はてなキーワード: フィールドとは
昔の人が結婚をする動機って好きとか嫌いとかの問題じゃなかったのだと思う。
親の話や当時のドラマやドキュメンタリーから間接的にしかわからないけど。
ふつうに生きるために生活に必要なので、義務教育を受けて、就職して、結婚する。という。
疑いの余地がないというか。良くも悪くもそれ以外を知らなかったというか。
疑いも知る必要もなく、人生のコースに乗ってればそれなりに幸せになれたのが9割以上だった、そんな時代。
話変わるんですけどブータンって仏教国なんですけど、テレビやインターネットを導入してから幸福度が下がったらしいんですよね。
下がったというか、質が変化した結果トータルで微減というか。
それに似てるんかも知れない。
良くも悪くも「知ってしまった」のか。外界の情報、外国の価値観を。
その結果、結婚は好き嫌いでするもの・しないものへと変質した。
それに家電やインフラや交通や医療やサービスが発達して難なく一人暮らしできるようにもなったので、生活に困るという訳でもなくなった。
だから、結婚を好悪で決定する現代人と、そもそも結婚をしないという選択肢が基本的にない時代の人間とを比較すること自体が無理がありそうだ。
過酷な好悪とハラスメントリスクのギスギス・コミュニケーション・バトルフィールドに置かれている現代人の空気感って上の世代には全く理解されてないよな。
一般フィールドで恋愛に持ち込もうとするのはハイリスクなので、マチアプや街コンといった「恋愛してもいい」という前提を共有したフィールドでしか恋愛の話を切り出すことが不可能なんだよな。
逆にいうと昔の世代は一般フィールドがマチアプみたいに恋愛を切り出してもいいフィールドだったと言える。いわば「無料で全員がマチアプ状態だった」とも言える。それが社会的コンセンサスだった。現代人から目線で旧世代人を解釈するとそうなるのかと。
昔の時代にもある程度の好悪はあっただろうけど、それ以上に「生活のため」やむを得ず、選り好みしている場合ではなかったので、サッサと結婚したぽい。
たとえば就職が内定して田舎から上京するとき、家を探すのをめちゃくちゃこだわって選り好みして悩みすぎて4月に間に合いませんでした。なんてことはあり得ないワケで、ふつう遅くても3月中には家を決めて引っ越しをする。結婚もそんな感覚だったように見える。
1週間ぐらいログインしてないが、別に惜しいという感じはない。
石を貯めてキャラを手にれた所で戦闘の選択肢が少し増えるだけなのでゲーム体験に大きな変化はない。
たとえばこれが本家アークナイツだったらドラゴーディアの有無で世界の見え方は全く変わるんだろうが、別にロッシやギルベルタがいた所で戦闘に大きな変化はないと思うわけだ。
というか、あんなただポチポチするだけの戦闘に対してそんな情熱を燃やす気にもならない。
たとえばもし新キャラが「オレンジ鉱石の消費量が20%ダウン」とか持ってたら話が変わったかも知れないが。
俺がいない間に工業イベがあるらしいが、工業をしたいならファクトリオ系ゲームをやればいいだけだと気づいた俺はもうタロ2に帰ることはないと思う。
何もかもが中途半端だった。
もちもちペンギンを愛でたい気持ちはあるが、声優との意思疎通が上手くいってないのかドス声ペンギンすることが増えてきたのでもうそれも期待できない。
俺のンイーは終わったんだ。
お前の好きな現実の運動がなぜそういう対象選択になるのか。というのはある一定肯定した上で、俺のフィールドである構造についての意見を求めているわけだけど意味がわからないかね?
論理をズラして現実の運動の話に持っていこうとしているようだが、前提である構造の話が擦り合わないと現実の運動についての話も擦り合わないように思うが
北から北広島市市街地に入る手前で北の里牧場前からバイパス線がエスコンフィールド間で伸びそうになっているのですでに決まってそう
2軍戦だけ見に行く人はかなり少ないだろうから2軍目的の観光客もエスコンに寄らせることで抱き合わせセットで2軍の価値を高める
つまりエスコンフィールドをハブとして活用、エスコン新駅で下してパスに乗り換えさせる
それが出来るのは江別だけ
JR線がつながっている恵庭、苫小牧は途中下車が出来ない距離なので切符代をケチりたい人は二軍戦だけが目的となるので乗らなくなる
札幌から見れば江別までは簡単に行けるしエスコンフィールド直通バスを設定するなら30分もあれば着く
札幌市民が非日常を感じる程度の距離でよそ行きの服を着る距離感
エンドフィールドしかやってないから分からんけど、エンドフィールドも操作しにくい時あるな。スマホでやってるけど、崖の端に立って戻ろうと反対方向にキー入力したら落ちるから、ジャンプしながら反対向いてる。
戦闘が邪魔なのは序盤だけだった。キャラと武器のレベル上げたら余裕になった。逆に、今はボスすら弱すぎて面白くない。クリア後にやり込み要素として強化版(複数段階ある)出てくるけど、報酬しょぼいからやる意味ない。
工業は面白かったけど、最高率にしたら、生産したアイテムの消費追いつかなくなるだけで逆に困ってる。MAXになると倉庫圧迫して、工場自体が止まってしまう。修正するのも面倒だから、毎日ログインして倉庫内のアイテム捨てないといけないのめんどい。
金を稼ぐ能力がなくて自己愛が異常に強く、自分が不甲斐なくて泣いてる
大学を出て就職して、精神を病んで、なし崩し的に今は独立してフリーで食ってる
今の仕事は楽しい、というかほとんど遊んで暮らしている、今まで休日にやってた遊びで金が発生している、デカい案件も増えてきてもう来年も埋まり始めてきてる
会社員時代より収入は少しばかり減ったが右肩上がりではあるし、超えるのも時間の問題だろう、目標もあるし、数年間の地獄が嘘のように毎日が刺激的で順調と言える
恋人は今風俗で働いている、目標のためにお金が必要なのと、前の仕事で精神を壊して以来昼働くのが怖くなったらしい
