はてなキーワード: 1965年とは
韓国は長年、日本軍による植民地支配と戦争を「国家主導の組織的犯罪」「人道に対する罪」として強く糾弾してきた。 「被害者中心主義」「加害者の否認は歴史修正主義」「道義的責任は永続する」「性暴力は絶対に許されない」――これが韓国側の基本論理である。
では、同じ論理を韓国政府自身の戦争関与と中間搾取に適用したら、どうなるか。 ここでは、ベトナム戦争での韓国軍加害と、徴用工問題での資金横領・搾取を、韓国側が日本に対して用いる言葉でそのまま批判する。
1964年から1973年にかけ、朴正煕政権はのべ32万人超の韓国軍をベトナムに派兵した(米軍に次ぐ第2位)。名目は「反共産主義」だったが、実際には巨額のベトナム特需(総額数十億ドル規模)を得て、京釜高速道路建設や重化学工業化の原資とした。
この派兵下で起きたのが、フォンニィ・フォンニャット村事件(1968年2月12日、クアンナム省)とハミ村事件(同年2月25日、同省)である。 フォンニィ・フォンニャット村では、韓国海兵隊青龍部隊が非武装の民間人約70人を至近距離で射殺・手榴弾攻撃・放火。被害者の大半は女性・子供・老人だった。 ハミ村では同部隊が135人以上を機関銃と手榴弾で集団殺害し、家屋を焼き、遺体をブルドーザーで埋めた。
韓国側の論理で言えば、これは「国家が組織的に行った民間人虐殺」である。 日本軍の南京事件や三光作戦を糾弾する際と同じく、
――これこそ歴史修正主義そのものだ。 2023〜2025年の韓国裁判所判決でさえ、フォンニィ事件で国家賠償を命じたにもかかわらず、政府は「戦闘行為」と主張して控訴・事実否定を繰り返した。
サイゴン(現ホーチミン)には韓国軍が関与した売春施設「トルコ風呂」(Welfare Center)が米軍公文書で確認されており、これは日本軍の慰安婦制度を韓国側が「国家主導の性奴隷」と呼ぶのと全く同じ構造である。 韓国政府は今も公式謝罪・大規模補償を拒否。「未来志向の関係」を優先する姿勢は、被害者中心主義を自ら否定する行為だ。
戦後、1945年に発足した在日本朝鮮人連盟(朝連)――後の朝鮮総連の前身――は、日本企業から強制労働者の未払い賃金を「労働者代表」として回収する権限を得た。 1946年末までに請求額は4,366万円に達し、かなりの金額を実際に徴収。
しかし、そのほとんど(ほぼ100%)が労働者本人に渡らず、朝連の活動資金や日本共産党再建資金に流用された(元朝連関係者・金賛汀氏の著書『朝鮮総連』より)。
日本企業が支払った資金を「中間団体」が食い物にした構造は、慰安婦問題で「ブローカー業者が女性を騙した」と批判するのと同じだ。 しかも、韓国人ブローカー自身が戦時中の「募集」段階で「高賃金・好待遇」と甘言を弄し、労働者を日本企業へ送り込む人身売買的行為を繰り返していた事実は、韓国側が日本だけを糾弾する論理では決して無視できない。
1965年の日韓請求権協定でも同じ構図が繰り返された。日本は韓国に無償3億ドル+有償2億ドル(当時の巨額)を支払い、「請求権問題は完全かつ最終的に解決」と確認した。
しかし朴正煕政権は、この資金の約3.6%程度しか死亡遺族への少額補償(1人30万ウォン=当時約3万円)に充てず、残りを国家経済開発(POSCO製鉄所など)に投入した。 韓国側の論理で言えば、これは
であり、「被害者を置き去りにした経済優先の道義的背信」である。 2005年の官民共同委員会でさえ「補償が不十分」と認めながら、韓国政府は日本企業への追加請求を司法で後押しした。これはまさに「二重取り」を正当化する歴史修正主義だ。
韓国が日本に対して繰り返し求める基準――「国家責任の明確化」「被害者への直接救済」「否認の終焉」「性暴力の徹底糾弾」「象徴(国旗)の扱い」――を、自らの歴史に適用すればどうなるか。 それは、
韓国政府が本当に「正義」を掲げるなら、 日本だけを糾弾するのではなく、 自らの戦争関与と中間搾取にも同じ厳しい目を向けるべきである。 被害者中心主義は、他国にだけ適用する「都合の良い武器」ではなく、万国に通用する普遍的原則でなければならない。自らに適用できない論理は、論理として破綻している。
バンダイが「ランダムグッズの魅力は?→ワクワク感が45%!」ってアンケート結果を出して盛大に燃えてる。リプ欄封鎖、引用RTは「誰が望んでんだよ」の嵐。ほんとその通りだと思う。
私も先月、推しのアクスタをランダムで買って7回外して、帰りの電車で「なんで私こんなことしてるんだろ」って思ってた側の人間。ランダムなんてなくなればいいのにって、心の底から思ってた。
だから試しに「ランダムが禁止された世界」を想像してみた。全部指名買いできる世界。最高じゃん。
…って思ったんだけど、調べれば調べるほど、全然幸せじゃなかった。
■ まず、値段が上がる
ランダムがなくなったら、企業は売上がざっくり半分になる。なぜかっていうと、ランダムだと推しが出るまで6〜7回買う人が、指名買いなら1個で終わるから。600円で済む買い物を2,800円にできる仕組みがなくなる。
売上が半減した企業がどうするかって、値段を上げるに決まってる。
ランダム400円だったものが、指名買い800円になる。「選べるけど高い」世界。推しを1個買うだけなのに、今より高い。
今って、ニッチな深夜アニメでもアクスタやトレ缶が出るじゃないですか。あれ、ランダム均等封入だから成り立ってる。
ランダムなら全キャラ同じ数を作って箱に詰めるだけ。「このキャラは500個、あのキャラは50個」みたいな需要予測がいらない。在庫リスクがゼロだから、小さい作品でもグッズ展開できる。
指名買いになったら、キャラごとに「何個売れるか」を予測しないといけない。予測を外したら在庫の山。そのリスクを負えるのは鬼滅とかワンピースとか、確実に売れるタイトルだけ。
利益が見込めない作品は、企画ごと消える。推しの作品のグッズが、この世に存在しなくなるかもしれない。
ランダムがなくなって生産数が減ると、人気キャラは店頭で瞬殺される。今でも即完売はあるけど、ランダム時代は大量に生産されてたから市場の流通量自体は多かった。
指名買いの世界では、人気キャラに注文が殺到して供給が追いつかない。品切れが日常になる。そうなると何が起きるかって、転売ヤーの天国になる。
流通量が少ないほど転売は儲かる。定価800円のアクスタが品切れた瞬間に3,000円で出品される世界。ランダムを憎んでた私たちが、今度は転売ヤーに上乗せされた金額を払うことになる。
