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2025-09-25

anond:20250925024116

復員できる訳ないだろうという話

お前の婆さんがパンパンした甲斐もなく、こういうザコ精子ばかりが増えてしまった

現代日本男児さんは反省して下さい

 

anond:20250925025107

anond:20250925025352

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1940年『斜めに見たる神戸一中』。

近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。

2025-05-01

戦場のようにドローンが墜落してもいい環境なら、、、

いろいろなところでドローンも使えるんだけどな。

いかんせん日常空間ポコポコドローンが堕ちても言い訳はないからな。

とはいえ

ウクライナ戦後ドローンビジネスが勃興するのは間違いないだろう。

だってドローンを大量に生産する能力があるし、

それを操縦する技術者復員することにあるわけだから

いろいろな場所でのトライ・アンド・エラーが知見となって、

ドローン安全平和生活のために役立つようになってくれることだろう。

2024-11-13

私文院生地主一人っ子アイコス吸ってる25歳イケメン

何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。

酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。

富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対モテた」って繰り返し思った。

明治時代大正時代貴族階級女性無職家事お手伝いさんやらせていたけど、男性資産で食っていけたとしても職があることが多かった。

自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性復員後に男性から女性から忌避されたエピソードを思い出した。

小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノ先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。

こういう人って、強者男性奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様かいう、高貴な生まれ教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。

女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。

金持ちイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。

2024-10-08

河井克行が入所した刑務所民営刑務所

https://nordot.app/1211910352128279184

法相だった河井克行インタビュー記事話題になっているが、「喜連川社会復帰センター」という刑務所名は不思議名前じゃないだろうか?

実はここは民間経営する刑務所なんである。いわゆるPFI(Public Private Partnership)だ。

 

まぁWikipediaに項目あるから読めば早いのだが、東京東日本政治家懲役になった時は大体ここに入れられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E9%80%A3%E5%B7%9D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

 

人権を強く束縛する刑務所民営ではトンデモねぇと思うかもしれないし増田も思うが、「何でもかんでもPFI」が流行して古い刑務所を建替えする際にPFI方式でやろうぜって事になった。一昔の何でも三セクに似てる。

因みに最初暴力装置業務という事もあって、セコム委託されたのだが、契約期間満了でプロポーザルの結果、なんと今は小学館集英社運営しているのだ。

 

この方式PFI刑務所は全国に4つあって、島根県浜田の近くと播磨美祢にある。一般PFI民間業者建築した施設業務を全投げするのが多いが、喜連川社会復帰センターは国が建物を建てて業務だけ民間に投げるって方式になってる。

入獄するのは初犯で犯罪傾向が進んでいない者のみ、となってる。

当然、暴力行使する看守も民間人だが、服務中はみなし公務員となっていて公務員としての権力行使が許されている。民間車検場の検査員や自動車教習所教官と同じだ。

 

昔の娯楽映画で『ロボコップシリーズというのがあるじゃない。あれって警察民営化してオムニ社という会社の傘下に入れられて警官消耗品になって治安メチャクチャになって死んだ警官からロボコップを作るって話だ。あの世界はすでに到来していたってこと。

から河井克行経験した刑務所の内実というのは普通刑務所ちょっと違う筈なのだ。その辺を踏まえて読む必要がある。

 

一方、「再犯生産工場」と書いてある通り、刑務所に入った事で出所後も犯罪で生きるしか無くなる者が多いという構造はそのままなようだ。刑務所での経験が何の役にも立たない。真っ当な職業社会との繋がりを寧ろ剥いでしまう。それで社会復帰が難しくなってしまう。河井氏もその事を指摘している。

まり民営化によって良くなっている部分が何もない。罰を与える一方で職業スキル社会的常識、マナーを教えるというような事は何もなされない。民営化はコスト削減だけにしか有用じゃないって事だ。

 

喜連川は初犯者や政治家経営者など、生活パターンの虞犯性が低い者だけが収監されている。累犯者や障碍者など社会復帰の困難さがある人間収監されない。そういうイージーキャラだけなのに社会復帰の為の工夫が何もない施設民営化されて運営されてるってアホらしくないか