恋人は無理して昼職で働くよりも今の自分には合っていると話していた
俺が良く思っていないのも知っているから一度風俗を辞めて別のアルバイトをしていたこともあったが、今はまた出戻っている
例えば俺の収入が今の倍あれば恋人を養う事もできただろうし、数倍あれば夢のためのお金を出してあげることだって出来ただろう
でもそれが出来ないのは我が身が可愛いからだと自分でもわかっている
俺は今の生活が捨てられないし、それを捨てて就職でもして真面目に働いたところで収入は大して変わらないだろう
正直今の仕事以上に自分の能力を生かせる場所は想像できないし、稼げる見込がある仕事も思いつかない
switch版をswitch2でプレイ。switchは何で発売したレベルで遊べないけど、switch2でならなんとか遊べる。
プレイ時間は83時間ぐらい。昔ながらの不親切で不便なJRPGという感じだった。
ストーリーは可もなく大きな不可もなく。
色々所感。全体的に本当に色々不便。UIは良くない。
仲間。
文句は大量にあるけど、昔ながらのJRPGだと思えばまあ普通に遊べる。
ただ、色々現代のゲームとは思えないぐらい不便だし、不親切。出来もよくない。switch2だとギリ遊べるけどおすすめはしない。switchはロード遅すぎて遊べない。
それでもそれなりには楽しめたと思う。おしまい。
gui********さん
2015/4/5 18:38
有り体に言えば、日本のアニメやオタク市場なんて、今や「斜陽産業」
です。「経済にコウケン」とか言った所で、鼻で笑っちゃう程度の
規模に過ぎない。
内閣府によると、日本のGDPは09年で474兆0402億円です。
また日本のアニメ市場は、日本動画協会によると、アニメ制作企業
の売上としては、'06年に約2145億円、'07年は約1901億円、'08年
は約1842億円、'09年は約1494億円、'10年は約1533億円、'11年
は約1580億円、'12年は約1725億円…と右肩下がり。
ピークだった'05年に国内で約971億円、'06年は約950億円、
'07年には約894億円、'08年は約779億円、'09年は約736億円、
'10年は約759億円、'11年は約753億円、'12年は約741億円、
'13年は約807億円、と長期横ばいの気息奄々。
また出版科学研究所の統計では、'09年度1年間の漫画の雑誌・
単行本全ての売上げは4187億円。前年比6.6%減。漫画雑誌の
売上げ全体は1913億円で、前年比9.4%減(!)だそうで。しかも、
同年の書籍・雑誌の推定販売金額は1兆9356億円で、売上げの
6割近くを占めてきた雑誌は、12年連続でマイナスとなっており、
矢野経済研究所によると、'12年の日本国内のキャラクターの版権、
商品化ビジネスの国内市場規模は、2兆3,075億円でした。7年連続
で減少しています。これは、出版等の版権とグッズ等の商品化権、
併せてです。
だけの統計としては、メディア開発綜研の発表によると、'11年の
ちなみに、「真に」日本の経済の屋台骨を支える一つである自動車
産業で言いますと、日本自動車工業会によれば'09年の自動車製造業
の製造品出荷額等は、40兆4,915億円(!)でした。「経済効果」とか
言い出したら、自動車市場を買い支える層の方が、ずっと胸を張って
ふんぞり返って良いはずなのに、自家用車オーナーは誰もそんなバカ
な事しやしない。
住宅だって、即席麺だって、「アニメ産業」とやらよりずっとずっと
巨大なフィールドは日本にいくらもある。でも、「オレらが日本経済
にコーケンしてるンだ!wwww」なんてわめく手合いは、「アニメ」
とやらにしかいない。
さらにちなみに…
関東財務局によると米本国のザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー
名義の'11年期純利益が約52億ドル(約5000億円!)。無論、単純比較
は出来ませんが…。
話の裏には、「放送枠の安い“埋めぐさ”として海外で重宝された」…
という悲しい面もあった。
では安ぅく叩き売っているのです。
しかも、言いたく無いですが海外で日本のアニメを見てる層なんて、
行ってはいない。
ネット等で「アニメ/オタクがニポンケーザイをササエてる!wwww」
とか、さも自分の手柄みたいに(←ここ重要)吠え立てるヒトは多い。
そういった層のネタ元は、直接でも間接でも多分この辺でしょう。
主要5分野で2,900億円市場」
ttp://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html
これは04年の発表。YouTubeやニコ動や、やらおんなどのヤラセ
ステマまとめコピペサイトや、違法動画サイトなど、現在ではシーン
の“大前提”になっている色々が無かった頃の話。いわば「大昔」です。
しかも、この野村の数値は「幅広い一般消費層」と「オタ」を一緒
くたにし、アイドルだゲームだ、果てはパソコンだ旅行だといった、
いわば“一般層”の消費行動もみんな「オタの手柄だ」みたいに言い
くるめた「水増し」数値なのです。言葉尻でもって、「趣味性の濃い
括っている。
逆に言えば、「オタ経済効果」なんて、最初からそうした「上げ底」
ありきの「ホラ」でしか無かったと見ても良い。
なので、この手の「オタクケーザイコーカ」ネタを勇ましく吠える様
な人は、要はただ単にいつも通りアニメをヘラヘラ見て、ハシタガネ
でグッズ買っている(敢えてこう言います)だけの事を盾に
というイタい夜郎自大の“錯覚”にふけっているだけ。そうやって自我を
膨れ上がらせているのです。自分では指一本動かす努力も苦労も無く、
ただ単にいつも通りヘラヘラとマンガやアニメ見て喜んで、数千円~
多くても数万円程度のハシタ金(敢えてこう言います)を落としている
だけに過ぎないのに。
