「不愉快」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 不愉快とは

2026-05-06

ネットで喚き散らす女の精神構造について解説する

ツイフェミ腐女子、何かに真理に目覚めたと勘違いしている女…

ネットを開けば壊れたラジオのように雑音が響き渡っているのは君達もうんざりするほどご存知だろう

なぜ彼女らはここまで落ちぶれてしまったのかを教えてあげよう

結論から言おう「快・不快しか判断できない」から

彼女らの主張に我慢して耳を傾けると実は全部同じことしか言ってないのである「私が不愉快からくたばって死ね」だけである

なぜこんな感情至上主義モンスター爆誕したのかはそれは幼少期にヒントがあると俺は思う

気持ちが昂れば号泣しだすのは子供共通事項だろう、しか小学生にあがっていけば男子は泣くような奴は男じゃないという今も根強い呪縛によって

不愉快だったり悲しい気持ちになってもグッと堪えるようにトレーニングを施されているのだが女子はどうだろうか

何かあればもう我泣く、ゆえに我ありというレベルで泣き出すのではないか、そうすると周囲はなんと魔法でもかかったように心配してくれたりチヤホヤしだすのではないか

これは非常に強い「成功体験」かつアヘンのようなものであると思う

見た事ないだろうか、小学校クラス席替えでいわゆるチー牛と思われているような男子が隣に移動してきただけで号泣しだした女子を、隣は嫌だとめっちゃ被害者ぶってるけど言ってる事は普通に最低な事である

それなのに雰囲気は泣いている女の子に同情してあげなきゃ!となるもんだから不思議ものである、チー牛男子はただ隣に移動しただけですっかり加害者悪者扱いされるのであるなんとも末恐ろしいのである

そうして女子はこう学習するのではないか感情を押し殺さずに開放した方が得ではないか泣きだせばもうperfect!ではないか

落ち着いて欲しい、大半の女がこうだとは流石に言わない男よりも我慢強い女も多く存在するだろう

しかし、その成功体験をずっと引きずっている女はどうなるかというと幼稚のままで精神的に成長が乏しくなるのだ

乏しいとどうなるのか?それは自分を悦ばせてくれるようなコンテンツに飛びつくようになるのだ

推し活、ボーイズラブディズニー韓国ドラマ男性アイドルなどなど…

決して自分否定せずにむしろ悦ばせてくれるというそんな夢のような世界に溺れるようになり

もしそこで不快な事でも起きるとどうなるのか?そうネットで喚き散らしてお気持ち表明マシーンと化すのだ

男は幼少期から泣くな我慢しろというトレーニングを施されているおかげで例えば嫌なものを見てしまっても「あーあ、嫌なもの見ちまったなまあ忘れよう」と自己完結するようになっているのだ

自分体験も少し語ろう、俺もいわゆるジャンプアンソロジーというトラップにかかったことがある、ハンターハンターのあの男キャラと男キャラが猛烈に絡み合っていたのである

当時小学生の俺は大変衝撃で、それからBLに対する苦手意識はあったが事故ったようなものでずっと黙って過去のものにしていた

それからテレビおっさんずラブかいドラマを見てしまい「同性愛をこうしてコンテンツとして消費していいんだろうか?」と疑問持ちつつそれも俺がたまたま見てしまっただけでむしろ自分事故っただけと

これも誰のせいにする気もなく、あーあー嫌なモノ見ちまったなとなんとか別の事をしたり楽しい事を考えようとするのが一般的じゃないだろうか?

しかし、精神的にお子ちゃまな女はそれができないのである、嫌なものを見てしまったら不快気持ちになり、それをどうしても外に出さないと自分が耐えられないのである

ツイフェミ根本は幼稚性から来ているのである、だからツイフェミの主張に激しくブレが多いのも自分不快かそうでないかどうかなので全然論理的じゃないのである

から「私が不快になった!」という超特大前提があるので常に被害者意識が強いのである攻撃してもまず不快させた相手が悪いという正義の味方ドン引き理論である

致命的に話がかみ合わないのも当然だろう相手は脳じゃなく本能しか動いてないからだ、不快だと思ってもそれをいちいち外に出さずに自己完結する手段は沢山あるはずなのに

そういう手段をとらずに真っ先に感情かめはめ波をするのも泣けば周りがかくまってくれるという「成功体験」が忘れられないのだろう

大人になればそんな魔法存在しないのである世界を変えたければまず自分を変えるしかないのだ

それすら出来ないから終わっているのは言うまでもないが

2026-05-04

anond:20260504215439

この程度の論理しか展開できない奴が指摘する「ダブスタ」なんて、本当にダブスタであるのか怪しいといっていいだろう。

からこそ不愉快になるのは一定の理があるのではないだろうか。

【2023】はてな匿名ダイアリー投稿の思い出 Part.3/4


11 あの男の人、また保険を買おうとしてるって

anond:20230611121809

2023年6月投稿

『傘をひらいて、空を』という小説ブログがありますこちらが好きで、たまに読んでますホッテントリ入りすることが年に数回あります。※気になった人は各自検索

この日記は、作者へのリスペクト模倣作品に込めたものです。この時代は、まだAI小説を創る機能はありませんでした。作れたとしても使い物になりません。というわけで、純粋100%個人による模倣作です。

一体、どんなものを書いたらと思ったのですが、ここはやはり恋愛ということにしました(元ブログでも頻繁に取り扱ってます)。

実際に書いてみた感想ですが、やはり他者文体を真似るのは……そこまで難しくはなかったです笑

ただ、やはり、文章に込められた魂までを真似るのは相当困難です。正直、魂まで一緒に真似られたとは思ってません。

ブクマ数はさほどではありません。はてな匿名ダイアリーにも一般的とされるテーマ文体があって、それに外れると受けにくいのだと思います



12 お店の雰囲気に合っていない客について

anond:20230804192751

2023年8月投稿

地方都市にある会社に勤めていた頃の思い出です。実際田舎なのですが、国道沿いに、居酒屋Barスナックラウンジが立ち並ぶエリアがありました。私も先輩に連れて行ってもらい、「意外といいじゃん(^_-)☆」と感じ、月に1回程度、行きつけのラウンジに通ってました。そこでの思い出です。

本作には、かつて総合商社で働いていたお爺さんと、ケチなおじさん(職業不明。おそらく現場系)が登場します。当時20代の私は夜のお店素人であり、お爺さんが如何に優良客で、おじさんが以下にクソ客であるかを認識できませんでした。今だったら、どのお客さんが綺麗な飲み方をするとか、ちゃん理解できます

お爺さんは人柄がいいから皆に人気で、金払いもよかったです。嫌味なところがなく、総合商社上級管理職を勤める人はやっぱ違うな~、と思わせるものがありました。

対しておじさんの方は、酔っぱらうとラウンジ嬢やほかのお客さん、特に若い子(男女問わず)に絡んだりしてました。私も絡まれ経験多数です。あの手の輩は、自分が受けれられていると錯覚しているのが困ったものです(..)

