はてなキーワード: 美大とは
スケッチだくってなんだよ
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、入場無料、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、入場無料如きで普段来てない五美大展に来てんじゃねーよ、ボケが。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で五美大展か。おめでてーな。
よーしパパ図録買っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
批評するか批評されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。素人は、すっこんでろ。
で、やっと入れたかと思ったら、隣の奴が、写真撮影OKで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当に作品を見たいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
五美大展通の俺から言わせてもらえば今、五美大展通の間での最新流行はやっぱり、
スケッチだく、これだね。
スケッチだくってのはスケッチが多めに入ってる。そん代わり写真が少なめ。これ。
キャプションがほとんどないのが寂しい。もっと思考を開示してほしかった
やりたいことに対して技量が伴わず荒削りな作品が多く感じた。苦しみの果てに生まれた素朴な作品もチラホラ展示してあり楽しめた
絵画の大物へのチャレンジはインスタレーションが面白い作品が多く、造形の大物はわりかし出来が良かった。Xで見た猫もいた
造形のこじんまりとした作品は身の丈に合ってしまってもったいないなと思えるものが目立った
観覧に若い女性が多く少々居心地が悪い
全体的にキャプションが多めで嬉しい
とにかくアウトプットの完成度が高い。大物の並びは圧巻。甘えを感じない
自分の作品をよく見ているのだろう、鑑賞者から見た時に気づく粗が潰されている。鸞という作品の羽がとても良かった
版画もいい作品が多かった
全体的に荒く、だらーんとしている(内容ではなく固定されていない作品が多かった。面白い)
こっちも荒さが目立った。受付の挨拶が元気が良くて良かった
細部の技量が光る作品が多かったが、作品の展示として見た時首を傾げる部分が多々見られた
目測でしかないが傾いた作品は1番多く見た。また定着が甘くハゲやズレのある作品も多々見られた。女子美と対照的である
表現というよりは製品と見做す人もいるだろうが、やはり鑑賞者としては不要なノイズが極限に排除された部分を美しく感じたし、緊張感すら覚える甘えのなさを強く感じた
作品本体だけではなく装丁や展示も極めて丁寧、精緻でキャプションの表現も美しいものが多く、指導者が優れているのかもしれない。
1つの展覧会として空間そのものが作品となりうる美しさがあった
その中でも鸞という作品の色使いが極めて美しく、正面から見たとき照明の当たり具合も相まって良かった。残念ながら自分の撮影技術では再現できなかったので心の中に留める。
多摩美は完成よりも表現という粗さを感じた。言ってしまえば素朴とも取れるが、細部の技量は高いものが多く、作者の強みをアピールする場のように思えた
全体的にそうした傾向があったので、これもまた指導による差だろうか。
・ずっと見たかったので見れてよかった
・「えっ?!八虎くんが絵に目覚めてから芸大合格までを映画の尺で‼︎?」
偉い人「できらあ!!!」
作成陣「えっ?!」
作りがどうとかじゃなくて映画という媒体でやる物語として無理があるし
そもそも原作が完璧だから映画化の必要はあったんか…?感はある
でも頑張ってる感じは伝わってきた
(けど予備校あたりから飽き始めてTwitterながら見になった)
没入感に少し影響はあった 三次元だから時間経過に己の体感を重ねやすくなってしまい
流石に八虎くんの上達スピードは異能すぎるやろとか鮎川きゅんの
「体が男性」感とか(ポリコレ気取りだったがいざ三次元で鮎川たそスタイル来たら
オッ ウッ って身構えてしまう己)
でも鮎川たそ、引きでみるとめちゃくちゃ原作のイメージ通りだった
でも代わりに、朝の渋谷を描いて「相手に伝わった」時の泣きそうなくらいの
嬉しい気持ちとか「手段を変えても本質は同じ」の件は漫画より飲み込みやすかったので
新鮮だった
・実写だと「自分より断然後から絵を描き始めた後輩が一年ちょいで上手くなって自分より
ランクの高い美大に受かる」がより強調されめちゃくちゃ曇るけど
無垢に応援・お祝いしてくれる先輩はマジで聖人だな…ってなった
一次で落ちたオニギリ丸刈りぽっちゃりの人の存在感がやたらあった
5部ネキが一番実写のイメージすぎた
・Filmarksでcgが〜ってあったので
「さぞかし渋谷の朝滑空シーンで魅せてくれるんやろうなぁ」ワクワク
してたけど普通やった
なんか予算の都合を感じた
芸大受験でさぞかしcg炸裂するんやろうなぁ→そんなことはなかったぜ
・エンドクレジットの最後、鉛筆が走る音だけになったのすごいよかった
ルックバックも讃美歌じゃなくてこんな感じで締めてくれたら
よかったな〜って思った
美術館で「素晴らしい」と言われる絵を見ても、正直なところ、ピンとこない。
インテリアアートという、美術界隈からすれば「軽い」ジャンルを選んだ。
