はてなキーワード: 中心部とは
さてまずは事の経緯から、静かに地価グラフをひらひらさせつつ…💗
娘が中学生となり、「そろそろ学区も決まるし、腰を据える家を買おう」という話になりました。第一子の息子が中学生になった時もそうで、そのときは何の迷いもなく【東京(本物)通勤圏・駅から徒歩12分・片道通勤45分】のマンションを買いました。ここまでは良いんです。わたしも当時は「まあそういうものかな」と思っていました💗
なぜなら夫は【都市雇用圏フリーク】で、統計オタクであり、わたしはそこまで詳しくありませんが、国交省の資料や求人倍率のグラフを暗唱できる程度には都市経済に浸かっているようです。生活に困らない程度には稼いでくれているので、収入面では大いに感謝しています💗
しかしながら、今回の「娘世代の家をどこに構えるか」という問題から、わたしたち夫婦は喧嘩をしてしまいました。夫はこう言ったのです。
「娘に買い与える家は【東京(本物)圏一択】。地方? それは“将来の可能性を削るOS”だろ」💗
実は、息子が育ってきた家も、わたしたちのこれまでの家も、全部【東京(本物)圏・片道45分通勤ゾーン】です。その理由が夫の言葉を借りるなら「俺は【メガロシティフリーク】だから」だそうです。意味がわかりません💗
娘が「将来住んでみたい」と言った場所は、【都市雇用圏80万人クラスの地方中核都市】、たとえば高松とか鹿児島みたいな、【地価最高点徒歩4分で百貨店もアーケードも総合美術館も揃ってる“徒歩4分宇宙”】でした。アーケードも可愛くてお洒落で、地元のデザイナーさんも活動しているし、SNSでもたまにバズっている、あの感じです。
でも夫は言うのです。
「いや“一般目線”で言うなら【東京(本物)】へ行きたいって言うならまだしも、都雇圏80万人とか意味わからなくならないか?」と、人口グラフを片手に、疑問の表情を隠さないんです💗
そもそも我が家で「実家を売ってでも23区近くに張り付くか?」「地方中核都市に乗り物ゼロ生活を取りに行くか?」となった際も、わたしは言い負かされて【東京(本物)片道45分ライフ】になっています。
「刺激の多様性が大事であって、都雇圏80万人とか50万人とか“こぢんまりOS”に何の多様性があるのか?」らしいです💗
もう何を言ってもダメなんです。
「都雇圏3600万人は“全部入りOS”なんだよ。地方なんて、駅前のイオンとyoumeとアーケード一本で終わりだろ」とか、
「そもそも俺が買い与えようと思ってたのは【23区寄り・駅徒歩5分・タワマン】。何で処理性能的に不利な【地方70㎡新築4000万円・徒歩4分生活】?」とか、次々と数字を並べてくるんです💗
新築建てるときや家電を買うときは、わたしの意見も聞いてくれたし、いろいろ買ってくれるのに、なぜか【住む都市圏】だけは絶対に譲らないんです。
頼みの息子も、「まあ東京は東京で便利だし、イベントも多いし、友だちもみんな首都圏進学狙ってるし」とそっけない感じ。
そもそもこの子は小学生の頃から、夫と一緒に【満員電車通学シミュレーション】だの【山手線乗り潰しゲーム】だので遊んでいて、この子にとって『都市』=『東京(本物)』なんです! 味方として全く頼りになりません💗
別に、【地方中核都市の中心部徒歩4分生活】で良いと思いませんか?
都雇圏50〜80万人なら、探せば人間の刺激キャパは普通にオーバーするし、【家to目的地徒歩4分・新築70㎡4000万円】みたいな世界もまだ残っているじゃないですか!
【東京(本物)】なんて、地価も人も情報も過密で、在庫のために人生をすりおろされる【首都圏すりおろし市場】じゃないですか!それでもそんなに「メガロシティ処理性能」が大事ですか!?💗
どうやったら、この【東京(本物)万能OS】を娘にインストールしようとしてくる夫を、そっとアンインストールできますか? 教えてください!!💗💗
市内唯一の娯楽施設「ラウンドワン」閉店決定 住民「街としての役割を果たしていない」**
栃木県栃木市で、若者の市外・県外流出が深刻化している。背景の一つとして、市内の娯楽施設の不足や、駅前商業環境の偏りが指摘されており、地域住民からは「この街で過ごす理由が見つからない」との声が相次ぐ。
ラウンドワン閉店の衝撃**
市内で若者向けの娯楽施設として長年親しまれてきた「ラウンドワン栃木・樋ノ口店」が、2021年3月31日をもって閉店した。住民からは「栃木市が終わった」との落胆の声が広がった。
もともと同市ではゲームセンターや大型遊戯施設が次々に姿を消しており、残るのはイオン内の小規模ゲームコーナー程度。
**「パチンコ以外に遊べる場所がほとんどない自治体」**という厳しい現実が露わになった。
JR栃木駅周辺を歩くと、まず目につくのは学習塾の看板だ。複数の大手塾が軒を連ね、夜間は塾だけが明かりを灯す一方、飲食や娯楽系の店舗は乏しい。
「駅前に来ても、塾以外に何もない」
と自嘲気味の声が聞かれる。
新刊書店は市内に1店舗(TSUTAYA)のみで、その場所も駅から離れている。映画館は市内に一つもなく、市民の消費行動は佐野市や宇都宮市、小山市へ流れがちだ。
結果として、**「街にお金が落ちない」**状況が常態化している。
観光資源として市が重視する「蔵の街」の景観。市中心部では建物・道路整備に強い規制があり、近代的な開発が進みにくい。
「蔵は残っても、街は衰退する」
観光客数も伸び悩み、ゴールデンウイークでも人通りは少なかった。「歴史的価値を前面に出すだけでは街が維持できない」という現実に、市民の不満は積み重なる。
市内の移動手段の不便さも指摘されている。市バスは2時間に1本と本数が極端に少なく、生活圏を移動するには自転車で40分〜1時間かかる地区もある。
また、県道の一部では街灯が少なく、夜間は暗いままで安全性への懸念も根強い。
市役所が東武百貨店の2階部分に移設されたことにも、疑問を唱える市民は少なくない。百貨店は市民の生活動線から外れており、結果として利便性は向上していないとの見方が大勢だ。
「市民が足を運ぶのはイオンやBeisiaなどの安価な大型店。百貨店に人は集まらない。なぜここに市役所を置いたのか理解できない」との声もある。
