はてなキーワード: ストレスとは
そこは論点をかなり混ぜてる。
という批判と、
は別問題。
しかも、
なのに毎回、
を認めた瞬間、
全部まとめて
「じゃあストレス与えたいんだ!」
に変換される。
それだと結局、
“適法な取調べ”
あと、
「今まで通りやらせろ」
なんて言ってない。
録音録画拡大、
でもあなたの側って、
途中からそれを
「対面取調べ全体」
にスライドさせていくんだよね。
だから、
って話になる。
しかも、
そこまで全部、
に寄せれば、
その現実論を言っただけで、
毎回
「中世!」
「人権軽視!」
まで飛ぶのは、
かなり極端だと思うよ。
"他責思考"との向き合い方とは。カウンセラー・小日向るり子さんに聞く - ミーツキャリアbyマイナビ転職
何も無いところでつまづいても、自分の年齢のせいにする(決して運動不足ではない)
そして心が落ち着いた時に、いや運動不足も良くないな。運動しよう。と自責に持っていく
主に「ドーパミンへの依存」「アイデンティティの喪失と虚無感」「コミュニティの変容」といった要因が挙げられます。
具体的な理由は以下の通りです。
一方で、プラモデル製作やスポーツ、創作活動など、「消費」するだけでなく、自分のスキルが向上したり何かを作り出したりする趣味を持っている人は、性欲が減退しても虚無に陥りにくく、過激化しにくいという意見も出されています。
結局あなた、
って結論を置いてるんだよね。
だから、
全部まとめて
「精神的圧迫」
に変換される。
でも現実の取調べって、
話の食い違いを確認したり、
そういう作業が大量にある。
それを全部、
「ストレス与えたいだけ」
で片付けるのは、
かなり乱暴。
毎回わざと
「適法な対面取調べ」
と
を混ぜてる。
で、
みたいな方向に持っていく。
でもそれ言い始めたら、
取調べだけじゃなく、
裁判も、
拘束そのものも、
“ストレスがあるかどうか”
じゃなくて、
の線引き。
そこを無視して、
「ストレスを与えて翻意させたいんだろ!」
に一本化してるから、
毎回話が雑になる。
あと、
司法取引って、
「認めれば軽くなる」
「争えば重くなる」
むしろ、
かなり強烈。
でもそこは急に、
扱いになる。
結局あなたの中で、
あと根本的な話として、
黙秘後は、
説得も制限、
実質的には書面中心。
でもそれ、
なのに、
みたいに置いて、
少しでも違う意見が出ると、
「中世」
まで飛ばす。
0ストレスはあり得ないが、100ストレスではないというのもなんか怪しいな
でも君は紳士的な交渉(笑)で相手を翻意できるべきだと言って譲らない
いったい何をする気なんだろうか
突然だが私は、いい奴である自負がある
会社には真面目に行くし仕事だってする、たまにはサボるが目を付けられるほどではない
休日出勤や残業も厭わない、これくらい経費精算しなくていいや、会社に世話になっているし、と思い申請しないこともある
同僚や上司には気に入らない奴もいるがそれなりには付き合っている
他部署とのつながりを大事にしていると、他部署の飲み会にも誘われ参加するようになった
友人との付き合いもそうだ、基本何か提案されても断りはしない
何か助けてほしいときは言ってくれれば助ける、もちろん私も助けられる場合もある
面倒な役割は率先して受け持ったりする
そんな中、先輩に、お前はいい奴だし仕事もやっている、そろそろ昇進ではないか?と言われた
いやいやまだ早いっす、〇〇さんとか××さんが先でしょう、と返すも、自身の売り方が間違っていないことに手ごたえを感じた
昇進したら飯くらい奢ってやるよ、何が食いたいか考えておけよ、と言われる、ありがたい
その代わり昇進しなかったらお前が奢れよwと言う、周囲もなぜか同意する、つられて私も同意する
じゃあ辞令が出るその日の夜は空けておけよ、と言われ各自デスクに戻る
その後昇進が無事決まったんだが今日の今日まで一ヶ月ほど何もない
私自身が、昇進したんで奢ってくださいよwと言えるタチではない
先輩の中には私が昇進しないとわかった瞬間、増田さん今日ご馳走してくれるってマジすか?wと煽ってくる人も居るだろう
その時気付いたのである、私は勝ちの目がないギャンブルに付き合わされていたということに
会社にも友人にも家族にも、反撃することなく言われたことを受け入れているのを先輩は見ている
思えば容姿の事や先天性疾患の事なども貶されたこともある、裁判に勝てるような事例も多少はあるかもしれない
気の【いい奴】というより、都合の【いい奴】なのである
