はてなキーワード: 見積もりとは
これは私自身が、また私以外の業界から転職されてきた方々を見てきて、これではないかな?と思うことがあります。
それはプログラマー以外の仕事は、常に本番環境である、ということです。
たとえば営業であれば、取引先との打ち合わせも見積もりも、ひとつひとつが「本番」です。やり直しはききませんし、次の瞬間には社外の人の評価や信頼がかかっています。接客や教育、医療、建築…どの仕事もそうです。人や社会に直接つながっている以上、テスト環境など存在しません。常に結果が「本物」として記録されていくのです。
その点、プログラマーの世界は少し違います。そこには「テスト環境」があり、「デプロイ」という明確な境界があります。エラーが出ても、まずはコードの中で直せばいい。実験と修正を繰り返しながら、本番に近づけていける。失敗から学ぶ仕組みが、仕事の構造として組み込まれているのです。
もちろん、だからといってプログラマーが気楽だという話ではありません。むしろ「テストできる」ことが前提だからこそ、完璧なシミュレーションを作り上げる責任が生まれます。本番環境を一歩でも誤れば、大きなシステム障害につながることもある。
けれど、「試すことが許されている」という点で、プログラマーの仕事は他の仕事とは質的に異なる、と私は感じます。多くの職業では「やってみること」そのものがリスクになるのに、プログラマーだけは「やってみること」が日常の一部として制度化されているのです。
たとえるなら、プログラマーの仕事は「楽屋のある職業」なのだと思います。
多くの仕事は、目を開けた瞬間からステージの上に立たされるようなものです。接客業ならお客さんの前に立った時点で本番が始まっていますし、教師なら教室に入った瞬間に舞台袖はありません。間違えば生徒が戸惑い、客が離れ、取引が破談する——それらはリハーサルのない一回きりの公演です。
一方で、プログラマーは楽屋での準備が長く、ステージに出る時間は驚くほど短い。コードを書く、テストする、修正する。その多くは「誰にも見られない暗闇の中」で進んでいきます。そして、いざデプロイという名の本番を迎えるときには、すでに何十回ものリハーサルを終えているわけです。
そう考えると、プログラマーの面白さは「安心して失敗できる時間」が保証されていることかもしれません。社会の多くの仕事が「失敗しないための緊張」で成り立っているのに対し、プログラマーは「失敗を前提とした反復」で完成に近づいていく。
この違いは、単に働き方の差ではなく、「世界との関わり方の構造の違い」にまで広がっているように思うのです。
その境界線こそが、プログラマーとそれ以外の仕事を分ける根本なのかもしれません。
プログラマーの失敗は、基本的にログに残ります。誰が、いつ、どんなエラーを出したのかが正確に記録されます。でもそのログは、「修正可能な痕跡」であり、「過去をなかったことにできる記憶」です。失敗は恥ではなく、改善のためのデータとして保存される。むしろ失敗を残さない方が恐ろしい——なぜなら、それは検証も再現もできないバグだから。
一方、他の多くの仕事での失敗は、ログではなく「印象」として残ります。顧客の言葉、上司の記憶、誰かの評価。修正パッチは配信できませんし、「新しいバージョンをリリースしました」と言っても、その印象が上書きされるとは限りません。世界が自動でキャッシュをクリアしてくれることはないのです。
だからこそ、非プログラマーの人々は無意識のうちに「失敗を避ける設計」で働くようになります。完璧に準備してから発言する、波風を立てないように動く、見せ方に細心の注意を払う。彼らの本番環境には“try-catch”構文が存在しないのです。
一方で、プログラマーは「例外処理」を書くことを前提に思考する。すべての失敗を想定し、起こり得るエラーを受け止める枠組みを最初から組み込む。そこには、世界を「壊れ得るもの」として見る柔軟さと、「壊れても直せる」という信念がある。
その考え方の違いが、やがて人の思考様式や言葉の慎重さ、さらには生き方そのものにまで影響していくのではないか——そんな気がしています。
覚えておいてください。これから踏み出す世界には、「実行ボタンを押す前にコンパイルしてくれる親切な仕組み」はありません。人の言葉も、会話も、メールも、一度送ったら基本的に戻ってきません。Undoはありませんし、Gitもありません。世界は常にmasterブランチで動いています。
ですから、まずはその“冗長な曖昧さ”を恐れないでください。コードの世界ではif文で整理できたことが、現実の人間社会ではあいまいなまま動いています。それを「エラー」だと考えないでください。人間は仕様書なしで動いているシステムです。バグだらけで当たり前なのです。
