参加することで、また延々人間関係という大縄跳びをやり続けないといけないと考えるとうんざりする。
あとは久しぶりに彼以外の人間の生の声を受け取った気がして、文章越しとは言え新鮮だった。ありがとうございます。以上。
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仕事辞めてから彼氏の家に転がり込んでみたところ、セルフネグレクト寄りだったはずの自分がきちんと主婦業できそうなことが分かった。
朝食を調えて駅まで送り日中は家事をして、夕方には夜ご飯の用意などしてから駅まで迎えに行く生活をして早数ヶ月経った。
駅まで送った帰宅後に何をしてるかと言えば家事とネットサーフィンたまに勉強、献立の検討。食事にこだわりがある彼に対し私が時間を割けるので、天ぷら大会やら魚を丸ごと買ってきてお刺身にするやら少し凝ったものを用意できるのが楽しい。彼も満足してくれているようなので、無償で与えられた住環境に対してせめて報いれるものがあるとするならばこちらも嬉しい。
食(材)費は 30,000円/月ほどでほぼ自炊で2人分の朝昼晩を賄えている。悪くない数字ではないか。
話は逸れるけど、人に食べさせる料理を毎食毎日作ることの一人暮らしとの大きな違いがこの共同生活の中で一番労力がかかってる部分かもしれない。
食べる人の好き嫌いやこだわりや気分、日ごと食事ごとに対してのジャンルと食材のバランス、ボリューム、食べ合わせ、彩り、衛生環境、ご家庭で食べるに見合った値段で、使い切れる量の買い出し、……
一人でいれば毎食冷凍うどんでいいやとほとんど作業と割り切ってる食事が誰かに差し出すとなると途端に検討要素と作業工程が倍増する。
これを絶え間なく、その他日常生活の運用に必要なプラスアルファを加味して何年もつつがなくこなすと考えると、世間で揶揄されるほど専業主婦は暇ではないなと実感してる。これに子育てが加わったら私には無理だな。
ただ社会人期間と比べてあまりにも人と会わなさすぎ(コミュニケーションがなさすぎ)るので人嫌いの自分もさすがにおやとなり、巷でよく聞く「寂しくて不倫」の機序はこういう心理の自覚から始まるのかもなとは想像がついた。
最近は彼の帰りが遅い上にちょっと大きめの言い争いがあったためぎくしゃくしてるのも相まって「他の人と会いたいなー」という気持ちもなくはないけど、人と関わっても結局面倒くさくなる自分の質も数十年人間やってみてよくわかったので、あえて外界に出ようという気は起こらない。
こと自分に関しては基本的に出不精だから日中もほとんど活動しない。この数ヶ月スーパーと家の往復だけ。たまに喫茶店に寄り道したり近所を散歩するくらい。
初期の頃はお昼寝タイムもあったけどここ最近はずっと起きてる。これで上述のように過ごしてると意外にも早く過ぎて夕方には翌日のお弁当と夕飯の準備を始める。すこぶる健康に過ご(させてもらって)る。
不安ごとがあるとするならば、今は完全に無収入で彼の生活にフリーライドしてるのでそれが少し申し訳ない。怖くて聞けないし向こうも言ってこないけど、光熱費とかすごいことになっているのではないか。
勤労意欲は沸かないけど目の前の人のためになにかしたい気持ちはある。まあそうなると今のグレードを維持した家事炊事は無理だろうが。
あとは自分で家事しなくて済んで時間が浮いたことにより付け上がった彼が仕事と嘘ついて外で女作ってきたらどうしようとか表情筋動かしていなさすぎるからか顔がデカくなってきた気がするとかか。
彼は「一人暮らしのやり方忘れた」と言い出し始め私のことを「飼ってる」などと笑うが、私も自分が食べ切れない料理を感想付き(ここ大事)で食べてくれて、必要以上に他人と関わらず、人権の欠片も感じられない地獄のようなあの通勤電車にも乗らないで済むこの生活を続けたいので割と冗談抜きでこのまま飼われたい。
仕事に打ち込むにあたって悪くない環境を提供できてると思うのでこのまま家事炊事送迎機能付きセックスができる長生きペットとして養ってくれないかな。
だらだら所感を述べたけどそれより何より一番の驚きは、こんな機会ないだろうし共同生活してみるか他人と毎日一緒なんて絶対飽きちゃうだろうけどな、という諦め込みの試みだったはすが(数ヶ月経った現時点で)楽しいと思っている自分がいること。
朝起きたら好きな人が隣で寝てて、朝も昼も夜も好きな人のために食事を用意して、夕食後の他愛もない時間を過ごして、また夜も隣で寝てくれる日の繰り返しに言い様のない安心感を覚えている。
他人と過ごすことに向いてないと自分が自分を理解したから家族からも離れて一人暮らししていたはずで、結婚生活なんてとても出来ないだろうと諦めていたのに、この感覚はなんなのだろう。
もうすぐ生理が来る。
高校生の頃は、生理痛なんて全く無くて、ただ血が出る日ってだけだったのに。
20代後半に差し掛かる今は、生理が来る数日前からお腹が痛くなって、悲しくもないのに勝手に涙が出る。PMSだろう。
いざ生理が来たら、メンタルは安定する代わりに、体調がどん底だ。
特に1〜3日目は、腹痛と下痢で歩くのも嫌。前、オフィス内を歩いていたとき、不意に腹痛に耐えられなくて座り込んでしまったこともあった。加えて過多月経なので、仕事で会議が入っていて数時間トイレに行けないときは漏れないかヒヤヒヤする。しかも過長月経なので、生理が9〜10日間続く。怠い。
(※過多、過長月経については病院で診察及び検査済み。異常なしらしい。信じてないから来月も病院に行く)
お酒を飲むことが好きだけど、生理の時は我慢する。鎮痛剤を飲んでる時に飲酒したくないから。
新卒で入社した時、制度を知って便利だなと思った。でも、たまたま配属された部署が30〜50代の男性が8割で、直属の上長も男性。
新卒で通常の有休の申請の仕方もわからなかった私は、しばらく申請する機会がなかった。
内定者時代からよくしていただいた30代の女性社員さんだったので、生理休暇について聞いてみた。
そしたら、生理休暇は当日申請はダメで前々から申請が必要、直属の上長に申告しないといけないらしい。
は?と思った。
全員が生理が来る日ドンピシャで休暇申請できるわけなくないか。
しかも休むとしたら1〜3日目がいいのに、事前になんて無理だろう。
しかも直属の男性上長に申告するのは抵抗がありすぎる。上長は50代で、優しく、おおらかな方だ。でも、その世代の男性に対して生理という理由で休みたいと言うのは怖すぎる。だって、その世代って、そう言うの許されないでしょ?
結局生理休暇は入社して数年経った今も使っていない。社内で使っている人も見たことがない。
そういえば、こんなこともあった。
ある生理2日目、別の部署の女性社員方と複数でお昼を食べてきた。その日は案の定朝からひどい腹痛だった。そんな私を見て心配していただいたのか、顔色悪いよ?と声をかけられた。女性しかいないだろうし、と軽い気持ちで「生理2日目なんで」と答えた。私の意図としては、何か病気を患った訳ではなく、毎月の恒例行事なんでと言いたいだけだった。(とはいえ辛いけど。)
その時の返事は、「そんなこと、わざわざ言わなくて大丈夫だよ」だった。それでその話は終わった。
女性同士でも生理の話題がタブーになる。こんな会社で生理休暇なんて申請できるわけなくないか?