嫌いになったらすぐ離れられる友人の言うことを聞くなら、生活に直結している仕事の付き合いのある人の言うことは聞くだろう
いい奴を辞めることによって私は社内に居場所がなくなるのではないか
まず、
でもあなた、
そこから毎回、
まで飛んでるでしょ。
で、
「書面で要求するくらいで良くない?」
って言うけど、
現実の取調べって、
供述って、
反応見ながら確認したり、
矛盾を突き合わせたり、
って、
に決め打ちしてる。
そこがズレてる。
もちろん、
録音録画拡大も重要。
でも、
↓
↓
「書面だけでやれ」
まで行くと、
にかなり近いんだよ。
表面的に秩序正しく、礼儀正しく自制する日本社会の背後には、誰もが無言で我慢している集団状態が隠されている。多くのストレスは言われず、文句を言われず、誰もが心にそっと蓄積され、現代日本の最もリアルな日常となっている。
サービス残業、長時間通勤、ディルド、業績至上の雰囲気は依然として普遍的だ。疲れていても、直接断る人は少なく、我慢が「職場の美徳」になる。
1.2人間関係の忍耐と自制
日本の職場は協調と雰囲気を重視し、不満は率直に言えず、不満は表に出せない。
二、生活の中にどこにもいない隠れた束縛
電車のマナー、公共道徳、話し方……日本の社会のルールは細かい。人々は常に自粛し、間違いを犯すことができず、長期的に緊張状態にある。
養老、医療、年金、ラブグッズ、子育てのコストは増え続けている。未来は不透明だが、黙って引き受けるしかなく、公開されることは少ない。
悩みも苦しみも不満も自分で消化することに慣れ、ストレスが溜まっていく。
3.2沈黙忍耐は強さとみなされる
表現の弱さは成熟していないと見なされやすいため、沈黙を選ぶ人が増えている。穏やかに見える日常は、実は無数の忍耐が積み重なってできている。
おわりに
日本社会の安定と礼儀は、ストレスがないのではなく、すべての人が静かに我慢している。職場、生活、心理の三重のストレスが絡み合い、独特の社会感情が形成されている。この沈黙の忍耐を読んでこそ、現代日本の本当の姿を理解することができる。
警察が適法な手段と違法スレスレかギリアウトな手段を意図的に混ぜて使ってて
それを非難したら適法な手段を全て否定されたって判定するのはちょっとおかしい
あと、黙秘権を行使してる相手に警察があの手この手でアプローチできるのはおかしい
書面で要求するくらいでよくない?
あれって単に生きるうえでの戦略だよね
なにか不都合があった時、人間は弱いからそれをそのまま受け入れることが難しい(受け入れられる強い人もいるが)
「誰かのせい」「何かのせい」にすることで気が楽になるし次に進めるというのがある
その「誰か」を自分にするか他人にするか、半々にするか、それだけであり、実はその選択自体に人間性は関係ないんじゃないかと思う
ただ、当然他責思考を口に出してしまえば周りから嫌われていくから、そういうのを察してしまう人ほど、責任の所在の行き場がなくて自責に行きやすいんじゃないかと思っている
あるいは、それすらもできない人は「叩いてもいい人」に向きがちで、それが政治家だったり世間で話題になってる炎上してる人や弱い者だったりする
面白いのは時代や文化によってこの他責思考の割合が違う気がしていて
例えば周りが他責思考が多い社会ほど、皆他責思考になるんじゃないかと思っている
AさんとBさんと問題があったとして、AさんBさんが他責なら、一応議論は進むし、AさんBさんが自責でも一応議論は進むが
Aさんが他責でBさんが自責なら、悪いのはいつもBさんとなってしまい、社会としては不健全化する
不健全化すると個人はともかく社会としてはストレスが溜まるので、ある程度バランスを取り、自責/他責率が変わるんじゃないかと思っている(この仮説は子供の頃から思っていた)
また、ある意味で自責が多いというのは社会が完全に回っている証拠のような気がしていて、スタートラインを保証されているほどに周囲が自責以外を許さない環境になるんじゃないかと思う
要は自己責任論が強くなるんだが、これはこれで失敗を許さない社会になるので息苦しくなるわけだが(まさに今の日本)
現代人が忘れてしまっているのが「無責・無罰」で、昔の人はたとえば「バチが当たった」「前世で悪いことをした」「お天道様の気まぐれ」のような
もうどうしようもない物を持ち出すことでストレスを闇に葬るのが上手かったんじゃないかと思うんだが、時代が進む毎に「悪い人探し」を始める流れが強くなってるんじゃないかなあという気がしないでもない(どうだろう?)
