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2025-04-08

anond:20250408100901

もっと本質的な部分を掘り下げて言語化する必要がある

儀式儀礼のようなもの文化民俗宗教みたいなものがいろいろ入り混じって作られるもの

そして新入生、教師保護者を一同に会して、これが新入生だ、これが教師陣だ、これが保護者だ、と宣言する

誰に対しての宣言か?そう、我々の中にある神に対してである

校長先生のつまらない話とか、学校生活説明とか、プリント配布とか、教材を強制的に買わせるアレとか、そんなものついでにやってるだけ、おまけ

2025-02-16

日本ファンタジー小説における異世界転移物語の源流と文化的受容

高千穂遙の『異世界勇士』(1979年)は、日本ファンタジー文学史において「異世界転移ジャンル嚆矢位置付けられる作品である

本論では、この作品の先駆性を検証するとともに、日本ファンタジーの発展過程現代の隆盛を支える文化的基盤を分析する。

高千穂遙異世界勇士』の歴史的意義

日本初の本格的異世界転移物語

主人公・竜二が受験生として現実世界から異世界ガンギロドドアに召喚される物語構造は、当時の日本文学において画期的な試みであった。

横田順彌による解説が指摘するように「日本作家が手をつけていなかったジャンル開拓した」点が特筆される。

従来のファンタジー神話的・民話的要素を基調としていたのに対し、コンピュータ文明武器現代価値観を持ち込む設定は、後の「異世界チート」の原型とも言える。

マーク・トウェインアーサー王宮廷コネチカットヤンキー』(1889年)やC・S・ルイスナルニア国物語』(1950-1956年)といった西洋文学の影響を受けつつ、独自ヒロイック・ファンタジー確立した。

安彦良和による表紙絵が示すように、当時のアニメ漫画表現との親和性が、後のメディアミックス展開の基盤を作った。

日本ファンタジーの発展軌跡

源流から主流への変遷

1990年代の『十二国記』(小野不由美)が累計1000万部を突破するなど、異世界物は継続的な人気を獲得。

2004年の『ゼロの使い魔』を契機に、小説投稿サイト小説家になろう」を中心とした創作活動活性化し、2015年時点でネット小説大賞受賞作の90%が異世界転生・転移物語となった。

この現象は、従来の出版界が「事実上異世界専門レーベル」を相次いで創設するまでに至った。

物語構造進化

初期作品が「現実世界異世界」の単方向転移を基本としていたのに対し、『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(2010-)のような双方向往来や、『異世界おじさん』(2018-)のような逆転移物語派生

