はてなキーワード: 長老とは
【はじめに】
法的には、彼は解散権という核ボタンを持ち、人事権という生殺与奪の剣を握る「全能の王」に見える。
しかし、構造的に見れば、彼は巨大な官僚機構、党内力学、そして対米従属という三重の鉄壁に囲まれた「独房の囚人」に過ぎない。
本シリーズの最終章となる本稿では、この「システム(構造)」と「アクター(個人)」の間に横たわる、残酷な力学を解剖する。
なぜ、改革を叫ぶ者は短命に終わり、何もしない者が長期政権を築くのか?
ここにあるのは、個人の資質の問題ではない。システムが許容する「自由意志」の総量が、最初から決まっているという物理法則である。
「操縦桿」は繋がっているか?
日本政治という巨大な飛行機(リヴァイアサン)において、コックピットに座る首相が握る操縦桿は、実は主翼(政策実行機能)と繋がっていないことが多い。
この操縦桿は、フライ・バイ・ワイヤ(電気信号)で制御されているが、その信号を処理するコンピューター(官僚・米国・派閥)が、入力された命令を「解釈」し、勝手に書き換えるからだ。
日本の首相官邸というコックピットにおいて、パイロットが選択できる行動パターンは数学的に以下の三つしかない。
衝突:システムと正面衝突し、破砕する。
それぞれの運命を、具体的な検体(歴代首相)を通じて検証する。
岸田文雄(2021-2024)は、無能だったから短命だったのではない。逆に、このシステムにおける「理想的な統治者」としての適性が高すぎたために、存在自体が空気(環境変数)と同化した稀有な例である。
官僚機構、派閥の長老、連合、そして米国。あらゆるステークホルダーからの入力信号(Input)を、一切のフィルタ(個人の自我)を通さずに、そのまま政策として出力(Output)する機能のことだ。
財務省が増税を囁けば「増税」と出力し、世論が反発すれば即座に「減税」と出力する。ここには「変節」という概念さえ存在しない。ただ「入力が変わったから出力が変わった」という、機械的な反応があるだけだ。
官僚にとって、これほど扱いやすいUI(ユーザーインターフェース)はない。
彼が多用した「検討を加速させる」という再帰的なループ言語は、決定責任を回避しつつ時間を稼ぐ、このシステムが産んだ最高の防御呪文であった。
彼は「何も成し遂げなかった」のではない。「何もしないことで、システムを安定させた」という点で、最も純粋なシステムの部品であった。
【Type B】異端:鳩山由紀夫・田中角栄という「免疫拒絶」
システムは「自律的な意志」を持つ部品を、ウイルスとして検知する。
田中角栄(ロッキード事件)と鳩山由紀夫(普天間移設)は、左右の違いこそあれ、システム(特に第2層の官僚と第3層の米国)の回路を、個人の意志で書き換えようとした点で共通している。
破壊工作の失敗:
田中角栄: 彼は「カネ」という潤滑油を大量に注ぎ込むことで、官僚機構(法による支配)を無力化し、日中国交正常化などの独自外交(対米自立の萌芽)を行った。
鳩山由紀夫: 彼は「友愛」というイデオロギーで、日米安保というOSの根幹(抑止力論理)を無効化しようとした。「最低でも県外」という言葉は、システムへの宣戦布告であった。
リヴァイアサンは、彼らを政治的に殺すために「免疫細胞」を動員した。
田中には「東京地検特捜部」という司法の牙が、鳩山には「外務省官僚によるサボタージュと極秘文書のリーク」という行政の罠が襲いかかった。
「構造に逆らった個人の意志は、必ず物理的に排除される」という、システムの自己防衛機能が正常に作動した結果である。
彼らの屍は、後続の政治家たちへ強烈なメッセージを残した。「操縦桿を勝手に動かすな」。
【Type C】ハッカー(Hacker):安倍晋三・高市早苗という「悪魔的取引」
彼らは、システムと戦う愚かさ(Type B)も、システムに埋没する虚しさ(Type A)も知っていた。
ゆえに彼らは、システムそのものを「ハッキング」することを選んだ。彼らは構造を変革するのではなく、構造の「脆弱性(Bug)」を突くことで、擬似的な王権を創出した。
安倍晋三(第二次政権)の発明は、官僚と戦うのではなく、官僚の「人事」を握ることで、彼らを「恐怖」で支配下に置いたことだ。
これにより、官僚機構(第2層)は「抵抗勢力」から「忖度する手足」へと変質した。
歴代の首相たち――橋本龍太郎も、小泉純一郎も、民主党の菅直人も――皆、官僚機構(霞が関)と戦い、そして敗北あるいは妥協を余儀なくされた。
なぜ彼らは失敗し、安倍晋三だけが官僚を「忠実な下僕」に変えることができたのか?