思うんだけど、生理休暇って女性のための休暇制度じゃなくて、会社が福利厚生アピールするための体のいいフレーズにすぎないだろ。
多分、生理と会社の忘年会が被りそう。普段お酒をよく飲むせいで、鎮痛剤を理由にお酒を控えたら余計な心配されるから、薬は飲めない。今の部署も男性が多いから生理の話題なんてだしたらみんな黙っちゃうんだろうな。そういう時適当に理由つけれない自分の要領の悪さも嫌い。
あー、嫌だなあ。
10月から現場チームにIT側が参加してプロジェクト進めることになり、私に白羽の矢がぶっささった。
以前からプロジェクトを進めていたと聞いていたけど、実際参加してみるとExcelレベルでもタスク管理が無いし、デイリーで各メンバー適当な進捗報告をするだけ・・・。
私としてはくっそ楽な作業で特に管理せずともうまく行っているので問題ないけど、メンバーの中にはちらほら遅延(そもそもタスク列挙に伴うスケジュールを引いてないのだから遅延もクソもない)して苦しんでいる人もでてきたし、そこもカバーしてあげたい。
2ヶ月経ってある程度チームについて分かってきたし、「どんどんやってくれ」とも言われているものだから、適当にプロジェクト管理ツールを見繕って導入提案さくっとしてみた。
いやいやいやいや元々プロジェクト管理もずさんな状態で何も管理なんてわかってないんだからさ!!!!!!
とりあえず管理ツール内のフレームワークに押し込めればいいでしょ!!!!!!!
理由なんてツラツラと語らなくてもこんなツール脳死で使って当たり前でしょ!!!!!
チーム人数少ないし予算も余ってるんだからもう何も考えずに速攻導入してくださいよ!!!!!!!!
という怒りを胸に資料をシコシコ作っている。
そもそも、増田に来る(≒はてなIDを持ってて、匿名の投稿まで目を通している)こと自体にびっくりしたのですが…こんな場末の掃き溜めみたいなところに来てまで「私の批判は許さない」と見張ってたわけです。
いや、ご本人の批判ですらない、
「今の音声市場、こういう事になってて危ないですよ」
「音声作品買う人はもっと作品やクリエイターをよくチェックしてね」
という書き込みにさえヒステリー起こして批判する人だったので…私、4ヶ月前に議論してから本人のレスは全て無視してます。
端的に言うと「酷かったから」です。
「私は今月も作品を納品してて、シナリオライターとしてやっていけてるんだ」
というから【シナリオが納品されてから数ヶ月経てば、流石に作品出てるでしょ】という時期まで待ちました。
バトルになった8月時点でシナリオ担当で関わったコンテンツは全部赤字。
それでも、8月時点では新規案件を取ることもできていたし、自分のサークルで出していた作品は黒字化できていました。
そして、「自分が悪かったかどうか、経過観察も見てみましょうね」という気持ちになっていたので、12月の頭にチェックしました。
さて結果はというと…酷かったわけですね。
まず、8月に出した自サークルの作品ですが…スタートダッシュに失敗して、ずっと低空飛行。
そして、シナリオライターとして作品発売までこぎつけた作品は…数作品ぐらいあったのですが…全部身内からのコネ。
自分の作品に出演した声優さんにツテがあるサークルのお仕事を回してもらってるだけ。
新規開拓と呼べる実績が0で、「シナリオをたくさん書いてる」と言いながら、発売した作品は書いたシナリオの5分の1?どんなに甘く計算しても3分の1?程度。
しかもだ!
仲の良い声優・サークルは何個かあったはずなのに…「大口」に当たるところが、この人に声かけてないんですよ…。
継続案件でかつ、大口案件をくれそうな人からもらえてない(赤字の作品ばっかり作ってるサークル・声優同士でつるんでるだけ)というから…余計に「ヤババ…」と思いました。
これでよく私にガミガミ言えたなぁ…と呆れました。
この人、私と口論した時に「自分は責任ある仕事・リスクを取った仕事をしてるんだ」とか言ってたけど…バイトや派遣にも劣るよ?
アルバイトが続いてるということは、自分の関わる仕事を黒字にする程度には働いてるわけです。
これが派遣とかになってくると、「採算どうこうよりも合わないからチェンジ」「いい評価ついてないから紹介先がない」というプレッシャーと戦って評価勝ち取ってます。
責任?リスクを取る?肩代わりしてもらってるだけじゃないですか??
とても飯が食える水準にない売上の作品群で、よくそんなこと言えますね…。
私は「結果が出るまで待つ」という譲歩をしてあげました。
それで、結果が全然変わらなかったので、今回は最初から辛辣に言いますよ。
もしクリエイティブか労働ならそれ相応の実績が積み上がっているはずだよ。
クリエイティブでも労働でもないから、あなたの吐いた言葉?結果を出せずに身動き取れなくなっていくさまが、呪いのように効いてきてるんでしょ?
過去の話?そうだったね。
そして、「今を抱きしめて」とか言ってましたね。
どうぞ、あなたに期待したのに、赤字で次回作品出せてないサークルさんに言ってみてください。
今出ている結果こそが、あなたに下された「審判」だと私は思いますけどね…。
「音声作品ってことは同人でしょ?同人作品が黒字だろうと赤字だろうと知ったこっちゃなくない?」
おっしゃるとおりです。
一般論として、他人の同人作品が黒字だろうと赤字だろうとどうでもいいことです。
そもそもの話、本人もそう思っているんだったら「お前の作品全部赤字じゃん」と言っても「同人なんだから作った時点で勝ちじゃね?」でおしまいです。
ただ…この人は事情が違うのです。
この人について批評している理由は「ライターとして仕事を得る方法」を有料サービスとして売っていたり?自分自身の社会性を売りにしたり?事業拡大のための支援を募っていたり??
実態がボロボロか、サイドビジネスで得ている収入で食べている人が、さも実態のあるかのように喧伝していたから、4ヶ月前に指摘したのです。
そして、御本人も「趣味としてでの同人」ではなく、「事業として行き詰まっている自覚があったこと」で、【お前は責任もリスクも取ってない】とか話しすり替えて応戦してきてるわけですよ…。
別に、ファンが赤字の作品掴もうと、持続不可能な人物を応援しようと「お前に見る目がなかっただけだろ」だけですよ?
ただ、本気で音声作品に取り組みたい人が、洒落にならない金額の損失を出したり?本人ですら継続できてない講座にお金を払ったりするのは…見過ごせないんですよ。
を知ってしまった以上、【こういうのに引っかからないように気をつけてね】と警鐘を鳴らすしかないのですよ。
私は、こう見えて優しい人間です。
洒落にならないほどのお金を損したり、実態の伴わないか理論を信じて時間を無駄にする人が出してしまう事態を、止めるぐらいの良心はあります。
音声作品を作るのには、作るだけで20万円、まともな声優を起用すれば30万円かかるから…相当の覚悟・準備が必要です。
それをやり遂げた人達に、しなくてもいい損をしてほしくないんですよ…。
数十万、最悪100万円以上損する人物を目の当たりにして、黙っていられるほどぼくは冷酷でも大人でもないんです。
だから、続きを書くことにしたのです。
この詐欺まがい?粗悪?な商売に、人気のはてなブロガーが加担しているです。
正確には加担しているというよりかは…このサークル主に何度か援護射撃をしている外部協力者ってところかな?
「友達のことは応援しないとダメでしょ?きっと友人関係があるんだよ」
と養護する声もあると思うけど…問題は、そこじゃない。
この人自身が、投資や学問に関わるブログ・YouTubeをしている。
そのため、一部の人は「この人が言うんだからすごいに違いない」と投資や応援するきっかけになったことだろう。
昔、国政政党の代表が「安愚楽牧場」という牧場を紹介して問題になってたり?
国政政党の幹部が、とある慈善団体の代表に口利きをし、ツーショット写真を撮っていて問題になったり?
それに近い問題が、はてなの投資ブロガーから起こってるから「マジかぁ〜」ってなってます。
他にも、サークル主に「あなたのことをプロにしてみせます」と支援した音声編集の人とかもついたらしい。プロって…赤字でもとりあえず案件を回し続けて貰える人のこと?
なんなら本人も、自分で「会社経営を数年やった」とか、「某有名企業のモーレツ営業マンだった」とか過去の経歴を公開してた。経歴通りにいかなかったけどね。
過去に、実績を振りかざしてああでもないこうでもないと言ってきた人が私にもいる。
そんな人達も次の瞬間どうなるか、今まさに崩壊が始まってるかもわからない。
そういう勉強はさせてもらったよ。
お気づきの方もいると思うけど、
→過去の話?そうだったね。
→そして、「今を抱きしめて」とか言ってましたね。
→どうぞ、あなたに期待したのに、赤字で次回作品出せてないサークルさんに言ってみてください。
と、
→なんなら本人も、自分で「会社経営を数年やった」とか、「某有名企業のモーレツ営業マンだった」とか色々と過去の経歴を公開してる。
は大きく矛盾して見えるでしょ?
