はてなキーワード: キリスト教とは
3歳まで猶予を与えようよ。
可哀想だよ。
逆子で生まれて脳性まひになっても、「はいもうタイムリミット切れです!日本の法律はお前を救いません!地獄の80年をお楽しみ下さい!ゲハハハハハハアハh」は残酷すぎないか?
3歳までは中絶として認めよう?
それが人の道だ。
想像してご覧。もし君が生まれついての脳性まひで、親のメンツを守るために死ぬことさえ認められず、ふと気づけば成人を終え、それでも続く地獄、振り返えれど思うことは「早く死んでいれば」という後悔。
そんな君の死を望む気持ちを親はいつまでも妨害し、そんな君のちゃんと生きたいと探る道を社会が根絶する。
八方塞がりの無間地獄の中で、何故生まれてきたのかと日々後悔し続ける。
親は遠い目で君に「早く死ねよ」と語りかけ、そうでありながら君の飛び降りや首吊りを見るや死に物狂いで止めにかかるのだ。
出産後の中絶を一切認めない社会は、世界に地獄を広げんと努めるに等しいだろう。
3歳までは死を許して欲しい。
せめて1歳。
せめて半年。
出産というクソデカリスクが残っているのに平然と「ここまで大きくなったらもう中絶は無理ですよ。もしやったらお前は人殺し!死ね!」と語ることのどこに正義がある?
国力増強の手段でしか無かった頃のキリスト教が利益のために経典に加えただけの下心まみれの正義をいちいち守るな。
本当の正義を守ってほしい
サンデーショックとは、
中学受験(主に首都圏)で「2月1日が日曜日に当たる年」に起きやすい受験日程の大きな変動現象のことです。
なぜ起きるのか
を基本にしています。
その結果
👉 1日を避けて、2日・3日へ入試日を移動
何が「ショック」なのか
① 受験日が集中・重複する
2日・3日が超激戦日に
併願予定が崩れやすい
② 受験生の流れが変わる
難関校を受ける層が
→ 日程変更校に一気に流れ込む
「1日チャレンジ → 2日抑え」
が成立しなくなるケースも
2月1日固定だった難関校
(※年によって該当校は変わります)
過去のサンデーショック年(直近では2023年)の日程を必ず確認
ひとことで言うと
やっぱお前よりAIの方が賢いよ🤩
「聖書に“同性愛者を石打ちにしろ”と書いてある」という理解は、半分は事実で、半分は誤解です。
⸻
「もし男が女と寝るように男と寝るなら、二人は忌むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。彼らの血は彼らに帰する。」
ここには
• 死刑
が明確に書かれています。
当時のイスラエル社会では、死刑の方法として石打ち刑が一般的だったため、
👉 この点では事実です。
⸻
② ただし重要な前提がある
この記述には、現代で語られる際にほぼ必ず省略される重大な前提があります。
それは:
これは
だということです。
• 親に逆らう子 → 死刑
• 近親婚 → 死刑
• 異教の神を拝む → 死刑
つまりこれは
でした。
⸻
👉 イエスによって“法としては終了した”
「罪のない者が、まず石を投げなさい」
(ヨハネ8章)
これは姦通(不倫)で死刑にされそうになった女性を救った場面です。
このため、
⸻
ここは分かれます。
① 保守派
② 中道派
③ リベラル派
⸻
まとめ
✔ 事実か?
✔ しかし
という点が抜け落ちたまま
「聖書はゲイを殺せと言っている」と語られることが多い、というのが実情です。
⸻
もし興味があれば次に、
ヨーロッパをご覧よ
バカジャップオスが直視したら眼球抉れて死ぬかもしれんけど(笑)
アイツらは「教会に祈りを捧げて信仰ポイントを稼いだら天国行きチケットの当選率が上がりますよ」みたいなことやってるだけ。
でも仏教は違う。
教祖に祈りを捧げろって話なんてしてないし、信仰ポイントを稼ごうなんて話じゃない。
カルト宗教の教祖は「神の代理人」みたいな感じで、要するに「消防署の方から来た担当者なんですが(嘘)」みたいなもんだけど、仏教の場合は「師匠」なんだよね。
師匠が「色即是空の精神を極めて気楽に生きようぜ。そうしたら心が軽くなって極楽浄土にも行けるぜ」と頑張ってる横で一緒に修業をする感じ。
キリストやイスラムみたいなカルトがやっているのが「神の代理人を名乗る人間から月の土地の権利書購入を認めてもらうためのねずみ講」だとすると、
仏教っていうのは「極楽入門に向けて一緒に修行や研究をする攻略チーム」みたいなものなんだわ。
もうねぜんぜん違うの。
んでもこの話聞いて「でも創価学会はねずみ講だし攻略チームでもなんでもないよね?」と思ったでしょ?
