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2025-02-05

anond:20250204100600

ダウンタウンの笑いってこんな風に「いじめ」的に捉えるやつ多いけど

松ちゃんの笑いは、ごっつええ感じが最高潮とするなら「シュール」なんだよな。

そこの理不尽さにキレる浜ちゃんがいて成り立ってた。

いじめ芸はそのツッコミから派生した浜ちゃん領域ダウンタウンの笑の本流からは外れてるんだよな。

2024-08-10

パンクと無関心

キークロンを買った、打鍵感を試している。キンドルを買った。あんまり読めていない。奥歯を抜いた。違和感がある。

明日、日付が変わって今日エアコンの取り替えがある。業者が来るからと、R18を含むタペストリーをすべて外した。

白い壁紙がヤニで汚れていた。思えば自分は、この部屋に15年以上住んでいる。親を無視して自室でタバコを吸い始めてからは、多分四年経った。父親も、俺が母親に言われなくなったのを境に、自室でタバコを吸うようになった。

狭い部屋だなと思った。小学の頃には、自分を含むちびっこ4人が集まってゲームをしていたのに、ヤニのせいか、そんなのよくできていたなと思う。

思えば弟が泣かなくなった。声もだいぶ低くなって、俺とは逆な濃いめの、しぶとい顔つきだ。メガネもよく似合っている。

数日ぶりに、シャワーを浴びた。坂本龍一インタビューを見ながら、6個くらいのオナホを洗った。さんまと話しているものと、当時新製品だったシンセインタビューだった。

数週間前に、坂本龍一の本を立ち読みした。30代でもバリバリ夜遊びして、2徹とか普通だったと書いてあって、すごいなと思った。

坂本龍一も、そんなにわかやす作風ではないのに、誰でも知っているんだよな、と思った。

YMOというより、ひょうきん族とか、ごっつええ感じとか、バラエティ番組にも露出が多かっただろうから、それにヒットした曲は、世俗であるよりも、高雅な感じもするし、インパクトが強いよな、って

自分が聞いていた頃は、みんな聞いていなかった。今では、みんなが聞いている。嫌なことではなくて、自分がつくった今の環境が、そういう環境なだけ。

逆にいうと、YMOも聞いていない人と仲良くするのをやめた、とも言える。

そんなのいちいち、選んだわけじゃない。連絡を取らなくなった人にも、YMOを聴いているやつだっていたはずだ。

ツイッターって、なんかガジェオタがやるようなインターフェースだったなと思い出した。PCは使いにくくて、アプリでも自分ホームにすぐアクセスできたり。

それでも当時も、使いにくかった。クライアントアプリを使っていた。

インスタもガジェオタっぽかった。

というか、ios7まで、ずっとガジェオタっぽかった。スタイリッシュな鈍臭さがあった。

ここ数年、自分がよく仲良くしている人は、年下がいっぱいいる。

つの間にか昔話ばかりしている。

へぇ〜と言ってほしい訳でも、教えたいわけでもない。思い出したから話すけれど、振り返ることばかりだなと思う。

流行に追いつけなくなっているのは、いつもそうだ。だって追いつこうとしていないから。

知らないことが多すぎても、困ることはない。

Youtubeで流れてくる動画を見ても、その再生からどれだけの知名度があるか分からない。UUUMホームページを見ても、若めの人たちはほとんど知らない。

ニコニコ復活記念のレッツゴー陰陽師も、知らない人が多かった。むしろ自分の好きな投稿者コラボしていた人はここに出るくらい、有名だったんだなと思った。

自分は、反発心から何かを無理に好きになったりはしない。継続して好きでいられない。

好きなものの反対が、メジャーであるメインストリームである、ということも、マイナーアンダーグラウンドである、というくくりもできない。

何かを貶して揚げると悲しくなる。けどそう言いたくもなる。邦ロックが好きなカスどもには分からんだろうなとか。

けれど、振り返ってみると、自分そもそもロック出会ってすらいない。あれがダメ、これがダメかいう前に、好きだと思う人と同程度の知りかたをしていない。

どれだけ他のジャンルに詳しくても、それを比較するような仕方でしか語れない。

自分はもう老いているのかなと思う。

父親パンクが好きだ。日本ハードコアについてだったら、土地ごとに有名バンドを挙げられる。

「ぎゃーんって鳴って、それが気持ちよければ、もう最高なんです」とか、ギターを握って言うのが気持ち悪い。

流行りの曲は全部、歌謡曲と言う。でも久保田早紀とか寺尾聰とか、リビングで流れてくると、いい曲だよなーと言って当時のことを語る。

感無量といった表情で、疲れえ果てて〜♪ いることは〜♪ とマイクを持っているようにして、歌ったりする。

高卒で働きまくって、結婚して子供もいて、何がパンクだ、ハードコアだ、とずっと思っている。

最近のお前はすごいとは思うけど、俺はお前の音楽の良さが分からない。全く、分からない。俺はそこらへんの音楽に興味がない」

と、言われたとき、あっそう、と思った。

俺はジョニーロットンもジョンライドンも好きなのになあ。

俺も、興味のないものが増えたなあ。

2024-01-25

まっちゃん松本人志)との思い出


1990年代前半、小学生だった私は日曜日の「ごっつええ感じ」を観ることが最も好きな時間だった


ごっつええ感じ」の中に対決企画があった


浜田チームと松本チームが対決をするのだ


まっちゃんはいつも負けていた


運動神経良くないし、何をやらせても浜田にやりこめられて


でも絵は上手だった


いつしか対決企画のたびに私はまっちゃん応援するようになった


まっちゃんがんばれ~」


心の中でいつも応援していた


運動神経が悪く、絵が上手な自分と重ねて


弱者まっちゃんをいつも応援していた


大人になって、いつも弱者視点でモノを見ている自分がいた


一歩踏み間違えるだけで自分もこうなっていたかもしれない


そんな人々を見て、彼らの側に立たないなんて選択肢はなかった


パラレルワールドの弱い自分の側にたつ


そういった弱者の側に立つことを教えてくれたのが日曜日の「ごっつええ感じ」でいつもダメだったまっちゃんだった


まっちゃんは今圧倒的な強者弱者を虐げていたことが明るみになってきている


大人になればテレビに出てる人はみんな強者だなんてわかってくる


でも私の根っこ、弱者応援したい気持ち


それを育んでくれたのはまっちゃんだよ


このまま転がり落ちていって


また弱いまっちゃんを見せてよ


ださくて、弱くて、みんなにいじめられて、それでも絵の上手なまっちゃん


そうしたら私はまたまっちゃんを応援するよ


人生はいくつからでもやり直せるって証明してよ





PS.性欲は減退させたほうがいいです

2024-01-15

anond:20240115140036

ご参考までに、元バラエティ大好きっ子アラフォーの私はこんな感じです。


黒髪期(90年代後半ぐらいまで?)30代

とにかく鋭いイメージ

ごっつええ感じ】超おもしろいな。【HEYHEYHEY】でのいじり方もすごい。【ガキ使】もおもしろいけどフリートークだけでいいな。

やっぱりとんねるずウンナンよりダウンタウンだよな。

遺書』『松本』はお小遣いで買って何度も読んだ。

【一人ごっつ】っての観てみたけど、これを“面白い”とするのか?


坊主期(90年後半~10年代半ば?)40代

黒髪期よりちょっとコワモテになったけど独特のかわいさは健在。


【進ぬ!電波少年】「アメリカ人を笑わしに行こう!」あれ??

紳助が苦手だったので【M-1】はあまり見ないまま年を取ってしまった。

働くおっさん劇場】も遊んで徹夜明けしたときちょっと見たけど苦手だった。

大日本人】は映画館に観に行ったけど映画監督の才能なかったかあと思った。

あとから振り返ると【大日本人】が一番マシだった。レンタルで観た【R-100】なんてよくこれで企画通ったな(悪い意味で)

【ごっつ復活スペシャル】も【MHK】も期待していたのに正直つまらなかった。

年末の【笑ってはいけない】は惰性で見ていた。

いいとも最終回】の全員集合には一応興奮した。

金髪期(10年代半ば~2024年1月現在)50代

加齢が進んだ。たけしの真似?

水曜日のダウンタウン】は今も見ている。コメントでのうまい落とし方はこの人しかできないなと思うけど、苦手な企画ときは見ない。

探偵ナイトスクープ】は居住地域でやっていないので知らない。

ワイドナショー】も松本が時事とどう向き合うか気になって数回見てみたけど、時事に対して凡庸な混ぜっ返し方をして「好き勝手個人見解を言ってるだけですよ~」という姿勢が非常にダサいと思って見るのをやめた。

松本動きます。】←特に感想なし

【一連の騒動について】

同意があったかどうかは別にして、後輩アテン飲み会性交渉自体はあったんだろうなと。

「いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ〜。」

「とうとう出たね。。。」

事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす。」

ワイドナショー出演は休業前のファンの皆さん(いないかもしれんが💦)へのご挨拶のため。顔見せ程度ですよ。」

同意の有無の判断は保留するにしても、この一連のツイートキツすぎない?(特に長年のファンの皆さん、“あの”松本人志のツイートとして許容できる??)

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

松本人志に対する素朴な印象

大体みんなこんな感じじゃない?

黒髪期(90年代後半ぐらいまで?)30代

ごっつええ感じ】とかやってて面白い芸人。【HEYHEYHEY】とかでのコメントの瞬発力もすごい。芸人代表格。

遺書』とか出してちょっと意識高いというかカリカリしてそうだけど、まあ芸人ってそういう面も必要なんだろう。

坊主期(90年後半~10年代半ば?)40代

M-1】始めて、「ああ、そろそろ新進気鋭とか若手とかじゃなく中堅なんだ」と思った。審査員として、一番説得力と安定感があった。

働くおっさん劇場】は、人を馬鹿にするのが全面に出てるのと、アングラ感がキツすぎてちょっときじゃなかった。

段々テレビともダウンタウン的なものとも離れて行ったけど、【ガキ使】は妹に付き合って年末の【笑ってはいけない】は見てたし、【すべらない話はいろんな人の話が聞けて素直に楽しんだ。

映画はコンセプトがよくわかんなかったので見なかった。

金髪期(10年代半ば~2024年1月現在)50代

ほとんどテレビを見なくなったので、あんまり知らない。段々、ギラギラした感じはなくなっていって、悪い意味世間迎合的になったようには感じた。少なくとも、ちょっとだらしなく、自分に甘くはなったよね?

探偵ナイトスクープ】の局長になったのは、「人情ものは向いてなさそう」と思ったし、逆に「向いているようになってしまったら、もう松本人志ではないんじゃないの」と思った。

ワイドナショー】とかいニュースショーに出てコメントしているって聞いたときは、「なんか権威側になってしまったな」って感じた。

松本動きます。】←はあ、そうですか……

要するに、子どもの頃は楽しく見てられた「雑さ」が大人になると気になってくるし、一方で美点だった「鋭さ」がなくなっていってだだの偉そうな人に感じられて、

「育ちが悪く、底が浅く、権威迎合的な老人」っていう側面が強くなりすぎたように感じる。

90年代00年代半ば(平成初期~中期)のガチャガチャ感をいつまでもやってはいられないし、だからといってただの老人になってしまってはなんの魅力もないよ、って感じ。

2024-01-12

松本人志好きだけど退場に少し安堵している

文春に書かれてたことが事実かどうか知らないので、それについてはここで書く気はない。

それとは関係なしに、松本人志がここで芸能界から退場するのは悪いタイミングではないとおもう。

松本人志が好きだ。中学生の頃はごっつええ感じにドハマりして、VISUALBUMも他のライブVHSも観た。

発明将軍もDXもガキの使いもひとりごっつもワールドダウンタウンも好きだった。

今でも水曜日のダウンタウンクレイジージャーニーは毎週観ている。

好きだけど、いや好きだからこそ、ここらへんで退場してほしいと願っている自分もいる。

というのは、ビートたけしの哀れな姿を重ねてしまうから

子どものころはたけし城とか平成教育委員会とか世界まる見えとかを見ていて、当時たけしはすでにピークは過ぎていたんだろうけどそれでもおもしろくて、バイク事故を起こしたときは心から復帰を願った。

そんなおもしろいたけしの姿を知っているからこそ、今の姿は見ていられない。

ぜんぜんおもしろくなくて、そもそも何を言っているのか聞き取れない。たけしが衰えたのもあるけど、それ以上に時代が変わって取り残されてしまった感じがある。

でも、それはしかたない。衰えは誰にもやってくる。

見ていられないのは、たけしが言った言葉に対して、他の出演者一生懸命笑ってあげて、たけしはそれに気づかずに「おれもまだまだやれるな」という顔をしていることだ。

つらい。

完全に裸の王様だ。

子どもときに見ていた欽ちゃんがそういう人だった。

欽ちゃん90年代にはもう完全にコメディアンとしては時代についていけていなくて、子どもながらに

「この人、周りが持ち上げているから昔はすごかったんだろうけどぜんぜんおもしろくないな」と感じる人だった。

今、その欽ちゃんポジションビートたけしがいて、近いうちに松本人志がそうなりそうになっている。

いや、すでになりかけている。

すべらない話とかIPPONグランプリとかキングオブコント審査コメントとかは特に顕著で、彼のぜんぜんおもしろくないコメントダジャレレベルコメントも多い)に対して、周囲が一生懸命笑ってあげている。

そりゃあ全盛期だって打率十割ではなくて外すことはあったけど、昔だったら浜田無視したり睨んだりしていたのを、今は後輩芸人一生懸命笑ってあげている。ああ、こうやって裸の王様って作られていくんだなあと悲しくなる。ビートたけしたけし軍団がいたから余計にそうなっちゃったんだろうなあ。

今後もどんどん衰えは加速していくだろう。

60歳にしてはすごいことやっているとはおもうけど、彼も衰え、時代も変わり、実力と周囲の持ち上げ方はさら乖離していくだろう。

歳をとっても役割を変えて活躍する人はいっぱいいるけど、ビートたけし松本人志のようにカリスマ性があって「最後シュートはおれが打つ!」っていうタイプだと何より本人がそれを許さないだろう(明石家さんまも)。

上岡龍太郎のように自分で引き際を決められたらかっこいいけどそれも実績がある人ほど難しいだろうから、今回の騒動はいい引き際なのかもしれない。

老醜さらす前に引退して「すごい芸人だったなあ」と惜しまれる存在になってほしい、と昔からファンとしてはちょっと思っている。

松本人志面白さ、良さってなんなの?

1985年まれだけど、ダウンタウンの全盛期?によく見てないまま

気づいたら業界の重鎮としてなんか偉そうになっていった松本人志、というイメージしかなくて

面白さとか良さが良く分からない。

ダウンタウンを初めて認識したのはHey!Hey!Hey!でのMCであってお笑い芸人としてではないし

ごっつええ感じ全然見てなかった。

たぶん放送時間チャンネル権を親が持ってたのかな…。

笑ってはいけないシリーズ大人になってからたまに見て、面白かったけど、あれば別に松本人志から面白いというよりたぶん企画面白さだよね。企画松本人志がやってるの?

浜田の方はいろんな番組MCまわしながらゲストいじりもうまくて分かりやす面白いけど。

松本の方はご意見番とか重鎮感を出しすぎだし出演者もそんな扱いしてる場面ばかりで、面白さがよく分からない

2024-01-11

松本人志の「暴力性の笑い」てどれのこと?

なんか騒動に乗じて「松っちゃんの笑いは暴力的で笑えない!今の時代にあわないわ!

みたいなの言ってる人、いっぱい湧いてきたけどどれのことを指してるんだろ?

よく挙げられる、ごっつええ感じ女性を襲うコント浜ちゃんネタだし、

松ちゃんはどっちかいうと浜田の腰ふりネタとか嫌ってたきらいがある。

全くなかったわけではなく、今田東野は確かにひどいイジメネタみたいなのはやってた。

ただ、それも20年前くらいの話であり、今はそんなのやってない。

ガキ使ダウンタウン理不尽なことするネタもあったけど、あれは理不尽なことされた人を笑うのではなく

理不尽なことしてる人滑稽ですよね」って笑いやからね。

松本人志の「暴力的な笑い」ってどれのことなのか誰か教えて。

2024-01-08

anond:20240107145636

ごっつええ感じとか見た時に「ダウンタウンが」いじめ構造に見えるのは

浜田が悪い


通年番組ネタを出し続けるのだから仕方がない部分もあるが

セクハラパワハラなど、ハラスメントに見えることをずっとやっている

つっこみという免罪符すらなく、単なるコント登場人物として、ハラスメントしてる


松本シュールコスプレで登場してギャップで笑わせるというコントが目立つ

そこを突っ込まれるわけだから松本ネタ自虐的に見えるかもしれないが

あれは見方を変えれば、「そういう人間を嗤って良い」というコントだったんだよ

ボク笑えるでしょ?っていうコントではなく

コレ嗤えるでしょ?っていうコント

その構造に嫌気が差して笑いから離れる人間が増えた結果

バラエティ番組が変質した


ダウンタウンとんねるずは同じ穴の狢だったよ

好きだったのはナインティナインのうっちゃん

うっちゃんコントは、コレを嗤えというコントではなかった

僕を笑えというコントだった

この辺は、個々人の感性に完全に依存する部分だから

いやいや違うよという人もいるだろうが

少なくとも私には

ダウンタウンコントはいじりから発展したいじめ芸に見えたよ

松本意図してそれを嗤いにしてたと、今でも思っている)

2024-01-07

松本人志の笑いがいじめの笑いであるという点だけは違うと反対したい

年末から松本人志話題になっている。

性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめ肯定する笑いだという意見だ。

正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。

まったく逆だろう。

ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である

個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦からいじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。

おそらく、ダウンタウンいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウン物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。

私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめ人間人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。

ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗貧乏田舎者友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆属性であった。

ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間世間を下から見ることによって生じる笑いである。

これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。

からダウンタウン日本中根暗に受けた。

当時、ダウンタウン根暗救世主だった。

ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウン東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。

(「笑っていいともレギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)

当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。

「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手ダウンタウンであった。

松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。

松本だけではない。浜田傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者権威に噛みつく」キャラだった。

甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである

甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。

ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。

実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生松本浜田のノリを真似していた。

もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンエレジー理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。

今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般進出している。M-1などを見ても間漫才コンビネタ作り担当根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。

もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。

いじめ・いじり、内輪受け、体育会系部活ノリ、のひょうきん族とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである

そして、「世間を下から見る」松本スタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。

ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである

松本芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。

さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。

違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。

お見舞い、思春期ストリッパー物語、トムとマイクおかんマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図記者会見挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンターサラリーマンツアーズなどがおすすめだ。

これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。

実業団選手会大会剣道などは澤井啓夫彷彿とさせる。

また、ピー助というコント島袋光年もっとお気に入りコントだと述べているものなので、見てほしい。

Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。

便所の底に住む夫婦の話である便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本世界観がよく表れている。

これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者ペーソスである

2022-12-30

anond:20221230103207

これから子供学校女の子イジメると次の日怖いおじさんが家に転がり込んで女性差別歴史というVHSを流し始めて、そのあと再教育ということで車で連れ去られちゃうのかな?(ごっつええ感じコント"豆"感)

2022-10-03

45年前の老若男女「デンセンマン電線音頭おもしれえぇぇええ!!!

この15年後には「ごっつええ感じ超おもしれえ」「ガキの使い超おもしれえ」になるんだから

この国の笑いのレベルの上がり方って目覚ましいよな。

2022-01-30

芸人不細工で笑いを取るようになったのっていつから

関西なので子供のころから山田花子さんとか島田珠代さんが、「不細工な女なのに美女みたいに振る舞う」っていうネタが印象にあるけど全国区ではどうなのかイマイチ記憶にない。

カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とか「ごっつええ感じ」とかとんねるずとか子供のころ見てたけど女芸人存在ってなかった気がする。

しろ「女はキレイでか弱い」という存在でイジられてた。

それからじわじわ芸人というカテゴリタレントが出てきたけど、基本的不細工以外で笑わせるネタがあるからテレビに出てるというイメージだった。

あん名前出てこないけど。「だいたひかる」とか。「パイレーツ」とかも一応そうだと思う。

基本的に女芸人って男芸人みたく「ネタが受けてブレイクする」という手順を踏まずにバラエティに出てるように思うのでネタを見たことがない女芸人が多い。

からイモトアヤコイッテQセーラー服着てた理由を知らない人が多いのではないか

森三中とかハリセンボンあたりは不細工ネタをやってるのはなんとなく知ってるけどいつから?というのがイマイチからない。

2021-12-20

anond:20211220143354

ごっつええ感じの豆ってコント

豆を食べたくないと捨てた娘のところに豆権団体やくざ)が突撃して教育するってネタ

YouTubeでも見れる

2021-10-06

心底ガッカリした

他人思想をとやかく言うつもりはないが、大好きで大好きでたまらなかった番組ごっつええ感じに出演していたホンコンが、テレビをしばらく見ぬ間に真実に気付いたネトウヨおじさん化してしまい非常に悲しい。

知らないだけで、他にもウヨおじさんになってしまった芸能人沢山いるんだろうな…。

2021-08-24

1995年庵野松本出会っていたら

ガイナックステレビエヴァをやっている庵野ごっつええ感じをやっててオールバックの松本

ふたりとも30代で今よりトガりまくってるし、きっとすごいことになったに違いない

2020-02-10

ダバダー♪ ダバダバダバダーバダバーダー♪ ダバダダダバダ―♪

だばだだばだばだーばだばーだー♪

っていう歌の曲名がわからない。昔ごっつええ感じの中で流れていたような気がする。

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2018-09-13

エキセントリック少年ボウイ

今、洗濯物を干しながら思い出して、ただその感想を吐き出すだけである

30代より上の人なら、この名前を知っているだろうか。

お笑いコンビダウンタウンがやっていた、ごっつええ感じという番組キャラクターだ。

一応説明すると、特にコントがあったわけではなく、「地球平和なのはエキセントリック少年ボウイいるから」という漠然とした設定と濃いキャラクターがいただけだ。

ある日、彼らは一枚のアルバムを出した。

当時それが好きだった私は、購入した。探せば家のどこかにあるかもしれない。

その中に「ああエキセントリック少年ボウイ」という歌がある。

物悲しいメロディと共に、「最近だんだんわかってきた。僕が死んでも誰も泣かない」と、これまた物悲しい歌詞から始まる(知らないかたは調べてみてください)

当時は笑って聴いていたが、人生の折り返し地点を過ぎ、四十路に入り、なんだかとてもさみしく聴こえるようになってしまった。

自分が死んだら誰か泣くだろうか。その時配偶者が生きていれば、泣くだろうか。

カーボウイ兄貴が、金を借りに来る。でも返さないんだろう。

トラウマだらけの犬ドッグは、どこかにシールを貼ること(マーキングのことだろうか?)で、自分をたもっているのか。

バードは、何を食べてもうまいと思うほどひもじい生活を送っていたのか。

エテモンキーは、留守番電話に対してなにかとんでもなくつらいことがあるんだろうか。

そして、おそらく歌詞の「僕」であろうエキセントリック少年ボウイは、毎晩金縛りあい、紙切れになるほどのいたずらファックス(30m)がくる。

地球平和なのは彼らがいるからなのに、みんな散々なありさまだ。しかも全員差しである

歌詞は、まるで日々と未来への見えない不安をこめたように「ああ 明日になんかならなきゃいいのに。どうせ今夜も金縛り」というように締めくくられる。

そんな感じで色々考えていたら、なんだか悲しい朝になってしまった。

昼は、何かあたたかものを食べようと思う。

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