切支丹関係文献(2)
松田重雄1972『池田藩主と因伯のキリシタン』
◆図書情報◆
著者: 松田 重雄
鳥取市西町2丁目205
電話(0857)22一4594
書名: 池田藩主と因伯のキリシタン
定価 2500円
昭和47年(1972)7月1日 印刷
昭和47年7月25日 発行
発行者 鳥取キリシタン研究会
印刷 中央印刷株式会社
電話(0857)代212-1811
製本 岩坪製本有限会社
三浦百重 序
江戸幕府がキリスト教に対する取締りは、世界にその例がないほどのきびしさであった。その穿削をさけ、 信仰を守り続けていた潜れキリシタンにつながる遺物の一つに、切支丹灯籠がある。松田さんは信徒たちの信仰的情熱に心をうたれ、キリシタンの研究に精魂を打ちこみ、全国各地の切支丹灯籠を追って、二十数年の探究を続けられた。その結晶として、さきに「潜キリシタンの信仰と切支丹灯篭」を、 続いて姉妹篇の「切支丹灯籠の研究」と題して、東京・同文館より出版された。
この業績は全国的に高く評価され、学会に大きな波紋をなげかけられている。鳥取大学が発足と共に、学芸学部助成会が結成され、松田さんは副会長として会長をよく補佐された。続いて三代目の会長に就任されるや、本学部年来の学生寮新築の件案を推進され、東京県人会石井芳雄氏の助言と、 徳安・古井・中田代議士などの献身的な助力によって、文部省・大蔵省其他に運動を展開され、初年度に男子寮・翌々年に女子寮を竣工し、鳥取大火後の学生生活に安住の場を与えられた業績は、松田会長の絶大な努力の陽であった。 鳥取大学が湖山に移転し、これらの学生寮は解体し、かつて寮の建設に邁進された松田会長をはじめ、役員諸氏の血のにじむ熱意は、今日の学内で知る人も少くなっている。
このように僅か二十年余の間にも、世の変転とともに、本学部の沿革史の一頁が、忘れられようとしている。まして沓き江戸時代の史実を探ることは、さらに容易なことではない。特に江戸時代の日本キリシタン史は、幕府の手堅い禁教政策によって、鉄の扉の内に秘められ、これを探ることは至難な業とされている。鳥取県下のキリシタンたちも当時のつめたい風にふきさらされ、胸から胸に伝えるのみで、信仰的動向は書き残せなかった。松田さんは僅かに残る文献と、池田藩の古文書を縦糸とし、因伯のキリシタン遺跡・遺物・伝承を広く探究され、それを横糸として、因伯のキリシタン史を始めて明らかに織りだされた。このことは松田さんのたゆまぬ研賛の賜である。
このたび発刊された「池田藩主と因伯のキリシタン」によると、因伯二州は全国的に眺めても、九州についでキリスト教の布教が伸びていたことは、驚異的な史実である。また鳥取池田藩主の先祖信輝が、すでに戦国の世に入信し、古キリシタンの家柄として神父と交わり、いち早く西洋文明をとり入れ、一国の文化を高かめ、 一方富国強兵を図って、よく戦国の世をのり越え、池田家の基礎をかためたことなどを、明らかにされている。 鳥取池田家の代々の藩主は、幕府の重圧にたえて、城奥で信仰の灯を守り、更に信徒たちを庶民信仰によく習合させ、ひそかに聖地を与えたことは、信仰の力によって得た鉄石の信念と、英知の賜であろう。血なまぐさい風が、全国津々浦々にただよった江戸時代に、池田藩主は信徒たちを庇護し続け、明治維新まで、一名の殉教者をださなかったことは、藩主ならびにキリシタン家老の英邁と、信仰の偉大性を物語り、われに強い感動を起させる。この事実は全国的にも珍しいことで、松田さんがこれを始めてつきとめられた金字塔は、後世にも高く評価されることであろう。 このように因伯の地が、すぐれた指導者によって、ひそかに信仰の一基地であったことなど、郷土史の地図が新しくぬりかえられた感じがする。
松田さんはこのたび、「池田藩主と因伯のキリシタン」と題して、祖先の偉大な信仰をまとめ上げ、新しい史実を論述された労作は、地方史の開拓とともに、社会教育ならびに地方文化の向上にはたす役割は、きわめて大きく喜びにたえない。精神文化史として貴重な、この新しい郷土史を一読され、祖先の崇高な息吹きにしたられますママことをおすすめし、推薦のことばといたします。
昭和四十七年一月
元鳥取大学学長
三浦百重
徳永職男 序2
江戸時代の禁教令下にあって、キリスト教が、言語に絶する困難のうちに、信奉し続けられたことが、日本思想史の上に、いかに重要な意義をもっているかについては、こと新たに論ずる必要はなかろう。その意味からも、江戸時代の「キリシタン」研究は、ただにママ禁教時代のみならず、明治以後現代に至る日本思想史、日本史全体を深く探究するために重要な課題である。それにもかかわらず、従来、この重要課題は、その困難ゆえに敬遠されがちであった。この困難な研究に敢然として取り組んだ松田重雄氏は、すでに「潜キリシタンの信仰と切支丹灯籠」(昭和四十一年)「切支丹灯篭の研究」(昭和四十四年)の二著を、東京同文館から発行され、識者の絶賛を博したが、さらにこのたび、地方史的見地にも立って、「池田藩主と因伯のキリシタン」と題して、世に問うことになった。 この本は、キリシタン研究を更に一歩前進させるだけでなく、全く新しい視野に立つ異色の地方史として、世の注目を浴びるであろうことを確信し、広く江湖に推薦する次第である。