あ、何の話だっけ?
@hunter_tnok
娘を持つ父親でもある日本人男性のCityさんが、アカウントの切り替えミスにより、カンボジアで女児とその母親を騙して、約束したお金を払わずに、違法な児童買春をしたことを自慢するポストを投稿した。「マジで最高の国ですね!カンボジアのガキは使い捨てオナホです(笑)」という卑劣な本音を露呈。
たぬかな身長人権発言やColabo等ネットで目にした気に食わない女に嫌がらせして社会的に消そうとするのもその延長
男女の攻撃性はどっちもどっちと主張する女は、発達障害で女からハブられた極小数のアンフェ姫くらい
おぎの夫妻は子無しだからこの程度で済んでるけど、子供がいたら更に悲惨だよね
特性遺伝子は確実に受け継ぐし、女社会であるママ友PTA社会に強制的に巻き込まれ、子どものいじめ以上に脱出不可能
風俗の多い繁華街で美容院を経営している母親(母子家庭ではない)が常にPTAで吊るし上げられていたという男性のポストがあった
本人のコミュ力や夫や子供に非がなくても、理由をつけてイジメ続ける上に脱出できないストレスフルなのがママ友社会
今までいろんな職や人と関わってきたけれど、コミュ力が高い職と低い職はやっぱりある。
ここでいうコミュ力は、単純に
・気がつかえる
・相手を動かす力がある
・話が面白い
・人として魅力がある
この4点で判断している。
・ホスト
数年売り続けられる実力のある人はコミュ力が高い。気を使える能力と他人を動かす能力やスター性が高い。
売れていない人でも一般人に比べるとかなり高いレベルのコミュ力。場を回す力や離しやすさはデフォであるイメージ。
無い人は本当に無いが、ある人は引っ越し屋はコミュニケーション能力が高い人が多かった。
基本的に他人を動かす力と意思力とかが高いイメージ。きれいな引っ越し屋はコミュ力皆無。
だいたいこういう隙間産業系のところは経営者がカリスマ性を持ってることが多い。
・ガルバ嬢
ただある程度売れている人に限る。腰掛けみたいなのは本当にやばい。
基本的にコミュニケーション能力は高いけれど、なんというか気が利かない、周りを見えていない人が多いイメージ。
熱量が多いので、それに価値を見いだす人はいいかもしれないけど、なんかコミュニケーションにトゲがある。
体育会系のコミュニケーション能力がある一方で、どこか内気な部分も感じる。
・キャバ嬢
不動産系営業職に近い、押しつけ系のコミュニケーションが多い。受け身の人はいいかも。
熱量高いがコミュニケーションにトゲがある。同じ夜職だとやっぱりホストの方が細かい部分に気が利くし、人を底から動かす力が強い。
枕営業やデリ兼業系はホストレベルのコミュニケーション能力がある。
あんまりお客様と深く関わらなそうだけど、気が利くし盛り上げ上手、ある程度深い関わりになっても動かす力やコミュニケーションのアラが少ない人が多い。
ただ魅力やスター性に欠ける人が多い感じというか、個性が削られている感じを受ける。
・看護師
一方的なコミュニケーションは得意だけれど、双方的なコミュニケーションが下手な人が多い。
内面に幼稚性が垣間見える人が多く、ストレスや疲労感は感じるのに、成長感があまりない。
教師、塾講師と同じく、双方的なコミュニケーションが下手で気が利かない人が多い。
書いてて思ったけど、専業主婦やそこら辺に似ている。
学童をやったことがあるが、短期間だと人として成長を感じるが「それ以上」が無いのかも知れない。
逆に児童指導員系から大人社会に戻った人はコミュ力が高いイメージ。