■ ここまで読んで「なんでこうなるの」って思った人へ
ここまで「ランダムがなくなったら起きること」を並べたけど、なんでこんなことになるかっていうと、ランダムの方が企業にとって圧倒的に儲かる仕組みだから。
指名買いなら1人1個で終わる。ランダムなら同じ人間に4倍以上買わせられる。しかも種類を増やすほど「あと少しで揃う」の沼が深くなる。どのメーカーも毎回10種以上で出してくるのはそういうこと。
よくある擁護で「不人気キャラのファンのためにランダムが必要」ってのがあるけど、因果が逆。全員が人気キャラでも、自分の推しがAならBは外れ。人気・不人気関係なく「自分にとっての外れ」は必ずある。不人気キャラは「ファンのため」じゃなくて「種類を水増しして沼を深くするための弾」。
均等封入で在庫リスクをゼロにできるのも企業にとっての旨み。ファンへの愛じゃなくて、在庫管理の都合。
この構造がある限り、どの企業にも「選べる版」を出す経済的インセンティブがない。出した瞬間にランダムの売上を自分で食うから。私たちの「選ばせろ」は正しいけど、応える理由がどこにもない。
■ 法律で変えられないの?
無理だった。
ランダム販売は今の法律では合法。景品表示法の対象は「取引のおまけ」であって、ランダムグッズは「商品そのもの」を買ってる扱い。そもそも法律が想定してない。
しかもカプセルトイだけで1,150億円、トレカ含めると4,000億円超の市場。福袋は江戸時代から、ガチャは1965年から。「昔からある普通の商売」として法的にも守られてる。
一番つらいのが、「ランダムやめろ」って怒ってる私たちの多くが、次の推しグッズが出たら結局買うこと。法律を作る側からすると「被害者」に見えない。
■ 結局のところ
「ランダムやめろ」って言う時、私たちが想像してるのは「今と同じラインナップ・同じ値段で、選べるようになる」世界だと思う。
でも実際に来るのは「選べるけど高くて、種類が少なくて、推しの作品のグッズがそもそも出ない」世界。
ランダムは、推しを人質に取って私たちの財布をこじ開ける商売であると同時に、グッズの種類の多さと安さを支えてるインフラでもある。嫌い。でもこれで回ってる。
バンダイのあのアンケートに怒るのは正しい。肯定前提のクソ調査だし、リプ封鎖も最悪。でもあれはバンダイだけの話じゃなくて、ランダム商法をやってるすべてのメーカーに同じ構造がある。1社に怒りをぶつけても、業界全体の仕組みは変わらない。
本当に変えたいなら買わないこと。でもそれは推しを諦めることとほぼ同じだから、私にはたぶん無理。みんなもそうだと思う。
だからこの構造は続く。私たちは怒りながら明日もガチャを回す。
まあ、そういう話。
イランが米軍基地を狙って中距離弾道ミサイルを放ったディエゴ・ガルシア島について
1814年にイギリスが占領。モーリシャスの一部として統治されていたが、1965年にモーリシャスから分離され、新たに画定されたイギリス領インド洋地域の一部となった。
1966年にイギリスは、アメリカ合衆国による防衛目的での使用を50年間(終了の通知がない場合はさらに20年間)認める協定を結んだ。1968年からは、離島者の帰島を禁じる、制限された食料や医療しか与えない、ペットを殺害する等の方法で同島から島民の追い出しが図られ、1973年頃には、残った者たちが強制的にモーリシャスやセーシェルに向かう船に乗せられ、移住させられた。
アメリカもフランスも住民がいる島を核実験場にしたし、そういう帝国主義しぐさは露中だけではなく、米英仏も戦後も普通にやってるのである。
鈴木亘のもう一つのの試算とは、2012年に内閣府のディスカッションペーパーとして書かれた「社会保障を通じた世代別の受益と負担」で行われた試算です。
試算は、国民年金、厚生年金、共済年金を通じて、1人当たりの生涯における平均的な受益と負担を生年別に集計したものとされていて、その結果が下のグラフで示されています。
この試算は、前のような極端に悪い前提ではなく、2009年の財政検証と整合性をもって試算されたもので、前のものとまったく異なる結果を示しています。
例えば2010年生まれについては、マイナス534万円となっていて、前のマイナス2840万円と比べて随分少なくなっていますし、1965年生まれ以降はそれほど大きな差もありません。
それでも生涯を通じてマイナスではないかという批判はあると思いますが、それについては以下の点の留意が必要です。
一つは、世代を通じた長期に渡る保険料負担と年金給付を2010年時点の価値に引き直すための割引率として運用利回りが使われているのですが、賦課方式の年金制度では保険料と給付は賃金に連動するものですから、賃金上昇率で割り引くのが妥当ではないかということです。賃金上昇率で割り引けば、マイナス幅は縮小し負担と給付はトントンになるのではないでしょうか。
二つ目は、保険料負担に事業主分も含めていることです。事業主分を含めずに労働者負担分だけで見れば、プラスになります。
そして、そもそも公的年金は保険であるという原則に立てば、受益と負担の期待値を計算して比較してもあまり意味がなく、より長生きする時代になって、終身で支給される公的年金保険が長生きリスクの備えとして安心感を与える効用についても考慮する必要があるでしょう。
図
https://x.com/fp_yoshinori/status/2032285877003829495/photo/1
1953年女優デビュー。テレビタレント第1号。1954年ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で人気に。紅白司会は5回。1976年「徹子の部屋」放送開始。1980年『窓ぎわのトットちゃん』出版。35ヶ国で2500万部発行。1984年ユニセフ親善大使に任命。1977年の「プリマ・パンダ」は音楽学校声楽科出身の歌唱力を堪能できる怪曲。https://youtu.be/aL32qwgwQM8?si=yd9J3Fj6nHPtFL04
1958年テレビ番組「歌の広場」でデビュー。作詞家作曲家として数多くの社歌や県市町村歌を作った。86歳で自作曲の大洋ホエールズ球団歌「行くぞ大洋」を美声で弾き語りして元気な姿を見せた。https://youtu.be/EmkjRHDdPAA?si=UrVdzmm7CwqG2Gan公式サイトは“古のインターネット”で怪しさ満点。http://home.v01.itscom.net/mitaka/