商品は海外の業者から仕入れたり、地元の美大生に依頼したり。私の仕事は「売れる絵」を見極めることだ。
顧客は、私と同じような人たちだ。美術の専門知識はないが、自分の部屋に飾りたい「何か」を探している。彼らは美術館には足を運ばないが、インテリアショップには立ち寄る。
実は、このビジネスを始めたのは40歳を過ぎてから。面白いことに、同業者にも美術とは無縁だった人が多い。むしろ、素人だからこそ見える「売れる絵」というものがあるのかもしれない。
10年前、友達と親の愚痴の話になったとき、あんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。
家に帰ってから、毒親をネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。
けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。
確かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。
うちは愛があるから、違うもんね!
――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。
美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。
段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。
思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。
そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカ、デブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。
3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたしが保育園の頃から「離婚したら、わたしはお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。
なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。
保育園の先生や友達、友達のお母さん、学校の先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。
「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。
でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。
ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。
「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。
次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース、明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先のテクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。
賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。
そんなことをしていたから、本当の画力(デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。
学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。
就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。
わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。
さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、
「お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。
思い悩んだわたしは教授に相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。
他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。
なにせわたしは褒められたくてしかたない人間だから、給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。
でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。
就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。
お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。
この頃、ADHDのテストを受けた。自分のおっちょこちょいに名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。
仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。
そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。
自分の画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。
その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしはダメなんだと、かなり落ち込んだ。
すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。
「わたしがあなたの、世界一のファンだからね」などとLINEしてきた。
心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。
せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。
母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。
母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。
まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。
「子どもがほしい」と、全く思えないことだ。
そのことで、カウンセリングに通うようになった。
初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情のコントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。
すると、カウンセラーはわたしのヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神的虐待と言います」と言った。
子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、
「ちゃんと育てる経済力や精神成熟がないのなら産むなよって思うから」
などと思いつくまま話すと、それはあなたが子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。
気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。
「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、
「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手のゲーム会社に就職、出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。
びっくりした。考えたこともなかった。
家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。
そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。
毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。
自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。
そのときは手土産にシャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールにねじ込まれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。
これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。
ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。
毒親の体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。
正直今でも続いていることだが、本当に時間の無駄、人生の無駄である。
会社に入ったとき、社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。
わたしは自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。
「わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。
そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。
その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。
愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。
この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。