最終的には、おじさんが作中にあったように『爆発』してしまい、暗黙的にお店を追い出される格好となりました。当時の私は、あの嬢の接客方法が彼を追い出すためのものだと理解できませんでした笑



№13 男の人はどうして気が付かないの?

anond:20230928203319

2023年9月投稿

書こうと思ったキッカケは、夢でした。夜寝るときの夢で、高校時代を思い出したのです。

こちらの作品に出てくる高2の人が、かつての私です。あの時は確か、先輩の女性に「一緒に帰ろう」と声をかけられて、でも何だか面倒だったので断りました。

何が面倒だったかというと、先輩は電車ルートで、私は自転車ルートだったので、彼女を送るとなると駐輪場まで遠回りになり、時間がかかってしまうのです。それだけでした。

あの人については、今の私が思い返して判断するに……まあ、普通に可愛らしい人だったと思います。でも、当時の私は、そういうことに興味がありませんでした。それより大事にしていることがあって、恋愛なんてやってられないという状況です。

今思えば、「一緒に帰るくらいなら」と思うこともありますが、そう結論すると、ひたむきだった頃の自分に失礼である気がします。

ほか2つのエピソードは、それぞれ私が成長して成人になった後でのものです。登場人物との交友関係は知人レベルであり、そこまで深堀りできなかったのが悔やまれます



№14 弱者男性だった頃の自分

anond:20231013202510

2023年10月投稿

この日記はですね、ちょっと……。大変申し訳ないのですが、ラスト場面が実際に目撃したことではないのです。伝聞です。昔働いていた職場があったのですが、そこに出入りしていた消防設備会社のことです。

なぜ、そんなに詳しいかと言うと、私が当時彼らとの契約及び監督検査担当しており、一緒に現場に行くことが多かったからです。相手会社訪問することもありました。

ストーリーの内容は、私の目線直接体験したものはそのままに、情報収集や伝聞で手に入れた情報については、特に慎重を期して記述するようにしています

こちらの主人公の人ですが、純朴そうな見た目で、人柄も悪くはなかったです。むしろいい方でした。それがしかし、あんなことになろうとは。まさに豹変でした。ある時から人格レベルで変わってしまったのです。

いきなり人が変わったようになった彼を見るのは、複雑な気分でした。不愉快というか、残念というか、物寂しいというか、いろんな感情が湧いてきました。

シナリオ分類で言うと、NTRものです。人によっては脳が破壊されるかもしれません。謝罪いたします。一度はNTRを書いてみたいなという感情に抗えず、やってしまいました(;_:)



№15 出入り禁止基準について思っていること

anond:20231129204909

2023年11投稿

から何十年の前のこと。京都市にある飲み屋街での思い出です。

西木屋町のすみっコぐらしに居酒屋がありました(今はもうない)。店主と、数人のアルバイトで回しているお店でした。店主の人柄はパワフルで、料理の腕も◎です。こだわりが凄かった記憶があります

当時、アルバイトの帰りに気分がよくて、かつお金に余裕がある時、チビチビお酒を飲んで帰ってました。食事もそれなりに楽しんで。

エピソードが並んでいますが、学生時代の私が目撃したものです。中にはグレーな接客のシーンもありますが、当時だったらまあ、ギリセーフかな……?というところです。

学生社会人引退世代も通えるような、絶妙価格設定のお店でした。いろんなお客さんがいて、たまにエキサイティング体験ができました。暴力沙汰もあの時代ですので、あるにはありました。

道頓堀へのダイブじゃないですけど、調子に乗った若者集団が、誰かを胴上げした後で、増水した高瀬川に落っことしているのを何度も見たことがあります。まったく笑えません<`ヘ´>

「懐かしい」と感じながら、こちらの日記を書いた記憶があります執筆したのは二年以上前なのですね、本当に人生はあっという間です。



============================================

【閑話②】どうして増田投稿するのか

前回(2024年末)の投稿時、いくつかのブコメをもらいました。

なぜ、増田への投稿を続けているかというと、

面白いと感じてもらいたい」という欲求を満たすためです。

小説を始めて書いたのが中学生の時です。

他人に見える場所投稿したのは20代後半でした。

小説家になろうに投稿してました)

残念ながら、ここで作品を紹介することはしません。

個人情報観点もありますが、なにより私が恥ずかしいからです。

※見せてほしいという要望があれば別に考えます

なろうへの投稿結果は、鳴かず飛ばずでした。

嬉しい感想をもらったりして、

専門ジャンルだと上位に入ったこともありました。

しかし、異世界転生みたいな流行ジャンルには、

PV数やお気に入り数で、どうしても勝てません。

今思えばニッチ小説だったと思います

投稿をやめようと思ったことが何度かありましたが、ファンの方々を

裏切ることはできない想いがあり、一応完結までいきました。

その時代の後悔があって、人生一度は多くの人を楽しませてみたい、

という感慨を抱いたのが増田への投稿きっかけです。

ひとつだけ、なろうに投稿していた作品ですが……

あらすじで言うと柔道ものです。大学まで柔道をやっていた関係で、

こちらをテーマにした作品を創りたいと思い立ちました。

なろうでガチ柔道ものは、私だけしか投稿してませんでした。

内容は、柔道×学園ファンタジー?という感じ。

2023年アニメに『もういっぽん!』という作品があるのですが、

なんと、こちらの原作漫画に私の小説がモロに反映されてました笑

キャラクターの魂の一部まで模倣してくれたのが嬉しかったです。

※偶然ではありえないような設定の一致が最低5カ所ありました

おそらく当時、作者の人が読んでくれたんだろうなぁ……と思いながら、

筆を折らずに完結させた過去自分感謝の念を送りました。

============================================

変わってるとか独特って言われるのは全くうれしくない。これらの言葉で人となりが表されるとき、たいていいい意味で使われないからだ。

私はおそらく客観的にみて変わっていて独特な人なんだと思う。現に私にそう言ってくるバカがいる。あいつどんな心境でわざわざそんなことを言ってくるんだろうか。まあ特に深いことは考えていないんだろうが。それでもどこか否定的ニュアンスが感じられて普通に不愉快だ。

