はてなキーワード: 乳房とは
性的な嫌がらせを受けたり性被害に遭った女の子達が、自分が女性であること・自分の女性の肉体に強い嫌悪感を持つようになったところでトランスイデオロギーに出会い、活動家やその仲間の医師から「男になればいい」だとか「間違って女性に生まれた男性なんだよ」と言われて勧められるままに乳房を切除して。
その後、手術の後遺症や心境の変化、異性にはなれないことを知ることにより、ジェンダー肯定医療を受けたことを後悔する多くの若い女性達が、トランスイデオロギーの危険性を訴えたり、活動家達に対し訴訟を起こしているのが現在です。
XGという、その筋では有名なガールズグループのメンバー、COCONAが乳房を切除する手術を受け、自らの性別をノンバイナリーであるとカミングアウト。これからはもう少し男性的に生きていく、というトランス男性的な立場にあることを示唆
これがフェミにとっては大地雷だったみたいで、Xではラディフェミが大発狂し、普段は男を叩いている彼女らが、女性として生まれた人を叩くという珍しい光景が観測されている
女を捨てることに「おめでとう」と言うな、というのが中心にあるみたいだが
普段、フェミって女性の体がいかに窮屈かとか言ってるから、正直、女性の体を脱することがここまでフェミの地雷だとは思わなかった
お産のとき、私は助産師さんに本当に命を救われたような思いで、神様仏様のように感謝している。
だからこそ、男性助産師はどうしても受け入れられない。受け入れたくない。絶対。
助産師の仕事には、子宮口の開き具合を確認するために何度も膣内に手を入れる内診がある。
私は初産の時は陣痛から出産まで12時間以上かかった。その間何度も何度も子宮口の確認を個室で受けた。
私もそうだったように、個室入院なら、通常こうした処置は密室で行われると思う。
私が出産した産院では、内診の際には付き添ってくれていた夫ですら部屋の外で待機させられていた。
妊婦は血や羊水を股から垂れ流しながら、壮絶な陣痛に耐えつつ、繰り返し内診を受けることになる。
そんな状況では、万が一のことがあっても抵抗などできるはずがない。
この問題は女性側の感情だけが語られがちだが、妻が男性助産師に密室で内診されるという状況に、夫側が抵抗を感じるのも当然だと思う。
私も痛みに何度も意識が遠のきそうになったが、助産師さんが優しい声をかけてくれたり、腰をさすってくれたりしたおかげで、なんとか耐え抜くことができた。
夫がいてくれた心強さはあった、けどやはり男性は出産の痛みや恐怖を完全に理解することは難しいと感じた。
女性は出産経験がなくても、同じ臓器を持つ「いつか経験しうる存在」であることで、安心感が生まれるのだと思う。
出産後も、母乳教室や授乳の場面で助産師さんにはお世話になった。
もし夜中の授乳室に男性助産師が当然のように入ってきて母乳指導を始めるようなことがあれば、想像しただけでゾッとする。
需要ない。
食事やストレスってがんの要因になるから小手先じゃなくて、普通に予防策なんやが…
他に「これさえやればがんにならない」っていう魔法みたいな予防策あると思ってるんだろうか?
例えば手洗いうがいは風邪予防に効くけど「そんな小手先のことやってられっかよ!薬一つで全て防げるようなやつを言えよ!あるんだろ!隠すなよ!」みたいな、そういう感じ?多分無理だよ現代科学じゃまだ無理無理
そういえばがんには遺伝要因もあるので、乳癌家系の人でがんになる前に先に乳房取ってしまう人もいたな。アンジェリーナ・ジョリーは遺伝子検査で乳癌と卵巣癌リスクが高いと出たためがんにならないために乳房と卵巣摘出してた。そういうのでいいですか?
