清徳と清徳寺
5月9日(金)。光澤寺のご住職が近隣の名所として推薦された清徳寺を訪問しました。無住の清徳寺ですが、摩尼寺との類似に関心をもっての視察です。清徳寺は、和銅二年(709年)行基の開山と伝え、戦国時代には、平家の血を引く婆ヶ城主小松氏の祈願所として栄えていました。天正三年(1575年)、小松勝吉が城主のとき、山中鹿之介の軍勢に敗れ、山麓の清徳寺に下って自害したと伝えられています。本堂前に並ぶ五輪塔は、小松一族の墓だとか。
清徳寺には百済から伝来したという一寸八分の阿弥陀如来像がご本尊として安置されており、天正九年(1581年)の羽柴秀吉の焼き討ちや明治23年(1890)の大火でも、不思議なことに、ご本尊だけは大火を免れました。本堂は大火後の再建です。
←明治28年竣工
境内には、大菩提樹などの巨木群があって、県の天然記念物に指定されています。また、後醍醐天皇お手植えと伝える銀杏の大木が聳えています。先生は「以前ここに来た」と何度も口にされました。ブログを調べてみると、2009年10月末、柿原の窟堂(いわやどう)についてヒアリングするため、清徳寺に立ち寄っています。
清徳寺は無住になっていますが、四季を通してさまざまな行事がおこなわれています。
4月 檜皮桜と八重桜が開花
5月 清徳寺花祭り
6月 菩提樹の花やあじさいが開花
7月 姫ほたるが出現
11月 紅葉の見ごろ
↑休憩スペース(左)と冬の清徳寺(右の写真)
清徳寺正面の石段を下り、麓の清徳集落を歩いてまわりました。集落もまた空洞化が進んでおり、現在、常住者は4世帯9人のみです。石垣がきれいな村でした。子供は一人だけで町がバスを手配して学校まで送迎しているようです。
興味深いことに、清徳の人びとは清徳寺の檀家ではありません。ご婦人の発言によると、「清徳寺は武家の寺」だそうです。一方、清徳には平家の落人伝説が残っています。道理で、板井原や落折などと同じ匂いがするわけだ。出自の違いか身分の違いかは分かりませんが、落人たちは、この地からやや離れた寺を檀家としています。ただ村人は小松姓を名乗っている。婆ヶ城小松氏一族の菩提寺である清徳寺の檀家ではないけれども、ある時代に小松の帯姓を許されたとご婦人は仰いました。
そしてまた今週も、大江ノ郷自然牧場へ。牧場の川上にある北村きのこ園にも足を伸ばしました。ここはエリンギ・エノキ専門できのこを作っていて、とても大きなエリンギを売っていました。これを購入して試食することになりました。北村きのこ園近辺にある赤倉神社も視察しました。赤倉神社の創立は不詳ですが、享保四年(1719年)に林権少輔が、大江神社より栃谷村(現在の大江)に別居して社を再建しています。伊勢大神宮を勧請して「赤倉大明神」として祀り、当村の産土神としたようです。本殿は明治の再建と思われます。(白帯)
↑赤倉神社