はてなキーワード: ミンスとは
それでも時折、怒りを覚える。
なんでこの作品が受賞するんだよとか、百万部売れた有名な芥川賞作品は特定の障害をモチーフにしているようだが、作者は当事者じゃないっぽいし、こいつは「文化の盗用」ってやつじゃないのかとか、演技の下手な俳優が障害者を演じるとミンストレルショーみたいで馬鹿にしているようにしか見えないから個人的には当事者に演じてほしいが、キャンセルするのは表現の規制につながるし他人の自由は奪いたくない、だがクリエイターの良識に任せるのも信頼できないとか、そういえば文学賞を取ったあの作品に障害ネタを使われちまったなとか、女性視点男性視点とかそういうのには飽きたとか、まあいろいろと矛盾した感情を抱え込んでいて我ながら面倒くさい(関係ないけれど、イーロン・マスクは優れた才能を持っているのに好きになれないのは、きちんとした診断を受けていないのに自閉症だと公言しているからだ。彼の欠点が自閉症の持ち主全員に共通しているって思われたらどーすんだ)。とはいえ、他人に非難がましいことを言うのはあまり美しくはない(性癖について語っておいて今更美しいも何もあったもんではないが!)。
創作意欲がほぼ消えて以来、落ち着いた暮らしをしているのだが、それでもなお、時折作家になりたいと空想している(「何かを書きたい」ではないことに注意! カズオ・イシグロは、おのずと書いてしまう人が結果的に作家になってしまうという趣旨のことを書いている。まったくその通りだ。自分も心が折れる前は何もせずとも一日原稿用紙五枚書いていた。今となっては何も行動せずに空想しているに過ぎない)。
そして、書くことが思いつかず、こんな感想を書き散らしている。僕は中島敦「山月記」のように半ば虎になっている(他人の小説を批判ばかりしているくせに、今でも有隣堂や紀伊国屋書店で自分の書いた小説が平積みになっていることを空想することがある!)。
これだけ時間と愛情をかけても評価されなかったことで、文学そのものを嫌いになってしまいそうなほどだった。それに、文学という梯子でたどり着いた境地の先に行くには、一度梯子を捨てて距離を置かなければいけないのではないか?
自分が正気を保つためには創作や乱読が必要だったが、依存先を変えるときが来ているのではあるまいか? 感情や本能を爆発させる場所が変わったのか?(おそらく毎日日記を原稿用紙五枚分書いているのも、正気を保つ手段の一つな気がする)
それとも、これらすべてはただの思い出話、酔っぱらったおっさんが過去の栄光をいつまでも忘れられずに管を巻いているだけか。昔は甲子園に行ったけれども今は野球とは離れた人生を送っている、しかし酒を飲むといつまでもその話をやめないみたいな。とある文学賞の最終選考に複数回残ったという実績はあっても、たとえば最後の十人に選ばれたということでしかなく、受賞のためにはそこからさらに十分の一で選ばれねばならないのだ。
小説に関する愛憎をここまで書いてしまっては、自分が将来創作するのに役立てるであろう豊かな土壌を売り飛ばしてしまうことになり、小説という野菜が作れなくなるのではないかって気がしないでもないのだが(この比喩については私生活をそのままネタにすることへの批判を扱った沙村広明「シスタージェネレーター」所収「制服は脱げない」参照)、自分が愛しているジャンルは小説くらいで、それ以外のものがないとデビューも難しかろう。小説家は、物語を書かずにはいられない人間が、おのずとなってしまうものだが、小説について書く小説家の想いに共感できる読者は、まれな存在だ。小説以外に熱く語れるものが作家には必要だ。スポーツ、恋愛、仕事、サイエンス、なんでもいい。
じゃあ自分の障害について書いたっていいわけだが、そうやって毎日己の姿を見つめ続けて幸福になるかは疑わしい。モテない苦しみをはじめ、疎外感をネタにして創作をしていたころ、果たして幸福だっただろうか? 自分の負の感情を言語化し、現実的に対処するのには役立ったが、小説にするよりも、素直に現実を直視し、言語化していくほうが手間もかからない。それに、自分の気持ちを綴っただけでは文学にならない。自分の感情の垂れ流しの更に先に行かねばなるまい。
これだけ書き綴ってもなお、自分が抱えている欠落は何だろう。久しぶりにこれだけの長文を書きなぐって、何かが成仏してしまったような気もするが、一時的な緩解に過ぎないってこともありうる。ああ、ダメな人間がダメなまま存在することが許される話が読みたい。愚かさを包み込んでほしい。
これだけ「もう小説なんて読めない」とぼやき、「他人の人生について読んで何になるのだ!」と叫びながら、またいつか発作的に文学を読みたくなるに違いない。よくよく考えれば半年前に新人作家のを含めて小説をちょっとは読んでいたので、読める周期と読めない周期があるってだけかもわからない。