子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。
(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。
その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。
それを読んだとき、わたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。
最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。
好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。
人間だから、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単にジャッジはできない。
ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。
今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。
今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。
わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。
高校から付き合ってた元カレが転職してからDVとモラハラするようになり、29歳で別れて婚活を始めた。
友達の友達がマッチングアプリで結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。
ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドアな趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)
身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。
そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。
1人目
・初対面でいきなりコート脱がされて服にダメ出ししてきたけどそういう本人はバキ童みたいな格好
・お互い傘持ってるのに相合傘しようとする
・ファミレスに連れて行かれた
・「痩せてますね。体重何キロですか?」と聞いてきた(152cm43.5kgの普通体型)
・「年齢詐称してませんか?」と言ってきた
・「エロ漫画100冊以上持ってます」と気持ち悪い自慢をしてきた
・アニメ見せてきたから音出してたら周りの迷惑になると言ったら逆ギレしてきた
・「子供が欲しいから18〜32歳の女性と結婚したい」と言いつつ「年下は子供扱いしてしまう」と言う(相手は38歳)
・ドリンクバー奢っただけでドヤ顔で「こういうところは年上が奢るものですよ」と言う
・店を出てからも「お金のことは気にしなくていいですからね」「奢るのは当然ですから」と奢ったことについてしつこく言ってくる
・解散してから「あなたは常識的にするべきことができていません。ですが私はクラスで除け者にされている人とも仲良くできる男なので大丈夫ですよ。今度は腕を組んで歩いてみたいです。頭を撫でたいとも思いました」と気色悪いメッセージが来た(常識的にするべきことがなんなのかは聞いても言わない)
2人目
・学生時代から愛用してるというプリントの剥げかけたウインドブレーカー着て顔にチョココロネのチョコつけてた
・こちらから話を振らないと喋らないし返事も短くて会話が続かない
・「奢るから会いませんか?」と誘ってきたのにいざ会計の時になったら「割り勘で」と言ってきた
・「かわいいので恋人候補になると思います」と上から目線で言ってきた
・お断りしたら「真剣に恋人探してるってちゃんとプロフィールに書いてたんですけどねー。読んでないんですかねー。仕方ないから友達でもいいです。次はいつ会いますか?」と言ってきた
3人目
・事前にどこに行きたいか聞かれてカフェと答えたら連れて行かれたのはドトールだった
・座り方がだらしない
・何度も前のめりになってニヤニヤしながら顔をジーッと見てきた
・「写真撮っていい?」と言ってきた
・お断りしたのにかなりしつこく食い下がってきてなかなか帰らせてくれなかった
・解散してからブロックするまで「どうしても付き合いたい」「考え直してほしい」「彼女できたこともないし自信もないけどよろしくお願いします」と何通もメッセージ送ってきた
4人目
・「すごくオシャレなカフェを見つけたから期待してて」と言ってたのに予約必須の人気店を予約してなくて筋肉痛になる程歩いてホットドッグ屋に連れてかれた
・やたらと仕事ができる&忙しいアピールしてくるけどおっちょこちょいで仕事できるように見えない
・自称「面白いと言われる」「クラス中を笑わせてた」らしいけど会ってみると暗そうな感じで全然会話が盛り上がらない
・マッチングアプリで1年連絡取ってた女性に突然ブロックされたと愚痴ってくる
・子供いらないと言ってみたり欲しいと言ってみたり言うことがコロコロ変わる
5人目
・遅刻してきた
・2回目の誘いをOKしたら「遅刻しても許してもらうよ」と言ってきた
6人目