日本90年代から民営化すれば何でも巧く行く熱に冒されていた。それで刑務所民営化なんていうアホらしい事にもなったのだが、その民営化熱はいつの間にか効果測定を怠るようになってしまったのだ。例えばこの場合は、国営時代と比べて出所後の再犯率がこんだけ下がった、とか刑務作業の一環で企業職業研修を入れた、とかそういう実績評価が何もない。

 

なので何でもかんでもPFI化はもう止めた方がいいということ。ただ、政治世界ではもう流行りではないが、行政前例主義なのでそういう路線転換されても新規事業が出続けるんだよね。何しろ戦争復員者と引揚者対策干拓事業が沢山スタートし、その後減反政策1970年に始まっているのに中海干拓事業廃止されたのは2005年なのだブレーキ掛けて止まるのに35年掛かってる(ベタ踏み坂で有名な江島大橋水門廃止代替交通路として出来た)。

 

あと、河井克行法相にばら撒く現生渡したのは安倍さん菅さんなんで、河井氏の入れ替わりに菅さんが入獄するべきだろう。体の具合が悪そうなので一旦警察病院で療養してから喜連川へ。

因みに施設運営してる小学館集英社PRでこんな事書いてるけど

https://www.shopro.co.jp/public/facility/correction/index.html

(1.教育 2.職業訓練以下)

河井氏によるとこんなの無いってことだ。つまりプロポーザル用の資料転載で、実際はロクにやってない。効果測定も無けりゃコストが掛かる事するわけ無いってことだね。資本主義なんだから当たり前だ。なんで「民営化すりゃ自動的に良くなる」と思ってたんだろね。

2024-09-25

anond:20240924182744

反転攻勢が失敗した後、当時のザルジニー総司令が50万人の追加動員が必要公言してクビになったんだよな

その後にアウディーイウカ要塞陥落して、そこからずっと劣勢だから死傷者はかなり多いはず

人数が少なくて交代できない、2年間前線で戦ってるのに復員できないって不満もずっと出てるし、そもそも人手不足なんだよね

2024-05-10

ゴジラ-1.0 感想

アマプラ配信始まったんで見てみた。

特撮はスゴい。以上! っていう感想だった。

特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果ハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。

特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。

 

でも脚本がね、もう、ダメダメ……てんでダメでね……。

稚拙もいいとこ……。

 

致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。

 

プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。

言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。

そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。

こんなの、専門家ちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。

あと秋津佐々木蔵之介)が野田吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者技官とは言え元将校という設定で、元下士官秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。

そしてプロット

物語背骨になっている「大戸玉砕主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦機関砲でゴジラ撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスゴジラではなかった(どっちみち敷島特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語駆動するトルクがまったく足りない。

まして「大戸玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?

敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要

あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味からなかったしどうでもよかった。

初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。

キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。

それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベル卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。

