はてなキーワード: サッカーとは
ここ最近、長男の小学校受験について、いくつかの記事を書いた。準備の仕方や、親の関わり方、結果として何が起きたか。ひと通り書き終えたあとで、ふと立ち止まってしまった。
小学校受験をさせるきっかけは、妻からの問いかけだった。 「どうする?」と聞かれたとき、私は即答できなかった。振り返ると、私は人生の大きな決断を、だいたい他者からの問いによって始めている。これは余談だ。
私も妻も、小学校受験どころか中学受験の経験もない。それでも受験を選んだ背景には、自分自身の学生時代の経験がある。
私は高校から、首都圏のいわゆる進学校に入った。中学からの内部進学組に混ざる形で、今はもうそのできなくなってしまった高校からの入学だった。その学校は、毎年かなりの数の卒業生を難関大学に送り出している。私は最上位ではないが、世間的には「恵まれている」と言われる進路をたどり、職業人生も、少なくとも自分では幸運だと思っている。
その後の人生で、小学校から私立に通った人、名門私立中学出身の人、いわゆる社会階層の上位にいる人たちと接する機会も多かった。正直に言えば、そうした人たちに対して、羨望や嫉妬、劣等感を抱いたことも一度や二度ではない。
自分と同じようなコンプレックスを抱えながら、鼻息荒く、自己像を膨らませて生きている人たちもたくさん見てきたし、かつての自分もその一人だったと思う。 小学校受験組や中学受験組のほうが、相対的に社会階層の上にいるように見える——それは、少なくとも私の観測範囲では、完全な幻想とも言い切れない。
最近、SNSでは「多様な価値観に触れられるから公立でいい」という配偶者の言葉に反論する議論をよく見かける。それはだいたい、「首都圏の事情をわかっていない」というコメントとともに投稿されている。
そうした議論を眺めながら、自分の中にある古いコンプレックスが、静かに刺激されているのを感じていた。
それは私が都内といえどもいわゆる荒れている地域で育ち、常識から外れた価値観で生きて生きたこと、それを矯正する道のりでたくさん傷ついたことなどが思い出されたのだ。
羨望の眼差しを向けた人たちが歩んできた道に合流するのに自分が遠回りした分、子どもにはできるだけショートカットさせたい。
結局のところ、私は子どもに「自分が得られなかった経験」を与えたかったのだと思う。 自分が果たせなかったことを、子どもに託そうとした。 それはパターナリズムであり、自己投影であり、あまりきれいな動機ではない。
それでも、小学校受験を選んだ理由は、それだけではなかった。だからこのエントリを書いている。
たまたまの縁で、子どもたちはスポーツ色の強い幼稚園に通うことになった。その園では朝は走り込みがあり、年間を通して運動イベントが続く。親にも係活動など、相応の負担が求められる。
正直、楽ではない。でも、その負担を引き受け、子どもが毎朝走っている姿を見ていると、自分の中で眠っていた何かが刺激される。 「自分も、もう一度なにかに本気で向き合ったほうがいいんじゃないか」 そんな気持ちになる。
長男はサッカーにのめり込んだ。土日は一緒にボールを蹴るようになり、気づけば親子でかなり真剣になっていた。没頭する姿を見るのは、純粋にうれしかった。
小学校受験の半年間も、子どもにはそれなりの負荷をかけたが、同時に、親である自分も本気で考え、没頭した。「どうすれば、この短期間で合格に近づけるか」。久しぶりに、時間を忘れて考える経験だった。
結果として合格したが、進学先の小学校でも努力が求められるのは明らかだ。それを良しとするかどうかは価値観次第だが、少なくとも私は、「努力する」「没頭する」「それによって意図でず成果が積み上がる」という感覚を、早くから体験すること自体には価値があると思うようになった。
このように振り返ると、小学校受験を選んだ動機は決して純粋ではなかった。コンプレックスも、自己投影も、間違いなくあった。
でもその過程で、親子ともに「没頭する感覚」に救われた部分が確かにあったと思う。
今では、どれか一つが本当の理由だったとは思っていない。やり抜くうちに、理由は少しずつすり替わり、深層では「何かに本気で向き合う時間」そのものを、親のほうが欲していたのかもしれない。
乱暴に一言でまとめるなら、小学校受験は、没頭して成果を出す感覚を思い出させてくれた機会だった、ということになる。
ただし、この整理が唯一の正解だとは思っていない。 この文章も、誰かを説得するためではなく、自分自身への説明として書いた。
待遇に釣られて体育会系カラーの職場で働いてるんだけど、マジで合わない。
日常会話から仕事の進め方まで全てのノリが噛み合わなくて毎日がしんどい。
特にしんどいのがその集団の中で「◯◯さんは凄く変わってるからな」みたいな扱いになってること。
もしも前の職場に今の職場の人達が入ってきたらその人達の側が「Aさんって変わってるよね。体育会系っていうかマイルドヤンキーっぽいっていうか」と言われてたのは間違いない。
