はてなキーワード: 海釣りとは
これ (https://anond.hatelabo.jp/20240702181549) を書いた者だけど、皆さん色々アドバイスありがとうございました。
トラバもブコメも思ったより優しい言葉が多くて良い意味でびっくりした。
休職し始めて一か月くらい経ち、幸いなことに調子は戻ってきて、
会社も復職を段階的に進めてくれるとのことなので、8月後半から復職し始める予定。
休んでみて、休職前の一年は職場環境も自分のメンタルも劣悪な状態だったな…と客観視できて、
それだけでも一旦休んだ意味はあったなと思っている。
備忘として、この一か月でやってみて良かったことと悪かったこと、やらないようにしたことをメモする。
同じ境遇の人が何するか迷った時の参考になれば幸い。
メインでやったことの1つ。やったことなかったけど海釣りにチャレンジした。主にシーバスを狙って、場所探したり釣り方をyoutubeで見たり。
全然釣れてないけど、潮の満ち引きとか釣りスポット探しとか、トライ&エラーが楽しくて良いリフレッシュになった。
完全に一人で行ったので、同行者の時間や釣果を気にせずに「今日は上手くルアー投げれたからよかったな」「魚は居たからスポット選びは合ってる」とか自己満足できたのも良かったかもしれない。
ただ、朝マヅメを狙ってほぼ徹夜で釣りに行ったらそこから3日間体調を崩した…。体力的に無理は出来ないことも実感できたのが副産物か。
あとは、管理釣り場の釣りもまたやろうと思っているので道具を買ったり。釣り楽しいね。
これもよかった。大学時代や転職前の友人、昔のバイト先の人と会ったりした。
仕事で疲弊することや休職が特別ではないことを感じられたり、自分では考えてなかった楽しい活動をオススメしてくれたり、前向きになれた。
「仕事に関わらず個人として気にかけてくれる人が居る」と実感できたのも、肩の荷がおりる思いだった。
エアロバイク、腕立て伏せ、スポーツセンターのジム、Fitボクシングなど、ほぼ毎日どれか1つは実施した。
ゲームや読書しながらエアロバイク30~60分→終わったら腕立て、のセットが一番やりやすかった。
あと、プライムデーで安くなってたからプロテイン買ってみたけど、最近のプロテインは滅茶苦茶美味くなってるのに驚き。10年前はもっと粉っぽかった。
全くコミュニケーション出来なくなっていないか心配だったけど、まぁまぁ話せてよかった。
こういう「何かタメになりそう」感がある活動は心の慰みになる。
今まで読みたかったけど保留していた漫画・本・ゲームを進めた。
コロコロ無料開放してたから色々一気読みしたけど、ゴクオーくんがすごく面白かった。青年漫画や少年漫画と比べても遜色ない名作。
ゲームはティアキンと、MTGアリーナ。どちらも時間が溶けすぎるのでほどほどにしないとと思って、昼間はあまりやらないようにしていた。
最低限やらないといけないのでやったことでもあるが、社会との接点になってよかった。
落語やミュージカルなど。純粋に楽しいし、一日に時間が定まった予定を入れることで、生活のリズムの補助になる。
ある意味一番大事だったかも。どんなことも、無理しすぎないでやりたくなったらやる。
家族と買い物したり、ゆっくり過ごしたり。仕事なんかより家族が大事だなぁと改めて感じた。
一回外に出て日光を浴びると一日が始まる気がする。
休職始めの1~2週間は「転職も考えてみるか」と転職サイトやエージェントとの面談を何回かやってみたけど、調子が戻ってない状態で転職理由を説明したり相手から値踏みされるのはメンタルが疲労してしまった。
休職中であることを隠すか、どう説明するかとか余計なことを考えないといけないのも疲労の一因だったので、休職中の転職活動は自分には向いていなかった。
負けた。やらんほうがよかった。
折角だから遠出の計画を立ててみたけど、暑すぎる&ゲリラ豪雨が怖いので断念した。昼間は一時間走るだけで頭がゆで卵になりそう…。
同上。やるなら春と秋だね。
やろうと思えば朝から飲み始められるが、一段とマズいことになりそうなのでやめておいた。
働いてた頃より酒量が減ったのはよかった。
私はサレた妻の方。
以下経緯
後輩が結婚式あげるので久々にネイルサロン行こうと思い、インスタでいい感じのデザインを物色。
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とある女性のアカウントにアップされたデザインがすごくかわいくて個性的。そのアカウントは無言でネイルとかインテリアの写真をあげてるだけなので詳細わからず。
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普段ネイルとかしないので、そのデザインの呼び方?がわからない。なので、とくに深い意味はなくそのネイルの画像と類似の画像を探すための画像検索する
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全く同じ写真をあげてる女性(以下a子) のTwitterアカウントがみつかる。開くとプロフィールに『婚外』とだけ書いてある
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そこではじめて不倫を婚外恋愛と呼び楽しんでいる?界隈があると知り、ここからはネイルのことを忘れて興味本位でそのアカウントを読んでみる。