アンジェリーナ・ジョリーは、遺伝子検査で乳がんや卵巣がんになるリスクが高いことが判明したため、まだがんになっていない健康な状態の時に、両方の乳房を予防的に切除する手術を受けました。これは、がんになるリスクを大幅に減らすための「予防的乳房切除術(乳房再建手術)」でした。
きっかけ: 2013年に、母親が乳がんを患い56歳で亡くなったことを受け、遺伝子検査を受けたところ、乳がん発症リスクが非常に高い「BRCA1」遺伝子の変異が見つかりました。
リスクの高さ: 医師から、乳がんの発症リスクが87%、卵巣がんが50%と診断されました。
手術の目的: 将来の自分をがんで失うことを防ぎ、子供たちと長く一緒にいるため、がんになる前の予防措置として手術を決断しました。
帰路についていた僕は途中に民家風の銭湯があることに気づき立ち寄ることにする、見た目は普通の昭和の一軒家、一階がすぐ浴室になってて明らかにめっさ混んでてうわっと思ってギシギシ鳴る階段を上がる、二階が待合スペース兼普通に老若男女兼用の脱衣所になってて避難所っぽい空気がありけどすごいなエロいなと感心する、恥ずかしいから隅の方へ行ったら正面が一面鏡張りの壁(ダンスレッスンみたいな感じ)になっていて、僕はそこでとりあえず服を脱いでいると僕の後ろで黒髪の女の子が半裸で開脚しててお股が丸見え、僕はガン見するしギンギン固くなっているしているペニスを隠さずに露呈している(すごい)、女の子がそれに気づいてニヤッと笑ってさらに股を大胆に開けたりタンクトップをまくって乳房を見せつけたり僕の股間に直接ふれたりしてからかってくる、「あれあれ?お兄さん?もしかして」とか言う、我慢汁ダラダラ、自然な流れで手淫をされてあえなく僕は濃い白い精液を放出する、女の子が満足げに笑ってふざけて小声で「おかあさぁーーん!」と叫ぶふりを始めて僕はオロオロする
そこで目覚めてしまった
またあの子に会いたい。。
腹立つ
じゃあ定型的に発達した女性は乳房が膨らむので、AAカップ以下は非定型ですね、非・女性ですね。女子トイレ使わないでもらえますか?エッ女子トイレはいるの!?もしかしてトランスジェンダー!?
定型的に発達した男性は陰茎が大きくなるので、7㎝以下は非定型ですね、非・男性ですね。以下略
俺もさあこんな皮肉言いたくないよ
でも性別とはグラデーションでございやす、とか言ってる人はそういうこと考えないでしょ
もし自分がそういうこと言われたら、みたいに考えてほしいよ
増田観点だと、どういう状況にあるのが理想ですか?無理に書く必要は無いのだけど、こういうのが良い、ってあったら教えて欲しい(フィクションでもURLでもいいです)私自身は本人が困らないと良いな程度の感想です
いわゆるジェンダーの議論において、性分化疾患が引き合いに出されないことが理想ですね
【緊急声明】「体の性のグラデーション(スペクトラム)モデル」は人権侵害です。
https://www.nexdsd.com/post/wearenotspectrum
ネクスDSDさんは、SNS上では色々あって何かと評判は良くないけど、情報や主張は信頼できる(少なくとも当事者には)
たとえばクラインフェルター症候群はXXYという染色体を持ってるけど、これは男性です
XXという染色体と、XYという染色体があって、XXYというのはその中間というか、グラデーションの中にある
けれど男性です
こういう感じで性の表現(染色体、精巣卵巣の有無、ホルモン等)がグラデーションの中にあっても、性別(男か、女か)は2つだけ
陰茎が7cmの人が「ペニスの小さな男性」であるのと同様に、XXY染色体も「Xが一つ多い男性」であるだけです
ジェンダーの多様性は大事だと思うし、もしかしたら自認によってトイレを分ける世界が将来来るかもしれないけど、性分化疾患は関係ないのでそこは絡めずに議論を進めてほしい
そういう思いを持っています
区切れます。少なくとも医学的にはわずかな例外を除いて区切れます
【追・追記】
そうだ
いまマガポケの『コウノドリ』の「Track70.性分化疾患」が無料で読めるので、興味ある人は読んでみてほしい
https://pocket.shonenmagazine.com/title/00897/episode/313511
あの脚本家が続投しそうな2期なんか誰が見るのか
ぼざろはアニメ化なんかしていなかった
そう割り切り吉田が関わった産廃は黒歴史にして改めて最初から作り直すべきではないか
https://i.imgur.com/lpExaXm.jpeg
左は吉田の介入によって「ノイズ」として改変されたデザイン、右が原作設定に沿ったデザインだ
右のデザインで作り直してほしい