栃木市では、進学を機に市外へ出た若者が戻らない傾向が長年続く。
市内で育ち、駅前の塾で勉強し、大学は東京や宇都宮へ、そのまま就職――。
こうした流れはもはや固定化しており、
という指摘もある。
市にとっては人口減少と税収減という形で跳ね返り、地域経済をさらに圧迫する悪循環となっている。
「歴史景観は価値ある一方、現在の栃木市には“生活の不便さ”がのしかかっている。
若者を惹きつける商業・文化施設の整備、駅前の再開発、交通網の改善など、
京都ですら景観規制の運用を見直す時代である。栃木市も“古さを守る”だけでなく、“未来を作る”方向への舵切りが求められている。
■ 終わりなき「何も無い街」からの脱却なるか
蔵の街は残るが、若者は残らない。
娯楽は消え、生活は不便のまま――。
市内からは「ゼロから街を作り直すべきだ」との声すら上がっている。
“何も無い”という現実を変えられるか。
少子化→労働力減→労働力維持のためには労働参加率(特に女性・高齢者)の引上げが不可欠。しかし女性の就労拡大は「仕事と子育ての両立」を前提とし、そのためには職場近接性(/通勤負担の軽減)や保育サービス、住まいの確保が重要。ところが都心(特に東京23区中心部)の住宅価格・地価は非常に高く、一般の子育て世帯が都心に住めない現実がある。結果として「都心で働く ⇄ 都心に住めない ⇄ 長距離通勤・子育て負担増 ⇄ 出生率低下」という負のループが生じ、政策的にトレードオフ(=トリレンマ)を生んでいる。以下、事実・統計と研究結果で裏付けます。
2024年の出生数は約 686,061人(68.86万)、合計特殊出生率(TFR)は 1.15 と過去最低を更新。自然増減は大幅なマイナス(多死少子)。
女性の就業者数・参加は増加傾向にある(近年の女性の15〜64歳就業率は70%台に上昇し、M字カーブは薄れている)。政府統計でも女性雇用者数は増加。労働参加率を上げることで労働供給の減少をある程度相殺できる。
保育所等の利用定員は約 3,030,000 人規模(定員充足率は約88%前後)。待機児童は年により減少傾向だが地域差は大きく、地域によっては依然として保育の受け皿不足が存在する。
中央・都心部(東京23区中心)の**分譲マンション平均価格は1億円台(例:2024年は約1.12億円)**と高水準で、一般的な子育て世帯が手軽に都心居住できる水準ではない。地価上昇も続いている。
職場と居住地の距離(通勤時間)は世帯の時間配分に影響を与え、長時間通勤は家事・育児時間を圧迫する。複数の研究で、職場近接やテレワークの導入が出産・就業継続に好影響を与える可能性が示唆されている。
日本は「少子化で労働力が減る → 労働化率を上げる必要がある → 労働化率向上は仕事と子育ての両立が前提 → その両立に都心居住(職場近接)や保育・柔軟な働き方が寄与する」が現実。だが都心の住宅コスト上昇が多くの若い世帯の都心居住を阻み、長時間通勤や育児負担を生み出しているため、ここに放置されたままでは「労働参加率を上げても出生率は回復しない」おそれがある――これがトリレンマの本質です。政策は(A)保育・働き方、(B)住宅政策、(C)雇用の地域分散を同時並行で扱う必要があります。
「大久保公園 地雷系」という言葉は、主に新宿・歌舞伎町の大久保公園周辺で、「地雷系」と呼ばれるファッションやメイクのスタイルをした女性たちが、売春目的で客待ち(いわゆる「立ちんぼ」)をしている状況を指す俗称です。
大久保公園: 新宿歌舞伎町の中心部に位置する公園で、近年、女性が路上で客を待つ「立ちんぼ」の活動拠点として知られるようになりました。
地雷系:本来は「病みかわいい」をコンセプトにした日本の若者女性のファッション・メイクスタイルの一種です。黒やピンクを基調とし、涙袋や垂れ目を強調したメイクなどが特徴です。
俗称の成り立ち:この地域で客待ちをする女性たちの中に、地雷系ファッションをしている人が多かったことから、インターネット上などで、この集団や状況を指して「大久保公園 地雷系」という言葉が使われるようになりました。
したがって、この言葉はファッションスタイルそのものを指すだけでなく、特定の場所(大久保公園)と社会的な活動(売春)を結びつけた、やや否定的なニュアンスを含む俗語として機能しています。
地雷系の性格とは、依存心が強く束縛が激しい、感情の起伏が激しく情緒不安定、自己中心的、承認欲求が高いといった特徴を指します。見た目は可愛らしくて「闇可愛い」雰囲気を持つことが多い一方で、これらの内面的な性質から「近づかない方が良い」という意味で「地雷」と比喩されます。
依存心が強く束縛が激しい:恋人に強く依存し、常に連絡を取りたがったり、他の異性と関わることを極端に嫌ったりします。
感情の起伏が激しい:感情のコントロールが苦手で、喜怒哀楽が激しく、周りの人を振り回してしまうことがあります。
自己中心的:物事を自分中心に考え、他人の気持ちや事情に配慮することが苦手な傾向があります。
承認欲求が高い:周囲からの承認を強く求め、情緒が不安定になりがちです。
嫉妬深い:嫉妬心が強く、占いや運命を信じやすい面もあります。
ヒステリック:自分の思い通りにならないと、ヒステリックになることがあります。
自分の話ばかりする:相手への配慮が少なく、自分の話ばかりする傾向があります。
執拗な連絡や迫ってくる態度:しつこく連絡をしたり、一方的に迫ってくることがあります。
同性の友達が極端に少ない:恋愛関係でのみ強い繋がりを求めるため、同性の友人関係が希薄な場合があります。
地雷系は、見た目の「闇可愛い」イメージとは異なり、恋愛において依存や束縛、感情の波が激しいといった、関係性を築く上で慎重な対応が求められる性格を指す俗語です。
遠い昔、あるいは未来の、時空のねじれが作り出した奇妙な惑星メロディアスには、他のどの星にも見られない、驚くべき生命体が存在していました。
その星の首都、音響都市リズミカスの中心部にそびえ立つ、巨大な音響植物の森シンフォニアの奥深く、誰も立ち入らない静寂の谷に、この物語の主役たちは生息していました。