2023-11-18

[]映画 犬神家の一族1976年版

youtube無料公開されてたからみてみた

タイトルスケキヨネタしかしらんかったか何気にはじめて

金田一耕助自体もはじめてだし

金田一の出番がほぼなかったのが不思議だった

まあタイトルからしてそうだしな

あくまでも御家問題がメインというか

短い映画捜査パートのんびりやる時間なんかねーしな

しっかし2時間半のなかでよくもまあこんだけ詰め込んで最後そのネタ晴らしまでやったなあというのがまずある

復員してきてーみたいな話ですんごく時代を感じた

登場人物の多さが海外小説かよって思った

仮面つけてあからさまに怪しかったりして

そういうときって実はそいつ関係ないってパターンのほうがよく見るイメージあったけど

逆にもろかかわってたってのも新鮮だった

ねたばらししたあと犯人自殺すんのもこれが最初だったりすんのかね?さすがにそれはないんかな

未然に防いだら事件としてつまんないとはいえ金田一はほんまなんもせん無能だなーと

本人もラストで、ぼくがもっと早く気づいてたらみたいなこと言ってたけど

でもまあ2時間!?なげーわ!!と思ったけど見始めたらあっという間だったから、

50年前の映画で長時間退屈せず見させられたってことは自分にとってはそれなりにおもろい映画だったんだと思う

あと劇伴いいね

というよりメインテーマがいい、といったほうがいいかもだけど

これ見ると、エルフ河原崎家の一族のじーさんとかもろこれオマージュやんと改めて思った

お嬢様につきしたがう不器用なぶおとこみたいなフォーマットの原型?もこれなんかなーとも

2023-10-25

anond:20231025184751

応援しています

癌や夏目雅子さんの命を奪った白血病など不治の病の代名詞のような存在でしたが、現在ではかなり治るようになったようですね。

私は海軍兵学校74期生として少尉となり艦隊に勤務していた時に終戦を迎えました。復員任務に当たっていた際、結核故郷の母と妹を失いました。

江田島でも結核となった同期が退校となり戦々恐々としていましたが、ストマイも登場し気がついた時には結核を誰も恐れなくなりましたね。

癌も結核天然痘のように「忘れられた病気」となって欲しいものです。

私は三男を幼い時に悪性リンパ腫によって亡くしています

癌治療の発展とあなた活躍を願っております

2023-08-14

戦争から生きて帰って来るって恥だったんだよなあ

うちのじいちゃん現在生きてたら100歳超え)は昭和21年の冬に復員して

終戦後に家にやっと帰ってきたら、ひいじいちゃん(130歳超え?)に

「なんで、お前は生きて帰ってきやがったんだ!」

おもいっきり殴られたらしい。

2023-07-06

anond:20230706133853

ワイは入れられる説を推す。

残置物以前に賃貸借契約を終了させなきゃいけないんだけど、借地借家法賃借人を強く保護しているから、死亡による契約終了みたいなことができるのか考える必要がある。

この場合契約終了は事前の合意に基づいている。合意解約自体有効。ただ、その解約が条件や不確定期限にかかっている場合は、「賃借人に不利なもの」(借地借家法30条)として特約が無効とされる可能性がある。

ものの本に紹介されている無効な特約の例を挙げると…

などがあり、曰く、

これらは、いずれも、賃貸借終了の時期が不明確であり、一時使用のための賃貸借とも認められず、条件の成就・期限の到来が専ら賃貸人事情依存する不確定期限ないし条件付賃貸借であって、借家人に不利な特約であるからである

とのこと(別冊法セno.257新基本法コンメンタール借地借家法【第2版】190頁)。

このあたりの議論をもとに、「死亡解約特約は不確定期限だから無効」という説明をするネット記事散見される。

ただ、不確定期限なら必ず無効かというとそんなことはなくて、条文が明記しているとおり、無効になるのはあくまでも「賃借人に不利」な特約に限られる。上に引用したコンメンタールでも、

上記とは反対に、賃貸借終了の条件を借家人の意思のみにかからせるような約定場合(…)有効である

説明されている。

それでは「賃借人の死亡」という期限は賃借人に不利といえるか。

賃借権相続可能権利であるし、特に相続人たる同居親族がいる場合契約者死亡で即・出ていかなければならないとすると、いつ生活基盤が脅かされるとも分からないので賃借人に不利とも言いうる。なにせ借地借家法相続人ではない同居人すら保護している(36条。ただし強行規定ではない(37条参照))。

けれども、賃借人は単に居住権を有するだけではなく、その対価として賃料債務を負うのだから無用になった賃貸借契約が速やかに終了することは賃借人利益にもなる。

したがって、少なくとも独居の賃借人については、死亡によって解約になる特約は「賃借人に不利なもの」ではなく、合意有効と考えるべきだと思う(私見)。

 

賃貸借契約終了後の残置物もこの応用問題と考えて良いと思う。

そもそも契約終了後の残置物処理は法3章1節の対象外なので法30条による強行法規性も無さそうだけど、その点はいったん置いといて。)

賃貸人に残置物の収去・処分権限を与えるのは、賃借人に不利とも思えるけれども、これを認めないといつまでも賃料相当の損害賠償債務が発生し続けるので、かかる損害を抑止できるという意味では賃借人にもメリットがある。

なので、賃借人の損害を適切に減少させられるような条項にしておけば、残置物撤去についての特約も有効になると思う(私見)。

2023-06-16

戦後復員船で元上官を海に投げ込んだってマジ?