ここまで書いてきて思うのは、くやしいことにまだ文学に対する愛が残っているってことだ。憎んでいる対象に対して、ここまで語れるだろうか? 二十代や三十代のように文学にハマることはできないかもしれないが、またいずれ読めるようになるかもしれない。こうして、何が好きで何が嫌いかが言語化されたのはまちがいなく小説のおかげだし、自分の感受性を形作っているのは間違いなく乱読の結果だ。時々忘れてしまうけれども、これだけ語れるものがあるってことは間違いなく財産だってことはわかっている(映画はさほど見ていないことが若干のコンプレックスではあるものの!)。そしてそれゆえに出会ったサークルの友人もいるのは、間違いなく恵まれている。正規の文学教育を受けず、正当な読解の仕方がわかっていないが、友人を得られただけでも幸福だ。それがわかってきて、だんだんひがみも十年以上かけて薄れていった。
それに、まだ読んでいない「ハツカネズミと人間」をはじめとした名作だってある。ディケンズさえろくに読んでいない。フォークナーもほとんど読んじゃいない。これ以上体力が落ちる前に熱量のある物語に齧りついてやるべきだろうか。いや、再読すればいい。「百年の孤独」をはじめとして、楽しかったけれど細部を忘れてしまった作品が多い。これ以上新しい物語を読まなくても、再読の楽しみがある。
あるいは友人からのオススメを読んだっていい。フォークナーを勧めてくれた友人が教えてくれた阿部昭「大いなる日、司令の休暇」はマジでよかった。おかげで手が出ていなかった野坂昭如「火垂るの墓」が読めた。
(一方、ろくに本を読まずに芥川賞を取ったとうそぶいている作家もいるっちゃいるのだが、名前を忘れてしまった。こういう人を思い出すとプリプリしてしまうので忘れよう。芥川賞は通過点に過ぎない。受賞してから、継続して書けるかどうかが問題である。その点では、数年後にまだ書いている芥川賞作家のを読んでいけばいい気もする)
SFだってやっぱり好きだ。QUEEN「’39」を聞くと感傷的になるもの。理系で研究者になれなかった僕が、日本人の理系の青少年が夢をかなえるSF小説を読むのが、時々ひどく辛くなることはあるけれどね。
そして、嫌な面ばかり見て愚痴をこぼしながら暮らしていると、目の前の幸福を見過ごしてしまうことだろう。嫌なことはすべて過去のこととしてしまえばいい。忘れたほうがいい。そう、重い感情はすべてここに置いて行ってしまおう。すべてのひがみにさよならだ。楽しければそれでいい。ここに、十代から引きずってきた感傷マゾを捨て去ることを決意する。三十代、四十代の鑑賞態度を身につけよう。
今望むのは、他の増田にも池澤夏樹世界文学全集の感想を書いてもらうってことだ。全部じゃなくていい。好きな作品を一つだけでいい。いや、なんでもいいので愛する作品の感想文を読みたい。文学に対して持っている愛を、そして含まれていれば憎しみも、読みたいのである。世間がどう叩こうとも、時代が移り変わろうとも、自分の愛する作品は常に最高である。過去の作家は生まれた時代の偏った思想と社会という制約の中で最高の作品を著し、現代の作家はそれを批判的にしかし愛を込めて継承し、それ以上の高みを目指して己の作品を書く。たとえ古典には弁護できない箇所があったとしても、己のすべてを賭けて高みを表現しようとした黄金の精神は必ずや受け継がれる。作者を非難するのは下策、愛を込めた批判を含んだ評論を書くのは中策、それを超える次世代の作品を書き上げるのが上策である。加点法で評価しろ、好きな物で自分を語れ。言いたいのはそれだけだ。
「ミンス至上主義」っていうのは、民主的な原則の優位性を間違って強調する政治思想のことやね。
ほんで、しばしば民衆の意志を理想化する傾向があるんやけど、これがほんまにエリート主義的な傾向を持ってて、本物の民主的な関与を損なう可能性があるんや。
エミリー・B・フィンリーみたいな学者は、民主至上主義が民衆の声を高めようとする一方で、反対意見や少数派の視点を排除することにつながることもあるって指摘してるんや。
最近の議論では、特に左翼のサークル内で、自称インテリたちが公共の意見に大きな影響を持つ傾向が目立つようになってきたんや。
こういう人たちは、自分たちのイデオロギーに合った特定のストーリーを選んで広めて、他の意見を無視することが多いんや。
この選択的な表現は、コンセンサスの幻想を生み出して、自分たちが選んだ意見を「民意」として提示することになるんや。
ミンス至上主義っていう概念は、民主的理想とエリート主義との間で絡み合いを見せてるんや。
左翼の自称インテリたちの影響力は、現代民主社会における緊張関係を浮き彫りにしていて、特定のグループが集団の意志を代表するふりして議論を支配する可能性があるんや。
このダイナミクスは、民主主義が目指す包摂性を毀損するだけでなく、公共の意見がどんなふうに形成されて表現されるか再評価せなあかんことも示唆してるんや。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2435456より。
理由があれば相手を劣等だのなんだのという言葉が正当化されると思っているブクマカは少なくないようだ。
動画を見てきたけど(この場合は自民党に入れること)悪いことをする人が多いのはなぜか⇒劣等民族だからという考え方に少しでも共感しているなら普段の言動にはもっと注意した方がいい。