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恋心を語ったポエムのようなツイートと義理実家や夫への愚痴を書き連ねたリアリティ溢れるツイートの落差が面白くてつい読みふける。
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どうやらダブル不倫で、相手の男(以下b男) は出張やゴルフと偽りこの女性と温泉旅行や日帰りのドライブデートなどを楽しんでいるようだ。そして花火大会の写真などからおそらく同じ県に住んでいることがわかる。
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新幹線内?でa子とb男が手を繋いでいる写真がアップされている。私の夫と同じ腕時計(日本ではあまり流通していないモデル) だ。よくみたらシャツの袖もみたことあるような柄だなぁ。
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えっ?まさか?と思い、メディア欄を開いてb男が写ってる写真を探す。手や胸のあたり(食事で向かい側に座っているb男の写真) しか写っていないが、間違いなく夫だと確信する。なんなら私と二人で一緒にアウトレットで買ったTシャツ着てる。
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夫がゴルフや出張、友人と海釣り旅行に行くと言っていた日付とa子とb男が会っていたと思われる日がかぶっていることを確認。
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放心する。信じられない気持ち。ただただ傷ついた。
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夫と話し合った。夫はすぐにすべて認めた。また、夫の気持ちは変わらないらしかった。子供もいないし、私ももう一緒にいる意味がわからなくなったので、離婚した。
くっそ暑いのでSteamで夏休み追体験ゲーム買ってきました。
どんな内容なのかかるーく書いてみます。
念願の夏休みだけど両親が忙しくて叔父叔母の家に預けられる事になった小学生の主人公。
都会ぐらしの主人公にとって、田舎の夏にはワクワクする事がいっぱい。
従姉との再会。大自然との触れ合い。宝探し。秘密基地。ひと夏の忘れられないおもいでを30枚の絵日記に残そう!
フラッシュ暗算をひたすら繰り返すゲームになっています。大変だった記憶が蘇る・・・。
と言うか釣りと昆虫採集です。どうぶつの森と地続きなのかな?ってぐらい多種多様な虫や魚が採れます。釣りはスキルを強化して海釣りに挑戦して・・・なんかマグロとか釣ってんだけどって笑えちゃう。余った虫魚は研究者に売ってお金になるので本作のメイン金策です。
家事の大変さを学ぶとして叔母さんの洗い物を手伝います。汚れが数値化されていて0ちょうどになるように加減したりして磨いていく。マイナス1以下になると割れちゃうから注意。やったなーって記憶が蘇る。
タイミングよくゲージを止めて相手のメンコを吹っ飛ばす!まるでコロコロコミックのようなノリで展開される笑いと熱血のあるシナリオや駄菓子屋で買えるめんこのコレクション要素も見どころ。
占い師と協力して特殊な釣りゲームを行って金色の魚を釣り上げるミニゲームで作中で一番むずかしいかも・・・。主人公の体力を上げておかないと積むのも面白さの1つ。
近所の高校の夏季練習にお邪魔して、小学生ながらマラソンを鍛えて顧問の先生に挑戦するミニゲームです。ときメモをなんだか思い出すデキ。
とまぁ、ゲームだけど、懐かしの夏休みを堪能できました。面白かったです。
https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/
あとこの映画で始業式の様子が写ってる。
中学校は生徒が1人だが、学校には校長、教頭、担任、副担任、養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土の運動会やクラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土の友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校の行事に積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。
4歳か5歳くらいのころ親戚の家に泊まったとき当時、少食で夕食をほとんど食べられなかった。
何なら食べれる?と聞かれおかゆなら食べるかも…といって作ってもらったけど、俺は鍋の締めで出てくる雑炊をおかゆと勘違いしており、初めて見る本物のおかゆを食べられなかった。
小4の一年間だけ親の仕事の関係でド田舎に住んでいたことがある。山でカブトムシが取れ放課後に海釣りができるような自然豊かな場所だった。
漁師の息子の子と日曜日に海で遊んだ。沢山、ヤドカリを捕まえた。次の日、その子がそのヤドカリを塩ゆでにして持ってきて渡してくれたが食べられなかった。