転生(記憶保持型再生)と転移物理的移動)の概念分化が、「小説家になろう公式ガイドラインで明文化されるまでに体系化された。

日本人の異世界観受容の文化的基盤

宗教民俗的土壌

仏教輪廻転生思想神道の「八百万の神」が醸成した多世界観が、異世界転生の受容を容易にした。

古事記』における黄泉の国や浦島太郎伝説に見られる「異界との境界曖昧さ」は、現代異世界物語にも通底する。

民俗学者・柳田國男が指摘する「常世」と「現世」の往還概念が、無意識下の文化的受容基盤を形成している。

社会構造的要因

戦後日本高度経済成長期に形成された「受験戦争」や「社畜」的労働環境が、現実逃避的需要を醸成。

主人公異世界で「特別存在」となる物語構造は、自己肯定感補償メカニズムとして機能する。

特に無職転生』(2012-)に見られる「現実での挫折異世界での再挑戦」構図は、現代日本社会病理を反映している。

メディア環境の適合性

装丁低価格ライトノベル形式が、若年層への浸透を促進。

スマートフォン普及率98.7%が支えるウェブ小説プラットフォームでは、1話完結型の「ておくれファンタジー」(読者が次の展開を催促する形式)が発達した。

このメディア特性が、異世界転移物語の量産的創作サイクルを可能にしている。

結論

異世界勇士』が播いた種は、日本固有の宗教観・民俗基盤と現代社会精神要請合致することで、他文化に類を見ない開花を遂げた。

異世界転生が「馴染みやす観念」として受容される背景には、単なる物語形式流行を超え、日本人の世界認識の深層に根ざす文化的連続性が存在する。

今後の課題は、このジャンルが持つ「現実逃避性」を超え、現代社会への批評性を内包した新たな表現形式開拓にある。

2025-02-11

三重博物館

anond:20250211110037

ミキモト真珠島

日本真珠産業を築いた御木本幸吉が世界で始めて真珠養殖に成功した島にあるテーマパーク

伊賀流忍者博物館

上野公園(伊賀上野城)内にある、戦国時代江戸時代にかけて、情報収集を専門に行った伊賀忍者歴史生活の知恵などを学ぶことができる忍者博物館

万協フィギュア博物館

スキンケア商品お土産付き! 〇様々なジャンルフィギュアを展示しているから飽きない♪ 〇子供から大人まで楽しめる♪

だんじり会館

上野天神祭だんじり3基と鬼行列を展示。大型スクリーンにて迫力ある映像をご覧いただけます

相差海女文化資料館

相差の歴史海女暮らし海女漁などについて、さまざまな資料で紹介しています。 館内中央には潜水する海女等身大人形を展示。

横山ビジターセンター

横山ビジターセンター役割は、伊勢志摩国立公園を紹介し、その自然環境を身近に感じてもらうことです。体験プログラム映像を通して、入り組んだリアス海岸里山生態系など

そらんぽ四日市

体験しながら学べるそらんぽ四日市四日市市立博物館プラネタリウム)。  常設展「時空街道」では四日市古代から江戸時代までの住居などが原寸で再現

桑名市博物館

松平定信(楽翁)自筆資料,古萬古と萬古焼作品桑名藩関係

三重県総合博物館

三重県歴史もいろいろ説明があっておもしろかったよ

愛洲の館

南朝の忠臣愛洲一族に関する古文書や町内の考古,民俗資料等が展示している民俗資料館

2025-01-03

[]2024年に読んだ本、後編

7月

読書(16冊)

グレッグ・ベア「鏖戦/凍月」。

室井光広「おどるでく」

加藤類子「もっと知りたい上村松園 生涯と作品

森敦「月山鳥海山

エリザベス・キューブラー・ロス、デヴィッド・ケスラーライフ・レッスン」★★★

内藤正人「もっと知りたい歌川広重 生涯と作品

福永文夫「日本占領史1945-1952 - 東京ワシントン沖縄」★

平子達也五十嵐陽介、トマ・ペラール 「日本語・琉球諸語による 歴史比較言語学」★★

荒木健太郎「読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなし」

後藤達也「転換の時代を生き抜く投資教科書

戸田久実「アサーティブコミュニケーション

しみけん「SHIMIKEN’s BEST SEX 最高のセックス集中講義

自衛隊/防衛省協力「自衛隊防災BOOK

自衛隊/防衛省協力「自衛隊防災BOOK2」

中野京子「怖い絵 泣く女篇」

中野京子「怖い絵: 死と乙女篇」

漫画

石田ゆう「天国に生まれた僕らの話 石田ゆう短編集」

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 1」

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 2」

1000decillion「Morals under a pagoda -Rome-」(同人誌

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 3」

美術

「カルダー:そよぐ、感じる、日本」於・麻布台ヒルズ ギャラリー

「夏の優品展 一味爽涼」於・五島美術館

8月

読書11冊)

ジェイムズ・ポスケット「科学文明起源: 近代世界を生んだグローバルな科学歴史

大石力「英語発音綴り-なぜwalkがウォークで、workがワークなのか」★★

ビルブライソン「人体大全 なぜ生まれ死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか」

鶴見香織 (著), 尾崎正明 (監修)「もっと知りたい東山魁夷 生涯と作品 (アートビギナーズコレクション)」

荒木健太郎「雲の中では何が起こっているのか」

鈴木裕介「心療内科医が教える本当の休み方」

鈴木裕介「我慢して生きるほど人生は長くない」

狩野博幸もっと知りたい曾我蕭白 生涯と作品

小谷賢日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安内調NSCまで」

H. R. エリスデビッドソン北欧神話」(再読)★★★

世界神話事典」(角川書店)(再読)★

漫画(3冊)

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 4」

藤崎竜封神演義外伝 仙界導書」

タイガー「よんこま十三機兵防衛圏!! こちセクターX 3」

美術

デ・キリコ展」於・東京美術

感覚する構造法隆寺から宇宙まで –」於・WHAT MUSEUM

内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世小宇宙」於・国立西洋美術館

国立博物館東洋館、本館)

ニコライ堂東京復活大聖堂

昆虫 MANIAC」於・国立科学博物館

9月

読書12冊)

塚﨑朝子「新薬に挑んだ日本科学者たち 世界患者を救った創薬物語」★

保坂直紀「地球規模の気象大気の大循環から理解する新しい気象学」

村重寧「もっと知りたい俵屋宗達 生涯と作品

平山亜佐子山田参助戦前尖端語辞典

掛谷秀昭・監修「Newton大図鑑シリーズ大図鑑

玉蟲敏子もっと知りたい酒井抱一 生涯と作品

古川武彦・大木勇人「図解 気象学入門 改訂版 原理からわかる 雲・雨・気温・風・天気図」

山本紀夫「高地文明 「もう一つの四大文明」の発見」★★★

小川晶子「アートビギナーズ もっと知りたい竹久夢二 生涯と作品

古川武彦、大木勇人「図解・天気予報入門 ゲリラ豪雨や巨大台風をどう予測するのか」

老川慶喜日本鉄道幕末明治篇 蒸気車模型から鉄道国有化まで」★★

尾崎正明・監修「もっと知りたい速水御舟 生涯と作品

漫画(4冊)