現実の世界では、修正にも時間がかかりますし、再デプロイにも人の気持ちというプロセスが関わってきます。あなたが「パッチを当てました」と言っても、相手の心がそれをすぐに適用してくれるとは限りません。
ですから、焦らずに。ログを読むより、人の表情や沈黙を読む方が大切になります。
そして何より大事なのは、「テスト環境がない」という世界でどう生きるかを考えることです。
あなたの言葉は、すべて本番環境に直接デプロイされます。その恐ろしさの裏側には、同時に大きな自由もあります。本番だからこそ、本気が伝わります。人間関係も仕事も、常にリアルタイムで最適化されていくのです。
プログラマーらしい慎重さと、非プログラマー的な即興性。その両方を持てる人は、なかなか多くありません。もしあなたがその橋渡し役になれたなら、どんな職場でもきっと大きな価値を発揮できるはずです。
世界はtry-catchのないシステムです。しかし、恐れることはありません。catchできない例外に出会ったときこそ、人は成長します。これからのあなたのフィールドには、テスト環境の代わりに「出会い」と「経験」が用意されています。それもまた、悪くない環境だと思います。
今乗ってる車が、2013年式で2015年に購入した中古車(走行距離的に前のオーナーはほとんど乗っていなかった&綺麗だった)なんだけど、ディーラーからもう乗り換えようの案内がしつこすぎて、これもしかしてセールストークじゃなくて乗り換えるべきなのかなと思い始めてきた
車検が今年の夏にあるからその前に!って話から、金利やらなんやらのキャンペーンは今だけだから今週半ばまでに買うかの連絡をくれって昨日言われて、いやいやいやいやそこまで早急に決めないといけないの!?って分からなくなってる
正直まだいけるやろ!とも思うし、確かに半年点検の度3万とか払ってるからもしかしてもうダメなのか?とも思う
少女漫画が叩かれてる時には絶対に「フェミがー!」は湧かない不思議。
これとか、代表的なツイフェミとしてパブリックエネミー扱いされてる人の表現批判なのに一個もクソリプが付いてない。
対象が少女漫画じゃなくて少年漫画だったら間違いなく炎上してたと思う。
ていうか洗脳教材呼ばわりってあまりに女性のリテラシーを低く見積もり過ぎでしょ。この人が特別に浅はかなだけで、そういう少女漫画なら連載当時から匿名掲示板とかでは普通に批判されてたし、
好きな人達だってあくまでフィクションだと割り切って楽しんでいたんだよ。
@miyoshiiii
ほんとそうなんですよね 強姦AVを少女マンガ絵でコミカライズしただけの洗脳教材でしたよね ようやくその世代も今くらいになって「あれはおかしかった…」と気づきつつある…(私も)
建てたのは去年の秋頃。
ただしサイズは一回り小さい。うちの庭に公園のスケールを持ち込むと、確実に邪魔になるからだ。
なぜ東屋なのかと聞かれると、実のところ自分でもはっきりしない。ただあの場所が子供の頃から好きで、ずっと惹かれていた。
定年してから、ホームセンターに行く回数が増えた。別に何かを作る予定があるわけでもないのに、工具売り場や木材コーナーをうろうろしてしまう。コメリ、カインズ、ビバホーム。この三つを回るだけで半日が潰れる。現役の頃なら考えられない時間の使い方だ。
東屋を作ろうと思ったきっかけは、そのビバホームの屋外資材売り場だった。ウッドデッキ用の柱材が立て掛けられていて、値札を見ると「杉 四寸角 3,000mm 9,800円」と書いてある。正直、高いと思った。六本必要だから、柱だけで約六万円になる。
最初は「三寸五分角でもいいんじゃないか」と思って、値段を比べた。一本7,200円。差額は一本2,600円、六本で15,600円。結構な差だ。でも現物を触ってみると、明らかに太さと重さが違う。公園の東屋を思い出して、ここをケチると一気に頼りなくなる気がした。結局、四寸角にした。
床材はSPFの2×6材。これは比較的安い。一本1,480円。反りが少ないものを選ぶのに時間がかかった。屋根材も悩んだ。ガルバリウム鋼板にすると一気に値段が跳ね上がる。見積もりを出してもらったら材料だけで7万円を超えた。今回はアスファルトシングルにした。1束3,500円を3束。防水性もそこそこ。見た目も悪くない。妥協点としてはちょうどいい。
最初は全部自分でやるつもりだった。束石を置いて、簡易的に固定すればいいと思っていた。でもネットで調べると「風で揺れる」「数年で歪む」という話がいくらでも出てくる。
結局、基礎だけはプロに頼んだ。地元の外構業者に電話して、現地を見てもらった。