・「アニメが好き」と言うから私も好きと言ったら「どうせ男しか出ないやつばっかりみてるんでしょ?」と言ってきてそんなことないと言っても「でも男しか出ないアニメ好きでしょ?」としつこい
・ラブライブが好きだと言ったら「ドルオタじゃんw」とバカにしてきた
・イラストを描くのが趣味だと言ったら「アマチュアの絵は美大卒が見たら色々気になるだろうな」「落書き趣味はルーズなイメージ」と言ってきた
7人目
・初回がファミレスで2回目は相手が服が欲しいからとユニクロとワークマン
・とにかく歩くのが早くてゆっくり歩いてほしいと頼んでも合わせてくれない
・動物のイラストを可愛いと言ったら「女はすぐ可愛いって言う。パンケーキを可愛いって言う女がいたんだけどどうかしてる」と言ってきた
・月収聞いてきて「同僚の奥さんは専業主婦だから女の収入もないよりはマシ」と言ってきた
・「女は欲張って声やら身長やら鎖骨やら求めてよくて男は多くは求めず謙虚であれなんて不条理」と言ってきた
・「同僚にあなたの話をしたら騙されてると言われたんですが、どうなんですか?」と言ってきた
・「次は僕の部屋で映画を観ましょう」と言ってきた
・お断りしたら「何を企んでるのか知らないけど狡猾な女ですね。女は素直なほうがいいですよ」と言ってきた
婚活界隈で普通の男性はなかなかいないって言われてるのは女性の考える普通のレベルが高いだけだと思ってたけど、そうじゃなくて男性のレベルが低すぎるんだね。あまりにも失礼だったりどこかズレてて結婚どころか友達になるのも遠慮したい人ばかり。
4人目の人は「周りの人からは彼女できないのが不思議なくらいいい男と言われるのに10年婚活しても彼女できない。ちゃんと見てほしい」と言ってたけど何もかも口先だけな上に他の女性に未練たらたらでメンヘラアピールされたら誰だって嫌だよ。中身をちゃんと見た結果だよ。
女性から選ばれないことを女性のせいにしてる男性は自分の言動のせいだって自覚してほしい。
友達の友達はいい人と出会えてるわけだしそのうちいい人に巡り会えるのかもしれないけど、これ以上続けてたら男性のこと嫌いになりそう。
とにかく変な男性と一緒にいて嫌な気分になるくらいなら独り身の方が遥かにマシだから婚活はもうやめることにした。
複数のアプリ兼用しようかとも思ったけどペアーズだけでもいいねが来すぎて処理しきれないからやめた。
ちなみにいいねは最初の1月目で500以上きてた(500以上はカウントされない)
その中からプロフィールをタグまでしっかり見て趣味が合いそうな人(インドア派やアニメ・漫画好き)にいいねを返して、メッセージの段階でおかしな人はフェードアウトしてた。
自分語りしかしない人とか、おうむ返しばかりの人とか、好きなアニメ聞いたらズラーっと大量に作品名並べてきた人とか、推しの地下アイドルについて長々と語ってくる人とか。
もしかしてインドア派やアニメ好きっておかしな人が多いのかな?
でも用がなければ外に出たくないひきこもりだからアウトドア派の人と結婚したらしんどいかなと思ってしまった。
旅行が趣味の人多かったけど、たまにならよくても頻繁に旅行に連れて行かれたらやだな…と。
それにアニメ好きのほうが私の趣味(萌え系のイラスト、Live2Dモデリング)を理解してくれるんじゃないかなという期待があった。
それにしても1人目の人は年収600〜800万だったからこんな失礼で距離感おかしい人でも社会では上手くやっていけてるんだなって感心しちゃった。
中身はないがちゃんと読まないと話の方向を見失う不親切なテキスト
瞬間風速は出てるので自覚的な尺稼ぎと思われる
人物の感情の推移が不自然。話を続けるための都合で為替介入が入る
ロジック考えるのは得意そうだけど感情の導線作るのはまあまあ苦手なんだろうな
指向性が迷子なのは意図的らしいし当時のカルチャーではあったけど、誤魔化しにしか思えなかったな。題材がもっと砕けたやつなら何の文句もなかったけれども(まあそれだとそもそも読まなかったと思う)
指向性の両立、扱えてなかったと思う
期待してた部分はギリギリ回収できたかなくらい。つーかギリアウト
作りようによっては聲の形クラスの作品になれたはず(架空の病気というのがネック。しかしあれが刺さるレンジを広げる意味でもマストだったとは思う)
あれだけ滅茶苦茶やって全体としては破綻してなさそうなのは地力を感じる
故に驕りを感じてしまう
それはそれとして自分も世間も「遊び」というか「不合理」な部分を受け入れ難くなっているなと感じた
あの世代の美大出の漫画家、スノビってる感じある。そもそも経歴からしてって感じだけど
あいつらが描く「厳しい現実」、けっこうズルくて、理屈は通ってるし視野も狭くないんだけど、そもそもこれ描いてる人たちはそこら辺の問題をスキップしてるかもうアガってる立場から描いてるよねっていうのでどう足掻いても説得力に欠ける
大学を卒業して社会人○年目。大阪で働いている。職種は……まぁ専門職だと思う。若い方だと信じたい笑
サービス現場の仕事で、給料は安いけどやりがいだけはある。我ながら搾取されている。
年末に向けて部屋の中を掃除していたところ、学生時代の思い出の箱を見つけた。その中には、京都の祇園にあるクラブで働いてた頃のグッズがまとめてある。ドレスとか、メイク道具とか、指名を沢山とった時の記念品とか、最初にお店を選んだ時の求人誌とか。当時、いわゆるキャストと呼ばれる仕事をしていた。
これから話すのは思い出を振り返ってるだけなので、散漫なことが多いです。ご了承ください。