肋骨凹介「宙に参る」一巻~四巻

美術

高槻市歴史民俗資料館

高槻市しろあと歴史

「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 ―追憶のオルソン・ハウス」於・アサヒグループ大山崎山荘美術館

10月

読書12冊)

山本紀夫、稲村哲也・編集ヒマラヤ環境誌 山岳地域自然シェルパ世界」★★★。

坪木和久「激甚気象はなぜ起こる」

老川慶喜日本鉄道大正昭和戦前日露戦争から敗戦まで」

羽田正 「増補 モスクが語るイスラム史: 建築政治権力」★★

老川慶喜日本鉄道昭和戦後平成国鉄誕生からJR7社体制へ」

稲垣栄洋「知識ゼロから植物不思議

中川裕アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」」

渡部雅浩「絵でわかる地球温暖化」

細田亜津子「雲の上の哲学者たち - トラジャ族が語りかけるもの

小和田哲男戦国武将手紙を読む: 浮かびあがる人間模様」★

異常気象気候変動についてわかっていることいないこと (BERET SCIENCE) 」

藪本晶子「絶滅危惧動作図鑑

漫画(4冊)

大石まさる「水惑星年代記

枝田「国家心中

1000decillion「Morals under a pagoda -China-」(同人誌

1000decillion「Morals under a pagoda -Medieval Europe-」(同人誌

美術

挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展はにわ」於・国立博物館

モネ 睡蓮とき」於・国立西洋美術館

11

読書10冊)

オーウェン・ホプキンズ「世界の名建築解剖図巻 新装版」

中川裕補訂「知里幸惠 アイヌ神謡集」

オーウェン・ホプキンス「名建築歴史図鑑

阿部謹也中世を旅する人びと」★★

武部健一道路日本古代駅路から高速道路へ」

深見奈緒子イスラーム建築世界史」

俵万智訳「みだれ髪」★

桝屋友子「すぐわかるイスラーム美術 建築・写本芸術・工芸

穂村弘シンジケート[新装版]」★★★

ニック・カルーソ、ダニー・ラバイオティ動物学者による世界初の生き物屁事典 ヘビってオナラするの?」

漫画(1冊)

1000decillion「Morals under a pagoda -Islam- イスラム」(同人誌

美術

「平安文学、いとをかし 国宝源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ」於・静嘉堂文庫美術館

「ハニワと土偶近代」於・東京国立近代美術

朝倉文夫没後60年特別展ワンダフルライフ 朝倉文夫と猫、ときどき犬」於・朝倉彫塑館

12

読書(13冊)

建築知識247月号 新石器・古代王朝から清朝まで 中国建物と街並み詳説絵巻」

波平恵美子「ケガレ」(再読)

山崎晴雄、久保純子日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語」(再読)。

山本高穂、大野智東洋医学はなぜ効くのか ツボ・鍼灸漢方薬西洋医学で見る驚きのメカニズム」★★

阿部謹也ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界」★★★

藤岡太郎「三つの石で地球がわかる 岩石がひもとくこの星のなりたち」

溝口優司「[新装版]アフリカ誕生した人類日本人になるまで」

阿部謹也中世の窓から

いがらしみきおぼのぼの人生相談 みんな同じなのでぃす」★

藤岡太郎フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体」

黒田泰三もっと知りたい長谷川等伯 生涯と作品 (アートビギナーズコレクション) 」

阿部勤也「中世の星の下で」

鎌田浩毅「富士山噴火南海トラフ 海が揺さぶる陸のマグマ

漫画(2冊)

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 5」

いがらしみきおぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ」

美術

特別展文永の役750年 Part2 絵詞に探るモンゴル襲来―『蒙古襲来絵詞』の世界―」於・國學院大学博物館

ゴミうんち展」於・21_21 DESIGN SIGHT

良い一年だった。

2024-10-09

シロネンのキャラクタートレーラーすごいな

これが新時代ギャルキャラ

あのラップってファイルーズあいが歌ってるのか?