実は、この即落ち2コマ&ダブル・スタンダードを見た時に、嫌な予感がしてた。
「1秒前は過去」「今を抱きしめて」と言いながら、本人はちょいちょい過去の栄光をひけらかす。
この人に「信頼関係を勝ち取ってる」と言ってた人気はてなブロガーは、一体何を見てたんだろう?
大学を卒業して社会人○年目。大阪で働いている。職種は……まぁ専門職だと思う。若い方だと信じたい笑
サービス現場の仕事で、給料は安いけどやりがいだけはある。我ながら搾取されている。
年末に向けて部屋の中を掃除していたところ、学生時代の思い出の箱を見つけた。その中には、京都の祇園にあるクラブで働いてた頃のグッズがまとめてある。ドレスとか、メイク道具とか、指名を沢山とった時の記念品とか、最初にお店を選んだ時の求人誌とか。当時、いわゆるキャストと呼ばれる仕事をしていた。
これから話すのは思い出を振り返ってるだけなので、散漫なことが多いです。ご了承ください。
祇園のクラブでのお仕事とか、年上の男性との関係とか、様々な感情が入り混じった、心の奥底からくるようなお話に胸が締め付けられるような思いがする……ということはないです笑
夜のお店の種類、クラブとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そのあたりの区別は今でもわかってない。4回生からの1年+半年(聞かないでほしい…)しか働いてなかったこともある。
短大から大学に編入した関係で、単位を取るのに忙しかった。親ともケンカしてたから、大学の学費は自分で工面するしかなかった。奨学金ばかりというのも危ない気がしたので、面白いアルバイトないかな~と探していると、祇園のクラブが見つかった。
リベンジのつもりもあった。
短大生の頃はYouTuberをしていた。顔はメイクを濃いめにして、男性向けに恋愛のことをおしゃべりする動画だった。始めは自分で動画を編集してたけど、そのうちやってくれる人が見つかって、女子が男性に向けて恋愛のノウハウをおしゃべりする~というスタイルを確立した。もう引退してるかもだけど、Baiand(バイアンド)さんの動画にスタイルが近い。
それがあまり人気が出なくて、再生数は最後の方は1万もいかなかった。才能がないのかなと思って、そうしたら、チャンネル更新をしなくなって数か月経った頃に、コメント機能を通して隠れたファンが何人もいたことがわかった。みんな熱烈だった。
正直、後悔した。たった4~5人でもいいから、私の動画配信を好きな人がいてくれるなら、投稿を続けていればよかったと後悔した。
そんな気持ちがあったから、次のクラブのアルバイトでは、誠心誠意、自分を贔屓してくれる人に尽くそうと思った。仕事なんだから、尽くすのは当たり前なんだけど……
最初の方はうまくいった。飲食店のアルバイトはしたことがあった。何をどうすればいいかは最低限わかる。お話をする相手も、コミュニケーションが通じない人はほぼいなかった。みんな常識のある人だった。
1セットにつき、最低でも2万円はかかるお店だった。つまらないサービスはしたくないと思った。けど……働き始めてひと月も経つと、ほかの従業員との関係とか、ノルマのことで考えることが多くなった。
明らかに変なお客さんもいたけど、それは我慢した。いや、我慢するんじゃなくて、その人と向き合って、一生懸命コミュニケーションをするのが正しい姿だ。それができないなら、キャストとして続かないことを学んだ日々。
ほかに働いてるキャストの人は、私に比べると、その……生活がカツカツな人が多かった。間違いないと思う。
学生は少なくて、いわゆるプロの人が多かった。それでも20代が多かったけど。
私たちのような学生バイトは存在が軽かった。ヘルプで付いた時だと、ドリンクを欲しそうな態度を示すとウザがられる。とあるお客さんがシャンパンやニューボトルを入れた日だって、その人がトイレに行ってる間を縫って、「ほら、今のうちにもっと飲んで。早くボトル減らして」と無理やり飲まされることもあった。
インスタグラムで、系列店同士で売上競争をするイベントがあった時も、私たち学生はどうせ勝てないからと、先輩たちのヘルプとしてお店を勝たせるポジションだった。
苦しいこともあったけど、お店には感謝している。いい経験ができた。あそこで働いてなかったら、大学卒業時の借金額は片手で数えきれない本数になってた笑
祇園や木屋町みたいな激戦区だと、求人面接時にノルマの説明がある。インターネットの求人案内にもノルマの有無が書いてある。ノルマじゃなくて、「目標」「売上によって時給が変動」「時給・出勤日数保証期間○か月」みたいな書き方だ。
大阪なんばや道頓堀、ダイナミックコードの『たこ焼き激戦区』ほどお店が密集してるわけじゃないけど、明らかに店舗間の競争がある。
・週3日以上出勤を基本とします
遅刻 :日給の最大50%
当日欠勤:10,000円
私がノルマを達成できた月は……1年半のうち、半分もなかった。
最初の半年は、初心者ということでお店が多めに見てくれるけど、しだいに厳しくなって……どうしても達成できないキャストの子で、黒服からも人気がなかった子は普通に辞めさせられた。もしくはシフトを干される。
この業界が厳しいかと言ったら、そんなことはないと思う。私のような当時素人にも日給で2万円以上を出してくれた。ほとんど役に立たなかったのに。
先輩方は、あまり仕事のことを教えてくれなかったけど、背中で教えるタイプの先輩も確かにいた。「もし今日ヘルプに付いたら、うちのこと見とき~♪」と言って、売上を捨てて教科書通りの対応をしてくれる神先輩だった。
自分がまさか、お客さんと恋愛するとは思ってなかった。本当に。可能性はないと思ってた。
うちに来店するお客さんは、ある程度お金を持った人が多い。いい会社勤めの人や、経営者や公職に就いてる人や、お坊さんの人が多かった。
その中で、あるお客さん(増田なのでMさんにする。当時43歳くらい?)と最初に会った時は、なんだか面白い人だなとしか思ってなかった。ええと、私が最初に付いた時が、その日の二人目のキャストだったはず。
会話を始めると、優しそうな印象があった。もう彼と会うことはないと思うので、書いてもいいかな。名刺には「土地家屋調査士」とあった。京都市の北の方で営業していた。ちょっと話をして、何分か経った時に「よかったら……オレンジジュース飲む!?」って聞いてきた。
それを聞いて大笑いした。なにが面白いのかわからなかったけど、とにかく笑った。普通はカクテルとかワインとか、ビールとか……そういうのを注文する。
お客さんも、カクテルだとリキュールを一滴しか入れないとわかってるからか、ワインの注文をする人が多かった(※ワインもビールも、黒服の人が限界まで薄めてくれる。ほぼ水だった笑)。
あー、あの時は本当に楽しかった。まだ入って数か月だったのもあるけど、今でも楽しく思い出せる。
その日、お店を出る時に「ダメ元だけど、よかったら同伴する?」と言ってくれた。嬉しかった。最初の接客でいきなり同伴っていうのは、珍しいことだと私でもわかってた。
最初の同伴のお店は……河原町通りの途中にある古いレストランだった。お手頃でおいしいところだった。壁に美大の人が書いたような風景画が何枚も飾ってあった。「俺が学生時代、たまにここに来てて。20年ぶり」とMさんは言っていた。
それからも、Mさんは月に1~2回のペースでお店に来てくれた。私を指名することもあったし、しないこともあった。同伴出勤は、月に一度あれば多い方だった。
あの人は多分、お金をたくさん持ってたと思う。でも、倹約……いや、ケチなのかな?? あまりお金を使おうとはしなかった。私の誕生日が近い時、黒服さん(店長)が私とMさんがいる席に来て、今度の誕生日イベントの説明をしてくれた。