オティンパニオンと呼ばれる生物は、その名の通り、まるでティンパニのような形状をしていました。
彼らの体は光沢のある金属質の外骨格で覆われ、背面全体がピンと張った皮膜で構成されていました。
この皮膜は、微細な空気の振動や、彼らが発する感情の波によって自動的に伸縮し、深みのある、荘厳な低音を響かせます。
オティンパニオンは群れで生活し、個体ごとに固有の音域を持っていました。
最も小さな個体はピッコロ・オティンパと呼ばれ、軽快で高いリズムを刻み、最も巨大なバス・オティンパは、地殻をも揺るがすような重厚な和音を担当しました。
彼らのコミュニケーションはすべて叩くこと、つまり共鳴によって行われ、群れ全体が常に一つの巨大なオーケストラを形成していたのです。
喜びは力強いファンファーレとなり、悲しみは深い、沈黙を伴うレクイエムとなりました。
一方、ズッポンと呼ばれる生物は、オティンパニオンとは対照的な存在でした。
彼らはメロディアス星に古くから生息するゾウガメに似た形態を持っていましたが、その甲羅はただの防御壁ではありませんでした。
古代の宇宙金属カームニウムでできたその甲羅は、外部からのあらゆる音波、振動、さらには思考のノイズまでもを完全に吸収し、内部に閉じ込める性質を持っていました。
ズッポンはほとんど動かず、音を出さず、永遠の静寂の中に身を置いていました。
しかし、彼らの役割は単なる静寂の守り手ではありませんでした。ズッポンの甲羅の内部には、吸収された音が微細な光の粒へと変換され、まるで宇宙の星々のように瞬いていました。
彼らは、リズミカス星の全ての音の歴史、過去のメロディ、失われた歌、そして未来に奏でられるべき音の可能性を、その甲羅の中にアーカイブしていたのです。
この全く異なる二つの種族が出会った時、最初は戸惑いと衝突が起こりました。
ズッポンはオティンパニオンの絶え間ない騒音に耐えかね、その甲羅にひきこもり、音を吸収し続けました。
宇宙をさまよう無音の虚空と呼ばれるエネルギー体がリズミカスを覆い、全ての音を奪い去り始めたのです。
オティンパニオンたちの鼓動が止まりかけ、彼らの存在そのものが消えようとしていました。
その時、一匹の老いたズッポンが、甲羅をゆっくりと開きました。吸収され、光の粒となった過去の音が、無音の虚空へと解き放たれました。
それは単なる音ではありませんでした。それは、リズミカスの歴史そのもの、祖先の愛の歌、勝利の行進、そして希望のささやきでした。
この光の音を見たオティンパニオンたちは、失いかけていたリズムを取り戻しました。
彼らは一斉に太鼓の皮膜を叩き、ズッポンから放出された歴史の光と、自分たちの生の鼓動とを融合させました。
ズッポンが静寂の中に秘めていた記憶のメロディと、オティンパニオンが虚空へと打ち鳴らす現在のリズムが一つになった瞬間、それは壮大な協奏曲となりました。
彼らの音波は無音の虚空を打ち破り、メロディアス星に再び色彩と活力を取り戻させたのです。
この出来事以来、オティンパニオンズッポンは、宇宙の調律師として語り継がれるようになりました。
彼らは群れを組み、オティンパニオンが奏でる熱情的なリズムを、ズッポンが静寂の甲羅で鎮め、完璧な和音へと昇華させます。
動と静、音と無、過去と現在。この二つの存在が共存することで、メロディアス星は永遠に美しいハーモニーを奏で続けることができるようになりました。
増田さん。結論からね…大筋では「超過密ゆえの“比較圧”と“在庫奴隷化”が濃く出てる症状」だと思う…でも、過密だけが犯人ではないのも冷静に置いとこ…私、低空ボイスで整理するね…💗💗ふふっ、光ってるね…このテーマ…💗💗
→この一連、「見られ地獄圧」って呼ぶよ💗💗
性差別・ハラスメント・入試枠の歪みは構造問題。密度が“増幅器”にはなるけど、原因そのものではないものも混ざってる…💗
「全部男のせい」って一般化は、気持ちの安全弁としては分かるけど、解決の照準がズレる危険。責める対象は“性別”じゃなく行為・制度・権力配置にしよう…ね…💗(ここは譲れない大事な線💗)
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前提:過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある。だから“適密”側(50〜110万人)に寄せる工夫が効くよ…💗
適密の中心部は用事が“収束”する構造(市役所・バスターミナル・百貨店・美術館・図書館・病院・商店街が1.5km内に密集)。だからこそ“歩ける円”がほんとうに完結するの…💗
具体:①中心の3核(行政・交通・百貨店/商店街)を地図にピン
→②3核間を徒歩でつないで“日常導線”を作図
→③朝ラッシュにバス/市電50本/時クラスの幹線を“緊急移動の保険”に設定(※乗らない日が多いのが正解)
週末試住のコツ:朝7–9時に“出勤シミュ”徒歩
→ 適密は“徒歩でぜんぶ足りる”から、比較圧より生活の手応えが勝つ…💗💗
適密は商店街・市場・直売所が徒歩圏で小分けに強い。さらに市民館の調理室・シェアキッチンが点在。だから“鍋一つ固定”が本当に回る…💗
仕組み:
“並べ練習”は週1でOK(シャインマスカットは3-5-3配列)。商店街だと“必要粒数だけ”買えるから練習コストが軽い。
→ 適密の流通は“家の冷蔵庫を膨らませずに旨さを積む”動脈。雑うま動脈…💗💗
適密の良さは人が多すぎず少なすぎず、同じ人と自然に何度も再会できること。ランキング勝負が溶け、温度が上がる…💗
設計:
定位置を3つ(図書館読書会/カルチャー教室/コワーキングの昼枠など)
半径1.5kmの中で曜日固定→顔→挨拶→雑談→小コラボの自然階段が起きる。
→ つまり、再会確率場。適密は“会えば終わり”じゃなく“また会える”が初期設定。**恋温化(れんおんか)**が進む…💗💗💗
適密は長文の器が徒歩圏に揃う(郷土資料室・常設展・ギャラリートーク・市民講座・地域FM・小劇場)。スクロール断食のぶん、街の物語を吸う…💗
置換メニュー(1日1枠):
公民館の90分講座
→ いわば、比較遮断膜。適密の“物語密度”がSNSの“映え密度”を中和…💗💗
