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2025-12-01

仮名加賀太一(50歳)の崩壊 ――あるテレビ局の巨大な墓標

彼が結婚を発表したのは、2019年9月11日のことだった。

「長年支えてくれた女性と、ようやく家族になれました」

会見場の笑顔は穏やかで、妻は元テレビ局員、交際5年、年齢も近く、誰もが「やっと落ち着いたね」と祝福した。

その瞬間、誰もが気づかなかった。

30年分の沈黙が、静かに終わりを告げたことを。

加賀太一1994年デビューした5人組アイドルグループMC担当だった。

デビュー当時から面白い兄貴」として現場を仕切り、地方ロケでは若手スタッフからかい、時には全裸で川に放り込むような「男の遊び」を繰り返していた。

当時のテレビ業界はまだ「悪ふざけは愛情の裏返し」という空気が濃厚で、泣き寝入り日常だった。

特に下請け孫請け若い女ADたちは、声を上げれば即クビ。

「いつか加賀見さんの本命になれるかも」という淡い幻想けが彼女たちを黙らせていた。

結婚前の彼には、誰もが知る「長年の彼女」がいた。

表には出さないが、業界内では公然の秘密

からこそ、被害を受けた女性たちは自分をこう言い聞かせた。

「私はただの遊び。でも、あの人はちゃんとした彼女いるから……」

その「芸能人彼女」という曖昧ポジションが、30年間の巨大な蓋だった。

蓋が外れたのは、結婚発表の翌週からだった。

「もう幻想ゼロ。ただの使い捨てだった」という事実に、被害者たちは初めて直面した。

2020年代に入り、#MeTooの波が日本にも押し寄せ、声を上げやすくなった。

15年前、20年前、さらにはデビュー直後のロケ先で傷ついた女性たちが、

「今なら聞いてくれるかもしれない」と、一人、また一人とテレビ局相談窓口に現れ始めた。

局は最初、慌てた。

フジテレビが中位益平の一件でスポンサー撤退、数百億の広告収入が消えた前例を目の当たりにしていたからだ。

2025年6月臨時取締役会招集された。

議題は「降板」だけではなかった。

被害者への補償額、NDA秘密保持契約)の総額、弁護士費用番組再編コスト

試算は軽く数十億円を超え、被害者が増えれば数百億に達する可能性もあった。

取締役会満場一致で「報道が出る前に全て決着させる」ことを決めた。

加賀見は6月事情聴取を受けた。

そこで初めて、自分が30年間でどれだけの傷を残してきたかを突きつけられたという。

性的写真を送るよう要求した」「酔った勢いで無理やり……」

自白したのは2件だけだったが、局はすでに10件以上の相談が寄せられていることを把握していた。

降板は即決だった。

同時に、被害者全員とNDAを結び、慰謝料に加えて「生涯生活支援金」を設定。

精神科通院費、逸失利益場合によっては住宅費まで含まれた。

ある被害者は「もう働くことができなくなった」と診断書を提出していた。

局はそれらをすべて「保全」する形で巨額の基金を積んだ。

だが、金は底をつく。

被害者が増えるたびに試算は跳ね上がり、ついに局は決断した。

「一部を加賀見本人に負担してもらう」。

彼はすでにグループ解散CMは全て差し止め年収は9割減。

それでも数十億円単位の「分担金」を提示されたとき、彼はただ「わかりました」と答えたという。

2025年11月26日加賀見は一人で記者会見を開いた。

「長年の慢心で、立場をわきまえられず、多くの方々を傷つけてしまいました。答え合わせをしたい」

涙を流しながらそう言ったが、局は「二次加害の恐れ」を理由に詳細を一切明かさない。

会見後、彼は表舞台から完全に姿を消した。

結婚という「幸せ象徴」が、

実は30年分の蓋を外す引き金だった。

芸能人彼女」という幻想が消えたとき

被害者たちは初めて、自分がただの「使い捨て」だったことに気づいた。

色気もモテ通用しなくなった50歳の男に残されたのは、

金だけだった。

エルメスのバッグも、マンションの名義も、毎月の振り込みも、

すべて「ごめんね」の代わり。

でも、もう遅い。

加賀太一という仮名の男の崩壊は、

テレビ業界が30年間見て見ぬふりしてきた巨大な墓標だった。

そしてその墓標は、今も静かに被害者の数を増やし続けている。

(約1980字)

2025-11-29

国分何したんや事件

外部から見る分には、訳分からんくて先が気になっておもろい。

 

https://x.com/shabby_pirate/status/1993571568665215294?s=46

6月国分太一、各番組降板へ」

ワイ:「まじか…国分何したんや?」

10月国分太一人権救済申し立てへ」

ワイ:「そういえば国分は何したんや??」

今日国分太一記者会見実施

ワイ:「だから国分は何したんや???