条件付きの特別サービスをMさんに提案したんだけど……普通にシャンパン注文を断ってた笑 店長さんは粘っていた。営業トークも。実際、Mさんに特別なサービスをするのは本当だった。
でも結局、Mさんは……
だって。はっきり言ってた。
ほかのお客さんとの比較だと、大体みんな店長の考えたサービスを受けることが多い。実際にシャンパンの注文料金は相当お得だし、キャストだって本気でサービスをする。そういう「装い」だってする。身体の接触だって、いつもより積極的のはず。本当に常連さん向けの特別だった。
でも、あの人はキッパリ断った。お店では、いつもハウスボトルだった。ほかのお客さんは、見せびらかすみたいにマイボトルに名前入りのタグを何個もぶら下げている。けど、Mさんは本当にいつもハウスボトルだった。私には、私が希望するだけドリンクをくれたけど。
それにしても「不要です」だって……今でも思い出して笑うことがある。いまの私も冗談で、Mさんの口調を真似することがある。
あれは、夏から秋になる頃の同伴で、少し高めのレストランに入った時だった。ウェイターの人がトリュフ?(もう忘れちゃった…食後のケーキだったかも)を薦めに私たちのテーブルに来た。その時も「私たちには不要です」とはっきり断った。
その後、祇園にあるお店まで行く時に、小さい橋を渡ることがあった。その時に、Mさんから笑えるアプローチがあった。
「ねえ、橋を渡るまでの間、手を繋いでいい?」
と言ってきた。
私は笑いを堪えた後、彼氏の顔が頭に浮かんだ。前に、ほかの男子学生が私にそういう目的で声をかけた時、彼氏が怒ってその学生を威嚇すると、そそくさと逃げていったことがあった。
その時、Mさんの顔を見上げると、何かが違った。大学生とは何か違う……見た目の若さもあったけど、とにかく自信にあふれていた。彼氏も自信過剰タイプだったけど、それとは明らかに違う余裕だった。
「えー。じゃ、はい……どうぞ」
と手を出すと、Mさんが優しく握って、お店がある富永通りまでゆっくり歩いて行った。
その日は人がすごく多かった。道を歩いている時、私の手を優しく引いて、道の端の安全地帯に誘導してくれた。
いい人だ。とは思ったかな? その日もお店に行くと、私を指名してドリンクを2杯注文して、それからいつもどおりすぐに帰った。料金は2万円少々だった。
紅葉の頃に、「今度お昼に同伴しない?」と言われることがあった。夜じゃなくて、お昼に同伴すれば一緒に買い物ができる(≒プレゼント)ということだった。
正直、魅力はあった。ほかのお客さんだと、ただ昼とか夜にデートしようって言ってくるだけ。本当にそれだけ。論外だった。禁止事項だし。ただ、Mさんとなら。外を一緒に歩いても不自然に見えない。そういう見た目の人だった。
けど、断ることにした。同伴の場合、必ずお店の黒服が私を送迎して、お客さんのところに行く。車で待ち合わせ場所の近くに下ろすのだ。内引き防止のためと思われる。あとは防犯対策。
でも結局、どうしようかと迷って、違う系列店のキャストに聞いてみたり、中学時代からお世話になっているYahoo!知恵袋で聞いてみたけど、直接の答えはなかった。Yahoo!知恵袋の中の人は、「あなたも大人なんだから、善悪を秤にかけて自分で考えなさい」という回答をくれた。500知恵コインを渡した。
結局、同伴はナシで、私が勝手にお昼デートすることにした。Mさんには内引きの箝口令をお願いして、夜になると普通にお店に来てもらうことにした。
え?何を買ってもらったか?? 四条通りにある高島屋か大丸で、雑貨のお店があって、そこで……ワンちゃんのためのペットフードを買ってもらった。小さいサイズの。ピアスや指輪とか装飾品に興味はあったけど、別にいいかと思った。
後はレストランでご飯を食べて、近隣店舗をグルグル周って、一緒にアイスクリームを食べて……あとはもう、覚えてない。
この日の写真はスマホに保存してある。手も繋いだ。私が帰りにバス停まで行く時、四条通りを歩いている時だった。この日も人がすごかった。当時まだ、コロナウイルスは流行ってない。
市バスに乗った後、車中でも、桂川のあたりを歩いている時も、Mさんのことを思い出した。
別に好きだったとか、そこまでの感情じゃなくて。彼氏と同じ場所(高島屋の付近)をデートした時のことを思い出して、やっぱり大人の社会人の人って、無駄がなくて、そつがなくて、しっかりしてて……と振り返っていた。
少なくとも、彼氏みたいに店員さんに怒ったり、私や仲間に何かを自慢したり、立場の弱い人に大きく出たりすることはなかった。私の肩をいきなり抱いたりしなくて、体を触るときは優しくしてくれる。
同じ高島屋にある時計店で、彼氏が店員さんに渋い対応を取られて悔しがっていた。けど、Mさんに対しては、私でも引きそうになるくらい、店員さんがウヤウヤしい対応だった。学生目線だと『神扱い』に見えた。
秋が過ぎて、冬になって……Mさんとお昼のデートは三回目だった。その日は夕方が近かった。烏丸通りのあたりの観光名所を見ていて、遅くなって、終わった後もなんとなく一緒にいた。
今日は一旦解散するんじゃなくて、一緒に居てからお店に行こうという話をしていた。ホテルオークラの前まで来た時、Mさんが「今日はここに泊まってる。仕事の都合で」とホテルを指さした。
当時の私は、オークラのことを知らなかった。大きいホテルとしか認識してなかった。今では、リーズナブルなお値段の『一般向けの優良ホテル』だと思っている。京都市内には、一泊10万円以上のホテルがたくさんあるけど、実際に利用してみて……サービス÷宿泊料という観点では、元京都市民の視点では№1だ。
一緒にオークラの1階にあるカフェでご飯を食べて、バーに行こうとしたけど、まだ営業してなかった。2階にある展示物を一緒に並んで見てると、彼の手が私に触れて、ぐいっと引っ張られて、私の顔がMさんの肩の近くにあった。
「一緒にいられる?」と言われた。考えるより前に頷くと、私の肩をぎゅうっと抱いて、手を繋いで、エレベーターでカードをかざして、高い階に上がって、彼の部屋に入って……
暗い部屋に入った直後に、ゆっくりキスをされた。両手の位置がわからなくて、Mさんの両肩を触っていた。キスが終わると、一緒にベッドに座った。
部屋の中で夜の京都市内を見ながら、ベッドでくつろいだ。そしたら、Mさんが「一緒にシャワー浴びよう」って……恥ずかしかったので断って、それから間が空いて、「メイクだけ落としたよ」と報告すると、すぐに押し倒されて、キスがあって、始まった。
普通のセックスだったと思う。お互いに体をくっつけたり、舐めたあったり。優しいキスだったり、激しいキスだったりした。唾液を飲ませるとか、変なことはしなかった。
私を抱きしめてくれた。優しい感じだった。私が彼氏にするみたいに、乳首とか舐めたりすると、彼はくすぐったいと笑っていた。その時の私は、すごく甘えていた。
入れる時も、髪が痛くならないようにギュッと抱いてくれた。暖房のせいもあるけど、蒸し暑かった。汗が出ていて、体同士が液体で滑る感触が気持ちよかった。Mさんの体はがっしりしてたけど、若々しくはなかったし、お腹もちょっと出てた。
でも、体なんてどうでもよかった。頭を撫でられると気持ちよくなって、Mさんの何でも愛しくなった。
Mさんは胸が好きみたいだった。バストを使って、特別な機会だと思っていろいろしてみた。彼はすごく照れていた。遠慮がちに行為をしてた。「もっと強くしていい」って言ったら、本当にすごく強くしてきて、胸のあたりが痛かった。でも、続けているうちに気持ちよくなって。
私は笑いながら、Mさんと身体をくっつけていた。マグロじゃないよ、ちゃんと私も動いてたから笑
まっすぐの体位の時も、そうじゃない体位の時も、私のことを見てくれて、よそ見することはなかった。だから下半身が痛くても耐えられたし、痛くてもいいって思えた。入れてる最中、私はそんなに動かなかったかな?