んで、何が一番辛いかって私の持つ色んな物が「インドア派の人」っていうステレオタイプの中に押し込められて、私個人として見てもらえてないって感じること。
ぶっちゃけ私から見ても職場の色んな人達が「体育会系の人ってこういうのだよな」って感じできちんと区別をつけることが出来てない。
たとえるなら一部の日本人にとってハゲた黒人俳優の顔が全部おなじに見えるし演技も全部同じに見えてしまうような状態。
「個性を認識するに足る解像度に達するレベルまで、その傾向のある人間の情報が脳内にない」って感じなんだと思う。
この状態は本当辛いよ。
お互いを個々人として見てないもの。
たとえば「休日はFF14かエルデンやってる」という話をしても、「休日は1日家から出ないのは~~~」っていうもっとずっと解像度の低い所で話が終わっちゃうの。
前の職場だったら「僕はゲームはソロが好きなんですよね。何か気づかれするじゃないですか」みたいな返事が来るから「Bさんはいつも人に気を遣ってくれてるからですよ」ぐらいのことは返せるしそのあとも「じゃあ今何のゲームやってます?」とか聞けるんだけどさ。
そして当然のように向こうから来る会話に対しても「休日はサッカー見に行く」と「休日は野球チームのコーチしてる」の区別が自分の中でちゃんとつかず「スポーツ好きなんだな」で全部終わってしまうわけですよ。
こういうのが積み上がってくると、マジで相手を人間として見るのがキツくなる。
「体育会系A」「体育会系B」「体育会系C」「体育会系D」みたいな感じで特定種族の1個体というイメージで終わる。
相手の能力に対する認識も「みんな体力あるなあ」で止まるので誰が何を得意としてるのかも良くわかんない。
当然向こうも「◯◯さんはパソコンが得意だね」で止まってるから、こっちに何を振ればいいのかも分かってない感じ。
結局ね、集団の中で特性が違うものが交じると個性が認められなく成るんだよ。
映画なんかじゃ「マッチョ黒人」「ヒョロガリハッカー」「お色気スポークスマン」みたいな別々の個性を持ったキャラが集まるけど、あれって観客がステレオタイプとして彼らを見るためのものだからそれぞれの個性に目が行かないんだよね。
「メタルギアのオタコン」と「ブラックラグーンのベニー」は外見も性格もかなり違う人間のはずだけど、成分分析すると95%が「凄腕の頭脳労働専門家」で埋まってる感じじゃん?
でも当然のように人間関係も経歴も全然違って、能力ツリーだってかなり別個のものになってるはずなのにね。
まあ漫画や映画のキャラだったら「95%説明しなくていいからステレオタイプ分類いいよね」ってなるんだけど、現実の人間が「君の95%は分かってるよ。インドア派だね」で終わらせられるのはまあ辛いね。
んでこれが同一の傾向がある人間が集まると変わってくる。
たとえばインド映画では「一見すると陽気なインド人だが、実は」は大前提とされてそれとは無関係の別個の個性が認められた状態で色々なキャラクターが語られる。
でも彼らが一度別の世界に飛び出せば「陽気なインド人」で全てが完結され、その先にある個性なんて何も認められなく成ることもある。
七人の侍で集まった個性豊かな侍も、別の物語の中で現れれば「強い侍」というだけの役割になっていたかも知れない。
同じような奴らで集まらない限り、ステレオタイプの枠組みの早い段階で「お前はこういう奴だろ?」と決めつけられて終わるんだよ。
世の中ってのはさ「アルフォード乗ってる奴らは、ちょいワルや半グレに憧れがあって、特攻の拓みたいなのをカッコイイと思ってるんだ」みたいな解像度の低い価値観を平気で押し付けるんだよ。
「ガンダムのオタクはみんな沢山ガンプラを作ってるから、模型作りは得意なはずだ」みたいな少し解像度を上げれば理解不能になるような色眼鏡を平気で振り回すんだ。
つまりさ、最近流行りの「色んな個性がある多様な集団であろう」は一見すると多様だけど、実際にはその中にいる人達の個性を凄い早い段階で切り捨てまくって成立してるんだよ。
その中に飲み込まれるのは本当に辛いんだ。
私はインドア派の集団に属していたからインドア派から先の個性を認めてもらえていたんだってことを、体育会系の集団に属して始めて痛感したよ。
ちなみに英国の人でも上流階級の人にサッカーの話なんかしたら怪訝な表情されるらしいですね。
向こうは階級社会の本場だから、ガチの上流社会は本気で庶民の文化とは縁が遠い(か興味がない振りをする)。
私はアラサーのこどおばで交際経験0の喪女で弱者女性なんですけど、最近になって私って頭悪くて人生経験なさすぎなんだなとわかった。
学生時代は、地元で下から2番目くらいの学校で中くらいの成績とってたから、頭いいとは思わないけど大馬鹿でもないと思っていたんだけど、大人になってバカがバレる場面が増えてきてヤバい。
具体的にバカがバレた例を挙げると、こんな感じ。
・スティーブ・ジョブズを知らなかった
・名探偵コナ◯の映画を見たけど公安とFBIが何をやってる人たちなのかわからない
・「フィナンシェ」という名前があるのを知らなくて「ケーキ」と言い続けてた
・「内祝い」ってなに?