面白すぎる

戦場で後ろからつのもそうだけど

殺しても露見しない環境って大事だな

2022-09-15

16歳の女の子が駆け抜けた戦争

飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後助産師で赤子抱く

2017年8月14日埼玉新聞

もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」

 元従軍看護師木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地フィリピンルソン島で約1年、敵の爆撃機砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。

 生まれも育ちも桶川日本赤十字社埼玉県支部看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外陸軍病院派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。

 9月、マニラ空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院解散。絶え間ない空襲の下、部隊マニラから北に約250キロバギオに移動した。

 悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。

 埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。

 4月、バギから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」

 埼玉班の仲間も一人、また一人と病気栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだい手紙写真日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。

 終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラ先住民足跡を見つけるたびに背筋が凍った。

 ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。

 約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。

 戦後助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。

 今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」


https://www.saitama-np.co.jp/news/2017/08/14/07_.html

2021-08-31

anond:20210831163441

軍事教育を受けて統率力のある復員者が管理者経営者になって

国民皆兵制を経て従順若者使役できた時代からだと思う

今も経済成長を続ける韓国イスラエルのように日本徴兵制度検討すべき

2021-08-17

アフガン軍30万人の雇用が一瞬で失われた(実数7.5~9万の情報見つけた)

それ1つとっても恐ろしいことだ(アフガン人口3804万人なので一気に失業率を0.8%以上上げる(追記労働人口2021年10,657,912人らしい。ざっくり3%UP?))

実際には30万人いなかったとしても、相当な人数はいただろうに、大半が無職になる

タリバンも全員を吸収しきれるとは思えない

仮に吸収したら、彼らの給料麻薬から出ることになるので、それも世界にとっては脅威である現実麻薬での支払いを目指したら、たぶん作りすぎて麻薬が値崩れする)

中東は若年男性就職率が世界一悪く、アフリカを下回っている

アフガンについても中東に近いと思われる

2020年で全体の失業率11.7%の数字が出てきた。ちなみにイラン10.82%)

女性地位向上において、世界大戦で女性が働きに出た影響が大きかったことを考えれば

アフガン女性地位を向上させるにも戦場は無理でも仕事に出てもらうことが近道なのだ

若年男性すら職にありつけていない状況では非常に厳しいだろう

そして女性地位が向上しないと出生率が下がらず若年人口が増え続ける地獄ループ

ここで中国アフガン雇用対策有効な手立てを打てば(一帯一路関係土木事業など)

しかしたらアメリカより上手くやれるかもしれない

追記自分は2行目で「実際には30万人いなかったとしても、相当な人数はいただろうに」と断っているのだが……流石に半数の15万人はいた、よね?まさか実質は特殊部隊の1万人だけ?(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58219196タリバン側は6万で支援部隊加えれば20万(かも)とかの数字もみた(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081600710&g=int)。ただ給料未払いはキツイですね。

croissant2003 たぶんここ数日での聞きかじりの知識で書いてるんだろうなぁ。

もう少し前から追っているつもりだが否定はできない。すまんな。ちなみにアフガンソ連戦争していた頃まで遡ると物心ついていなかった。

追記2:アフガン政府軍5万人ってマ?さすがにその人数でガニ大統領が抗戦を選択するとは想像できなかった。実際に動いた人数で給料を受け取った人数とはズレがあるとかかもしれんが、その給料も未払いだったりするんじゃ何も言えんなぁ。

Wafer 内乱終結後の敗北側兵士復員方法は古今ろくなものがなくて、南宋の残兵が元寇の主力に再構成されたり、朝鮮戦争に参戦した中国人民軍の兵士は元国民党軍だったとかさんざんですな