今知ったんだがこの人ってエジプトにもルーツがあるんだな父がエジプト

ナタの世界観アフリカ民俗中南米神話混じってるからまさにって配役だな

2024-10-07

anond:20241007041042

そりゃハコモノ主義物質消費主義

民俗(民族じゃないよ)とか風俗(エッチ商売のほうじゃないよ)とかにもまたがる、その時代大衆趣味嗜好が入った行動様式みたいなもの文化だろ

2024-09-03

おお、岡本太郎批判にそのまま使えそうだ。本来万博会場全体の予算であったもの太陽の塔ひとつに使ってしまい、途中で発覚し慌てて止めようとしたが時すでに遅し。あの塔が完成した

[B! 万博] サクッと調べたので間違えてるかもしれんが 万博会場の建ぺい率は70%な..

  

id:tapi423さま、コメントありがとうございます

上記コメント太陽の塔内部の展示資料パンフレットを読んだ私の記憶をもとに書いたのですが、改めて調べたところ

万博会場全体 → テーマ館の展示全体 

の間違いだと思います。いい加減なことを書いて申し訳ありません。ブコメ修正しておきます

 

ただ太陽の塔建設は当時大変揉めていたこと、岡本太郎勝手暴走したこと事実のようです。

以下、参考になりそうなページをまとめておきます

 

岡本と丹下の対立

会場計画プロデューサー丹下健三氏と岡本太郎の取っ組み合いの喧嘩がさまざまな記事言及されています

中でも堺屋太一氏による「地上最大の行事 万博博覧会」は当事者による記述として興味深いので引用しま

 

計画が出されたとき、万国博開催期間は梅雨の時期も含まれるため、人を集めるには「屋根」が必要だという意見が出た。しかし、これほど巨大な建造物屋根をどのように作るのか、技術的な解決策は見えてこない。建設省や通産省から安全性危惧し、縮小変更を訴える声が強かった。

  

(中略: ここから大屋建設の苦労が語られますが省略します)

 

お祭り広場建築軌道に乗り始めたと思った矢先のことだった。展示プロデューサー岡本太郎氏が、お祭り広場大屋根の真ん前に、塔をつくると言い出した。これが、かの「太陽の塔である

岡本氏の発言を聞いた丹下氏の顔色が変わった。

「すでにシンボルタワーは菊竹清訓氏が設計していますあなたは展示プロデューサーなのだから、展示に集中してください」

菊竹氏が設計した蜂の巣状のシンボルタワーは、会場の南端に建てる予定で計画が進んでいた。しか岡本氏は一歩も引かない。

「万国博の展示の中心には、一眼でわかるような造形が必要です。一番目立つ展示を私は考えました」と言ってスケッチブック4冊ほどを取り出した。そこには「太陽の塔」のスケッチが200枚くらい描かれていた。(中略)岡本氏の熱弁を聞いたところで、もちろん丹下氏は納得しない。丹下氏の口調は次第に厳しくなり、

「お前にそんなものを造る権利はない」「造るとしても、目立つところにあるのは許さない」

どうしても造るなら、お祭り広場屋根設計を変更して、太陽の塔屋根で囲って見えないようにする、とまで丹下氏は言った。

すると岡本太郎氏は烈火の如く怒り、関係者のいる前で2人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。互いの弟子たちは喧嘩を止めるどころか加勢し、手のつけられない状態になった。慌てた私はいったん通産省が引き取りますと2人を制したが、「引き取るとはどういうことだ」と、今度は私が2人に罵倒される始末だった。結局、大屋根の中央に大きな丸い穴をあけて「太陽の塔」を突き抜けさせるという妥協案に落ち着くまでに1ヶ月かかった。

(「地上最大の行事 堺屋太一 万博博覧会」 p269~p280)

 

このように「太陽の塔」はもともとシンボルタワーとして造られたものではなかったが、結果的に二つのタワーが万国博に登場した。岡本太郎氏は「自分太陽の塔と、菊竹氏のタワー、どちらが真のシンボルタワーかは大衆審査に委ねるべきだ」という考えを示した。と同時に「自分には自信がある」ということを盛んに表明した。この勝負岡本太郎氏に軍配が上がったことは歴史証明している

(「地上最大の行事 堺屋太一 万博博覧会」 p282)

 

なお、著者である界屋太一氏は通商産業(現経済産業)省の方であること、出版2018年であることは注意が必要です。

まるで仲介役をしていたような書き方ですが、以下の小松左京氏の著書によれば通産省も強固に反対していたようです。

当初の見解とは大きく異なり太陽の塔歴史シンボルになってしまったせいで不都合なことはみんなちょっとずつ伏せている感じはありますね。

 

小松左京ライブラリ

予算といえば、あの「エキスポの顔」といわれた高さ六十メートル名物太陽の塔」があやうく消えかかったことがある。テーマ展示の、総予算は前にもいったように建設費こみのあち見つもりで三十億は必要だと、岡本氏のスタッフははじき出していた。(この金額理事会説明する時、岡本氏はテーマ展示には「最低三十万円」必要だ、とやってしまった。石坂会長の「明治四十五年の万国博」とともに万国博の二大迷言とされている)