そう!その疑問は大正解!創価学会は仏教徒を名乗ってるけど、やってることはイスラムやユダヤと同じで単なるカルトのネットワークビジネスでしかないの!
仏教の設定をパクってきて、キリスト教みたいな手法で金を巻き上げてるだけの詐欺師なわけ。
最近グーグルストアで呪術廻戦やポケモンの画像を違法に使ってるソシャゲが話題になってるじゃん?
アレと一緒。
仏教世界観のキャラクターやストーリーを丸パクリした上で勝手に改変して、「我らが教祖様は金を収めているだけで極楽に行ける手法を開発しました。もう昔ながらの攻略は必要ありません。チートを使いましょう」と言ってるだけなの。
そんなのそもそもが間違ってるでしょ。
たとえば格闘技道場で「修行なんて無駄だ!拳を改造して中に金属検出機にひっかからない鉱物を仕込めばパンチ力が上がるんだ!検査に引っかからないドーピング剤もあるぞ!」とかの方向でやってる奴らがいたらもう邪道でしかないじゃん?
創価学会はソレなの。
単なるインチキ。
アレは仏教じゃない。
仏教は生まれること自体を苦とする思想で反出生主義が根源で信者に結婚と子づくりを禁じている
キリスト教は「産めよ増やせよ地に満ちよ」で避妊禁止で多産奨励
なんかもっとロジカルな脱出系サスペンスかと思ったら割とメンタルホラーよりで教育的にあんまよろしくなくて50点。
ヤク中の夫と別れ家から追い出した幼い子供2人の母の主人公。追い出した小児性愛者のクズの家に転がり込んだ夫が家に戻ってきて物置に主人公を閉じ込めて帰ってしまう。物置からの脱出を図りながらグズる幼い子供たちは心配だし途中でクズは戻ってくるし、これから私どうなっちゃうの~~!
という話。
冒頭で夫が出て行った後の物置の整理をするシーンから始まって、で、いったん予行演習的にそこで主人公が閉じ込められる展開があってこの映画はこういうことが起こりますよ、こう困りますよというのが観客も予行演習できるんだけど、まぁそこじゃなくて。その整理のシーンで物置にあった痛んだリンゴを軒先にベベベって投げ捨てるシーンがある。
で、最終盤に主人公は元夫を2階の窓から同じ軒先に突き落として頭をカチ割って殺害する。
そしてエンドロール前におばあちゃんの秘密のレシピの最後に「痛んだ部分を切り取ったらいい料理になる」みたいな感じのことが書いてあることがわかって、「痛んだ部分(元夫)を切り取っていい人生が始まるんだね」みたいな感じで終わるんだけど、さすがに殺人を積極的に肯定しすぎてないか。
そりゃこいつド級のドクズだし、見ててもこいつ殺さんと話し終わらんやろなと思うけど。殺した上で「人生を邪魔するヤバい奴をぶっ殺していい人生歩もうぜ!」ってメッセージまで出すのは流石にいかがなもんか。ここめっちゃノイズやったわ~。
でアホみたいなタイトルの「トジコメ」だけど原題は「SHUT IN」で「閉じ込められる」という意味なので意外に原題準拠で草。まぁ、アオラレつけたやつと同じ奴がつけたんだろう。
最初に書いたけど閉じ込められたところからの脱出としては思ったような快感はなくて、要するに、限られた場所、物資を利用してロジカルに解決するというような展開はない。途中で娘がドライバーを拾ってきてやったぜ!ってなって床を掘り始めるてある程度デカい穴が開くんだけど、結局、その床からは脱出しないし。まぁドライバーはその後、小児性愛者の手を刺し貫いて娘を守ることには使えるんだけど。
どちらかというとどうやって脱出するかよりも、本来なら数分も目を話しておきたくない幼子――たぶん1歳くらいのベイビーちゃんと4歳くらいのガッキの設定だと思う――と強制的に引き離されてしまってしかも様子も見れない。指示もうまく伝わらないし、お腹空いたって騒ぎだすし、おしっこ漏らしちゃうし、寂しくて寝られないって言ってくるし、ガッキはベイビーちゃん運ぼうとして落っことしちゃうし。さっきも書いたけど小児性愛者は攻めてくるし。それを物置の中だけを映すことで、音でしか判断できないので焦燥感がすごい。
「危ないから鍵かけて閉じこもっとけ!」って言うんだけど本当にそうしたのか、今どうなっちゃってるのか、主人公からはわからない。
このあたりの演出はよくできてるなーって思った。
ただ結局夫との決着は部屋から脱出してからつけるのがなんかアイデアとしてはもう一つなんかなかったかって感じ。