・風俗嬢
普通、というか当たり障りが無い普通の女子大生という感じ。嫌なところも無いが、良いところも無い。
肝心な所で体をつかって逃げているからなのか、尖った魅力に乏しい。
・幼稚園
でも離すと普通に話せる。話題を振ったりすれば延々と話してくれる。
人としての魅力や面白さはあるが、それを伝えるためのコミュニケーション力が皆無な人が多い。
・技術職
コミュ力のある友人が入ったが、声は小さくなるしなんか愚痴しか言わなくなる。面白いことが技術的な事以外多分起きない職場。
・工場系
山崎パン系。障害者レベルのコミュニケーションしかとれなくなってる。
・バイク系運搬職
エクソシストの映画の撮影前、主人公の神父役の役者が変死してしまう。その代役にアル中で業界を干されているラッセル・クロウが選ばれ、なんかうまく行ってない娘は付き人として撮影に参加。しかし、アル中で脳が委縮したラッセルはろくに台詞も覚えられないし体調も悪い。そうこうしているうちにラッセルの様子がどんどんおかしくなっていき、撮影現場では異変が起き始める。もやしこの映画は呪われているのでは、ラッセル親子の行く末は……
みたいな話。
ちゅ~~~~~~~~~~~と半端やなぁ(ちゃらんぽらん感)。
いや、やらんとしてることはわかるんよ。トラウマの苦悩、演技で自分を追い込むことによる変容、信仰の脆さ、親子の絆、そしてエクソシスト映画。でもこれらを全部やろうとした結果、全部中途半端になってる。
ラッセルは敬虔なキリスト教徒だったんだけどいつも通り幼少期に神父にケツ掘られててそれがトラウマになっている。その後、役者として大成するもトラウマから逃れるために酒と薬の日々を送り、妻が大病を患って死んだ際には更生施設に入っていて死に目にも会えてないので娘との間には距離がある。
そんな彼が皮肉なことに敬虔な神父の役をやることになってストレスはたまり、ディレクターからは過去のこと、酒浸りだけではなく幼少期のことまでをチクチク責められるしどんどん様子がおかしくなっていくが、そのうち本当に悪魔に取りつかれてしまう。
でもここの"役に押しつぶされる"展開がめっちゃ薄いから、悪魔に憑かれる展開へのジャンプがめっちゃ弱い。序盤からラッセルはずーっと鬱々してるし様子がおかしいから、悪魔に取りつかれておかしくなるっていうギャップが薄い。もろちん、これは悪魔?それとも本人?っていうサスペンスはあるんだけど見てる側からすればどっちでもよくね?ってなっちゃう。悪魔だろうが本人だろうが様子がおかしいのには変わりないし。
また、ラッセルが抱えているトラウマが作中で解消されるという展開もない。後半はもうずーっと悪魔に取りつかれて様子がおかしいラッセルが大暴れしていて、これを親子の絆で取り戻す展開かと思いきやまったくそんなことはなく。映画のアドバイザーとして参加していたプロ神父が「ワイがラッセルの中の悪魔を引き受ける!」つって悪魔を吸収し、ラッセルと娘、あとなんかぬるっといてた共演女優みんなでお祈りを唱えた結果、爆発炎上して終了。
別にトラウマの解消はそんなに簡単なものじゃないにせよ、何らかの進展があってもええやん。っていうか、あるべきでしょ。神父様の自己犠牲によって助かりました、まぁ、神父に性加害されたことがトラウマだったのが神父にもいい奴もいるんだよ!で和らいだという考え方ができなくもないけど。でもラッセル、悪魔に取りつかれた神父の脳天に十字架ぶっ刺してるんだよな……殺人だよ……ハッ!?神父の恨みを神父で晴らしてスッキリした!ってこと!?
