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2025-01-25

ガンダム10感想

今日は「機動戦士ガンダム」の10話まで。ガルマ死んだあたり。

いや思うんだけど、ガルマは結婚したいならジオン辞めるべきだったのでは?だって手柄たてたところで相手父親ジオン嫌いの奴でしょう?

まあ、本人にとってはあん重要ではなかったのかな。

ジークアクスで除隊したのはもしかして結婚の為なら、ようやくお坊ちゃんから抜けれたことになるね。

て言うか、最後通信、下手にあんなこと言わない方がいいのではシャア。聴かれてたらヤバいちゃうん?

て言うか、避難民を下ろすと言う理由ジオン軍に油断させといて輸送機出して中にガンダム居るとかなかなか姑息なことやるね~ブライトさん。

よくこれ見破れるなシャア

 

て言うか、シングルマザーと偵察のジオン兵のやり取り。なんか戦場での人情劇かと思ってたら、最後にその何もない荒野目的地だったとか…なんかやりきれない感。

2025-01-24

坊ちゃん過ぎる

まあ確かに国民アイドルで30年間誰からチヤホヤされてたでしょう。

しか国民総スカンしただけで速攻で芸能辞めますは流石に坊ちゃん過ぎるだろと思った。逃げただけで何も自体解決してないのも含めて。メンタル弱すぎだろ

2025-01-18

anond:20250118182315

現代平等と思える程度には恵まれた家庭に育ったんだろ?

明治に生まれてもそこそこいいとこの坊ちゃんだろうから期待するだけ無駄だぞ。

2025-01-10

「お坊さん」と「お坊ちゃん

敬称が違うだけで、指す対象がまるごと変わっちまう

「お坊さん」と「お坊ちゃん

敬称が違うだけで、指す対象がまるごと変わっちまう

2025-01-07

伝説の負けヒロイン「エマ」エレノアちゃん

森薫の「乙嫁語り」を久々に読んだんだけど、アミルの兄アゼル結婚してた。パリヤさんにも結婚相手が見付かってめでたい限り。しかロシアの影が不穏だな…

スミスタラスさんは再会できて、すっかりカップルになっていたけれど、この二人のビジュアルって「エマ」主人公カップルそっくりなんだな。眼鏡をかけているのは男の方だけど。

この二人が割とスムーズ成就したのは「エマ」リベンジなのかなぁって思った。

「エマ」の方は、エレノアちゃん存在があまり悲惨過ぎた。

エレノアちゃんはいわゆる負けヒロインウィリアムに惹かれ、彼と婚約するけれど、エマを忘れられないウィリアムによって破棄され、心を病んだままで本編の最終回を迎える。

主人公ウィリアムじゃなくてあくまエマの方で、メイドとお坊ちゃん恋物語テーマなんだからエレノアちゃんに一片の勝ち目もなく。

普通、こういう話で恋敵となり得る婚約者って親が無理矢理決めただとか、当人高飛車性格の悪い令嬢だったりするものだけど、エレノアちゃんはあまり普通に良い子だった…それが辛かった…。

エレノアちゃんは父である子爵高慢冷徹人物で、婚約破棄された娘を冷たく見捨てたのも悲惨。姉はエレノアちゃんを溺愛していたけれど所詮は既に他所に嫁いだ身なのでできる事もなく。

番外編で恋人候補になり得る優しい男性出会って終わるという点では良かったんだけど、それまでの過程がなー…っていう。

スミスタラスさんはどうかこういう負けヒロイン存在を作らず、普通幸せであってくれ。

2025-01-06

なんで俺は国家資格を取ろうと焦っているのだろう

ある資格は取った。

仕事上の惰性で取れたとも言える。

多分その上の資格だって取ろうとすれば取れる。必要なのはちゃんとした勉強だけ。

それが一番むずいか

また、それ以外の分野の国家資格も取るべきか悩んでいる。

遠いようで普通に持っていたら助かりそうな資格、そんなのを取ろうとしている。

でも、今になって、何故?

 

FLASHで楽しんでた頃はこんなこと考えてはなかったのに。

金銭的に多少の余裕ができたから…?