 

https://x.com/sustina233/status/1993575127095951494?s=46

国分「どの点がいけなかったのか教えてもらえてないんです」

ワイ「は?!」

 

https://x.com/lndz2jq6e005vcr/status/1993656772855488801?s=46

日テレ第三者委「おしえねーよ、でも国分が何かした事は事実認定たから」

国分「いや、だから教えてよ」

日テレ第三者委「絶対言わねーから

 

https://x.com/shoot_drive/status/1993976332586504589?s=46

視聴者全員「国分何したんや?」

マスコミ国分何したんや?」

テレビ局国分何したんや?」

リーダー太一何したんや?」

松岡国分さん何したんや?」

 

https://x.com/coszuki/status/1994247451214270916?s=46

日テレ守秘義務で言えません」

文春「日テレ関係者が教えてくれました」

国民「文春おかしいやろ!」

 

https://x.com/niko_yu_chi/status/1994206432829354066?s=46

TBSトラブル確認できなかった」

テレ東トラブル確認できなかった」

 

https://x.com/umi_sht/status/1994637987779584080?s=46

TBSテレ東調査済み

テレ朝は把握なし

ついでに東海テレビ調査済みでした

 

https://x.com/umi_sht/status/1994639452438921438?s=46

フジテレビ記事は見つけられなかったのですが、株主総会話題に上がっていたようです。3人の方が同日にポストされていたので、割と信憑性は高いのかなと思いました(問題あれば消します)

 

https://x.com/niko_yu_chi/status/1994665270938685887?s=46

引用失礼します。

TBSテレ東東海テレビ

調査済み。トラブルなし。

テレ朝フジテレビ

トラブルは把握していない。

日テレだけ、自社社員刑事事件でさえ、記者会見などしないのに、取引会社タレントの件で社長自ら記者会見

2025-06-22

【速報】国分太一TOKIOの“ひみつ工場”で「きのこの山」中身を「たけのこの里」にすり替え!?明治製菓に激震!

国民アイドルグループTOKIOリーダー国分太一(50)にまたもや仰天の疑惑が浮上した! 関係者によると、彼がプロデュースする人気テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画建設された通称“ひみつ工場”において、不穏な動きが確認されたという。なんと、あの国民的お菓子きのこの山」の中身が、密かにたけのこの里」にすり替えられているとの情報が飛び込んできたのだ!

きのこvsたけのこ」の終焉!?

長年にわたり日本中菓子愛好家を二分してきた「きのこの山」と「たけのこの里」の壮絶な戦い。その両者の熱いバトルに終止符を打つかのような、衝撃の情報列島は騒然としている。情報筋によると、国分DASH村ならぬ“DASH工場”で、最新鋭の技術を駆使して「きのこの山」のチョコレート部分とクラッカー部分を精巧に分離。そこに「たけのこの里」のクッキー部分を合体させるという、まさに錬金術にも似た荒業を敢行しているというのだ。

太一スペシャル流通明治製菓激怒

この“すり替えきのこ”は、すでに一部の関係者の間で「太一スペシャル」として密かに流通しているとの噂もある。もしこれが事実なら、長きにわたりライバル関係にあった両者の立場が逆転し、菓子業界勢力図を塗り替えるどころか、明治製菓企業戦略のものにも大きな影響を与えることは必至だ。

明治製菓広報担当者は本紙の取材に対し、「そのような事実は一切把握しておりません。当社の商品に関する不正行為に対しては、厳正に対処いたします」と、強い口調でコメント

しかし、その表情には明らかな動揺が見て取れたという。

背景には「たけのこ派」の悲願?

なぜ国分がこのような暴挙に出たのか? 関係者の間では、彼自身が根っからの「たけのこ派」であり、長年の「きのこ派」優勢の状況に一石を投じたかったのではないかとの見方が強い。また、TOKIOの他メンバーが「きのこの山」派であることへの反発、あるいは単なる悪ふざけの延長ではないかという憶測も飛び交っている。

DASH企画なのか、それとも国分個人的な野望なのか、真相は藪の中だ。しかし、この前代未聞の“すり替え事件が、菓子業界、ひいては日本社会にどのような波紋を広げるのか、東スポは今後も徹底的にマークしていく所存である

続報を待て!

anond:20250621231214

2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか? 普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

2025-06-20

昔同僚が飲み会での国分太一テレビと違うと言ってた

オチはない

テレビADかなんかやってて、体調崩したとかで転職してきた同僚がいた

その人いわく

松岡くんはほんとテレビと同じでみんなのイメージ通り

太一くんは全然テレビと違ってただの嫌なやつ。飲み会全然楽しくない

って言ってたのを思い出した

当事者でもないし、何が楽しくないかも言ってたけどだいぶ昔だから覚えてない

今日まで一切忘れてたというだけ

2025-03-31

主人公以外の男キャラで、その作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしたキャラ



他に誰がいる?

