松原田中遺跡 布掘地中梁の検討会
古墳時代前期の布掘建物と地中梁の基礎
昨年末、教授と白帯が発掘現場を視察した松原田中遺跡の布掘より取り上げられた地中梁等の検討会が12日(火)に開催された。
松原田中遺跡は国道9号線(鳥取西道路)の改築事業に伴う事前調査で発掘され続けている弥生時代中期~古墳時代前期の遺跡である。2010年度と2013年度の調査で布掘建物を6棟確認(うち1棟は未確定)されており、いずれの建物も弥生時代中期~古墳時代前期の遺構面で検出されているが、布掘建物0~4については、出土土器の上限年代に加えて、布掘遺構・埋土・地中梁などの類似からみて、古墳時代前期の建物と推定される。遺構の重複関係もあり、すべての布掘建物が共存していたとは限らないが、異なる構造と機能を持った布掘掘立柱建物が古墳時代前期にまとまって併存していた可能性が想定される。いずれの建物も規模及び地中梁の構造(図1)がすべて異なっているため、遺構ごとに異なった建物復元が必要である。
布掘建物1(3区)
梁間1間(約3.2m)×桁行3間(約5.6m)の遺構で、中型の高床倉庫に復元できるであろう(↑)。平入か妻入かは不明。地中梁そのものはみつかっていない。断面の小さな横架材が布掘埋土の上層で検出されているが、柱を抜き取った後の材であり、加工痕跡もない。地中梁とはみなしがたい材である。本来あった地中梁は建物の解体の際に他の場所に廃棄されたと考えられる。
しかし、柱根部には地中梁の存在を示唆する仕口を残している。建物の内側に向きを揃える「コ」字状の欠込み仕口であり、地中梁は、長押のように、横から柱材の欠口にはめ込む方式をとっている。また柱根底部は布掘から一段掘り下げた壺掘りに納めており、布掘底が柱と接する位置に枕木をおいて長押状の地中梁を安定させている。
布掘建物3(4区)
最も断面寸法の大きい地中梁が出土した建物であり、布掘建物1とは異なる接合方式としている(↑)。地中梁には、左右2本とも4箇所の削り込みが材の2辺または3辺に明瞭に認められる。その場所で、柱を輪薙込(わなぎこみ)にして地中梁に落とし込んでいたのであろう。桁行方向の柱間寸法は2.0~2.2m程度でほぼ等間、柱径はφ30㎝前後と推定される。梁間1間(2.6m)×桁行3間(7.6m)の大型高床倉庫に復元できる。平入か妻入かは不明だが、民族誌例の類似では、平入の3世帯対応の例もある。