id:theNULLPO 『トゥギャコメとブコメが図星突かれて発狂してやがる。実際お前らはまともな野党が無いと言いながらまともな野党を作る努力を全くしていないし、民主党に政権取られた時はグミンガーマスゴミガーの大合唱だっただろ』
id:donovantree 『安倍総裁自ら反社統一教会と手を組んで選挙協力を仰ぎ、自身の派閥が裏金まみれだった事実。それを愚かにも支持し続けた事はしっかり反省して頂きたいと思っておりますよ。自民党支持者の皆様。劣等でないならね。』
id:Dumeiyouclonefart 『この発言は論外なので批判されて当然だが、世間がリベラル派の失言を叩くのと同じ位の熱量で自民党議員の不祥事に向き合ってくれたらもう少し日本は良い国になってたかもとは最近考えるようになっている。』
id:soybeancucumber 『消去法で自民党アピール層の多さに呆れる。そういう言い方すれば自分が売国朝鮮カルトとは思われないとでも思ってるのだろうか』
id:reuteri 『宮台なら毎回言ってるのに今更感すごい 自民党に入れるのは「韓国カルトシンパ」でいいじゃん。』
id:yuu-same 『仕方がない、日本人は劣等民族だからね。世界に発信しようぜ』
id:qawsklp 『まぁ、失言を槍玉に挙げたところで、自民党のこれまでの失態は無くならないからなぁ..』
id:demakirai 『散々ミンスは帰化人ばっかとか言っといてよういうわ。対象が与党になった途端おりこうちゃん』
おまけ
SilverHead247 『民主主義を維持するには、政権を担える政党が少なくとも2セット必要。日本人は、その育成を怠ってきたのだから「劣等」ではなく「怠惰」な民族だと言えよう。』
takeshi1479 『色々言われるのわかってやってるよね。あまり時代に合わないジョークだとは思う。ただし、発言の真意の部分では同意できる。未だに長いものに巻かれろ的な市民が多い。江戸時代の遺産で国が成り立ってる。』
ちなみに特定の人たちを指して怠け者呼ばわりするのも場合によっては立派な中傷になりえることもある。
stamprally 『まぁこういうクサヨを定期的に排出してしまうところは劣等なのかもしれん。』
nack1024 『共産党に入れる奴が断トツの劣等民族。世界が全く見えない知的障害者なんだろう。』
nack1024 『サンモニ出てる人みんな劣等種だよ。ポリタスも同様』
rider250『韓国ネットではよく日本人を「サル」だの「劣等民族」だの言ってるがこんな言葉がすらっと出てくるってことは青木はあっちにルーツが? 日頃からあっちの人間とばかりつるんでる? 何にしろTV出演はもうダメだな。』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2435456より。
理由があれば相手を劣等だのなんだのという言葉が正当化されると思っているブクマカは少なくないようだ。
動画を見てきたけど(この場合は自民党に入れること)悪いことをする人が多いのはなぜか⇒劣等民族だからという考え方に少しでも共感しているなら普段の言動にはもっと注意した方がいい。
id:theNULLPO 『トゥギャコメとブコメが図星突かれて発狂してやがる。実際お前らはまともな野党が無いと言いながらまともな野党を作る努力を全くしていないし、民主党に政権取られた時はグミンガーマスゴミガーの大合唱だっただろ』
id:donovantree 『安倍総裁自ら反社統一教会と手を組んで選挙協力を仰ぎ、自身の派閥が裏金まみれだった事実。それを愚かにも支持し続けた事はしっかり反省して頂きたいと思っておりますよ。自民党支持者の皆様。劣等でないならね。』
id:Dumeiyouclonefart 『この発言は論外なので批判されて当然だが、世間がリベラル派の失言を叩くのと同じ位の熱量で自民党議員の不祥事に向き合ってくれたらもう少し日本は良い国になってたかもとは最近考えるようになっている。』
id:soybeancucumber 『消去法で自民党アピール層の多さに呆れる。そういう言い方すれば自分が売国朝鮮カルトとは思われないとでも思ってるのだろうか』
id:reuteri 『宮台なら毎回言ってるのに今更感すごい 自民党に入れるのは「韓国カルトシンパ」でいいじゃん。』
id:yuu-same 『仕方がない、日本人は劣等民族だからね。世界に発信しようぜ』
id:qawsklp 『まぁ、失言を槍玉に挙げたところで、自民党のこれまでの失態は無くならないからなぁ..』
id:demakirai 『散々ミンスは帰化人ばっかとか言っといてよういうわ。対象が与党になった途端おりこうちゃん』
おまけ
SilverHead247 『民主主義を維持するには、政権を担える政党が少なくとも2セット必要。日本人は、その育成を怠ってきたのだから「劣等」ではなく「怠惰」な民族だと言えよう。』
takeshi1479 『色々言われるのわかってやってるよね。あまり時代に合わないジョークだとは思う。ただし、発言の真意の部分では同意できる。未だに長いものに巻かれろ的な市民が多い。江戸時代の遺産で国が成り立ってる。』
ちなみに特定の人たちを指して怠け者呼ばわりするのも場合によっては立派な中傷になりえることもある。
