はてなキーワード: フォルダとは
TypeScript ベースのフルスタックフレームワークが増えてきたね。
フロントエンドもバックエンドもTypeScript 実装できてとっても嬉しいね。
しかし、バックエンドとフロントエンドと密結合な事実はとても怖いんだ。
フロントエンドの成長速度はとても早い。
React がデファクトになりつつあるが、 React ベースのフレームワークは群雄割拠だ。
むしろ、 React を排する新しい技術も出てくるくらいの戦国時代なんだ。
フレームワークを選定時、各言語でも多くて3つ程度に絞られるのではないか。
成熟しつつあるバックエンドと成長中のフロントエンドを一緒のライブラリで運用すること。とても怖い。
特に TypeScript はフロントエンドを祖に持つので、フロントエンドの事情がフレームワークの開発ロードマップの意思決定に強い影響を与える。
フロントエンドに破壊的変更が加わった時、バックエンド側にも影響を与える。
他フレームワークにおけるフロントエンドの実装について、あの Ruby on Rails ですらバージョン上がるごとにフロントエンドに破壊的な変更が入る。
まぁ View の取り扱いの黒魔術は魔境だから極力触りたくないが、バックエンドの側面のみを切り出した API モードであれば爆速の開発体験とテスト機構により信頼性が高い。
それなら、フロントエンドとバックエンドを別々に管理にしたい。
いや俺は、TypeScript のアプリケーションが嫌いなのかもしれない。
フォルダ設計も、テスト機能の整備も、ORMの設定も、最初から設定する必要があるから。面倒なんだ。
どうせ TypeScript アプリケーションの設計は設計者の自己満足になる。
そして、設計者は運用の責任を全うせずいなくなる。ドキュメントすら残さない。
それなら、規約で縛るフレームワークの方が、後任がキャッチアップしやすい。
設計者が知識を普及もしくはドキュメントを整備して知識の移転に心を砕いてくれれば、設計方針を汲み取りやすいのだが、そうしてる設計者はいるのだろうか。
後任のために、せめてものドキュメンテーションを心がける。
つまり、険悪な雰囲気になるとAIに”夫婦喧嘩の台本”を書いてもらい、それを演じることで発散する。
先日もちょっとしたことで喧嘩になりそうだったのですぐAIに頼み、こんな感じの台本を書いてもらった。
〈登場人物〉
👩🦰 妻(怒り気味):「最近帰りが遅いけど、本当に仕事なの?」
👨💼 夫(焦りながら):「もちろん仕事だよ! 疑うのはやめてくれ!」
妻(じっと夫を見つめて):「ねえ、昨日も帰り遅かったよね?」
夫(目をそらす):「うん……まあ、ちょっと会議が長引いて……」
夫(咳払い):「あー……新しいプロジェクトの進捗確認とか……」
妻(目を細める):「ふーん。で、なんでLINEの返信なかったの?」
夫(冷や汗):「えっ? あ、いや……それは……携帯の充電が……」
妻(即座に被せる):「フル充電だったよね? 朝、出かける時に見たけど」
夫(絶望):「……」
妻(ため息):「正直に言って。浮気してるの?」
夫(慌てて手を振る):「違う違う! そんなわけないだろ!」
妻(低い声):「じゃあ、証拠を見せて」
夫(身じろぎする):「証拠って……な、何を?」
妻(スマホを指さす):「スマホ見せて。履歴とか、LINEのやりとりとか」
夫(ぎくり):「えっ……いや、それは……」
妻(鋭い目):「何か見られたら困るものでも?」
夫(しどろもどろ):「ち、違うよ! ただ、その……プライバシーというか……」
夫(観念して):「実は……最近、ラーメン屋に寄ってたんだ……」
妻(キョトン):「……は?」
夫(しどろもどろ):「夜食べるの我慢できなくて……新しくできた店、すごい人気でさ……並んでて……」
妻(呆れ):「つまり、帰りが遅かったのは、ラーメン食べるため?」
夫(コクコク頷く):「そう……」
夫(小声):「食べるのに夢中で……」
夫(うつむく):「ラーメンの写真でフォルダがいっぱいになってるから……」
夫(安堵の表情):「ごめん……」
妻(クスクス笑いながら):「もう、そんなことでコソコソしないでよ……バカみたいに疑っちゃったじゃない」
妻(微笑みながら):「まったく……明日は私も一緒に行くからね?」
夫(嬉しそうに):「もちろん!」
******
これを俺と妻で演じるわけだ。
妻は当初、こうした試みに半笑いだったが、途中から完全に役に入りはじめた。
怒りを全部飲み込んでしまうと後々爆発するし、かといって本気でぶつかると修復が面倒になる。
ならば本気で喧嘩をするのではなく、役として演じることで、あたかも喧嘩したかのようにスッキリすればいい。
もちろん、演技とはいえ妻は容赦ないので、それなりに演技力が求められる。
> アプリ内のデータかバックアップしたのを自分でダウンロードしてテキスト化する方法ないかなあ/できたわ。設定→位置→タイムライン→タイムラインのエクスポートでjson化可能。あとは誰かが処理系を作るだけだ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766225990155446401/comment/punychan
これを使えばXXXX-XX-XX.kml 形式で日付別のタイムラインデータを出力できる(ChatGPT製)。
KMLファイルはGoogle Earth Proなどで開くことが可能で、ビジュアルとして行動履歴を見ることができる。
ただ、以前GoogleMapsタイムラインが吐いていたKMLではPlacemarkという項目に直接建物名などが書かれていたが、現在出力されているjsonではplaceIdというものに変更されていて具体的な名前がわからない。
placeIdを実際の建物名などに変換するにはGoogle Maps API の Place Details APIを使うしかないようだが、膨大なリクエスト(有料)をしなければならず非現実的。
もともと欧州のプライバシー関係の規制のせいでGoogleのサーバ上でのタイムライン履歴が行われなくなったのが今回の問題の起点。
ユーザーの自由を尊重するなら、個人が行動履歴を自己管理する自由ももっと尊重してもらいたいものだな、と思った。
import json
import os
from xml.etree.ElementTree import Element, SubElement, tostring
from xml.dom.minidom import parseString
with open("タイムライン.json", "r", encoding="utf-8") as f:
data = json.load(f)
output_folder = "kml_output"
os.makedirs(output_folder, exist_ok=True)
# `semanticSegments` に移動データが含まれている
if "semanticSegments" in data:
date_segments = {} # 日付ごとにデータをまとめる辞書
for segment in data["semanticSegments"]:
# `startTime` から日付部分(YYYY-MM-DD)を抽出
if "startTime" in segment:
date = segment["startTime"].split("T")[0]
date_segments[date].append(segment)
for date, segments in date_segments.items():
kml = Element("kml", xmlns="http://www.opengis.net/kml/2.2")
document = SubElement(kml, "Document")
