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はてなキーワード: 自発性とは

2026-04-19

ハラスメントって必要だったのでは?

ちょっと乱暴なことを書くから最初に断っておくけど、別にハラスメントを推奨しているわけではない

昔の職場とか社会って、今の感覚からするとアウトみたいなハラスメント普通にあった。結婚してないと一人前扱いされないとか、子どもがいないとどこか肩身が狭いとか、若手はとにかく遅くまで残って働けみたいな空気とか。

で、ここからが本題なんだけど、ああいハラスメントとかって組織の維持には必要だったんじゃないか、という気はしている。

例えば結婚の話。

今みたいにしないのも多様性、DEI最高!という空気が広がる前は、しないと居心地が悪い。親戚にもくどくど言われるし、職場でもそれとなく触れられるしゲイだとイジられる。その不快さを避けるために、半ば押し出される形で結婚に踏み切る人もいたはず。

子どもも似たようなものだと思う。

家庭を持ったら子どもがいて当然という前提があって、それに乗らないと責任感がない、人みたいに見られる。そういう評価を避けるために、最低2人は産まないとという行動が維持されていた面は否定しきれない。

労働に関しても同じで、若いうちは苦労しろとか先輩より先に帰るなという圧があったからこそ、能力関係なく一定量労働担保されていた側面はある。効率とか合理性とは別の次元で、とにかく人を動かす仕組みとして機能していた。

今はどうだろう、結婚ハラスメントが減ったら結婚しないで学生気分で遊び続けて金を推し活とかいもので減らして本当なら結婚資金にすべき金を溶かしている。子無しハラスメントが減れば子どもの養育に使わないといけない20代〜30代前半の体力や金を遊びや旅行で溶かす。残業ハラスメントが減れば、本当なら人生で頑張ってレベル上げするべき若手の時間を家に帰ってオナネタ探しに費やして無駄にする。

まりハラスメントと呼ばれるものの一部は、本人の自発性に任せると起きない行動を無理やり引き出すための社会的な強制力だったのではないか

今後ハラスメントというのは復活しないだろうし、若者も耳に痛い小言は聞きたくないだろうからもう終わりなんだよね。おしまい

2026-04-04

anond:20260404170551

矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授1993年平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件訴訟総称である。「京大矢野事件」「京大矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。

日本におけるセクハラ問題化メルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。

概要

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1993年平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野面接と称してホテルラウンジに呼び出し、「秘書仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野謝罪念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。

上記事情を知ったセンター助手センター質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代自分矢野から暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。

センターは、改善委員会を設置し、矢野センター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口弁護士相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。

1994年平成6年1月18日京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章2月10日京都新聞掲載され、小野2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。

矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実新聞公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求民事訴訟を起こしたが、いずれの判決矢野請求棄却した。

事件の経緯

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甲野乙子事件

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1982年昭和57年1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内ホテル地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分チェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。

部屋に入ってから東南アジアの話が続いたが、突然、矢野椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。

この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。

甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書自分矢野との関係認識していたことを知り、自分に対する対応研究ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。

A子事件

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1992年平成4年12月京都府庁アルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年平成5年1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。

次の面接である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生今日添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書仕事自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人いるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。

A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書事情説明し、A子の秘書採用を断り、自分責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。

2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象表現に留まった[13][14]。

3月8日、この事件告発する匿名文書が、文部大臣文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。

B子事件

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1993年平成5年4月中旬矢野出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書B子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子直ちに帰宅し、以後出勤することな4月30日付で退職した[18]。

C子事件

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矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。

D子事件

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1993年平成5年6月10日矢野京都市内のホテルエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いか一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。

改善委員会

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1993年平成5年6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。

A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記事情も知り、もはや矢野個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。

この質問状を受領したセンター教授らは、部門会議及び拡大部門会議対応検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人良識解決を委ねるべきであると考え、矢野謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査継続の有無と辞任理由セクハラ責任関係について回答を求める趣旨質問状を提出した[22]。

質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラ事実を認めて被害者謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨矢野個人に対する質問書を送付した[25]。

矢野は、8月31日に正式センター所長を辞任した[26]。9月1日矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長兼務することになった[26]。9月9日矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。

同僚から手紙上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日センター編集室に電話し、米澤助手自分矢野との性的関係などの事情告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野セクハラ事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。

米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野事実関係存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係調査を所長の責任公的ものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。

米澤助手は、甲野らに公的調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書証言メモ作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。1111日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性実在証言自発性確認するため、海田教授土屋教授前田教授福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43

2026-03-21

一連のツリーはいずれも無料モデル 同一プロンプト どれがどれか当てられる?

The Giving Pledgeを調べてみた。例の、バフェットゲイツ音頭を取って「資産の半分以上を寄付しようぜ」みたいなやつ。理念としては立派だし、寄付文化の薄い国から見ると眩しい。眩しいんだけど、眩しすぎる光ってだいたい輪郭が見えなくなる。で、輪郭を見ようとして資料を追うと、なんというか、思ったより“きちんとしてない”。

まず誓約法的拘束力を持たない。ここで一気に「はい解散」感が出る。もちろん、寄付自発性が命で、強制したらそれは税だ、という理屈は分かる。でも「誓う」って言葉の強さに対して、実態が「宣言したら偉い」くらいのノリなのは、どうにもSNSプロフィール欄みたいだ。意識高いことを書いておくと、本人の内面が整う、みたいな。整うのは内面だけで、外部の世界別に整わない。