祇園のクラブでのお仕事とか、年上の男性との関係とか、様々な感情が入り混じった、心の奥底からくるようなお話に胸が締め付けられるような思いがする……ということはないです笑
夜のお店の種類、クラブとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そのあたりの区別は今でもわかってない。4回生からの1年+半年(聞かないでほしい…)しか働いてなかったこともある。
短大から大学に編入した関係で、単位を取るのに忙しかった。親ともケンカしてたから、大学の学費は自分で工面するしかなかった。奨学金ばかりというのも危ない気がしたので、面白いアルバイトないかな~と探していると、祇園のクラブが見つかった。
リベンジのつもりもあった。
短大生の頃はYouTuberをしていた。顔はメイクを濃いめにして、男性向けに恋愛のことをおしゃべりする動画だった。始めは自分で動画を編集してたけど、そのうちやってくれる人が見つかって、女子が男性に向けて恋愛のノウハウをおしゃべりする~というスタイルを確立した。もう引退してるかもだけど、Baiand(バイアンド)さんの動画にスタイルが近い。
それがあまり人気が出なくて、再生数は最後の方は1万もいかなかった。才能がないのかなと思って、そうしたら、チャンネル更新をしなくなって数か月経った頃に、コメント機能を通して隠れたファンが何人もいたことがわかった。みんな熱烈だった。
正直、後悔した。たった4~5人でもいいから、私の動画配信を好きな人がいてくれるなら、投稿を続けていればよかったと後悔した。
そんな気持ちがあったから、次のクラブのアルバイトでは、誠心誠意、自分を贔屓してくれる人に尽くそうと思った。仕事なんだから、尽くすのは当たり前なんだけど……
最初の方はうまくいった。飲食店のアルバイトはしたことがあった。何をどうすればいいかは最低限わかる。お話をする相手も、コミュニケーションが通じない人はほぼいなかった。みんな常識のある人だった。
1セットにつき、最低でも2万円はかかるお店だった。つまらないサービスはしたくないと思った。けど……働き始めてひと月も経つと、ほかの従業員との関係とか、ノルマのことで考えることが多くなった。
明らかに変なお客さんもいたけど、それは我慢した。いや、我慢するんじゃなくて、その人と向き合って、一生懸命コミュニケーションをするのが正しい姿だ。それができないなら、キャストとして続かないことを学んだ日々。
ほかに働いてるキャストの人は、私に比べると、その……生活がカツカツな人が多かった。間違いないと思う。
学生は少なくて、いわゆるプロの人が多かった。それでも20代が多かったけど。
私たちのような学生バイトは存在が軽かった。ヘルプで付いた時だと、ドリンクを欲しそうな態度を示すとウザがられる。とあるお客さんがシャンパンやニューボトルを入れた日だって、その人がトイレに行ってる間を縫って、「ほら、今のうちにもっと飲んで。早くボトル減らして」と無理やり飲まされることもあった。
インスタグラムで、系列店同士で売上競争をするイベントがあった時も、私たち学生はどうせ勝てないからと、先輩たちのヘルプとしてお店を勝たせるポジションだった。
苦しいこともあったけど、お店には感謝している。いい経験ができた。あそこで働いてなかったら、大学卒業時の借金額は片手で数えきれない本数になってた笑
祇園や木屋町みたいな激戦区だと、求人面接時にノルマの説明がある。インターネットの求人案内にもノルマの有無が書いてある。ノルマじゃなくて、「目標」「売上によって時給が変動」「時給・出勤日数保証期間○か月」みたいな書き方だ。
大阪なんばや道頓堀、ダイナミックコードの『たこ焼き激戦区』ほどお店が密集してるわけじゃないけど、明らかに店舗間の競争がある。
・週3日以上出勤を基本とします
遅刻 :日給の最大50%
当日欠勤:10,000円
私がノルマを達成できた月は……1年半のうち、半分もなかった。
最初の半年は、初心者ということでお店が多めに見てくれるけど、しだいに厳しくなって……どうしても達成できないキャストの子で、黒服からも人気がなかった子は普通に辞めさせられた。もしくはシフトを干される。
この業界が厳しいかと言ったら、そんなことはないと思う。私のような当時素人にも日給で2万円以上を出してくれた。ほとんど役に立たなかったのに。
先輩方は、あまり仕事のことを教えてくれなかったけど、背中で教えるタイプの先輩も確かにいた。「もし今日ヘルプに付いたら、うちのこと見とき~♪」と言って、売上を捨てて教科書通りの対応をしてくれる神先輩だった。
自分がまさか、お客さんと恋愛するとは思ってなかった。本当に。可能性はないと思ってた。
うちに来店するお客さんは、ある程度お金を持った人が多い。いい会社勤めの人や、経営者や公職に就いてる人や、お坊さんの人が多かった。
その中で、あるお客さん(増田なのでMさんにする。当時43歳くらい?)と最初に会った時は、なんだか面白い人だなとしか思ってなかった。ええと、私が最初に付いた時が、その日の二人目のキャストだったはず。
会話を始めると、優しそうな印象があった。もう彼と会うことはないと思うので、書いてもいいかな。名刺には「土地家屋調査士」とあった。京都市の北の方で営業していた。ちょっと話をして、何分か経った時に「よかったら……オレンジジュース飲む!?」って聞いてきた。
それを聞いて大笑いした。なにが面白いのかわからなかったけど、とにかく笑った。普通はカクテルとかワインとか、ビールとか……そういうのを注文する。