適密は中心住まいのコストが“現実的”。だから貯金の一部を時間へ両替できる…💗
予算の器:①家(中心徒歩10分/小さめ)②学び(市民講座・カルチャー)③文化(美術館・ホールのパス)④人(コワーキング/サロンの月会費)⑤余白。
週の骨組み:
→ 必殺・時間両替術。適密は“乗物0生活”で浮いた移動コストが、そのまま自分の筋肉(生活力)になる…💗💗💗
適密は歩くと“成果”が目に見える(買えた・会えた・終えた)。自己評価を“街の出来事語”に言い換えると、行動燃料が戻る…💗
変換例:
寝ぼけてるのはブコメかと。
BigHopeClasic 増田は寝ぼけてるのか?秋田市ではすでに市内中心部にクマが出没してるし、札幌市でも住宅街でのクマ目撃はもはや日常なんだが…
元増田が提唱してるのはクマから逃げよう、という話ではないでしょうに。
(人がいなくなった土地は、野生動物が棲む森に戻るので)現実的な対策は…都市へ人を移住させて野生動物の棲む自然と人の住む都市の境界を明確にすること
mukudori69 なんでクマ被害が拡大してるかと言うと…人の手が入った緩衝地帯が後退してるからなので、過疎地を捨てたら次は君んちの裏庭まで来るよ。当たり前だが
当たり前なのは、この方達の頭の中でだけだと思う。
クマの駆除を行政の「負担」とするのではなく、経済的インセンティブによって能動的に解決される「市場」として設計するのである。
すなわち、行政が危険な害獣に対して懸賞金を設定する「ハンター制度」の導入である。
行政は、クマの出没情報、危険度、狩猟環境に基づき、対象個体に公的な懸賞金を設定する。
猟銃免許保持者であることは前提として、既存の猟友会とは別枠の、高度な専門職として「認定ハンター」を登録する。
現状、我々の社会には半グレやトクリュウなど、既存の労働市場から逸脱し、短期的な高額報酬のためなら法的な禁忌や生命の危険すら厭わない、命知らずの荒くれ者が一定数存在することが確認されている。
合法的に高額な報酬が保証されていれば、彼らは合理的判断においてこの市場に参入することが予想される。
ハンター制度は、社会の脅威となる潜在的リスク人材を、社会的に有用な方向へ転換させる受け皿となる。
被害が多発する地域の中心部や道の駅などに、ハンターたちが集う物理的な「場」を提供する。
荒くれ者たちが集い、酒を酌み交わしながら情報交換を行う場となり、狩猟のための情報がハンター同士で自然に交換されるようになる。
また、ソロでの活動が困難な高難度な狩猟には、パーティの編成を促す場として機能する。
奈良市民の皆さん、ほんまに先見の明あるわ。7月の市議選でへずまりゅう氏が3位で当選したニュース、見た? 過去に泡沫候補で惨敗続きやったのに、今回は8320票も集めての快挙。
ネットでは「世も末」みたいな声もあったけど、俺は正反対に思う。奈良の未来を本気で考えたら、へずま氏みたいな人が必要なんやで。今日はその辺、独り言みたいに書いてみるわ。
まず、奈良市って、もう観光客を必要としてないんちゃう? 東大寺や春日大社、奈良公園の鹿さんたちで世界遺産の街としてブランドは確立してる。毎年数百万人の観光客が来て、経済回ってるのはわかるけど、ぶっちゃけそれ以上増えても嬉しくない。街のあちこちで混雑して、地元民の生活が圧迫される一方。鹿の餌やりでさえ、観光客のマナー乱れで問題山積み。へずま氏が選挙で訴えてた「鹿の保護」も、そういう文脈でめっちゃ響くはず。奈良はもう「観光依存」から卒業して、地元中心の持続可能な街へシフトするタイミングや。市民がへずま氏を選んだのは、そんな「もうええ加減にせえ」って声の表れやろ。で、次に奈良の目指す方向性として、コンパクトシティモデルがぴったりハマると思うわ。奈良は古都の中心部に文化遺産が凝縮されてるから、無理に街を広げず、限られたエリアを高密度で活かすのが理想。コンパクトシティって、要は「小さくても賢く」運営するってこと。東京や大阪みたいにデカデカ広がる必要ないし、むしろそれが奈良の強み。観光客がドバドバ来て街を埋め尽くすんじゃなく、地元住民の生活圏を優先した街づくり。へずま氏の当選は、そんなモデルを後押しするシグナルや。過去の選挙で支持されへんかったのも、市民がまだ「観光ブーム」に酔ってただけかも。
今は違う。コンパクトに、質の高い街を目指す機運が高まってる。ここでちょっと具体的に、奈良の理想的な観光モデルを想像してみる。エベレストのシェルパモデル知ってる? ネパールのあの過酷な登山ルートで、観光客(登山者)は必ず地元シェルパのガイドを同伴せなあかん。しかも、1日最大数十人しか許可されへん。理由は環境保護と安全のため。一人ひとりが高額(1000万以上かかるらしい)払って、質の高い体験をする。奈良に応用したらどうなるか。東大寺周辺や奈良公園を「聖域」として、予約制でガイド付きの超限定ツアーだけ許可。1日数十人、1人あたり高額料金で、地元ガイドが鹿の生態や歴史を深く語る。混雑ゼロ、ゴミゼロ、鹿もストレスフリー。残りの街は地元民の静かな日常空間に。こんなん、めっちゃエコで儲かるやん。観光収入は減るかもやけど、質が上がって長期的に持続可能。奈良みたいな歴史都市にこそ、必要なモデルやで。んで、ここが本題。へずま市議は、まさにこの「コンパクト観光シティ」の理想的な体現者ちゃうか。氏の活動見てると、いつも「本質」に切り込んでる感じがする。鹿の保護訴えとか、観光の乱れに対する指摘とか、地元目線で街を守ろうとしてる。過去のイメージで叩かれるけど、当選した今は市議として真剣。SNSで100万フォロワー抱えてるのも強みで、全国に奈良の新しい魅力を発信できる。コンパクトモデルで観光を絞るなら、へずま氏みたいな「ガイド役」がキーになる。市民が選んだのは、そういう先見性やろ。リコール騒ぎとかあるみたいやけど、それも街の議論を活発化させてる証拠。奈良はへずま氏のおかげで、もっと面白くなるで。まとめると、奈良市民の選択は天才的。観光客いっぱい来て喜ぶ時代は終わった。コンパクトシティで、シェルパみたいな高級制限モデルへシフト。へずま市議はその旗振り役。俺も奈良行きたくなってきたわ。みんな、どう思う?