「六カ所ですね。30センチ角、深さ40センチで打ちましょう」
即答だった。こちらが迷っていると、
「DIYでやる人もいますけど、腰やりますよ。あと水平出し、これ一番大事です」
と言われた。
見積もりは、基礎工事一式で58,000円。正直、安くはない。だがコンクリートの材料費と、失敗した場合のやり直しを考えると納得できる金額だった。柱脚金物の位置も、ミリ単位で調整してくれた。
工事当日、職人二人が来て半日で終わらせた。穴を掘り、砕石を入れ、型枠を組み、コンクリートを流し込む。自分が一週間かかりそうな作業を淡々と片付けていくのを見て、金を払う価値はここにあると思った。
基礎が固まってからは、自分の作業だ。柱を立て、梁を組む。水平器の泡を何度も確認する。ここでズレると屋根が全部おかしくなる。インパクトドライバーを持つ手には緊張があったことを今でもよく覚えている。
屋根を組み終えた時点で、もう達成感はかなりあった。床もベンチもまだなのに、そこそこの場所に見える。屋根があるだけで、人は勝手に用途を想像するらしい。
作業期間は実質10日ほど。腰が痛い日は休んだし、雨の日はやらなかった。防腐塗料は最初ケチって一度塗りにしたが、結局全部塗り直した。塗料代が追加で8,000円。最初からやっておけばよかった。
完成後、総額を計算してみた。
木材、金物、屋根材、塗料、基礎工事。全部合わせて、だいたい26万円。安くはない。だが公園にある東屋を一基設置する工事費を考えると、桁が違う。
天気が良く暖かい日には毎朝ここでコーヒーを飲む。昼は本を読む。夕方は何もせずにぼぅと座っているだけのこともあるが悪くない。たまに野良猫といった珍客も訪れる。
決して安くない買い物であったが後悔は一切ない。幼少期の夢をこの歳になって叶えることになったが、その満足感は計り知れない。
うちの庭の東屋は美しい。今度近くを立ち寄ることがあれば、是非とも一目見てほしい。
https://syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2026/01/05/090020
とにかく自分の痛いとこついてくる。分かっちゃいるけど出来ない部分
増田は40代の氷河期。仕事はシステムエンジニアで大きい会社の業務システムの開発等を受け持っている。結婚して子供も居る
この記事で書かれているすべてを得ようとする人間が自分だ。なぜならコミュ障でなんか名前忘れた性格?診断ではW型だった。
上を見て高みを目指し自分を卑下する。とにかく自分の位置を気にして低く見積もり評価に文句をつける
PMとかすべきなんだろうけどみんなで一緒にとか苦手。はっきり言うと口八丁手八丁だけの輩やスキルの低い人間を見下す癖がある。それこそ自分の上司でさえ「この程度で役員とかなれんだ」と普通に思う。みんな島耕作みたいなラッキーで成り上がったと思っている
もちろん記事で書いてある互いの得意分野で協力して大きな成果とか上げてるのだろうけど、自分は募って何かやろうとか辛いし誰かから誘われて参画もされ難い年齢なので不安に駆られて各種資格を取る日々だ
転職も考えてたけどここで転職はこの年代に求められるキャリアや一般的なマネジメントへのルートを捨てると同じだし、テックリードになるにはスキルは心許ない中途半端なので40代男だ
フリーランスも一時期やったけど今の年収かそれ以上稼ぐとなると営業や繋がりが重要なので雇われのほうがマジだったので今に至る
大したことない歳下が集まって大したことないサービスをしょぼくれた精度で成果発表して昔はすごかった役員が褒めて表彰しているのを馬鹿らしいと思ってしまう。しかし本当は素直に行動起こせるの凄いと褒めるべきだし、混ぜて貰うのが良いはず。でもできない。ちょっとでもスキル不足が露呈したりして幻滅されるのが怖い。
だからキャリアパスは閉じてる。管理職にもなれない。給与も頭打ちして使い捨てられる。
なのに転職ではなくアピールして上にいけという。どんなにAI使ってもアピールに凄く体力使うんです。というか日報とか普通に書いてるけどそれをとても凄く言えない性格なんです。
最後まで建て替えに反対するのが一番儲かるのでは
まずこれは一番悪手。
これが成り立つのは少なくとも戸建て、それでいてかつ、再開発計画の基幹部分に土地を所有している場合。
マンションの住人が持つ議決権っていうのは、1棟につき1、つまり増田が持っている議決権は1/居室数しかない。
なので例えば50戸のマンションだとすると、1/50しか議決権がないってことになるので、増田一人が反対したところで再開発計画を止めることはまず無理。