 大蔵省筋はこの規模を内々に承認していたが、監督官庁の通産側は、あまり正面に大きなものを建てられると、ホストカントリー日本政府館が目だたなくなる、という理由強硬に反対した、テーマ展示の稔予算はせいぜい三、四億でいい、というのだ。モントリオールテーマ予算百億と大変なひらきだ。そんな予算ではとてもテーマ展示はできないとプロデューサー側がいうと、もともとテーマなんてものは万風博にはいらないものだ、とまで極言した。

(中略)

 予算の三倍にふくれ上った見つもりをむりやり削るのは大変な作業だった。業者サイドと一項目ずつ検討し、全体の仕様をかえ、やっと予算の倍ぐらいまで削った。だがそれをさらに半分にするのは、背筋の寒くなるような作業だった。

場合によっては、石を一つころがしておいても、これが「根源の世界」だとひらきなおってみせると豪語していたものの、当初のイメージが、はなはだしく萎縮してしまうのはさけられなかった。それに私は平野氏と話しあって、第三スペース「心の世界」に展示する、海外民俗資料収集のための、予算千万円は、最初からおさえて、絶対手をつけないことにしていた。一・五倍にまできりつめる時、展示構想を基本からやりかえなければならないところにまできた。

テーマ展示に関わった小松左京氏が予算で苦労する様子が書かれています現在国立民族学博物館小松左京氏と平野氏が守ったのですね。知りませんでした。

 

 

余談ですが、調べていて個人的面白いと思ったところ:

  

 

追記:誤字修正しました

丹下健三郎氏 → 丹下健三

id:ryotarox さんありがとう!)

  

id:tapi423 さん、こちらこそどうもありがとう

色々知ることができて面白かったです。ブコメも興味深く読ませてもらいました。

2024-07-24

怒りポルノを消費して終わりのはてな

県立民俗博物館 山下知事“保存資料の廃棄も検討”|NHK 奈良県ニュース

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20240710/2050016463.html



維新ガーーー!!って気持ちよくなって

維新による文化軽視」と批判もあるが実情は…“博物館収蔵品廃棄”の知事発言うけ館側が明かす

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/joshi-spa.jp/1312087


昭和50年から収蔵基準もなく無計画に寄贈を受け入れ整理もできないまま仮置き場に山積みになっているのを放置して

先延ばししてきたという館側にも問題はあったという反省の弁にはブクマ無しw

維新叩いて気持ちよくなれないなら博物館ことなんてどうでもいいもんねえ・・・

2024-07-12

郷土防衛的な意味民俗資料郷土資料大事だと思ってたりする

そのへんの民俗資料館無造作に置かれてる資料を捨てる話について

 

どこの郷土資料館に行っても置いてあって、個人的にもあんまり見分けつかないので

まり大事に見えないのは心情として理解するし、

農機具なんか自分の家で置いとくのが邪魔になって押し付けたんだろぐらいの気分になるのはわからないではないのだが

自分江戸明治まではじっくり見ても昭和のコーナーは早歩きですっとばす)

 

それはだいぶ贅沢な話で、歴史資料に乏しい国は自国存在証明のために必死証拠をかき集めてるんだよな

イスラエルなんかわかりやすく発掘にやたら力を入れて、

なにか見つけては旧約聖書に書かれたのはこの遺跡だと主張するのに余念がないし

それにくらべると日本自称保守は甘いというかユルいというか危機意識に欠けるというか

たとえば維新系みたいのが対馬勢力を得て郷土資料処分した日には

それこそ対馬半島系の人たちの文化圏だったのだ、みたいな主張に反論するための証拠日本文化圏民俗継続的存在していた)を失うわけだが、

グローバルな人的移動が当り前の昨今、本州内陸だってから100年もしたら「1000年前からここはXX民族土地」みたいな話は出てくるだろうになあ

 

俺もだいぶ年齢を経て保守的な態度になったので、YASUKEはすごい侍大将だったのだ、みたいなのは

どうしたって心理的に反発してしまうわけだけど、

そこに文句を言えるのはYASUKE以外の同時代日本人についての記述資料がそこそこ残ってる

信長配下武将たちの名前事績が直接間接の証拠を積み上げてきちんと記載されてきていて、それら数十名数百名の名前に比してYASUKEの資料はないので比較的な意味可能性は極めて薄いと主張できる)から言えることで、

それすら、まだまだ調べきれてない資料はいくらでもあるのに、今、日本各地で中身も見ずにシュレッダーにかけられたら

SAMURAI COMMANDER YASUKE"にも反論できなくなっていくのだなと思うと、残念

 