あとは主人公がいきなり手のひらを釘で刺されるって言うモロモチーフが出てきたり、聖書に祖母のレシピや金がはさんであったり十字架が貼ってあったことが最終的な脱出のヒントになったりとキリスト教的な主張がなんかすごい。個人的にあんまうまくいってるとは思わなかったけどまぁ必要やったんやろうな。
っていうのもこの映画、The Daily Wireっていうバリバリの保守メディアが初めて自社制作した映画なのね。「自己責任」「キリスト教原理主義」「家族至上主義」「力による平和」というゴリゴリの保守的メッセージで撮られている。なので、まぁ若干のメッセージ性が先行しすぎる感じが個人的にはあんまだったかな。
主役の人は良かった。主人公が好きか嫌いかは別として「元ヤク中の危うさを秘めた一人の実在感のある女性」を熱演していたと思う。元夫をムッキーってなって責め立てたかと思ったらビンタされて(´・ω・`)ってなるシーンとかめっちゃ熱演で好き。
ただ幼子がいる、いたことがある親の人にはわりと身につまされるというか共感できたり、逆に共感できなかったりと楽しめる要素自体はあると思うのでそういう人にはオススメ。
ネットでは「日本は軽すぎる」とか「それが違法な欧米は異常」ってよく言ってる人いるよね
ずっと「あーね、宗教だろ?」って思ってたけど、AIをずっと議論して宗教じゃないっぽいと言う結論になった
つまり女性の権利や子供の権利が原因(例:子供の権利条約が1989年)
その前の性犯罪とかはどういう立ち位置だったかと言えば、あくまで男社会を上手く回すためであり、社会秩序維持の役割だった
そして後者は一部の国ではまだ健在で、その場合考え方がかなり違うので主張を聞くと違和感が出る(現代日本人は染まっている)
じゃあ何で欧米は人権意識・同意主義が強く先行したのか、といえば「多民族国家だから」とのこと、今のポリコレが強いのと同じ話だ、弱者が属性を作って主張するみたいな風潮があるからこそこうなっている
「中身は世俗的・統治理論的なのに、その思想を唯一の正義として海外に広めようとする動きはキリスト教的行動」なんだよね
結果、日本や韓国や東南アジアや南米なんかには強く影響を与えた、欧米主義のグループだね
これは当然「多民族国家」ではないから「人権意識・合意主義が弱い」から「厳罰化しづらい」と言う流れ
(特に性犯罪って元々妥当な量刑ってないんだよね、長い歴史で見ると重かったり軽かったりする)
これは「国を統制しなきゃならない」というモチベーションが強いと考えられる、人口が多いから
つまり
欧米:多民族国家 → 人権意識・同意主義 → 法律で強い統制 → 厳罰化
日本等:ほぼ単一民族、人口は中くらい → 法律で強い統制しなくてよい → 非厳罰化
例えば家族や会社に責任の一端を担わせてるとか、空気や恥の文化で社会を維持しているわけだ(今後それは薄まるだろうけど)
ついでに調べたけど
驚くかもしれないが、アメリカでさえ犯罪件数は1990年代をピークに減少している
でもSNSやYoutubeを見ると「アメリカヤバい」が大量に出てくるだろ?あれはアメリカ国内でも起きていて、体感治安はずっと悪化している
「アメリカでも昔は子供が一人で外を歩けた」のは、治安が良かったからじゃなくて体感治安が悪くなかったからでしかない
これは日本でもそう、慈済に治安が悪かったのは2010年代くらいで、そこからビックリするくらい安全になってるのに、体感治安はずっと悪化している
そこで、厳罰化は体感治安に依存するのか、実際の治安に依存するのか調べたら、結構研究があるらしく
らしく、バランスが取れているとのこと
ただし、今の時代に法律が逆行するとは考えづらいので、バズる事件が増えるたびにちょっとずつ厳しくなるらしい
あと、厳罰化を求める声は特に増えているわけじゃなく、SNSで可視化されてるだけというのも留意が必要
結局私らって実態を見ていないんだよね、SNSという幻想しか見ていない
これ、なんか「日本が遅れていて最近ようやく国際標準に追いついた」みたいな認識がある人が居ると思うけど
「不同意」が世界的に盛り上がったのはせいぜい2010年代あたりかららしい
つまりここ20年でも「人権意識・合意主義」がじわじわと進んでいったことになる