・新幹線は全国どこでも3000円くらいで乗れると思っていた
・「火中の栗を拾う」という言葉を知らなかった
ざっとこんな感じです。
まずもって物知らずすぎるんだけど、同時に人生経験もなさすぎるんだよね。
これまで働いてたところはめっちゃギスギスした現場作業系ばっかだったから会話もなくて決められた作業だけこなせればよかったからバレなかったけど、ようやく非正規で潜りこんだオフィス系の仕事になった途端、雑談とかですらバカで経験値激低なのがバレるバレる。
友だちもいなくて、休みの日にどこか遊びに行くとかもない。職場と実家の往復しかしてない。
実家が外食ほぼしない家で、別に料理好きでもない母親の作る料理しか食べたことないから、知らない食べ物も多い。
フィナンシェも知らなかったし、担々麺も食べたことない。タピオカも飲んだことない。
職場にはお弁当を持っていくか、コンビニで買って食べるかだけど、コンビニでもよく知らないもの買わないし。
趣味らしい趣味もない。オタクっぽい芋な見た目なのにオタクですらない。マンガとか全然詳しくないしアニメもほとんど見ない。小説とかも読んだことない。
音楽のライブも行ったことない。みんなアイドルとか推しがいるけど、全然わからない。男の子も女の子もみんな同じに見える。
お芝居の舞台も見たことない。スポーツ観戦もしたことない。野球もサッカーもルールがまったくわからない。
旅行も修学旅行以外で行ったことない。だから新幹線の値段もわからないし、飛行機なんてもっとわからない。
デートしたこともない。ディズニーランドは小学生の時に一度行ったことがあるんだけど、その一回だけ。
友だちの結婚式に参加したことももちろんない。職場の人にご祝儀3万て高すぎだよねと言われても、呼ばれたことないからそんなマナー?も知らないかった。
仕事も今はアルバイトでしかないから、決まった内容を繰り返すだけで成長とかないし、やりがいも達成感も特にない。
中には契約社員になる人もいるらしいけど、今の時点ですら結構いっぱいいっぱいなのに、これ以上業務が複雑になったり多くなったら、無理なんじゃないかと思うから、最初から諦めてる。
まじで年齢のわりに人生の経験値が低すぎる。
職場には私と同じような喪女な人もいるのに、その人たちは推し活だなんだと楽しそうで、この間「推し活で友だちと香港行ってきたからお土産どうぞ」とか言われて、自分との差を感じて絶望した。
香港てなに。どこ。どうやっていくの。一緒に旅行行く友だちって、どうしたらできるの。どういう流れになったら友だちと一緒に海外行こうってなるの。
なんでみんなが普通にしていることができないんだろう。みんないつから人生経験積んでんの?
私はなんでこんなに人生経験浅くて物知らずなの?