現在ある様々な資料の全部の保存ができるとは思わないし、今を生きてくのに過去だけ見ててもしかたない(歴クラみたいな態度で歴史でキャッキャするのは嫌)のだが、せめて自分たちが手慰みに弄ぶ日本スゴイなるものの拠って立つ根拠がどこにあるかぐらいは意識しておいて欲しいよな…

2024-05-10

anond:20240510173942

はいはいオッサンって暇になると独自民俗観とか宗教観みたいなの披露したがるんだよなあ。

2024-01-18

土地民俗伝説みたいなの聞くの好きだから調べてたんだけど(今日人身御供編)

人身御供って大体生贄になるの若くて美人女の子なんだよね

そりゃ伝説として残るくらいなんだから普通の地味なおっさんじゃだめなのは分かるけどさ

神に捧げるっていう体なんだから、きっと神様は男(神に性別とかあんのか?)なんだろうな。知らんけど。なんか他人に女をあてがってもらう孤独チーの者みたいでちょっと悲しいな(不敬コメント

人柱人身御供とは区別されるらしい、初めて知った)のほうは男も結構いるんだけど。それでもこっちも若い女の子が多い

人柱自ら志願した」みたいな一節も多くてさ、「んなワケあるか!」って思っちまったよ。現代宗教かよ。キレイにすんな、殺人

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2023-12-13

エンガチョ

エンガチョは、日本における民俗風習ひとつ。主に児童の遊びとして取り入れられた風習で、ある種の穢れの感染を防ぐための特別仕草である[1]。地方時代によってその呼称は異なっており、エンガチョの他、エンガ、ビビンチョ、エンピ、バリヤーなど複数バリエーションがある[1]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A7

 

バリヤー?

2023-04-16

anond:20230413104002

ChatGPTに聞いてみた

Q

以下の日本の県の名産品・観光名所を挙げてください。

岩手県

山形県

山梨県

岐阜県

福井県

岡山県

徳島県

A

岩手県:

名産品: 三陸海岸鮮魚漁業関連の加工品、南部鉄器盛岡冷麺わんこそば、ぼっけもん(りんごブルーベリーの加工品)

観光名所: 盛岡城跡、八幡平奥州市中尊寺三陸海岸平泉中尊寺花巻温泉郷釜石市気仙沼市復興支援の取り組みや被災地復興施設

山形県:

名産品: 山形牛、さくらんぼ米沢牛、花笠、さやえんどう、もずく天童木工家具

観光名所: 山寺山形蔵王町)、山形城、銀山温泉米沢市歴史的建造物武家屋敷さくらんぼ狩り、米沢市山形牛の牧場出羽三山湯殿山月山鳥海山

山梨県:

名産品: 富士吉田河口湖富士宮やきそばほうとう富士山麓のワインフルーツ甲州ワイン富士山麓の果物加工品

観光名所: 富士山世界文化遺産)、富士五湖河口湖西湖精進湖本栖湖、湖尻)、忍野八海河口湖湖畔の遊覧船富士吉田市の富士山本宮浅間大社、身延山久遠寺勝沼町ワイナリー

岐阜県:

名産品: 飛騨牛郡上八幡お祭りである郡上おどり」の関連商品美濃和紙岐阜市味噌カツ飛騨の木工品、関ケ原町薬膳

観光名所: 白川郷世界文化遺産)、飛騨古川高山市の古い町並み、岐阜城岐阜市長良川鵜飼関ケ原町関ケ原合戦古戦場飛騨高山の春と

(途中で切れる)

岐阜県からもう一度続きをお願い

秋の祭り飛騨の里の民俗村、高山市の朝市、白川郷合掌造り集落高山市神社仏閣など。

福井県:

名産品: 越前ガニ(ズワイガニ)、越前漆器、福井市水引細工、福井県産の越前和紙、越前そば若狭鮮魚や加工品、越前

観光名所: 水の森越前越前岬、一乗谷朝倉遺跡敦賀市鯖街道の町並み、恐竜博物館永平寺三国花火大会越前加賀温泉郷

岡山県:

名産品: 備前焼岡山県産の桃やぶどう讃岐うどん岡山産の和牛牛肉の加工品、岡山県産のマスカット岡山県産のミカン岡山県産の洋酒

観光名所: 倉敷市の美観地区重要伝統的建造物群保存地区)、岡山城、後楽園牛窓町の町並み、吉備津神社玉野市瀬戸内海国立公園岡山湾の海釣り赤磐市の赤磐龍神

徳島県:

