はてなキーワード: 書架とは
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
目次
タイトル | シェーラひめのぼうけん |
作者 | 村山早紀 |
挿絵 | 佐竹美帆 |
筆者と同世代か、もう少し下ならば読んだことがあるかもしれない児童文学。たぶん、自分の記憶の最も深くにある恋愛観についての思い出は、このシリーズのとあるシーン。
当時、筆者はたぶんまだ小学生。隣町の図書館に足しげく通う図書館っ子でまだまだ児童向け書架の常連だった頃だと思う。ローワンシリーズや、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法使いシリーズやハウルの動く城シリーズなどにハマっていた。佐竹美帆さんの挿絵が好きだったので、シェーラひめのぼうけんを手にとったのも、挿絵繋がりだったかもしれない(正直まったく覚えていない)。その中で、胸に響くロマンス表現に出会った。
シェーラひめのぼうけんは、主人公の少女シェーラが幼馴染でお供で子分の少年ファリードを怪力で振り回しながら、大人でも解決が難しい問題を剛腕で切り開いていくような物語。世界のあちこちへ旅をして、仲間たちとワクワクドキドキの冒険をしながら、悪い魔術師に石にされてしまった故郷の王国を復活させる方法を探し出すシェーラたちの話が紡がれる。
恋愛表現に疎かった当時の自分にとって、魔法が使えるけどひ弱なファリードがひめさまとシェーラを慕い、シェーラは幼馴染の兄貴分として彼の面倒を見るという二人の関係性は友情のものとして好ましく感じられた。もちろん男女の恋愛はちびっこが見るディズニー映画の中でも散々と描写されていたので、なんか男の子と女の子は仲良くなったらキスするんだ〜程度の認識はあった。だけどそれは「そうなるもの」であり、自分の中で情緒に紐づいて腑に落ちる描写ではなかった。だから、当時は恋愛でキャッキャするよりも、男女の友情関係の方がずっと自然に思えていた。ウブなボーイだったからね。(今から考えたら、ハイルとミリアム辺りとかは恋愛描写があった気がするけど)。
そんな中で胸がドキッとするような出会いがあったのが、最終巻近く。記憶だけを頼りに書いているので、間違っているかもしれないけど、確か、最終巻の一つ前の巻で、それまで一緒に旅をしてきたファリードが、実はシェーラの王国を崩壊に導いた邪悪な魔法使いの血筋で、彼もその強大で忌まわしき力を宿していると判明する展開がある。この時、確か、ファリードが敬愛するひめさまをその力で傷つけてしまい、自分の力に絶望して力を開放してドラゴンとなって空の彼方へ消え去ろうとするけど、当のひめさまからあなたが必要だと説得され、再び仲間になる的なエピソードがあった(はず)。
シェーラの目の前でドラゴンから人間の姿に戻った幼馴染のファリード。旅に出る前は少女の自分より身体が小さくてひょろひょろしていたのに、旅の終わりに近づいた今では、自分の方が彼を見上げるくらいに彼が成長していたことに気が付く。その時、シェーラのなかで、ファリードが頼りなくて守ってあげなければならない幼馴染ではなくなった……的な描写がある(ったはず)。
これがクリーンヒットだった。ここで以後の人生に永劫に刻まれる体格差萌えを発症してしまった。挿絵があったかは忘れたけど、自分の心の奥底には、ファリードと彼を見上げるシェーラの二人の姿が佐竹絵で深く刻まれている。
その後、図書館のティーンズコーナーで少女小説(主に小林深雪先生)にハマったり、同時進行で大人向けの棚の新宿鮫などのサスペンスやあとがきでいつも自作を傑作と書く夢枕獏の作品(闇狩り師とか陰陽師)を開拓していったりした。
実はシェーラひめのぼうけん2は途中までしか読んでいなんだよな〜。これを書いている今、サウードおじさまの便利キャラっぷりを最後まで確かめたくなってきてしまった。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
なぜ長さで表すのだろう
いや、今自分は自然にこの場合のミリはミリメートルのことだと思ったが、単にミリとだけ言った場合長さとは限らないのか
ミリメートル (mm、粍) を指して単に「ミリ」とだけ言うことが多い。転じて、「1ミリも(〜ない/ぬ)」という形の、否定文脈で使われる程度副詞が用いられている[1][2]。
単にミリと言った場合、たいていはミリメートルって感覚はwikipediaに書かれる程度には多数派のようだ
この種の表現として古くは「一文にもならない」「一糸もまとわず」「一抹の不安」などがある。一文は貨幣の単位、一糸は細い一本の糸、一抹はひとはけ、ひとなすりの意味。
(2ページ目)いまや国会議員も多用 「1ミリも…ない」の語源と意味|日刊ゲンダイDIGITAL
古くからある表現の現代的バリエーションのひとつではあるということか
2つめは,コロケーションで「譲らない」「進まない」との結びつきが強いことである。これは「一歩も譲らない」「一歩も進まない」という従来の表現から移行であると考えられる。
なるほどなあ
「1ミリも~ない」は否定文脈で使用される程度副詞である。「1 ミリも譲らない」のように全否定する。主に読売 新聞,朝日新聞を対象に,「1ミリも~ない」構文の成立過程と用法について明らかにする。得られた用例数は読売新 聞 101 例,朝日新聞 149 例である。初出は朝日新聞 1985 年で,2000 年以降に用例が徐々に増え,2010 年代になって から多くみられるようになった。
「1ミリも、正確にいえば1ミクロンも関わっていない」おもしろい言い方だなと思ったのですが甘利明さんのどんな心情を表しているのでしょうか? | Quora
「1ミリも興味がない」という言い方には、どういう意図があるのでしょうか - ことばの疑問 - ことば研究館
↑これが一番よくまとまっている感がある 納得感もある
「寸毫もない」という言い方は昔からあって、「毫」は千分の一のことを指しているそうなので、語の取り合わせとしては、さほど新奇なものでもないかもしれない。
「1ミリも興味ない」という表現があるが、なぜミリなのか、語源や表現ができたきっかけなどあるのか知りたい。 | レファレンス協同データベース
リファレンスサービスで最近質問されたようなので追記……しかし未解決、残念だ
「1ミリも許さない」でのミリの単位を定めたことにより、許すという行為の本質に迫れた話
まあ最初の疑問、なぜミリメートルという距離なのかという話は「一歩も譲らない」からの発展という話が簡単な説明としてしっくりくる
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あと「にたものずかん どっちがどっち?」、チーターとヒョウとか紛らわしい動物の見分け方についてポップな絵で紹介されてる
それから南極観測隊に同行した記者の書いた「北極と南極のへぇ~ くらべてわかる地球のこと」もいけると思う
増田の子どもが使ってる国語の教科書がどの出版社か分からないけど意外と関連図書や公式ホームページが役立つかも?
例えば光村図書なら
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s_kokugo/support/#shokai
授業に役立つ! サポート資料室→紹介図書一覧→3年上 教材末「この本,読もう」図書一覧→「はじめて知ったことを知らせよう」の単元に関連書籍として小学生向け科学本が何冊か載ってる