別にその程度の資格取ってから生きてた方が年収的にもプラスになったのに。

多分、原因は謎の焦りだ。

このまま独身で生きていくという焦りは当然あるが、何者でもないという焦りは常に自分の心の片隅にある。

一番の自己主張をしてステージの上で発狂してしまえばその焦燥感も消えて心の中で「お前は唯一無二だぜ!」と叫ぶ俺が生まれるのだろうけど、それをする予定もない。

国家資格を取って、「あ、俺その資格持ってるっスよ」でお茶を濁す人間になりたいのか。

多分、そうだ。

あの頃憧れた謎の探偵みたいなものだ。アイツら本当になんであの歳から探偵が出来たんだろう。

ああそうだ、あの頃現れた謎の探偵に胸焦がれていたんだ。

何故か人探しが上手くて、何故か女にモテてて、何故かちっちゃい車に乗ってて、何故かいろんな技術を持ってる、あんな感じの探偵とか、冒険家かになりたかったんだろう。

まぁ実状は何者にもなれなかったお坊ちゃんがその学力の高さだけで選べた職業がそれだった、とかなんだろうけど。

ああそれでも、焦がれたなぁ。憧れてたんだ、アレに。

 

とはいえ今は仕事上取れた人に優しくする資格だけしか持っていない。

免許オートマ限定

焦っても仕方がないのは理解している。

それでも、それでも一ミリでも前に進ませなきゃいけないのが人生から

明日も俺は無駄に焦燥しているのだろう。

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

2024-12-29

スープストックといえば

テラスハウス東京編は木村花自殺に追い込まれた原因として有名になってしまった番組

木村花がああなるから色々番組側と出演側で軋轢があった

出演者に香織という人がいた

新進気鋭のイラストレーターで、オタク系ではなくオシャレ雑誌に載っているタイプ

港区まれガチお嬢様である

テラスハウスは男女6人の同居というテイで進むリアリティ番組だが、実際には一部のニートフリーターなどは豪邸を楽しむために本当に住み込んでいたりするが、ほとんどの人は収録日にだけ通ってくる

香織は通い組であり、けっこうそのことをSNSポロポロ漏らす

というかガチ富豪お嬢様の香織にとっては話題作りのためにテラスハウスに出されたこ自体不本意で、「よくわからない男たちと本当に同居なんかしてないからね!」と知人友人らに表明したかったのだろう

番組中で香織は、俳優の卵である翔平という男と恋愛っぽくなる

でも香織のSNSをじっくり見ればわかるのだが、香織には長い付き合いの婚約者がおり、その相手スープストック創業者のイトコのやはり上級国民の男である

番組収録中は忙しいからと香織は飼い犬を婚約者に預けており、その飼い犬の写真をはじめ、二人はテラスハウス進行の裏で「番組なんか嘘っぱちで僕らは愛し合ってます」というSNSでのコソコソした表明を絶やさなかった

金持ち子息令嬢同士で婚約済みでそのことを隠してもいないが、番組では翔平とラブっぽいことをやってた方がカメラによく映してもらえるから演技してるだけだった

そんなことはリアリティショーにはありがちなのだろうが、番組MC山里亮太は「ネット婚約者がいると噂になってる」とテラスハウスのサブ番組のようなYouTubeチャンネルバラした

婚約者の男はブチギレてインスタで山里への抗議表明をした

金持ち坊ちゃんは、婚約者低俗番組に出てしまうのをただでさえ苦慮していたのに、許可なく自分まで晒し者にされて怒り金剛だった

それが影響してか香織はほどなくしてテラスハウスから卒業

その数シーズンからテラスハウスは「カメラの前ではいい格好してる演者の性根を暴く」路線になっていた

SNSの発達で、暇人勝手に調べて番組側に垂れ込むことも増えたのだろう

テラスハウスに出たから売れた人もいたが、出てしまって番組ゴシップまみれにされたせいで芸能活動絶たれた人もいた

出たがる人がいくらでもいるからって暴いて燃やして使い潰すサイクルが完成しちゃってた

2024-12-19

anond:20241218221153

うそれがダサいんやって

本当に坊ちゃんパンクというかリベラルパンクというか

「みんなに褒めてもらえる逸脱」ばっかりやんけ

「みんなからどう思われるか」からしか動き出せないキョロ充パンクなんよ

   

別の何かを挙げろと言ってる奴がいるから挙げてやると

例えばJKローリングは真のパンク

自国欧米に吹き荒れるトランスムーブメントに「おかしいやろ」つって

一時は子供のように可愛がってたハリーハーマイオニー役のスターからもう公然とディスられて

自分コンテンツ商売しとる奴等に座組から排除されてエンガチョ状態

  

それで何年も何年も自分の信じること曲げずに言い続けて

近年ついに「「トランスジェンダリズムおかしくねーか?」ってなってきて

再度変節してローリングさん御免なさいって戻ってきたやつ大勢おるけど

そんな奴が離れて行こうが戻ってこようがローリングは動揺を見せねえんだ

   

俺が言いたいのはトランスジェンダーがいいかわるいかの話じゃねえよ?