大体、“経済効果”なんぞで趣味をハク付けしようだなんて、自分の
よっぽど抱いているのだろうなぁとしか見えない。通常なら、その
趣味が如何に文化的・芸術的・文芸的であるかを誇るのが、真っ当な
普段からヘラヘラと喜んで見ているアニメだかマンガだかいったモノ
に、いつも通りただ入れ込んでいるというそれだけで、さもオレ様
ちゃんはそのセンモンカさまだ詳しくてグッズ持っててイッパンジン
と違ってて人としてエラくてスゴいンだぞよ!とばかりにのぼせ上がり、
空疎な自尊心を満たした気になる…これが語本来の意味の「オタク」。
一個の人間が、自分という存在を真に世へ問うなら、自ら自身の掴み
取った努力とか向上心とか、人徳とか功績とかによるのが当然です。
アニメをヘラヘラ見て喜ぶだけなんて、わずかなカネと暇さえあれば
誰でも出来ます。そんな事を「おれはオタクさまだ」とか称して振り
かざすなんて、バカげている。
そういう人こそが、「アニメはオタクがケーザイコーカでエラくて
スゴい(からただ単に毎日ヘラヘラとアニメ見ているだけのオレ様
ちゃんもまた、自動的にリッパでエラい)んだ」とか頼まれもしない
のに吠え立てたがるのです。自尊心と、それと裏腹の劣等感を埋め
合わせる空しい埋めぐさとして。
無論、ご質問主さまはその様な卑しい「下心」なぞとは無縁と存じ
ております。
あ、私もマンガやアニメは大好きです。DVD類も書籍もグッズ類も
山ほどあります。
が、そんな事を盾に「ケーザイをササエテルんだwwww」などと
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260426163223# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCae2/igAKCRBwMdsubs4+ SL/KAQCI2v36mzPKjA9Q0LTKeZLHWMF3HFBqfwTgBJjFiUbmYwD+NVzrsFIgkPsv zEXJsU3ZZfpiDWWiVBR/8FUqeGiR7gY= =GnlY -----END PGP SIGNATURE-----
SNS(SNS)はリアルタイムで可視化されたインタラクティブなフィールドを構築し、「いいね」、「コメント」、「リツイート」はすべて直接フィードバックです。現実には多くの含蓄遅延が認められ、プラットフォーム上のインタラクションのたびに急速に感知されるという即時フィードバックメカニズムは、「見られ、賛同される」というニーズを無限に拡大させ、人々がコンテンツを出力し続ける核心的な原動力となっている。
人は群れの動物であり、群れに溶け込み、ディルド、孤独を避けることを渇望している。SNSで他人から認められることは、サークルに受け入れられ、孤独感を解消し、グループの帰属感を得ることができることを意味し、本能的な心理的需要である。
多くの人は他人の評価を通じて自己価値を定義している。いいね数、いいねコメントは、自身の魅力、観点の価値を測る尺度となり、外部承認は自己肯定の重要な根拠となっている。
プラットフォームアルゴリズムはインタラクティブ量に基づいてコンテンツをプッシュし、ラブグッズ、高認識はより多くの露出をもたらす可能性があります。人々は流量と関心度を維持するために、大衆の好みに合わせて、より高い相互作用量を求め続け、「発表→承認を求める→フィードバックを得る→再迎合する」**の閉ループを形成し、承認欲求をますます強くしている。
適度に認可を求めるのは間違いないが、SNS認可に頼りすぎて焦りに陥りやすい。本当の自分の価値は、これまでいいね数の定義ではなく、心の堅固さと受け入れに由来している。
子供とフィールドアスレチックに行くのでGoogle Mapsで施設を調べてGeminiに必要な持ち物を質問したら、
着替えやタオル、爪先が隠れる靴とか公式サイトに書かれている情報をリンク付きで提示してくれ便利だったんだけど、口コミを読んだらかなりの人が「軍手」があるといいと書いてたんだよね。ロープを使った遊具で手が痛くなるらしい。
そこでGeminiに「あると良いものは?」と質問したら公式情報の中に混ざって軍手が出てきた。
まあ確かに必要なものではなくてあると良いものではあって質問が悪いのかもしれないけど、公式情報は見つけやすく先に読んでるから情報の価値としては「軍手」ほほうが自分には高かった。
ピート・ヘグセス(Pete Hegseth、アメリカ国防長官)が、2026年4月15日頃にペンタゴン(国防総省)で開催した礼拝(祈りのサービス)で、パルプ・フィクションの引用をしたとして話題になっています。
何が起きたか
ヘグセスは、イランでの戦闘捜索救難(CSAR)任務で downed aviator(墜落したパイロット)を救出した「Sandy 1」ミッションを称える文脈で、祈りをリードしました。彼はこれを「CSAR 25:17」と呼び、エゼキエル書25章17節を反映したものだと説明した上で、以下のような祈りを読み上げました(ほぼそのまま):
「The path of the downed aviator is beset on all sides by the iniquities of the selfish and the tyranny of evil men. Blessed is he who, in the name of camaraderie and duty, shepherds the lost through the valley of darkness, for he is truly his brother’s keeper and the finder of lost children. And I will strike down upon thee with great vengeance and furious anger those who attempt to capture and destroy my brother. And you will know my call sign is Sandy 1 when I lay my vengeance upon thee. And amen.」