お客さんも、カクテルだとリキュールを一滴しか入れないとわかってるからか、ワインの注文をする人が多かった(※ワインもビールも、黒服の人が限界まで薄めてくれる。ほぼ水だった笑)。
あー、あの時は本当に楽しかった。まだ入って数か月だったのもあるけど、今でも楽しく思い出せる。
その日、お店を出る時に「ダメ元だけど、よかったら同伴する?」と言ってくれた。嬉しかった。最初の接客でいきなり同伴っていうのは、珍しいことだと私でもわかってた。
最初の同伴のお店は……河原町通りの途中にある古いレストランだった。お手頃でおいしいところだった。壁に美大の人が書いたような風景画が何枚も飾ってあった。「俺が学生時代、たまにここに来てて。20年ぶり」とMさんは言っていた。
それからも、Mさんは月に1~2回のペースでお店に来てくれた。私を指名することもあったし、しないこともあった。同伴出勤は、月に一度あれば多い方だった。
あの人は多分、お金をたくさん持ってたと思う。でも、倹約……いや、ケチなのかな?? あまりお金を使おうとはしなかった。私の誕生日が近い時、黒服さん(店長)が私とMさんがいる席に来て、今度の誕生日イベントの説明をしてくれた。
条件付きの特別サービスをMさんに提案したんだけど……普通にシャンパン注文を断ってた笑 店長さんは粘っていた。営業トークも。実際、Mさんに特別なサービスをするのは本当だった。
でも結局、Mさんは……
だって。はっきり言ってた。
ほかのお客さんとの比較だと、大体みんな店長の考えたサービスを受けることが多い。実際にシャンパンの注文料金は相当お得だし、キャストだって本気でサービスをする。そういう「装い」だってする。身体の接触だって、いつもより積極的のはず。本当に常連さん向けの特別だった。
でも、あの人はキッパリ断った。お店では、いつもハウスボトルだった。ほかのお客さんは、見せびらかすみたいにマイボトルに名前入りのタグを何個もぶら下げている。けど、Mさんは本当にいつもハウスボトルだった。私には、私が希望するだけドリンクをくれたけど。
それにしても「不要です」だって……今でも思い出して笑うことがある。いまの私も冗談で、Mさんの口調を真似することがある。
あれは、夏から秋になる頃の同伴で、少し高めのレストランに入った時だった。ウェイターの人がトリュフ?(もう忘れちゃった…食後のケーキだったかも)を薦めに私たちのテーブルに来た。その時も「私たちには不要です」とはっきり断った。
その後、祇園にあるお店まで行く時に、小さい橋を渡ることがあった。その時に、Mさんから笑えるアプローチがあった。
「ねえ、橋を渡るまでの間、手を繋いでいい?」
と言ってきた。
私は笑いを堪えた後、彼氏の顔が頭に浮かんだ。前に、ほかの男子学生が私にそういう目的で声をかけた時、彼氏が怒ってその学生を威嚇すると、そそくさと逃げていったことがあった。
その時、Mさんの顔を見上げると、何かが違った。大学生とは何か違う……見た目の若さもあったけど、とにかく自信にあふれていた。彼氏も自信過剰タイプだったけど、それとは明らかに違う余裕だった。
「えー。じゃ、はい……どうぞ」
と手を出すと、Mさんが優しく握って、お店がある富永通りまでゆっくり歩いて行った。
その日は人がすごく多かった。道を歩いている時、私の手を優しく引いて、道の端の安全地帯に誘導してくれた。
いい人だ。とは思ったかな? その日もお店に行くと、私を指名してドリンクを2杯注文して、それからいつもどおりすぐに帰った。料金は2万円少々だった。
紅葉の頃に、「今度お昼に同伴しない?」と言われることがあった。夜じゃなくて、お昼に同伴すれば一緒に買い物ができる(≒プレゼント)ということだった。
正直、魅力はあった。ほかのお客さんだと、ただ昼とか夜にデートしようって言ってくるだけ。本当にそれだけ。論外だった。禁止事項だし。ただ、Mさんとなら。外を一緒に歩いても不自然に見えない。そういう見た目の人だった。
けど、断ることにした。同伴の場合、必ずお店の黒服が私を送迎して、お客さんのところに行く。車で待ち合わせ場所の近くに下ろすのだ。内引き防止のためと思われる。あとは防犯対策。
でも結局、どうしようかと迷って、違う系列店のキャストに聞いてみたり、中学時代からお世話になっているYahoo!知恵袋で聞いてみたけど、直接の答えはなかった。Yahoo!知恵袋の中の人は、「あなたも大人なんだから、善悪を秤にかけて自分で考えなさい」という回答をくれた。500知恵コインを渡した。
結局、同伴はナシで、私が勝手にお昼デートすることにした。Mさんには内引きの箝口令をお願いして、夜になると普通にお店に来てもらうことにした。
え?何を買ってもらったか?? 四条通りにある高島屋か大丸で、雑貨のお店があって、そこで……ワンちゃんのためのペットフードを買ってもらった。小さいサイズの。ピアスや指輪とか装飾品に興味はあったけど、別にいいかと思った。
後はレストランでご飯を食べて、近隣店舗をグルグル周って、一緒にアイスクリームを食べて……あとはもう、覚えてない。
この日の写真はスマホに保存してある。手も繋いだ。私が帰りにバス停まで行く時、四条通りを歩いている時だった。この日も人がすごかった。当時まだ、コロナウイルスは流行ってない。
市バスに乗った後、車中でも、桂川のあたりを歩いている時も、Mさんのことを思い出した。