作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしただから主人公とか他のキャラも人気だけどそれより少し人気が高いくらいじゃダメだよ

アイシールド蛭魔ガンダムシャアは凄くいい、すっかり忘れてた

爆豪も確かに ポップはどうなん?最終的に人気上がっただけで、牽引したかというと…?

~~~~~~~~~

ごめんね厳密に定義できてないからね

既に人気があった作品の序盤中盤に注目されてない/登場が遅い/活躍が遅い/見直されたのが遅いキャラは難しいかもね

あと女子人気が強く影響するのはそうなんだけど、その中でも特に凄かったキャラという感じだね

~~~~~~~~~

未精査メモ(以下全てがブーム牽引キャラに該当するかは調べてない)

トラバ

ぶこめ

ぱっと思いついたのは八神庵

2025-02-23

anond:20250216134137

ブコメ読みつつ、ふりかえる

ちはやふる

コミックで買ってかなり長く読んでいたのに、なんとなく読むのをやめてしまった

完結したと聞いても手が伸びなかった

さらにはマンガアプリ期間限定無料最終話まで読めるキャンペーンをやっていた時期もあったのに、少し読み進めるも続かなかった

理由について自問自答

この後もきっと千早は変わらずに持ち前の前向きさで、太一や新ともなんかうまいオチがつき、クイーンになるんだなと思い

毎回誰かにスポットの当たる展開も好きだが、それも十分に満たされて

もう読まなくても良くなった、みたいな感じなのだと思ってる

ダーウィン事変

世界観問題提起的なやつが興味深く引き込まれて一気に買って読んで、その後も購入してたが5巻読み終わって次への意欲がわかなくなった

恋人との関係が疑いなく確定したことと、組織が云々といろいろ面倒くさくなってきたあたりで、なんかもうよくなった

イムリ

無料で読み進めて面白いと思って全巻買ったけど、世界観を頭に入れつつ理解して読むのが面倒になり中断 買ったからにはそのうち読む

10 dance

世界観の丁寧なBL

自身キャリアや身近な人間関係を描きつつのBLですごく好きなんだけど

両想い確定したら、なんかもうよくなった

2025-01-08

三角関係ものとかで片方を強烈に推して「こっちとくっつけこっちとくっつけ」って念じるの楽しいけど近年はそんなにハマるキャラがいなかった

久しぶりに推せるキャラができてうれしい

シェリルランカとか有名だけどリアタイでは見てなくてとっくに決着ついてから見たな

西野東城はそんなにどっちも好きではなく確実に結ばれないであろう北大路がわりと好きだった

五等分はまあ三玖が好きだけど決着つくころには作品自体がパワーダウンしててわりとどうでもよかった

新と太一なら新派だがこれも作品が長引きすぎてわりとどうでもよくなった

マクロスΔキャラデザならミラージュ推しだったけど本編では空気三角関係っぽさがなくてがっかりだった

推してる黒髪キャラは勝てそうな気がするけどまだ勝負が読めない、勝ってほしい

主人公白髪とほぼくっついてしまってるが、まだ折り返し地点と作者が言ってるのだから巻き返しそう

恋愛主体じゃなくてもいいから、三角関係でどっちとくっつくかまだ不明な現行作品なんかあったら教えて

2024-09-03

おお、岡本太郎批判にそのまま使えそうだ。本来万博会場全体の予算であったもの太陽の塔ひとつに使ってしまい、途中で発覚し慌てて止めようとしたが時すでに遅し。あの塔が完成した

[B! 万博] サクッと調べたので間違えてるかもしれんが 万博会場の建ぺい率は70%な..