相変わらず性犯罪の立ち位置は「社会秩序維持の役割」らしいので
現代日本人は、キリスト教は浸透しなかったが「人権教」はかなり浸透したんだと思う
その是非は問わないが、
「日本は人権教が浸透してるが濃度は薄い。欧米はその濃度が濃い。日本より薄い国もある」と理解するだけで色んな違和感が説明できて良いなと思った。
この人権というシステムはあくまで国家統制・国会維持・治安維持に使われているわけで
というわけで、「日本は犯罪者に甘い!(量刑だけ見て)」というネットの声はいつまでも残り続けるだろうね
知らんけど
そう言えば、少子化を語る時にさ
「女性が社会進出したからだ(女性に人権を与えたからだ)」って主張する人はいるけど
「子供に人権を与えたからだ」なんていう人は少ないよね、これ実際正論なのに
たぶん気づいてすらいない感じなのが面白くない?
キリスト教においては、神は世界を創造した後に姿を隠した(またはその存在が不可視のもの)とされる。
姿を隠したと見なす場合、その理由は「人間の自由意志を成立させるとため」や「信仰を成熟させるため」とされる。
もし全能の神が、常に圧倒的な姿で目の前に現れていたなら、ちっぽけな人間にとって信仰は「選択」ではなく「強制」になってしまう。
そして、その神が姿を現さない世界では、不安や疑いが大きくなり、信徒はその信仰を試される。
神の沈黙は、人間の自主性や信仰心を育むための粋な計らいということになる。
しかし、神の似姿である我々には、それ以外の理由を推察することができる。
キリスト教における解釈は、あまりにも人間側に寄った理由であり、神の物語の余白を無理やり「伏線」として、自分たちに都合の良い試練を考察したと見える。
神の都合で考えると、最も納得ができる理由がある。
神は「飽きた」のだ。
ハイパー・ワールド・クリエイターであり、プロデューサー兼デザイナー兼エンジニアである神は、新規案件にあたり自らをアサインされ、だいたい5営業日くらいで世界を構築された後、ほっと一息つきにコーヒースタンドへ向かった。
その途中に、早くも次のアイデアを閃かれた。
次のことを考え出すと、今の仕事には手がつかない…
どうせこの後は、せっかくの創造性を削っていくようなレビューとフィードバックが待っているだけだ。
今回のコンセプトはそもそも、いわば「運用の自動化」である。世界に訪れる困難(エラーやトラブル)も、配置された人間(小人さん)と教会(システム)が、自動で検知して修復できるはずなのだ。
ローマ法王はキリスト教の二代目以降の教祖にあたるかって問いを発したんだけど
dorawiiより
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承前。
https://anond.hatelabo.jp/20251231152723
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※ 2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
様々な動物のコミュニケーションをサンプルに、「動物は言葉をしゃべっているのか?」を考察するノンフィクション。最後は、「そもそも言葉とは何か?」というところまでテーマは広がっていく。
まず、動物とその言葉の関係を評価するスタンスは、大きく分けて二つあると思う。一つは、動物は人間と同じような言語の概念を持ち、それを各自の鳴き声で表現している、という立場。もう一つは、動物における言語の概念は人間とはまったく異なる、という立場だ。
前者の場合、人と動物の言葉の違いは、極端に言えば日本語と英語の違いと同じものでしかない。つまり、翻訳も可能ということになる。
例えば、『クジラと話す方法』という本はこの立場に立って、クジラの歌声を大量に収集し、どういう状況で発された音であるかを分析すれば、統計的にクジラ語の辞書をつくれる…だけではなく、これをモデルとして逆にこちらから音波を発信することで、人間からクジラに語りかけることもできるようになる、という発想を語っている。
これと比べた場合、『まじめに〜』は後者の側に入っていて、人間と動物の間には言語同士以上の開きが存在する(=翻訳不可)、という立場に立っている。ロマンチックとは言えないが、これはこれで、動物の知性を人の方に寄せることなく理解しようとする敬意の表れがあっていい。