for segment in segments:
for point in segment["timelinePath"]:
coords = point["point"].replace("°", "") # 度記号を削除
time = point.get("time", "Unknown Time")
# Placemarkを作成
placemark = SubElement(document, "Placemark")
# タイムスタンプ
timestamp = SubElement(placemark, "TimeStamp")
when = SubElement(timestamp, "when")
# 座標
point_element = SubElement(placemark, "Point")
coordinates = SubElement(point_element, "coordinates")
lat, lon = coords.split(", ")
coordinates.text = f"{lon},{lat},0" # KML形式: lon,lat,alt
kml_str = tostring(kml, encoding="utf-8")
formatted_kml = parseString(kml_str).toprettyxml(indent=" ")
kml_filename = os.path.join(output_folder, f"{date}.kml")
俺のEmacsライフは、もはやただのエディタを超えて、完全に生活そのものだ。
日常のあらゆる側面がEmacsに支配されていて、他のソフトウェアなんて目にも入らねぇ。
今日は、どれだけ俺がこの深淵な世界に没頭しているか、そのレベルを見せてやるぜ。
俺の.emacs.dには、数十種類どころか、もう百を超える自作パッケージが眠ってる。
特に、自分で書いたLisp関数は、日々のタスクを自動化するために欠かせねぇ。
例えば、特定のフォルダ内のMarkdownファイルを自動でHTMLに変換してブラウザで表示するスクリプトを組んじまった。
これでブログを書くたびに手間いらずで、「C-c C-v」でプレビューできる快感は、もう中毒だぜ。
(defun my-markdown-to-html () "MarkdownファイルをHTMLに変換してブラウザで表示する関数" (interactive) (let ((markdown-file (read-file-name "Markdownファイルを選択: "))) (shell-command (format "pandoc %s -o %s.html" markdown-file (file-name-sans-extension markdown-file))) (browse-url (concat (file-name-sans-extension markdown-file) ".html"))))
この関数を使えば、Markdownファイルを選んで一発でHTMLに変換し、そのままブラウザで表示できる。これがなきゃブログなんて書けないぜ。
Org-modeは俺の人生そのものだ。TODOリストやスケジュール管理だけじゃなくて、プロジェクト管理や文書作成まで全てを一元化してる。
特に、カスタムキャプションやプロパティドロップダウンメニューを駆使して情報整理に命懸けてるんだ。
さらに、Org Babel使ってRやPythonのコードを直接実行しながらデータ分析なんて日常茶飯事だ。この機能のおかげで、データサイエンスもEmacs内で完結しちまうからたまんねぇよ。
自分専用にカスタマイズしたショートカットが数百種類もあるんだぜ。
「M-p」で過去のコミットメッセージを呼び出す機能なんか、Gitとの連携が一瞬でできるから開発効率が飛躍的に向上する。
さらに、Emacsにはマクロ機能があるから、自分の操作を記録して再生することもできる。
この前、自分専用のマクロを作って、特定のフォーマットでドキュメントを一瞬で整形することができた。
これで「お前は本当に人間なのか?」って言われてもおかしくないレベルだ。
Emacs Lispを書くことが俺の日常になってる。この前、自分だけのコード補完システムを構築したばかりだ。
この機能のおかげで、特定のキーワードを入力すると関連するコードスニペットが自動的に提案される仕組みになってるから、コーディング中に思考が途切れることなくスムーズに進行するぜ。
(defun my-auto-complete () "カーソル位置に基づいてコードスニペットを提案する" (interactive) (let ((input (thing-at-point 'symbol))) (if input (let ((completion-list '("myFunction" "myVariable" "myClass"))) (setq completion-list (cl-remove-if-not (lambda (item) (string-prefix-p input item)) completion-list)) (if completion-list (message "候補: %s" (string-join completion-list ", ")) (message "候補なし"))) (message "シンボルが見つかりません"))))
この関数ではカーソル位置からシンボルを取得し、それに基づいて候補を表示する。これがあればコーディング中も迷わず進められるぜ。
Emacsユーザーとして活動している中で、多くの仲間と出会った。
彼らとの情報交換や共同開発は刺激的で、新しいアイデアが次々と生まれてくる。この循環こそが俺の成長につながっていると実感しているんだ。
最近では、自分が開発したパッケージをGitHubで公開し、フィードバックを受け取ってさらなる改善点を見つけたりもしている。
このフィードバックループがあるからこそ、自分自身も進化し続けられるんだ。
今やEmacsは単なるツールじゃなくて、俺自身の一部になってる。
常時バックグラウンドで録画しとって直近の5分やら10分やらのリプレイを書き出すような機能はな
SSDの寿命がマッハになって突然死を招くからやめといたほうがええで
Geforce ExperienceやAMD softwareでいうインスタントリプレイとかそれ系の機能やな
ワイのおすすめは、録画したいときだけOBSでショートカットキーで録画始めて保存することや
OBSにもリプレイバッファちゅー似たような撮り逃がしをキャッチする機能はあるけども
少なくともOBS起動してそれONにしなければSSDに負荷はかからんからな
OBSのええとこはゲームの音声だけ狙ってキャプチャできるとこや
つまりバックで何聞きながらゲームしとってもゲーム音だけ撮れるしOSのエラー音通知音とかも入らんわけ
同じ機能のあるキャプチャソフトはあるかもしれんが多分OBSが一番活発に開発されてるやろ
まーリプレイ機能に関しては録画先(一時フォルダ)をHDDにすることで実用的に使えるけど
HDDはSSDほど突然死ぬことはなくて不調がでたら異音とかアクセス不調とかで分かる感じやから良い
ただしHDDは書き込み速度がネックになるから4Kやら60fpsやらの高ビットレート設定だとうまく録画できん可能性あるんで要調整や
そのへんを飲み込めるならインスタントリプレイも悪いもんやないで
最近、仕事よりも家庭を重視する夫が増えてきた。本当に素晴らしいことである。浮気もしない(妻以外の女性に興味を示さない)、家事を妻よりも主体的にやる、仕事も真面目にこなす、休日は家庭優先、これが当たり前の夫が身の回りでも多い。
しかし、そんな夫でも妻からめちゃくちゃ怒られている。中には人格攻撃を受けている者もいる。私は彼らの話を聞いたり、あえてその妻からも背景を聞いて考えをまとめてみた。