なぜ私は変わってる人として生まれたんだろう。あるいはそう育ってしまったんだろう。脳に欠陥があるんじゃないだろうか。

脳が不良品なのは置いとくとして、みんななんであの人は変わってるとかそういう話をしたがるんだろう。そんなの話題にあげる価値なんてないだろと思うんだけどな。もっとみんな趣味とか自分の好きなこと話せばいいのに。

息苦しい。人から評価なんて聞きたくない。

2026-05-03

anond:20260503225601

こち亀両津の話と同じで、普通に生きてる人畜無害の人が評価されないで、

散々社会迷惑かけたり、周囲に危害を加えた加害者犯罪者が、更正しましたみたいな方が注目されて評価されて、

無関心よりは悪評の方がいい、みたいな、愛の反対は無関心っていうけど、

いや、俺みたいに、女性に無関心にされてるけど、俺は前科はないし、女性に対して親切にするように心がけてるし、

女性に、いや、他人感謝されなくてもいい、

俺は人畜無害でまずいたい、

で、それを責める人がいるよね、人畜無害であること、他人危害を加えないことをバカにする人がいる…😟

俺はそういう人たちが許せない、不愉快犯罪被害に遭ったことがないだと思うよ…😟

けものフレンズ2で一番いらないキャラって

キュルルよりカラカルでしょ。なんなのあのカス発言しかしない畜生は。不愉快だわひたすら

2026-04-29

anond:20260429172410

人間って自分理解しえない会話を聞かされると不愉快に感じるらしいね

トマトが目に入るだけれブチギレる弟(35歳・こどおじ)

小さい頃からトマトが嫌いで、冷蔵庫トマトが入っているとブチギレる弟だった

こんな性格大人になれば治るだろうと思っていたが、10年ぶりに帰省した35のこどおじな弟は、

未だにトマト冷蔵庫に入れようものならブチギレる

でも家族外食する時に食べるトマト特に文句を言わないのである

でもなぜか家ではブチギレる

目に入ったくらいでそんなに怒るなよと思うが、トマトと同じ空気にいるだけで不愉快になるのだろうか?

嫌いなら嫌いでうまく折り合いをつければいいと思うだが、なぜそれが出来ないのか未だにわからない

自分が嫌いなもの家族が食べていても、普通はキレないはずである

自分の皿には入れないでね」で済む問題ではないのか?

おれは梅干しが嫌いだけど、弁当に乗っているのは退かして食べるし、家族梅干しを食べてもなんとも思わないが……

2026-04-28

タモリさんを面白くないと思う人も一定数いるのではないか

タモリさんを面白くないと思う人も一定数いるのではないか

以下、敬称略

 タモリのことを面白いか面白くないかという話題があって、「面白い」で結論が出そうですが、先日、タモリを褒め称える旧twitter(現x)のツイートポスト)の群れをぼんやり眺めていて(トレンドのところに並んでいた)、少し思うところがあったので書きます

 先に行っておくと私はタモリ面白いと思っている側ですが、あんまりタモリ芸能界に詳しいわけでもないです。田舎で、まあまあ普通にTVは見るかなあ、くらいの人間感想

1

 タモリオールナイトニッポン(1976~1983)を褒める人が多いけど、伝わらないのでは。

 若い人、というか国民過半数はしらんのではないか。「タモリ面白さには教養が~」などという言葉も飛び出していたが、教養ではなくて懐古でしょ。

 「笑っていいとも(1982~2014)」の話があんまり出ない印象だった。それは大分偏った話だから、あまり自明タモリを褒める根拠にならないように思った。

2

 私は、タモリ面白くないというのを超えて「タモリ不愉快」という人が当然居るだろうと思っています

 それは「ネクラ」「名古屋」「フォーク」の人たちの中にいるはず。

 タモリを褒めるときに彼を「エビフライ名古屋名物にした功労者」的な褒め方をする人がいたのですが、それはさすがにひどいのではないか。「エビフリャー」は単に雑な方言(訛り)いじりであり、マスメディアの力でなんだか「名物にしてやった」的落としどころにしてしまいましたが、納得していない名古屋の方が中にはいることでしょう。

 フォークもそうで、たくさんの歌手を名指しで中傷して、のちに各人と和解(これもフジテレビ看板番組司会者という権力勾配を大分感じる)しましたが、歌手をけなされたファンの人々全員と和解した訳ではないと思っています

 「ネクラ」はしつこいのでいまでも恨んでいることでしょう。

結語

 つらつら書きましたが、要するに、「タモリ面白いのは当然の前提、わからない人の知能が低い」という結論にはなってほしくないです。面白いと思うけど、そうじゃない。そもそも国民笑顔にする完璧芸人など、存在するはずがない。

2026-04-26

anond:20260426213715

おまえから大喜利のお題出せって投稿する荒らしの感じがする

いい加減やめろよな

不愉快なんだから

BLが派手に燃やされるならゲイ当事者から批判きっかけになると予想していた(外れた)

ノンケ女性というマジョリティゲイというマイノリティを娯楽として消費するBLはどう言い訳しても『正しくない』ジャンルなので、いつかポリコレ方面大炎上すると予想していた。