どんな映画やねん。
信仰の脆さに関しては敬虔な神父として娘に寄り添いこの事件の解決に動いてくれてた神父が悪魔を吸収する際に、彼自身も父親である神父から強制的に洗礼を授けられた存在だったことがわかるんだけど、まぁ、だから何?って感じで。そのことが今回の悪魔祓いに特に有効に働く要素もなかったし。
そりゃ、俳優として神父を演じることで悪魔化したが本心で神を信じていたラッセルと、神父であることを強要されてある意味神父を演じていた神父という対比と、最後の最後で神父として神の御業を見せて大往生してよかったねって感じなのかもしれないけど、少なくともそう見えるように脚本が作られていない。
つーか、神父燃えて死んで次のシーンでラッセルがなんか手紙書いてるシーンで終わるの適当すぎないか。
結局何の話やってんってなるわ。
やりたいことがいろいろあるのはわかるけど少なくとも映画としての接続はうんちだったからか、かなり退屈だった。
まぁそんな感じかな。
あと冒頭から画面が一生薄暗いから目が疲れるしメリハリもなくなってると思う。ラッセルが悪魔に憑かれた表現も、今日日それ?って感じの既視感があるものばっかりでナンダカナーって感じ。ジャンプスケアはちょいちょいあるのでビックリホラーとしてはギリ楽しめるかな。
なので、まぁ、悪魔祓い映画コンプ勢にはギリオススメ。ラッセルが悪魔祓いする映画だったらヴァチカンの方を見た方がいいと思いました。
極論がどうとかいうことにしたいようだけど
増田の主張はようするに現行の黙秘権を制限もしくは回避したいってこと
あおやまちゃんがやめて欲しいのはボスマン○達が私を監視してるぞって集団ストーキングして仄めかしくるからそれがすごいストレスでお菓子を何も作りたくなくなるわけ
私はデカチンともボスマン○みたいな知的障害の年上のおばさん達と関わりたくないから、ストーキングをやめてなんとかしてくださいってデカチンさん達にゆいました😲
いや、それ「男はクソ、女はまとも」って結論ありきで観測してるだけじゃないですかね。
駅員やってたら酔っ払い・暴れる客・変な客を見る機会が多いのは当然なんですけど、それって「問題を起こした人だけを何千件も見る職業」だから偏るんですよ。救急医が「人間はみんな病気」って言い出すようなものです。
あと、「女は基本まとも」って言う割に、痴漢冤罪とか駅員へのヒステリックなクレームとか、SNSで店員晒し上げる人とかは都合よく視界から消えてるの面白いですよね。結局、自分が嫌悪感を持った対象だけ記憶に残ってるだけでは。
それと、「男は群れるとロクなことしない」とか「高齢男性は理解しない」とか、属性で雑に括ってる時点で、あなたが嫌ってる“乱暴なおっさん”とやってることそんな変わらないんですよ。
というか、文中でも「若者は怒れば反省する」「暴言も復唱すると黙る」って書いてるじゃないですか。つまり多くは“制御不能な怪物”じゃなく、単にストレス管理が下手な人間なんですよね。
あと地味に怖いのが、「女に絡む男は性欲が原動力」と断定してるところで、他人の内面をエスパーみたいに決めつけ始めると、もう分析じゃなくて憎悪なんですよ。
たぶん駅で嫌な目に遭いすぎて「問題客のテンプレ」が脳内で“男”に統合されちゃったんでしょうけど、現実には毎日何百万人もの男性客が何事もなく電車使ってるわけで、静かにマナー守ってる人は印象に残らないだけです。
結局、「迷惑客は目立つ」「駅員は迷惑客ばかり対応する」「だから人類が終わって見える」ってだけの話を、“男という性別の本質”に拡大解釈してるように見えますけどね。
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
証券口座の開設をネットでやっているのだけど、ストレスが凄い。
窓口で人間相手だったら全然いいのだけど、ネットだと感じるストレスがエグい!
なんでだろうと思ったので書く。
まずさー、ネットよー。
お前さー、説明が甘いんだよ。
なんでそれでいけると思ったん?
使う人の見える景色考えてる?
俺は何かあって詰まった時に戻るボタンしか押せないことが何度もあったんよ!
そして戻るボタンを押したら、
「戻るボタン押しちゃったかー。あー、それはないよ。分かってないなー君は。ハイ、最初からー!」
っていうのを何度も経験してきたんよ。
なのに、まだそれやる?
俺が開発者だったらまずその不安を解消するけどな。いつまで俺を不安にさせるのよ。そしてその不安を解消しないでなんでそのまま現実に起こすんだよ!