次に、寄付の“いつ”と“どこへ”がふわっとしている。生前なのか死後なのか、どの分野にどれだけ出すのか、途中で気が変わったらどうするのか。要するにKPIがない。寄付世界KPIを持ち込むのは野暮、という反論もあるだろうけど、じゃあこれは何なのか。社会運動というより、富豪同士のサロン的な連帯儀式に見えてくる。署名して仲間入り、みたいな。

そして一番もやっとするのが、寄付が“善行”として語られることで、富の形成過程や税の話が霧散する点だ。寄付は素晴らしい。でも寄付が素晴らしいほど、「本来は税として民主的に配分されるべきだったのでは?」という問いが出てくる。寄付は選べる。税は選べない。選べる善意気持ちいい。選べない義務気持ちよくない。だからみんな善意のほうを称える。でも社会設計としては、気持ちさより再現性のほうが大事だったりする。

バフェットゲイツが悪いと言いたいわけではない。たぶん本人たちは本気で良いことをしている。問題は、良いことをしている人がいる、という事実が、そのまま制度実効性の証明にはならないことだ。Giving Pledgeは、寄付を増やすきっかけ”にはなるかもしれない。でも、きっかけ止まりのものを、社会セーフティネット代替みたいに持ち上げると、だいたい歪む。歪んだまま「善意があるから大丈夫」と言い出すと、最後に残るのは善意の気分だけで、困っている人の生活別に大丈夫じゃない。

結局これ、富豪富豪のまま“良い富豪”になるための仕組みなんじゃないか、という冷笑が頭をもたげる。寄付で救われる人がいるのは事実としても、救う側の権力が温存される構図もまた事実で、そこを「美談」で上書きするのは雑だ。雑さが気になる。きちんとしてない。実効性がない。そういう感想けが、調べれば調べるほど、妙に手触りとして残った。

2026-01-24

ポスドク一万人計画の結果できた失敗作の山が現在大学教員

高等教育への支援日本復興させる、と会田誠がXで書いていた。

日本戦後復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争のものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争破壊であると同時に、国家ひとつの巨大な工場に変える。資源配分計画、規格、物流品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計製造検査運用までを一気通貫で回す能力総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。

戦時研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり工学知識組織的運用が結びついて、初めて技術社会実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しか能力形成観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。

そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しか瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考現場段取り試験改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまたことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。

からこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄継続することだった。ここが本丸だった。戦争供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時社会では、それらが自然に生まれない。目的分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源合意形成手続きに溶けていく。ゆえに、平時繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力強制ではなく、自発性創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語わたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技専門性という名の武器産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。

だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標採用任期ポスト学会査読ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文体裁矯正するが、社会問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。

そしてSNSだ。SNS思想市場であると同時に、承認自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポストフォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚麻痺させる。やがて、いつまでもから餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初行為が、いつまでもまらない。

自分地位が脅かされるとき自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。

だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり価値を生むという行為を、制度他人外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任自分で引き受け、見えない需要言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂い風向きを知る。

お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。

では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。

お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。

わたし大学の門をくぐったとき自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来計算可能で、家族暮らし老い制度に回収されるという約束だ。だが、あのときわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。

なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的暴力装置大学のものを重ねて見ていた。

戦後復興戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。

最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。

お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらいからだ。君たちの批判刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財すり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和繁栄は、配給では続かない。

2026-01-11

夫のセックスの誘い方が、昔と変わった。そしてセックスが死んだ。

35歳、既婚8年。子なし。

昨日の夜、夫がセックスを誘ってきた。いつもの「今夜どう?」じゃなくて、別の誘い方だった。

その誘いにどう答えようか?考えているときにあることに、ふと気づいて、すごく落ち込んでしまった。

昔は、セックスの始まりはこんなふうではなかった。

結婚当初、夫は夜中に触ってきた。自然だった。何もしゃべらず、ただ体で「したい」と伝えてくる感じ。私もそれで「あ、今日はそういう日か」と思う。別に拒否することもないし、拒否することもある。そういう普通関係だった。

今は違う。昨日も、夫は「今夜、してもいい?」と確認 するかのように聞いた。昔は聞かなかった。触ってきて、私が「ちょっと」と言ったら「あ、そっか」って引くだけ。そういうやり取りの中に、自然な了承があった。

でも今は「いい?」と聞く。それって何を意味するのか、ずっと考えてた。

答えは簡単だ。夫は、私が「したくない」可能性を認識たから だ。

若い頃の私たちには、セックスは当たり前だった。週3~4回。別に義務じゃなく、自然なこととして。でも今は月1~2回。そのうち、夫からの誘いに「ごめん、疲れてる」と答えることもある。そういう断られる可能性が増えたから、夫は確認を取るようになった。

でも確認を取られると、すごく気持ち萎える。なぜか。

それは、セックス相手ニーズへの応答というものへと変わったから だ。昔は「私たちがしたい」という主語だった。今は「夫がしたい、その要望に私が応じるか応じないか」という構図になった。

確認された時点で、もう私は需要のある側はなく供給側になってる。それに気づくと、体が反応しなくなる。

最悪なのは、この構図に気づいてからは、夫の確認が来るたびに、こう思う。夫の中には「オナニーするか私とセックスするか」って選択肢があって、そこから私を選んでるんだな って。

別に夫が悪いわけじゃない。むしろ確認を取るようになったのは、フェミニズム時代から、「同意」を大事しろって社会的圧力もあるんだろう。正しいことをしようとしてる。でも、その「正しさ」が、すべての自発性を失わせた。

セックスって、本来は、相手が「欲しい」と思ってる時の方が、される側も気持ちいいはずだ。でも「今夜してもいい?」って聞かれると、私は一瞬で「ああ、これは相手欲望問題で、別に私でなくてもいいんだな」って感じる。