中学生か高校生くらいのころお店で中古ゲームソフトを見ていた。小さな兄弟ふたりを連れたお父さんらしき男性に「このソフトは二人で対戦できますか?」と尋ねられた。初代プレイステーションのストリートファイターだったので多分出来るだろうと答えた。けど後になってよくよく思い出してみるとそのストリートファイターのパッケージ実写だったような…もしかして当時ハリウッドで映画化されたストリートファイターのマルチメディア作品的なやつで対戦ゲームじゃなかったぽい…もしあのままあれを買っててお子さん二人がガッカリしてたら…
ChatGPTに聞いてみた
岩手県:
名産品: 三陸海岸の鮮魚や漁業関連の加工品、南部鉄器、盛岡冷麺、わんこそば、ぼっけもん(りんごやブルーベリーの加工品)
観光名所: 盛岡城跡、八幡平、奥州市・中尊寺、三陸海岸、平泉・中尊寺、花巻温泉郷、釜石市・気仙沼市の復興支援の取り組みや被災地の復興施設
山形県:
名産品: 山形牛、さくらんぼ、米沢牛、花笠、さやえんどう、もずく、天童木工家具
観光名所: 山寺(山形市蔵王町)、山形城、銀山温泉、米沢市の歴史的建造物や武家屋敷、さくらんぼ狩り、米沢市の山形牛の牧場、出羽三山(湯殿山、月山、鳥海山)
山梨県:
名産品: 富士吉田や河口湖の富士宮やきそば、ほうとう、富士山麓のワインやフルーツ、甲州ワイン、富士山麓の果物加工品
観光名所: 富士山(世界文化遺産)、富士五湖(河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、湖尻)、忍野八海、河口湖湖畔の遊覧船、富士吉田市の富士山本宮浅間大社、身延山久遠寺、勝沼町のワイナリー
岐阜県:
名産品: 飛騨牛、郡上八幡のお祭りである「郡上おどり」の関連商品、美濃和紙、岐阜市の味噌カツ、飛騨の木工品、関ケ原町の薬膳茶
観光名所: 白川郷(世界文化遺産)、飛騨古川、高山市の古い町並み、岐阜城、岐阜市の長良川鵜飼、関ケ原町の関ケ原の合戦の古戦場、飛騨高山の春と
(途中で切れる)
秋の祭り、飛騨の里の民俗村、高山市の朝市、白川郷の合掌造り集落、高山市の神社仏閣など。
福井県:
名産品: 越前ガニ(ズワイガニ)、越前漆器、福井市の水引細工、福井県産の越前和紙、越前そば、若狭の鮮魚や加工品、越前焼
観光名所: 水の森越前、越前岬、一乗谷朝倉氏遺跡、敦賀市の鯖街道の町並み、恐竜博物館、永平寺、三国花火大会、越前加賀温泉郷
岡山県:
名産品: 備前焼、岡山県産の桃やぶどう、讃岐うどん、岡山産の和牛、牛肉の加工品、岡山県産のマスカット、岡山県産のミカン、岡山県産の洋酒
観光名所: 倉敷市の美観地区(重要伝統的建造物群保存地区)、岡山城、後楽園、牛窓町の町並み、吉備津神社、玉野市の瀬戸内海国立公園、岡山湾の海釣り、赤磐市の赤磐龍神社
徳島県:
名産品: 阿波踊りの関連商品、鳴門金時(さつまいも)、徳島ラーメン、阿波和牛、徳島県産の柑橘類、鳴門のうずしお、阿波じゅんさい
観光名所: 鳴門の渦潮、阿波踊り会館、徳島城、大塚国際美術館、徳島市の文化財や歴史的建造物、祖谷渓、鳴門市の大麻比古神社、板野郡の城下町風景など。
NHK第2で土曜朝に流れてる「ニッポン時空旅」は割と聴いてるけどヨーロッパ企画が劇団だったのは今初めて知った。という俺がトラバして、増田の「多様な層」の解像度を上げる一助になってみる
サマータイムマシンブルース知らないとか言ったらサブカル界じゃ「え?お前はビレバンじゃなくてドンキに行くべき人間だよ」って言われわけですよその日から毎日半年ぐらいの間で合計500回ぐらい。
そのヨーロッパ企画を月ノ美兎が配信したときの「え?なんやコイツら?」っていう空気がさ、まあYoutube見てる程度の奴らじゃしゃーないなって当時は思ってたけど、よくよく考えるとそんな奴らが出始めのV見てるかっていう疑問が今になって湧いてきたわけ。
まあ既にレールは敷かれまくってたし個人配信が楽々にできるようなソフトもSteamとかでも配ってた時代やけどさ、それにしたってまあ世間的には「オタクがやる異常行動」みたいな扱いだったじゃんギリで。
んなときにやってくるのは大抵サブカル色のある連中なはずなんすよ。
でも何故か「異常なサブカルオタクが超マイナー作品を配信する」みたいなノリで扱われてたんすよね。
これやっぱ異常だなって。
今の状況なら分かるんスよ。
知名度もめっちゃ上がってアイドルソング歌いまくってる今の状況なら。
でも当時はもうちょいアングラだったはずなのになんでか「ヨーロッパ企画?はじめて聞いたでごわす」って最近ダイヤルアップ回線が繋がりましたよレベルのど田舎から来たような視聴者が押し寄せてたわけですよ。
これマジで当時の俺は世の中をちゃんと見れてなかったなと思ったわけ。
視聴者は皆もっとサブカルな人間で固まっていたと勝手に勘違いしてたの。
そんな発言もちょこちょこと見るから、んでまあ一部の異常ヤンキーがサブカル全く知らないくせに顔だけで選んで視聴して1人で大量にコメしてるのかなって。
でもそれはやっぱこっちの思い込みで、結局あの頃から多様な層がVを見てたんだろうなと。
Youtubeで普段はキャンプ動画見ながら海釣りしてるようなアラフィフのオッサンみたいのも見てたんだろうなと。