自分の心からの信念で世界にぶつかるならそれを恐れないのがパンクスであって

世間からクール!」 って言われるための議題を選んで安全な反抗や逸脱するのはダサパンクって話よ

 

どうだバンクシーローリングどっちがかっこいい?

バンクシーなんかローリングの爪の垢ほどの価値もねーわ

2024-12-15

タトゥーが嫌いなのはヤクザ家族や親戚をあれされた人が多いか

なんかわかってない世間知らずがいるけど、みんながタトゥー嫌ってるのは刺青入れてるヤクザ迷惑被った経験が実際にあるからだよ

経験ない人は幸せ環境で生きてきたと言うだけで、多くの人はヤクザと関わって生きてきてる

世間知らずなのを誇られても困る

いい年した大人なんだから世の中のことをもっと知るべきだ

いいとこのお坊ちゃんお嬢ちゃんは世の中のこと知らなすぎるんだよ

みんなヤクザがらみでとても嫌な思いをしているし、自殺に追い込まれる人もたくさんいる

日本タトゥーを入れるっていうのは「俺っちヤクザでーす」って宣言してるのと同じだからそりゃ嫌われるわ

2024-11-28

anond:20241128193527

それは「こういう職種が合わなくてきつかったから別の職種へ」とかだろw

愛子さま報道で傷ついたから~チラッチラッ」「男が~チラッチラッ」

が拗ね坊ちゃんの当て付けじゃなければなんなのよw

  

ていうか愛子さま報道で~は面白すぎてバカ女としての才能はあるわ

 

2024-11-22

anond:20241120215220

AKIRAの中身がない」と感じる理由についてもう少し考えてみよう

まず、映画版AKIRAが出てこない

この肩透かし感はすごい

だが鉄雄と金田の物語としては普通に成り立っているし中身がないとはとても言えない

強いて言えば金田側の物語が足りない。これは漫画版も同じである

金田にはなんの葛藤も成長もない。物語主人公としては感情移入しにくい存在である

それを持って中身がない、と感じることはあり得る。

金田キャラクター説明するには自分で言っている通り「健康優良不良少年」という言葉に尽きる。

この特異なキャラクター設定、不良のリーダーなのにお坊ちゃんヘアという奇妙なキャラクター造形

ができた時点で作者は満足し、それ以上金田を掘り下げるつもりがなかったのだろう。

漫画版の序盤で金田幽霊みたいなものが突然現れる伏線らしき描写があるが、

この伏線回収が全くドラマに関わってこないことは大友ドラマを語る気が当初から全くなかった

ということのわかりやすい事例である

なんか使えそうな伏線を配置しといたけど上手く活かせなかった、というだけの気もする。

だとするとやはり大きな物語を作る能力そもそもないということになる。

しかしながら、漫画版AKIRAが登場して東京をもう一度吹っ飛ばすシーンが白眉だ。

ここがおそらく大友が一番やりたかったシーンだろう。

とんでもないカタストロフィ漫画の真ん中で起こす。カタストロフィ以前と以後の群像劇を同じだけのボリュームで描く。

という角度で見ると、AKIRAは非常に完成度が高い漫画に見えてくる。

2024-11-20

「縦の旅行」という素朴な体験主義は、お坊ちゃんちょっとシリアスな気分に浸るためには丁度いい寸法の娯楽でしかないだろう。スラム見物ツアーで何かわかった気になられてもな。

対して、人権意識想像力があればいいというのも文字通り机上の空論だ。

人権ってのは原則でありシステム論であって、そこに倫理道徳丸ごとパッケージされてるというのはただの信仰である

じゃあどうすれば立場の違う人間のことをリアルに思いやったりできるのかというと能動的なコミットメントしかない。

スラムを見物するだけじゃなくてそこで自分で考えて実際に手を動かして人助けしてみればさすがにいろいろわかるだろう。

「それはあまりハードルが高い」のであれば、現実的可能な低いハードル自分で探せばいい。それが本当の「縦の旅行」だ。

2024-10-21

anond:20241020163403

『「坊ちゃん」の時代』は虚実入り混じってると言うより、小説現実が入り混じってるんだよな

実際のエピソードと虚実入り混じってはいるのだろうが、これが正解って事でいいでしょ

2024-10-20

漫画アクション史上、最も重要漫画10


 誰かが今まさに書いてるであろう他の雑誌と被らなそうな所


 漫画アクションは、週刊→休刊→隔週で復刊して発行中、というちょっと特殊な経緯を持った雑誌

 双葉社ピンチになると神風が吹く、とも言われて、その神風でほぼ埋まるんだよね

 一作者一作品しばりではあるが、このしばりが必要ないんだよなあ



  1. ルパン三世(モンキー・パンチ)
  2. 嗚呼!!花の応援団(どおくまん)
  3. がんばれ!!タブチくん!!(いしいひさいち)
  4. 子連れ狼(原作小池一夫漫画小島剛夕)
  5. じゃりン子チエ(はるき悦巳)
  6. かりあげクン(植田まさし)
  7. BARレモン・ハート(古谷三敏)
  8. クレヨンしんちゃん(臼井儀人)
  9. 坊ちゃん」の時代(原作関川夏央漫画谷口ジロー)
  10. この世界の片隅に(こうの史代)



2024-09-26

anond:20240925182241

同性の友達もいなさそう

質問しろっていうのは相手に興味を持ちましょうっていう意味だけどそんなのアスペ気味だと分からないよな

分かったところで相手に興味を持てないんだろお前みたいなやつは、俺もそうだから分かるよ

相手の女がどんな日用品を使っていてどんな飯を食ってるかなんて全然興味がないし聞きたくもないから聞こうって発想が出てこないんだよな

でもお前は名家のお坊ちゃんで無理やりお見合いをさせられて無理やり女をあてがわれているとかじゃなくてヤリモクで自分からチアプしてるんだから

セックスのために「興味のあるふりをする」という対価を支払うのはある程度は了承しないといけないんじゃないか

2024-09-24

anond:20240924124604

10日で書き上げたこからくる疾走感がすごいよな。

盛り下がらないように定期的に山場があるし。

現代人の小説って、作者がキチガイかと思われたくないところからくる常識補正がある。あるいは、これは作者本人と無関係想像上の人物であることを強調する。

坊ちゃんには、それが、ない。

もちろん、今の小説のほうが技巧は優れてる。

純文学大衆文学境界がなかった頃の良さはすっかり失われたよな。

2024-09-23

名門私大が没落するのは心が痛い

聖心とか津田塾とか、昔は早稲田くらい名門だったと思うんだけど、いますごい不人気。

昔の小説描写から感じる雰囲気では。

平成の頃はすでに、平凡な偏差値ではあったけども、今の偏差値40台は哀愁が漂う。

なんとなく、だけど、昭和中期くらいを想像すると、慶應は昔から坊ちゃんというイメージ早稲田庶民。それの女子版が、生粋のいいとこの娘が聖心、田舎小金持ちの娘が津田塾や大妻、それ以下が早稲田、みたいなイメージだったんじゃないかなと想像してる。

卒業生でもなんでもないけど、美智子様も通った大学偏差値40ってなかなか哀愁を感じるよ。

2024-09-08

anond:20240908153527

当時の世論考えたらそれも凄い

クソダサ腰抜けお坊ちゃん扱いで保守層ですらエグいダメだししてたもんなあの頃の安倍ちゃん

どっちかと言えば麻生太郎のほうが世間の後押しでヒトラー化しそうな土壌があった

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する立身出世物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語ありがちな主人公聖人化とはむしろ逆行していた。

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

2024-08-13

英雄伝遊んでたら幻水Ⅱがやりたくなったのでソフトを買っておいて

いざ始めようとPS3に唯一残ってた幻想水滸伝セーブデータインポートしようとしたらできなかった

20時間レベル58なのにな~?と思いつつ仕方がないので幻想水滸伝ソフトも買ってきて起動したら確かに最終決戦前

色々中身を確認したらどうやら雑魚敵を倒してレベル96にする方法を試してたところらしい

インキャラほとんどレベル50行ってるからほぼ無意味だよな…と思いつつも、折角なので引き継げるキャラを何人かレベル上げていくことにした

シーナとスタリオンとバレリアは紋章固定、クソが!

ぜんぜん計画的に進めてなかったので結局適用できたのはフッチローレライメグというよくわからないメンツ

あとは風のつむいだ鎧をハンフリーに装備させたらこれで引継ぎできると思う

まぁ引継ぎする意味って坊ちゃんイベントアイテムコンプ必要なぐらいだけどね

2024-08-10

今45歳くらいの世代って面白いよな

陰キャ陽キャヤンキー育ちもお坊ちゃん育ちもナチュラル言動行動が暴力的ハラスメント気質

あと維新支持と現役のダウンタウン信者がめちゃくちゃ多い

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