イランイラク戦争イラン革命から軍隊をすり潰したり、その戦争軍隊が膨れ上がったイラククウェート侵攻に走ったり、もっとアフガンに近い時代地域の例もありますね。

公共事業雇用もほしいけど、そもそも国民全体の基礎教育が要るっぽいなとここ数日での聞きかじりの知識で思いました。

追記3:アフガン政府軍実数は、最盛期に20万人、最近は7.5万人~9万人だったという記事をみつけた。https://grandfleet.info/us-related/where-did-the-300000-afghan-troops-claimed-by-president-biden-disappear/

アフガン政府軍に比べると南ベトナム共和国軍は実態があったしフエ陥落までは健闘したっぽい。サイゴン陥落に例えるのは南ベトナムに失礼?

2021-06-02

育休を取れるのは価値のある労働者だけ

育休取れない社会おかしいとか言ってる人。普通に考えて木っ端労働者が取れるわけないですよね?

もしあなたgooglerや自民党員や高級官僚としてで、余人をもって代えがたい仕事をしているなら別ですけれども、まさか誰でもできる仕事なのに権利を求めてはいませんよね?

とても簡単なことですが、雇用者労働者を守るためにかけられるコストの上界は、あなたが生み出せる付加価値と一致しています

google福利厚生を充実させているのは労働者を失った時の損失が大きいから。裏にひっくり返して逆から眺めてみて、損失が小さいならばいなくなっても痛くない、となります

このごく単純な論理から考えて、子供を設ける予定だといったあなたを落としたあの会社は、別に意地悪をしているわけではないのです。あなたが欠員した際の穴埋めにかかる費用復員したときの引き継ぎと馴染むまでのその時間。それらを勘案した結果不合格になったのです。渋い顔をした面接官は、あなたが嫌いなのではなく、それを自分フォローするのを渋ったのです。

職業に貴賎はありませんが、就きうる人の多寡はあります。少なければ少ないほど神の手によってあなた価値はまとまり、多いほどあなた価値は分断されます

誰でもできる仕事をするあなたはそれだけ価値が低く、そのような労働者をなぜコストをかけて守らないといけないのですか?その穴埋めにコストをかけるより、はじめから健康な、穴をあけなさそうな労働者を雇ったほうが合理的ではないですか?

私は人権というものを見たことはありませんが、もし人権侵害なのだとして、あなた達が言うべきはこうです。「生産性の低いことは重々承知しておりますが、どうかその合理的判断を曲げて、私達に慈悲の手を差し伸べてくれないでしょうか。ああ神様仏様菅様どうか御慈悲をお恵みください。アーメン

あなたを私に取り替えてみて矛盾のない文章。この文章によって私とあなたの可換性は示されて、また一つ私の価値あなたと等分されたことを露わにしていますあなたと私を取り替えて、齟齬が生じる、べきだ、と思いますよね。

2021-04-10

anond:20210410114121

人心を鎮撫して安寧秩序回復住民生命財産保障するの義務がある。嘗て日清戦役の際は戦局の進展に伴ひ、第一軍は先づ安東縣に民政廳を置き、次いで海域海域善後公署を置き、又營口民政署を置いて軍政を司らしめ。第二軍は金州城を陥るゝと同時に金州城行政廳を置き、次いで旅順行政署を置き、更に蓋平、復州、貔子窩に各行政署を起き金州城行政長官の式に属せしめた。日露戦役の際には樞要の地に軍政署を置き、軍政委員を任命した。後遼東守備軍の編成により遼東守備行政規則を發布して軍政委員統轄せしめ、租借地内にては殆んど全部の行政を擔當せしめ、租借地意外にては普通民政は清國官憲に擔當せしめ、軍政委員軍隊の便益を図り、傍ら地方官憲監督の任に當らしめた。後遼東守備復員により租借地には民政署を置き民政長官を任命した。