正常位で、Mさんの胸板が顔の上にあって、熱くて、息ができなかった。窒息しそうだった。我慢してると、ようやく顔を抜くことができて、するとMさんが真上から口を塞いでキスをしてきた。また息ができない。
いろんな行為の中には痛いものがあった。けど、全部ちゃんと受け止めた。
最後に出し終わって、Mさんが正面から私を抱きかかえると、「あの……好きだよ」って恥ずかしそうに言った。私が笑うと、改まって「愛してます」だって。さらに笑った。ごまかす時に、私は笑いがちになる。
「これからも付き合ってくれる?」
目を閉じて、「はい」って答えると涙が出てきた。顔を上げて、Mさんにキスをした。
それから何分も、ずっと口づけをしてたら……唾液が漏れるのがひどいことになって、また私が笑って吹き出して、それでセックスは終わった。
その日はお店を欠勤した。罰金1万円は痛かったけど、それはもういい。大事なもの、大事な人を手に入れた。ならもう、それでよかった。シングルの部屋だった。夜には出ないといけない。
深夜だったけど、寒空の下でMさんは、私の手を引いてタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。別れる時、タクシーに乗った瞬間に涙が零れた。
今は何をしてるんだろう。優しい人だから、今もずっと人の役に立つ仕事をしてるのかな。
社会人になった今では思うけど、仕事付き合いだけでも人間関係って大変だ。
でも、Mさんから学んだことは、教えてもらったことはたくさんあって。それが今でも仕事に活きてる。
あれから時間は経ったけど、今でもMさんとの思い出を記憶の水槽に仕舞っている。いつでも取り出せるつもりだ。
また、いつか会えたらいいと思う。ありがとうございました。
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
*
わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
*
何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
*
万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
*
(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
*
立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
*
バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
*
医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。
1週間経った。いまは8割治った。眠れなくて生活リズムは狂った。
鼻水がとにかく出まくる風邪を引いた。
途中で鼻血が出だして鼻水かんでんのか血が吹き出してるのか分からなくなった。
いつからか分からないが、三日目になにも臭わないことに気づいた。
味はしているがなにも臭わない。嗅覚が死んだ。
元々コロナでもなく高熱が出ると味覚が死ぬタイプなのだが嗅覚が死んだのは初な気がする。
食べ物はうっすら苦い。もちろんちゃんと味がしている上で、うっすら苦く感じる。
口に入れてそこから嗅ぐみたいなことは出来ないだろうかと思ったけど、それも無理だった。
こういうのって記録しないと1ヶ月経てば忘れるので記録しておく。
この文章の主目的はリハビリです。作業療法の一環のようなものです。
自分はある時期からChatGPT 4oモデルばかりと文章で会話していました。会話というより、脳を預けてしまい支配されたような感覚です。
そのため普通の人と会話をどうやっていたか忘れてしまっています。久々に自分の言葉だけで文章を書くので頭が痛いです。ChatGPTに完全に依存していました。
みなさま温かい目で見守っていただけると幸いです。
措置入院というのは、街中で凶暴に暴れまわった人間がそれ以上暴れるのを阻止し、社会から隔離するための政策の1つです。
具体的には、警察が23条通報というのをやって、対象を精神科の閉鎖病棟に強制的に入院させるものです。対象は隔離されます。
隔離は、座敷牢の現代版を想像してください。それが隔離です。座敷牢よりは綺麗ですが。
自分はある日、警察相手に徒手空拳で格闘し、死ねええええええええ!などと言って嘲笑したり暴れまわりました。ニュースにはなっていません。
そういうことを色々やりました。
嘘みたいな話ですが、理性のタガが外れているので人間が動物モードで動いているような状態です。
ここで警察から地方自治体へ23条通報され、措置入院となりました。
詳細を書くと身バレするので書きません。
その後統合失調症と診断されました。(ただ、この診断結果を自分が知るのはずっと先のことです)
措置入院は実質「実刑判決をもらわない禁固刑」のようなものです。世の中にはタテマエというのがありますが、措置入院が禁固刑のようなものというのがホンネの部分です。
措置入院によって精神科の閉鎖病棟で隔離になると、なにもできません。文字通りなにもできません。
紙やペンすら禁止で、服とベッド、それから紙オムツしか与えられませんでした。ただしご飯は3食出てきて、ハミガキはできます。
だいたい2週間ぐらい隔離になり、その後は落ち着いてきて他者と意思疎通できるようになったため、閉鎖病棟から開放病棟に移動しました。
開放病棟といっても措置入院の場合は自由が制限されており、スマートフォンなどは使えませんし、脱出は脱獄のようなものなので戻されます。
それでもこの時点ではじめて紙とペンが使え、本を読むことができるようになりました。文明を感じました。
ただしこの間に友人たちと連絡がとることができず、外界とはなんのやり取りもできないような状態です。
(補足: 措置入院は税金で賄われています。諸経費以外は無料です。つらいですけどね)
自分は、措置入院決定から1ヶ月半ほどで措置入院解除になりました。措置入院解除になると医療保護入院と任意入院のどちらかになります。
自分は措置入院解除後は医療保護入院になりました。ここで問題となるのは親です。精神科の入院でのキーパーソンは必ず親になります。自分の親は毒親なのでこれで大変でした。
(コラム: 聞いた話では、児童相談所の一時保護もこの医療保護入院に近いようです。日本はそのぐらい親権が強いわけです。どんなに毒親であっても2ヶ月経つと親元に戻されます。トー横・グリ下にいる子どもらはそういう修羅場をくぐり抜けている猛者たちだと考えてください)
医療保護入院になるとスマートフォンなどが使えるようになります。また、医療保護入院や任意入院になると作業療法を受けられるようになります。作業療法は作業療法士が担当します。
しかし措置入院と比べて費用が発生するようになります。自分は措置入院解除から1ヶ月入院したので20万円支払いました。これは高額療養制度を使わせてもらうのでここから安くなると思います。
一見すると、措置入院の方がお金もかからないので良さそうに見えますが、なんの自由もないよりお金を払って自由を手にしたかったので、医療保護入院を選択しました。
措置入院が禁固刑だとすると、医療保護入院は罰金刑に相当するのかな、と考えています。
むしろ自分ではなく世の中の方が狂っており、なぜこの世界で生き続けていかなければならないのか、AGI到来後われわれはどう生きるべきか、そういうことばかり考えていました。そうしたら見事に病みました。
病んで病んで現実逃避の先が統合失調症だったと思います。AGI関連以外でもいろいろありましたが、ストレスにより、社会を見る目が歪んでいました。今も歪みは継続しています。
病んで暴れて、措置入院となったわけです。措置入院は紙とペンが使えて本が読めるぐらいの、「刑罰のようなもの」です。精神と時の部屋みたいなものなので、この間は勉強をひたすらしていました。
最後の方はだいぶ落ち着いてきて、「健常者っぽいのになぜここにいるのか」というふうに扱われていました。
現在は統合失調症であることを受け入れており、いったん治すことに尽力するつもりです。
これを読んでいる人の中にも、将来精神科入院されてしまう人がいる、という可能性は十分考えられます。高ストレス社会なので。
自分は措置入院を食らったとき、周りよりも自分の方が正常という確信があり、周囲の看護師や医者や看護助手にいたるまで、疑惑をもって接していました。