名産品: 阿波踊りの関連商品鳴門金時さつまいも)、徳島ラーメン阿波和牛徳島県産の柑橘類鳴門うずしお阿波じゅんさい

観光名所: 鳴門の渦潮、阿波踊り会館、徳島城大塚国際美術館徳島市文化財歴史的建造物祖谷渓鳴門市の大麻比古神社板野郡城下町風景など。

2023-01-22

anond:20230122121838

日本別にサッカー選手育成の為って訳じゃないから条件は一緒

日本移住者のなかからたまたまサッカー代表になってる

移民少ないのにサッカー代表育ってる=育成や子供スポーツ参加に人種的民俗的なバイアスがかかってない証拠やで

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-07-22

ちむどんどん本日放送分がキモすぎてもうだめだ

見たくないんだが同居人が週間として朝飯時刻に時計代わりにつけているので見てしまっている…その場にいる全員でツッコミ入れながらだけど。

もうツッコむ気力も失せた。

吐き出しておきたいかちょっと書いとく。

ーーーーーー

沖縄とは何度か観光した以上の縁がなく民俗研究とかしてない身だけど、沖縄文化はご先祖様を大事にしてお盆は盛大にやる、くらいは知っている。こちらでいうお盆はウークイといい、旧盆の時期にやるのだそうだ。古来より盆暮正月帰省が許されるんだから、お母ちゃん再婚の噂で「すぐ帰る!」とかトチ狂ったこと言わすんでなく、ウークイだから帰ります、でいいんじゃねーのかよ。旅費高いから数年ぶりの帰省って感じにすれば当時の沖縄との距離もだせたじゃんよ。

ウークイは盛大にやる=準備が忙しいわけで、こんな時期に「だけ」遺骨収集にいくお母ちゃんっておかしいだろ…比嘉家なんも準備してねえな?お父ちゃんのお迎えとお送りしねえの?いや、自分ちが親戚全滅してたとしても近所のお手伝いとかあるじゃん社会から完全位孤立してんのか比嘉家。これまでの行いからして孤立してても不思議じゃねえけど。

そもそも山原沖縄の北のほう)からガマのある南部って片道移動に半日かかるぞ…。

で、石川家の嫁、なんで実家にいんの?ここんとこ娘の姿がねえな、どこにやった?海に沈めたのか?子役スケジュール押さえられないなら、子供出すなよ。

そもそも博夫は実家から出てアパート暮らしてんだから、そこに合流すればいいだけなのに良子が実家にいる理由はなんだ?実家に入れば育児は歌子に丸投げできるからだろう?「この子母親は私しかいない!」とか言ってたのは無かったことになったんだな。

だいたいそもそも、ウークイは毎年巡ってくるだろ?子供時代のお父ちゃん死んだ初盆子供に教える体でお作法とかやって、お父ちゃんとお母ちゃんの話をちょっとして「幸せになりなさいね」ってやればよかったやんけ。そしたら視聴者もウークイの勉強になり、ストーリーもなんぼか見られるかたちに積み上がったのに。30近い兄弟雁首揃えて、はじめてのウークイの体ではじめてお母ちゃんの昔話聞いてる体が不自然すぎる…気持ち悪…。

昔話パートでも、親戚探しにいくと言って、親戚の一人でもあるオーナーに親戚の消息を報告するでもなしにいきなり結婚して山原に住むと事後報告とか、お父ちゃんも大概だな。

そして沖縄戦の悲劇は合計30分未満の語りで終わって、ノブコとクズピコのラブシーンの踏み台にされただけだった。は?きも。海と三浦大和の歌で誤魔化しきれると思ってんのか?八百屋あんちゃんはもう退場なのか?オーナーの、メイレイハゼタイって要らんだろ。きも。

ただ、昔語りの2日間はノブコが「マサカヤー」「アリエン」と金切り声あげなかったから耳に優しかった。それだけは評価する。どうせなら顔映すのもなくてよかったかな。あの人声が良くねえ。あの子供っぽい喋り方はそういう演出なのか?厨房では髪を結べ、汚えな。

本土復帰50周年作品と銘打ってしまたか沖縄を使ったけど、沖縄文化を描くでもなく、本土復帰前後のもろもろの社会運動や復帰後の混乱を描くでもなく、ただ顔の濃い方言女子おっさんの考えるカワイイムーブさせたかっただけじゃねーか感。

料理とか取ってつけた感しかないし、イタリア料理について調べもしてない。食材ぶちまけるとか焦がすとかい寒いギャグの連発を見るに、製作陣は、食事エネルギー補給のエサとしか思ってないんじゃないか鶴見居酒屋下宿して、自転車10分の横浜寄りの小綺麗な洋食屋修行でよかったじゃないか

そして1970年代80年代前半の新聞記者様(エリート)は当時の鶴見なんぞには絶対に住まないので、クズピコノブコが同じ下宿=やりまくりですね!になるんだよ。あーあ下半身の相性が良すぎてステータスと金を持ってくるはずの婚約者切っちゃった、とな。

放送開始前に思い描いたのは、沖縄舞台にして綺麗な海や山原のモリモリの森やギンギンの太陽を背景に、地元食材を使って、戦争の傷を抱えた人々とともに食のアメリカ化に抗う沖縄料理食堂を切り盛りする物語だったのに…。なんでこんな…。

本土復帰前後は「二人のウルトラマン」で描かれてた。

2022-07-11

みんなが持ってる怖い話を教えてー!