1950年松竹歌劇団に入団。1953年映画デビュー。1958年音楽バラエティ番組「光子の窓」司会。レコードも出しているはずだが把握しきれていない。81歳の時のシャンソン「行かないで」はそれまでのミュージカルでの演技体験が生きている。https://youtu.be/wyDBU3LMak4?si=AzJ14IjrLUqy5fCs「なかにし礼と12人の女優たち」は隠れた名盤。
玉田元康(91)
ボニージャックスのリーダー。1958年歌手デビュー。ロシア民謡「一週間」や「ちいさい秋みつけた」等レパートリーは五千曲に及ぶ。紅白3回出場。ダークダックスやデューク・エイセスと共にコーラスブームを牽引した。「男たちの子守り歌」で90歳のソロデビュー。https://youtu.be/Kmqs-s0MBxs?si=dxZYSptp1KSVfhIm
谷道夫(91)小保方淳(91)槇野義孝(90)
デューク・エイセスのメンバー。1955年結成。ドリフターズで有名な「いい湯だな」はこちらがオリジナル。https://youtu.be/kmjONyZze08?si=JT9VfQZoe8G4yuD9「鉄人28号」主題歌も有名。紅白10回出場。2017年解散。小保方淳の在籍期間は短くボーカル・ショップに移籍、その後ソロに。
美輪明宏(90)
1952年シャンソン喫茶銀巴里で歌手デビュー。1957年「メケ・メケ」でレコードデビュー。シスターボーイ・ブームを起こす。1967年「毛皮のマリー」初演。紅白は4回出場。1965年発売の「ヨイトマケの唄」を紅白で見た時の感動は絶対に忘れることができない。https://youtu.be/8NK9jtPyQdk?si=fIZpMXsqS3DL3WgG
多分最年少だよ。
* 第74回(2023年):MISIA 「紅白スペシャル2023」
* 第72回(2021年):MISIA 「明日へ 2021」
* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」
* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第65回(2014年):松田聖子 「あなたに逢いたくて~Missing You~」
* 第63回(2012年):SMAP 「SMAP 2012'SP」
* 第62回(2011年):SMAP 「SMAP AID 紅白SP」
* 第61回(2010年):SMAP 「This is love'10 SPメドレー」
* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」
* 第54回(2003年):SMAP 「世界に一つだけの花」
* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄」
* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」
* 第29回(1978年):沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」
* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう」
ショートケーキにいちごが乗るようになったのは、実は意外と最近のことです。
### なぜ冬にいちごが乗るようになったのか?(当初は本当に無理だった)
実はその通りで、昔は無理でした。
が主流でした(いわゆる「昔のクリスマスケーキ」のイメージ)。
#### 転機:逼迫栽培(はくひさいばい)の普及
- 1960年代から、ビニールハウス+石炭ストーブ(後に重油)を使った「冬いちご」の促成栽培が急速に広がりました。
- 特に静岡県(久能山の石垣いちご)、愛知県、佐賀県などで成功。
- 1965年頃から12月~1月に出荷される「冬いちご」が市場に出始め、徐々に量が増えました。
#### 決定的になった出来事
→ 当時としては画期的な「12月から収穫できる品種」で、促成栽培に非常に適していました。これが冬いちごの大増産を可能にしました。
- 冬に唯一「赤くて可愛い国産生果物」だったいちごは、クリスマスの装飾に最適でした。
- 白い生クリーム+真っ赤ないちご=視覚的に最強のコントラストで、子供にも大人にも受ける。
- 不二家・コージーコーナー・シェ・シブヤなどがこぞって「いちごのショートケーキ」をクリスマスの主力商品に押し始めたのもこの頃です。
### 結論
- 1960年代中盤~1970年代にかけて、促成栽培技術と冬採り品種の開発により、初めて「12月に十分ないちごが手に入る」ようになった
- → これがきっかけで、いちごショートケーキがクリスマスケーキの王者に君臨した
つまり、**「春のいちごを冬に」というのは昔は本当に不可能だったけど、1960年代の農業技術革命で可能になり、1970年代に一気に定番化した**、というのが正しい歴史です。
ヨーロッパとアメリカでは、日本のような「いちご=ショートケーキの定番トッピング」という文化はほとんどありません。
むしろ「いちごのショートケーキ」は存在するものの、クリスマスとはほぼ無関係で、季節も日本とはまったく違います。
→ でも日本のような「スポンジ+生クリーム+いちご」ではなく、
→ **ビスケット(スコーンに近い生地)を半分に割り、生クリームといちごを挟んだもの**
→ 夏の定番デザートで、独立記念日(7/4)やピクニックでよく出る
- クリスマスにはほぼ登場しない
→ 冬のデザートは
・ペカンパイ
が主流で、いちごは季節外れで高価すぎるため使われません。
国・地域 クリスマスの定番ケーキ・デザート いちごは使う? ---------------- --------------------------------------------------- --------------- イギリス クリスマスプディング、ミンスパイ ほぼ使わない フランス ブッシュ・ド・ノエル(チョコレートのロールケーキ) 稀に使うが主流ではない ドイツ シュトーレン 使わない イタリア パネットーネ、パンドーロ 使わない スウェーデン サフラン入りブッレ、ライスプディング 使わない スペイン トゥロン、ロスク・デ・レイエス(1/6) 使わない → ヨーロッパでも「冬に生いちご」は昔は非常に高価で稀少だったため、クリスマスケーキに使う習慣はほぼありませんでした。