  

id:tapi423さま、コメントありがとうございます

上記コメント太陽の塔内部の展示資料パンフレットを読んだ私の記憶をもとに書いたのですが、改めて調べたところ

万博会場全体 → テーマ館の展示全体 

の間違いだと思います。いい加減なことを書いて申し訳ありません。ブコメ修正しておきます

 

ただ太陽の塔建設は当時大変揉めていたこと、岡本太郎勝手暴走したこと事実のようです。

以下、参考になりそうなページをまとめておきます

 

岡本と丹下の対立

会場計画プロデューサー丹下健三氏と岡本太郎の取っ組み合いの喧嘩がさまざまな記事言及されています

中でも堺屋太一氏による「地上最大の行事 万博博覧会」は当事者による記述として興味深いので引用しま

 

計画が出されたとき、万国博開催期間は梅雨の時期も含まれるため、人を集めるには「屋根」が必要だという意見が出た。しかし、これほど巨大な建造物屋根をどのように作るのか、技術的な解決策は見えてこない。建設省や通産省から安全性危惧し、縮小変更を訴える声が強かった。

  

(中略: ここから大屋建設の苦労が語られますが省略します)

 

お祭り広場建築軌道に乗り始めたと思った矢先のことだった。展示プロデューサー岡本太郎氏が、お祭り広場大屋根の真ん前に、塔をつくると言い出した。これが、かの「太陽の塔である

岡本氏の発言を聞いた丹下氏の顔色が変わった。

「すでにシンボルタワーは菊竹清訓氏が設計していますあなたは展示プロデューサーなのだから、展示に集中してください」

菊竹氏が設計した蜂の巣状のシンボルタワーは、会場の南端に建てる予定で計画が進んでいた。しか岡本氏は一歩も引かない。

「万国博の展示の中心には、一眼でわかるような造形が必要です。一番目立つ展示を私は考えました」と言ってスケッチブック4冊ほどを取り出した。そこには「太陽の塔」のスケッチが200枚くらい描かれていた。(中略)岡本氏の熱弁を聞いたところで、もちろん丹下氏は納得しない。丹下氏の口調は次第に厳しくなり、

「お前にそんなものを造る権利はない」「造るとしても、目立つところにあるのは許さない」

どうしても造るなら、お祭り広場屋根設計を変更して、太陽の塔屋根で囲って見えないようにする、とまで丹下氏は言った。

すると岡本太郎氏は烈火の如く怒り、関係者のいる前で2人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。互いの弟子たちは喧嘩を止めるどころか加勢し、手のつけられない状態になった。慌てた私はいったん通産省が引き取りますと2人を制したが、「引き取るとはどういうことだ」と、今度は私が2人に罵倒される始末だった。結局、大屋根の中央に大きな丸い穴をあけて「太陽の塔」を突き抜けさせるという妥協案に落ち着くまでに1ヶ月かかった。

(「地上最大の行事 堺屋太一 万博博覧会」 p269~p280)

 

このように「太陽の塔」はもともとシンボルタワーとして造られたものではなかったが、結果的に二つのタワーが万国博に登場した。岡本太郎氏は「自分太陽の塔と、菊竹氏のタワー、どちらが真のシンボルタワーかは大衆審査に委ねるべきだ」という考えを示した。と同時に「自分には自信がある」ということを盛んに表明した。この勝負岡本太郎氏に軍配が上がったことは歴史証明している

(「地上最大の行事 堺屋太一 万博博覧会」 p282)

 

なお、著者である界屋太一氏は通商産業(現経済産業)省の方であること、出版2018年であることは注意が必要です。

まるで仲介役をしていたような書き方ですが、以下の小松左京氏の著書によれば通産省も強固に反対していたようです。

当初の見解とは大きく異なり太陽の塔歴史シンボルになってしまったせいで不都合なことはみんなちょっとずつ伏せている感じはありますね。

 

小松左京ライブラリ

予算といえば、あの「エキスポの顔」といわれた高さ六十メートル名物太陽の塔」があやうく消えかかったことがある。テーマ展示の、総予算は前にもいったように建設費こみのあち見つもりで三十億は必要だと、岡本氏のスタッフははじき出していた。(この金額理事会説明する時、岡本氏はテーマ展示には「最低三十万円」必要だ、とやってしまった。石坂会長の「明治四十五年の万国博」とともに万国博の二大迷言とされている)

 大蔵省筋はこの規模を内々に承認していたが、監督官庁の通産側は、あまり正面に大きなものを建てられると、ホストカントリー日本政府館が目だたなくなる、という理由強硬に反対した、テーマ展示の稔予算はせいぜい三、四億でいい、というのだ。モントリオールテーマ予算百億と大変なひらきだ。そんな予算ではとてもテーマ展示はできないとプロデューサー側がいうと、もともとテーマなんてものは万風博にはいらないものだ、とまで極言した。

(中略)

 予算の三倍にふくれ上った見つもりをむりやり削るのは大変な作業だった。業者サイドと一項目ずつ検討し、全体の仕様をかえ、やっと予算の倍ぐらいまで削った。だがそれをさらに半分にするのは、背筋の寒くなるような作業だった。