stamprally 『まぁこういうクサヨを定期的に排出してしまうところは劣等なのかもしれん。』
nack1024 『共産党に入れる奴が断トツの劣等民族。世界が全く見えない知的障害者なんだろう。』
nack1024 『サンモニ出てる人みんな劣等種だよ。ポリタスも同様』
rider250『韓国ネットではよく日本人を「サル」だの「劣等民族」だの言ってるがこんな言葉がすらっと出てくるってことは青木はあっちにルーツが? 日頃からあっちの人間とばかりつるんでる? 何にしろTV出演はもうダメだな。』
「反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判的意思と抵抗を突き進める立場として私は評価している。
西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧で定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。
SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレは配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。
定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。
我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?
本当にその芸能人の過去や起した事件は舞台を奪われるに相応しいのか?
なぜ「子ども」が関わると様々な表現が規制されなければならないのか?
アングロサクソン・プロテスタントの一部の道徳基準とその差別の歴史からしか発していない基準をなぜアジアの日本人が採用する必要があるのか?
地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?
芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPのミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?
そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者が尊重される日が来るのか?
その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?
上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧なものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関や機関銃のような物である。
原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。
そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧なものを拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。
個別の「昔はよかった論」「弱者男性・女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。
そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。
数ある「炎上」騒動の中でも、自活できる基盤のある会社・個人は、そもそもの圧力を無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。
日本より立場の弱い、アフリカやラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒によるメディアの支配に対する大衆の反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。
そしてポリコレへの反動は大衆やマジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者も障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。
我々を取り巻いている曖昧な空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館や交通機関における障害者の権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者の欺瞞をつくことが可能になる。
障害の不便さを笑う芸と、障害者の権利。異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微をポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。
ミンストレルショーってなんだっけ
え?川勝ってミンスだろ?