_____
女性の恋愛は「上書き保存」だと言われているが、妻の夫への不満は「名前をつけて保存」である。
普通の人間関係であれば嫌なことがあってもそのうち忘れたり、もういいかと記憶の端に追いやっていく。
ただ夫婦関係においては「もういいか」にはならない。些細なコミュニケーションエラーが発生し、客観的にはお互い様な事案であっても、妻はそれを「名前をつけて保存」していることを忘れないで欲しい。
妻の保存したデータは精神状態がポジティブな時に開くことはないが、ホルモンバランスが崩れた時に(自分自身きっかけだったり夫の不用意な言動がきっかけで)「あの時のあれ、もう一度見返すか」とフォルダから夫の悪事データを開く。さらに都合が悪いことにひとつのデータではなく複数のデータを同時に見返してしまうのだ。
※その見返すデータはもともと嫌なこととして保存されているが、ホルモンバランスが崩れた状態なのでさらにネガティブな解釈で読み込みをされる。
上記の脳の状態になっているので、妻は過去の記憶を昨日のことのように次から次へと鮮明に思い出す。その結果、青天の霹靂のような夫への問い詰め・説教へと繋がるのだ。夫側からすると「急に何を話したいのか?過去の話をなぜいま?それは既に話し合って謝罪したはず。いまの議論と関係ないのでは?」と困惑する。しかし、妻は記憶のデータフォルダを大量に開けている状態だ。過去の嫌な出来事を『再放送一気見!』したばかりなので熱量が高く、夫が「私に嫌なことをする人間」にしか見えなくなっている。つまり長い目で見れば良いことも悪いことも山あり谷ありの時系列だったり、さまざまな人間性があるということは消え失せ、夫を"悪いことしかしていない悪事の集積"でしか見れなくなるのだ。だから夫が、線や面の思考で「ここまで家事をしているのに、ここまで家族最優先で動いていたのに、妻の望みも最大限叶えてきた」と訴えかけても妻の目の前にはその献身的な夫はどこにも存在していない。目の前には「嫌がらせ・気遣い無し・自分勝手の塊、傍若無人、そういった事実が積み重なった妖怪の夫」だけが存在しているのである。その状況で妖怪夫が妻に対して正しい認識や会話の整理、論理的な対応をしたとしても妻は妖怪の言うことなので耳を貸すわけがない。
妖怪は人間でない。人間ではないので「これを言うと相手は傷つくかな?気持ちが落ち込むかな?」という相手を思いやる気持ちを妻は持たない。ただただ目の前の妖怪に"ここ最近で受けた仕打ち"の仕返しをして、妖怪を改心させようとするのだ。
もちろん夫は妖怪でないため、何を言われているか分からないし理解もできない。何なら過去の記憶にない話から最近の言動、パーソナリティを全てネガティブに捉えられて、終わりがなく長々と話されるため、当然パニックになる。大きな不満があるならば根本を解決をしたり、今後に向けて改善したいと思い提案するも妻は「そういうことではない」と全否定する。そりゃそうだ、妖怪の話を聞く人間なんてこの世には存在しない。
こうやってお互いが見えているものが全く異なるため、夫は妻のことを"理解不能の宇宙人"と捉えるしかなくなり、自分に対して敵意を持つ人になってしまうのだ。夫が妻の話を聞かないのは妻が嫌いなのではなく、宇宙人の言語が分からないのだ。
これがお互いがお互いを「話がわからない人」と罵る構造なのである。
この状態の解決策は今のところない。おそらく妻側のホルモンバランスが落ち着いてくれば妖怪だった夫が徐々に人間の姿に戻るだろう。夫は自分が妖怪になっていることを自覚し、ひたすら妖怪然として妻の話を聞いて改心すべきである。間違っても相手を宇宙人扱いにしたり、自分は妖怪ではなく人間だと言ってはならない。なぜならば妻の目の前に写っているは妖怪だからだ。
ちなみに予防策もない。日々の行動を改めようにも人間なので何かしらのコミュニケーションエラーは必ず発生してしまう。なのでこの事案は対処療法案件なのだ。
もちろん全てうまくいっている夫婦もいると思うが、大なり小なり夫婦関係が折り合わない事象が発生しているだろう。上記は夫婦の性別を入れ替えても当てはまるケースがあると思う。もしかは上司・部下の関係でも発生するかもしれない。この文章は特定の個人・属性を中傷したり軽蔑したりするのではなく、全人類がホルモンバランスによって受ける挙動を言語化したものである。3日後に私がそうなるかもしれないし、10日後にあなたがそうなるかもしれない。大切なのは起きた事象を客観視して書き起こしをして、メタ認知の共有としてリレーしていくことだと信じている。
諸君の健闘を祈る。
同じコードを数年前にExcelVBAでしこしこ作ってたのがなつかしい
function Zip-Subfolders { param( [string]$directory ) # 指定されたディレクトリ内のサブフォルダを取得 $subfolders = [System.IO.Directory]::GetDirectories($directory) | % { [System.IO.DirectoryInfo]::new($_) } foreach ($folder in $subfolders) { # 圧縮ファイルの保存先パス $zipFilename = "$($folder.Name).zip" $zipFilepath = Join-Path -Path $directory -ChildPath $zipFilename # サブフォルダをZIP圧縮 Write-Host "圧縮中..." [System.IO.Compression.ZipFile]::CreateFromDirectory($folder.FullName, $zipFilepath) Write-Host "$zipFilepath に圧縮しました。" } } # ユーザーにフォルダパスを入力させる $folderPath = Read-Host "圧縮する親フォルダのパスを入力してください" # パスが存在するか確認 if ([System.IO.Directory]::Exists($folderPath)) { Zip-Subfolders -directory $folderPath }
俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称“コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。
1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん”
俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコンを自在に使いこなし、テレビやラジオで流れる新しいテクノロジーのニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書や百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語も祖母の解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。
「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組「みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名そのものが祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しかも子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージそのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらにパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。