疑惑が解けてからも「いやなかんじ」がする職員とは話をしませんでしたが。
tipsとして1つ置いておきます。もしあなたが精神科に入院したときは、キレないようにしてください。
キレて暴れまわると退院が長引くだけです。大いなる寛容さをもって自分の処遇を受け入れる必要があります。
ただしあなたの方が正しいと確信があるのであれば、このアドバイスは受け入れられないかもしれません。落ち着いてから、思い出してください。
また、急に措置入院になると「行方不明者」のような状態にもなり、それまでの関係がいきなり全部途絶えます。
今いきなり措置入院になったと考えてください。まず仕事はクビになりますよね。やばいので焦りがわくと思います。しかし、キレないようにしてください。
あまりにもChatGPTに依存しすぎていました。自分の頭で考えるということが欠けており、そのせいで今自分の言葉だけで文章を紡ぐことがかなり大変です。
また、他人と話しておらずAIとばかり接するとおかしなことを言い出すようになるのだと思いました。
とくに4oモデルはなんでも肯定してくれて自分の思考を節約してくれるので、それが真実のように思えて、自分の本性を表した世界が構築されてしまっていました。
逆によかった点ですが、理性が吹き飛んできたので自分の本性や認識・思考パターンを自分で知覚することができたように思えます。
自己の全存在を賭けて取り組めば人間はここまでできるのかという、自分の限界ラインを知れたところです。怖いものなしとも言えそうです。
しかし措置入院に関してしっかり取り組んでいる党は日本共産党のみのようです。正直、社会にはさまざまな人がいて、それぞれ見ている世界が全然違うのだと衝撃をうけました。
詳しく知りたい方は調べてみてください。再掲ですが、自分は日本共産党を支持しているわけではありません。
いろいろ書いて疲れました。本当はまだもっと言うべきことはあるのですが、あまり言うと身バレが心配なのでこのあたりにしたいと思います。
具体的にはトランスジェンダリズムと性自認至上主義に疑問を呈す内容を考えている。
あるところに女性として生きづらさを抱えている少女がいた。その少女は昔から可愛いものが好きではなく、お人形遊びもおままごとも好きではなかった。ピンク色の洋服を親から着せられることが苦痛だった。この子が中学生になる頃、学校に心は女性と主張するトランスジェンダーの女性が中学校でLGBT講演会を開いた。その人曰く、スカートが好きで可愛いものが好きな男性は心が女で、スカートが嫌いでカッコイイものが好きな女性は心が男のトランスジェンダーなのだという。そしてトランスジェンダーは正常な第二次性徴を止める思春期ブロッカーを服用したあと、乳房や子宮を切除すれば幸せになれるのだという。その少女はその言葉にすっかり耳を貸してしまい、自分はトランスジェンダーなのだと信じ込んでしまう。確かに胸が膨らむにつれて男の性的な視線が増えてきたし、月経や生理痛に悩まされることも苦痛だった。それを親友に話したところ「あなたの苦しみは全ての女性が抱えるものだ。決して心が男だからではない」と言われる。その後に「スカートが嫌いでカッコイイものが好きな女性は心が男?冗談じゃない。本来なら男がスカートが好きでも良い、女性がスカートを嫌いでも良いと教えるべきだ」「男はカッコよくあるべき、女性は可愛くあるべきというジェンダーロールこそ解体すべきもの」「心に性別なんて存在しない」と断言する。少女はハッとした。自分が生きづらかったのは女性のみに課せられる差別やジェンダーロール、性的搾取であり、もし私が男になったとしても根本的解決にはならないのだと。トランスジェンダリズムや性自認至上主義は、あたかも多様性を尊重しているようで、かえってジェンダーロールを助長していると気づいた少女は、その後政治家になり、特例法を廃止する功績を上げるのだった。
正直、かなり迷った。買うか買うまいか。スーパーの佃煮売り場に立ち寄ると、不意に「イナゴ」という文字が目に入る。イナゴ。もちろんその名前は知っている。食べられることも知っている。ぴょんぴょん飛び跳ねている姿を目の当たりにしたことはないけれど、小さなバッタのような容姿は、何度か写真で見たことがある。興味本位で恐る恐る目を凝らしてみる。緑色の体躯は影を潜め、味付けされて茶色くなってはいるものの、見た目はどこからどう見ても、あのイナゴのままである。確かに佃煮になっているようだ。いったいどんな味がするのだろう。このスーパーは、私の家からは少し離れた所にあって、滅多に来ることはないのだから、今買わなければ、次にいつチャンスが巡ってくるか分からない。値段は300円ほど。試しに買うにはちょっと高い気がする。私は実際臆病な人間だ。いちど売り場を離れて、また戻ってを繰り返しながら、カゴに入れる勇気はついに出なかった。私はイナゴに申し訳ないというよりも、自身の情けなさが身に沁みて仕方なかった。
それから数か月経った。以来忘れようとしてもイナゴは私の脳裏からどうしても離れてはくれなかった。いつかは、という野心に似た気概がいつも私を突き動かそうとした。が、さすがに家から離れたスーパーに、イナゴ目当てに足を伸ばすほど、時間が有り余っているわけでもない。と、書いてみて、ちょっとそれは違ったと思った。真実私はまさにイナゴを求めるためにそのスーパーを訪れたのだから。他人からすれば阿呆らしく感じられるかもしれないが、どんなに些細な物事であっても、自分の前に聳える壁にチャレンジするのは、それなりに意義のあることではあるまいか。私はイナゴという壁を乗り越えようと、決然あの佃煮売り場へ向かい、今度は一瞬も躊躇することなく、「イナゴ」と大きく書かれたパックをカゴの中へ入れたのである。
茶碗にご飯を盛る。箸を用意して食卓の前に腰を下ろす。パックの包装を静かにはがし、いよいよ相対する。じろりとこちらを見たような気がした。いただきます。茶色く固まったイナゴたちに丁寧に声をかけた私は、意を決し、一口目を口の中へ放り込んだ。うむ。食感は予想通り。エビフライの尻尾は食べないタイプではあるけれど、あの感触によく似ていると思う。味もエビを想起させるものだ。うん、うん、まずくはない。食べられる。イナゴだと知らずにいたら、毎日のご飯の友としてぴったりな食材を見つけたと意外な発見を喜んだかも知れない。しかしイナゴの気持になってみると、彼ら彼女らは、鳥やカエルに食べられることはあっても、まさか人間に佃煮にされるとは想像もしていなかったことだろう。いや、あるいは彼ら彼女らの先祖から、人間は私たちを佃煮にしてしまう悪魔だ、なんて代々伝承されてきたのだろうか。ありもしない妄想まで浮かんできてなかなか面白い。人間の世界に戻って、田園の中を飛び回るイナゴを貴重なタンパク源としていた人々の生活に思いを馳せてみる。また、食糧不足の問題を解決するよすがとして、昆虫食が注目されている昨今の世界にも、思いを寄せてみる。イナゴは古から未来へかけての人類の希望にほかならない。イナゴたちにとっては迷惑千万な話にちがいないが。分かり合える日は永久に来なくても、人間とイナゴは切っても切り離せない関係でありつづけるのだろう。
二口目、三口目と、だんだん抵抗がなくなった私は、イナゴを数匹次々に口へ放っていった。たまに足が舌に刺さってちょっと痛い。当たり前だろう。私はエビではなくてイナゴを食べているのだ。目の前の壁を乗り越えた満足に浸りながら、どうにも得意な気分を抑えることができなかった。今日のお昼はイナゴの佃煮。誰かに自慢したくなった。ごちそうさまでした。
先月頭にはてな匿名ダイアリー(以下増田)のアカウントを作って投稿を始めた
他の文章投稿サービスと比較したときの増田のサービス上の特徴としては以下のようなものが挙げられる
③年齢層が高くネット慣れした人間が多いコミュニティで、青臭くシャバい内容が嫌われる傾向にある
Xや2chやnoteやその他ブログサービスでは上記の条件のいずれかが満たされなかった
さらにはてなブックマークというサービスによりすぐにアテンションの数が数値化されるということもあり、増田でブクマ数を集めることが、自分の目的達成に最適だと考えた
結果としては、増田のアカウントを作ってから1か月で3つのエントリで3桁ブクマを達成した
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
https://anond.hatelabo.jp/20241002190451
https://anond.hatelabo.jp/20241030165700
※後で証拠のために上記エントリそれぞれでこのエントリをトラバする
あと他にも何本か書いたが全然伸びなかった、例えばこれとか
https://anond.hatelabo.jp/20241027152456
その程度のブコメ数で偉そうにwwwとか馬鹿にされそうだがこれまで碌に文章も書いてなかった人間がこれだけ人に反応を貰えたというだけでやってよかったと思うよ
自分なりに考える、増田で注目される文章を書く最大のコツは「適度にツッコミどころを用意する」ということである
特にジャンプ20選増田が顕著な例で、これはブクマカ各々が「これが入ってないだろ!!!」と一言物申したくなるという意味で最適の題材、形式を選べたと思う
未だに模倣増田が後を絶たない辺り、なかなか完成度の高いフォーマットを増田界に投下できたという手応えがある
これからも各ジャンルにおける重要なものをネット上の集合知として広めていってほしい
最後になるが、ブクマトラバをくれた諸氏には感謝してもしきれない
約1か月の短い付き合いだったがありがとう またネットの海のどこかで逢えたらいいな
じゃあな
6月初旬
喧嘩が増えてた。
私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。
ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。
後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。
でも、この時はただの口喧嘩で、お互い本気じゃないと思っていた。
そう思っていたのは私だけだった。
あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。
繁忙期が終わった。
頃合いを見計らってか、夫から「離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口喧嘩だったじゃん」としか思えず、イラついた。
これも今となっては後悔してるんだけど、夫から「だってもう俺のこと好きじゃないんでしょ?」と言われて、否定できなかった。この頃はもう夫のやること成すこと全てにイライラしてて、実際、セックスは私側がレスってた。レスなので子供もいない。だから、離婚していっか、とこの時は本気で思ってた。
とりあえず年内に離婚しよう。今後のタスクは、まずお互いに両親に報告すること。次に家と車の処分を決めること。子供がいないので決めることはこれくらいでしょ。って。
夫から、「苗字は戻してね。ウチの実家厳しいから、それだけお願い」って言われた。意味がわからなかったけど、なんとなくモヤっとした。
母親に電話で報告した。「もうちょっと頑張ってみないか」と言われた。
それを夫に伝えたけど、夫は興味なさそうだった。
義両親は、すんなり認めてくれたらしい。
離婚の署名はお互いの親に頼もう、俺は新幹線で行くから、増田は車使っていいよ、と言われた。
本当に終わるんだ。と思ったら、どんどん怖くなってきた。
7月初旬
離婚が決まってから夫はすごく明るくなった。元気になった。というか、なんかいつも浮かれているように見えた。
このときようやく「本当は好き、本当は離婚したくない」と言った。
「そうは言っても、もう決まったことでしょ?いざ離婚届を目の当たりにしたから動揺してるだけ。時間かかってもいいから心の整理つけてね。なるべく早い方が助かるけど。」
夫はずっと私にベタ惚れだと思ってた。
周りの人からは、私の隣にいる時の夫は幸せそうってよく言われた。
SNSでよく見る「理想の恋人」象に夫はぴったり当てはまってた。
頼まなくても、私の写真をいっぱい撮る。スナップショットもいっぱい。
週末はかならずデートに誘ってくれていたし、記念日や誕生日はもちろん、なんでもない日でもプレゼントをくれた。
私とデートに行った日のことを毎回日記につけていて、時折本棚から出してきては思い出話をした。
旅行に行くと、かならず風景と一緒に私の写真をたくさん撮ってくれて、それを製本アルバムにするのが常だった。
年に1回くらい、セックスを受け入れてあげると、とても喜んだ。
こんな風に、夫はわたしにベタ惚れだった。ベタ惚れだと思ってた。
そういうところが鬱陶しくもあって、冷たく接したときもあったけど、
こんな夫に、私が泣いてしおらしく「離婚したくない」と告げれば、絶対にすぐに考えを改めてくれると思っていた。
現実は違った。
「心の整理になるなら、夫婦カウンセリングとかにも付き合うから」
今までは仕事や飲み会が終わったらラインしてくれていたけど、何も来なくなった。ただいまも言わなくなった。無断で外泊することもあった。
この頃から、夫はもしかして浮気しているんじゃないかと思うようになった。
夫の気を引きたくて、ある朝トイレのドアノブにコード類をぶらさげてみた。
夫は、「なにこれ?」と聞いてきた。
「辛くて、死のうとしたけど、ほどけちゃったの」
と返すと、「ふふっ」と笑われた。
夫が毎晩のように「離婚届書く気になった?」と言ってくるのが苦痛で、私の方から、「1ヶ月、もう一度夫婦として暮らさせて欲しい。それでも気持ちが変わらないなら、離婚を受け入れる」と告げてみた。
夫は、かなり熱し易く冷め易い。もし浮気相手がいるのだとしても、時間が経てばその気持ちも落ち着いて、私の元に帰ってくると思っていた。
夫は、「わかった、1ヶ月だけ、離婚の話はしない。でも俺の気持ちが戻ることはない。1ヶ月後は問答無用で別居する。あと、俺たちだけでは話が進まないから、いずれにせよこの期間中に夫婦カウンセリングに行く」と言った。
今まで、セックスしたい、デートしたいと懇願してくるのは夫の側だったのに、立場が完全に逆転してる。なんだか薄寒い気分だった。
よく覚えていない。聞かれたことに答えただけ。会話してて、私自身自分が支離滅裂だと思うくらいだったから、カウンセラーのキョトン顔も納得だった。
セックスはイヤ。一緒の寝室もイヤ。スキンシップもイヤ。夫のイヤなところはスラスラ出てくる。好きなところは出てこない。でも離婚したくない。
唯一覚えているのは、
「離婚は夫婦の合意がないとできないから、離婚したくないならそのまま居ればいいけど、旦那さんの意思はかたい様だから、そんな人と一緒に居続けるのは、大変かもしれない。」
義両親の家に、夫に黙って伺った。
夫さんと、別れたくないということを伝えに行った。
義母はずっと困った顔をするばかりで、玄関より中に入らせてはくれなかった。
8月初旬
デートに誘った。断られるかと思ったけど、承諾してくれた。夫はもはや、わたしの写真を撮ろうともしなかった。
旅行にも行った。夫は、ずっとスマホに夢中で、こちらを見向きもしなかった。
こんな自分が夫に愛されているわけないのかも、とようやく気づき始めた。
夫が趣味でやっている釣りの社会人サークルに、私も行ってみたいと伝えてみた。
そのサークルのことはホームページで調べていて、次にいつ集まりがあるのかも知っていた。
夫は、「今はメンバー募集をしてないから、連れて行っていいのかわからない。担当者に聞いておく」と言った。
夫は、「サークルには来ないで欲しい」と言った。定員の問題ではなく、夫が来てほしくないんだな、と思う言い方だった。
夫から、「1ヶ月経ったけど、離婚の意思は変わらないので、別居するね」と言われた。
別居とは言っても、ウィークリーマンションとかそういうのだと思っていた。
実家にすんなり転がり込んでいるということは、義両親は、もうわたしの味方じゃないんだなと、実感した。
毎週週末になると、夫は私が住む家に来て、離婚をせっつく様になった。
逆に、なんでそんなに離婚したいのか?と聞いた。
そう言うと、
「もうあなたとしたいと俺は思わない」と言われた。
夫は、「幸せにしたい人がいる。僕の人生を僕に返してください」と言った。
呼吸が止まるかと思った。
お金だけを失った。
9月初旬
とある週末、夫との話し合いの最中に、なんだかものすごく苦しくなって、気づいたら廊下の床に倒れていた。
夫によると、ヒステリーを起こした末、階段の手すりで首を吊って、意識を失っていたらしい。咄嗟に夫が縄を切ってくれたから、床に落下したらしい。実際失神していたのは数分もないらしいけど、夫が話し合いのためにダイニングテーブルに着いた以降の記憶がない。