- スペインやチリなど南半球からの逆輸入いちごが冬にも安く入るようになった
- その結果、一部の高級パティスリーでは「フレジエ(いちごのケーキ)」や「いちごのタルト」をクリスマスに出す店も増えてきた
- 特にフランスでは「Fraisier(フレジエ)」が春~初夏の定番だったのが、最近は冬にも見かけるようになってきています
でもまだ「クリスマス=いちごケーキ」とは程遠く、伝統的なブッシュ・ド・ノエルが圧倒的シェアです。
### 結論:日本がいちごショートケーキをクリスマスに定着させたのは世界的に見ても超特殊!
- アメリカ → いちごショートケーキは夏のデザート
- ヨーロッパ → 冬にいちごを使う習慣はほぼ皆無(最近少し増えた程度)
- 日本だけが「冬に無理やりいちごを生産して、クリスマスケーキに赤いのを乗せる」という独自路線を爆走した
つまり「白と赤のコントラストの美学+子供にウケる+国産果物で高級感」みたいな日本独自の価値観と、1960年代の農業技術革命が奇跡的に重なった結果が、今の「クリスマス=いちごショートケーキ」なんですね。
小学生の頃、親父の運転する車の中ではいつもビョークが流れていた。
当時は子供だったから、あの独特な唸り声や突然の絶叫が少し怖かったし、「なんでうちはモー娘。とかじゃないんだ」と不満に思ったりもした。
助手席の母は「またこれ?笑」と呆れつつ、結局みんなで『Hyperballad』を聴きながら高速道路を走っていた。
当時のなんでもない家族の会話とか、車の芳香剤の匂いとか、車窓から見えた景色とか、そういう記憶がセットで殴りかかってきた。
親も老けるわけだ。自分も歳をとるわけだ。
でも、60歳になった彼女がまだ最前線で尖った表現をし続けていることが、なんだか勝手に誇らしいし、少しだけ救われる気がする。
おめでとうビョーク。
今度実家に帰ったら、久しぶりに親父とこの話をしようと思う。
ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケルは2005年から2021年にわたりドイツに君臨した。このことをもってしばしばドイツでは日本と比べて女性の登用が進んでいるといわれる。だが、女性首相はそうだとしても、他の閣僚ポストにも日本に先んじて女性が任命されているのだろうか。
ということで、調べてみました! なお、官職名は厳密なものではなくおおよそ両国に共通するであろう具体的な職掌を書いている。
| 官職 | 日本 | ドイツ | どっちが早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | ドイツ(20年先行) |
| 蔵相 | なし | なし | 引き分け |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 日本(7年先行) |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日本(20年先行) |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日本(6年先行) |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | ドイツ(4年先行) |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | ドイツ(10年先行) |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | なし | 日本(25年+先行) |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日本(1年先行) |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | ウラ・シュミット(2001年) | ドイツ(10年先行) |
| 農相 | なし | レナーテ・キュナスト(2001年) | ドイツ(24+年先行) |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日本(5年先行) |
| 官房長官 | 森山眞弓(1989年) | なし | 日本(36+年先行) |
内相(総務相)も外相も防衛相も官房長官も日本の方がはえーじゃねーか! え、ちょっと待って、つい数年前まで女性外相がいなかった国や未だに女性官房長官がいない国のことを、20年以上前に田中真紀子で大騒ぎしてた国や20世紀に女性官房長官が就任した国が見習えとか言われてたの??? 女性の登用に関しては正直どっこいどっこいという印象にしかならないんだが……
比較のために英国とも比べてみた(英国では官房長官にあたる地位が不安定というか閣僚級になったのが最近のことっぽいので官房長官は省いた)。
| 官職 | 日本 | 英国 | ドイツ | どの国が早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | マーガレット・サッチャー(1979年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | 英>独>日 |
| 蔵相 | なし | レイチェル・リーヴス(2024年) | なし | 英>日独 |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ジャッキー・スミス(2007年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 英>日>独 |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | マーガレット・ベケット(2006年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日>英>独 |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ペニー・モーダント(2019年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日>独>英 |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | リズ・トラス(2016年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | 独>日>英 |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | マーガレット・サッチャー(1970年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | 英>独>日 |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | バーバラ・キャッスル(1965年) | なし | 英>日>独 |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | バーバラ・キャッスル(1974年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日>独>英 |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | マーガレット・ボンドフィールド(1929年) | ウラ・シュミット(2001年) | 英>独>日 |
| 農相 | なし | ジェイン・ケネディ(2008年) | レナーテ・キュナスト(2001年) | 独>英>日 |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | マーガレット・ベケット(2001年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日>独>英 |
さすが英国、女性登用の古さがすごい。1929年って。その頃は女性参政権すらねーよ日本。でも外相・防衛相に関しては日本が先んじてるのか……日本政治、けっこう頑張って女性を登用してきたのでは、という印象に変わった。
そうだねフィクションの模倣犯なんて山ほど居るけど模倣犯を出すようなフィクションは存在を許してはいけないね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画で用いられた「走っている電車等から現金等を落とす」という手法は、1955年の内川清一郎監督の『悪魔の囁き』のなかで使われたものであるが、この後のフィクション作品だけでなく、現実の現金受渡し目的の犯罪で数多く模倣されている。1963年9月の草加次郎事件、1965年の新潟デザイナー誘拐殺人事件、1984年のグリコ・森永事件、1993年の甲府信金OL誘拐殺人事件、2002年の新城市会社役員誘拐殺人事件、2004年の大阪パチンコ店部長誘拐事件などの例がある。手法の模倣ではないが、映画の影響を受けて身代金誘拐に及んだ者もおり、1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件[4]、1980年の名古屋市女子大生誘拐殺人事件などの例がある。
国際研究レビューによると、スウェーデンでは 1965年に24/10万人だった罹患率が、2011年には8/10万人まで低下しました。しかし、2014年以降は11/10万人へと増加しています。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32421420/
Increase of cervical cancer incidence in Sweden in relation to screening history: population cohort study
別の研究でも、2014–2016年に 約20%の上昇が記録され、その後も高水準が続いていることが報告されています。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ijc.34723?