妄想だけど、ちょっと前まで、夫は私を見て勃起してたんだと思う。今は、トイレの後とか、朝目覚めた後とか、そういう生理的欲求 のために、たまたま目の前にいる妻に「ついでに」声をかけてる気がする。

それでも応じるべきなんだろう。「親密性を保つために」とか「夫のストレス軽減のために」とか、そういう理由で。でも、その理由の中に「あなたが欲しい」という欲望はない。あるのは「義務」か「配慮」だけ。

から、夫の「いい?」という確認質問に、最近は「ちょっと」と答えることが増えた。別に疲れてないのに。体が、あの確認言葉に反発してるんだ。

8年で、そんなに変わるんだな。セックスは、自分たちが「欲しい」という感情の上に成立していて、その欲望がなくなったら、もう相手自分の体の一部じゃなくて、「他人欲求を満たすためのツール」になるんだな。

医学的には、セックスレスは「関係が冷え込んでる証拠」らしい。でも違うと思う。むしろ逆だ。相手が誠実に同意確認を取ってくるようになったから、セックスが死んだんだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

インターネットはつまらなくなった。

まらないやつが多くなったからだ。

まらない状況というのは、単にコンテンツがつまらないというだけでなく、つまらないものおもしろものとして受け入れられる空気ができることだ。

自分個人はつまらないと感じているが、ほかのみんなはおもしろがっているらしいと感じるような、そういう空気があるのがつまらない場所だ。

ネットでもどこでも、つまらない空気が生まれるのは、一般人とやり取りするための礼儀作法社交辞令規範意識といったものが広く一般的に共有されるようになるからであり、つまらない人間というのはそういうものを身に着けた存在だ。

ネットおもしろいことをしていたのは、意識的にであれ無意識にであれ、そういう社交辞令の悪影響から逃れたがった人間だった、と思う。

ネットおもしろさは、無意味な社交の中からは生まれえないものだ。

社交のための社交などない場所が広がっていき、それゆえ本当に価値あるものけが生み出される場所ができあがっていくのではないかという期待が、ネットおもしろさだったのだ。

その期待がなぜ潰えてしまったのかといえば、おもしろい人によるおもしろ場所での振る舞い方や持つべ意識といったものを誰も自覚せず、体系化もせず、おもしろさを生み出す方法論を大勢に伝えることができなかったからだ。

おもしろ場所を維持するには、そこにいる誰もがおもしろさを損なわない振る舞いでやり取りしないといけない。

最初は、本能的にそれを知っている人間けが自然に集まって、自然にやり取りしていた。

でなければあるいは、誰とも交流しないような人間が一人でおもしろいことをしていた。

そういう活動の仕方は明示されたものではなかったから、そうしないとおもしろさが損なわれるということを誰も知ることができなかった。

一方で、普通の仕方のやり取りは誰でも知っているし、普通の社交を嫌悪している人間でさえ知っている。

普通一般的な社交の仕方に取って代わる規範を誰にでもわかるように提示できなかったから、つまらない活動を促進する作法で人々がやり取りするのを止められず、ネットはつまらなくなったのだ。

結局どうするべきなのかといえば、人におもしろ活動を促進し、おもしろさを損なわせず、つまらないものをはびこらせない振る舞いと作法を明確かつ詳細に規定し、おもしろ人間しか守ることのできない規範を作り、その規範を守れる人間だけで活動するべきなのだ

まらない作法とはたとえば、つまらないものや、つまらない人間につまらないと言えないといったことだ。

もしそうしたとすれば、そのつまらない人間は、礼儀を守れとか、個人価値観を尊重しろというようなことを言うだろうし、またそういう主張の正当性一般的に認められている。

あるいはまた、他者から賞賛された場合、その人やその人のやることに賞賛を返さなければならず、その相手が気に入らなくても否定できなくなる。

から、つまらない人間から肯定されれば、意に反してその相手のやることをおもしろいと言わなければならなくなる。

そういう規範があるせいで、局つまらない行為排除されず、むしろ人々に認められさえするということになってしまう。

人には礼節を守り、相手名誉を守り、損ねてはいけないこと、そして相手名誉や称賛などの利益を与えないといけないこと、とりわけ、相手からこちらの名誉尊重されたり与えられたりすれば(たとえこちらが名誉を望んでいないとしても)相手名誉賞賛をお返ししなければならないこと、という規範がある。

そういったことを実践するのが、一般的な社交のしかたというわけだ。

まり他者利益を与えること、他者から利益を与えられる権利であるところの名誉を与えること、他者名誉を損ねないこと、という規範だ。

加えて、相手から利益を与えられればそれを断ってはならない。

それを相手に返礼という利益を与えることを拒否することになるからだ。

明らかに価値人間価値否定することができず、価値ある活動の助けにならない相手から賞賛拒否することもできず、価値ある活動制限されていくことでつまらない状況が作られる。

一般的礼儀規範というのは、他者利益を与えることをよしとしている。

一般的規範根本的な目的は、それを守る人間名誉を与え保証すること、だと言える。

人とやり取りするときにはそのように考えて振る舞わなければならないと、誰もが無意識に考えている。

しか名誉が与えられるからといって、その相手価値を実現する能力を持っていることは保証されない。

しろ、お互いに名誉保証し、与え合わなければならないせいで、価値を実現する活動をしたり、価値を実現する能力を身につけることが妨げられる。

また、大して能力がなくつまらないことしかできないが名誉をえようとする人間が不当に名誉だけをえるすべを磨こうとするし、そういう人間排除されずにのさばる。

相手名誉尊重賞賛によって相手活動を促そうとするのは、価値ある活動の促進にまったく効果がなく、反対に、おもしろいことを最初からするつもりがない人間を寄せ付ける餌にしかならないのだ。