祖母の知識の幅はとにかく広かった。歴史、地理、科学、文学、芸術、果てはゲームまで。どんなジャンルの話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの「電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいつしか自然と彼女をそう呼ぶようになった。
人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢にはいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。
大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母の生き方そのものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。
祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞の抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。
ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞の意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分の感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。
彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活や人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身がゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたことなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。
祖母はパソコンを扱うだけでなく、インターネットの世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンラインで海外の博物館の映像や、世界のニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。
「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母はサクサクと辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。
そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習の資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休みの自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休みは特別に充実していた気がする。
5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ
祖母は機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータの検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかもときにユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。
高校生になると、友達関係や部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターのフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこから、もっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。
そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議と問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃんと仕分けて検索しやすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。
6. そして別れの日
俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母の知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族が心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。
そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅くに病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつもの“コンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。
祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母そのものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。
葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真やノート、そして祖母のパソコンが出てきた。パソコンの中には、家族の写真データや日記のようなファイル、さらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートのデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンルの知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。
そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔で知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。
さらにパソコンのデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞をアレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について、彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方そのものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生の象徴だったのだろう。
8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”
祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。
そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術や情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手の立場や気持ちを想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線や押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。
もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉やファイル、そして一緒に過ごした時間の記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。
歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。
祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき、祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母はコンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから。
普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉づかいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSはTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。
今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトやSNSには決して書けないような本音や愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。
だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネームの存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリーの投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族や恋人への隠された感情、職場の内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。
あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるか分からない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能性だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。
それから数週間後、わたしはパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からのメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手にプライベートなフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要な作業だけを終わらせるつもりだった。
ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事を投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしはものすごく迷った。
たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手にプライベートに踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心に燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。
結局、数秒だけ躊躇して、わたしはマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人と意見が合わない」とあった。
胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活のリズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感的にわかった。
しかし、そこに綴られていた文章は想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分の存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしかに気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。
もちろん、エントリは匿名で書かれているから、わたしの名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女が最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女がわたしだということは、少なくとも当事者のわたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。
わたしはそのエントリを最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情がわたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。
苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしはブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。
ところが、それで終わるはずがなかった。わたしは自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホから「はてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリのコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人の言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。
翌日、仕事が終わってからわたしは勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名で気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。
その直後、わたしは仕事や家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトルや文章の雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事の愚痴、家族の問題、ゲームの攻略メモのようなものから、恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。
ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。
それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分で文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリーに投稿しようとした。
ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密を暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想や仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。
そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様な感情を匿名で自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為そのものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感やアドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。
そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこと自体を責めるよりも、むしろ「もっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいからわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたしの勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。
わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近、わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」
その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事のストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーのユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安はネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離はもっと開いていたのではないかと思う。
匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名の場所だからこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。
いまでも、彼がどんなエントリを投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから。
それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたしに言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーのユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名の場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。
もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリに出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身の気持ち」を、誰かのコメントやスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。
そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリーの投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。
そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名でつぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事な表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。
引越しを決めた理由はシンプルだ。もっと広い家に住みたい、もっと快適に過ごしたいからだ。
しかし、そこには一つの大きな背景がある。私は30歳独身の男性だ。これまで『普通の人生』を送ることに、どこか重荷を感じていた。
・東京在住
・会社員
コロナをきっかけにテレワークが始まり、その後もハイブリッド勤務が続いている。仕事と生活のスペースを分けることで、より快適に働ける環境を作りたかった。
・北向きの部屋が耐えられなかった
引越し前の部屋は便利な場所にあったものの、北向きで暗く、洗濯物も乾きにくかった。新しい家では、昼間も電気を使わずに過ごせるほど明るく、快適な空間になった。
30代に入ってから、体力の低下を感じることが増えた。快適な風呂とキッチンで、リラックスできる時間を大切にしたいと思った。
実は、私が引越しを決めた本当の理由は、もっと深い部分にある。
過去何度か恋愛をしたが、私がSEXできないことが原因で毎回お別れをしてきた。
SEXの場面があるAVを見たいと考えたことも、最後まで目を逸らさず見れたこともない。
高校の頃エロゲをやったりもしたが、エッチシーンは全て飛ばしていた。
SEXできないというのは男性として失格なので、結婚ができない。
もちろん子供も持てない。
このように数年前から考えるようになった。
自暴自棄になった。
そこから先は何も思い出がない。
その時にふと気がついた。
なぜSEXできないだけで幸せに生きることを諦めなくちゃいけないのか。
一人で楽しく生きる方法を探せば良いだけじゃん。
幸い年収だけはそれなりにある。
こんな感じ。新しい人生の門出を祝って記録しとく。
Floorpというブラウザをインストールすると、初期状態では、戻るボタンの左側に、「閉じたタブを開く」ボタンというものが配置されている。
これを押すと、直前に閉じたタブを再度開くという動作をする。
このボタンは左向き矢印で、Rが付いているが、パッと見、戻るボタンと見間違えてしまう。
このため戻るボタンを押したつもりで「閉じたタブを開く」を押してしまい、「あれ?」となる。
このときの挙動が、「直前に閉じたタブを開いた」という挙動かどうかも、咄嗟に認識できないことがある。なぜなら、あるタブを閉じてからいくつも別のサイトを回っていれば、前回閉じたタブのことなど忘れてしまっていることが多いからである。
だから何が起こったのかがすぐに分からず、ちょっとした混乱を経験することになる。
そういうわけでFloorpをある環境に新規インストールして使用開始すると、少し使用して1〜2回の混乱を経験した後、「閉じたタブを開く」ボタンを消す操作をする、ということになる。
「閉じたタブを開く」ボタンは、形といい場所といい、実に「戻る」ボタンと見間違いやすい。
Floorpだけ使用しているヘビーユーザーであるとか、開発者の立場ならば、そのようなことはほぼ無いとおもわれるけれど
Floorpを使用するほとんどの人は、お試しとか、特定用途でたまに使うとかだろうし、他の環境(職場など)では普通のブラウザを使うという人も多い。そして使い始めの混乱はこのブラウザに対する印象に直結するから、なるべく初見ユーザーがすんなり使えるような方向づけというのはしてほしい
そういうわけで、「閉じたタブを開く」ボタンは少なくとも私にとって、このブラウザの最大の問題点である。
ちなみに私はなぜこのブラウザを使用しているかというと、プロファイルフォルダを削除すれば簡単に完全に初期状態に戻せるよう、普段使うブラウザとは別のブラウザを使いたいからである。他の知られたブラウザはだいたい使用しておりそういう使い方はしたくないという理由で。だからFloorpの独自の特徴とかにはほとんど目が向いていないけれど、適当に使ってみて気になる所は気になるのである。