2014年に実装された、たった一つの「構造変更パッチ」にある。
以前のシステム:「聖域」だけは触れない
2014年以前、日本の首相は「法律」を作ることはできたが、官僚の「人事」に口を出すことはタブー(聖域)とされていた。
各省庁の事務次官や局長は、省内の序列と互助会的な論理で決定され、首相は最後にハンコを押すだけの「ハンコ」に過ぎなかった。
この構造下では、官僚の忠誠心は「時の総理」ではなく、「所属する省庁」に向けられる。
だからこそ、彼らは平気で面従腹背し、サボタージュを行い、情報をリークして政権を倒すことができた(民主党政権が殺された主因はこれである)。
安倍晋三(と当時の菅義偉官房長官)は、このバグを冷徹に見抜いていた。
2014年、第二次安倍政権は「国家公務員法」を改正し、内閣人事局を新設。
これにより、審議官級以上の幹部公務員(約600人)の人事権を、各省庁から取り上げ、官邸(内閣官房)が一元管理するシステムへと書き換えた。
これは、OSの「管理者権限(Root Access)」の奪取に等しい。
効果は劇的だった。
かつて「法の番人」を自認していた法務官僚も、財政規律を守っていた財務官僚も、自らの出世と組織防衛のために、官邸の意向を「先回りして推測(忖度)」し、公文書の改ざんすら厭わない「忠実な兵隊」へと変貌した。
小泉純一郎は「郵政」という局地戦には勝ったが、官僚機構そのものは温存した。
民主党は官僚を「敵」として怒鳴りつけたが、人事権という武器を持たずに戦ったため、寝首をかかれた。
安倍晋三だけが、「人事権という首輪をつければ、猛獣もペットになる」という構造力学を理解し、それを制度化したのである。
これが、彼が「憲政史上最長の政権」を築けた最大のトリックであり、同時に日本の官僚制(明治層)の魂を完全に殺した「毒」の正体でもある。
さらに彼は、米国(第3層)に対し、集団的自衛権という「最高の貢物」を差し出すことで、国内政治におけるフリーハンド(黙認)を勝ち取った。
彼女の「保守的な言動」は、イデオロギーではない。あれは、岩盤保守層(第1層の農村・地主の変種)を繋ぎ止め、同時にシステム内部の求心力を維持するための「認証コード」である。
彼女は、安倍政権が残した「ハッキング・ツール(人事権と安保連携)」を継承し、さらに「非常時(台湾有事の危機)」という外部環境を利用して、システムの権限を極限まで集中させている。
代償:
ハッカーたちは強い。しかし、その強さは「システムの一部(公共性や法の支配)」を犠牲にして得たものだ。
彼らが長期政権を維持すればするほど、官僚は萎縮し(公文書改ざん)、財政は規律を失い(異次元緩和)、国は「私物化」されていく。
彼らは操縦しているように見えるが、実際には「機体のパーツを取り外して燃料にくべながら、加速し続けている」に過ぎない。
これは一見、彼女の強烈なリーダーシップ(能動性)に見える。しかし、本シリーズの視座から見れば、それは違う。
彼女もまた、システムが生き残るために選ばれた「機能」に過ぎない。
「改革」という名のエンターテインメントを国民に提供し、ガス抜きをする。そのために、彼女の攻撃的なキャラクター(UI)が採用されただけだ。
彼女が操縦桿を右に切ろうが左に切ろうが、機体は「現状維持」という航路から1ミリもズレない。
なぜなら、エンジン(経済構造)も、管制塔(米国)も、整備士(官僚)も、誰も航路変更など望んでいないからだ。
“善良”な「依代」が統治すれば、国は緩やかに衰退する(死に至る病)。
“勇敢”な「異端」が統治すれば、国は即座にパニックに陥り、彼自身が殺される(拒絶反応)。
“狡猾”な「ハッカー」が統治すれば、国は熱狂の中でその骨格を食い荒らされる(自己中毒)。
なぜなら、コックピット(首相官邸)の設計そのものが、「主権の欠損」を前提に作られているからだ。
我々が目撃しているのは、高度に発達しすぎた官僚制と資本主義の複合体が、もはや人間の「意志」を必要としなくなった光景である。
政治家の「主観的能動性」は、いまやシステムにとって「リスク」でしかない。
したがって、システムは最も「空っぽな人間」か、最も「システムに過剰適応したハッカー」だけをコックピットに招き入れる。
操縦席には誰もいない。あるいは、「誰もいない」のと同じ状態の人間しか座れない。
それでもリヴァイアサンは飛び続ける。燃料(国民の税と魂)が尽きて、墜落するその瞬間まで。
政治が「悪い」ことではない。
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
続き
2012年公開、劇場版「[前編]始まりの物語」「[後編]永遠の物語」を全11話のTVシリーズとして再編成したもの。
副音声はまさかの狩野英孝。アニメの皮をかぶったバラエティ番組かな。
このアニメを見ると3.11を思い出してしまう人もいるかもしれませんが、英孝ちゃんの実況で笑ってください。
全11話。副音声が面白かった。狩野英孝の考察というか感想で、作品への理解がより深まるところがよかった。また是非やって欲しい。
前シーズンでいう『勇者パーティーを追放された白魔導師、Sランク冒険者に(略)』がダメだった人はダメだろう・・
全12話。続きがありそうな終わり方だったがどうだろうなー。嫌いじゃなかったですよ。
いつか異世界に行けることを信じ過ごしていた痛い女の子が、例によってトラックにひかれ異世界転生。
その転生先は自らの黒歴史ノートに書き綴った物語の悪女キャラだった。
最近ので例えると村井の恋。それに近いくらい絵はギャグ絵に落とし込んで、間やテンポもギャグマンガ的に倒してる感はある。
全12話。続きあってもよさそうな感じね。
EDが特殊。1話は葵、2話は大旦那、3話はそのミックスだったり。結局特殊なのは2話と3話だけだったか。
全12話。おぅ、ここで終わりなのか。3期があるだろうな。
最近でいうと「男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!)」くらい面倒くさい恋愛アニメ・・・と思ってたけど
3話でやってること終始ドン引きだったんだけど。ちょっと受け入れられないなこれ。
まぁサブタイに「俺だけがウザい」とあったが。それにしてもだ。
OPアニメーション、ほぼ全てパロディネタ。さて、君はどれくらい元ネタを知っているかな?
全12話。最後はEDじゃなくてウザいOPで終了。うーん、演劇部乗っ取りじゃん。あれで成果が出てもいかんでしょ。
現代だし、一応フシが望んだ?世界になったわけだし、みんなが生き返って集合したし、
今までのシーズンとは違ったテイストでスタート。3話目で狂ってきた。やっぱりこうじゃなくっちゃ。
オフィスラブ&サスペンス。ある日ビルの4階から転落し、記憶の一部を無くす。
その後、暗い性格も180度かわり、自分に自信があり、強く前向きで周囲の人も元気にさせるような性格になる。
これで人生も180度変わるのかな?それにしてもビルから転落した原因ははたして・・。
見た目に反してサスペンス要素がある。2022年にドラマ化したが、ドラマ版はサスペンス要素が取り除かれている。
10話は泣いたなぁ。
放送直前SP+全12話。ええーーこんな終わり方なんですか。事件の真相まだ分からんし、最終話Cパートで新キャラ出るし、続きやらないと困る。
異世界メシアニメ。料理趣味のサラリーマンが異世界召喚。元世界のネット通販で商品を取り寄せ、
美味しい料理を作って様々な人や魔獣の胃袋をつかむ。約3年ぶりの2期。
企業協力にイオンリテール、エスビー、エバラ、六花亭などあり、実在する調味料やお菓子が登場する。
スイに食器や剣を作ってもらいスイが3Dプリンター状態に・・・・っていうかスイ便利すぎんよ
メシの作画がいいのよねー。これ見てるとツマミ作って酒飲みたくなる。
転校生の石川さんは吸血鬼。妖怪、幽霊、その他怪異と人間が共存する世界。
ミステリアスでクール、完璧でかっこいいとクラスで評判なんだけど、その実は血を吸うのが下手な吸血鬼さん。
血を吸う時、というか感情が高ぶってる時?体が小さくなるらしい。奇面組でもこんな表現あったなー
主人公の男の子、普段は鼻と口が描かれていないので、なんだかFF5っぽい。
座席は主人公席です。ちょっと表現が大げさな感じがして、そんな所にあざとさを感じちゃって私にはあわないかなー
人間以外がいる世界観の割にはその他妖怪、幽霊があまり登場しないし、理由がわからないけど凄いお金持ちだし、設定がしっくりこないというのもある。
全12話。最終話を含め、やることが(あくまで私の中で)大袈裟であわなかった。
おお、今回は慎重勇者も加わるのか。久しぶりだなー
オバロ、このすば、リゼロ、幼女戦記、盾の勇者、陰の実力者、慎重。もはやカルテットじゃない。慎重勇者の登場は1話だけだけど。
過去2作と比べて変化が生じている。特にリゼロは変化が大きい。
6年半ぶりの2期。ガロウが怪人側に拉致され、サイタマがムカデ長老をワンパンで倒した後の話。
流石に覚えてなかったので振り返り放送があってくれて助かった。
OPはJAM Project feat.BABYMETAL。BABYMETALってJAM Projectともやってるのね。
EDのビブラートのクセよ。全13話(#25-#36)中途半端な終わり方だったな
ケモナー向け?ラブコメ。時は20XX年。人と獣人がいる世界。
獣人は大昔の実験で生まれ、埼玉の一角で監視され生活をしている希少種らしい。
そんな獣人がクラスにやってきた。まだまだ世間は獣人に差別的な人も多い。
それでも種族の壁を超えてそれはやがて恋になる・・?表情や手の動きとかの表現が細かい
ベタな展開が多いけどベタは嫌いじゃないので。なんかニヤニヤしちゃうな
下着が見えたり裸になったりするより、こっちの表現の方がエッチだよね。
座席は主人公席。OPはCHiCO with HoneyWorks
全12話。いい終わり方だった。これは獣人と人間の話だけど、日本もついこの前(50年くらい前)までは外国籍の人と手を繋いで歩いてると変な目で見られたもんだけど、今や普通だもんなー
9話くらいまで見てお腹いっぱいになってそれ以降見てないです。ごめんね。
説明いらんよね。一応小説が原作になるのかな。人気作を学園パロディギャグアニメにするケースはよくあるよね。
私はあまりこの流れ好きじゃないのよね(人気が出ると学園モノにする流れ。銀魂自体のノリは好きです)
全12話
主人公は政界征服を目論む組織の戦闘員、磯部。この組織は正義のヒーローホープマンと敵対関係にある。
この作品は戦闘とかよりも、サラリーマン戦闘員のリアル臭い日常を語る感じ。
声優にはダイアン津田や見取り図リリー、マユリカ阪本などの吉本芸人が参加している。
韓国の学習漫画が原作。昨年10月から今年の3月にかけて2クール分放送していた。
それの第2シリーズ。まさかのOPとED変らず。(OPの絵は少しだけ変わってる)
また、サブタイトルが以前は「その1」だったのが、「その1(全3話)」と分かりやすくなっている。
さて、今回はお詫びと訂正なしで完走できるだろうか。
テーマは水不足、巨大地震、干潟。巨大地震回においては冒頭に震災に伴うPTSDに配慮したメッセージが入る。
9話の干潟のサバイバルが終わった後は第1シリーズの再放送になった。
第3期のTV放送は初だった気がする。前作ファンが多い作品ですが、私はノイエも好きですよ。
・今期お好み焼き多くない?
以前からあるにはあるので(例えば前期だと「ブスに花束を。」)別に珍しいものじゃないけど
「野原ひろしの昼メシ流儀」「ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん」「とんでもスキルで異世界放浪メシ」と3つあった。
どれも関西の焼き方。
EPISODE1 となるところが EPISPDE1 になっていた。2話以降は修正されている。
ジャンルがアニメではなくドラマになっていた。2話以降は修正されている。
・「デン!!」
「妃教育から逃げたい私」以降なのか?バラエティで使われる「デン!」がよく使われてる気がする
(私が知らないだけでそれ以前から多用されてたのかもしれないが)
今期では
とんでもスキルで異世界メシ2 1話、2話、5話、8話、9話、10話、11話
デブとラブと過ちと! 2話
A地点からB地点に向かう列車に強盗集団が乗り込んできて暴力を振るう、乗り合わせていた対テロ舞台の軍人が敵と戦って殺して戦って殺して血で血を洗いB地点に到着して終わる
アクション映画慣れしていると、色んなところで予想を外れるので逆説的にハリウッドと、それに影響されたお約束が浮き彫りになる。
①銃器がほとんど出てこない 銃器が出ないアクション映画で有名なのは「燃えよドラゴン」で、ブルースリーが「銃を持っていけば一発で終わるじゃん?」と言って「いやいや、こういう理由で無理なんだ」と説明を置いてから本格的な殴る蹴る中心のアクションシーン(トーナメント)に移行していく
本作は、敵集団が盗賊一家で銃器の入手が簡単ではないが悪人一族(YAKUZAという疑似家族「一家」ではなく、血縁という意味。マジ一族。父息子従兄伯父甥など・・・)という設定。現代のインドでこれ。
ピストルを持ち込んではいるが、ごく少数で、早々に舞台から除去されるのでそこからは刃物、鈍器、徒手空拳に移行。 最後B駅に到着すると警察が銃器もって出てくるけど、そこまで銃撃戦はない。
②悪人の一族はあまり背景が説明されない。途中でインターバルの合図が入るんだけど休憩時間は入らず、実際上映時間はそれほど長くなく、欧米での昭和版『新幹線大爆破』みたいにどこかカットされてるのかもしれない。
鬼滅みたいに途中の「思い出ボム」シーンが入らないので時間の流れは非常にシンプル。時系列シャッフルの伊坂「ブレットトレイン」とは180度違う。ジョンウィックも(1作目は知らんけど)2.3.4作めは回想入りますよね。
家父長制が生きていて50?60?歳くらいの父親世代が作戦を仕切っている。結構な闘派なのだが、後半、あまりに多く主人公に一族を殺されて「もう撤退だ」と若干良識のあるところを見せる。その際は息子(ラスト悪役、より狂暴)に逆らわれたりする。この一族の長のとどめの刺され方がよい。
③敵が悪人の素人集団(強盗を生業としているのだからプロともいえるが…)なので全員安い私服。乗客と区別つかない。乗客に紛れることで主人公の目を逃れるなど、それがサスペンスにもなったりする。民間人(フリーランス)VS特殊部隊みたいな映画はわかりやすいんだな。
アニメやまんがだとハンコ顔で髪型だけ違うなんていうのがあるけど、とくに物語の冒頭に近い時間帯では、インドの中肉中背の30歳代男性をはっきり区別するのが難しい。(尾田栄一郎を見倣おう)
④敵おかわり
わんこそば並みに敵がどんどこ補給されていくアクション映画(韓国映画?)があったが、本作の敵は途中1回合流がある。最初から30人以上も強盗が乗ってるというのは、いくら服装で見分けがつかないからといっても不自然だが、少数先行・手引き・列車速度を落としたところで合流…ということで40人対1.5人と言うリッチなバトルが成立する。
強盗どもの冷酷さ凶悪さをアッピールするために、モブキャラが殺されるのはこういう映画で100%見られるお約束だが、それにしてもハリウッドに影響を受けた映画だとそれなりにヘイトを受けたキャラクターが死ぬ傾向がある。密室ホラーで「こんな場所出て行ってやる!」という愚かキャラとか。 NETFLIX版新幹線大爆破では被ヘイトキャラすら死なないが、本作ではまあ死ぬ死ぬ。
1.車内が阿鼻叫喚になる前のほのぼのシーンで「お兄さん軍人?僕も将来軍に入りたいんだ、国を守りたい」という、母や祖母と旅行中だった中学生ぐらいの少年>死ぬ
ハリウッドだったら、勇気を振り絞り機転を利かせモブ敵をやっつけてサムズアップってキャラクターだろ少年よ…
2.さすがに主人公一人で40人倒すのは無理がある設定なので、シナリオの都合で同行していた主人公の頼りになる親友(特殊部隊の同僚)>死ぬ
3.主人公が守るべき最重要人物(恋人女性)>わりと早い時期で死ぬ(ので、途中から目的が彼女を守る、から変わる)
⑥主人公が失神する
直接攻撃やそのほかの理由で頭部に打撃を受けて失神する。2回目はモブ強盗たちに「殺せ!殺せ!」といわれるが長老の「いやこいつには利用価値がある」の鶴の一声で生かされる(そのあと覚醒してからのバトルも長い)
後半、モブ敵が主人公を追い詰める、とそのとき、中年女性と老女がモブ敵を鈍器で滅多打ち。助かる主人公。「あの子を!あの子を!」…無限に殴打している女性たちは上述の少年の保護者だった。家族を殺された恨みは、善良な市民も悪党一族も同じなのだ。
⑧思い出したら書く
この命題は一見、居酒屋の冗談のように聞こえるかもしれません。一般的に文明の利器として挙げられるのは、火、車輪、あるいは文字でしょう。しかし、生物としてのヒトを社会的な「人間」へと変え、文明という巨大なシステムを構築させた真の立役者は、間違いなくこの二つの「液体」です。
なぜ、ただの煮汁と発酵飲料がそれほど重大な役割を果たしたのか。その歴史的かつ科学的な真実を紐解いていきましょう。
人類史における最大の革命の一つは、土器の発明によって「煮る」ことが可能になった瞬間です。それ以前、直火で焼くことしか知らなかった人類にとって、スープの誕生は生存戦略を根底から覆す出来事でした。
生の食材や、単に焼いただけの肉や硬い根菜を消化するには、莫大なエネルギーが必要です。他の霊長類は、起きている時間の多くを「咀嚼」と「消化」に費やしています。しかし、食材を水と共に長時間煮込むスープは、言わば**「外部の胃袋」の役割を果たしました。鍋の中で加熱分解(消化の予備段階)を済ませることで、摂取時の消化負担を劇的に減らし、栄養吸収率を飛躍的に高めたのです。 この余剰エネルギーはどこへ行ったのか? それが「脳」**です。スープのおかげで、人類は消化器官を縮小させ、その分のエネルギーを脳の巨大化へと回すことができました。
スープがもたらしたもう一つの奇跡は、「歯のない者」の生存を可能にしたことです。狩猟採集社会において、歯を失うことは死を意味しました。硬い肉を噛めなければ餓死するからです。 しかし、スープは違います。咀嚼が不要な流動食は、歯を失った高齢者を生きながらえさせました。これは人類にとって決定的な意味を持ちます。なぜなら、長老たちは「過去の経験」「狩りの知識」「物語」「薬草の知識」という文化のデータベースそのものだからです。スープによって高齢者が生き残ることで、知識が次世代へ口伝され、人類の知恵は蓄積を開始しました。スープは「福祉」の始まりであり、文化継承のインフラだったのです。
スープが「個体」を生かしたなら、酒は「集団」を結びつけました。 近年、考古学の世界では**「パンよりも先に、ビールを作るために人類は定住した」**という説(宴会説)が有力視されています。
初期の人類にとって、家族以外の他者は「敵」であり、常に警戒すべき対象でした。しかし、集団規模が大きくなるにつれて、見知らぬ他人とも協力し合う必要があります。 ここで機能したのがアルコールです。酒は前頭葉の抑制機能を麻痺させ、不安や警戒心を解きほぐします。焚き火を囲み、同じ甕(かめ)から酒を酌み交わすことで、他者への警戒心は「仲間意識」へと書き換えられました。 人類が数百人、数千人の都市を築くためには、シラフの緊張感だけでは不可能でした。酒という化学的な潤滑油が、「他人を信じる」という社会契約を成立させたのです。
古代において、生水は死のリスクを伴う危険なものでした。病原菌が潜んでいるからです。しかし、発酵プロセスを経た酒(ワインやビール)は、アルコールと酸によって殺菌された**「安全な水分」**でした。 中世ヨーロッパに至るまで、酒は嗜好品である以前に、生存に不可欠なライフラインでした。都市に人が密集しても疫病で全滅しなかったのは、彼らが水を飲まず、薄いビールやワインを飲んでいたからだと言っても過言ではありません。
酩酊状態は、古代人にとって神や精霊と交信するシャーマニズム的な体験でした。この「理性のタガが外れる」瞬間は、芸術や宗教儀式を生み出し、論理だけでは到達できない創造性の源泉となりました。現実は過酷ですが、酒による変性意識は、人々に希望や物語を見る力を与えたのです。
スープと酒。この二つに共通するのは、**「自然界にあるものを、化学変化(加熱・発酵)させて、人間にとって有益な形に変える」**というプロセスです。
さらに重要なのは、これらが**「待つ」ことを人間に教えた点です。 スープを作るには、材料を煮込む長い時間が必要です。酒を作るには、穀物や果実が発酵し熟成するまでの、さらに長い月日が必要です。 この「待機時間」は、人類に「計画性」と「忍耐」**をもたらしました。明日のスープのために今日薪を集める。来年の酒のために今年種を蒔く。この未来への投資こそが、文明の基礎です。
現代の私たちもまた、スープと酒に支えられています。 風邪を引けば温かいスープで身体を癒やし、祝いの席や悲しみの席では酒を酌み交わして心を共有します。
人類を進歩させたのは、鋭利な槍でも堅牢な城壁でもありませんでした。 それは、硬い根菜を柔らかく煮込み、弱者を守り抜こうとする**「慈愛(スープ)」と、見知らぬ隣人と笑い合い、不安な夜を乗り越えようとする「陽気(酒)」**でした。
この二つの液体があったからこそ、私たちはただ生き延びるだけでなく、人生を「味わう」ことができるようになったのです。 今夜、あなたの前にあるスープとグラスの中には、数万年の人類の叡智と歴史が、静かに波打っています。
いかがでしょうか。 「スープは身体の安全を、酒は社会の結合を担った」という視点で構成しました。
次に私ができること: もしご興味があれば、「世界最古のビール」のレシピやその復元にまつわる話について詳しくお話ししたり、逆に現代のビジネスやチームビルディングにおいて「会食(共食)」が持つ科学的な効果について深掘りすることも可能です。いかがなさいますか?
鬼殺隊が、極めてNPOらしいNPOである理由。NPO業界の長老のこの儂が解説しちゃおうかの。
https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/story-kimetsu-no-yaiba-komasaki_jp_5f962692c5b673c60824edd9/
【鬼殺隊の財務】
そんな鬼殺隊に対し、あなたは「お前らボランティアでやれよ。刀とか金かかるのは贅沢だ。ヒノキの棒でいけよ」
と言うでしょうか。
いくら霞柱でも、霞食って生きていけないわけです。
ちゃんと隊員の制服、刀、給与などを出さないといけないわけです。住み込みの隊員もいるから、食費もバカになりません。
どうすれば活動が続けられるのか。
作中には描かれていませんが、おそらく鬼被害から救われた人々が「寄付会員」になって、鬼殺隊の財政を支えているのだと思います。(作中では「藤の花の家紋の家」)
鬼殺隊に救われた家庭には、鬼殺隊事務局から「良かったら寄付会員になって、鬼と戦いませんか?ねずみコースは◎円、虎コースは▲円」みたいなダイレクトメールが送られるはずです。
鬼殺隊事務局には、こうした作業を行う「ファンドレイザー」がいて、日々寄付会員を増やすことに全集中しているでしょう。
ファンドレイザーは寄付を集めるだけでなく、今年は何人の鬼を倒したか。何人の命を救ったか。命を救われた人の声などを「アニュアル・レポート」にまとめて、事業報告会で報告もしていると思います。
ずっとずっと昔、海の底深く、美しい真珠色の体に、無数の黄金の針を持つ、心優しき雲丹が住んでおりました。名は「金針(きんしん)」と申します。
金針は、海底の平和な村に住む魚たちにとって、なくてはならない存在でした。特に、村はずれの岩穴で暮らす、乱暴で意地悪な鬼のせいで、海全体が怯えていたからです。鬼は大きな錨(いかり)を武器に、村の宝である光るサンゴを次々と奪っていきました。
ある日、鬼に囲まれ、今にも食べられそうになっていた鯖の若者を、金針は自慢の黄金の針を飛ばして鬼の目をくらませ、命がけで助けました。助けられた鯖は、金針の勇気と優しさに深く感動し、「このご恩は必ずお返しします!」と誓いました。
鯖は、この一件を海の仲間に伝えました。まず、秋刀魚の長老が立ち上がりました。「わしの俊足と細い体なら、鬼の砦を探し出せる」と。続いて、鰯の大群が加わりました。「数なら負けない。鬼の動きを乱すには、わしらの群れが役立つ!」と。
こうして、金針を大将に、鯖を先鋒、サンマを斥候、イワシをかく乱役に据えた「鬼退治決死隊」が結成されました。彼らは、鬼を倒し、村に平和を取り戻すため、深い海の底、鬼のねぐらへと向かう決意を固めたのです。
サンマの素早い動きで鬼の砦の場所が判明すると、いよいよ作戦開始です。
まず、イワシの大群が銀色の波となって一斉に押し寄せました。その壮絶な数に、鬼は目を回し、持っていた錨を取り落としてしまいます。すかさず鯖の先鋒隊が、鬼の足元にできた影に隠れ、鋭いヒレで鬼の動きを封じました。
そして、満を持して金針が進み出ました。金針は、鬼の巨大な体に近づくと、全身の黄金の針を一気に放ちました。それはまるで、空から降り注ぐ光の矢のよう。針は鬼の皮膚の弱点をめがけて次々と突き刺さり、「うわぁ!」という断末魔の叫びと共に、鬼は深海の底へと沈んでいきました。
鬼がいなくなり、村の光るサンゴは無事に取り戻されました。海の村は平和になり、魚たちは金針と、勇気ある鯖、サンマ、イワシたちを「海の四勇士」とたたえ、永遠に語り継いだということです。
そして、金針は海底で静かに暮らしながら、もし再び誰かが困ったら、いつでも助けられるように、黄金の針を磨き続けたということです。
いろんな主張を見ていると、最も現実路線でまともなのは林で間違いが無くてさ。
でも、それって普段から政治に関心もってないとたぶんわかんねーんだよ。自民党の党員はいいよ?関心があるから党員やってるわけだし。
だけどさ、選挙はソーじゃねえ訳。
次の衆議院議員選挙で、参政党が一時的にでも伸びるのを抑えられるのは林じゃ無理だと思うんだよ。
恐らく、党員はともかく政治家連中は小泉を選ぶと思う。すると、小泉が総裁で、林が引き続き官房長官で重要なポストは継続って感じなのかな。
小泉ははっきり実務能力はない。今までも小泉がやっているように演出されたことはいずれも官僚共がやっていることそのままで、その中から自分のアピールに使えそうな所をピックアップして余計な事をして、結局グズグズになるという事をくり返している。今回の備蓄米の件とかそれな。
なので、奴が自分は軽い神輿だと徹して、だれが担ぐ奴が大事なんだが、周りがどれだけ奴を担げるかが大事なんだよ。
小泉が勝つと、ガッツリ担いでいる加藤勝信は副総理+財務大臣か、自民党幹事長(事実上の党首格)かどちらかに起用されるのは間違い無いとして、あとの組閣はどうなるんかなあ。
菅義偉は小泉を担いでるけど、年齢的にも、またどう見てもパーキンソン病なので(一時酷かったが今は合う薬がみつかった、と言うような体調の動きが見て取れる)もう表に出て要職ははらんだろう。
他の候補の起用というと、小林は入閣するだろうね。当たり障りのない特命大臣だろうけど。
高市早苗は役職を辞退するだろう。恐らく小泉も形だけは当たり障りのない特命大臣を提示するだろうが、断りのより高い職位を要求して拒否されるポーズを支持者相手に見せる事を重視するのではないか。
新内閣の任務としては、最低限国として行う事、トランプ災害と地政学的、軍事的緊張を乗り切るのはやらないといけないので、そのあたりは堅実に実務ができるのを残すしかない。岩谷は岸田クラスが出てこない限りは留任だろうな。赤沢も留任だろう。経済担当大臣は正直飾りって感じだが、トランプ災害担当大臣という現在の役割は重く、この辺りのゴリゴリの実務屋は外せない。
後は、国交大臣は公明党として、菅義偉経由で連立を組むであろう維新の会が大臣をどのポストで要求するかだよな。地方創世担当大臣あたりはありえなくはないが、このポジはおいしいので自民党が外したくはないだろうが、このあたりかな。
政策的にはポピュリズム的な政策をまず打ち立てて支持率の回復を図るだろうが、流石に自民党が今ある実務的に必要な精度を劣化させることは無いとは思う。ただ、将来の改革は、大衆迎合的な考え方でかなり停滞するだろうな。
少子化支援や女性の社会進出みたいな、非常に重要だが実務的に必要な政策とポピュリズム的に派手に見える政策が大きく異なるので、上手くいかないままだろう。
年金制度、医療制度、税制などの大きな部分は先送りされてほっとかれるんだろうなあ。こいつらこそほっとくと借金ばっかり増えていいことないのに。
経済対策はインフレ時代、金利がある時代に対応した最低限の改革は行われるだろうが、後はどこも無策という感じ。やるべきはアベノミクスでいうところの第三の矢に相当する部分だが、結局誰も放ち方を知らない感じで、これは民主主義とは相性が悪いから仕方が無い面もあるな。
だから邪魔だけはしないように、最低限の事はやってくれなという気持ち。ただトランプ対策にさらに色々やらかすんだろうなこの先。
はぁ。憂鬱だ。
総裁選の歴史の中には、自民党内の長老の支持を固めて次期総理にほぼ決定という状態から逆転負けした石原伸晃というやつがいたんだよね。
https://www.j-cast.com/2012/09/13146358.html
自民党総裁選挙に出馬を表明している石原伸晃幹事長が2012年9月13日朝、生出演していた「朝ズバ!」(TBS系)でとんでもない言い間違いをした。福島第1原発のことを、「福島第1サティアン」と発言したのだ。
サティアンといえば、オウム真理教の施設名だ。事故収束に向け、震災から1年半が経った今も懸命の努力が続く原発をよりにもよってサティアンと言い間違えるとは―
これで大ひんしゅくを買って国民の支持が暴落、ほぼ固まっていた党内支持もあっという間に逃げて、当初はそれほど有力ではなかった安倍晋三が勝利することになった。
まだ何が起こるかわからないよ。
増田は東京に資本と才能を集めるのって怖くね?というタイトルの童話を知っているかな。
昔々、ある大きな国がありました。その国には、賢い王様が住んでいましたが、その王様は国中のすべての資本と才能を、首都たる「トウキョー」という一箇所に集めていました。トウキョーは美しく栄えていましたが、ある日王国の長老たちは心配しました。「もし大地震が起こったらどうなるのか」と。
賢い少年タクヤは、長老たちの話を耳にし、「卵を一つのカゴに盛れば割れやすいじゃないか」と王様に進言しました。しかし、王様は「そんなことはない、トウキョーは安全だ」と笑い飛ばしました。
長老たちは相談し、各地に小さな村を作り、王国全体に資本と才能を分散し始めました。すると、各地の村々は独自の文化と繁栄を育み、国全体がますます豊かになっていきました。
そんなある日、大きな大地震が訪れました。トウキョーは大打撃を受けましたが、幸運なことに他の村々が無傷だったため、王国はすぐに復旧することができました。王様はようやく、「タクヤの言った通りであった」と気付き、全土に分散した資本と才能の大切さを認めました。
今年の夏、全国各地の因習村で同時多発的に開催されるという謎の祭り「赤フン祭り」を取材するため、実際に現地に足を運んでみました。事前に聞いていた噂では、コンテストも開催されているということで、その実態を確かめてみることにしました。
赤フン祭りは、全国各地の因習村で毎年8月の第3土曜日に同時開催される伝統行事です。その起源は定かではありませんが、少なくとも江戸時代から続いているとされる古い祭りです。
祭りの名前の由来については諸説ありますが、最も有力なのは「赤い粉(フン)を撒く祭り」から来ているという説です。実際に祭りでは、赤い粉状の物質が大量に使用されます。
今回の取材地は、山形県の因習村です。人口約800人の小さな村ですが、赤フン祭りでは全国から観光客が集まることで知られています。
村に到着すると、すでに祭りの準備が始まっていました。村の中心部にある神社の周りには、赤い布で作られた幟(のぼり)が立ち並び、独特の雰囲気を醸し出しています。
祭り前日の夕方、村の人たちが集まって準備をしていました。主な準備作業は以下の通りです:
赤い粉の調合は、村の長老たちによって秘密裏に行われます。その成分は村の秘伝とされており、外部には一切公開されていません。
祭り当日の朝、村は一変しました。朝6時から、村の人たちが赤い粉を全身に塗り、独特の衣装を身にまとって集まり始めます。
午前8時、神社で開会式が行われました。村長の挨拶の後、今年のテーマが発表されます。今年のテーマは「赤い絆」でした。
開会式では、村の伝統的な踊りも披露されます。赤い粉を撒きながら踊る様子は、まさに「赤フン祭り」の名にふさわしい光景でした。
午前10時から、メインイベントである「赤フンコンテスト」が始まりました。このコンテストは、赤い粉を最も効果的に使用したパフォーマンスを競うものです。
3. **山田家の「赤い雨」**
コンテストには、村の住民だけでなく、近隣の村からも多くの観客が集まっていました。赤い粉が舞い散る中、観客たちは歓声を上げながら楽しんでいます。
特に印象的だったのは、子供たちの反応です。赤い粉を浴びながら、楽しそうに走り回る子供たちの姿は、祭りの本来の目的を象徴しているようでした。
赤フン祭りの歴史について、村の長老に話を聞きました。江戸時代、この地域では赤い粉が豊作の象徴とされていたそうです。夏の終わりに赤い粉を撒くことで、秋の収穫を祈願する習慣があったとのことです。
現代では、豊作祈願という本来の意味は薄れていますが、村の伝統を守り、地域の絆を深めるという新しい意義が生まれています。
特に、コンテストの導入により、若い世代も積極的に参加するようになり、祭りの存続に貢献しているそうです。
赤フン祭りが全国各地で同時開催される理由について調べてみました。これは、江戸時代にこの地域の村々が連携して祭りを行っていた名残だそうです。
祭り期間中は、他の因習村からも代表者が訪れ、交流が行われます。今年は、北海道から沖縄まで、全国15の因習村から代表者が参加していました。
赤フン祭りで使用される赤い粉は、環境に優しい素材を使用しているそうです。しかし、大量に使用されるため、環境への影響を懸念する声もあります。
近年、観光客が増加しているため、村では観光対応に苦労しているそうです。伝統を守りながら、観光客を受け入れるバランスが課題となっています。
他の伝統行事と同様に、後継者不足も問題となっています。若い世代の参加を促すため、コンテストの導入や、SNSでの情報発信など、様々な取り組みが行われています。
赤フン祭りを取材して、伝統行事の持つ力と、それを守り続ける人々の努力を実感しました。一見すると奇祭に思えるかもしれませんが、その背景には深い歴史と意義があります。
特に印象的だったのは、村の人々の祭りに対する真摯な態度です。伝統を守りながらも、現代に合わせて進化させようとする姿勢は、他の伝統行事の参考になるのではないでしょうか。
来年も、この祭りが開催される予定です。興味のある方は、ぜひ一度足を運んでみてください。ただし、赤い粉が大量に舞い散るため、汚れても良い服装で行くことをお勧めします。
wakuwakutankentai 縄文時代か弥生時代くらいの歴史漫画で、長老みたいなひとが「フグを食べて一家全員死んだみたいじゃ」みたいなセリフあったのだけすごく覚えてるけど何の漫画だったかさっぱりわからない //追記:特定ありがとう
korekurainoonigiri ブコメ。漫画「日本の歴史」だね。20巻くらいあって人物図鑑もついてたやつ。うちにもあったわ。>フグ
小学館、集英社、学研、講談社、角川と学習漫画は様々な会社が出版してきたから、それだけだと特定になってないやろ
件のエピソードは1981年に刊行された、小学館「学習まんが 少年少女日本の歴史 1巻 日本の誕生」収録のものやな
2022年に新シリーズが出たから、もし買うのなら間違えないよう要注意や
ツッコミだけだと難だから個人的な思い出を語ると、最終巻の締めの文章はけっこうグッときたな
現代日本の夜空を背景に、歴史の蓄積の上に現在の社会がある、形は違っても人びとが精いっぱい生きてきたことは今も昔も変わらない、といった内容を滔々と語るものだった
tune2011 『日本の歴史』で中国大返し中の秀吉がどしゃぶりのなか馬の首に顔くっつけて「信長様は私をここまで取り立ててくださった…」って若い頃を回想するとこを強烈に覚えてる。