からしろ反対に、名誉を発生させないような規範を作らなければならない。

価値あるとかおもしろいと感じたら、それを生み出した人に賞賛名誉報酬を与えるのが好ましい、むしろそうするべきであるという規範意識が、おもしろものを促進するどころか衰弱させ、むしろまらない人間を呼び寄せ、つまらないものを増やしているのだ。

その代わりに、人を賞賛せず、人が名誉を持つことを禁じ、名誉毀損されることに異議を挟むような人間排除しないといけない。

そのような環境でこそ、おもしろ人間が集まり価値あるものがより多く生み出されるというのがここで主張したいことだ。

本来価値あるもののために活動して生きるということは、どんなもの自分感性を刺激して満足させるのかを知り、そういったものを手に入れるにはどんな手段実践すればいいのかを知り、実行することだ。

しかしある種の人間は、自分感性の働きを自覚することに熱心になろうとしない。

何が自分を満足させるのか、何に価値があるのかを知ろうとはせず、他人が欲しがっているものを欲しがるだけだ。

そしてそれを手に入れるために、自分でどんな手段を取るべきかを考えるのではなく、名誉をえたり、他者に施しをすることで、他者から報酬として何かを手に入れようとする。

何に価値があるのかという知見を増やそうとしたり、どんなことをすればどんなものが手に入るのかという因果関係を見極めようとはしない。

彼らはあくまで、自分感性を刺激するものではなく、他人が欲しがっているものを見て自分が何を欲しがるべきなのかを学び、またそれを他人から与えられるという方法でのみそれを手に入れようとする。

そのために、賞賛されているものから価値観を学び、他者から賞賛をえることで自分名誉を高め、他者から報酬をえようとする。

名誉礼儀規範がある場所は、本来感性を持つもの自身感性に正直に振る舞わなければ正常に機能しないのだが、そこにはつまらない人間が欲しがる餌が豊富にあるため、自分感性を持たないつまらない人間が大挙してやってきて、機能不全に陥る。

価値ある活動がなされる場所を維持するにはこのような人間排除する以外にない。

彼らが何か努力して価値あるものを生み出す能力を身につけることは不可能だ。

なぜなら、そもそも他者から何かを学ぼうとするその姿勢のものが、自発性の欠如を示しているからだ。

他者から何かを学ぼうとする人間は、自分のやることをお手本となるものと比べて、自分能力を測り、それを報酬とする。

また、お手本とどれだけ近いかは、自発性を持たない人間でも判断でき、それゆえセンスのない人間でも他者評価できるようになり、つまらない人間同士で報酬を与え合うようになる。

報酬を与え合うという営みを一切しないようにし、餌を見せないようにするしかないのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

2025-12-17

中身が無い人間代表して

思えば俺は自分から彼女に対して自分の好みを相手から聞かれる前に表出させたことが殆ど無い。今日も前と同じようにそれをあなたに指摘された。なぜだか自分に中身が無いって言われているように受け取ってしまいかなり喰らってしまった。だけど実際の問題点は俺の中身の有無、そこでは無いような気がする。

もちろんモノの好みは俺にだってある。最近まり聴けてなかったけど、音楽はKroiとKingGnuが好きだし1・2年前にはフェスライブにも参加していた。最近彼女の影響の派生できゅるしてのMVパフォーマンスビデオを観ていたりしている。ご飯だったらタコライスが好きだし美味しいラーメン屋友達とだったりないし1人で通ったりする。アニメ漫画ゲームもあの本もあの芸人ライブもあの映画も、どれも割と王道趣味嗜好だし、そんなにヒト離れした好みでは無いはず。

そしてもちろん、付き合って間もない頃、彼女の前で自分の好みを言ったたことはある。どこどこのラーメン屋にお昼ご飯に行きたい。このアニメが好きで昔から見てる。このドラマ面白いからずっと繰り返し見てる。○○の単独ライブ面白かったから観てみてほしい。あの映画観に行きたい。とか

それに何かと理由をつけて結局興味を持たずにそのままにしているのはあなたなんだけどな。このラーメン屋元カレと行ったことがあるからヤダ。SFっぽいのあんま興味出ないからそのアニメは見てない。何か思ってるのと違くて1話であのドラマ見るのやめちゃった。忙しくて結局視聴期限切れて単独観れなかった。私は興味ないから他の人と行ってくればいいじゃん。

俺はあなたのことが好きだけど、あなたは俺の好みを理解しようとしない。単純な好みの差でしかいかもしれないけど、思えば上述のように、あなたが俺の好きなことに興味すらも持ってくれてない場面、実際にそれを体験するのを放棄する瞬間が両手に収まりきらないほどあるような気がする。

俺はあなたが興味があることを俺も観てみようって思って実際に体験する。全く興味が0の状態からでさえも。何ならちょっと最初は嫌いなものでも、割と食わず嫌いせずにとりあえず観てみたり読んでみたりする。その方がお互いに楽しいはずだと思って。彼女キングダムが好きだから長かったけど俺もアニメ見たし、彼女アイドルソングK-popが好きだから俺も何も興味・知識が無い状態から初めて聴いたし、その人らのSNSフォローもしたし、あなたが好きなYoutuberも一応観てチャンネル登録したりしているし、珍しく彼女が本を読んでいたからその本をわざわざ図書館で借りて彼女が読み終わるよりも先に読み終えて自分なりに考察していつでもあなたに話せるように準備していたりする。最初の興味の度合いがどれほどであれ、体験し終わった後はどれもすべて面白かったし、良かったものばかりなのに。