タイトルの通り、ゲイ当事者たちが

当事者でもないノンケ女性が俺たちゲイの歪んだイメージを娯楽作品にして消費するのは不愉快だ・差別だ・搾取だ」

と全く正しいとしか言いようのないBL批判を始めることをきっかけにして大炎上が起きると自分は予想していたのだが。

絶賛アニメ放送中のBL作品の作者がポリコレ攻撃を受けて炎上し断筆を仄めかしながらアカ消しに至るという画期的BL炎上が、

まさかまさかゲイ当事者でもない海外漫画アニメファン腐女子による地雷カプ論争という、恐ろしく下らないことをきっかけに起きてしまうとは……

生きてるってコスパ悪いな

毎日何かの心配とか不愉快かに振り回されて疲れた

そろそろ生きるのやめたい。

2026-04-23

anond:20260423214328

昔は遜るのが相手に対する敬意の表れ?だったけど

最近は聞いてるほうが不愉快になるから

使わんほうが礼儀正しいのは確かだね

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

毒まではいかない母親の嫌いなところ

母親から「これいいでしょ!」「私が言う通りの進路でよかったでしょ」「よく送り迎えしてあげたじゃない」「老後はよろしくね」と言われるのが本当に嫌

私の気持ちは私のものなのに決めつけてくるし、

「いいでしょ」に「そう思わない」と返すとがっかりした顔してこちらが悪者みたいになるのも嫌だ。卑怯

から「よかったね」と返す。

子供側が折り合いをつけないといけないとかよく言われるけど、なんでそこまでしてあげなきゃいけないんだよと思い、疲れるので電話には出ない。せいぜい夫や弟のいるグループLINEで返すくらい。

積極的ふたりで話さない、不愉快になるしこれ以上嫌いになっても困る。人間として性格が合わないのに、無理に一緒にいる必要もないと思ってしまうけど、親は縁が切れないか距離を取るしかない。

子供の頃は人形みたいだったけど、大人になってから「私は母親のお人形じゃない!」という意識が強すぎて反抗している、それはそれで子供じみているけど、本当の意味で諦めがついて大人になり親に優しくできる日なんて来るのだろうか。

2026-04-22

起動直後に出てくるものは、広告でなくても押し付けがましい。

アプリというのは手段

何かをする目的があって、それをするための手段であり、ステップ

例:電車の発車時刻を知りたい。

1.時刻表アプリを開く

2.目的電車検索する

3.発車時刻を把握する

このようなステップを踏むためにアプリは開かれる。

そこに突然、望んでもいないものステップに割り込んでくる。

1.アプリを開く

2.望んでもいないものが表示される

3.それを消す(✕を探して押す)