あと鉄板お役立ちサイトは絵本ナビ、児童書のあらすじ紹介やレビューが充実している
図書館のホームページで詳細検索から児童書にチェック入れて児童書だけで絞れるようになってるかも
蔵書の内容が詳しくデータ化されてるとは限らないので実際に書架を見てみるのもいいと思う
図書館の本背表紙下になんかラベルが貼ってあってゴチャゴチャ数字やカタカナが書いてあると思うけど、動物・植物・化石・宇宙などはだいたい「4」から始まるようになっているはずなので
小3だとまだ図鑑から索引や目次を活用して調べるっていうのがおぼつかないかもしれないので
(例えば「キリン」について調べようって時に大人ならすぐ動物図鑑を手に取ってキリンのページを探し当てることができると思うけど、
小さい子は題名に「キリン」と書いてあるキリン専門書にしかキリンのことが載っていないと思い込んでいたり
大学の研究室が「フリーアドレス」となり、研究に支障が出ているとして、梅光学院大学(山口県下関市)の専任教員や元専任教員ら9人が大学側を相手に、計1265万円の損害賠償を求める訴訟を山口地裁下関支部に起こした。
訴状などによると、2019年4月以降、同大学では新しい校舎が利用されるようになったが、個人研究室はなくなり、教職員は校舎1階のフリーアドレスオフィス(固定席がないオフィス)を共用することになった。書架は1つ与えられ、一部について鍵をかけることができる。
大学HPでは「日本初!教職協働のフリーアドレスオフィス」と紹介され、「『教職協働(教員と職員が一体となって学生を育てる)』の観点から、全く新しいスタイルを導入!本校舎1階のフリーアドレスオフィスで、教職員がともに学生を育てます」としている。
こうした状況について、原告の教員らは、学生などが行き交っており研究に集中できないだけでなく、試験問題の作成や成績をつけることも困難であると指摘。研究成果が盗用される可能性もあることなどから、「研究執務に専念できず学生教育上の観点からも問題がある」と主張している。
また、文部科学省の大学設置基準(36条2項)は「研究室は、専任の教員に対しては必ず備えるものとする」と規定しており、「過去の裁判例からも、研究室を利用することは、専任の教員の権利であるといえる」としている。
6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。
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勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。
子供らしく動物博士とかにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。
そもそも「河井継之助が学んでいたという陽明学の和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、
バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供が公立の小学校で同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、
大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生と将棋をやっていても楽しい筈もない。
なので、必然、孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。
正直なところ、この子の未来に不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。
小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。
親としては、子供らしくサッカーや野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、
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将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登り、キャンプなどに連れ出したりしてるんだが
私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間だから、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。
近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代の友達でも出来ないものかと期待してる。
私も9歳くらいになると友達とサッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。
スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分だけが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。
大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。
あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、
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妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。
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ギフテッド教育やお受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。
そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります。
私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校の勉強にいそしんだ事はないけれど
「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」
といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要な勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります。
一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。
大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。
それよりは普通の学校で色んなタイプの友達に出会い、海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達とキャンプへ行ったり、サッカーやったり
恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家の教育方針です。