 戦闘部隊前進に随ひ占領地域は益々擴大さるゝが故に機關を設け軍政を司らしむる必要あるは明かなるも、前述の如く領土性質曖昧なるにより、其の権力行使必要以内に止め成るべく其の地方法規慣習を尊重して事に當り、又地方住民をして自治的の行動を採らしむるを要す。而して第三國人の關係に就き特に細心の注意を拂ひ、無益の國際問題惹起せざるべく努むべきである。(八月二十八日稿)

五六

2020-07-03

anond:20200703185350

たとえば

1945年8月15日できっぱり「戦前的な価値観」は消滅たかと言えば

そんなことはなく、教育勅語軍人勅諭を叩き込まれ復員軍人

戦後もしばらくあちこち職場軍隊価値観実践していた

明治元年できれいさっぱり武士の習慣は滅んだわけでもなく

私的個人的ちょんまげを結い続ける人や

維新以前の教育方針ほとんど変わりない教育方針

武道道場やら朱子学を教える私塾などを運営する人は大量にいた

鎌倉幕府ができた瞬間に平安貴族死滅したわけでもなく

京都公家にはその後も平安時代と変わらん感覚人間大勢いた

わかるかなあ?

1989年1月8日でいきなり世の中ぜんぶリセットされたわけじゃないんだよ

地方で当時40代以上のおっさんばかりの職場なら

平成10年ごろまでは職場精神空気は「昭和価値観」そのまんまで

そこから昭和の気風というものがおおむね類推できる(全部ではないが)

たまーに一部のネタウヨ

終戦時に小学生だった世代より俺らの方が戦前戦中を知ってる」

とか偉そうにドヤ顔するけど

そういうのは大抵、大東亜戦争の意義がどうのとか大本営真意はどうのとか

大局の話ばっかりで、軍隊内のイジメ上下関係軋轢、銃後の食糧

慰問袋を作ってた人たちの日常勤労動員させられてた人たちの日常

そこでの苦楽(単にひもじかったとか疲労したとか、物資が不足して

病気がろくに治療できなかったとかの肉体的に辛かった経験

とかの細かい実感的デテールはすっぽり抜け落ちてる

終戦時に小学生なら少なくとも親兄弟就職後の数年歳上の世代から

書物によらない直接に耳で聞いた知識としてその辺がたっぷり身に染みてる

平成元年に18歳でも

平成生まれ正真正銘アニメで見た知識だけで語ってる奴よりは

昭和職場がわかってるつもりだぜ

ことに地方高卒就職した身とあっちゃね

2020-05-25

映画犬神家の一族(1976年版)」の疑問

探偵映画最高傑作の一つ「犬神家の一族(1976年版)」。子供の時にみたときはなんか怖い映画という印象しかなかったが改めて成人してからみたら「まったく隙の無い見事な作品!」と思っていた。

さら20年ぐらい経って最近観たらけっこう「あれあれ?」というポイントがあった。

疑問を書き出してみた。

2020-04-08

anond:20200408205607

戦場の「人肉食」 ―ミンダナオ島編―

旧日本陸軍砲兵隊の軍曹としてミンダナオ島の対米攻防戦に参戦された。そのすさまじい死闘を経て、敗戦も知らずに部下戦友と共に人跡未踏ジャングル内を何ヵ月も彷徨。友軍兵の白骨化した死骸群の中、"共食い"など人間として極限を超えた飢餓地獄を、強靭な理性・忍耐力と創意工夫で見事に乗り越えられた。

 中隊指揮班の功績係という立場にいた著者の凡張面さから、その折節の実証スケッチ付きで克明に記録。それを米軍捕虜収容所内でまとめあげ脱稿復員時に苦心して持ち帰り、今日まで温存されたという。それだけに、自分さらけ出したその内容は、鬼気迫る当時を生々しく再現して小説よりも奇なる実録(ドキュメント)の迫真力十分。思わず引き込まれて一気に読ませられるものがあります資料価値も高いと思われます

http://yu77799.g1.xrea.com/worldwar2/Philippines4.html

2019-12-12

anond:20191209170111

まり軍隊舞台or兵器が出てくるけど戦わない話」だろ?