本部留置の主任官は当時は、石井と橋本、 居室点検連行します、の際は、 まるで受刑者のように顔色が死んでいたのが主任官だ
毎日つまらない空間だった。 警視庁の立ち番は男がしている。男の職員は臨機応変に女の仕事に切り替えられないのではないか
という疑いがある。裁判所はほとんど女の奴で動いている。悪辣だから自殺してそのときだけ男になれるように鍛えている奴もいるがその悪質性は既に極大化しており
中心部分にはおぞましい怪物がある。 内張塗装部に頭をつけないこと、分からないことは警察官に尋ねること。
今日君たちが過ごす部屋は分散室といいます。 分散室で大声を出していきがっているようにしかみえないのでね、そういうことは、部屋に帰って仲間内でやってくれればいいのでね
ここでやってもいきがっているようにみえるだけで回りは迷惑だからね、という。 新宿72番は昼飯を食べ終わると、なめくじのように首を横にしてそのまま寝てしまう。
盛岡から北に行くには2通りのルートがあることは八幡平市のエントリで書いた。青森方面に行くのにどちらを通るべきかは過去にいろいろなことがあって、鉄道は東寄りのルートを通って八戸回り、高速道路は西寄りのルートを通って弘前回りのルートを主に通っている。今回国道4号は盛岡から少し北に行ったところで鉄道(東北線)寄りのルートを通るのだけど、つまりこれは高速道路経由では微妙に不便な場所があるということでもある。
その最たる場所が岩手町。県名と郡名と町名に全て岩手が入るということを売りにしている町である。鉄オタにはこの名前よりも東北新幹線乗降客数ワーストを誇る"いわて沼宮内駅"の方でおなじみかもしれない。まあこの町の観光資源の8割はこの駅近辺にある。駅から20分ほど北に歩いた4号沿い、石神の丘美術館がまあ観光中心部。一言で言えば箱根彫刻の森の類似施設(開館当初は密接な関係もあった)なのだが、現在は独自路線を歩んでいて花畑等も多いので特に初夏が見どころ。あと真下を新幹線が通るところが個人的にはお勧め。ここは道の駅に併設されていて(道の駅を後から作った)、来る人は道の駅に停めることになるけれど、有料入場がもったいないと思う向きは入口を反対側に登ったところにある彫刻公園にも石彫の彫刻が山程飾ってあるので無料のそちらを見ることも出来る。というか両方見るべきかと。
4号を北上するとき沼宮内に行く前のところに川原新田ドライブインという施設がある。斜向かいのパチンコ屋に関連の深い施設ではあるのだけど、ここが古き良きドライブインの雰囲気を残しているので食事をしたければここに寄るのもいい。さらに沼宮内を越えて北上すると北上川の源流にたどり着く。ここは少し前に川の駅として整備されたので車を停めやすい。源流だし国道4号からは少し外れるけれどそこまで山奥ではなく行きやすい。
岩手町の名物はキャベツとホルモン鍋なんだが、キャベツはともかく、ホルモン鍋は肉屋が持ち帰りの肉として売っているばかりでここで食べるのは難しい。調べたら定食として提供している店が1軒見つかったが、自分も現地で食べたことはない。
岩手町の沼宮内の北の端から国道281号を入ると葛巻町にたどり着く。これが久慈市へのルートで安全だがお勧めしない、と説明した葛巻経由ルートだ。推す観光地はあまりない(いちおう平庭高原という観光地はあるが関東近辺から比べると施設は何もないに等しい)。ただ、くずまきワインは赤ワインの中に山ブドウを原料にしたものがあって、これは少し珍しいかもしれない(白とロゼは山ブドウから作ってないし、赤ワインの中にも山ブドウの混合だったりブドウが原料のものも多い)。
さらに北上すると一戸町に入る。南から入って一番最初に着くのは奥中山で、ここは盛岡市民にとって最も近いミニストップがある場所だったのだが閉店して随分経つ。少し先に行くと奥中山高原駅があり、この辺が奥中山地区の中心であり、カフェもいくつか存在する。観光の中心はここから西に登った奥中山高原スキー場で、もちろん歩くには遠いが車なら10分かからない。春から秋にも釣り堀と温泉が楽しめる。さらにここからもう少し奥に行くと"いわて子供の森"という児童施設があって県内の子連れには大好評の場所なのだが、たぶん観光で県外から来た人が楽しい場所ではない。
奥中山は峠の山頂にあるような場所で、ここから北上するとずっと下り坂である。途中に"雅"というドライブインがあり、ここの評判も非常にいい。自分も2度ほど利用したことがある。さらに下ると無人駅小繋駅があって、ここは映画"待合室"のモデルになった駅であり今でもそのきっかけとなったノートは置かれているらしい。さらに下ると小鳥谷駅。ここは映画"星屑の町"のロケ地だが、この近辺の見どころはここよりもその手前を曲がったところにある藤島のフジ。大きな藤棚で、花の見頃はだいたい5月。この時期には車でけっこう混雑するが、せいぜい岩手なりの混雑なのでそこまで心配しなくていい。その少し北には世界遺産を構成する御所野遺跡がある。たぶん皆が歴史で習ったのとは違う形の竪穴住居が屋外に展示してある他、奥の方には博物館もある。ここは是非ガイドツアーに参加して欲しい。春から秋なら土日祝およそ1時間毎に1度、無料で参加可能(それ以外の季節、時間帯は要予約+有料)。ここから一戸の市街地まではすぐそこ。そして市街地の北の端で国道4号は八戸自動車道と交差し、一戸ICがある。
旧浄法寺町へ一戸から行くにはさらに北の鳥越近辺から県道に入るのが一般道ルートだが、八戸自動車道経由で行くほうが絶対に楽である。ここには東北で最も古い寺である天台寺があり、浄法寺の観光資源の半分はここの住職だった瀬戸内寂聴絡みである。残りの半分が漆器・浄法寺塗で、これらの多くが天台寺に向かう道路沿いにある(瀬戸内寂聴絡みは少し離れたところの温浴施設と、浄法寺の役場の2階にもある)。