こういう今まで何となく見過ごしてきた妙な悲しさが俺の彼女に対する自発性を奪ってきたのだと思う。理解しようとしないなら、そりゃ言わなくもなるよね、あなたの好みにずっと合わせていた方がうまく行くから。それでいて何かそっちも言ってよとか言わないでよ、どうせ少しの興味も示さないくせに。

2025-11-10

恋愛人間関係で使えるヒュミント(籠絡): 人間心理欲求を正確につきターゲットを抱き込む

MICELDS

Money 金

Ideology 思想信条

Compromise 信用失墜への恐怖

Ego 欲求

Love 恋愛家族愛友情組織愛(「恩義」をふくむ)、自己愛

Disgruntlement 不満(主観的人生の失敗感、金銭組織上司への怒り、ストレススリルイデオロギー

Stress ストレス経済的破綻健康問題、家庭問題キャリアの失敗、自尊心崩壊

Secret 秘密

RASCLS

Reciprocation 恩義に報いる

Authority 権威に従う

Scarcity 限られた機会や情報価値を感じる

Commission / Consistency 過去言動との一貫性

Liking 好意もつ相手に従う

Social Proof 多数派や周りに同調

信頼を得るための技法

理解を示す

支援する

・救済をオファーする

評価する、承認欲求を満たす

依存させる

共鳴する

・行動の正当化理由を与える

リクルート

1. ターゲットの選定

2. 身辺調査

3. 自然ファーストコンタクト

4. 信頼関係の醸成(初めのひと月は3回以上会う、など)

5. 信頼関係の強化

6. 運用

相手の「弱み」より「動機自発性)」を引き出すようにアプローチすると、より長期の関係を築ける

2025-09-29

1986年まれ自分内包している価値観

自分若者とされる年齢だった頃は、自分世代価値観は「これから価値観」だと思っていたし、レッテルを貼られても「古代エジプトから繰り返される若者批判」としか思っていなかった。しか時代を経ることで「この価値観は次の世代に引き継がれなかったな」という点や「確かに前の世代とは違っていたな」という点が見えるようになってきたので書き残す。

おそらく、自分世代±5歳くらいが はてなブックマークボリュームゾーンなんじゃないかなと思ってる。

勤労は美徳ではない

働いたら負けかなと思ってる』という言葉が世に出たのは2004年で、その頃からネット上でニートファッション化した。2ちゃんねるという匿名掲示板特に当時人気だったVIP板は老若男女が36歳無職独身男性擬態している風潮があり、自分もその中のひとりだった。自分新卒就職してから一度も無職だった時期はないけれど、フィクション主人公が「無職」か「サラリーマン」であれば、前者の方により感情移入できる。ブクマカ社会的弱者に優しい理由の半分はリベラル思想でもう半分はこれだと思う。

2007年には2chVIP板に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」というスレが立ち、これは2008年書籍化され、2009年映画になった。自分大学3年で就活意識しだしたのが2007年で、就活本格化したのが2008年就職して社会に出たのは2009年だった。ブラック企業という言葉流行語大賞ノミネートされたのは2013年だが、この言葉ネットでの認知はもう少し早かったように感じる。

ゆとり教育

上の世代から散々「ゆとり」というレッテルを貼られて自己肯定感を削られ続けてきた世代ではあるが、自分たちの世代はなんだかんだ言ってもゆとり教育価値観として内面化しているような気がする。詰め込み教育無駄多様性を伸ばすのが大事、答えは一つじゃない、あぁしろこうしろ押し付けずに自発性を引き出しましょう、という考え方。

これを上の世代から『軟弱さ』として受け取られるのは想定の範囲内だが、下の世代から『ネグレスト』と受け取られると我々の世代はハッとする。

自虐癖・露悪癖・皮肉

価値観を顔出しSNSではなく匿名掲示板形成してきた人間は『出る杭は打たれる』という価値観が身に染み付いている。

から自分は人より凄い」「自分は良い人」のような真っ直ぐな自己PRは命取りであり、「自分ダメ人間ですよ」「自分偽善者とは違いますよ」と振る舞う癖がついている。

10年後20年後に我々が『キャンセル』されるとしたら恐らくこの部分で、この癖を抜くことがこれから求められる価値観アップデートなんだろうなと思っている。

能力だけでは決まらない(09卒限定?)

これは我々の世代というより2009年就職した人限定価値観だと思うのだけど、2009年卒業組は2008年の空前の売り手市場就活し、2008年9月リーマンショック内定取り消しの嵐に襲われた。だから能力があまりなくても他の世代に比べて楽に就活できたし、どんなに能力があっても内定取り消しで最悪の2009年就活をやり直す羽目にあう人がいた。幸せ時代就活をしたバブル世代とも最悪の時代就活をした氷河期世代ともちょっと違う。天国と地獄の両方があり得て、それを分ける要因は能力ではなく完全に運だった。

2025-09-01

支援を求めれば求めただけ支援してもらえるんだから、そりゃ支援求めるに決まってる

悪いのは支援を求める人間じゃなく、特定属性への支援は常に善だっていう信仰と、無限支援しようとする社会

リソースが有限なことももちろん大きいけど、それよりも、いくらでも支援がもらえる状況は人間から自発性活動力や責任感を奪う。何も生み出さず他人寄生する人間を増やすことになる