4.何をしようとしていたのかあらためて思い出す

5.目的電車検索する

6.発車時刻を把握する

こんな具合になる。

そりゃ不愉快になるわ。

から、これが目的が達成されてから表示されるのであればマシにはなると思う。

アプリを開いて電車の時刻がわかってからだったら、

何かのお知らせを表示されてもまだイラッの度合いは低いと思う。

要は、うまくユーザーのスキマ時間を把握する仕組みがあればいいんだよな。

まあこのへんんはアプリというものが消えて無くなって

ユーザーAIとのやり取りの中で目的を達成する仕組みとかになったらどうでもよくなることにはなるのだと思うけど。

2026-04-21

多様性と、人権を重んじるリベラル

私は多様性が嫌いだ。

そして人間なら多様性は嫌いだと信じている。

自分の中に差別的思想はあるだろうか。私はある。

そこそこ強めの男尊女卑内面化されている。

男は強く在るべきだし、成長すべきだ。

基本責任を引き受けるべきは男で、逃げることはある一定の年齢を超えれば許されない。

不幸なことがあってもそこから立ち直るべきだろう。

甘えた態度を続ける男は、場合によっては生きる価値がないとすら思う。

一方で女は違う。

別に弱くてもいいし、幼くてもいい。決断をしたくないならそれでいいし、いい歳してその調子でもまあ悪くないだろう。

社会もそれを容認してるようだし、それを望んでいる節もある。

この人男だったら今よりニ、三段階社会的に不利な立場にいただろうなと感じる人もそこそこ見る。

それがいいのか悪いのかは分からない。

周りにいる女性のそういう様子を見る度、可哀そうだなと思う。

結構馬鹿にした話だと思うのだが、それを恥ずかしげもなく享受している感じもある。

自分で書いてて余りにも馬鹿にしているなと思うが特にこの考え方を変えるべきだとも思わない。

弱さ全開な所は可愛い

が、一方でこの思考社会開陳してはならない。

十分な能力があるにも関わらず、性別理由ギャップを作るのは本当にくだらない。

営業仕事をしていると、女性社員が出向くと客先でまともな対応をされないケースがある。

その時は、男の自分が代わりに向かう。なんてカス社会だと思う。

強い侮辱を感じるし、当の女性社員がそれを笑って話したり頼んだりしにくるのもきつい。

本当は能力があるのにこれで不当に自信を奪われて委縮するようになったら最悪だ。

その手の話は二度と起こしたくない。

から男尊女卑思想蔓延っている社会カスだ。

私の考えを堂々と言っていい世界は、今よりずっと悪い所だ。

頭に侮辱的な言葉が浮かんだら、必ず言わないようにキャンセルしている。

それがなくてならない姿だと思う。

私は幼い頃から中学生くらいまで、知的障害を持った叔母と同居してきた。

分かりやすさのため敢えてこの表現を使うが、大体犬と同じくらいの知性だ。

意味のある言葉は話せないし、所構わず大声をあげる。怒った時は手加減がないから強めの暴力が飛んでくる。

そんな叔母に対して、特に何も思わない。

当たり前に傍にいたし、そういうものだと思っている。

叔母に意思がないではない。

彼女には彼女なりの優しさがあるし、怒りや悲しみも感じている。

実家で飼っている犬のことは特に好きみたいで、楽しそうに撫でていることもある。

そんな叔母が、障害があるからという理由差別されるとやはり許せないと思う。

ある時祖母は、自分母親法事に(つまり私の曾祖母祖母叔父、叔母、母の四人で向かった。

その時障害があるやつを何故連れてきたと言われたことがあるらしい。

祖母は会をぶち壊して途中で帰ってきた。

それは正しい行為だ。少なくとも私にとっては。

一方で叔母と同じ状態他人を見ると、反射的に嫌だなと思う。

多くの障害者はやっぱり普通とは言動が違う。

ふと視界に入って、反射的にネガティブ感情が出てくることがある。

そしてそれは絶対に表に出してはならない。

障害者に向かって露骨に顔をしかめる。ヘイトを当たり前のようにぶつける。殺してしまえとすら言う。

そんな社会は嫌だ。自分感情とは別にやるべきことがあり、それを実行すべきだ。

あるべき理想社会がる。一方で、自分直感にとって最も快適な社会がある。

この二つは差が大きい。全人類、心の中に偏見があるはずだ。

そして自分想像していたより、その偏見が大きかったこともあるはずだ。

社会的に許されない、でも思わず表に出したくなるような強い衝動を伴う不快感

特別出来事理由が無くとも、なんとなくでそれは育っている。

それは正しくない感情のはずだ。

何故ならその感情に素直に従った行動は、筋が通っていなかったり、自分過去の苦しみを加害者として再演したりするからだ。

多様性に向き合うなら、そこには必ず葛藤がある。

自分は嫌だ、これを認めたくないと感じながらも、認めなくてはならないもの存在する。

これは苦しい。自分にとっての理想社会は有り得ないと認めることも、自分が思う不正義を放置することも、自分が無茶な論理押し付けようとしていたことに気が付くことも、どれも苦しい。

それでも葛藤と向き合っていくからこそ、多様性という言葉は重い。

この葛藤に、果たして何人向き合っているだろうか。

多様性を重んじる。言葉は立派だ。

この言葉実践することはとてつもなく立派な行為だ。

言行一致しているか

素直に他人排除しようとしたり、かつて排除されていた体験を用いて他人攻撃したり、そもそも苦しんでいる他人を認めず存在を無かったことにしてないだろうか。

Twitter交流があった弁護士の知人がいた。

政治人権について強い関心があったようで、パワポケ二次創作で繋がった相手だったが時折そんな話をしていた。

この前久しぶりに彼のアカウントを見に行く「女性性犯罪を行うキチガイストーカー死刑になりますように」とつぶやいていた。

https://x.com/kyoto_spiders/status/2037488161270661540?s=46

キチガイ』何故使った?

多様性という言葉が何故生まれたか

一つは、これまで見過ごされていた苦しみに気が付けるように、という願いがあったと思う。

性自認宗教国籍だけでなく沢山の困難を個人は抱える。

精神障害は、特に辛さが見えづらい。見た目には分かりやすい変化がない場合もある。

一見忘れられてしまいそうになることを繋ぎとめる。これも人権について考えるでも重要な要素のはずだ。

それを自分で表明しておきながら、あの無様な姿。

まりに情けないが彼個人だけの問題ではない。

リベラル自称する人間でそういったやつはいくらでもいる。

多様性なんてどうでもいいと言う奴は論ずるに値しない。

ただ多様性を謳いながらその実全く興味を持ててないやつ、そのことに自覚もない奴は別の醜悪さを孕んでいる。

ましてやそんな人間社会的に立派そうな立ち位置にいることもある。

下手すれば何が良いかいかすら決めようとしている。

自覚無しに人を区別する権力者など、差別主義者より性質が悪い。

それを指摘されても聞く耳を持たない

リベラル自称する人間にありがちだ。

俺はああはなりたくない。

辛くて苦しくても、俺たちは悩み続けなければならないはずだ。

その上で他人を踏みつけたとしても。

自分にある暴力性は自覚しながらやっていくべきだ。

それでもなお決意をもって踏み込む必要がある。そうでないと社会は変わらない。

私は発達障害がある。

高校生くらいまで社会常識やコミュニケーション微塵も理解できず、ずっと孤立してきた。

他人の振る舞いを観察し、ある程度型にはまれるようになってきた今で、時折とてつもない見落としがある。

仕事についてなんとかやれているのは、運よく素晴らしい友人に出会たからだ。

失敗を許容し、解決策を提示し、黙って機会をくれる人間がいたからここにいる。

彼らは多様性意識していたからこうなったのか。それは違う。

もっと根本的に、自分と言う人間を舐めずにそのままぶつかってきてくれたからだ。

今の自分にそれが出来るかは分からない。彼らほど誠実には出来ないかもしれない。

働き出してみると、自分と似たような特性を持った人間出会う。

おそらく今日までコミュニケーション様式を変えずに来た。

彼らが、社会的に尊重される時が来るだろうか。多分ないだろう。

彼らに人権はない。キモい可哀想じゃない。だからわざわざ考慮しようという人がいない。

から、共に仕事をする時はどうすれば周りが納得するのかや、どうすれば仕事が終わるかを話すようにしている。

彼らはお礼を言わないし声もはデカいまたは聞こえない。不要独り言もめちゃめちゃ多いがこちらの態度は変えない。

多分昔の自分もそうだったから。

正直彼らは不快だ。だから嫌われるんだろう。

今の社会で見られる『尊重』の枠に入ったらどうなるだろう。

障害から変わらなくていいという論理に飲み込まれ、裏でヘイトを溜めながらいつか底が抜けた時に、盛大に排除されるだろうか。そうなるくらいなら、過剰に叩かれながらも自分を変えなければと思い至る可能性がある現状の方が、まだ不幸になる人は少ないのかもしれない。