昭和四十七年三月
鳥取大学教授
鳥取県文化財専門委員
徳永職男
◆図書情報◆
著者: 松田 重雄
鳥取市西町2丁目205
電話(0857)22一4594
書名: 池田藩主と因伯のキリシタン
定価 2500円
昭和47年(1972)7月1日 印刷
昭和47年7月25日 発行
発行者 鳥取キリシタン研究会
印刷 中央印刷株式会社
電話(0857)代212-1811
製本 岩坪製本有限会社
三浦百重 序
江戸幕府がキリスト教に対する取締りは、世界にその例がないほどのきびしさであった。その穿削をさけ、 信仰を守り続けていた潜れキリシタンにつながる遺物の一つに、切支丹灯籠がある。松田さんは信徒たちの信仰的情熱に心をうたれ、キリシタンの研究に精魂を打ちこみ、全国各地の切支丹灯籠を追って、二十数年の探究を続けられた。その結晶として、さきに「潜キリシタンの信仰と切支丹灯篭」を、 続いて姉妹篇の「切支丹灯籠の研究」と題して、東京・同文館より出版された。
この業績は全国的に高く評価され、学会に大きな波紋をなげかけられている。鳥取大学が発足と共に、学芸学部助成会が結成され、松田さんは副会長として会長をよく補佐された。続いて三代目の会長に就任されるや、本学部年来の学生寮新築の件案を推進され、東京県人会石井芳雄氏の助言と、 徳安・古井・中田代議士などの献身的な助力によって、文部省・大蔵省其他に運動を展開され、初年度に男子寮・翌々年に女子寮を竣工し、鳥取大火後の学生生活に安住の場を与えられた業績は、松田会長の絶大な努力の陽であった。 鳥取大学が湖山に移転し、これらの学生寮は解体し、かつて寮の建設に邁進された松田会長をはじめ、役員諸氏の血のにじむ熱意は、今日の学内で知る人も少くなっている。
このように僅か二十年余の間にも、世の変転とともに、本学部の沿革史の一頁が、忘れられようとしている。まして沓き江戸時代の史実を探ることは、さらに容易なことではない。特に江戸時代の日本キリシタン史は、幕府の手堅い禁教政策によって、鉄の扉の内に秘められ、これを探ることは至難な業とされている。鳥取県下のキリシタンたちも当時のつめたい風にふきさらされ、胸から胸に伝えるのみで、信仰的動向は書き残せなかった。松田さんは僅かに残る文献と、池田藩の古文書を縦糸とし、因伯のキリシタン遺跡・遺物・伝承を広く探究され、それを横糸として、因伯のキリシタン史を始めて明らかに織りだされた。このことは松田さんのたゆまぬ研賛の賜である。
このたび発刊された「池田藩主と因伯のキリシタン」によると、因伯二州は全国的に眺めても、九州についでキリスト教の布教が伸びていたことは、驚異的な史実である。また鳥取池田藩主の先祖信輝が、すでに戦国の世に入信し、古キリシタンの家柄として神父と交わり、いち早く西洋文明をとり入れ、一国の文化を高かめ、 一方富国強兵を図って、よく戦国の世をのり越え、池田家の基礎をかためたことなどを、明らかにされている。 鳥取池田家の代々の藩主は、幕府の重圧にたえて、城奥で信仰の灯を守り、更に信徒たちを庶民信仰によく習合させ、ひそかに聖地を与えたことは、信仰の力によって得た鉄石の信念と、英知の賜であろう。血なまぐさい風が、全国津々浦々にただよった江戸時代に、池田藩主は信徒たちを庇護し続け、明治維新まで、一名の殉教者をださなかったことは、藩主ならびにキリシタン家老の英邁と、信仰の偉大性を物語り、われに強い感動を起させる。この事実は全国的にも珍しいことで、松田さんがこれを始めてつきとめられた金字塔は、後世にも高く評価されることであろう。 このように因伯の地が、すぐれた指導者によって、ひそかに信仰の一基地であったことなど、郷土史の地図が新しくぬりかえられた感じがする。
松田さんはこのたび、「池田藩主と因伯のキリシタン」と題して、祖先の偉大な信仰をまとめ上げ、新しい史実を論述された労作は、地方史の開拓とともに、社会教育ならびに地方文化の向上にはたす役割は、きわめて大きく喜びにたえない。精神文化史として貴重な、この新しい郷土史を一読され、祖先の崇高な息吹きにしたられますママことをおすすめし、推薦のことばといたします。
昭和四十七年一月
元鳥取大学学長
三浦百重
徳永職男 序2
江戸時代の禁教令下にあって、キリスト教が、言語に絶する困難のうちに、信奉し続けられたことが、日本思想史の上に、いかに重要な意義をもっているかについては、こと新たに論ずる必要はなかろう。その意味からも、江戸時代の「キリシタン」研究は、ただにママ禁教時代のみならず、明治以後現代に至る日本思想史、日本史全体を深く探究するために重要な課題である。それにもかかわらず、従来、この重要課題は、その困難ゆえに敬遠されがちであった。この困難な研究に敢然として取り組んだ松田重雄氏は、すでに「潜キリシタンの信仰と切支丹灯籠」(昭和四十一年)「切支丹灯篭の研究」(昭和四十四年)の二著を、東京同文館から発行され、識者の絶賛を博したが、さらにこのたび、地方史的見地にも立って、「池田藩主と因伯のキリシタン」と題して、世に問うことになった。 この本は、キリシタン研究を更に一歩前進させるだけでなく、全く新しい視野に立つ異色の地方史として、世の注目を浴びるであろうことを確信し、広く江湖に推薦する次第である。