場合によっては、石を一つころがしておいても、これが「根源の世界」だとひらきなおってみせると豪語していたものの、当初のイメージが、はなはだしく萎縮してしまうのはさけられなかった。それに私は平野氏と話しあって、第三スペース「心の世界」に展示する、海外民俗資料収集のための、予算千万円は、最初からおさえて、絶対手をつけないことにしていた。一・五倍にまできりつめる時、展示構想を基本からやりかえなければならないところにまできた。

テーマ展示に関わった小松左京氏が予算で苦労する様子が書かれています現在国立民族学博物館小松左京氏と平野氏が守ったのですね。知りませんでした。

 

 

余談ですが、調べていて個人的面白いと思ったところ:

  

 

追記:誤字修正しました

丹下健三郎氏 → 丹下健三

id:ryotarox さんありがとう!)

  

id:tapi423 さん、こちらこそどうもありがとう

色々知ることができて面白かったです。ブコメも興味深く読ませてもらいました。

2024-08-27

anond:20240827000000

類は道明寺に取られた片思い不憫属性による人気が高いと思うわ

実際くっついたら喜ばれるかというと微妙なところだ

ちはやふる太一みたいなもんだ

くっつかないほうが太一ファンは喜んだ

2024-07-07

有権者11,349,278 投票率 60.56% 開票率 58%

23:15更新

小池 百合子 1,861,393(46.9%)

石丸 伸二 977,494(24.6%)

蓮舫 823,82420.8%)

田母神 俊雄 115,044(2.9%)

安野 貴博 63,769(1.6%)

内海 聡 34,519(0.9%)

ひまそら あかね 30,625(0.8%)

石丸 幸人 26,324(0.7%)

桜井23,124(0.6%)

清水 国明 7,210(0.2%)

ドクター・中松 2,538(0.1%

大和 行男 121(0.0%)

後藤 輝樹 79(0.0%)

木宮 光喜 58(0.0%)

横山 緑 41(0.0%)

桑原 真理子 34(0.0%)

向後 真徳 31(0.0%)

澤 繁実 23(0.0%)

AIメイヤー 20(0.0%)

小林 弘 19(0.0%)

河合 悠祐 15(0.0%)

竹本 秀之 12(0.0%)

三輪 陽一 10(0.0%)

内藤 久遠 9(0.0%)

内野 愛里 8(0.0%)

桑島 康文 7(0.0%)

福永 活也 7(0.0%)

牛窪 信雄 7(0.0%)

山田 信一 6(0.0%)

穂刈 仁 6(0.0%)

小松 賢 5(0.0%)

武内 隆 5(0.0%)

木村 嘉孝 5(0.0%)

新藤 伸夫 4(0.0%)

黒川 敦彦 4(0.0%)

加賀田 卓志 4(0.0%)

松尾 芳治 4(0.0%)

加藤 健一郎 4(0.0%)

アキノ将軍未満 4(0.0%)

野間口 翔 3(0.0%)

小野寺 紘毅 3(0.0%)

舟橋 夢人 3(0.0%)

加藤 英明 3(0.0%)

草尾 敦 3(0.0%)

津村 大作 3(0.0%)

俊輔 3(0.0%)

古田 真 3(0.0%)

福本 繁幸 2(0.0%)

上楽 宗之 2(0.0%)

二宮 大造 2(0.0%)

尾関 亜弓 1(0.0%)

犬伏 宏明 1(0.0%)

遠藤 信一 1(0.0%)

中江 友哉 1(0.0%)

前田 太一 1(0.0%)

福原 志瑠美 0(0.0%)

開票率40% 23:07現在

小池 百合子 1,306,827(48.1%

石丸 伸二 660,702(24.3%)

蓮舫 578,124(21.3%)

田母神 俊雄 71,844(2.6%)

安野 貴博 31,169(1.1%

内海20,119(0.7%)

ひまそら あかね 16,525(0.6%)

石丸 幸人 14,324(0.5%)

桜井12,817(0.5%)

清水 国明 2,806(0.1%

ドクター・中松 538(0.0%)

木宮 光喜 58(0.0%)

AIメイヤー 20(0.0%)

小林 弘 19(0.0%)

河合 悠祐 15(0.0%)

後藤 輝樹 12(0.0%)

大和 行男 10(0.0%)

三輪 陽一 10(0.0%)

向後 真徳 10(0.0%)

内藤 久遠 9(0.0%)

内野 愛里 8(0.0%)

澤 繁実 7(0.0%)

福永 活也 7(0.0%)

牛窪 信雄 7(0.0%)

山田 信一 6(0.0%)

穂刈 仁 6(0.0%)