今日死ぬことと明日死ぬことのどちらが不幸かは分からない。

人権を重んじたことを言いたい方々は役に立たない。興味がないから。

結局抽象的な理想を掲げる奴らは役に立たない。

インターネットで偉そうなことを言う人間も役に立たない。

そんなことより隣にいる人間に声をかけられる人間の方がよほど社会のためになる。

嫌な奴に声をかけて、背景を知ったら嫌えなくなってくる回数が増えるほど、多様性身体の中に作られてくる。

不愉快でたまらないけれど、社会自分も、それで少しずつ良くなるのだと信じている。

弱いことは悪ではないけど弱く在り続けることは悪だ。

昔はコンテンツを見て涙を流す人のことが全く理解出来なかった。

最近泣きはしないけど、ちゃんと感動したり涙腺が刺激されたりするようになった。

嬉しい。絶対楽しめない物だと思っていたから。もっと普通になりたい。

映画を見て泣ける人は羨ましい。そこまで豊かに何かを感じる事は苦手だ。

でもいつかそうなれる気もする。

そういう部分に自分の成長を感じるし、時間が経つことでポジティブなことが増えていくと信じられる。

自分にも他人にも期待して生きていきたい。

2026-04-18

[] みんな愚か者のことは嫌いだよ。

チェンソーマン』のデンジとかは人気のキャラクターだし、あの作品ファンで彼を嫌いな人はほぼいないだろう。

そんなデンジキャラクター性は欲望に忠実というか、それが言動にも反映されているが故に馬鹿判断や行動を頻繁にしてしまう、有り体にいえば“愚か者”だ。

ここでは便宜上デンジを例に挙げたが、勿論こういった愚か者古今東西いる。

トラブルメーカーになりうるため、作劇の都合上でも便利な属性といえる。

けれども誤解してはいけないのは、基本的に読者の大半は愚か者が嫌いだってこと。

あくまで“愚かさを憐れむというプロセスが好き”なのであって“愚かさが好き”ってわけではない。


例えば『推しの子』の有馬かながスキャンダルの標的になる展開は、本作を批判的に語るとき槍玉にあげられることが多い。

有馬かなが迂闊な行動をとるまでのプロセスは、そこまでの彼女の情景含めて十分に描写されている(特にアニメ版ではこのあたりがかなり丁寧だった)。

彼女が抱えていた焦燥感理解やすく、そこには第三者の悪意も介入していることもあり、あの件における有馬かなはむしろ被害者とすらいえる。

だが、しかし、繰り返すが、読者の大半は愚か者が嫌いだ。

そして、その愚かさによって、B小町所属事務所への迷惑もかかっている点は重く見られる。

『“愚かさを憐れむというプロセス”が好き』と書いたけれども、こういったケースではその余裕をなくしやすいのだと思う。


こんなことを書こうと思ったのは、最近読んだ『JK Biker』がきっかけ。

誤解を恐れずいうならば、本作は“チェンソーマン的なるもの”を描こうとしている。

別にパクリというわけではなくて実際の内容は似てないけれども、作品方向性というかノリというか、“漠然とした輪郭”が似ているなぐらいのニュアンス

少なくとも、本作を読んだら間違いなく「作者はチェンソーマン的なるものが、デンジみたいなキャラが好きなんだろうな」と思わずはいられない。

けれども本作は“チェンソーマン的なるもの”を描こうとして半分くらい失敗していると感じた。

本作『JK Biker』の主人公が、ただ馬鹿自分勝手なだけの、底の浅いキャラクターに見えるからだ。

そもそもデンジがああい性格なのには重苦しいバックボーンがある。

そこに本編で降りかかる様々な試練が重なることで“憐れみを感じる余地”を与える。

からこそ彼の“愚かさ”は魅力的に見えるし、その言動の結果には時に爽快感すら覚えるわけだ。

対して『JK Biker』の主人公にはそんな背景などなく、ただ毎日を好きなように過ごしたいだけの女子高生しかない。

から彼女がどれだけデンジっぽい振る舞いをしようとも、そこに憐れみなど感じないし、むしろ不愉快だと感じることもある。

先ほど「半分くらい失敗している」と書いたのはこの点で、逆に半分成功しているともいえるのは少なくとも雰囲気だけは“チェンソーマン的なるもの”を表現できているからだ。

本作のように、もし主人公やメインキャラで愚か者という属性を扱いたい場合は、『読者の大半は愚か者が嫌い』って前提を踏まえておかないと齟齬が起きやすい。

2026-04-16

765 公共放送名無しさん sage 2026/04/16(木) 21:23:26.68 ID:nLhEhmm8

俺も再婚して連れ子が息子になったけど

生意気だぞ

「お前は一緒に飯食うな」

「お前家族じゃないし」「金さえ入れてくれれば良い。お前と結婚した理由お金の為だとママも言ってるし」「Switch2買って ポケモンAZもね」

旅行?お前がいくなら僕は行かないよ」「視界に入るな」

存在不愉快

お小遣いは欲しい」

これ小学生がいうんだからな?

マジで殴りたくなるくらいムカつくぞ

誰のおかげで飯食えてると思ってるんだよ

海賊版についてなぜ日本海外永遠に噛み合わないのか

海賊版論争を見るたびに思うのだが、この話で人々が最初にやる間違いはだいたい同じだ。

それは、これを善人と悪人の戦いだと思い込むことである

日本側は「海賊版窃盗だ。作者に敬意がない」と言う。 海外側は「正規で読めないんだから仕方ない。供給しない側が悪い」と言う。

そして両者とも、自分けが現実を見ているつもりでいる。 もちろん、いつものことだ。インターネット論争というのは、だいたい自分の見ている半分の真実宇宙の全真理だと思い込んだ人たちが、残り半分を見ている人間野蛮人扱いすることで成立している。

だがこの件で本当に面白いのは、双方とも半分ずつ正しいということだ。 そして、半分ずつ正しい議論というのは、完全に間違った議論より始末が悪い。なにしろ本人たちは「自分は正しい経験」を実際に持っているので、相手が何を見てそう言っているのかを理解しようとしない。

その結果、海賊版論争はいつも道徳劇にされる。 盗人だの、既得権益だの、敬意がないだの、時代遅れだの。 気持ちはわかる。人は道徳劇が好きだ。構造の話より、悪人の話のほうがずっと気分がいいかである

しかし残念ながら、この問題の核心はモラルではない。 価格であり、供給であり、制度であり、インセンティブである

道徳は「海賊版はいけない」と言うことはできる。 だが「なぜ、いけないことがこれだけ大規模に起きるのか」は説明できない。 それを全部「モラルの低下」で説明するのは簡単だが、簡単であることと有能であることは違う。風邪を全部「気合いの不足」で説明する人間医者ではないのと同じだ。

海賊版が広がるのは、人々が特別邪悪からではない。 正規版より安く、速く、便利だからである。 まずこの当たり前の事実から出発しないと、議論最初の五分で終わる。

1.よくある説明は、だいたい半分だけ正しい

この手の論争には定番説明がいくつかある。

まず、「海外海賊版に寛容で、日本けが厳しすぎる」というやつ。 これが魅力的に見える理由はわかる。実際、日本では海賊版に対する嫌悪感がかなり強く、クリエイターの怒りも前面に出やすい。他方で海外では、違法視聴違法閲覧がかなりカジュアルに語られることがある。だから日本けが異常に神経質なんじゃないか」という印象が生まれる。