心霊系、民俗系、人間怖い系

なんでもいいので怖い話が読みたい

増田って昔そういうの多かった気がする

2022-02-09

anond:20220209004636

何を消費するかやなくてどう消費するかやで

例えば原神も、しょせんガチャゲと思ってログデイリーこなしてストーリーは読み飛ばして石貯めに励むか、

まじめに読んでゲーム書籍や各種フレーバーテキストから考察してギリシャ神話インド神話日本神話グノーシス主義ニライカナイ道教その他中国日本民俗伝承あらゆる方面からモチーフを読み解いて伏線を見抜いていく人になるか、の違いがあるだけやで

2022-01-10

2000年代韓国とは「個人として仲良く付き合える人はいても、歴史観でどうしても埋められない溝がある」と感じていた

今、同じ日本人に対してそう感じることになった。ネットウヨクの登場だ。

https://twitter.com/toshio_tamogami/status/1480277533870665728

こういうちょっと各地の風土記民俗資料を紐解けば嘘だとわかるような、

何の根拠もない誇大妄想が多くの人の自尊心くすぐり、もてはやされている。

 

この甘美な妄想は巡り巡って自らを毒すことになるのは明らかだが、

なにぶん一見すると攻撃先が外国のように見えるために誰も声を上げようとしない

2021-11-22

anond:20211122140424

博物館法だと

>> 歴史芸術民俗産業自然科学等に関する資料収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養調査研究レクリエーション等に資するために必要事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関<<

って言ってるから子供教育のためではあるけど保管や漏洩防止の点から見ると模写は禁じる時期があっておかしくなかろう

2021-11-05

ブルマーについての拾遺集

調べる途中だったがほったらかしにしたものをまとめておく。

1927年台湾にて提灯ブルマーでの掃除

https://en.wikipedia.org/wiki/School_uniform#/media/File:Karenko_girls_high.jpg

1951年ベルリンの体育

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bundesarchiv_Bild_183-10454-0004_Berlin_Sportunterricht_mit_Rh%C3%B6nrad-Colorized.jpg

1958年ニーダーザクセンの体育

https://www.youtube.com/watch?v=PO-Z-kBOWEU&ab_channel=trinitrojo

1968年ロシアの体育

https://www.youtube.com/watch?v=2sQknAnyzK8&ab_channel=historycomestolife

1960年セルビアユーゴスラビア)の体操選手

https://sr.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B3%D0%BD%D0%B5%D1%81_%D0%9A%D0%B5%D0%BB%D0%B5%D1%82%D0%B8#/media/%D0%94%D0%B0%D1%82%D0%BE%D1%82%D0%B5%D0%BA%D0%B0:%C3%81gnes_Keleti_1960.jpg

この記事では御年百歳のオリンピックメダリストコーチが扱われている。

1970年スウェーデンの体育

https://classic.europeana.eu/portal/en/record/76/jlm_item_208965.html?utm_source=new-website&utm_medium=button

1984年ソ連映画

https://www.youtube.com/watch?v=hMDtC9mU38o&ab_channel=%D0%94%D0%BC%D0%B8%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%B9%D0%A1%D0%B5%D0%BC%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D1%85%D0%B8%D0%BD

北朝鮮スクール水着(?)

http://russian.china.org.cn/exclusive/txt/2013-04/12/content_28524100_13.htm

グーグル翻訳中国語和訳すると次の通り。

北朝鮮は非政府スポーツを重視する国です。政府はすべてのユニット、すべての家族、すべての人にスポーツ活動への積極的な参加を義務付けています工場企業学校の4,000を超えるスポーツチームがあらゆるレベル存在します。運動グループランニング制度化されています北朝鮮民俗スポーツ活動は、豊かでカラフルで、長い歴史伝統がありますが、その中で最も影響力のあるものは、長距離走テコンドー重量挙げスケートです。」

フランス学校ブルマー

https://www.epinay-sur-seine.fr/wp-content/uploads/2019/01/l_histoire_du_sport_a_epinay.pdf


anond:20211105075157

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