Long-term follow-up of cervical cancer incidence after normal cytological findings
1960年 57日
1965年 58日
1970年 52日
1975年 50日
1980年 61日
1985年 58日
1990年 56日
1995年 49日←
2000年 46日←
2005年 53日
2010年 56日
2015年 63日
2020年 57日
2024年 43日←
長期で見ると、単に「2010年代が秋日が長かった」とも言えます
とは言え、その差は10日程度です
ウソでした
二度と秋が短くなった等と言わないでくださいね
【調べ方】
https://www.data.jma.go.jp/risk/obsdl/
・東京
・1日の最高気温
・8月下旬以降の秋日(最高気温が15度〜25度)をカウントする
結果
1960年 64日
1965年 61日
1970年 55日
1975年 51日
1980年 65日
1985年 64日
1990年 67日
1995年 52日
2000年 52日
2005年 54日
2010年 67日
2015年 71日
2020年 61日
2024年 51日
見ると分かると思うんだけど、要は気温ってのがブレが大きいんだよ
秋日の平均日数は59.6日、ここからどのくらい上振れ/下振れているかを示したのが以下
1960年 +7%
1965年 +2%
1970年 ▲8%
1975年 ▲15%
1980年 +9%
1985年 +7%
1995年 ▲13%
2000年 ▲13%
2020年 +2%
2024年 ▲14%
な?
「年々秋が短くなっている」は偽
秋は元々短い
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
学校での集団過呼吸・体調不良は女性に多い?その実態と原因をファクトチェック
学校の現場で生徒が次々と過呼吸発作や原因不明の体調不良を訴える現象は、医学的には集団心因性疾患(いわゆる集団ヒステリーまたは集団パニック)と呼ばれます 。具体的には、ある集団内で一人が過換気(過呼吸)発作や失神、けいれん、歩行困難などの症状を示すと、それを目撃した他のメンバーにも同様の身体症状や一時的な意識障害・興奮状態が連鎖的に広がる現象です 。これらの症状には共通の有機的原因(感染症や中毒など)が見当たらず、心理的要因による無意識の模倣・暗示によって伝播すると解釈されます 。典型的には思春期の生徒たちが属する学校のクラスや部活動など、閉鎖的で仲の良い小集団で発生しやすいことが知られています 。
こうした集団発生事例では、最初に症状を起こした生徒(発端者)に対し、周囲の生徒が不安・驚きなど強い感情を抱き、その影響で過呼吸やめまいなどの症状を次々と訴えるようになります。医学的検査を行っても明確な身体的異常所見はなく、多くの場合、集団が落ち着き安心すると症状は速やかに治まります。これらは**「心因性」で実際の伝染性病原体は存在しない**ため、専門家は「対応を誤って大事にしすぎないこと」「冷静に安全を確保しつつ集団を一時的に解散させること」が再発防止に重要だと指摘しています  。
学校における集団過呼吸・集団体調不良は「女子生徒に多い」と言われることがありますが、これは事実と言えるでしょう。医療文献によれば、思春期・学童期の集団心因性疾患は女性に不均衡に多く発生することが繰り返し報告されています  。米国の調査では「集団ヒステリーはストレス下の児童や思春期のグループに多発し、男性よりも女性が著しく多い」と明記されています 。また2021年に発表された32件の研究をまとめたメタ分析によると、児童・生徒の集団ヒステリーにおいて女子の罹患率は男子の約2.43倍にも上ることが示されています  。このように数値データから見ても女子に多い傾向は明らかです。
日本においても、学校で発生する集団過呼吸・体調不良の事件はニュース等で度々報じられており、その多くで当事者は女子生徒です。例えば2006年7月、千葉県のショッピングセンターで女子中学生11人が次々に過呼吸やパニック症状を起こし搬送される騒ぎがあり、東京新聞の報道によれば「過去1年だけでも秋田、埼玉、大阪、山口、佐賀で同様の過呼吸連鎖が起きていた」とされています 。2013年6月には兵庫県の高校で1年生と3年生の女子生徒計18人が集団で過呼吸症状を訴えて病院に搬送される出来事もあり、学校側は「誰かの発作や救急車の到着を見て連鎖的に増えたのではないか」とコメントしています  。このように、日本の学校現場でも女子生徒が中心となった集団過呼吸事件が各地で確認されています。
海外の事例を見ても、集団ヒステリーは決して日本特有ではなく、むしろ世界各地で歴史的にも繰り返し記録されています。その多くで若い女性や女子学生が主な当事者です。1965年にはイギリス・ブラックバーンの女子校で85人の女子生徒が相次いで原因不明の失神発作を起こし社会問題となりました 。2010年代のアフガニスタンでは各地の女子校で多数の女子生徒が突然めまい・吐き気を訴えて倒れる事件が続発し、当初「毒ガス攻撃」と疑われましたが、国連などの調査で有毒物質は検出されず集団心因性の発作と結論付けられたケースもあります  。これらの事例からも、学校で集団発生する原因不明の体調不良は女子に多いという傾向は国を超えて共通していると言えます。
では、なぜこのような集団心因性の症状は女性に多いのでしょうか。専門家たちは心理的要因と生物学的・生理学的要因の両面からいくつかの仮説を提唱しています。それらを整理すると以下の通りです。
• 高い被暗示性と無意識の模倣(モデリング): 集団ヒステリーでは、後から症状を訴える人々(続発者)が発端者を無意識に模倣・同一化してしまうことが大きな要因です 。一般に女性は共感性が高く、他者の感情や振る舞いに影響されやすい傾向があるとされます。実験的研究でも、女性参加者は他の人(特に同性)が「具合が悪い」と訴える場面を見ると、自分も頭痛やめまい等の症状を感じやすくなることが示されています 。一方、男性では他者の症状を見ても影響されにくい傾向がありました  。この暗示へのかかりやすさの性差が、女性に症状が多い一因と考えられます。