そのことに今になってふと気づいたので書き残す。
川釣り海釣りキャンプドライブツーリングBBQジンギスカン海水浴川泳ぎハイキングサイクリングスキースノボ山菜きのこ狩り…
近所でやっとったことが何一つできん。カネ払って遠くまで行かんと。そんでいちいち渋滞や。
何するにも予約予約って面倒くさ。外で肉焼くのにイチイチカネ払わなあかんのなんかホンマダルい。
博物館、美術館もあれこれ行ったけど仕事しとったら土日にしか行かれへん→車もバイクも全く停められへん・停めるのにめっちゃカネかかる・人も渋滞しとる→だんだん足が遠のいた。
歩いて電車乗ってまた歩いてとかシミったれたことみんなようやるわ…。オレはもういらん…。
パンダとかものすごい列並んで一瞬見て終了。白浜行ったらいっぱいおるのに…と思ってしまった。
あと東京の民はなんかのマゾなんか知らんけど何十分も足痛くなるまでボーっと並ぶんを愛好しとるやつ多いな。イラチには無理やわ。
街散策って、行けども行けども似たような店と家ばっかで何が楽しいのかようわからんよ…。谷根千とかええよとか言われたけど、どこが歴史的なんか分からんかった…。
無理やり復元しとるようなお仕着せ?川越?か。作ったような街に見えた。あと500年ぐらいは生活に使おうや…。
まあ東京はどこにでもある地方都市中心部の風景をひたすら凝縮して集めただけのように思ったな。だから東京生まれ育ちは「故郷がない」とか言うんやろうな。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
友達の「いつかいい人がいたら結婚する」「今はひとりが楽しい」「仕事が忙しい」「すぐには考えてない」「恋人はいるけど結婚は考えてないみたい」
いや、焦ろうよ。
女も男も生殖能力が弱ってきて、そのうち子供が欲しいと思った時にできなくなってるかもしれないぞ。
恋人がいたら幸せとか、結婚したら幸せとか、子供がいたら幸せとかじゃないっていうのは分かってる。でも、孤独は間違いなく幸せではない。
いいじゃん。多少年収が低くても、背が低くても、好みのタイプじゃなくても、料理ができなくても。
他に好きになれるところがあったらいいじゃん。
どんなことも徐々に慣れていくし、お互い足りないところを補っていけばいいじゃん。
最初からやれ自炊しない男は駄目だとか、マザコンは駄目だとか、家事完璧な女じゃないと駄目だとか、結婚しても女を忘れないでいて欲しいとか、「完成品」を求めすぎなんだよ。
子供は体力のあるうちに産んでおきたい。
旦那と2人だけの生活も楽しいし、友達もいるし、好きなだけ遊べる今にまったく不満はない。
親だけじゃなくて自分の老化も感じる。
10代のときほど体力がないし、物事を覚えるスピードも時間がかかるようになった。
でも子供を産んで育てるとなると今までの知識と経験なんて役に立たないのだろう,と思う。
自分は結婚したいけど彼氏は結婚を考えていないと言っている友人へ。
バツイチで恋愛は久しぶりだけど彼氏のこういうところが嫌(聞いてる限り大したことない)、と言っている友人へ。
小学生くらいの頃、家族で時々行っていた飯屋?レジャー施設?に釣り堀があることに気がついて、ためしにやってみようって話になった。
家族に釣り経験者はいない。まったく手探りのまま説明にしたがってエサを竿につけて、放った。
どのくらい待ったかは覚えていないが、そんなに長くはかからずになにかがヒットした。詳細は全然覚えていないんだが、これはたぶん時間が経って忘れたんじゃなくて興奮のあまり覚えていないんだと思う。
釣れたのは鯉だった。リリース前提の釣り堀なので、たしかすぐに放した。引っかかった瞬間の手応えが鮮烈で、しばらく手が痺れたようになっていた、ような気がする。
竿を握っていたのは俺だったが、家族も総じて感銘を受けた。釣り、ええやん!という話になった。そういう話になってからが早いのが父親で、1ヶ月もしないうちに釣竿を買った。
俺は動きがないのに飽きて磯遊びをしていて、父が竿を握っていた。
釣れたぞ!と見せられたのはフグで、高級魚としてしか認識していなかった俺は「やったじゃん」と言ったのだが、父は「いやこれは外道だ」と言って海に放った。もったいねえな、と思ったんだけど、今にして思えばそりゃそうだ。
釣り竿はずっと家にあって、見るたびに落ち着かないような気分になっていた。
海も駅もなにもかもが遠かったから足が向かなかったんだけど、そんなこと言ってねえで若いんだからチャリで山を越えて釣りに行けばよかったかもしれないな。
・初心者が最初にやる釣りなんて、大抵サビキに決まっている(断言)。
・投げ釣りをやったとしてもせいぜいがチョイ投げだし、今どきのシャレオツな兄さん姉さんは大抵がルアーを投げるに違いないので、ちょっとした餌釣りやサビキもできる8フィートくらいのルアーロッドのセットを買うのがよい。
・どうしても最初からちゃんとしたブランドじゃないとなんかヤダっていう人はシマノのビギナー向け商品(ルアーマチック S86ML か S80L と アリビオ C3000 あたり)を買うのがよい。ダイワの安物よりシマノの安物のほうが品質が良い。
・小さめのクーラーボックスでよいので買おう。バケツは折り畳み式のやつ。フィッシュグリップとハサミ(文具のハサミは釣りにはとても使いにくいです)。
・最初はサビキやりに行きましょう。陽渚ちゃんだってサビキをやっていた。4~6号くらいの針でよい。とりあえずフルセットの仕掛け(オモリとか針のついた糸とかの部分をこう言う)を買おう(こういうの https://www.amazon.co.jp/dp/B07GBTCNQM)。
・あと道糸につなげるスナップ。とりあえずスナップ付きのサルカン4号とか買っとけばよい。
・チョイ投げも仕掛けセットがある。なんなら「ボウズのがれ」セットみたいな、チョイ投げ+サビキみたいな謎仕掛けもある。
・ルアー?アジを釣るならフロートとジグヘッド+ワームの組み合わせ。マゴチなら重めのジグヘッド(静ヘッドみたいなの)と大きいワーム。何でもやりたいなら18gくらいのメタルジグ。でもとりあえずサビキやろう。
・釣り竿への糸の通し方(リールから出ている釣り糸をベールの下から通して釣り竿に通す)
・リールの操作方法(ベールを立てると糸が出る。寝かせると止まる。ハンドルを巻くと糸が巻かれる)
・糸の結び方(最初はクリンチノットかユニノットだけ覚えておけばよい。リールから出る糸をサルカンに結んで、市販の仕掛けに取り付ける)
・持ち方(竿尻を持たない。陽渚ちゃんは最初からちゃんと持っていてエライと思う)
・投げ方。サビキでは投げるな。
無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。
父が嫌いだ。
幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。
昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず、家事や育児は全て母任せ。
自分は私立大学文系学部の3年生。高校は公立の全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分の教育に多くの金がかかったことは知っている。家族の暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。
向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ。
しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。
昔から、家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球の練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。
片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いからそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休みの日曜日、遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣り(しかも自分とは面識のない父の会社のおっさんがいる)。
とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンターで迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。
とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人の男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。
父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。
21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。
けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。
大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。
父は自分を否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。
不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分のことなど出生させないで欲しかった。
憎い父を今さら殺しても何にもならない。だから殺さないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。
呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。
もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれた環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかわからなくなる。
母方の伯父は釣りを趣味にしている。母から聞いたことだが海釣りが好きらしく、時々船に乗っては魚を釣っているそうだ。