小松 賢 5(0.0%)

横山 緑 5(0.0%)

木村 嘉孝 5(0.0%)

新藤 伸夫 4(0.0%)

竹本 秀之 4(0.0%)

桑原 真理子 4(0.0%)

黒川 敦彦 4(0.0%)

加賀田 卓志 4(0.0%)

松尾 芳治 4(0.0%)

加藤 健一郎 4(0.0%)

アキノ将軍未満 4(0.0%)

野間口 翔 3(0.0%)

小野寺 紘毅 3(0.0%)

桑島 康文 3(0.0%)

舟橋 夢人 3(0.0%)

加藤 英明 3(0.0%)

草尾 敦 3(0.0%)

津村 大作 3(0.0%)

俊輔 3(0.0%)

古田 真 3(0.0%)

福本 繁幸 2(0.0%)

上楽 宗之 2(0.0%)

二宮 大造 2(0.0%)

尾関 亜弓 1(0.0%)

犬伏 宏明 1(0.0%)

遠藤 信一 1(0.0%)

中江 友哉 1(0.0%)

前田 太一 1(0.0%)

武内 隆 0(0.0%)

福原 志瑠美 0(0.0%)

2024-03-31

空を飛ぶ 街が飛ぶ スーパーティーが舞い上がる

TOKIO TOKIOが空を飛ぶ

「じゃあなにからやる?」

「んじゃ松岡航空力学学ぶところから始めて、俺と太一パイロットライセンス取るわ」

推しGとまたお別れ

私の好きな人達、どうしてみんなバラバラになってしまうんだろう。

TOKIOといいV6といいセクゾといい。

本当は、新しい推しができた喜びを文章にまとめたくて、ちょっとずつメモを残していた。まとめきれないうちにケンティーの脱退が発表されてしまったのだ。

好きになってたった3ヶ月での出来事で、久しぶりにできた推しGの存在に最高潮に盛り上がってはしゃぎまくって調子に乗っていた最中だったから。期間は短いけどショックはとてつもなく大きかった。

毎日のようにCDやコン円盤を買い漁り、過去映像をチェックして、Twitterアカウントも作って。fmkn二次創作出会ったあたりで本格的に沼にはまった気がする。一般チケットを手に入れて、ドーム公演にも参戦した。執着の強さが自分でもやばいと思いつつ、結局大阪両日とも参加した。久しぶりの大型会場でのコンサートで、若くかわいいお客さんもいっぱいいて、ちょっとびくびくしながらも同時にわくわくして。まるで二次元存在みたいだったSexyZoneって実在するんだ!って思った。ドーム通路にはライブ機材が無造作に置かれていて、SexyZoneの名前が書かれていた。次のコンサートではこの名前も変わるのかな、なんて思って見ていた。

今回はドームだけどきっとある次のツアーではアリーナチケット取りたい!と無邪気に願っていた。

TOKIOV6も、今も活動してくれているメンバーちゃんといるけれど、やっぱり昔と同じ熱量では追えなくなっていたから。若いグループにはまってあと何年もずっと追いかけていける!キラキラした宝石を愛でるみたいに応援していこう!って思って、ワクワクが止まらない日々だった。

今となっては、もっと早くセクゾを知りたかったと思う。デビュー時はなんて幼いのかとちょっと引いていた記憶がある。その時の印象のままずっと来ていて、WOWOWケンティー映画番組を見かけたときも、子供にこんな番組やらせるの?なんて失礼なことを思っていた。

TOKIOのことがあって、V6のことがあって、ここ数年はジャニーズ情報を追うのが辛くなって、大型音楽番組もろくに見ていなかった。

事務所問題がなかったらもしかして今回の脱退もなかったのかもしれないけれど、事務所問題があったからこそ応援のつもりで若手Gをチェックするよになって、それでセクゾに、中島健人出会ったのだった。

知らずにいたらこんなに苦しんではいなかっただろうけど、知って悔やんではいない、今のところ。それくらい中島健人という人は魅力的だ。

発表後しばらくは苦しくて、わざと嫌いになろうと苦手なところを探したりもした。でも結局無理だった。むしろ発表前よりも彼のことを知りたくなり、好きな気持ちが強くなっている気がする。