• ミラーニューロンの活発さ: 人間の脳には、他者の行動や表情を見ると自分がそれをなぞるように活動するミラーニューロン系があります。この働きは共感や模倣の神経基盤とされますが、研究者の中には「女性は男性よりミラーニューロン系の反応が強い可能性がある」と指摘する者もいます 。実際、自閉スペクトラム症(共感や他者の感情理解の困難さを特徴とし男性に多い発達障害)ではミラーニューロン系の活動低下が示唆されるのに対し、集団ヒステリーはその逆でミラーニューロン系の過活動による現象とも位置づけられています 。この仮説によれば、女性は生得的に他人の状態を自分のことのように感じ取りやすいため、目の前の友人が倒れると自身も息苦しさや眩暈を感じてしまうというわけです 。
• 不安反応・過呼吸の生理的な出やすさ: パニック発作や過呼吸発作といった急性の不安反応そのものも、疫学的には女性に多い現象です。例えばパニック障害(突然の強い不安発作に襲われる症状)は男性より女性に約2~3倍起こりやすいことが知られています 。過換気症候群(過呼吸発作)の有病割合については、調査によっては女性:男性が7:1にもなると報告されています 。このように生理学的ストレス反応における性差(ホルモンバランスや自律神経反応の違いなど)が、女性の方が過呼吸や失神を起こしやすい下地になっている可能性があります。言い換えれば、同じストレスを受けても女性の方が**「息が苦しい」「めまいがする」**といった身体症状として表出しやすい素因があるかもしれません。
以上のように、心理面での暗示へのかかりやすさ・共感性の高さと、生物学的な不安反応の出やすさが相まって、女性グループで症状が伝染しやすいと考えられます。実際、専門家も「集団ヒステリーで女性患者が多いのは、症状のモデリング(見本)の影響を受けやすい性差による可能性が高い」と結論づけています 。
集団ヒステリーにおける社会的・文化的背景も、女性に多い現象となっている一因です。まず、社会・集団内での役割や人間関係の違いが指摘できます。若い女性(特に思春期の女子生徒)は、同年代の仲間内で強い仲間意識を持ちやすく、閉鎖的で密接なグループを形成しやすいとされます 。その結果、グループ内で感情や行動を同調させる傾向が強く、誰か一人の異変に対し他のメンバーが過敏に影響を受けやすいのです 。実際、1960年代アメリカの工場における集団ヒステリー研究でも、症状が出た人々は互いに強い社会的つながりを持つグループに属していたことが報告されています 。男子生徒のグループでも友情はありますが、当時の社会通念や教育環境の中で女子の方が感情を共有しやすい関係性を築いていることが多く、これが集団ヒステリーの伝播を助長している可能性があります。
また、社会文化的な性役割や表現の違いも影響しうるでしょう。伝統的に多くの文化圏で、女性は体調不良や不安を訴えることに比較的寛容である一方、男性は「弱音を見せない」ことが男らしさとされる場面があります。そのため男性にも同様の心因反応が起きていても表面化しにくい可能性も考えられます。実際、歴史を振り返ると19世紀にはヒステリー(転換性障害)は女性特有と見なされていましたが、第一次世界大戦で多くの男性兵士が**「シェルショック」(砲撃ショック=心因性の神経症状)を発症すると、この性差の偏見は薄れていきました 。つまり、男性にも状況次第で集団ヒステリー様の反応が起こりうるものの、社会的な目や自己抑制によって顕在化しにくい**だけかもしれません。
文化的要因としては、その社会ごとにストレス源や症状の表現のされ方が異なる点が挙げられます。日本の学校では部活動中の疲労や教師からの叱責といった出来事が引き金になるケースがある一方、海外では地域の信念や風聞が誘因となる例も報告されています。例えばマレーシアやインドの一部では、女子生徒の間で突然誰かが取り乱すと「悪霊に取り憑かれた」と解釈され、パニックが伝染したケースがあります 。中東のアフガニスタンやイランでは、女子校で謎の有毒ガス攻撃の噂が広まり、実際に多くの女子生徒が呼吸困難や失神を訴えた事件が起きました(前述の通り後に物理的毒物は確認されず心因性と推定されています) 。このように、その社会が置かれた状況(宗教的な世界観、社会不安や葛藤、噂の内容など)が集団ヒステリーの誘因や症状像を左右しますが、いずれの場合も思春期前後の女性が主要な当事者である点は共通しています 。
さらに集団の環境要因として、都市部より農村部で発生しやすいとのデータもあります。先述のメタ分析では、農村地域の学校における集団ヒステリーの発生率は都市部の約2倍という結果が示されました(農村部11.1%、都市部5.6% )。農村では人間関係が密で噂が広がりやすいことや、医療リテラシーの差などが背景にある可能性があります。この点でも、集団ヒステリーは社会的環境に影響される現象であり、日本のみならず海外でも閉鎖的・保守的なコミュニティほど起こりやすい傾向が見て取れます。
学校で起こる集団過呼吸・集団体調不良に女性が多いという傾向は事実であり、これは単なる思い込みではなくデータや専門家の分析によっても裏付けられています。主な要因として、女性の方が心理的に周囲の影響を受けやすく、生理的にも不安反応が出やすいこと、そして女子生徒同士の強い結束や同調傾向が症状の連鎖を助長することが挙げられます。加えて、文化・社会的背景がこの現象の表れ方に影響を与えますが、世界的に見ても同年代の男性グループに比べ女性グループで頻発するのは共通した特徴です  。以上のことから、学校における集団過呼吸や集団ヒステリーは「女性に多い」とされるのは概ね事実であり、その原因は生得的な要因と社会的な要因が複雑に絡み合った結果と考えられます。そのため、この現象を理解・対策するには、生物学・心理学的視点に加え、教育現場におけるストレス要因の軽減や冷静な対応、噂の拡散防止など社会環境への働きかけも重要となるでしょう  。