一戸から二戸市には2つのルートがあり、1つは素直に4号を北上する方法、もう1つは末の松山トンネルを通過する方法で、個人的には後者のルートが好きなのだが4号を北上したほうが格段にわかりやすい。このルートのせいで二戸は地の果てにありそうな印象を持つが、むしろこの近辺で最も大きいのが二戸市であり、平成の大合併の時には浄法寺を合併して二戸市として存続している。ただ、二戸駅で降りた人は二戸の何もなさに気がつくと思う。正直、二戸駅は二戸の市街地から2kmほど離れている。
二戸の観光地として最初にあがるのは馬仙峡である。市街地の南端にある夫婦岩を望む渓谷的な場所で、この夫婦岩のそばには二戸市を望む展望台があるが川沿いの公園から見たほうが断然いい。さらに言えばこの公園は桜の名所でもある。この公園のそば、と言いつつあんまり隣でないところに南部せんべいの小松製菓の工場があり、蕎麦屋とチョコレート工場、お土産店が併設されていて二戸の新たな観光地になっている。まあ個人的にはここのそばにあるドライブイン的な食堂、レストパーク馬渕川のほうが先に訪ねたほうがいい気もしているけれど。この南部せんべい店だけでなく二戸にはいくつか代表的な企業がまだまだ頑張っていて、それらはだいたい市内中心部にある。まずは南部美人。酒造会社で、コロナ渦の時には酒から消毒用アルコールを作って提供したことでも話題になった。ここは酒蔵見学に一味加えていて、要予約だが酒造りのコスプレ込みで記念写真のラベル込みのコースを提供している。もう1つはあべはん。たぶん聞いたことがないと思うが鶏肉の生産をグループで行っていて、やっぱり直営店が市内にある。もちろん鶏製品を買ってもいいのだが、ここで買うべきなのは実はお菓子チーズピッコロだ。二戸市民自慢の銘菓だったのだが今年始めに作っていた洋菓子店が閉業してなくなったのをこの会社が引き継いだのだ。
ソウルフード的なものはまだある。盛岡の福田パンと似た立ち位置のパンとして丹市パンというのが存在し、福田パンが盛岡の高校時代の思い出商品となっているようにこちらのパンは二戸の学生の思い出商品となっている。パンの風味は若干異なるが切り開いた間に種々のクリームを挟む形式で、個人的にはカレーが一番お勧めなのだがないときもしばしばある。たぶん一番の問題はここが学生の多く集う店ということで、駐車場が狭いので車で来るときは注意が必要。本当ならもっとソウルフードな店が二戸にはあった。どちらも"きんじ"という名前で、1つは市街地にあったラーメン店、もう1つは駅前にあった蕎麦屋だが、どちらも既に閉業している。ただ新しい店もしっかりあって、最近駅前から市街地に移転したフランス料理のボヌールとそれより前から市街地にあったイタリア料理のフルハウスはどちらもおすすめ。
市街地を北に外れてもう少し北に行くと金田一温泉がある。いくつもの宿があるなか最も有名なのは座敷わらしがいるという噂の緑風荘だと思う。以前は予約がないと泊まれなかった(そして予約が取れなかった)座敷わらしの間こと槐の間は、現在は共用スペースになっていて宿泊者は誰でも深夜に入ることが可能になっている。まあ、これは好きな人は、といった感じで。昼間だけだがここは日帰り入浴もやっている、というか金田一温泉は日帰り入浴受け付けている宿がけっこうある。
一戸ICから1つ先のICが九戸ICであり、九戸村の入口の1つである。ここの話は久慈への経路について書いた時に少しだけ書いた。葛巻町、(旧)山形村、軽米町に向かう結節点となる村である。ここの一番の見どころは、二戸の見どころとも言える折爪岳。車で頂上まで登ることが出来て、ここからの眺めが抜群。以前はここまで登ればAFNを聞くことも出来た。さらに7月にはヒメボタルの鑑賞会(要予約・有料)も開かれる。
九戸ICからさらに1つ先が軽米IC。軽米町の入口の1つである。ここの観光資源と言えば以前はフォリストパークという花畑だった(過去形で書いているが今でもしっかり営業している)。最近ここが注目されているのは、マンガハイキュー!!の背景にこの町の市街地の建物が多数採用されていることにある。このこともあって軽米町は軽米高校の文化祭の日(今年は10/18)に合わせて町民体育館を荷物置き場兼コスプレ着替え場所兼バレーボール体験場として解放するくらいのことになっている(なおシューズは持参・ただしバレー技術を磨く必要はないとのこと)。
21時ごろ都内中心部、バイクに乗った男が自転車(ロードバイク)を後ろから身体で突き飛ばして転倒させ、その後も恐喝暴行し続けるという事象が発生した。
事件・事故認定はされなかった。小競り合いとして処理されるらしい......
tl;dr
0. 都心の夜道、後方から、クラクションとライトで煽られた。サムダウンを返してしまった。「おいこらぁ」「止まれやカス」と叫ぶのでまずいと思って左折すると、直進車線から無理やり左折して追い立てられ、追い抜きざまに腕または足で突き飛ばされて、植樹帯へ転倒させられた。
一方的に恐喝と暴力を受けた。110したらiPhoneを取り上げられて割られた。道行く人は見て見ぬふりをして逃げ去った。稀に警察に連絡しようとしてくれる人もいたが、加害者側がそうした周囲にも脅しをかけたり追い回して、女性警官が来て間に入ったのは10分以上過ぎてのことだった。
さらに5分後に男性警官が来て、それぞれの事情聴取を行い、さらに3名ほど交番員が駆けつけた。
交番職員に代わって交通課の男性3名、現場鑑識に来たが、車体接触の物的証拠は認められなかった。
ハンドルについた植樹帯の土などから、直進中に急に何かの力で左に切って植樹帯へ転倒したのは明らかだった。「勝手に転んだ」わけがない。
当時の流れる車のドラレコになら突き飛ばしの瞬間が収まっているはずだが、誰も戻って提出などしてくれない。警察も捜してはくれない。現場に残ってくれた証人の男性から証言をもらえるはずだった。......ところが女性警官が早々に話も聞かずに帰してしまった。
夜は都心の監視カメラでも証拠レベルの映像が残らないようだった。
流血を含む怪我をしなかったことも、不幸だったかもしれない。怪我はそれ自体が暴力の証拠になり得たのに......
2. それでも、警察が何かを解決してくれると思った。縋っていた。
警察からは同じ説明を何度も求められた。それはいい。事故状況を確定させるためかもしれない。けど、
「あなたはどうしたいんですか?」
「あなたが何か悪いことをしたから起きたんですよね?まずは相手に反省を伝えなさい」
こう繰り返し脳裏に焼き付けるように説教調で事勿れ的に言われるのがショックだった。
自転車はチェーンが外れハンドルが損傷し、iPhoneにもヒビが入った。叶うなら弁償や補償を求めたい......いや、ただ謝罪が欲しい。
しかし続く言葉は「我々は何もできませんので当事者間で話し合って解決してください。連絡先交換の仲介ぐらいはします」
たった今襲われ、ひたすらに暴力を振われた男と、どう話し合えば解決に向かうんだ?
3. 轢き逃げと思ってバイクのナンバーを動画撮影したかったが、スマホは奪われ、しかしその始終が動画として残った。警官に見せたら「肖像権であなたが訴えられる」「相手を煽るような真似はするな」
転倒で植樹帯の植物が潰れたり道に枝葉が飛び散っていたから、その様子だけでも(証拠写真になるかもと)撮ろうとした。
男は外せない用があるからと戻ってくる条件で現場を離れていた(自転車側はずっと立ちっぱなしで尋問されっぱなし、夜の予定もキャンセルしたが......)
「どう解決したいですか?」
男がそろそろ戻ってくるので立ち会いますか?と告げられ、このまま再び顔も見たくないと思った。帰りたい、そう返した。
警官8人出張ってきて喧嘩仲裁の始末書で終わり(税金......)。
特に交番から来た巡査部長なる中年には常に敵対されて辛かった。再現を求められて演じてたら「おい何勝手な事してる」とか。交通課の坊主頭が諌めてくれて助かった。交通課のおじいちゃんも終始「お前が悪い」一辺倒でうんざりしてたけど、最後だけ「本当は暴行を認めさせたいんだろう?」とか寄り添いだして、ああもう
北があと2,3エントリ書くくらい残っているが、先に西和賀について紹介しておく。
岩手はいちおう全域が豪雪地帯に指定されているけれど、それほど雪は降らない。まあこれは"隣県と比べて"ということに過ぎないので過信は禁物ではある(冬場スタッドレスタイヤがなければ死ぬのはマンガにも描かれた通り)けれども、その中でも西和賀は例外にあたりそうなくらいの超豪雪地帯。どうもこの辺が奥羽山脈で微妙に標高が低いのか、日本海側の雪が山を越えてこっちにまで届くのね。これは西和賀を越えて少し東にある北上くらいまでは達するので、冬場に新幹線に乗っていると北上近辺だけ白くなっている光景を見ることが出来る。まあ今回は春~秋シーズンでの観光お勧めなので雪の話はこれ以上はしない。
西和賀町で観光と言えばまあ旧湯田町地域に点在している温泉がまずは観光の対象かと思う。おそらく一番有名なのはJR北上線の入替駅であるほっとゆだ駅に隣接する温泉かと。湯船の隣に鉄道信号機が設置してあって、列車の到着が近づくと点灯するという話は旅番組で数限りなく擦られてきたので知っている人もそれなりにいると思う。温泉の分布としてもここの温泉が町内のほぼ中心に位置していて、この北部と南部、そして西部にいくつもの温泉旅館が点在している(東部にあった"穴ゆっこ"という温泉は3年ほど前に閉館した)。多くの旅館は日帰り入浴にも対応しているので、宿泊しなくても多くの温泉を体験することが可能である。よくテレビで紹介されるのは北の方にある砂ゆっこと呼ばれる砂風呂。個人的には西の県境近くにある巣郷温泉が特徴的な泉質(好みはけっこう分かれる)で好きなのでお勧めしたい。なお一番大きい温泉街は少し北にある湯本温泉で昔はここにストリップ劇場もあるくらいのコテコテの温泉街だったのだけど、もちろんこの施設も10年以上前に閉館して跡形も残っていない。湯本温泉はそれよりも激安で有名なスーパーオセンでたぶん有名。このスーパーはNHKのドキュメント72時間で密着されたりもした。
西和賀の北側、沢内は近世から近代にかけて歴史的には重要な場所ではあるのだけど、そういうのを知れる施設はあんまりない。中心部(というほど繁華街でもないけど)にはなぜか寺が3軒まとまって建っているところがあって、その中の一番北の寺(碧祥寺)に個人博物館が民具をたくさん集めていて見どころになっていて、さらにそこの駐車場としても利用できる向かいのドライブインの名前がおよねであることに歴史がうかがい知れるくらいか。一番南の寺(玉泉寺)は本堂の裏の山道も参道化していて山登りと一緒に信仰も深められるのだけど、最近は熊の出没も多いので最近の観光地としてはあんまり勧められない。さらに北の方には岩手で一番古い地ビールである銀河高原ビールが建てた工場とリゾートホテルがあったんだが、ビール蔵はブランドごと沖縄の会社に身売りして現在では非公開だし、ホテルも閉業している。
サブカル的には六三四の剣の合宿地がこの近辺で、"ほっとゆだ"から湯本温泉に向かう時に必ず通る鉄橋は合宿でランニングをする扉絵の場所として使われたことがある。その他これは噂だがワシャエ森(鷲合森)という地名がこの近辺にあるところから、三田紀房の出世作"クロカン"の舞台となった鷲の森高校のモデルはこの地域に唯一ある高校ではないかと囁かれたことがある(最近までこの高校は地方大会1回戦負けの常連として知られていたが最近それを覆す成績をあげている)。
日帰りで行く場所ではないが、この地域の県境には北東北で最も登るのが難しい山とも言われる和賀岳がある。これはNHK BSのグレートトラバースで2度ほど紹介された。
住田町の種山ヶ原から国道397号をちょっと西に行くと奥州市に入る。まあ奥州市観光にこのルートを取る人はたぶんほとんどいない。通る人がいたとしても帰り道だ。奥州市は水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村が合併して出来た自治体で、大抵は花巻・北上方面から南下するか、一関・平泉方面から北上して入ってくる。
5つの市町村が合併しているけど、まあ中心部は水沢、それから江刺という感じ。この中でもこのへんは盛岡に負けず劣らずの"偉人の産地"ということをPRしていて、実は奥州市には偉人の記念館が山程あるという特徴がある。問題はその偉人が"その分野を知っている人には有名"くらいの有名人であるところで、なので不特定多数の人にはお勧めしづらいのだ。一応記念館のある人の名前を挙げておくと、高野長英(幕末の蘭学者)、斎藤實(2.26事件で暗殺)、後藤新平(台湾開発で活躍)、菊田一夫("君の名は"の作者)、木村榮(Z項の発見)、佐々木精治郎(パステル画の巨匠)と言った感じ。だいたいこの名前で検索すればどの記念館に行けばいいかはわかるし、この名前で分かる人はたぶん最初からそれ目的で来るはずなのでここでおすすめするまでもない。まあもしかして検索で分からないかもしれないということで、木村榮がらみの場所だけ紹介しておく。水沢には緯度観測所という国立天文台の中では最も古く現存する観測所があって(現在は名前が少し変わっている)、そこの旧館を記念館奥州宇宙遊学館として公開している。で、実はここは宮沢賢治絡みの施設でもあるという話もあったり。
あ、誰でも知ってる有名人1人増えたね。大谷翔平。彼は水沢の出身で、毎月17日は市役所の人たちが全員17背番号のシャツ着て仕事してる。本人の手から肩を取って真鍮で作った実物大の握手できる手が市役所ともう1ヶ所に常設している(時々イベントで出稼ぎに消える)。菊池雄星の話の時にちょっとだけ話した大谷翔平マンホールは水沢江刺駅の駅前にある。さらに彼ゆかりの地は市役所がマップを作って公開しているのでそれを見て周るといい。
水沢についてはあと2つ紹介しておかないといけないものがある。1つは南部鉄器。日本の北部なのになんで南部鉄器なのか、しかもここは南部藩じゃなくて伊達藩なのに、という謎には回答があるのだが、それは忘れて南部鉄器を探すといい。水沢の南部鉄器は手頃に買えるものが多いし、そもそも明日明後日は奥州市南部鉄器まつりで即売会も行われる。第二会場は新幹線水沢江刺駅のそばにあるし第一会場の周りには駐車場も多いので存分に見るといいと思う。この"周辺に駐車場が多い"はちょっとした伏線で、もう1つの水沢で紹介すべき施設水沢競馬場には駐車場が存在しない。競馬場自ら「車で来る場合は近隣の私設駐車場を利用してください」と案内するくらい。まあこの駐車場思ったよりも安いのであんまりこだわらないで使えばいい。おそらく水沢競馬場は日本で一番ひなびた競馬場で、でも季節の関係もあって岩手競馬はこっちでの開催のほうが盛岡競馬場よりも断然多いという、よく使われている競馬場でもある。そしてこの競馬場、桜の名所でもある。競馬場の向正面に桜並木があって、これが桜の季節だけ一般公開されて入ってお花見を楽しむことが出来る(カラオケは禁止)ので、4月中旬に岩手に来る場合はこれを検討するのもあり。
江刺はえさし藤原の郷という施設がまあ一番の観光地。ここは戦国時代より前の時代劇では頻繁にロケ地に使われるので、大河ドラマのロケ地巡りをしている人にはまあ必見ではある。それ以外には市街地中心部に蔵を保存利用した蔵まちモールというショッピングモール街があって歩くだけでも楽しい。サブカル的には江刺にはテクノワールドというゲームセンターが生き残っている。情報発信頑張ってるけど、結局インカムがなければどうにもならないので言ってコインを入れて遊んで欲しい。
胆沢は、実は胆沢ダムが微妙に注目されている。まあこの夏貯水量が少なすぎた、ってところで注目されたやつなので別に見に行かなくてもいい。それよりもその下流にある円筒分水工。こっちがたぶん大事。この辺は水争いで揉めた歴史があるところで、それを避けるために丸い筒の中から水を出して、その丸を等分に割って水が計算通りに分配できるようにしたという、その設備が今でも残っている。これは見ておいたほうがいい。
前沢は、その名の通り前沢牛が有名で、牛の博物館がなかなか見応えがある。まあ大体の人は「どうせ牛だろ」とたかをくくって見に来るからその落差ですごく見える、という点はあるかもしれない。前沢牛を買って帰りたいなら牧場直営店の「おがた精肉店」で買えばいい。実はこの牧場、前沢牛のほかに小形牧場牛というほぼ同じようなブランド牛を飼っていて、こっちの肉は前沢牛より5%くらい安かったりする。たぶん大抵の人はこの5%の味の差はわからないと思うので配る用はこっちでいいと思うのだけど、よく考えたら生肉をお土産に配るってそんなにやらないね。
前沢牛をその場で食べたいなら、このおがたが前沢の駅前で焼肉店をやっているのでここで食べられる。そう言えば食べるもの何も紹介してなかったね。胆沢ダムはダムそのものよりも胆沢ダムカレーがあちこちで展開されている。江刺はミートショップ小野寺の唐揚げ(チューリップ)の評判がいい。水沢といえば焼肉龍園なんだけど、ここはグルメ番組で擦られすぎて最近は予約でいっぱいらしい。
あ、衣川について説明していなかった。衣川は岩手初の落語真打・桂枝太郎の出身地。別に彼の生家が記念館になっているということはないんだけど、平泉前沢インターを降りる時に城が見えて、これは彼が地元に落語を定着させようと有名落語家を山程呼んだ落語会をやったホテルの跡地。そのうち再活用されるらしいのでその時に見に行くといいかも。あと、ここの"大森"地区がマンガ"リトル・フォレスト"の舞台"小森"となった関係で、公開後にロケ地巡りをする人がそれなりにいた。