昭和四十七年三月
鳥取大学教授
鳥取県文化財専門委員
徳永職男
《目次》 *久留子(クルス)=十字架
一 伝道時代…1
二 秀吉・江戸幕府の弾圧…18
三 因伯二州の久留子紋…25
1 若狭城主矢部氏の信仰…27
2 鹿野城主亀井氏の入信…32
3 羽衣石城主南氏の入信…49
4 米子城主中村氏と切支丹…53
5 茶と潜れ切支丹…61
四 鳥取池田藩祖の信仰…65
1 古切支丹の信輝…66
2 姫路城主 輝政の動き…69
3 利隆の信仰…81
4 長吉と久留子紋…83
5 長幸の指物…83
6 忠雄と乾家老…83
7 光政とポルロ神父…84
8 光仲と信仰遺物…85
五 池田藩主の祇園久留子紋…93
六 鳥取城下に残る遺物…103
1 興禅寺のキリシタン灯篭…106
2 観音院のキリシタン灯篭…116
3 一行寺のキリシタン灯篭…121
4 聖神社とキリシタン灯篭…126
七 鳥取城下の潜れ切支丹…143
1 鳥取藩主伴九郎兵衛…143
2 江戸切支丹屋敷と医師森本交…146
3 信仰の自由を守った田中医師家…158
八 稲葉の落穂 椿谷の牢獄…168
九 寺院のおける天主教断圧説教資料…180
1 崎陽茶話天主教…181
2 耶蘇教…182
3 邪教大意…183
4 長崎邪教始末…185
5 護国新論…189
6天教問答…194
十 稲葉の落穂余録 島原の乱と佐分利九之丞…196
1 ことの起り…196
2 原城の戦…197
3 妖気たたよう戦場…199
4 佐分利九之丞の奮戦…200
5 島原郷土史の開拓…204
6 九之丞の探究…205
《連載情報》切支丹関係文献
(1)浦川和三郎1943『浦上切支丹史』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2837.html
(2)松田重雄1972『池田藩主と因伯のキリシタン』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2839.html
(3)海老沢有道1964『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇字』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2862.html
一 伝道時代…1
二 秀吉・江戸幕府の弾圧…18
三 因伯二州の久留子紋…25
1 若狭城主矢部氏の信仰…27
2 鹿野城主亀井氏の入信…32
3 羽衣石城主南氏の入信…49
4 米子城主中村氏と切支丹…53
5 茶と潜れ切支丹…61
四 鳥取池田藩祖の信仰…65
1 古切支丹の信輝…66
2 姫路城主 輝政の動き…69
3 利隆の信仰…81
4 長吉と久留子紋…83
5 長幸の指物…83
6 忠雄と乾家老…83
7 光政とポルロ神父…84
8 光仲と信仰遺物…85
五 池田藩主の祇園久留子紋…93
六 鳥取城下に残る遺物…103
1 興禅寺のキリシタン灯篭…106
2 観音院のキリシタン灯篭…116
3 一行寺のキリシタン灯篭…121
4 聖神社とキリシタン灯篭…126
七 鳥取城下の潜れ切支丹…143
1 鳥取藩主伴九郎兵衛…143
2 江戸切支丹屋敷と医師森本交…146
3 信仰の自由を守った田中医師家…158
八 稲葉の落穂 椿谷の牢獄…168
九 寺院のおける天主教断圧説教資料…180
1 崎陽茶話天主教…181
2 耶蘇教…182
3 邪教大意…183
4 長崎邪教始末…185
5 護国新論…189
6天教問答…194
十 稲葉の落穂余録 島原の乱と佐分利九之丞…196
1 ことの起り…196
2 原城の戦…197
3 妖気たたよう戦場…199
4 佐分利九之丞の奮戦…200
5 島原郷土史の開拓…204
6 九之丞の探究…205
《連載情報》切支丹関係文献
(1)浦川和三郎1943『浦上切支丹史』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2837.html
(2)松田重雄1972『池田藩主と因伯のキリシタン』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2839.html
(3)海老沢有道1964『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇字』
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2862.html