ネットっぽく言えば所謂クレクレの気があって、たとえば伯父が「カレイを釣った」とLINEなんかで話すとする。すると伯母はすぐ「うちに送って」と伯父にねだるのだ。
そして伯父は伯母に魚を送るのだが、なぜか同時に母のいる我が家にも魚を送ってくる。母は毎回断っているにもかかわらずだ。
伯父からしたら善意のつもりなのかもしれない。伯母に送るのだから母にも送らないと不公平とでも思ったのかもしれない。だが不要と伝えているものをあえて送りつけるのはありがた迷惑でしかない。
今日もまた魚が届いた。発泡スチロールの箱に5,60cmはある何匹もの魚が袋詰めにされて氷と一緒に我が家に来てしまった。
晩御飯のために生臭い台所に立っていると、伯父と伯母の顔が思い浮かんで心底イライラする。
ここまで書いていて疑問に思ったのだが、そもそも漁師でもない伯父が人に何匹も配るほど魚を釣るのは色々と大丈夫なんだろうか。
僕はQUEENのファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所や理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望も目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生の目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校を中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識と目標とは裏腹に自堕落な受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミの社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部にしか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分の学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。
早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値の呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値の呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達の好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義をいくら受けても、言葉と言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族に迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれば路地や公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔で写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家へ架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功だけが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味で理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論が必須ではない法学部だからこそだったと思う。しかし就職活動は完全に捨ててバイトもサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生の方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験と大学の勉強だけしか知らず、その他は中学生で時間が止まっているのでやりたいこと、人生の目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会や面接で行った会社のインターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロの面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生の軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験を受験した。これがトントン拍子に進んでしまい採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接の相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律の素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生は妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的に人生をスライドさせていくことも、ひとつの人生としてはありなのではないかと思った。