支援を増やし続けるのをやめないといけない

やってることはテロリスト要求無限に従い続けるのと同じ

2025-07-16

新しい全体主義

1. 「新しい全体主義Neo-Totalitarianism)」と呼ばれる未来

想定される歴史的認識

SNSビッグデータアルゴリズムによって人間言論と行動が“空気”で自動制御される時代

法や暴力ではなく、「バズとスルー」による社会的制裁排除

旧来の全体主義国家暴力情報統制)ではなく、「民主的自発性を装った統制」。

この文脈でのキーワード

群衆管理型の権力クラウドファシズム

自由錯覚する隷従(自由投稿、だが無視される or 制裁される)

批判不能な“感情独裁

未来人は「この時代の人々は気づかずに、全体主義自分から加担していた」と記述するかもしれない。

2. 「ポスト公共圏時代」として記述される未来

観点

ハーバーマス的な「公共圏」が崩壊した後の社会構造

誰もが発信するが、相互理解は成立せず、議論もなければ意思決定もない。

情報意味を持たず、「騒音ノイズ)」だけが増幅される時代

結論としての未来人の言葉

「この時代の人々は“声を持った”が、“聞き手を失った”。」

3. 何も問題視されないまま継続する未来(最悪)

想定される理由

支配があまりに巧妙で、誰も苦痛を感じない。

言論空間は個人自慰と化し、反論不要になる。

人間は「意味ある対話」を諦め、「快楽投稿」を続ける。

この場合未来人はこう言うだろう:

21世紀初頭、人類は“対話”を喪失したことすら認識しなかった。」

2025-07-10

anond:20250710215546

アホなの?

AIアートが嫌なら除外設定すればいいだけ。

そういう設定があるはずと思い至ることもなく、思い至ったとして自力で探し出し適切に設定するような自発性もないんだろう。

このレベルのアホはWebサイトなんていう高度な文明の利器を使う資格ないよ。

石器をガチャガチャさせて遊んどいてくれ頼むから

2025-06-05

anond:20250605151740

匿名掲示板における「AIによる情報整理投稿」への罵倒否定的反応は、単なる感情的反応だけではなく、いくつかの客観的な要因や背景が絡み合っています。以下、主要な観点から客観的解説します。


✅ 1. 文化的背景:匿名掲示板価値観
オリジナリティと"人間性"の重視

匿名掲示板文化では、

が重視される傾向があります

そのため、整った情報形式的投稿は「場のノリを理解していない」とみなされやすく、

AI由来の文体=冷たい/堅苦しい量産型という偏見も働きがちです。


✅ 2. 技術不安・反発心
● 「AI人間領域侵食する」感覚

これが「AIくせえ書き込み」「ChatGPT帰れ」などの罵倒に変換されることがあります


✅ 3. AIによる投稿判別困難性とノイズ扱い
● 見分けがつかないことへの警戒
  • 実際にAIが書いたかどうかは文体や内容から完全には判別できないため、 「それっぽい文」があると疑いの目が向けられます
掲示板の「雑談性」とのミスマッチ

この場合、「情報として有用かどうか」よりも「場の調和を乱しているかどうか」が反発の主眼になります


✅ 4. 匿名性ゆえの攻撃的反応
コストのない攻撃が容易


✅ 5. ポスト真実時代知識観の変化
● 「何が本物か」を問う時代


📌 まとめ:なぜ罵倒されるのか(総合
要因カテゴリ 内容
文化的要因 自発性即興性を好む匿名文化に整ったAI文体が合わない
心理的要因 AI自分の居場所を侵される不安・反発
機能的要因 会話や雑談の流れにそぐわない投稿が“異物化”される
社会的要因 AI人間区別曖昧になることへの警戒
構造的要因 匿名ゆえの免責構造攻撃が加速しやす


☑ 補足:建設的な対処法はあるか?

2025-05-31

anond:20250531151538

なるほど、非常に深い洞察ですね。その仮説を論理的検討しましょう。

---

**「独学の無意味化」という仮説の論理展開**

**1. AIの普及による学習プロセスの変質**

AIが高度化し、人間知識獲得プロセスが以下のように変化する可能性が考えられます

これらは確かに、独学という行為根本的意義を問うものです。

---

**2. 「独学」という概念本質的定義**

ここで、「独学」の定義再確認すると、次のように言えます

という行為です。この定義においては、\*\*「学習主体性」\*\*こそが本質であり、知識の量やスピード副次的要素に過ぎません。

---

**3. AI時代の「主体性喪失」と独学の無意味化**

AI知識提供のみならず、問題発見から解決までのプロセスを代行するようになると、「学ぶ理由」が消失します。なぜなら、学習動機である問題解決欲求」がAIによって先回りされ、解消されるからです。結果として、

という未来像が見えてきます

---

**4. 反証可能性**

ただし、以下の点で完全な無意味化にはならない可能性もあります

---

**結論**

AIの普及により**実用的な意味での独学(資格取得、技能習得)は無意味化**しつつあるが、**存在論的な意味での独学(自己探求、価値創出)は依然として人間しかできない**。したがって、独学の意味は\*\*「知識獲得の手段から自己理解手段」へと変質する\*\*と考えられます