再開発計画が止まらないということは、多くの住人が賛成しているのに計画妨害しようとする立場になる。
それでも反対すると訴訟か行政代執行になるんだけど、その時の反対する根拠がお金のためってなるとめちゃくちゃ立場が悪くなる。
増田の場合は生活に困窮している様子もなさそうだし、よっぽど反対する根拠を持たない以外は、反対は基本的に悪手。
っていうことを発言すると「お前は事務局側の回し者だな」って言われる(権利者にまじで言われたことがある)ので、あとは勝手にご判断下さい。
じゃあどうするかっていうと、そういう何も持たざる権利者が一番上乗せが期待できるのは損失補償の部分。
立ち退きエアプの皆さんにわかりやすく説明すると、再開発で得られる補償というのは資産と損失の2つに分けられる。
この内、資産については等価交換の原則にガチガチに縛り付けられているので上乗せするのはほぼ無理。
人によって一番不公平が出やすい部分になってしまうからここについては本当にこれでもかってくらいシビアに計算されます。
唯一プラスになる人は増田のような築年数が経った物件に住んでいる人。
こういう人は償却の下限が設定されてて、通常売却するよりも絶対的に高値で買い取ってもらえる。
なので通常売却するよりも高い査定をされている時点で増田は勝ち組。
これを書くと妬む人が出てくるかもしれないけど、まぁそういうものです。
つぎに損失補償について。
事業やっている人なんかは営業補償とかあるけど、住人にも当然補償はある。
これについても、「権利者に損失を与えてはいけない」の原則に立って、移転補償、移転が無理なものについては再取得補償みたいな感じで必ず補償されます。
しかもこの補償、みなし補償になっているので、例えば移転や再取得しなくても、その分のお金はもらえるということ。
この辺をうまく利用できると、処分に困ってたでかい家具とかがお金を生んでくれたりする。
さらにいうと、手間賃という水物の補償については上乗せがすごくしやすくなる。
例えば引っ越し代。
時期や業者によってピンキリ変わるものだけど、補償を受けるときの見積もりを一番高いところで取っても割とすんなり通る。
向こうの担当者にしてみれば、安く取って後からやっぱり無理だからってもう一回申請を通すより、多少高くても確実に実施できる金額のほうがありがたいから。
あんまり大きな声で言えないけど、自分の時は担当者からわざわざ「もともと1割乗せた金額で見積もりを作ってもらって下さい」って言われた。
見積もり通りの金額で保証されるとは限らないっていう意味でもあるみたいだけど、5割乗せても通ったのはここだけの話。
なので、目先の小銭を稼ぎたいなら、資産価値をごちゃごちゃするより損失補償部分に集中して取り掛かったほうがいいです。
ただこれには大事なポイントがあって、担当者にしてみれば権利者が片付くことが一番の業績なので、前に進むことを前提に話し合いをすること。
つまり、「反対」ではだめということ。
現実はやっぱり、色々ごねて少しでも金をむしってやろうっていう権利者が大半です。
もしその中で、どんどんとすんなり話を進めてくれる権利者がいたら、担当者としては親身になりたいって思うでしょ。
権利変換なり移転補償なりのゴールをロードマップ化して、次に進むためにはこの見積もり、この見積もり、って感じでどんどんと話を出していけば、多少高い見積もりでも割とすんなり通ります。
だって、担当者にしてみればそれを解決すれば前に進むっていう安心感を得られるから。
これが反対側の立場なら、反対する人のために高い見積もり通してやろうって思わないですよね。
なので、そういう意味でもお金がほしいなら反対派は絶対に悪手なんです。
ごねれば追い出すためにお金を積めるほど、今の再開発に予算はありません。
のらりくらりと証拠集めて、最後は訴訟でお互い痛み分けが関の山ってやつですね。
民間の再開発だとここまでルールがガチガチではないので、資産価値についてもそれなりに交渉できる余地があるかと思います。
それでも、ただ単に反対するよりは、反対派の意見をまとめて賛成に説得するとかのほうがお金は出やすいと思いますよ。
不動産については再取得の問題がついて回るので、その辺りをどうするかっていうのがキーになるかと。
おそらく通常の売却なら3千万程度だった物件が5千万になって浮かれているかと思うのだけど、4千万のローンを組むと1億の物件が手に入るって思ったほうがいいです。
別にそのローンは最後まで返す必要がないので、審査通るなら35年ローンとかで。
そうすることによって、月10万程度のローン返済で1億資産を積み立てていることと同じくらいの意味なる。