女性の乳房が大きいことは恥ずかしいことではない、不当に胸を削った吉田案は女性差別とさえ言える
宇崎ちゃんやたわわのように、ありのままの巨乳のキャラデザであるべきだ
脚本家の炎上前から、放送時からずっと「なんでこんなデザインなんだ、おかしい」とみんなが違和感を抱き直してほしいと願っていた
偽物ではない本物のぼざろを作ってほしい
問題なのは、反トランスは「思春期の気の迷いさえリベラルがトランス扱いして手術を受けさせる」と騒ぐが、そんな事実はなく、思春期には時間をかけて自分が本当にトランスかどうか判断する時間を設けつつ、可逆的な範囲で性別移行を試しにしてみるという方策が取られていることだ。トランスジェンダー医療においてホルモン治療や外科的手術は慎重になされていて、むしろ慎重すぎて待機列が膨大に長くなり、本当に必要なのに治療を受けられず数年待たされる(その間に自殺する人もいる)というのが問題になっている。
未成年のトランスジェンダー医療においては、まず医療的措置はせず、学校等で当人の望む性別で振る舞うことを認めるなど、社会的な移行が推奨される。それで「やっぱり違う」となれば、簡単に元に戻せる。しばらく見て移行に満足しているようなら、次は希望する者に思春期ブロッカーが使われる。これは普通の子供でもホルモン異常で第二次性徴が早すぎる場合などには使われるものであり、一時的に第二次性徴を保留し、投薬をやめればスムーズに第二次性徴が復活する可逆的な治療だ。トランスジェンダー医療では、未成年にはせいぜいこのレベルまでの治療しか認めないのが標準となっていて、むしろ社会面での安定とメンタル面でのサポートがメインとなる。思春期ブロッカーは高額なのもあり、ここまで辿り着ける家庭も少ない。
いわゆるホルモン治療はこのあとに来る。数年の思春期ブロッカーの末に、希望する性別で暮らせると判断された場合になされる。MtFの場合には長年にわたる投与で生殖能力が失われることがあるが、FtMの場合には生理は止まるものの、治療をやめたら生理が復活する例が多く、たまに見かける髭の生えたおっさんが子供を出産して抱いている写真などは、そんなふうにして生理を復活させたFtMのものだ。
性別適合手術はさらにこのあとで来るものだが、未成年になされる例は世界的にもほとんどなく(受けられる年齢が高すぎるとキム・ペトラスが訴え、ガイドラインの年齢を引き下げさせた、という例などはある)、また大人でもそこまでは望まない人が多い。金額にしても200万ほどはかかるし、全身麻酔をしての手術となるので、貧しい人や持病のある人はそもそも選択肢と出来ないというのもある。また、FtMの場合は乳房除去(いわゆる胸オペ)のみで満足し、性別適合手術まではしない比率が高い(この点で、「子宮を取りたがる」みたいな見方も偏見に過ぎない)。
この現状で、「思春期だとセクマイだと思い込む人がいる」というロジックでトランスジェンダー医療を攻撃するのは、的外れな上に偏見を助長し、そして現状の慎重で限定的な医療さえ攻撃に晒す(実際、閉鎖に追い込まれたりしている)振る舞いだ。
この本の内容を肯定的に語るにせよ否定的に語るにせよ、こうしたバックグラウンドはすべて知った上で語るべきだろう。当事者やその家族は自分達の人生に関わることなので、大なり小なり知った上で発言をしている。なので、あの本を擁護した人々が責任を持ってきちんと学ぶ意志を示せているかが問題だと思う。
まだまだ残暑が厳しく、冷たいパンプキンスープのありがたみが身に沁みるような日が続いておりますが、サイゼリヤ様はいかがお過ごしでしょうか。
此度はお礼を申し上げたくこのようなお手紙を書かせていただきました。
「デートでサイゼリヤ」論争が下火になってもう随分経ちますが、未だ熱く疼いている火種が少しのきっかけで燃え上がりそうな気配を漂わせており、貴社の影響力の大きさを感じる毎日です。
私は女です。いわゆる私女だけどでございます。私女だけど、デートがサイゼリヤでも構わないのです。好きな人とならどこだって構いません。しかしこれは心の奥底に隠している本音であり、建前では「デートがサイゼリヤとかありえないよね」という意見を盾にして生きているのです。
私は本命にするような価値はないが一発はやってみたいと思われる、まあ言ってしまえばちょいブス巨乳でございます。ブスのくせに誰からそんなやりたいだなんて思われるのかと言いますと、モテない男性達すなわち弱者男性。「俺でもいけるか」と思える顔、一度は揉んでみたいサイズの乳房、どうせ彼氏もいないだろうし欲求不満なのだろうとアタックしやすい存在なのです。
そういう方々はまずはお食事に誘ってきます。大体は夜のお食事です。夕飯を食べて、少しお酒を飲んで、そのままホテルにしけこもうという考えです。
私は仕事が忙しい、資格の勉強が忙しい、という理由でそれらをやんわりと断っていますがそれでも日程調整をして食い下がる猛者がいるのです。
そこで私に緑の瑞々しい輝きを与えてくれるのが、柔らか青豆の温サラダ、もといサイゼリヤの看板なのでございます。
サイゼリヤは今までデートに適切か不適切かという論争でずっと矢面にたっておりました。その論争の果てに、社長や前社長が「サイゼリヤは普段使いする場所であって特別な機会には相応しくないかもしれない」と言ってくださったことは有名なお話です。その論争の末に我々の間には「デートにサイゼリヤを使ってもいいが別に相応しいというわけではない」という共通認識が育まれているように思います。
この共通認識!この共通認識こそが私を何度も窮地から救ってくださいました。
どこに食べに行きたい?と言われた時にサイゼリヤというと、これはデートであるという可能性を極限まで消し去ることができるのです。もっといいところに行こうと言う男性は稀にいますが、私はお金を割り勘したい派なので金欠の時分でも行けるところがいいと言うと黙ります。
そしてその中でもサイゼデート全然ありじゃんという猛者がいた場合、私はいざサイゼリヤに赴くことになるのです。しかし天下のサイゼリヤはここでも私を救ってくださいます。
私が頼むのはミラノ風ドリア。それ以外はお酒どころかドリンクバーも頼みません。300円であのボリューム、そしておかず+主食一体型のデザイン!私は即刻食べ終わり、美味しかったねお腹いっぱいだねと店を後にします。ここで渋る方はほぼいません。何故ならサイゼリヤは普段使いするタイプのレストラン。店内にわやわやと響く、学生のはしゃぐ声や家族連れの元気な声は、デートのムードというものをぶち壊してくれるのです。
更には金欠で割り勘派と話していたことが伏線となり、二軒目やホテルに誘われたとて金欠なので行くことはできない、と何とも愚痴や陰口にしづらい形でヤるのをお断りも可能。いえ、男性間の愚痴になっている可能性は充分にありますが「割り勘派」かつ「サイゼで喜ぶ女」という弱者男性とツイフェミが大好きな論点を残すことにより、こちらが完全なる悪者にならずに済むのです。
これがどれだけありがたいことか。私のような弱者女性にとってサイゼリヤの看板がどんなに神々しく光って見えるか。本日は何より感謝を伝えたいのでございます。
ありがとうサイゼリヤ。私は万が一好きな女の子とデートをすることが出来る機会を得たとしてもサイゼリヤを利用することはありませんが、その分一人や友達連れでたくさん行かせて頂こうと思います。その時は大好きな若鶏のディアボラ風と玉ねぎのズッパ、ドリンクバーでのモクテルを楽しむつもりでございます。
お前らは気づいてるか。
ワコールの調査によると、1980年代の日本人女性の平均バストサイズはB70だった。それが2020年には C75になってる。40年間で2カップも上昇してるんだ。
下着メーカーのトリンプの調査でも同様の傾向が確認されてる。1990年代と比較すると、D以上のサイズの購入者が30パーセント以上増加してる。
これは単なる偶然じゃない。明確な要因がある。
戦後の食生活の劇的な変化が、日本人の体型に影響を与えてる。特に動物性タンパク質の摂取量増加が重要だ。
1950年の日本人の肉類摂取量は年間3キロだったが、2020年には32キロまで増加してる。約10倍だ。牛乳の消費量も同様で、1960年の年間17リットルから、2020年には33リットルに倍増してる。
動物性タンパク質は乳腺の発達に直接関係する。特に成長期における摂取量の増加が、胸部サイズの大型化に寄与してる。
戦前の日本人の食事は炭水化物中心で、脂質の比率は総カロリーの10パーセント以下だった。現在は25パーセント近くに達してる。
脂質は女性ホルモンの原料になる。エストロゲンの分泌量が増加すれば、当然乳房の発達も促進される。西洋化した食生活が、日本人女性の身体的特徴を変化させてるんだ。
現代の日本人女性の初潮年齢は平均12.3歳。戦前は15歳前後だった。約3年も早まってる。これは栄養状態の改善と関連してる。
初潮が早まると、女性ホルモンの分泌期間が長くなる。結果として乳房の発達期間も延長される。これが胸部サイズの増大に直結してる。
また、成人年齢の上昇も影響してる。
昔の日本人女性は10代後半で結婚し、20代前半で出産してた。でも現在の初産年齢は30歳を超えてる。
妊娠・出産・授乳は乳房サイズに大きな影響を与える。これらの時期が遅くなることで、乳房の成長期間が実質的に延長されてる。