別に好きだったとか、そこまでの感情じゃなくて。彼氏と同じ場所(高島屋の付近)をデートした時のことを思い出して、やっぱり大人の社会人の人って、無駄がなくて、そつがなくて、しっかりしてて……と振り返っていた。
少なくとも、彼氏みたいに店員さんに怒ったり、私や仲間に何かを自慢したり、立場の弱い人に大きく出たりすることはなかった。私の肩をいきなり抱いたりしなくて、体を触るときは優しくしてくれる。
同じ高島屋にある時計店で、彼氏が店員さんに渋い対応を取られて悔しがっていた。けど、Mさんに対しては、私でも引きそうになるくらい、店員さんがウヤウヤしい対応だった。学生目線だと『神扱い』に見えた。
秋が過ぎて、冬になって……Mさんとお昼のデートは三回目だった。その日は夕方が近かった。烏丸通りのあたりの観光名所を見ていて、遅くなって、終わった後もなんとなく一緒にいた。
今日は一旦解散するんじゃなくて、一緒に居てからお店に行こうという話をしていた。ホテルオークラの前まで来た時、Mさんが「今日はここに泊まってる。仕事の都合で」とホテルを指さした。
当時の私は、オークラのことを知らなかった。大きいホテルとしか認識してなかった。今では、リーズナブルなお値段の『一般向けの優良ホテル』だと思っている。京都市内には、一泊10万円以上のホテルがたくさんあるけど、実際に利用してみて……サービス÷宿泊料という観点では、元京都市民の視点では№1だ。
一緒にオークラの1階にあるカフェでご飯を食べて、バーに行こうとしたけど、まだ営業してなかった。2階にある展示物を一緒に並んで見てると、彼の手が私に触れて、ぐいっと引っ張られて、私の顔がMさんの肩の近くにあった。
「一緒にいられる?」と言われた。考えるより前に頷くと、私の肩をぎゅうっと抱いて、手を繋いで、エレベーターでカードをかざして、高い階に上がって、彼の部屋に入って……
暗い部屋に入った直後に、ゆっくりキスをされた。両手の位置がわからなくて、Mさんの両肩を触っていた。キスが終わると、一緒にベッドに座った。
部屋の中で夜の京都市内を見ながら、ベッドでくつろいだ。そしたら、Mさんが「一緒にシャワー浴びよう」って……恥ずかしかったので断って、それから間が空いて、「メイクだけ落としたよ」と報告すると、すぐに押し倒されて、キスがあって、始まった。
普通のセックスだったと思う。お互いに体をくっつけたり、舐めたあったり。優しいキスだったり、激しいキスだったりした。唾液を飲ませるとか、変なことはしなかった。
私を抱きしめてくれた。優しい感じだった。私が彼氏にするみたいに、乳首とか舐めたりすると、彼はくすぐったいと笑っていた。その時の私は、すごく甘えていた。
入れる時も、髪が痛くならないようにギュッと抱いてくれた。暖房のせいもあるけど、蒸し暑かった。汗が出ていて、体同士が液体で滑る感触が気持ちよかった。Mさんの体はがっしりしてたけど、若々しくはなかったし、お腹もちょっと出てた。
でも、体なんてどうでもよかった。頭を撫でられると気持ちよくなって、Mさんの何でも愛しくなった。
Mさんは胸が好きみたいだった。バストを使って、特別な機会だと思っていろいろしてみた。彼はすごく照れていた。遠慮がちに行為をしてた。「もっと強くしていい」って言ったら、本当にすごく強くしてきて、胸のあたりが痛かった。でも、続けているうちに気持ちよくなって。
私は笑いながら、Mさんと身体をくっつけていた。マグロじゃないよ、ちゃんと私も動いてたから笑
まっすぐの体位の時も、そうじゃない体位の時も、私のことを見てくれて、よそ見することはなかった。だから下半身が痛くても耐えられたし、痛くてもいいって思えた。入れてる最中、私はそんなに動かなかったかな?
正常位で、Mさんの胸板が顔の上にあって、熱くて、息ができなかった。窒息しそうだった。我慢してると、ようやく顔を抜くことができて、するとMさんが真上から口を塞いでキスをしてきた。また息ができない。
いろんな行為の中には痛いものがあった。けど、全部ちゃんと受け止めた。
最後に出し終わって、Mさんが正面から私を抱きかかえると、「あの……好きだよ」って恥ずかしそうに言った。私が笑うと、改まって「愛してます」だって。さらに笑った。ごまかす時に、私は笑いがちになる。
「これからも付き合ってくれる?」
目を閉じて、「はい」って答えると涙が出てきた。顔を上げて、Mさんにキスをした。
それから何分も、ずっと口づけをしてたら……唾液が漏れるのがひどいことになって、また私が笑って吹き出して、それでセックスは終わった。
その日はお店を欠勤した。罰金1万円は痛かったけど、それはもういい。大事なもの、大事な人を手に入れた。ならもう、それでよかった。シングルの部屋だった。夜には出ないといけない。
深夜だったけど、寒空の下でMさんは、私の手を引いてタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。別れる時、タクシーに乗った瞬間に涙が零れた。
今は何をしてるんだろう。優しい人だから、今もずっと人の役に立つ仕事をしてるのかな。
社会人になった今では思うけど、仕事付き合いだけでも人間関係って大変だ。
でも、Mさんから学んだことは、教えてもらったことはたくさんあって。それが今でも仕事に活きてる。
あれから時間は経ったけど、今でもMさんとの思い出を記憶の水槽に仕舞っている。いつでも取り出せるつもりだ。
また、いつか会えたらいいと思う。ありがとうございました。