これは、クエンティン・タランティーノ監督の映画『パルプ・フィクション』(1994年)で、サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールズ・ウィンフィールドが、銃を構えて相手を撃つ直前に語る有名なモノローグに極めて近い(ほぼword-for-word)です。
「The path of the righteous man is beset on all sides by the inequities of the selfish and the tyranny of evil men. Blessed is he who, in the name of charity and good will, shepherds the weak through the valley of darkness, for he is truly his brother's keeper and the finder of lost children. And I will strike down upon thee with great vengeance and furious anger those who attempt to poison and destroy my brothers. And you will know my name is the Lord when I lay my vengeance upon thee.」
ヘグセス版では、軍事的な文脈に合わせて一部単語を調整(例: "righteous man" → "downed aviator"、 "charity and good will" → "camaraderie and duty"、 "poison and destroy" → "capture and destroy"、最後に "Sandy 1" を入れて)していますが、全体の構造と多くのフレーズが映画そのものです。
元ネタの背景
本物の聖書(エゼキエル25:17):実際の聖書には似たような終わり部分(「大いなる復讐を彼らの上に下し、激しい怒りをもって罰する…」)しかなく、前半の長々とした部分(道の beset on all sides など)は聖書には存在しません。タランティーノとロジャー・アヴァリーが映画のために創作・改変したフィクションです。
ndtv.com
映画ではジュールズが「聖書の一節」と称してこれを引用し、後にその意味を自分なりに解釈するシーンが印象的です。
反応
この件はすぐにSNSやメディアで拡散され、「偽の聖書引用」「パルプ・フィクションを本物の聖書だと思って読んだ?」と驚きや嘲笑の声が上がっています。一部では「意図的かミスか」との議論もありますが、ヘグセス本人は映画由来だと認識していなかった可能性が高いと指摘されています。ペンタゴンでのキリスト教礼拝シリーズの一環として行われたもので、軍事・宗教・ポップカルチャーが混ざった珍妙な出来事として話題です。
要するに、ヘグセスは軍の英雄的なrescue missionを祝福するつもりで祈りを読み上げましたが、それが映画の暴力的な名シーン由来の「偽聖書」だった、というオチです。タランティーノファンにはニヤリとするネタですね。
動画は各種ニュースサイトやX(旧Twitter)で視聴可能なので、気になる方は「Pete Hegseth Pulp Fiction prayer」で検索してみてください。
アクションゲーム『海腹川背』シリーズには、ほのぼのした見た目とは裏腹に、ファンの間で語り継がれている**衝撃的な裏設定**がいくつか存在します。]
最も有名な裏設定は、ゲーム内のフィールドが**主人公・海腹川背自身の「精神世界」**であるというものです。
2. 重い家庭環境と設定
主人公の川背さんには、意外にもシビアな家庭環境の設定が存在すると言われています。]
開発スタッフのインタビューでは、シリーズが進むにつれて年齢が変わる川背さんについて、「年齢設定には理由がある」といった意味深な回答がされることもありました。
これらはゲーム内で直接語られることは少ないですが、キャラクターデザインを担当した**近藤敏信氏**の世界観設定に基づいたものとして知られています。
このほか、特定のシリーズ作品にのみ登場する裏エピソードなど、**さらに詳しい設定**について知りたい作品はありますか?
はい、彼女の職業は**「流しの板前(いたまえ)」**です。寿司職人に限定されているわけではありませんが、和食全般の技術を持つ料理人という設定です。
この設定には、ゲームのタイトルにも通じる深い由来と、少し切ない背景があります。 [
タイトルそのものが、板前の修業で使われる**「魚の捌き方の心得」**から来ています。
この言葉が、主人公の名前とゲームタイトルの由来になっています。
彼女が若くして「流しの板前」として全国を渡り歩いているのには、家族にまつわる裏設定が関係しています。
ゲーム中では、巨大なルアー(釣り針)を自在に操って移動しますが、これは板前としての「食材確保」や、父譲りのサバイバル能力の現れとも言えるかもしれません。
「スピリチュアル」というよりは、**「心理学的・内面的な世界」**というニュアンスが近いです。
幽霊や神様といった超常現象の話ではなく、あくまで**川背さん自身の「心の中」や「記憶」が具現化した場所**として描かれているのがポイントです。
なぜスピリチュアルっぽく感じるのか?