VIVANTを見てノコルが良かったから、なんとなくジャにのを見始めた。並行して、キンプリとか若手の動画を見るようになった。ささやか応援のつもりで。

ジャにので唯一知らなかったのが風磨君だったんだけど、ちょっと無礼キャラクターが気になった。顔が好きなタイプだったのもある。

同じタイミングで聡ちゃんDASHに初登場して、あまりの良い子さに感動してしまった。推し太一くんの反応が良かったから余計にかもしれない。

リプモンのCM騒動も忘れられない。作品のものが素晴らしかたから、失われることにファンは怒りを表してもおかしくないのに、ナイフには花束を、

合言葉のようにして、嘆きはしつつ感謝を述べていたのを見て、それにケンティーが花瓶で返したやり取りを知って、泣いてしまった記憶がある。

メンバー4人中3人のことがここまで気になっているんだから応援のつもりでFCに入ろう、なんて思っていた。ちょうど改名が発表されていたから、今は大変だろうから新G名が決まって落ち着いたらね、って感じで。

事務所バッシングがひどい頃で、テレビが辛かったから家では常にYouTubeを見るようになっていて、そこで本建のMVなんかも見てたんだけど、そこにCDTVの映像が流れてきたのだ。

そのパフォーマンスに魅了されてしまった。多分その場でFCの入会手続きをしたと思う。あの自信満々で不遜なまでの微笑み。妖艶さ。歌唱力の高さ。指先の動きまで美しくて。そこから本当に沼だった。メンバー全員方向性の異なるビジュアルの良さといい、波乱に満ちたグループ歴史といい、ふまけんというシンメ関係性といい。まるで少年漫画のようで、二次元オタクの心に物凄く刺さったのだ。

でも、はまって早々に、グループへの不安というか不満も生まれていた。

まずGの供給がないこと。Gの関係性や人となりを知ろうとしても手段がない。それもあって、CDの特典映像を集めまくっていたが、過去のものを見ると、このGあんまり仲が良くないのでは?と思わざるを得ないやり取りがたくさんあった。見ていてヒヤヒヤするような雰囲気は、仲が良いのは当たり前のトキブイしか知らなかった身にはちょっと衝撃だった。検索すれば氷河期などがサジェストに上がってくるし、でも今は仲悪くないんでしょ?と思いたかったが、ホメうそでも時々不安になるような会話があったりして。心から安心して見ていられる感じではなかった。その辺を、二次創作ごまかしていた気がする。妄想の中ではfmknはとても仲良しだったから。

JGRの動画をみて、ボケ放置されるのは不仲な訳じゃなくて通常営業なんだって知って、ちょっと安心した記憶があるけど、それくらい不安感が漂うGだと思っていた。

不安ピークは年末年始だ。年越しになんの供給もないあたり、このGは大丈夫なんだろうかって新規のくせに泣きたいくら不安になっていた。

だけどまさかセクゾ象徴みたいなケンティーがGを抜けるとは想像していなかった。FC文章を途中まで読んで、一瞬風磨君が辞めるのかと思ったくらいだ。

でも確かにケンティーがいなくなるかも、という考えも浮かんだことはあった。彼は映画を愛していて、映画に関わっている先輩達の退所が相次いでいたから。彼も同様の理由でいつか事務所を離れてしまうんじゃないかって。

こんなに早く、少し違う形での離れ方だとは思わなかったけど。不祥事でもない、事務所を離れるわけでもないんだから、きっとずっとマシなんだろうけど。

私のFCの好きなメンバーは風磨くんだ。トニセン写真を買ったときついでのつもりで買ったのも風磨君の写真だった。顔が好きなのは風磨くんだし、最初セクゾ意識したのはジャにのだったし、そんな理由だったと思う。でもいつの間にか推しケンティーになっていた。

決定的なきっかけはもう思い出せないけど。ドーム映像ビジュアル歌声が良かったからか。パブイメと全然違うビリヤードが愉快だったり、けんしげひーの打ち解けたやり取りが可愛かったりしたからかも。でもたまたま加入していたWOWOWの影響は大きかったと思う。なんとなく見た映画番組で、映画への愛の深さ、英語力の高さ、物怖じしない強さ、礼儀正しさ、溢れる好奇心、知らなかった魅力が詰まっていて。物凄く惹きつけられた。この人の努力が報われる世界であってほしい、なんてモンペ思考になってしまうくらい。

でも、Gにいたまま世界に出て、Gを世界に紹介してくれるんだろうって信じていた。

そして彼が抜ける理由も多分この番組のせいだ。せい、っていうのはよくないかもしれないけど、Gにいる彼が好きな人間にとっては、この番組には複雑な気持ちがある。彼が最も輝く場所であり、Gから彼を奪ったとも言える存在だ。もしこの番組がなくても努力家の彼は、また違うルートで羽ばたいていたかもしれないけれど。