昔の日本人女性は農作業や家事で日常的に身体を動かしてた。筋肉質で引き締まった体型が一般的だった。
でも現代女性の多くはデスクワーク中心。運動不足により体脂肪率が増加してる。乳房は主に脂肪組織で構成されてるから、体脂肪率の増加は直接的にバストサイズの増大につながる。
遺伝的要因の変化も興味深い。
戦後の国際結婚の増加により、日本人の遺伝的多様性が高まってる。西洋系の遺伝子が混入することで、体型的特徴も変化してる可能性がある。
ただし、これは全体に占める比率は小さいため、主要因ではない。
環境ホルモンの影響も指摘されてる。
プラスチック製品や化学物質の普及により、エストロゲン様作用を持つ物質への暴露が増加してる。これが内分泌系に影響を与え、乳房の発達に関与してる可能性がある。
ただし、因果関係は完全には解明されてない。今後の研究が必要な分野だ。
現代日本では、女性らしい体型への価値観が変化してる。メディアの影響もあり、豊満な体型への憧れが強くなってる。
これにより、体型を強調する下着の普及や、美容整形の増加なども見られる。統計的な変化の一部は、測定方法や意識の変化も反映してる可能性がある。
同じ日本国内でも、都市部と農村部でサイズに差がある。都市部の女性の方が平均的に大きい傾向がある。これは食生活の違いや生活習慣の差が影響してると考えられる。
また、世代間格差も顕著だ。
30代以下の女性と50代以上の女性では、明確なサイズ差がある。若い世代ほど大型化の傾向が強い。これは成長期の栄養環境の違いが、長期的に影響してることを示してる。
国際比較も興味深い結果を示してる。
日本人女性の平均バストサイズは、アジア諸国の中では大きい方だが、欧米諸国と比較するとまだ小さい。ただし、増加率は世界的に見ても高い水準にある。
この傾向は今後も続くのか。
栄養状態の改善には上限がある。すでに先進国水準に達してるため、今後の劇的な変化は考えにくい。
一方で、生活習慣病の増加により、逆に健康志向が高まる可能性もある。運動習慣の改善や食生活の見直しにより、体型にも変化が生じるかもしれない。
お前らはこの現象をどう見る。
日本人の身体的変化は、社会の発展を反映してるのか、それとも問題のある変化なのか。
栄養状態の改善は喜ばしいことだが、同時に生活習慣病のリスクも高まってる。この変化をポジティブに捉えるべきか、警戒すべきか。
その事を報じる記事によると、小学生が「裸婦像を見ると恥ずかしくなる」と言ってるのだそう
だが、街の裸婦像、女の裸というには情報の欠如が甚だしくないかとも思うのだ
男性像、ダビデ像なんて特に丸出しであったりするが、女性像は陰毛すら備わってない場合がほとんどだ
乳房が大きさ相当に垂れてないのもザラだ
いったい、これのどこが裸の女性なのか?
いや、なぜこれで裸婦像として成立するのか?
裸婦像を見る時、我々は裸の女性を見ているのではなく、衣服を身に着けてない女性を見ているのだ
裸の女性を見ているわけでもないのに羞恥心を感じるのは、奇妙なことだ
ボディラインの点で言えばそこらを歩いている女性と大差がなく、むしろ下手な女性像と同じ程度に裸の情報を摂取できる格好をした女性がいるありさま
しかし、現実の女性の格好を論じる時、エロティシズムの点からいえば、ボディラインより肌の露出面積の方が重要視される
なら裸婦像はエロエロじゃないかということになるのだが、多くの場合、裸婦像は肌色をしていない
そして、ハイレグ水着のように肌の隠し方によってエロティシズムを際立たせる手法も存在するが、裸婦像は裸なのだからその手法は採れない
肌の部分をタイツのような質感に仕上げれば、裸婦像は全身タイツ女子像に早変わりする! かも!?
言ってしまえば、裸婦像は裸ではないのだ
ではなんで、こんなものを見ると恥ずかしくなるのか?
実は見当がついている
公共の場に置いてある裸婦像はその通り公共の場に置いてあり、公共の場で裸婦像を見るということは、公共の場で裸婦像を見る自分を公共の場に晒すことに他ならず、裸婦像を見ることが卑猥な行為と見做される社会においてそれは、卑猥な行動をしている自分を公共の場に晒すのと同義だからだ
つまり、裸婦像を見て小学生が恥ずかしがるのは、それをからかう奴がいるからなんである
嘘かホントか、海外では裸婦像は美術館のような芸術関連の施設にしか置かれてないそうだが、そりゃそうよね、「これは芸術だ」と言って分かってもらえる空間でないとゆったり鑑賞できないもの
日本で街の裸婦像の撤去が進んでいるということは、日本でも芸術を解さない人間、例えば「何故そのテーマで表現物が裸の女性でなければならないのか説明しろ」とか言ってしまうような没趣味でサディスティックな人間が発言力を強めている証拠だろう