参考資料:
• Jones, T.F. 「Mass Psychogenic Illness: Role of the Individual Physician」 American Family Physician 62(12):2649-2653 (2000)  
• Gang Zhao et al. 「Mass hysteria attack rates in children and adolescents: a meta-analysis」 Journal of International Medical Research 49(12): 1–15 (2021)  
• 平凡社 「改訂新版 世界大百科事典」「集団ヒステリー」項(執筆:臼井宏・野上芳美)  
• Lorber, W. et al. “Illness by suggestion: Expectancy, modeling, and gender in the production of psychosomatic symptoms.” Annals of Behavioral Medicine 33(1):112-116 (2007) 
• 中田収 「過換気症候群」『日本呼吸器学会専門医制度専門医講習会要旨集』(2014) 他   (過呼吸症状の性差に関する記述)
• Shirin Daft, 「イランで呼吸困難や吐き気が続出──女子教育を狙った『毒ガス』か『集団ヒステリー』か」 ニューズウィーク日本版 (2023年3月13日) 
一言でいうと、
「歳出は社会保障費などもあって急激に減らせない。国債の発行は抑えないといけない(※)。ゆえに歳入増になる施策を行いたい。減税などもっての外」
というものです。
以下は※の補足です。
財務省というか会社の財務部にしろ、彼らの仕事は財政の監視と健全化です。どういうKPIでそれを計るかは色々ありますが,財務省の場合は一言で言うなら「国債の削減」です。
具体的には「政府債務残高が家計の純金融資産を上回らないようにしないといけない」というものです。
これはつまり「国債の主な引き受け手である家計の資産を超える債務を発行することは貸し手がいなくなる=金利の急上昇を招くから、政府だけでなく国全体の金融危機が起きる」
というものです。そのために債務残高は圧縮まではいかなくとも増え方を緩やかにする必要があるということです。これに関しては間違いだと思っているので文末にAppendixとして入れておきました。本筋と関係ないので読まなくて良いです。
例えばこことかを見ると書いてあります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2023/junkan_report.html#11
Aさんは銀行に100万円借りたいと言いました。無事審査が通り、貸し出しが実行されたのでAさんが通帳を確認すると、100万円残高が増えていました。ではこの100万円は誰が用意した(払った)ものでしょう?
正解は「誰でもない」です。誰かが100万円を払ったわけではなく、銀行は1000000という数字を通帳に印刷しただけなのです。この部分に関して議論の余地はないので一旦受け入れてください。
これは経済全体という枠組みで見ると、流通するお金(貨幣)が100万円分増えたことになります。これを信用創造といいます。Aさんを国に置き換えた場合でも同様です。債券という仕組みが理解を難しくするかもしれませんが、本質的には同じなので一度受け入れてください。これに関しては財務省も認める事実です。
そしてここからが重要なのですが,経済はこの流通する貨幣の量(マネーサプライといいます)と密接に関連しています。具体的には以下の通りですが,かなり単純化した説明なので注意してください。
マネーサプライは政府も含めてみんながどれだけ借金するかによって決まります。そしてその借金のしやすさは金利で決まるので,この前日銀が利上げしたなんてニュースを言ってましたが、あれは日本のインフレ率がもともと目標だった2%を超える水準になっているために行なったものです。
さて、財務省が不思議な力で法律を改正し,消費税50%にしたとしましょう。この水準まで引き上げると消費税の歳入に占める割合が5倍になり、国債発行額分も賄え、かつ10兆円オーダーの国債の返済も行えます。喜ばしいですね。生活がどうなるかはいわなくても良いと思いますが,この場合だと日本に流通しているお金が毎年10兆円オーダーで減っていきます。日本のマネーサプライは1600兆円程度ですから、10年で6%も流通するお金が減ってしまいます。これはようやく1−2%程度のインフレ傾向が根付き始めた国には耐えられるものではありません。その前に国民生活も崩壊します。国債というのは今の日本においては、政府のためでなく、経済のために発行せざるを得ないものなのです。
ちなみに現在、政府の債務残高は1500兆円ですから、日本のマネーサプライはかなりの部分を日本国債に依存しています。要はここでわかっていただきたいのは、来週あなたに振り込まれる給料の大部分は元をたどると誰かの買った国債に行きつくということです。
つまり、日本国債は払えないから返せないのではなく、日本経済が崩壊するから返せないのです。
1965年に初めて国債が2000億円(!?)発行されそれ以降は増加の一途を辿ってきました。
1990年代初頭までは25年で200兆円程度までの増加でしたが,失われた三十年にあたるこれまでの35年では1300兆円という異様なペースで増加を続けています。
なぜこういう状況になってしまったのでしょうか?これに関しては財務省が答えてくれており、以下のページにあります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2023/junkanreport11.pdf
要約すると、