別にそうなりたくてなったわけじゃないのに、ただ普通に生きてたらこうなってただけなのに。
まじでどうしたらいいんでしょうね。
高校ラグビーをする人が減ってる話について、単純に一部都市圏や地区の寡占が進みすぎてしまってる。
野球やサッカーは留学生が多いとは言え色んな地区の代表が出てくる一方、ラグビーはずっと似たり寄ったりの高校名が並ぶ。
昔の秋田工とか黒沢尻高が強かったのは新日鉄釜石という存在が大きかったんやろね。
就職もラグビーで結果を出せば手の届かないような大企業を目指すことができるという話はありそう。それこそかつての東北の工業高校もそうだし、今だと財閥系商社・不動産だと大学時代ラグビー部とか少なくないイメージがある。
地方の工場の集約・縮小で地域の若者がラグビーをやる動機が薄れたというのもありそう。
大企業の実業団スボーツとしてのアドバンテージに頼りすぎていた(もしくは現在進行系で頼っている)のだと思う。
今までは大企業への通行手形として選好されてて、プロ化したらそんな下駄がなくなる以上は日本のラグビー界はちゃんと子供達が楽しめるように魅力を広げていく必要があるのではなかろうか。
映像コンテンツの楽しさって、もう「一人で黙って正座して鑑賞」だけじゃないじゃん。
アニメもドラマもバラエティも、コメントのリアクション込みで完成してる。
最近だとTVerで狩野英孝が『まどマギ』をリアクション実況してるやつ、あれめちゃくちゃ面白い。
作品そのものの良さ+「人がどう感じてるか」を見る楽しさが乗っかってる。
「ここでサメ出るぞw」「はい死亡フラグ」みたいなコメント流れながら観ると普通に楽しい。
みんなでツッコミ入れる前提の娯楽になる。
スポーツも完全に同じ。
サッカーも野球も、コメント見ながら観たら、もう素の映像だけには戻れない。
あれ込みで「観戦」なんだよな。
技術的にできないわけじゃないのに、なぜか一切やらない。
たぶん「映画は芸術だから」「私語厳禁」「没入が大事」とか言い出すんだろうけど、
静かに集中して観たい人用の回があってもいいし、
「コメントOK回」「副音声あり回」「実況付き上映」があってもいい。
結果どうなってるかっていうと、
みんなはコメント付きで笑いながら楽しむ方に行ってる。
そりゃ衰退するわ、って思う。
●17歳に名門コリンチャンスのユースでトライアウトに参加。誰も希望しない右ウイングに成り行きで選ばれ、運よくライバルの少ないポジションに入ることができ合格する。
●ブラジル代表選手で、当時後輩だったリベリーノにフェイントを教える。これが一生の自慢の種になる。
●コリンチャンスのユースで11試合に出場。トップチームでは出場機会に恵まれず、1年で契約を解除される。
●2部リーグを転々としたが、わずか3試合しか出場機会がなく引退。不動産屋に就職する。
●日本から社会人チームのスカウトがブラジルを訪問。トップチームの選手をスカウトする財力がないため、アマチュアでめぼしい選手を探していた。当時はブラジルサッカー界にコネがなく、日系人コミュニティばかりを巡ってセルジオ越後を発見。コリンチャンスにいた実績があり、プロ復帰の見込みがなく、日本語を話せて都合がよかった。
●藤和不動産サッカー部(現ベルマーレ)に入団。JSL初の元プロ選手入団として話題になった。一緒についてきたカルバリオが活躍し、その陰に埋もれる。セルジオ越後自身は、卓越した個人技のわりにパッとした活躍がなく、わずか2年で引退した。
●一度ブラジルに帰ったセルジオ越後が呼び戻される。細いながらもブラジルサッカー界にコネがあり重宝された。そうこうしているうちにJリーグがスタートし、メディアに担ぎあげられ、経歴ロンダリングに成功した。
スーパープレイ集みたいに言われてるけどバグ利用ばっかじゃん。
たとえばサッカーの「試合開始3分で3得点!伝説のストライカー!」みたいな動画見たら「まずは相手選手を買収します。あとは相手選手にゴール前にパスしてもらえば終わりです」みたいなこと言われても「で、それがどう凄いの?」になるじゃん。
「こんなのただのデータの羅列でしょwwwちょっとバグらせれば簡単にエンディングなんでサーセンwwww」みたいなことされてるなーって。
んで「バグ利用してません!」みたいなRTAみても「この大会ではシューズのスパイクの長さに規定がないのでスパイクを滅茶苦茶長くしてボールを串刺しにします!あとはボールを脚に刺したまま相手ゴールに飛び込むだけですwww」みたいな事普通にしてんじゃん。「いやそれはもうバグ利用と一緒だろ・・・」ってツッコミたいんだけど、嫁に直接そういう事言ったら睨まれそうだからここで吐き出してる。
まあプロゲーマーになれない程度の腕だけど「◯◯くんはゲーム上手いよね」のアイデンティティは守りたい人が自分らみたいなしょーもない人間同士でヒーローゴッコできる狭い井戸をわざわざ掘ってその中でゲコゲコしてる的な見世物なんだろうなあ。
でもそれって惨めじゃん?
ビックリ人間ショーで狭い通路の中に小人とヘビ人間を閉じ込めてどっちが早く脱出できるか競わせてるようなものじゃないのかな・・・