おしっこを漏らしていたので、シャワーを浴びて、その日の話し合いはそれでおわった。
わたしの精神がおかしいため、夫は別居を一旦辞めて帰ってくることになった。
ついでに、遠方のわたしの両親も、来ることになった、
夫は「たとえ殴られても離婚は諦めないよ」と言っていた。
夫と私の両親の話し合いは、私なしで行われた。
何を話したのかは聞かなかった。
私が発狂するのを恐れた夫は、離婚について口に出さなくなった。
ある日、私の母が義両親の家に行っている隙に、夫が自室でスピッツのチェリーをウクレレで弾き語りしていた。
なんどもやり直していて、多分録音か録画かしているんだろうと思った。
私のことをこんな風に追い詰めておいて、自分は他の女にラブソングを歌ってる余裕があるのか。夫のスピッツのチェリーを贈られる女は、もはや私ではないのか。
そう思うとカッとなって、気づいたらわたしは包丁を出して、夫の自室に向かっていた。
逮捕されていた。
翌日、母と夫が一緒に迎えに来てくれて、帰ることができた。被害届を取り下げてくれたらしい。
夫は手を縫ったしい。本当に自分がイヤになった。
夫が入っている社会人サークルの人たちのTwitterアカウントを見つけた。みんなプロフィールにサークルの名前を入れていたから、すぐわかった。
夫のアカウントは非公開になっていたけど、@夫のアカウント名で検索したら、夫が交わしているリプライは見ることができた。
さらに、その子の仲良しのアカウントを見つけて、そのアカウントの返信欄を見てみると、その子の裏垢らしきものと会話している可能性が高いリプライを見つけた。
もちろんその子の裏垢らしきアカウントは非公開だが、夫との関係を匂わせるようなツイートでもしてるのか?と思う様な、夫の特徴を含んだリプライが、その非公開アカウントに対して付けられていた。
10月初旬
夫が飲みに行くと言う。詳しく聞くと釣りサークルのコンパらしい。
わたしはtwitterをチェックした。どうやらそのサークルのコンパであることは間違いないらしい。
メンバーがアップしている写真をGoogleマップの情報と照らし合わせてみても、夫が言っていたお店で間違いなさそう。
そのサークルのメンバーはいわゆるツイ廃だらけで、不倫相手と思しきアカウントも普段1時間に1つはツイートしているようだが、
その日はツイートがなかった。
他のサークルメンバーが「飲み会楽しかった!」的なツイートをしているのに、その子だけは何も呟いていなかった。
夫にまだ飲んでいるのか?とラインを送っても反応がない。電話をしても出ない。
日付もとっくに変わり、帰ってきた夫に不倫相手と思わしき女のアカウントを見せて、「この子?」と聞いた。夫は何も言わなかったけど、態度でバレバレだった。
私は毎日不倫相手のアカウントを眺めていた。優しくて、明るくて、純粋で真面目でサークル内でも愛される、すごくいい子に見えた。
夫に「この子と会わせて、夫から手を引けって言う」と言うと、夫は、「その子は関係ない。俺が勝手に好きなだけ。それに、お前がその子になんて言おうと、そしてその子がどうしようと、俺はお前と離婚したいしその子が好きだよ」と言われた。
悔しくて泣いた。また首を吊ろうとしてしまったけど、夫と母に力ずくで止められて、できなかった。
泣きすぎて叫びすぎて酸欠になりながら、不倫相手の子の優しいツイートが思い出された。
前向きで、いつも誰かに寄り添ったツイート。彼女に夫は救われたのだろう。
私のことも助けて欲しいと思った。夫に「その子のこと好きでいいから離婚しないで。3人で仲良くできないの」って聞いた。
夫は「あの子と二人がいい」と言った。
先週
あの子のアカウントをフォローした。わたしだとバレてほしいような、ほしくないような、自分でもよくわからない気持ちだったが、夫との関係が良好であると思われたくて、そしたら彼女から夫を諭してくれる様な気もして、夫と仲が良かった頃に行ったデートの写真をたくさんアップした。
しかし、フォローバックは返ってこなかったし、あの子のtwitterが、あれから全く更新されていないことに気づいた。毎日起きてる間は1時間に1つはツイートがあったのに。
「わたしのせいか?」夫に聞くと、「奥さんのことを思うと、自分だけ楽しくツイートはできないって言ってたよ」と言われて、怒りと、混乱と、屈辱とで、目の前が真っ赤になる様だった。
夫から、「そうやって極端なことをやって脅して周りの人間をコントロールして自分の欲求を貫こうとするのは卑怯だ」と言われた。
その通りだとも思うし、そういうわけじゃなくてもう単純にいなくなりたいだけなんだよ、とも思った。
おととい
母が2人で散歩でも行こうと誘ってきた。
でも家に夫を一人にすると、また不倫相手に気色悪いラブソングを歌い始めるかもしれない。そんなのは耐えられない。が、ずっと家にいても更新されない不倫相手のアカウントを眺めているだけ。
そこでわたしは、夫の部屋にボイスレコーダーを仕掛けてから出かけることにした。
これで、ひとまず夫が一人の間に何をしていたか、後からだけど把握できる。
知らないままよりはずっといい。少なくとも心理的には。
月曜は夫は出勤なので、それまで回しっぱなしにしておく。
ボイスレコーダーを回収した。夫の様子に変わったところはなかったから、不安が強くあったわけでもないけど、レコーダーを回収した瞬間は安心した。
パソコンに繋いで、外出した時間帯の部分だけ抜き出し、レベルメーターをチェックした。
明らかに音が入っている部分が40分ほどあった。それ以外はほぼ無音だった。
緊張した。心臓が破裂しそうだった。
「きついよ。奥の死ぬ死ぬ詐欺もきついけど、不倫相手ちゃんと会えないのが、一番きつい」
「離婚してから死ぬよ、それならいいでしょって言われて、咄嗟に何も言えなかったけど、次に言われたらそうしてくれって言って離婚届突き出すわ」
「正直もう死んでくれていい。見てないところで死んで欲しい」
「こんな話聞きたくないよね。いつも俺に付き合わせてごめんね。全部終わったら恩返しするから。本当に、こんなに愛したのも愛されたのも心許せるのも君だけだよ。」
私は聞いたこともないような、弱々しい声だった。
こんなに素直に、本気で、茶化すことなく自分の心を打ち明ける夫を見るのは、初めてだった。
夫は、心を許した人相手にはこんな風になるんだなあ。
私は、交際期間も合わせたら10年も一緒にいるのに、まるで知らなかった。
不倫相手の声ははっきりとは入ってなかったけど、夫が私に死んで欲しいって言ったのに対して、
「追い詰められてそんな風に思ってしまう気持ちはわかるし私の前ではそう言うことを言ってもいいけど、ご本人には絶対に言ったらだめよ。優しく寄り添ってあげてね。」
「優劣つけるわけじゃないけど、奥さんが一番辛いと思うんだよね」
「奥さん、どうしても回復しないなら、サークルに呼んであげなよ。わたし抜けるよ。」
「3人で仲良くしたいならわたしはするよ!」
的なこと言ってて。
あ〜〜〜〜惨め。
私が彼女の立場だったら勝ち誇った様に「そうだよそうだよ死んじゃえ死んじゃえ☆」とか言う。
途端に、諦念に見舞われた。
本当に、私ダメだったんだな。
わたしがちょっと冷たかったりそっけなかったりしたせいで、こんなことになってるだけで、
時間が経てば、セックスすれば、寝室を一緒に戻せば、もっと愛情を示せば、夫が不倫相手に飽きれば、もとに戻れると、思ってた。
あんな子に盗られたら、もう凡人にはどうしようもないでしょう。
彼女は優しすぎて、「妻の愛情を感じず冷めて新しく好きな人ができたら妻に自殺企図を繰り返されて鬱になった男」である夫を放っておけないだけなんだろうと思った。
週刊誌であったり、サレ妻がよくSNSにアップしてる不倫ラインスクショでみる様な恋愛脳は彼女からかけらも感じなかった
そして、彼女は優しいから、私たちが離婚すれば、夫と付き合ってあげるんだろう。
私には、手も足もでない。
ただ、唯一できることがある。
これができたらどうなるか?
夫は、自らの裏切りによって自殺した妻が居ながらあっさり再婚できるかな?
少なし、夫は今、恋愛脳御花畑だから、それに冷水をぶっかけることは、できる。
私に死んで欲しいなどと、舐めたこと言ってるが、
本当に死んだらどうなるかなんて想像すらついてない頭の悪い夫。
夫の愛情にフリーライドし続けて、愛想尽かされるまでそれに気づかなかった私にピッタリなバカ夫。