でも、ここで「海外自由進歩的日本は閉鎖的で遅れている」という、いかにもSNS向きの雑な物語に飛びつくとだいたい失敗する。 違うのは、著作権保護の有無というより、どこに責任を集中させるかという制度設計の差だ。日本権利者の感覚が強く前に出やすいし、英米圏はプラットフォーム責任フェアユース議論が混ざる。見え方が違うだけで、どこも別に著作権仙人のような寛容さで見守っているわけではない。

次に、日本側に多い「海賊版モラルの欠如だ」という説明。 これももちろん一理ある。違法コピーなのだから、悪いに決まっている。 だが、何百万人規模で繰り返し起きる行動を、ひたすら人々の人間性の腐敗で説明しようとするのは、説明というより願望である自分悪人を見抜いたつもりになれて気分はいいが、なぜその行動が再現されるのかは何一つ説明していない。

逆に海外側には、「正規供給が遅いのだから海賊版が広がるのは当然」という説明がある。 これもかなり正しい。とりわけ連載マンガや毎週更新アニメのようなコンテンツでは、内容そのものだけではなく、みんなと同時に消費すること自体価値になる。ネタバレは飛んでくるし、議論にも乗り遅れるし、数か月後に合法的に読めますと言われても、その頃には祭りは終わっている。

ただし、これも全てではない。 供給改善されても海賊版が消えないなら、問題タイムラグだけではない。そこには「ゼロ円」で「検索一発」で「広告で維持される違法供給」と、「固定費を回収しなければならない合法供給」の競争条件の差がある。

まり、よくある説明は全部、一理ある。 だが一理あることと、それで全体が説明できることは別だ。 SNSではこの区別がしばしば消える。なぜなら、一理ある話のほうが、複雑だがより正確な話より、ずっと気持ちよく怒れるからである

2.海賊版問題は、まずデジタル財の問題である

マンガアニメのようなデジタルコンテンツのやっかいなところは、作るのには金がかかるのに、複製するのにはほとんど金がかからないことだ。

1話作るのは大変だ。 1冊作るのも大変だ。 人件費がかかる。編集がいる。作画がいる。翻訳必要だ。監修もいる。配信網もいる。固定費は重い。

しかし、いったんできたものを、もう1人に読ませるコストはほぼゼロだ。 すると何が起きるか。 当然、固定費を払っていない側が圧倒的に有利になる。

正規事業者は、その固定費を回収しなければならない。だからゼロ円にはできない。 だが海賊版サイトは、その固定費負担していない。他人投資で生まれものコピーしているだけなので、極論すればほぼタダで配れる。 この時点で、「正規版が正しいのだからつべきだ」という願望は、経済学的にはかなり厳しい。正しさはコスト構造を変えないからだ。

そして国際市場では、さらに話がややこしくなる。

日本で700円が普通でも、別の国では高い。 英語圏では払えても、別の言語圏では厳しい。 なら国ごとに価格を変えればいいじゃないか、という話になるが、デジタル財は国境と相性が悪い。安い地域価格が高い地域に流れ込むのを完全には防ぎにくい。VPN時代に、地域価格理論上は正しくても、実務上は簡単に穴があく。

しか翻訳にはコストがかかる。 ライセンス交渉にも時間がかかる。 市場規模が小さい言語圏では、そもそも商売として成立しないこともある。

その結果として起きるのは、非常に単純なことだ。 ある国では合法的に安く速く読める。 別の国では高いか、遅いかそもそも存在しない。 その空白を埋めるのが海賊版である

ここで「海賊版利用者泥棒だ」とだけ叫んでも、たぶん何も起きない。 なぜなら、その人はたいてい、検索一発で読めるゼロ円の選択肢と、見つけるのも面倒で高くて遅い正規版を比べて行動しているからだ。 不快だろうが、それが現実だ。

3.日本海外で噛み合わないのは、法だけではなく感覚が違うから

この問題さらにややこしくしているのは、単に値段や供給速度の違いだけではない。 著作権のものに対する感覚が、かなり違う。

日本では、作品比較的強く「作者のもの」だと感じられている。 これは単に収益権の話ではない。人格の延長として受け止められやすい。だから無断転載や無断翻訳に対して、単なる売上の損失以上の怒りが生まれる。

海外、とくに英米圏には、もちろん著作権保護はあるが、それと並行して「公表された作品議論や変形的利用の素材にもなる」という感覚日本より強い。フェアユース的な発想がその象徴だ。

ここでよくあるのが、「海外自由で、日本は古い」という雑な整理であるインターネットはこういう二元論が大好きだ。たぶん脳のカロリー消費を抑えられるからだろう。 だが現実はもう少し不快に複雑だ。

日本には日本なりの整合性がある。 作品同一性や作者の意思を重く見るのは、単なる後進性ではなく、一つの権利思想である英米には英米なりの整合性がある。 作品公共的な議論に開かれるべきだというのも、一つの思想である

問題は、両方が自分の前提を「普通」と思っていることだ。 そして普通同士がぶつかるとき、人は驚くほど簡単相手野蛮人だと思う。

このズレがもっと露骨に出るのが二次創作だと思う。

日本では、多くの二次創作は法的にはかなり危ういのに、実務上はかなり広く黙認されてきた。 これは綺麗な制度ではない。かなりいびつだ。 だが、そのいびつさの上でコミュニティが回ってきたのも事実である。 つまり日本では、明文化された一般ルールより、「権利者が最後統制権を持ったまま、周辺をお目こぼしする」という形で秩序ができている。

英米的な感覚からすると、これはかなり不透明に見えるだろう。 ルールがあるのかないのか、はっきりしろと思うはずだ。 そして「二次創作はよくて海賊版はなぜダメなんだ」という問いも出てくる。

だが日本側の感覚では、そこは全然同じではない。 前者は、少なくとも創造的な付け足しやコミュニティ内部の礼儀の中にある。 後者は、単なる無断コピー流通だ。 この差は、日本側には大きく見えるし、海外側にはしばしば曖昧に見える。

