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八幡神社(米子)の建築年代

0511八幡神社03拝殿本殿全景01 0511八幡神社02本殿側面01


 注意深い読者ならすでにお気づきのことと思うが、4月26日に「建築彫刻の見方」と題するコメントが入っている。コメントされた記事は2012年6月14日の「米子の八幡神社を訪ねて」で、執筆は白帯が担当した。昨年、米子の環境大学西部サテライトでの公開講座の後、白帯が単独で訪問しレポートしたものであり、もちろん私の校閲を経て公表している。ただし、わたし自身は八幡神社を訪問したことがなかったので、このたび別件で米子に宿泊する機会を利用して自ら社殿を視察した。ここに感想を記す。まずコメントを転載しておこう。

   建築彫刻の見方 (by neko8)
   米子八幡神社の建築年代は、本殿は天保12のもので、彫刻のそれに類する。
   が、拝殿は、時代がグーと古く、特に彫刻類は、その建物よりも更に古い。
   というのも、はめ込み式の蛙又が使われており、その年代が室町期のもの、
   安土桃山期を下るものでは無い。---国の技官の調査報告。
   かっては、朱塗りの社殿の可能性がある。最近、戦国期の棟札も発見された。
   -------コメント【筆者注:ブログの文章】の訂正をお願いします。

0511八幡神社05案内板 上のコメントにリプライする前に、米子市制作の案内板の記載にも触れておかなければならない。左のサムネイル写真をクリックしていただけば全文を判読できるが、社殿の建築様式に係わる説明は以下のようになっている。

   社殿の建築様式は室町時代、安土桃山時代の両様式にわたっていることが、
   「本殿の彫刻」や「蛙股」などから推定され、神仏混淆による独特の八幡造り
   である。

 この説明には初歩的な誤りがある。米子の八幡神社はいわゆる「八幡造」ではない。以下に正しい構造形式を示す。

  本殿: 流造(たぶん3間社)銅板葺
  拝殿: 入母屋造千鳥破風付 平入 向拝1間切妻造妻入軒唐破風付 銅板葺

 本殿の細部様式、とくに虹梁絵様はあきらかに幕末~明治初期の意匠を示しており、天保12年(1841)の上棟とみてまず間違いない。白帯は誤った見方をしていない。


0511八幡神社02本殿側面02細部

0511八幡神社02本殿側面04妻飾 0511八幡神社02本殿側面03


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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