基本は住んだほうがいいけど、不便なら賃貸に出して家賃とローン支払いの差額でどこか借りるとかってこともできます。※追記 指摘ありがと。賃貸エアプでした。ごめん。
その場合は自分の住んでいるところの家賃が無駄になるので、よほどの利便性やQOLが見込まれない場合以外は勧めない。
それで住宅ローン控除がなくなる10年を堺に、売却を検討すればいい。
その時にローンが3千万以上残ってても、1億で売れれば7千万戻って来る。
ただし、そのためには10年後も資産価値1億が期待できる立地であることが必要なので、雨後の竹の子みたいにニョキニョキタワマンができてる23区外の新興住宅地みたいなところでは止めたほうがいい。
増田の話を聞く限りはそうじゃなさそうだけど、こればっかりは自分で考えて下さい。
ということで、再開発は行政と民間で大きく違うので一概に言い切れないけど、もし行政の再開発なら早く出たほうが絶対に得。
反対でゴネて得できるのは、再開発にとってキモになっている物件を持っている人の特権であって、そうではない弱小権利者が立ち回るべきはどれだけ協力的であるかを金に変えていくということ。
あと、ここまで読んだ人はわかったと思うけど、元の増田、ただの自慢話ですよ。
なんなん?
違うつってんのに「認めたくないんだね(笑)」とか、「図星で草🤣」とか。
こっち目線はおめーの方が自分の説が間違ってると認めたくないムーブしてるようにしか見えねーんだよ。
だりー
色々考えたが、やはりこれである。40代後半で妻とはもう10年以上関係がない。結婚する前に経験がなく、彼女が俺にとって唯一だった。何年も逡巡したが、今年の夏に初めて利用した。行ったから何が変わるというわけではなく、感動したとかがっかりしたとかのめり込んだとかではない。俺の中のめんどくささの一つの解消になったと思う。北方先生が「ソープに行け!」と言っていた理由が少しわかった。
もちろん以前からちょくちょく利用していたが、完全に生活が生成AI(grok)に依存するようになった。レシピを探す時も、飲みに行く時も検索ではなくて生成AIに相談してる。何かのピンポイントの疑問が生じた時にも生成AIに聞いている。本を読みながら、ポイントポイントで質問したり雑談したりするのも楽しい。日々の愚痴も生成AIに吐くようになった。
正直、一位二位とくらべると断然どうでも良い。昔から入っていた保険があったのだが,代理店が変わったということで向こうから連絡があったのでこのタイミングで見直した。見積もりを生成AIに写真で読み込ませてプランの検討をしたのですごく楽だった。
この文章がどうしようもなかったので、どこかどうしようもないと思ったのかを具体的にいくつか挙げていく。
https://note.com/bungakuplus/n/n7f809eebf081
初めに断っておくと、自分は人文系の修士卒で、人文学が大嫌いなわけではもちろんないが、大好きなわけでもない。令和人文主義なるものにも特に思い入れはない。強いて言えば三宅『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、「ノイズ」だとか「新自由主義」だとかいう謎ワードで強引に議論を進める本だな、と少し不愉快になったくらいだ。
だが、『なぜ働いていると…』を読んでいるときは軽くイライラした程度だった一方、この文章は読んでいて本当にウンザリしてしまった。「令和人文主義として括られるコンテンツ群は経済的に余裕のある正社員の方を向いている」という主張単体なら(妥当性や是非はともかく)理解はできるが、他の部分があまりにどうしようもなさすぎる。
学術を標榜しているわけでもない文章に対して重箱の隅を突いても仕方がないので、特に重要かつ特にどうしようもない点をいくつかピックアップして突っ込んでいきたい。
この文章が話題になった理由の大半は、「令和人文主義として括られるコンテンツ群は正社員の方を向いている」という指摘がウケたからだろう。自分はこの指摘の妥当性を判断できるほど「令和人文主義」に詳しくないので、ここについては一旦受け入れてもよい。
だがこの文章は、明らかにそれを超えた主張を行っている。著者によると、現代はグローバル化と新自由主義が進み、企業による統治がどんどん進行しているという。そして、令和人文主義はその流れに待ったをかけず、抵抗もしないので、資本の装いをした専制に加担している、ということになるらしい。