まり、ここでも両者は同じ単語を使いながら、別のゲームをしている。

4.古い建物の保存観に少し似ている

ここで話を少しずらす。

日本では、古い建物を壊して新しく建てることへの心理的抵抗比較的低い。 街は更新される。建物は入れ替わる。古いものをそのまま残すことより、機能的に更新することのほうに価値が置かれやすい。

一方、欧米では歴史的建造物物理的な形態のものに重い価値が置かれることが多い。 もちろん全部ではないが、「オリジナルを残すこと」自体道徳的含意を持つ。

これはそのまま著作権の話ではない。 建物マンガを同じにするのは乱暴だ。 だが、文化的な資産を誰のものとして、どう扱うかという深層の感覚には少し通底するものがある。

日本では、作品最後まで作者や権利者の意思に強く帰属するという感覚がある。 絶版にしたいなら絶版にする。再公開しないならしない。 乱暴に言えば「それは持ち主の権利だ」という発想だ。

他方で海外には、「公表された文化公共財的な性格をある程度帯びる」という感覚日本より強く存在する。 だから絶版作品アクセス可能にするのは文化保存だ」という理屈が出てくる。

この理屈は、気持ちはわかる。 実際、消えた作品や読めない作品があること自体を損失だと感じるのは自然だ。 だが、その理屈がそのまま海賊版免罪符になるかというと、そこはかなり怪しい。 文化保存は美しい言葉だが、翻訳配信アーカイブもタダではない。そして、そのコストを誰が負担するのかという最も不愉快問題になると、急にみんなロマン主義者になる。

まりここでも、対立善悪ではなく優先順位の違いだ。 統制を優先するのか。 アクセスを優先するのか。 作者の意思を重く見るのか。 文化の開放性を重く見るのか。

どちらかが完全に正しい、という話にしたがる人は多い。 たぶんそのほうが気持ちがいいからだ。 しかし残念ながら、社会はだいたい、気持ちさより面倒くささの上にできている。

5.結局これは、市場がまだ世界に追いついていない話だ

ここまでの話をものすごく乱暴にまとめると、こうなる。

海賊版蔓延は、モラル崩壊ではない。 デジタル財のコスト構造、国際市場の分断、価格差別の難しさ、翻訳ライセンスの遅さが合成された結果である

まりこれは、市場の失敗の話だ。

ここで「市場の失敗」と言うと、すぐ誰かの悪意の話だと思う人がいる。 いつものことだ。 だが市場の失敗というのは、必ずしも誰かが怠慢だったという意味ではない。 むしろ、全員がそれなりに合理的に動いた結果としても起こる。

日本権利者は、国内収益を守りつつ海外展開のリスク管理しようとする。 当たり前だ。 海外ユーザーは、手に入らない、遅い、高い、読めないという状況で、もっとも低コスト選択肢流れる。 これも当たり前だ。 海賊版サイトは、トラフィックが集まり広告収入が入るなら供給を続ける。 それも当たり前だ。

まり、全員がだいたい自分立場合理的に振る舞った結果、全体としてはひどい均衡ができる。 これが市場の失敗でなくて何なのか。

日本側が見落としがちなのは、「海賊版は悪い」と百万回言っても、便利さと価格で負けている限り、人の行動は変わらないということだ。 海外側が見落としがちなのは、「供給が不十分だから仕方ない」というのは説明にはなっても、正当化にはならないということだ。 権利者の投資回収が完全に崩れれば、長期的には供給のもの痩せる。当たり前の話である魔法のように作品が生えてくると思っているなら、それは経済学ではなく信仰だ。

ではどうするのか。 答えはあまりロマンチックではない。

もっと安くする。 もっと速くする。 もっと見つけやすくする。 もっと地域ごとの現実に合わせる。 そして違法供給資金源を断つ。

要するに、説教より設計である断罪より供給である。 徳の話より、インセンティブの話である

たぶんこれしかない。 なぜなら、人間インターネットで急に聖人にはならないからだ。

6.最後

インターネット国境を消した、とよく言われる。 実際には、消したのは国境のものではなく、国境が見えなくなるまでの時間だけだった。

法制度の差は残った。 所得の差は残った。 言語の差は残った。 権利処理の遅さも残った。 その上に、誰でも一瞬でコピーできる技術けが乗った。

だったら海賊版が広がるのは、むしろ当然である不道徳から広がったのではない。 広がるように世界ができていたから広がったのだ。

そして海賊版論争がいつまでたっても噛み合わないのも、同じ理由である。 人々は、自分道徳感情の話をしているつもりでいる。 だが実際には、価格表が未完成世界で起きている摩擦を、善悪物語翻訳しているだけなのだ

こういうと冷たいと言われるかもしれない。 しかし冷たいのは現実のほうである現実はしばしば、魂の堕落より、流通設計の不備で説明できてしまう。

人は悲劇道徳劇にしたがる。 だが今回の話はたぶん違う。 これは堕落物語ではない。 文明の衝突ですら、半分しか正しくない。

もっと地味で、もっと厄介で、そしてたぶんもっと本質的な話だ。

これは、世界市場がまだ作品にふさわしい値札を貼れていない、というだけの話なのである

2026-04-14

ユートラを使っていたら、知らん人から友達申請が来ることがある

勧誘でも来るのかと思って承諾をしたが、何も来ない。色んな人と繋がっていますアピールをするために申請なのか?飾りのために申請されているような気持ちになって不愉快だ。

2026-04-13

公共系のSaaSってやべぇの?

公共系で実績つんでるSaaS技術営業、だいたい相手に言質をとられまいと

質問しても変な回答しかしてこない。

こちらの質問にマルバツで返してくださいって言ったためちゃくちゃ不愉快そうな顔をしてきた。

公共系でどんなけ嫌な目にあってんだよ。。。。

2026-04-09

#ワリオ嫌い

ゴミしか思えないワリオ同類ワリオ信者キモすぎる 頭障害者なのか 見た目クソキモから不愉快になるのに認めない、さすがに見た目クソキモすぎて不愉快になるのは認めろよ笑

ワリオ信者が頭イかれてんから色々なサイトワリオワリオ信者クッソ叩かれてんの笑える

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん