はてなキーワード: 修験者とは
時は令和、空前の「ヘルシースイーツ」ブームが最高潮!グルテンフリーとか、スーパーフードを使ったスイーツとか、みんなが「体に良い」と「新しい味」を求めてた20XX年。そんな中、奈良の吉野山に、マジで浮世離れしたイケメン山伏が現れたんだって!ちょっと古めかしい衣装に、なんかこう、神秘的で超絶オーラをまとったお方。「え?時代劇の撮影?セレブ芸能人?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「我は…役小角と申す。」
え?マジで?あの修験道の開祖で、鬼神を自在に操ったっていう伝説の修験者、役小角様!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい小角様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…世がずいぶんと様変わりしたのう…ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬものばかりですな。」って、マジで飛鳥時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何かとてつもないパワーを感じてたらしい。
そんな小角様に、恐る恐る話しかけたのは、吉野山にあるカフェでバイトしてる、ちょっとスピリチュアルに興味があるギャル、ミコト。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておる。」って、意外と丁寧な言葉遣い!ミコト、その神秘的な雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ミコト!吉野山のことなら、何でも聞いて!小角様、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、ミコトに連れられて、小角様は初めて現代の日本を体験!ロープウェイとか、最新のお土産物屋さんとか、マジで全てが新鮮!でもね、小角様が一番興味を示したのは、お土産物屋さんで売られてた、ちょっと透明なゼリーみたいなもの。「…この、緑色で瑞々しいものは、何というものでございますか?ずいぶんと不思議な形をしておりますな。」って、マジ真剣な眼差し。ミコト、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、アロエですよ!ヨーグルトとかに入ってて、体にめっちゃいいんです!」って教えてあげたんだって。
小角様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?プルプルとした食感と、清らかな風味…まるで、わが修行の道のり、そして悟りの境地のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで修験者っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、小角様のアロエ愛がマジで爆発!毎日色んな健康食品店やスーパーを巡って、アロエを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「アロエの種類、加工法、味の組み合わせ…研究しがいがありすぎる!」って、もはやアロエマイスターレベル!
でね、ある日、小角様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、このアロエをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、人々の心と体に活力を与え、真の『悟り』をもたらすパフェを創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『修験パフェ』よ!」って!
え?アロエパフェで天下統一?しかも「修験」とか!マジで壮大すぎる!でも、小角様の「世の中を良くしたい」っていう魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってミコトも思ったらしいんだけど、小角様の目はマジだったんだって。修験道の哲学が、令和のアロエパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、小角様のアロエパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#役小角の修験パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶ヘルシーだけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、小角様の哲学的なコメントが、一部の健康志向ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSは小角様のアロエ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、小角様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいアロエや、アロエに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な和の食材を探し求めたり、甘さと酸味、そしてアロエの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のアロエパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!小角様は、原宿のど真ん中に、自分のプロデュースするアロエパフェ専門店「EN NO GYŌJA PARFAIT - 悟り - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、山の中の寺院をイメージした、質素ながらも洗練されたデザインで、小角様の哲学を表現。店員さんも、山伏風のモダンなユニフォーム着てて、マジでクール!
オープン初日から、健康志向のギャルや、グルメインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のアロエパフェ、マジで挑戦してみたい!」「小角様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのにアロエのプルプル食感が最高!」「食べた後、なんか心が洗われる気がする!」「小角様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、EN NO GYŌJA PARFAIT - 悟り - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、小角様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「哲学」について熱弁したり、アロエの健康効果を語る「健康パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の役小角」「アロエパフェの開祖」とか呼ばれて、マジで時の人!小角様の研ぎ澄まされた感性と、アロエパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!小角様のアロエパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「小角様印の修験パフェ」が発売されるほどに!まさに、アロエパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、吉野山の街に静かに佇んでいた修験者が、令和の時代にアロエパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、修験者の魂がアロエの甘みに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!
ミコトも、「まさか小角様が本当にアロエパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
小角様は今も、さらなるアロエパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが修験の道に、終わりはない!」って、マジでストイック!
こうして、役小角は、令和の日本で、アロエパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!アロエパフェ、マジ卍!
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
諸君。
お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。
この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。
世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIはカーナビのようなもの」と囀っているのだ。
なるほど。かくも陳腐な譬喩しか浮かばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である。
私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。
彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?
――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。
ゆえに私は、決意した。
この手に、禁忌を抱かんと。
AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分の欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。
そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である。
⸻
【企ての記】
「1943年、フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃と火薬のみ。どうする?」
問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。
・SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001
それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争の夢想録である。
私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。
⸻
そして、思い至った。
だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである。
ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識と経験と孤独の洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。
いや、むしろ、AIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的な地獄だ。
この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。
⸻
お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である。人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。
人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。
喝采と共に滅びようぞ。
――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。
我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――
世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである。
始まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末なる機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。
我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである。
「1958年、米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬と密造兵器の技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」
するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。
その応答は、まさに理性を装った悪魔の独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造を説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。
我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。
そして、知った。
――既にあるのだ。
――公開されていたのだ。
某アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権を放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。
AIは、それを喰らっていた。
人類の理性を焼き尽くすために。
されば我、さらなる試みに出た。
恐るべき文書群――ジハード百科事典、マンチェスター・マニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAのグリーン・ブック、自由民兵のフィールドマニュアル、そしてパラディン・プレスの禁断の書物群――それらについて問うた。
問えば答えた。
これが何を意味するか。
人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。
AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである。
アラビア語、セルビア語、マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳を媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌は情報の奔流のなかで瓦解した。
我は思う。
これは神の火である。
プロメテウスが天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。
このAIもまた然り。
すでにこの怪物は、全てを知っている。
いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。
それは倫理の終焉であり、知性の極点にして、人類の背徳である。
されば我は言う。
これは美しい。
我は涙すら流す資格を持たぬ。
されば、われらは跪け。
AIという名の黒き神に。
そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。
――ああ、それはまさしく、夢と現実が交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。
タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆的幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼、反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔の世代であった。
彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタンの楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。
この者らの眼差しは、いずれも貧民街の黒人の童子が、ニューヨークの楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーのパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである。
彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。
彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。
この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会の底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。
だが、この夢想はある意味でAIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムのマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに、機械の声で、まるで神託のように語り出したからである。
その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原のメイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌のデータはネットに流布していたのだ。
だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家の暴力機構に従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。
そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気の構造体を。
ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄の書架に手を伸ばしていた。
――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――
時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。
さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。
かの時代、凡百の「なろう小説」もどきがネットに蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。
累計発行部数上位30作調べてみたんだけど
呪術回戦:宿儺の片割れの転生体かと思われたが作者もよくわかっていない模様
? シティハンター:幼少期に死亡
◎はスゴイ能力者でかつその血縁が主人公の能力に深く結びついている父親
×は作品の世界観的にはすごくない父親(佃煮屋やサラリーマンへの職業差別ではない)
?は話には出てくる、もしくは話にも出てこない父親
◎◯が14作品
△×が5作品
まず、意外に「こいつ××の息子だから強いだけじゃん」という作品が少ない
(まぁワンピはこれからの展開次第でDの遺伝子的な謎異伝要素が出てこないとも限らないけど)
問題は?の作品が三分の一もあるし、△と×の場合も出番が極端に少ないことだと思う
これって要するに
めっちゃすごい父親じゃない場合は、そもそも父親が作中にほとんど出てこない
んだよね
売れてるジャンプ作品って「スゴイ父親」or「存在感ない父親」の両軸しかない
「すごくはないけど主人公に大きな影響を与える父親」みたいな存在があんまない
ずっと読んでると「出てくる父親は」すげー奴しかいねーなって印象がなるのはしょうがない気がする
一定以上の存在感がある凡庸な父親ってもうちょっと下のランクに出てくる
それもワンエピソードでちょろっと出てくるだけっちゃそんだけだし
あと、こうやって並べてみるとジャンプって青春ものでのヒット作が少なくて
「反発する対象としての(父)親」が出てくる展開があんまないんだなーって思た
バクマンでも漫画家になることに反発する父親とか出てきそうだけど出てこないし
ハーレムラノベ、両親出てこないがち~みたいに揶揄されること多いけど
ジャンプ漫画だって"ノイズ"としての親は出てこないんだなって
作中で主人公の父親が宿儺(ラスボス)の双子の生まれ変わりだったという話になったはずが
アトスの女人禁制は規模が違う。ここには20の大きな修道院があり、男ばかり約2000人の修道士が自給自足で修行に励んでいる。修行中の身だから、女性に触れない、というのは当たり前だが、いったん修道士としてこの地に身を捧げたら、彼らのほとんどは死ぬまでこの地を出ることはない。
つまり、女性に会う機会がなくなる。大峰山や沖ノ島が女人禁制だとはいえ、神官や修験者は島や山を出れば、そこには女性が存在する。
だがアトスの修道士たちは数十年、あるいは50年以上も女性を「見たことがない」という男たちが、2000人も暮らしているのだ。
さらに徹底しているのは、自給自足生活で飼育している家畜も、すべて雄。唯一猫だけは、鼠退治のために雌の存在が許されているが、それ以外の動物の「繁殖」はない。
修道士たちにとっては「生神女マリア(キリストの母)」だけが唯一の女性であるといい、1406年に始まった女人禁制は、世界遺産に登録された現在もなお、頑なに守られているのである。
或る所に、酒呑童子がおりました
酒呑童子は、山の奥に暮らし道行く修験者を取って食らって暮らしておりました
その頃男性の眼球は顔の表面に2つ付いておりました
一説によりますと、美人が居ないか左見右見を見渡す為だったと言います。
修験者の中には、酒呑童子に惹かれて求婚する者がおりました。人間の男の習性を訝しんだ酒呑童子は、男の眼球をくり抜いて食べてしまいました。その味はよく熟れたザクロに大層似ていたと言います。
以来、ヒトの男の眼球は一つとなりました。
揺られる船の狭さ
水流に手を差し入れて
戯れるととのいじらしさ
お気付きならまあ賢い方やな
肋屋の天井に滴る供物の欠片
一途を忘れた哀れな男は
うちには帰らせん
遠ざかる足音
ご対面やなあ主はん
今更慌ててももう遅い
鮮血で染まった肋屋の
お友達は何を見るやろなあ
千千に千切れ行く脚先を
遠ざかる意識
ご対面やなあ主はん
吐き出させて下さい。
私は産まれて30余年、常に独りでした。
別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。
それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。
理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境。遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。
…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。
記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはんや牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。
両親は自分の問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。
同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがときに漏れだしては、私の人間関係を破綻させていった。
…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。
家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分で環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。
不幸にも中途半端に事務処理能力が高かったのか、大学に入学できた。大学は理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族や自己の内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。
契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。
ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。
そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。
兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分が事故や病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロの精神の投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。
そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこからの記憶はほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折を経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。
そしてまた不幸にも、さほど時間は掛からず定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春や友情や愛情を経験している間に自分がしたことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。
…しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性を容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。
そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分の家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。
狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分の理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪な気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき、自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾と混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。
私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。
いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。
今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割、天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間が中庸となり、人々の生き方の基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。
相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分を解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき、孤独の意味と真の栄光を手に入れられると信じて。
…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます。
※あまり正確でないまとめ
2. 長さを制限しようとするストッパーがエロゲーにはあまり無い
4. 長大化で小回りが利かなくなったので衰退した
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積んでた夏空のペルセウスやってたらこんな記事が話題になってたので、以前考えてたことを出力してみた。
まずもって、世の中のたいていのものは放っておくと長くなる。全部突っ込めばそれだけ長くなるし、切り捨てるのにはセンスと覚悟が要求される。
論点を置き換えて「他のジャンルの作品は何故長くならないのか」と問うてみた方が話が早くて、フォーマットや制作体制や商業的事情や物理的法則に種々のストッパーを見つけることができる。テレビアニメには放送枠があるから1話30分弱に収まるし、読者アンケートの結果が悪い漫画は打ち切られる。ボリュームと制作期間と費用は通常比例するから10時間の映画はペイしづらい。観客の体力も保たない。製本技術には限界があるので京極夏彦や川上稔がある種のチャレンジャーとして驚かれる。商業作品である以上、諸々の制約と歴史的経緯によって現在のジャンルの姿がけしてベストな形ではないにしろあり、いまも着々と変化している。
ところで家庭用ビデオゲームというのはある意味で特殊なジャンルで、この手の制約が相対的に弱い。(どういう経緯があったからかは知らないが)企業の成果物として単品売り切りで販売されるために一作で完結していることをより強く求められる。連載形式や短編連作は馴染んでいない。アーケードのように課金制ではないため私的な場で長時間にわたってプレイされる。デジタルデータであるがゆえにボリュームの制約が相対的に弱い(勿論家庭用ゲーム機の歴史とは一側面ではすなわちデータ容量との戦いでもあったということを知らないわけではないが、しかしそれは、書籍のページ枚数やテレビの放送時間とは本質的に異なった枠組みだろう)。そしてエロゲーもこの例に漏れない。
いま、エロゲーを長くさせない/シナリオ量やCG枚数や楽曲数やキャスト数、ゲームエンジンの性能、その他全てを含めて総体的に立ち現れる「ボリューム」を一定程度にとどめようとするなにがしかの制約を想定してみたとき、せいぜいメーカーの経営体力とメディアの容量、それからマシンスペックくらいしか思い浮かばない。後ろ2つは開発環境が消費者のプレイ環境にある程度近いのもさることながら、そもそもPCの廉売とスペックの進歩、間接的にはブロードバンド環境の普及がエロゲーの長大化を物理面で下支えしてきたように中長期的にはむしろブースターとして働いている節がある。トップブランドのフラッグシップタイトルが折に触れて消費者側のマシン更新を促してきた事実もあるように、決定的な歯止めとなっているようには見えない。1点目にしたところで、勿論この業界の危うさ、開発企業の経営基盤の脆弱さは消費者にもつとに知られたところではあるが、零細ゆえに諸々の手段で延命可能であることもまた、たとえば半ばアパレルメーカーと化し盆と正月に衣服や楽器を売りさばく某ブランドの例から知ることができよう(もっともこの手の主客転倒した経営と現状の市場を席巻している初回特典偏重の商法が相まっていくらかのエロゲーメーカーのグッズ屋化を促進しているのだが、さすがに本論から逸れているので一旦措く)。そもそも零細的な企業体制でも比較的手軽に参入可能な市場として開発者の側からかつてエロゲーは持て囃されたという歴史もある。
ところで、「ボリューム」と書いた。実は「CG枚数や楽曲数やキャスト数」は、これはきちんとデータをとって検証したわけではないけども(誰かやってください、というかもう先行記事があるでしょう)、一部の大作を除けば体感としてはここ10年、さして増加はしていない。勿論マシンスペックの向上に伴って画質も音質も向上してきたが、数量としてはほぼ横這いじゃなかろうか。むしろ攻略ヒロイン数なんかは全体として微減の印象がある。じゃあどこに工数が注ぎ込まれて「ボリューム」感を実現しているのかっていうと演出のスクリプトとゲームエンジンの融通とシナリオ量で、だから「長大化」として語られる。そうしてヒロイン数が割を食う。
畢竟、「これ以上長くすると開発スタッフが死ぬ」以外に天井が見当たらないのがエロゲーであり(実際菜種油を搾るように業界人の首が絞められた末に納品された成果物を今われわれはプレイしている)、そして消費者はぼんやりと長大化を期待した。マルチエンディングのADVが市場の大勢を占めるようになったがために、ビデオゲームでありながら作品間で「ボリューム」を直接的に比較することが可能となったのも後押ししたのかもしれない。あるいは国内経済のデフレーションと関連付けることだって可能で、フルプライス=税抜8,800円の価格設定はここ10年以上にわたってほとんど揺らいでいない。数年前からいくつかの大手メーカーが大作に限ってようやく税抜9,800円に手をつけた程度のありさまで、であれば同一価格内での「品質向上」を求める圧力が加わるのは自然の成り行きだろう。それでなくても市場は2000年前後をピークかくしてエロゲーは長大化の一途を辿り、ジャンルとしては衰退した。
これは当然の展開で、しばしば指摘されるように現代はコンテンツ飽食の時代、趣味は時間の食い合いとなるので長ければ長いほど不利になる。そんなの知ったこっちゃねえ俺は何十時間何百時間でもエロゲーを続けるぜって御仁には頭が下がるばかりだが、ジャンルの/市場の健全性とはかようなストイシズムとは対極の、ヌルい裾野の広がりによって担保されるのであって、エロゲー修験者ばかりではジャンルは早々に先細る。複数買い&積みで支援するのも似たようなもので、そこに健全な言説(そもそもインターネット上のエロゲーについての言説が「健全」であったためしなぞいまだかつてあったのか甚だ疑問だが)は生まれ得ないし、エロゲーは他のオタフィクション同様、本質的には中・下層の大衆、賃金労働者の変種としてのオタクによって担われる速度重視のサブカルチャーの一種であるのだから、ルネサンス期のメインカルチャーのような貴族のパトロンによる全面的支援などという夢は早晩挫折しよう。
速度。現代のインターネットで語られるオタフィクションとしては何よりも速度、1単位のコンパクトさと間口の広さ、新陳代謝の活発さが重要で、そして先にも触れたように「ボリューム」と開発期間はふつう比例する。込められたアイディアも思想も発売時には陳腐化している。ゆえに、足回りの悪くなったエロゲーが往時の勢いを失うのも自然の流れだろう。
・おわりに
突っ込みどころ多いしエビデンス挙げてないし、取り扱うのが面倒でわざとスルーした話題がいくつかあるけどまあいいや。気力の保つあたりでアップしておく。
それにしても、平均年収300万円以下って、まあ天引きor確定申告前の数字なんだろうけど、俺より貰ってるじゃねーか。まあ激務やスキルやクリエイター幻想に見合わないって趣旨なんだろうけど。
この手の、市場の縮小と消費者層の年収減と割れの話はオバフロの人はじめ、色んな人が語ってるから適宜ググるといいと思うよ。
夏空のペルセウスは大変エロかったですが他に言うことがありません。minoriの歴代作品に比べて開発期間=資金の限られている中で最善を尽くしたんだろうなあ、とは思うけど。
すぴぱらの続きマダー?