民家と民芸をあるく
福田家住宅の大壁と真壁
こんにちは、前回は残念ながらハンドルネームが決まっていなかったので、改めて、ハンドルネーム「たく庵」と名乗らせていただきます(元は匠2号)。
18日のゼミでは、N研究室(構造系)と合同で、福田家住宅を訪れました。福田家住宅は鳥取環境大学から比較的近い紙子谷(かごだに)という集落にある重要文化財の古民家です。
この日いちばんのテーマは「木舞壁」でした。大学から福田家までの途中に土蔵を伴う木造の住宅があり、土蔵の「大壁」と主屋の「真壁」の違いについて学びました。そうこうしているうちに、茅葺き屋根に覆われた福田家住宅に到着。現在、福田家は屋根葺き替えの最中であり、ご家族の事情もあって内部には入れませんでしたが、先生は二つの研究室の学生に福田家の「壁」をみせておきたかったようです。
福田家住宅は1650年前後に建てられた古民家です。江戸時代に村役人を勤めた旧家で、千点前後の文書が残っています。主屋は西に面しており、桁行17.8m×梁間9.8mの茅葺き入母屋造平入の構造形式をしています。鳥取県下に広く分布するヒロマ型三間取り農家のうち最も古い例で、因幡地方の民家の伝統を伝える貴重な遺構とされます。
まず住宅を囲む土塀の真壁について教えられました。柱や貫に木舞となる細竹・割竹を絡め土を塗る小舞壁ですが、真壁の場合、壁は柱の一辺よりも薄く、柱形と壁の両方を確認できます(↑)。一方、主屋の壁は大壁になっています。構造で庭の塀は真壁構造に分かれています。大壁とは、壁は柱の一辺よりも厚く、柱形がみえないか、みえにくい木舞壁でして(↓)、土蔵には当たり前のように使われますが、住宅に使う例は少なく、建築の古い中世的?な要素を示すものだと言われているそうです。このほか福田家住宅には、江戸時代初期以前の様式として注目される要素があります。たとえば、以下の2点です。
1)部材に台ガンナを使わず、チョウナ仕上げとする。
2)本来の小屋組にサスを使わず、オダチ(棟束)組とする。
【今はサス組に変わっているが、梁中央に棟束を落としこむホゾ穴の痕跡が残っている】