民間企業部門が投資を抑制したため借り入れも減少したが当然イノベーションも起きなくなり,経済成長率も低下、製品価格も上がらない。当然民間の収入も増えないし税収も増えないが社会保障費は増加するから政府として国債を発行せざるを得ない。よって日本のマネーサプライは政府の発行する債務に依存してしまった
ということです。
またかなり痛烈なことも書かれており,
債務削減により、債務の存在による日本企業への経営規律付け効果が弱まると、経営者の保身によるリスク回避傾向の強まりから、民間企業の投資需要が弱くなるという仮説を導ける
とまで書かれています。要は、日本経済の悪くした主犯は投資をしない企業部門であるということです。ただ、正直鶏が先か卵が先かみたいな問題でもあり、売れないのに企業は投資できないのは当然で、企業のみを悪者にすることはできないとは考えています。それこそ政府としても有効な手立てを打てなかった面で責任はありますし,日本全体が呪縛的な景気冷却マインドに縛られていたことこそが起きた問題であり,だからこそ「失われた30年」なんだろうということです。
こんなこと書いたら叩かれそうですが、だからこそアベノミクスの3本目の矢というのは当時としては発想としてはとても良いものだったのだと思います。結果成功したのかは分かりませんが。加えて共産党の内部留保課税というのも発想の基本はそこまでめちゃくちゃではないと思っています。課税というのはよくないですが,結局投資不足が日本の問題なので、留保した資本をどこかに投資させるための飴と鞭が必要というのは極めて重要な発想です。
政府の債務の問題というのは、単純な政府の歳入歳出の問題なのではなく、
30年以上成長できなかった日本経済こそが問題の根であるということです。ですから政府債務の削減のみを盲目的に求めるのはやめて欲しいものです。
しかし財務省のみを叩くのも違います。彼らは彼らの仕事をしており,究極的にいうとこの問題は民間を含めた全ての経済主体に責任があることなのです。
ただ、政治としては今でも物価だけが上がって生活が苦しい人というのは幾らでもいるのですから,
そのような人がどうしたらもっと稼げるか、良い暮らしができるかという視点を持って政治家には政治をしてもらいたいと思います。
信用創造の部分を読めばわかると思いますが,政府債務残高の増加は家庭および企業の金融資産を増やします。これを元手にまた家計は国債を買えます。つまり、債務の限界は資産の額に依存しません。ただ借金には金利があるので、これを元に貸し手が購入額を決めるため,自動的に国や民間の借り入れ上限が決定します。要は金利で借り入れの上限が決まるということです。
・おそらく世界で最も有名なロックバンドであり、最も多くのレコードを売り上げたロックバンドでもある。
・プロとしての活動期間は、1962〜1970年であるが、その間にオリジナルアルバムを13枚発表し、曲数としては200曲以上と極めて多作である。
・メンバーは、ジョンレノン(リズムギター)、ポールマッカートニー(ベースギター)、ジョージハリソン(リードギター)、リンゴスター(ドラムス)の4名であり、4名ともボーカルを取っている。
・1964年10月に録音、4枚目のオリジナルアルバム『Beatles for Sale』に収録されている。
・ポップソングとして初めてフェードイン(イントロで徐々にボリュームが大きくなる)が使用されている。
・1964年10月に録音、1964年11月にシングルとして発売されており、オリジナルアルバムには収録されていない。なおビートルズはシングルとして発表した曲をアルバムに収録しないというスタンスを持っていた。
・レコード史上初の意図的なフィードバック奏法が使用されている。
・1965年6月に録音、5枚目のオリジナルアルバム『Help!』に収録されている。
・言わずと知れたバンドの代表的なナンバーである。曲としてはポールマッカートニーのソロとなっている。
・ロックとクラシックを融合させたという点で画期的な曲である。
・この後も明らかに数曲ほどロックとクラシックの融合を意図した作品が見られる(Eleanor RigbyやShe's Leaving Home)
・1965年10月に録音、6枚目のオリジナルアルバム『Rubber Soul』に収録されている。
・ポピュラー音楽としては初めてインドの弦楽器であるシタールが使用されている。導入したのはジョージハリソンである。
・ジョージハリソンはシンセサイザーを導入したり、自分の曲のギターをエリッククラプトンに弾かせたりなど、バンドサウンドに新しい風を吹き込むことを度々行っている。
・1966年4月に録音、7枚目のオリジナルアルバム『Revolver』に収録されている。
・極めて実験的な曲であリ、テープの逆回転やサンプリングループが多用されている。テープの逆回転については『Rain』という曲が先に発表されているが、録音はこちらの方がわずかに早い。
・技術的には初めて「アーティフィシャル・ダブル・トラッキング(擬似ダブルトラッキング:ADT)」が用いられている。
・ADTとは言うなれば任意の部分のコピペであるが、ごくわずかにタイミングをずらして再生することで、独特の音が得られる点も発明である。
・ザ・ビートルズの技術的に重要な曲は、活動中期(1964〜1966年)に集中している。
・これは、当時のレコーディングの技術が日進月歩の進化中だったことと、バンドメンバーがレコーディングの主導権を握り始めた時期と大体一致する。
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
1950年:国立大学法文経系で3,600円、私立大学法文経系で8,400円、私立理工系で9万6,800円
1965年:国立大学授業料が2倍の1万2,000円、入学料が4倍近い1,500円に引き上げられた
1984年:国立大学の授業料は25万2,000円、入学料は12万円
戦後辺りまでは子供は将来絶対に老後を見てくれる存在で、子供が居なければ老後に野垂れ死にしていた。
産んだ子供を育てるのも小さな女の子が赤子を背負って育ててた。
道路で野球などで遊んでても当たり前、親もついて無くて良い、誰も何も言わん。