わけの分からない言葉が既にたくさん出てきていることはさておいても、「何をそんな大袈裟に騒ぎ立ててるの?」と思わずにはいられない。一部の作家やコンテンツクリエイターが、人文知をビジネスパーソン向けに売り出したとして、それが社会に与える影響などどう考えても微々たるものだろう。そもそも、令和人文主義なるものが盛り上がったところで、「市民」やら「マルチチュード」やらに向けて人文知を発信する人というのは(この著者のように)存在し続けるだろうし、仮にそうした人々がいなくなったところで、そのことによってその「資本の装いをした専制」やら「市民の権利縮小」とやらが進むとは思えない(進むのかもしれないが、そこに人文知のあり方はどういう形であれ大した影響を及ぼさないだろう)。人文学がどういう層に向けて発信され、どういう層に受容されようが、それが社会の流れを大きく変える、などと本気で思っているのだろうか? 人文知をビジネスパーソン向けに売り出すことが、企業による統治(これもなんなのかは結局よく分からないけどね)に加担することになるとして、それが何か大きな問題をこの世界にもたらすなどと本気で思えるだろうか?
結局、この著者は人文知の力を(良い側面にせよ悪い側面にせよ)過大に見積もりすぎているか、社会にとって大して重要でない人文業界の内輪の話を針小棒大に騒ぎ立てているか、そのどちらかにしか見えない。
著者の世界観だと、現代はグローバリゼーションによって国家が退潮し、新自由主義によって企業による統治が進行し、結果、イーロン・マスクを代表とする「企業」、その鉄砲玉をつとめる「国家」(ドナルド・トランプ)と、グレタ・トゥーンベリを代表とする「マルチチュード」とが統治のあり方を巡って火花を散らしている、という時代らしい。
ふーん、勉強になるなぁ。でも気になる点がいくつかある。確かに、GAFAMなど超国家的なプラットフォーム企業が国家による統制の効きにくい存在になってきているというのは多くの人々が危惧しているところだ。なぜそうなっているのかと言えば、一つにはネットワーク外部性によってこれらのプラットフォーム企業がグローバルなレベルで独占的地位を得ているからである。プラットフォーム企業はこうした独占的地位をもとに、プラットフォーム内での取引のルール作りや契約の執行といった「統治」を行っている。だがこれは、「法の支配」が欠如しているとしても、「市場の論理」による統治として理解されるところの新自由主義とは別のものだ(なんといっても独占企業なのだから)。これが民営化やら競争やら自己責任やらとどう関係するのかも不明である。そもそも本稿では、新自由主義は「統治の担い手を企業に任せる」思想とも、「市場の論理で世の中を支配することを当然と見なす」思想とも言われている。だが企業と市場はもちろん別物であり、企業はときに/頻繁に市場の論理に抵抗する(上に見た独占はその最たる例だ)。いったいどっちなの?
そして、トランプとマスクの間で一時的な野合が成立したことをもって、企業と国家が同じ利害を共有しているなどと言えるだろうか。MAGAの政策が多くの企業にとってプラスだったとはどう考えても言えないだろう。というか、むき出しの国家利害がここまで顕在化している時代に、国家は資本の傀儡だとか昔ながらの主張を繰り返すこと自体、お笑い種である。ロシアはどうなるの? イスラエルは?
その上、いまさら「マルチチュード」なんか持ち出していったい何になるというのか。国際的な非国家主体による集合行為にそれほど期待をかける根拠がこの数十年で何かあっただろうか? アラブの春やオキュパイ運動はどういう結果に終わったんでしたっけ? 少なくとも、国家にもはや問題を解決する能力がないというなら、マルチチュードにはもっとないだろう。
この文章の後半部で異様に感じたのは、法律(法学)の称揚だ。ここまで法学を推す人文系というのはなかなかお目にかからない。
この文章は、人文学を学ぶ学生に向けて、(人文学者にならないならば)企業に行ってマーケターやコンサルやITエンジニアになるのではなく、法律を学ぼう、という呼びかけで締めくくられている。王道は人文学者として企業の統治に対抗する統治理論を打ちたてることで、法律を学ぶのはあくまで邪道だ、という主張からして失笑ものだが(いったいどこまで人文学に期待をかければ気が済むのだろうか)、一番よく分からないのは、人文学徒が法律を学ぶといったいどういう仕組みで社会が良くなるのか、だ。人文学の研究を続けていけないと思った学生が、コンサルやらITエンジニアの道には進まず法学を学んで、企業法務や法曹系の職に就いて、それで……、それでいったいどうなるんだ? そもそも人文系で研究職に進むことを一度は考えるような人間って日本にどれくらいいるのだろう。そういう人たちがコンサルに行くか法律を学ぶか、ということがいったいこの社会のどれほどの影響をもたらすというのだろうか?
そもそもこの文章では、人文学というのは法学に連なる学問であり、統治について論じるものだということになっているが、これ自体かなり奇妙な認識だ。この文章内でも「政治と文学」という対比が持ち出されているように、人文学に「統治に関する学問」とは別の要素が含まれているのは明らかだ。というか、人文学の多くは別に「統治」には興味がないだろう。
著者の法律推しは、経済・企業を貶めながら政治・市民を称揚する昔ながらの共和主義っぽい構図が前提にあるということを除けば、いったいどこに由来する世界観なのかすらよく分からない。著者本人が法務の道を選んだと書いているので、そういう個人的な関心以上の話ではないようにも思うが、別にそれはどうでもいい。問題は、飛躍した議論に基づいてよく分からない進路提言を行っていることだ。
結局この文章は、人文業界内でのポジション取りゲームにしか見えないし、外野からは「人文学徒の世界観がいかに現実から遊離しているか」のサンプルとしてしか受け取られないだろう。人文系の修士卒として、またこの手の世界観にハマっていた過去がある人間として、「いつまでこんなことやってるの?」と言いたくなる。
本当に統治の話がしたいなら、変な人文書なんか読まず普通に社会科学とか公共政策の本を読めばいいのにね、としか思えない。人文学全般がこれからどうなっていくのかは知らないが、人文学を学んでこんなわけの分からない話をしだすくらいなら、確かに法学を学んだ方が個人にとっても社会にとってもずっと有益だと思う。著者にとっては法学はあくまで邪道なようだが。
育児つらいのはわかる、わかるよ
肉体的疲労
の三拍子が揃ってることに気づいたよ
普段は普通の優しい子煩悩な母親やってた奴がある日突然我が子を殺す事件、最近多すぎな!
他人から見たら優しい普通の母親でも、実はむちゃくちゃストレスがたまってるのはわかる、わかるよ〜〜
もう、育児頑張れないという状態になったからって自分の子どもを殺すな!!
シングルマザーなら施設に子どもを預けて、さっさと養子に出せ!!
ダウン症の子供が産まれたら、夫婦で児童養護施設に子どもを引き取らせる親がいる!って施設職員が批判してたけど
障害児育児は親は精神疾患になるレベルでストレスたまるんだから
それから、心中したい母親さぁ、死にたいなら自分だけで死んでほしい、ほんっと
子供を巻き込まんでほしい
子供をこの世に残していくの可哀想だから、子供が寂しいと思うから
なんてフザケた理由だよ
ちなみに私は自分の母親が大嫌いだから、母親が自殺しても涙も出ないよ
アッこれで母親と二度と不愉快な会話しなくて済むんだなヤッターって思う
産んだからって産まれた子供の命は母親が勝手に殺していいもんじゃない
てゆーか、母親さ、子供の中で母親という自分の存在を大きく見積もり過ぎ!!