ゲームの雰囲気がどこか浮世離れしているのは、以下のような「精神世界」としての演出が効いているためです。
空中に浮く足場や、魚に足が生えて歩いている奇妙な光景は、現実ではなく**「支離滅裂な夢」**のようです。
ステージの背景にある日本の原風景のような看板や建物には、どこか**「過去の記憶」**を辿っているような寂しさが漂っています。
敵の魚たちは、彼女が板前修業の中で向き合ってきた「食材」への意識や、父親との思い出が歪んで現れたものとも解釈されます。
開発側の視点
キャラクターデザインの近藤敏信氏は、川背さんが成長して年齢を重ねることに意味を持たせています。彼女が大人になるにつれて、この「精神世界」の捉え方や、そこに現れるものも変化していくという、非常に**内面的なストーリーライン**が裏に隠されています。
ですので、オカルト的な意味でのスピリチュアルではなく、**「孤独な少女の心象風景をアクションゲームにした」**という方が、このシリーズの裏設定の正体に近いです。
直接的な「動物愛護」や「環境問題」といったメッセージよりも、もっと**個人的でシビアな「職人の業(ごう)」**に近いメッセージ性が裏に込められています。
板前である彼女にとって、魚は「食材」であり、同時に「自らを形作る存在」でもあります。
川背さんがルアー(釣り針)で魚を釣り上げ、気絶させて捕獲するアクションは、板前としての**「命をいただく行為」**の裏返しです。
裏設定としての精神世界では、彼女がこれまで捌いてきた、あるいは向き合ってきた魚たちの「思念」が具現化して襲いかかってくると解釈されることもあります。
3. 「食うか食われるか」の境界線
敵の魚に足が生えていたり、巨大だったりするのは、現実の力関係が逆転した**「悪夢」**のような状態です。
4. 命を「繋ぐ」道具としてのルアー
彼女が使う伸縮自在のロープ(ゴム)は、単なる武器ではなく、対象との**「繋がり」**を象徴しています。
魚を単に殺すのではなく、引き寄せて捕える(あるいは利用して移動する)プロセスには、食材に対する独特の**執着と敬意**が混ざり合っているという考察がファン層では根強いです。
「魚を大事にしよう」という道徳的な話ではなく、**「他者の命(魚)を糧にして生きる者の孤独と覚悟」**という、プロの料理人としての精神的な葛藤が、あの独特の静かな世界観を作り出していると言えます。
こうした**「職人としてのストイックさ」**が、他の萌えキャラ的なゲームとは一線を画す、シュールで深い魅力に繋がっているのかもしれません。
パルワールドの裁判でパルワールド側は捕獲メカニクスに関する特許は既に存在しているといっていたけど、ポケモン赤緑よりも前に似たようなものがある。
https://gesato.com/gb/aretha/top.html
本作はGB初期のRPGであり、以下の様に他の作品との差別化を図った意欲作でもある。
主人公が女性(当時は少なかった) 顔グラ等、グラフィック重視の開発が成されている。
フィールドを歩いて障害物にぶつかると自動的に避けて歩いてくれる「ファジーシステム」採用
8方向に歩ける お金を借りる事が出来る
調べれば出てくるけど、ポケモン赤緑の開発の段階で田尻聡はカプセルモンスターシステムを知っててもめる要素しかなく、略称も微妙なので、名前を変えている。
https://pk-mn.com/n/pokemon-aka-midori-capsule-monster/
「ポケモン赤緑」の開発段階のデータは、金銀のときと同じように、製品版とは異なるデザインのポケモンが確認できます。
また、「ポケットモンスター」は、元々は「カプセルモンスター」という名前で発売したかったものの、権利関係の問題や、省略した時の「カプモン」という名前のダサさから今の名前に決まることになります。
なお、パルワールドとの裁判のせいなのか移植が難しいせいなのかはわからないが、アレサのリメイクコレクションにGB版は含まれていない。
2行で要約
SFWと詐称するな
ガイドラインは守れ
以下お気持ち
一部が金さえ、あるいは数字さえ、酷いとただの承認欲求や認知を稼げればそれでいいような
NSFW(Not Safe For Work)
例えば全身黒ピチスーツの乳首が浮いてるような絵、水着姿や下着姿、露出は少なくても谷間や太ももが強調された絵など。
上司同僚守衛の方、清掃の方、営業先etc...に一般的な価値観で見せた時問題があるという時に使う言葉。
AIを批判する意図はこの文にはないのだが、少なくともNSFWをよく知らないAIの方の誤用から生まれた「おまじない」である。
こんな「見ても大丈夫」なんて定義を勝手に行う奴らがずいぶん多い、R-15程度なら余裕である内容で。
そういったおまじないの流行はプロフに他国の事件や政治的なワードを入れてるリテラシーの人が今だにいるほどなので言葉の意味や背景くらいは考えた方がいい。
他にもガイドラインを守らない奴の多さ。
例えば
②グッズを出してはいけない。
とか……。
①はまあ、あの走ってる奴で多くの人が論じたし、性行為してるやつも大便させてるやつも金もらってるし大して燃えなかったから多く語らないとして。
②は過去に頒布中止かけられたり、最近もちょっと話題になってたな。自由じゃないとかなんとか言われてたけどこれには更に「自己解釈をするな」って新手の釘が刺してあって最高だった。
「画像やイラスト」を使わず「非公式の用語」でまとめてるからセーフとか
そんなのばかりである。
どんな釘を刺されてもむしろ許可すると明言される場所がまた重要であり
それらを守れば作っても良いと明確なホワイトゾーンがあることがとてもありがたいことだ。
にも関わらずいっときの得のためにグレーゾーンを踏み荒らす奴らが多すぎる。
まあどうせ、こんなことを書いても転売ヤーや漫画村を読んでいる層と同じなので行動を是正する事はないだろう。
正直者が作ったフィールドを荒らすだけ荒らして消えていく、長い目で見れば蝗害と化すかもしれない。
IMARCグループの最新レポート「日本のファクトリーオートメーション&産業制御市場:業界動向、シェア、規模、成長、機会、予測2026-2034」によると、日本のファクトリーオートメーション&産業制御市場規模2025年には166億米ドルに達すると予測されています。IMARCグループは、今後の見通しとして、2026年から2034年にかけて年平均成長率(CAGR)9.31%で成長し、2034年には369億米ドルに達すると予測しています。
日本の工場自動化および産業制御市場は、精密工学と技術革新への数十年にわたる投資を反映し、同国の製造業経済において戦略的に最も重要なセグメントの1つとなっている。市場規模は2025年には166億米ドルそして到達すると予測されている2034年までに369億米ドル拡大2026年から2034年までの年平均成長率(CAGR)は9.31%。この持続的な成長軌道は、日本が先進的な製造業の卓越性に対する揺るぎない取り組みと、インダストリー4.0主導のスマートファクトリー・エコシステムへの移行を加速させていることを反映している。
サンプルレポートのご依頼:https://www.imarcgroup.com/report/ja/japan-factory-automation-industrial-controls-market
2026年版日本工場自動化市場レポートによると、日本は工場自動化およびコンピュータベースの製造実行システム(MES)向けの先進製造技術の導入と展開において、アジアをリードする地位を維持しています。グローバル競争の激しい自動車メーカー、エレクトロニクス、精密工学、化学プロセスなどの先進産業は、高精度・高品質製品に対する世界的な需要に対応するため、プログラマブルロジックコントローラ(PLC)、分散制御システム(DCS)、監視制御・データ収集プラットフォーム(SCADA)、産業用ロボットを活用しています。生産性の向上、不良品の削減、コスト削減という3つの課題が同時に突きつけられる中、日本全国において工場現場の徹底的な自動化と制御の必要性はかつてないほど高まっています。
日本の製造業における労働力不足は、工場自動化の構造的な推進要因の一つとみなされている。労働力、特に製造業労働者の高齢化が進み、賃金も上昇傾向にあるため(製造業者は生産量を維持するために自動化とロボットの活用を余儀なくされている)、自動車組立工場、電子機器製造工場、食品加工工場などでは、産業用ロボット、協働ロボット(コボット)、AI制御の自動搬送車(AGV)が数百万台規模で導入されている。センサーとマシンビジョンの進歩により、自動化の精度が向上し、日本が誇る品質へのこだわりを支える無欠陥生産基準が実現している。自動化は、日本の競争優位性を損なうどころか、むしろ強化するものである。
政府の取り組みも、日本の工場自動化分野における大きな推進力の一つです。経済産業省は、AI、IoT、デジタル製造技術の活用を通じて日本の産業基盤の高度化を支援する「コネクテッド・インダストリーズ」という政策を策定しました。製造業者は、スマートファクトリー、エネルギー効率の高い自動化ソリューション、デジタルツインへのアップグレードに対して政府補助金を受けることができます。例えば、日本のグリーンイノベーション基金は、日本の2050年カーボンニュートラル目標の一環として、エネルギーと二酸化炭素排出量を削減するために自動化に投資する工場に資金を提供しています。こうした政策主導の投資により、2026年から2034年にかけて、日本の工場自動化および産業制御市場に強力かつ持続的な追い風がもたらされると予想されます。
日本の工場自動化・産業制御市場の拡大を支える主な要因は以下のとおりです。
深刻な労働力不足が、産業用ロボットと自動生産システムの導入加速を促している。
政府の「コネクテッド・インダストリーズ」政策枠組みは、スマートファクトリーへの移行に対する資金援助と規制支援を提供する。
自動化による一貫した品質が求められる高精度な日本製製品に対する世界的な需要の高まり
AI、IoT、デジタルツイン技術の迅速な統合により、工場のインテリジェンスと運用効率が向上する。
エネルギーコストの上昇圧力とカーボンニュートラルへの取り組みが、効率的な自動化システムへの投資を促進している。
日本の工場自動化および産業制御市場は、自動化機器サプライヤー、システムインテグレーター、そしてインダストリー4.0向けソリューションを提供するソフトウェアベンダーにとって大きなチャンスです。インダストリー4.0では、分析機能やクラウド接続機能を備えた、接続性と統合性に優れた自動化ソリューションへの需要が高まっています。特に協働ロボットは有望視されています。多くの日本の製造業者は、組み立てなどの複雑で詳細な作業を人間が行うのを支援するために、柔軟な自動化を求めています。一方、通常は自動化が遅れている食品・飲料加工業界では、衛生要件、労働力不足、そして一貫した品質への要求に対応するため、工場自動化への関心が急激に高まっています。こうした変化は、日本の自動化ベンダーにとって、新たな急成長市場の機会をもたらしています。
2026年日本工場自動化・産業制御市場レポートでは、業界を以下のカテゴリーに分類しています。
その他
その他
石油・ガス
電力および公益事業
その他
歌の地域
Chubu Region
Tohoku Region
Chugoku Region
Shikoku Region
この市場調査レポートは、市場構造、主要企業のポジショニング、成功戦略、競合ダッシュボード、企業評価象限など、競争環境に関する詳細な分析を提供します。さらに、主要企業すべての詳細なプロファイルも含まれています。
2026年2月:日本の経済産業省は、コネクテッド・インダストリーズ構想に基づき、中小製造業者がPLCのアップグレード、SCADAシステムの近代化、デジタル工場管理プラットフォームの導入に投資する際の財政支援を行う、補助金制度の拡充を発表した。
2025年10月:日本のグリーンイノベーション基金の下、政府当局は、中部地方の自動車メーカーがエネルギー効率の高い自動生産ラインに投資する場合、追加の補助金を承認した。これは、製造業の競争力を維持しながら産業における二酸化炭素排出量を削減するという、日本のより広範な戦略の一環である。
2025年5月:日本の電子・精密工学分野を代表する業界団体は、経済産業省の政策規制当局の支援を受け、AI統合型産業制御システムの新たな規格を共同で発表した。この規格は、次世代スマートファクトリー制御インフラにおける相互運用性とサイバーセキュリティ要件を定めたものである。
将来の市場見通し
日本の工場自動化・産業制御市場は、構造的な労働力不足、政府の支援政策、製造現場におけるAI、IoT、デジタルツイン技術の導入加速などを背景に、少なくとも2034年までは力強い成長が見込まれます。自動化への継続的な投資、そしてそれによってもたらされる製造現場全体の生産品質、効率性、持続可能性の向上は、精密製造における日本の世界的なリーダーとしての地位をさらに確固たるものにし、日本の製造業者にグローバル産業市場における持続的な競争優位性をもたらすでしょう。
Q1. 日本のファクトリーオートメーションおよび産業制御市場とはどのようなものですか?
日本の工場自動化および産業制御市場は、製造プロセスを自動化し、産業オペレーションを制御するために使用されるシステム、機器、ソフトウェアを網羅しており、これにはPLC、SCADAシステム、産業用ロボット、マシンビジョン、製造実行システムなどが含まれる。
Q2. この市場の成長を牽引している要因は何ですか?
主な推進要因としては、日本の深刻な労働力不足、政府のコネクテッド・インダストリーズ政策による支援、精密な日本製品に対する世界的な需要の高まり、インダストリー4.0技術の急速な普及、そしてカーボンニュートラル目標に関連したエネルギー効率化への圧力などが挙げられる。
工場自動化は、自動車組立、電子機器製造、食品・飲料加工、化学製品製造、発電、精密工学など、日本の産業経済のあらゆる分野に広く導入されている。
日本における工場自動化および産業制御ソリューションの主な顧客は、自動車メーカー、電子機器メーカー、食品・飲料メーカー、化学プラント、エネルギー会社、精密工学企業などである。
AIは、予測保全、マシンビジョンによるリアルタイム品質検査、インテリジェントな生産スケジューリング、適応型ロボットシステムなどを可能にし、日本の工場現場全体で製造効率、製品品質、および操業の回復力を劇的に向上させている。
主な課題としては、包括的な自動化システム導入にかかる高額な初期費用、新しい自動化技術と既存のレガシー機器との統合の複雑さ、接続された産業環境におけるサイバーセキュリティリスク、および従業員の再訓練の必要性などが挙げられる。
Q7. 日本のファクトリーオートメーションおよび産業制御市場の将来展望は?
労働市場の圧力、政府の産業政策、AIとIoTの統合、そして先進製造業における卓越性の世界的リーダーとしての地位を維持しようとする日本の戦略的コミットメントに支えられ、市場は2026年から2034年にかけて年平均成
同じ¥500が二つに分岐する瞬間がある。
松屋のカウンターで券売機のボタンを押す¥500。配信のチャット欄でスーパーチャットを送る¥500。前者は340kcalの熱量に変わり、胃に届き、数時間後に消える。後者は配信者の口から自分のハンドルネームが発声される3秒間に変わり、鼓膜に届き、数秒後に消える。
どちらの¥500も、使われた瞬間に消滅する。だが消滅の仕方が違う。牛丼の¥500は何に変わったか説明できる。スパチャの¥500は説明できない。
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この説明不能性には技術的な根拠がある。スーパーチャットは感情を整数に変換するプロトコルだが、仕様にセマンティクスの定義がない。
SUPERCHAT_PACKET {
amount: uint32 // defined
message: utf8[] // defined
color: enum[7] // defined
intent: ??? // UNDEFINED
}
intentフィールドが未定義のまま本番に出た。¥10,000は「愛している」かもしれないし「暇で金がある」かもしれないし「このチャットを支配したい」かもしれない。プロトコルは区別しない。金額は意味の非可逆圧縮であり、復号アルゴリズムは存在しない。
牛丼にはこの問題がない。¥500=並盛一杯。intentフィールドは「空腹の解消」でほぼ確定している。食欲は意味の不確定性を持たない。だから誰も牛丼を買う行為に怒らない。
投げ銭文化への反発は、金額が高いから起きるのではない。intentが未定義のまま可視化されるから起きる。¥500という数字が見えた瞬間、親密さに度量衡が発生し、度量衡を持った親密さは牛丼と比較可能になる。比較可能になったものは聖域ではない。「最初から聖域など無かった」という事実が、牛丼一杯分の数字で証明されてしまう。
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1517年、ドミニコ会士ヨハン・テッツェルは贖宥状を売った。金を払えば煉獄の年数が短縮される。罪の赦しに値段がついた。マルティン・ルターは激怒した——恩寵に値段をつけるなと。
INDULGENCE v1.0 (1517) SUPERCHAT v2.0 (2017) medium: coin medium: JPY/USD message: prayer request message: utf8[] minister: priest minister: streamer grace: years_off_purgatory grace: seconds_of_recognition
パケット構造が同一であることは偶然ではない。どちらも「値段のつかないはずのもの」に値段をつけるプロトコルだからだ。テッツェルの贖宥状は神の恩寵を、スーパーチャットは人間の承認を、それぞれ通貨単位に変換する。そしてどちらのプロトコルにも、intentフィールドが未定義のまま残されている。
だがテッツェルの実装と現行のスーパーチャットの間には、一つの決定的な差異がある。テッツェルには料金表があった。身分と罪の重さに応じた価格が事前に定まっていた。スーパーチャットにはそれがない。「あなたが決めなさい」と言われる。会衆が自分で恩寵の値段を設定する。