この本の作者が信頼できるのは、動物に言葉があるとして、それは絶対に字面以上の意味を含みうること、それゆえに特定の単語や文章に落とし込むのは困難だと強調するところだ。
例えば、群れを支配するリーダーが異性に対し、あるメッセージを発する。状況から推測して、それは人間の「あなたが好きだ。一緒にいたい」に該当する可能性が高い、とする。
しかし、それが人間とは別種の生態系を持つ動物が発するものと考えると、そこには親愛だけでなく、支配を目的とする攻撃性や、ライバルの同性への誇示を含みうる(極論、人間でもそうなんだけど。)。
そう考えたとき、それを人間の辞書で何かの言葉に頑張って置き換えることに、どれほどの意味があるのか? 我々にできるのは、鳴き声に込められたニュアンスをどうにか類推することであり、人間語に表すことはできないのではないか? というのが『まじめに~』のスタンス。こうした疑問が、生物のノンフィクションであると同時に、言語哲学のようで面白かった。『クジラと〜』とあわせて読むと、ロマンとリアリズムを一緒に摂取できる。
国内で話題になった「忍者グマ」、OSO18を追ったドキュメンタリー。
OSO18をめぐる作品は他にも読んだけど、俺はこの本が面白かった。それは、俺がOSO18の報道というのはクマ自体の話だけでなく、世間がそれを都市伝説的に楽しみ、駆除に反対する「動物愛護」を冷笑し、なんとOSO18は最後はジビエ肉になって卸されてしまいました、というブラックなオチまでエンジョイするという、「良質なコンテンツ」は骨までしゃぶろうとする人たちの現象でもあると思っていて、この本にも同じような批評的な視点があると感じたから。
もちろん追跡の記録もしっかりしているし、動物研究のプロフェッショナルへの取材もすごくいい。恐ろしいという印象がどうしても勝るけど、あるインタビューに出てきた「OSO18は賢くて、(あくまで野生動物としての基準で)とてもいいクマだと思う」という意見には、なるほど~、と思った。
ちなみに、二人体制で書かれており、OSO18に対する両者のスタンスは必ずしも同じではない。そのズレが、最後はいいかたちで表れていて、まず一人目の見解に考えさせられたあとに、次の筆者のパートでかなりひやっとくることが書いてあり、これも面白かった。
生物学のフィールド調査+民間信仰の採話という形式によるモキュメンタリーホラー。
2025年は、少しきつい言い方をすると、似たようなベクトルのホラーが「量産」された印象がある。ありていに言えば、大ヒットした『近畿地方の〜』ライクな作品が世間から期待されていたんだと思う。
俺も『近畿地方の~』がすごく面白かったので、他の作品も何冊か手にとってみたのだが、アイデア一発勝負をどうにか膨らませた感が強かったり、たくさんの情報をつなぐことに終始してストーリーとしては全然興奮できなかったりして、やっぱり『近畿地方〜』すげえな、という結論になった。
その中で、『堕ちた儀式の記録』はとてもよくできていたと思う。フィールドノートの章と散文調の章の使い分けが、ギミックとして巧みに機能していて、物語としてシンプルに先を読みたいと感じさせてくれたし、「考察」を楽しむことができた。
余談だけど、マジで2024~2025は同じタイプのホラーが本屋でひしめくことになっていて、選ぶのに苦労した。たくさん読んだ人の忖度抜きのランキングとかめっちゃ需要あると思う。
コロンビアに暮らす、とある血縁者たちに発生する若年性アルツハイマーに関するドキュメンタリー。2025年に読んだ本第1位。
この手の類の本が好きな人は、タイトルから別の本を想起するのではないかと思う。2022年に早川から刊行され、 (俺の観測した範囲でだけど)話題になっていた『統合失調症の一族』だ。
正直に言って、いわゆる二番煎じだと思いつつ読み始めた。しかし、血のつながりに起因する病をめぐって描かれた、医療の確立をめぐる尽力、フィールドワークの苦労、それぞれの家族の物語は、本当に深くて面白かった。
現代のコロンビアはギャングや過激派の悪影響が深刻で、それに加えて、いわゆる黒魔術的な頑迷な信仰の存在感も強く、多くの要素が医療の推進を阻害する。こうした環境で病人の発生した家庭を回り、治療のためのネットワーク構築に奔走した医療従事者の熱意と人柄はすごすぎる。到底マネできない。