すぎむらしんいち『右向け左』

 ヤンキー自衛官のしょうもない日常マンガ

 美少女キャラとか出ないし絵柄もオタ受けしないから挙げる者はおるまい

大友克洋気分はもう戦争

 連作短編形式で、前線で戦ってるキャラもいるが

 地方自衛隊基地の下っ端の1日とか

 義勇兵に志願した中二病の末路とか、直接戦闘しない話も多い

大西巨人神聖喜劇

 軍隊内でえんえん規則議論をしてるだけで話が終わる

アメリカ映画の『愛と青春の旅だち

 士官学校の話だが鬼軍曹に訓練を受けるシーンばかりで実戦場ゼロ

 実質的にただの学園スポ根映画

速水螺旋人の一連の「軍隊役人マンガ

 軍隊だけど戦闘しない事務員みたいなのが話の中心のやつ

岡本喜八肉弾

 大戦末期の下っ端兵士日常が話の大部分

 主人公は話の最後最後で出撃するけど敵と戦闘しないまま終わる

岡本喜八英霊たちの応援歌

 学徒動員された大学野球部員の話

 戦時中だけどえんえん野球ばかりしてる

 主人公らは特攻機に乗るけど戦闘シーンはラストのホンの数分だけ

新東宝映画人間魚雷回天

 これも大戦末期の軍隊日常が話の大部分

 終盤のホンの数分で主人公が出撃するけど特攻失敗でデッドエンド

渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』

 戦前軍隊に入ったド貧乏田舎者の話

 「軍隊は三食メシが喰えて嬉しい」とか言ってるだけで戦闘シーンはほとんどないな

渥美清主演の『続・拝啓天皇陛下様』

 続とついてるけど主人公は別人で、軍用犬飼育係の話

 やっぱり戦闘シーンはほとんどなくて、しか戦後復員してからの話が大部分

――こういう「戦わない軍隊兵隊もの」って結構あると思うんだがな。タイトル忘れたけど、昭和の後期にも航空自衛隊整備士マンガとかあったよな。通信兵とか衛生兵とか伝令とか戦わない部署って結構あるし

2018-11-04

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 1日目

https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/

おいおい2日目の今日11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!

ってわけで色々読んだ。

 

きりひと讃歌

人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。

獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。

ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女生き様を感じた。

悪役に対してはわりと因果応報モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。

見た目だけでなく、生肉ガツガツわずにいられないことによって人間尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける

 

アドルフに告ぐ

第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドル少年稀有友情翻弄される様を描く。

めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラー秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。

特に、アドルフ・カミルユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。

そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。

ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。

 

奇子

復員後、GHQ秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。

タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。

タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識モラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識内面ギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長グラマラスグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。

というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ作品良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん

 

アポロの歌』

幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしま性格に成長した。ある時、警察現場を見られ、彼は精神病院送致される。催眠治療過程女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性自分死ぬ」という悲劇体験し続けろと宣告されるが……。

重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公トラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。

ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこふたりにも……と期待してやまない。

 

海のトリトン

漁師の息子・矢崎和也トリトン族の赤ん坊トリトン」を拾う。直後に津波漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。

今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野監督をしたアニメ版オリジナル展開だったという……。

衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。

あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまトリトン普通にない。

 

リボンの騎士

おしゃま天使チンクのいたずらで男の子女の子の心を持って生まれ王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイア排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイア女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。

戦闘美少女男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。

お話的にはピンチピンチ連続で、けっこうハラハラキドキ。ただ、ヒーローであるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。

キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツ好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイア好意を抱く海賊ブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。

キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。

あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナス微妙すぎる。魔女ポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ

いいところと悪いところが極端という印象。

ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。

 

※続き

https://anond.hatelabo.jp/20181104153709

2018-10-02

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1272383


tocoto 戦争が起きたから下がったのではなく、徴兵されて結婚できないから上がり、復員してみんな結婚たから下がったのでは

 

まり戦争が起きたから下がったんじゃないの? この言い換えの意味がわからない

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