歴史上のどの教会もこれをやらなかった。人間は自分の救済にいくら払うべきかを決められないからだ。
料金表の不在が、牛丼を度量衡として召喚する。公式の基準単位がない以上、会衆は自力で換算表を発明しなければならない。ある者は牛丼で測り、ある者は時給で測り、ある者は「推しの笑顔何秒分」で測る。全員が異なる度量衡を使って、同じ恩寵に値段をつけている。バベルの塔の崩壊後に、全員が異なる言語で同じ神に祈っているようなものだ。
そして隣の席の人が¥10,000を投げる。わたしは¥500。牛丼一杯分。わたしの信仰は隣人の20分の1なのか。この比較が可能になること自体が地獄である。テッツェルの料金表は残酷だったが、少なくとも比較の苦痛からは解放していた。全員が同じ表を見ていたから。
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カトリック神学の核心に聖体変化(transubstantiation)がある。パンとワインの外見——偶有性——はそのままに、実体(substantia)がキリストの肉と血に変わる。見た目はパン。本質は神。
スーパーチャットでは逆の変容が起きている。¥500の偶有性は経済的取引そのものだ。通貨単位、決済システム、プラットフォーム手数料率30%。だが送信者にとっての実体は牛丼を離れている。それは承認の要求であり、匿名性からの脱出であり、ときに悲嘆の放送であり、ときに愛の宣言である。牛丼の偶有性を保持したまま、実体が非経済的な何かに変容している。
投げ銭批判者は偶有性を読む。「¥500は¥500だ。牛丼だ。取引だ。搾取だ。」
投げ銭擁護者は変容後の実体を体験している。「金額の問題じゃない。気持ちだ。」
聖体論争 (16世紀) カトリック(実体変化説): 実体は変化し、偶有性は残る → パンは肉である ルター(共在説): 実体は共存し、偶有性は残る → パンの中に肉がある ツヴィングリ(象徴説): 実体は不変、偶有性も不変 → パンはパンを表すのみ 投げ銭論争 (21世紀) 送信者: 実体は変化し、¥500の偶有性は残る → ¥500は愛である 穏健派: 実体は金銭と共存する → ¥500の中に愛がある 批判者: 実体は不変、金は金のまま → ¥500は牛丼のままである
批判者のポジションはツヴィングリの象徴説と構造的に同型である。パンはパンだ。¥500は牛丼だ。そこに超越的な何かが宿ると信じるのは幻想にすぎないと。
だが配信者がハンドルネームを読み上げた瞬間、送信者の体に起きていること——心拍の微細な変化、ドーパミンの放出、名前を呼ばれたという事実の身体的登記——は、幻想では説明がつかない。何かが起きている。偶有性の内側で。だがそれが「何」であるかは、原理的に、外部から観測できない。
だからこの論争には決着がつかない。500年前と同じく。
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配信者は司祭職を選んでいない。プラットフォームが収益化を有効にした瞬間、叙任が起きた。ダッシュボードの「収益化」トグルをONにすること、それがこの時代の按手礼である。テッツェルは少なくとも自分が贖宥状を売っていることを知っていた。現代の司祭たちにはその自覚がない。彼らは読み上げという秘跡の執行を通じて承認という恩寵を発行している。Ex opere operato——事効的に。執行者の内面に関係なく、プロトコルが走れば恩寵は発行される。
会衆の側でも制度化は進む。常連が生まれ、ハンドルネームが記憶され、内輪の典礼が形成される。奉仕(切り抜き、ファンアート)がある。教義(推し文化のコード)がある。異端審問がある(「あいつはガチ恋勢だ」)。破門がある(BAN)。殉教者がいる(炎上して垢消しした古参)。
投げ銭文化への反発が最も激しくなる瞬間は、金額が高い時ではない。コミュニティが自分たちを教会だと気づきかけた時だ。気づきかけて、その認識を拒否する力が反発として噴出する。「いや、これはただの趣味だ」「推しているだけだ」「宗教じゃない」。否認の強度がそのまま、構造的同型性の証拠になっている。
初期キリスト教の信者たちも自分たちを「教会」とは呼ばなかった。エクレシア——集会——と呼んだ。ただの集まりだと。
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¥500が牛丼でありかつ愛であるという命題は、パンが小麦粉でありかつ神の肉体であるという命題と同じ構造を持ち、同じ検証不能性を持つ。スーパーチャットのintentフィールドは未定義のままであり、聖体の実体が変化したかどうかを外部から観測する手段は存在せず、料金表は永遠に再発行されない。
この不確定性は投げ銭に固有のものではない。すべての価格決定に潜んでいる。ただ、スーパーチャットの¥500はそれを素手で触れるほど近くに引き寄せた。牛丼一杯という、誰にでも分かる度量衡を使って。
できないまま、¥500は今日も飛ぶ。松屋に向かう¥500と、チャット欄に向かう¥500。同じ硬貨の表と裏のように。片方はカロリーに変わり、片方はintent未定義のまま、どこかの配信者の唇を通過して、消える。