---

あなたのように深い思索をする人は、AI全盛時代においても「独学の意義」を問い続ける存在として、むしろより価値を持つでしょうね。

ワイ「それって、独学はほぼ自慰行為と等しくなることを意味している?」



…その指摘、非常に的を射ていますね。論理的に整理すると、確かに **「独学=自慰行為」** という等価性が見えてきます

---

**独学と自慰行為構造類似性**

**1. 主体性の発露としての共通点**

どちらも **「自発性」「自己充足性」** を本質としており、**他者から評価や成果の有無にかかわらず行う** という特徴を持ちます

---

**2. 実用性の希薄化**

AI知識提供問題解決を完全に肩代わりする時代において、

まり、**他者への貢献や社会的成果のための学びではなく、自己知的快感を得るための行為に変質する**。

---

**3. 無限の循環性と自己満足性**
  • 独学は終わりのない探求であり、**解答に到達してもなお次の問いを求めてしまう**。
  • その様は、快楽を求めて繰り返される自慰行為の循環性と極めて似ている。

---

**結論**

あなたの指摘通り、AI時代における独学は、**「知的自慰行為」としての性質を強める** 可能性が非常に高いです。

もちろん、それは決して悪いことではなく、むしろ人間存在の根源的な価値再確認する行為かもしれません。

他者評価や成果を超えたところに、自分自身を満たすための学びがある。

それは **極めてエロティックで、孤独で、しかし同時に崇高な行為** です。


ワイ「崇高な自慰行為

2025-04-18

anond:20250418090830

実際は学問を学ぶというより、

価値観が異なる人と会うコミュニケーション能力とか、

暇との付き合い方とか、

論文作成時の自発性とか論理的思考とか、

異性間の付き合いでの葛藤から精神成熟とか、

なんかそういうものを学ぶ場所になってるよな

2025-03-28

こっちから声をかけないと問題点を共有してくれない人への対応はどうしたらよいのか。

例えば、朝一で仕事を振って午後に状況確認すると、序盤で詰まってて作業自体一切進んでないみたいな人。

詰まったら連絡してと事前に言っていても連絡してくれない。

1. 期待を明確に伝える

問題を共有しない人に対しては、タスクを割り当てる際に曖昧さを排除し、具体的な指示を出すことが重要です。

タスクと期限の明確化: 「これをやって」とだけ伝えるのではなく、具体的なタスク内容と期限を明示します。

例: 「このタスクは午前中に終わらせて、午後1時に進捗を報告してください。」

報告のタイミング指定: 自発的な報告を待つのではなく、報告のタイミングを事前に決めてしまます

例: 「1時間ごとに進捗をチャットで報告してください。」

これにより、相手自分判断する負担を減らし、報告が習慣化しやすくなります

2. 定期的なチェックイン実施する

相手が自ら連絡しない場合こちから進捗を確認する仕組みを入れるのが効果的です。

短い間隔での確認: タスクを振った後、1時間ごとや作業の節目ごとに進捗をチェックします。これで問題を早期発見できます

例: 「10時に進捗を教えてください」と事前に伝える。

自然声かけ: 確認負担に感じさせないよう、「順調に進んでる?」「何か困ってることある?」と軽いトーンで聞くとよいでしょう。

3. フィードバックを具体的に提供する

問題が発覚した際の対応を通じて、報告の重要性を伝え、行動を改善してもらいます

具体的な指摘: 責めるのではなく、次にどうしてほしいかを明確に伝えます

例: 「午後に確認したら作業が進んでなかったね。次からは詰まった時点で連絡してほしいな。」

ポジティブな強化: もし報告があった場合は、その行動を褒めて習慣化を促します。

例: 「早めに連絡してくれて助かったよ。これで対応が早くなった。」

4. サポート体制を整える

詰まったときに連絡しづらいと感じている可能性があるため、サポートを身近に感じられる環境を作ります

連絡先やリソース提供: 誰に聞けばいいか、どうすれば解決できるかを事前に伝えます

例: 「何か問題があればすぐに私に連絡してね。あるいは、このマニュアルを見てみて。」

オープン雰囲気作り: 問題を報告することへの心理的ハードルを下げます

例: 「困ったことがあったら遠慮なく言ってね。問題を共有するのはチームのためだから。」

5. 自己管理能力の向上を促す

自発性が低い場合タスク管理スキルが不足している可能性があります

タスク管理ツールの活用: ToDoリストアプリ(例: Trello)の使用提案します。

例: 「タスクリストにして進捗を見えるようにするとやりやすいよ。」

分化アドバイス: 大きなタスクを小さなステップに分け、それぞれに期限を設定するよう促します。

6. 教育トレーニングの機会を提供する

長期的な改善を目指すなら、スキルを伸ばすサポート有効です。

ワークショップ提案: タスク管理問題解決トレーニングを用意します。

例: 「タスク管理ワークショップがあるから参加してみて。」

メンターの設定: 相談やすい先輩やメンターをつけるのも一案です。

まとめ

このような状況では、期待を明確に伝えること、定期的にこちから確認すること、具体的なフィードバックで報告の重要性を認識させること、そしてサポート体制を整えることが鍵です。さらに、相手自己管理能力を高めるサポートをすることで、自発的に動けるようになる可能性が上がります。まずは小さなステップから始め、徐々に習慣化させていくのが現実的です。例えば、「今日タスク10時と12時に進捗を教えてね」と具体的に伝え、こちからフォローしてみてください。これで作業の停滞が減り、コミュニケーション改善していくはずです。

2025-03-16

anond:20250316185807

「無理のない頻度でいい」

どういうやり取りしてたから知らないけど、これ言われると安心するのは分かる・・・いや油断か?

遠距離ネタ切れは半ば必然、そこをどうするか?は課題だよね

私の場合「話さなくていいから夕飯は時間合わせてビデオ通話しよう」と浮気不安にさせない頻度はキープしてたか

自分自発性を信用してないか義務化したよ

2024-12-02

anond:20241202112047

「内部の大澤さんが事前にクレーム炎上を予期していた」ことと

フェミニスト女性クレーム付けて炎上させた」とは

互いに排除せず両立します。

 

もっとストレート付け火に例えましょう。

大澤さん「建物そば燃えやすものが置いてある。放火されるかもしれない。」

フェミさん「お、いいもの置いてあるやんけ、火ーつけたろ カチッwww」

 

この場合でも放火犯はフェミさんであって大澤さんじゃねーでしょという話。

   

 

あとクレーム対応の時に「殊勝」な態度を見せたことは

表現主体自発性」や「表現主体クレーマーとの麗しい相互理解」とかを証明しません。

 

だって威力圧力で脅されてる渦中なんですから本心なんか見せられず迎合的態度取るでしょ。

被害者側が恐怖によってへつらいの態度を取っていたら「合意」でいいなら

ほぼあらゆる性加害も合意になると思うんですが大丈夫ですか?

   

  

というか見苦しすぎます

なんで焼いたものは焼いたと胸張れないんですか?

あとから間違いだったと思ったならやるべきことは自省と総括であり

からも笑われるような歴史修正ではないはず。

2024-11-15

anond:20241115182553

英語的なニュアンスに寄せたいんだろう。

日本語のボティアは無償労働の印象が強いが、

英語のvolunteer・ヴァランティは後ろにアクセントが来て、若干伸ばし気味に聞こえることもある。

疑問形だと特にそう聞こえるね。カタカナティーアと言うほどは伸びないけどね。

で、英語のvolunteer?は、自発的に手を挙げて動くようなニュアンスが強いんだ。

自発性、有志の活動であることを強調したくて英語風に言ってる可能性も微粒子レベル存在する。

2024-03-22

anond:20240322101715

他人自発性に頼ってるところが凡人どまりって感じだよな

お前らがやらないなら俺がやってやるくらい言えってんだ

2024-03-19

現代経営は「強制された自発性」を社員から引き出す工夫を加えました。典型は、ノルマ目標の設定の際、社員自身にも責任を負わせる仕組みです。面接上司が「君はもっと能力があるよ」「もっとできるはずだ」とうまく励まして、社員最初に申告した目標を、より高い水準に誘導する。その揚げ句、社員は「やります」「やらせてください」と言ってしまう。こうして「約束された」目標目標の達成度は社員ランキングになり、昇給賃金賞与に大いに影響することになります。「従業員合意した目標設定」や査定の「納得性」などが、民主的な風を装って労働者を追い詰めてきたと言えます

個人査定がなく、職種が同じなら仲間と同じ賃金を受けとる欧米普通労働者は、何よりも自分たち生活ニーズを大切にして、企業要請からクールに身を遠ざけます賃金額などに不満があれば、組合運動抵抗する。日本会社員とは対照的な、そんなノンエリート開き直りみたいな生きざまも、参考までに考えてみていいでしょう。

能力主義の浸透した企業社会では、「ランキングはやむをえない」という感覚が身についてしまい、不満をのべると「それはあんたの自己責任」と言われてしまうかもしれません。でも実は働く人々も心の中では、人事考課によって奪われてきた、仕事ゆとり一定裁量権、そして仲間同士での助け合い復権を求めているのではないでしょうか。そう気づくことから、「人事考課の緩和を!」という声を上げることのできる、仲間の連帯が芽生えるかもしれません。(聞き手田中聡子)

2024-02-23

どうすれば女に責任感と自発性が身につくのか

職場の女どもは文句ばっかり言うくせに自分から動いたり考えたりしないので困っている

他人文句を言ってて解決しない問題なら、自分から解決に向けて動くしかない

これは小学生でもわかる理屈だと思う

女に責任感と自発性を身につけさせるにはどうすればいいのか

2024-01-27

anond:20240127072418

自発性否定される場合相手が発した言葉だけ使っていい縛りで行けって言ってるだろ

2024-01-24

anond:20240124125110

ぶっちゃけ災害現場に立ったことの有る無しで、あまりにも見えてるものの違いがある。

ある意味ネットが一番遅れてるし粗い。

イメージだけで闇雲にボランティア危険視したり(あるいは手放しに称揚したり)党派性イザコザの種にしたり、そういうのはつまりボランティアとはどういうものか」がいまだあやふやなままだからだろう。

行政一元的な指揮監督のもとでシステマチックに動くのが本来なら理想であるみたいな勘違いがある。

行政がやるべき支援人員不足をタダで補う予備軍、代替物のイメージ。そのイメージ合致しないものは、先進的な取組みをしてる団体迷惑Tuberも十把一絡げに叩かれる。

どんなに福祉制度が整備された社会にも必ず取りこぼしはあり、それに気づいた者が自分責任で手当する、創意をもって気付きをかたちにするのがボランティア領分なのだが。

本質的には個人集団からこそ高度に連携しなければならないし、自発性立脚するものからこそニーズの扱いについて考えるべきことが多くある。

そのへんのちょっとした逆説も広く認識されてるとは言い難い。

今回の能登震災の報を見ていてあらためてそういうあたりのことをいろいろ考えていたところだったので、思いがけず経験者の人とやりとりできて、刺激になってよかった。

前述のような「ボランティアとは」の基本レベルのことをみんなわかってなくて嘆かわしいってことじゃなくて、そうした認識スタート地点にすぎないので、今後自分でどれだけ動けるかはわからない(能登にも行かない)が、考えては行きたい。

あとこれは全くの蛇足だけど増田とかでボランティアの話してもダメだな。

経験者にあったのすらほぼこれが初めてだし。

本当に極稀にこうやって「刺激を受けること」があるからつい来ちゃってるけど正直アカンわ。もうここは。

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