お前さー。
こっちに選択肢が無くて、それを検証する手番がたくさんあって面倒臭そうだなーって思う人のこと考えてる?
そりゃリリースしてるんだから上手くいくルートはあるんだろうけどさ、
こっちは、お前の開発の甘さのために検証する手間をかけるのホント嫌なんだよ!
窓口で人間相手に話すなら、言葉の節々からその人のレベルが分かるからまだ対処のしようがあるけど、
それも分からないのに、お前の不備に付き合うのはホントにストレスなんだ!
さぁがんばろー!
私は独身女だ。
近く同い年の同僚が産休(2人目)に入ることになった。
彼女は夫婦揃って実家が遠方らしく事あるごとに大筋「実家が頼れない私に会社が配慮してくれないのマタハラだと思う」といった不満を口にしていた。
彼女は勝ち気で承認欲求が強く、キャリアも家庭も両立するスーパーウーマンに対する憧れが捨てきれない質だった。
「35歳までに2人目産み切りたかったからホントに良かった〜」「お子が保育園入ったら絶対仕事復帰してバリバリ働く」と日々軽いマウント?のようなコメントで私の神経を逆なでする。
彼女の業務は派遣の事務員レベルの作業を正社員の給与水準で通常のスタッフの1.5倍程度の時間をかけて終わらせること。
会社が勤続年数の長い彼女をなぜ甘やかしているのか甚だ不明で、時短勤務の彼女の雇用をささえる為に私は月200時間働いて土日は婚活するでもなくぐったりしている。
平日チームスで「増田さん今日ランチ行きません?」の連絡がある度にお前と違って忙しいから無理!の言葉を飲み込んでやんわり断る。正直東京のランチ高すぎ。旦那が生活費払ってくれてる人には分からないんだろうけど。
日本のネットユーザーの一部に、奇妙な「勝利条件」が定着している。リアルでのコミュニケーションを避け、オンラインでも積極的に拒絶されること、すなわち無視・ブロック・炎上・排除されることを、むしろ自分の正しさや純粋さの証明として受け止める人々だ。彼らにとって「勝ち」とは、相手に反応されないこと、集団から弾き出されること、沈黙の海に沈むことである。こうした病理は、匿名性に守られた日本のネット文化が長年育んできた特有の歪みと言える。
背景には、1990年代後半からの2ちゃんねる文化がある。実名を晒さず、顔も見せず、責任を負わないまま攻撃や皮肉を浴びせ合う空間。そこで培われたのは「空気を読む」ことの逆説的な極端化だ。反応されれば負け、絡まれると面倒、褒められても胡散臭い。理想の状態は「存在を認められず、静かに漂う」ことなのだ。この傾向はSNS時代に加速した。彼らにとって拒絶は「俺は間違っていない、周りが腐っている」という自己肯定の証拠になる。ひきこもり研究でも指摘されるように、社会的つながりの希薄化と承認欲求の異常な形骸化が重なる。リアルで拒絶される恐怖を、ネットで「自ら選んだ勝利」として再解釈することで、心のバランスを取っている。
病理の根は深い。長時間労働、低賃金、将来不安、人間関係のストレスで疲弊した人々が、ネットを「安全な逃げ場」とする一方で、そこでも本物のつながりを恐れる。匿名性が攻撃性を増幅し、集団極性化を起こす環境では、穏やかな会話より「叩かれること」や「無視されること」の方がエネルギーを消費せずに済む。結果、コミュニティは細分化し、エコーチェンバー内でしか生きられなくなる。外部の声は即座に「荒らし」認定され、拒絶される。
こうした人々は、決して少数ではない。40代ひきこもり問題や、若者の「ドライ志向」の裏側にも通じる。日本社会の「調和優先」「不都合な真実の拒絶」という構造が、ネット上で極端に増幅されていると言える。コミュニケーションを拒絶されることを勝利条件に選ぶのは、究極の防衛機制だ。しかしそれは、孤独を美化し、成長を拒否する悪循環を生む。本当の勝利は、拒絶されることではなく、拒絶されてもなお繋がろうとする勇気にあるのかもしれない。ネットがリアルを侵食する今、日本人はその病理からいつ目を覚ますのだろうか。(約980文字)