Gの関係性にも悲しみを感じる。トキブイの別れてのときは、いろんなパターンがあったけどどの時も、メンバー間の愛情を疑ったことはなかった。山口君の時でさえ、いやあの時こそ一番強く、深く揺るがない愛情を感じた。でもセクゾは違う。メンバー間の繋がりが脆くて儚いものに見えてしまう。Gの歴史を考えたら仕方ないのかもしれないけれど。でも、もし何かが違っていたら、もっとGが上手く機能していたら、Gにいたままでいてくれたんじゃないかって、新規ながら思ってしまう。

飛ぶ鳥を落とす勢いて売れてきた風磨くんは、これからケンティーもっといい関係になるだろうって期待していた。それなのになんで離れてしまうんだろう。逸材揃いのこのGの魅力が、もっと世間に知られて欲しかった。そうならないうちに形を変えてしまうのがあまりにも悲しい。

世界活躍する中島健人が見たい。でもグループメンバーと一緒に活動する中島健人も、もっとずっと見ていたかった。

どっちも強い本心だ。あと本当にちょっとでSexyZoneは終わってしまう。

新規オタクの短い夢も終わってしまう。これから過去作品を遡っていくのを本当に楽しみにしていた。次のコンサートでは中島さんのうちわ作ってみたかった。

上でも書いたようにケンティーのことはすごく好きだし応援したい気持ちがあるけど、アイドルはGにいてこそ、と思っているので、同じように推せるかは分からない。最推しがいなくなった新Gのことも同様だ。

きっと辛いから見るのをやめて、そのうち離れていってしまうかもしれない。

今は全く分からない。

山積みの円盤雑誌を前に呆然としている。

本当は仲が良くはないと思うシンメの絆を、それでもちょっと信じたいという諦められない気持ちもあって。

季節の変わり目でメンタルもぐちゃぐちゃだ。その記録として殴り書きした。

もっと楽しいことだけ書き残したかったな。

少なくとも最初の3ヶ月、短い間だったけど、セクゾ出会えて本当にものすごく楽しかったよ。心からありがとう

彼らに明るい未来がありますように。

2024-03-24

anond:20240324083939

若手の八段に関して言えばA級昇格で八段昇段しているケースがけっこう多いイメージ

最近だと中村太一八段、佐々木勇気八段、増田康宏八段、千田翔太八段

40代後半以上だと勝数規定で八段までいった棋士が多いんじゃないか

http://kishibetsu.com/age1.html

タイトル獲れるのはほんの一握りの棋士だよ

藤井聡太の登場でその門がさらに狭くなっちゃったけど

たいへんだよね

2023-11-09

anond:20231109121115

ちはやふる連載当初、末次由紀さん自身が「千早と新の物語」だと明言していたにもかかわらず、

最終回では新ではなく、千早太一が付き合うことになったのは、あかんでしょ。

2023-09-18

令和生まれの子につけるなら「

男の子なら「一」か「太一」に決めてる

2023-01-20

デジモン映画を見た

絆というやつ。めちゃくちゃネタバレなんだけど疑問に思うことがある。

いまからラスボスと戦いに行くぞってシーンでヤマト

戦うってことはデジモンとの別れが近づくってことなんだぞ!(要約)

って言ってたんだけど、ヤマトってこんな身内第一主義なやつだったっけ?

TV放映当時は無印~テイマーズあたりまで見てて、tri.は4作目くらいで視聴が止まってるニワカなんでイメージもの言ってる)

まあ、確かにたくさんいる選ばれし子どもたちの中で、太一ヤマトけが犠牲を払って被害者を助けにいかなきゃいけない理由ってどこにもないんだけどさ。

これを期に無印を見かえそうかな。

2022-12-06

anond:20221206022014

対置太一・泰一「迷惑

みちちっ「エロ専用です」

 vs

ケイタイ電卓「おれらよりは本体残ってるからマシ」

ファイッ!

2022-08-04

ちはやふる最終回ネタバレ

まじで最高だった

いろいろTwitter批判的な意見いかTwitterで書けないけど私としては最高の最終回だった

千早にとって新はかるたがあれば会えるから大丈夫って認識太一かるたがないと会えないのは嫌だって認識だったんだろうな!最高か!

千早にとって新はかるたがあって繋がっている相手だけど太一かるたがなくても繋がっている相手なんだろうね好きだ最高すぎる

太一推しでも新推しでもないし作品として愛していたからとっっっっても最高な最終回しか言えねえわ〜

最高の作品の最高の最終回を生きてる間に読めてよかった

最高って言葉何回使っとんねんって思うくらい使ってるけどマジで最高でした

あと個人的Twitterで気に食わない最終回からって言っていいことと悪いことがあるだろってほど強い言葉使っている人いてめちゃくちゃ不快だった

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