はてなキーワード: 大峰山とは
アトスの女人禁制は規模が違う。ここには20の大きな修道院があり、男ばかり約2000人の修道士が自給自足で修行に励んでいる。修行中の身だから、女性に触れない、というのは当たり前だが、いったん修道士としてこの地に身を捧げたら、彼らのほとんどは死ぬまでこの地を出ることはない。
つまり、女性に会う機会がなくなる。大峰山や沖ノ島が女人禁制だとはいえ、神官や修験者は島や山を出れば、そこには女性が存在する。
だがアトスの修道士たちは数十年、あるいは50年以上も女性を「見たことがない」という男たちが、2000人も暮らしているのだ。
さらに徹底しているのは、自給自足生活で飼育している家畜も、すべて雄。唯一猫だけは、鼠退治のために雌の存在が許されているが、それ以外の動物の「繁殖」はない。
修道士たちにとっては「生神女マリア(キリストの母)」だけが唯一の女性であるといい、1406年に始まった女人禁制は、世界遺産に登録された現在もなお、頑なに守られているのである。
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
って言われても、トイレや風呂ならともかく娯楽施設を性別で隔離するのは間違ってるという話なので。
女性お断りの飲み屋もあるじゃん? と言われても、その飲み屋も間違ってるとしか言いようがない。そんな業態は差別を是正するか、さもなくば潰されるべきだ。
民間企業だからそういうルールがあってもいいとか言ってる人がいるけど、正気か? じゃあ外国人お断りもオッケーだし総合職に女性を採用しなくてもオッケーだな。民業の自由だもんな。(※)
土俵の女人禁制も間違ってると思うし大峰山に登った女性も支持するけど、同じ理屈で女性専用車両や男性お断りプリクラもおかしいやろって言ってるだけ。
インテリアが女性の好みそうなもので統一されていて、商品も女性向けのものしか置いておらず、そのためほとんど男性客が入店せず、実質的に女性専用になってる店なら別に何も言わない。
(逆もまた然り。いつもおっさんが煙草ふかしてて脂っこい食い物しか置いてない店が、女性客に避けられた結果として実質的に男性専用になっているのは差別ではない。でも女性お断りというルールを定めたら差別)
理念的には差別だけど現実に性犯罪が多いし警備員をたくさん雇うとかも難しいから現時点では仕方なく差別を選んでいる、将来的にこんな差別が必要なくなることを願っている、という言い分なら聞かないこともないけど、これは差別ではない、と言われたら原理原則論で答えますよ。それは差別だ、差別はよくない、差別は撤廃されるべきだ、って。
(※) 旅館業法とか男女雇用機会均等法とかの存在は当然知ってます。ここでは合法か違法かではなく道徳的な原則として許されるか許されないかという話をしている。民間企業だから男性お断りが道徳的に許されるというなら、民間企業である以上男性のみを総合職に採用することも別に道義的には間違ってはおらず、それを規制している法律がおかしい、という結論になるよね? もちろん実際には、雇用における女性差別はたとえ民間企業であろうとも道徳的に許されるべきではないので、差別を禁じている男女雇用機会均等法は道徳的に正しいのだけれど。
女人禁制反対者たちによる大峰山への登山の試みとその背景思考 - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/860011
syokichisyokichi やらかした(あえてこう表現する)人達の主張も一応目を通してきたけど、彼等は「自分の主張を認めろ!」と言うだけで相手の信仰なんぞは屁とも思っていないな。こんな人達を支持すること、僕には出来ないよ。
hoshiyohoshiyo 多様性の容認をいちばん強く求めてきた人たちが、他の多様性には酷く不寛容である、という案件に見える。
この時はリベラルなはてなといえども女人禁制の伝統を守れが多数意見だったのに。
やっぱり最近イメージダウンしてる相撲というジャンルなのが大きそう。
それから男性である市長の命が危なかった、というのも大きいんだろうな。
ともあれ、これまでなら「伝統を理解せず特権を求めるクソフェミどもの戯言」として一蹴されていたであろう意見が次々バズっているのが興味深い。
「掃除」に差別的記号を見出したり、ホース?コード?に奴隷の鎖を連想して「差別的印象を与えるおそれがある」までは言えるよね。
描いた人の差別意識が表出している、とまでは客観的には読み取れないです。
描いた人が女性だったって事実は、ある程度はそれを支持するんじゃないでしょうか。
「差別的印象を与えるおそれがある」とだれも指摘しなかったのかなーとは思います。
というか単純に「ちょいヤバかも?」と思わなかったのかなと。
学会誌の表紙として不適切である/不適切とまでは言えない、について断定的に述べるのはかなり難しいんじゃないでしょうか。
今までに固定的ジェンダー観が叩かれた事件。
「私作る人、僕食べる人」とか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E9%A3%9F%E5%93%81
これと同列に扱うのは酷だよなあと思います。
この例は、男を対比させて、「家事は女の仕事、男のするものでない」というメッセージが明確に読み取れる。
これで「性別役割分業意識の追認であるから許容できない」となったら、現実の専業主婦こそ追認どころか実践してるじゃないですか。
「なんでこの表紙に限ってそんなに熱心なの?」という違和感はどうしても拭えないです。
個人的には、限られた人向けの学会誌の表紙より、
アニメ「サマーウォーズ」で家事してるのが全員女だったことのほうが嫌な感じだったけどなあ。
影響力なら後者だと思うけどなあ...
「学会のPC意識の低さに失望した!」って言うんだけどそれもあんまり心に響かないんですよね...
そんなに人工知能学会とか学術会に期待したんかなあと。
言ってることはことごとく正論なんだけど、この人らそんな山奥に行きたいんかなあ...って。
「人権意識高い系の我々が意識低い差別者共を糾弾し、啓発する」みたいな。
批判できないけど嫌な感じするやつ。
「固定的ジェンダー観の押し付けに対して怒っている」という印象はあまり受けず、
「学会のPC意識の低さに対して失望している」という印象もあまり受けず、
「キモオタ憎し」っていう印象を受けました。
ツイフェミってけっこう党派的というか、「私はこう思う」と発言するよりも、
仲間の発言に同調する人々なんだなあと思いました。
「憎しみにドライブされる」「党派的」なところはネトウヨに似てるなあと...