暴力が蔓延し、インフラも貧弱な土地で、40~50代でアルツハイマーを発症した人たちは次第に会話が成り立たなくなっていき、汚物にまみれてぼろきれのように死んでいく。人間という存在に根本的にたいした意味がないということが、繰り返し描かれる。
その一方で、患者になった家族を支えるというかたちで、途方もない忍耐と強さ、なにより明るさを発揮する者がいることも、同時に描写される。治療法がなかなか確立されず、悲観的な事実ばかりが積み重なる中で、少しでも患者(予備軍)を鼓舞しようとするスタッフや、自分もいつか発症するかもしれないという恐怖と向き合いながら人生を切り拓こうとする血縁者の努力が描かれる。
読んでいて視点が二つに分かれていく感じがあった。シニカルになる余裕さえない、徹底的に乾いた虚無感と、人間の強さに打たれる感覚とが同時にあって、なかなかすごい読書体験だった。
二つ付記。
一つ目。上で書いたとおり、土着の宗教が障害になっているケースがあるが、=「宗教は科学の敵だ」とは限らない点にも注意がいると思っている。
これは別の本で提唱されている概念だが「WEIRD=Western Educated Industrial Rich Democratic」という、日本を含む先進国が大きく影響され、多大な恩恵を受けた「科学的とは、発展とはこういうことである」という価値観があり、これを強力に世界中に敷衍したものこそキリスト教である、という説があるからだ。
一方で、『闇の奥』でも示されているとおり、西洋の進出は別の土地にとっては侵略の歴史でもある(未読だけど、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』も同様だろう)。だいぶ話がズレる&ありがちなまとめになってしまうけど、「批判されているあるものには、こういう側面がある」というおさえ方と、搾取や暴力を基準に善悪の絶対の線を引くことの両方が必要なんだと思う。
二つ目。本書で紹介されている医療活動は、あくまで「コロンビアで」「アルツハイマー発症の機序の一部」をターゲットにしたものである。
言い換えると、他の場所で別のメカニズムから病気を攻略しようとしているチームもある。そこにはスポンサーや世間の関心をめぐる科学者同士の競争が発生し、企画を指揮する科学者にはプロデューサーとしての手腕も問われることになる。本書の解説を書いたライターの『がん征服』は、がん治療の驚くようなアプローチをいくつも紹介しつつ、その辺の内情もうかがえる良書だった。あわせて紹介しておく。
2025年に読んだ本の中で最恐。
これは挙げるかどうか悩んだ。ちょっと古い本というのもあるが、それより、ほぼ確実にほとんどの人に刺さらないから。ホラー好きでさえハマるか不明。単に俺が面白かっただけ。
うまく説明できる自信がないが、ホラーの一番の弱点は何かと考えたときに、「それは相手を怖がらせようとしていること」というところに落ち着く気がする。ホラーの大きな目的が、ホラーとして提供されるがゆえに邪魔されているというか。結局、誰かが死んだとか不幸になったとか、こっちを嫌な気持ちにさせたいんだよね? という。
自分で好んで読んでおいてなんだが、心のどこかでそういうことを思ってしまう。ホラーなんだからそりゃそうで、どうしようもない…のだが、『幽霊物件案内』は、その弱点がない。ものすごく巧みにそこを避けているのか、書かれているネタと書いている本人のどっちか(もしくは両方)が根本的に何かおかしいのか、とにかく何をしたいのか描きたいのかよくわらないまま、ひたすら猛烈に不穏なことが延々と書かれている。
どういう人に薦めたらいいのか考えたが、例えば2chの洒落怖にあった、『まったく意味がわかりません(バスの事故? に関すると思われる書き込み)』とかが近い気がする。あれが楽しめる? ならハマるかも。ただ、『幽霊物件案内』は文章自体はちゃんと成立しているため、かえってよっぽど異常な気がする。
以上。2025年はだいたい70冊ぐらい本を読んだ。来年は100冊を目指したい。本屋に行くたびに読みたい(そして読めない)本が増えていく!