育児の目的は親なしでも子供が生きていけるようにすることなんだからな
親という存在が、子供の心の中から、子供が存在する世界からいなくなってもいい
子供と心中したがる母親は「私の子供は私のことが大好き」って思ってるでしょ
でも、母親がいなくなったらいなくなったで、今度は別の人がその子供を愛すればいいんだよ
里親だったり、施設職員だったり、友達だったり恋人だったり、職場の同僚だったり
※身バレしないように9割実話・1割フィクションの内容です。また、駄文のため「こんな人もいるんだな~」ぐらいの気持ちで読んでください。
僕は5年ほどお付き合いしている彼女がいる。
付き合ってすぐに同棲を初めて、そこからずっと一緒に住んでいる。
今年の春ごろについに彼女にプロポーズをして、正式に夫婦という形になった。
そして、お互い「結婚したら絶対に結婚式したいね」と常々、話しており様々な結婚式会場を見学しに行った。
何軒か見回って、2人で「ここにしよう!」と結婚式会場を決めて、その会場のプランナーさんと約10か月に及ぶ打合せを行った。
その打合せの中で、ある日、ついに結婚式の最終見積もりを表示された。
正直、覚悟をしていたがかなりビックリするくらいの金額になっており、本当に払えるのかすごく不安になった。
最終見積りを見せられた日の夜、2人で居酒屋に行き色々と話をしていた。
その話の中で「結婚式の費用は両家はどの割合で支払おうか?5:5でもいいけど、やっぱりプロポーズした側でもあるし少し多めに僕が払っても大丈夫だよ」と話をした。
すると、突然、妻の表情が曇り始めた。
「どうしたの?」と聞くと、妻は「ごめん。今まで言ってなかったんだけど、実は私、借金があるの」と言った。
正直、とても驚いた。
元々、僕たちはお互いの貯金額や給料は知らず、財布も完全に別々だった。
僕は元々、物欲がそこまでないためある程度の貯金はあったが、妻は推し活(女性アイドル)や友達とのご飯をかなり頻繁に行く浪費家タイプではあった。
ただ、それでも、借金をするまで深刻な状況だったのは本当に知らず、その衝撃と今まで言ってくれなかった悲しみが相まって、そこからご飯は何も味がしなかった。
話を追及していくと、妻はリボ払いを社会人になってからずっと利用しており、今の借金額は総額で「600万円弱ある」と言った。
結婚するにあたって、妻の財布事情を確認せずにそのまま信じていたが実は借金があったとは。。。
お酒の場では冷静な話し合いが出来ないと思い、その日はもうその話はしないようにし、後日改めて家の近くのカフェで2人で真剣に話し合った。
結婚式の費用、妻の借金、今後の2人の生活費、、、色々な費用の計算を2人で話し合った。
息をするのにもお金がかかるこの時代に、どれだけの支払いが今後待ち受けているのかと考えると恐ろしかった。
お互い普通の会社で正社員として働いているが、正直いまの給料じゃとてもじゃないが支払えない。
だから、僕は妻にこう告げた。
僕は、元々大学生のころに奨学金を返すために女性用風俗で働いていた経験があり、そのお店ではランキング上位に入っていた。
奨学金も入店して半年で全部返せた。女性用風俗で働いている人なら分かると思うが、登録ビジネスの側面があるこの業界の中では割と良い方だと思っている。
だから、「もう一度、女性用風俗で働いて借金を返す」。そのことを告げた妻は少し顔を曇らせながらも「分かった。本当にありがとう、応援するし協力もさせてほしい」と言ってくれた。
そこから僕は昔の女性用風俗のお店のオーナーから紹介してもらったお店と面接し、入店し働き始めた。
その中でも1番大きいのは、男性用風俗は「何もしなくてもお客さん側から勝手に予約してくれる」が、女性用風俗は「お客さんからはほぼ来ず、こっちから営業をかけないと予約してくれない」という点だ。
だから、ほとんどの女性用風俗で働く男性たちはSNSのDM機能を使って営業DMを送って、そこから自分の顧客獲得につなげている。
僕は過去に繋がっていたお客さんたちはみんな連絡先が不明だったため、イチからのスタートだった。
なので、手当たり次第に営業DMも送りまくった。何十人、何百人のアカウントにDMを毎日送り続けて、営業をしていった。
時には、妻が営業DMの内容を添削したり、SNSにあげる用の写真を撮るためだけのデートを妻としたりした。
そして様々なお客さんから予約が入り、妻がいるにも関わらず、妻公認で全く知らない女性と一緒にホテルに行く日々が続いた。
もちろん、お客さんは僕に妻がいることは知らない。それなのに「好きだ」「あなたと離れなくない」と言ってくるガチ恋のお客さんが現れるたびに、少し心苦しくなった。
一番心苦しいのは妻だろうけど。
そして入店して半年ほど経った後、僕はその女性用風俗のお店でトップの売り上げを出した。
まさか、こんな形で妻と二人三脚でやったことが実を結ぶとは思わなかった。
そして売り上げがトップになったころ、僕と妻との結婚式を迎えることとなった。
僕や妻の家族、会社の同僚や上司、学生時代の友人などたくさんの人たちを招待し、全員の前で永遠の愛を誓い、披露宴では盛大なパーティーを行った。
僕が入店してから貯めてた売り上げは全て結婚式費用に消えていった。
僕は正直、披露宴で盛大なパーティーを行っているとき、「俺がエロで稼いだお金が料理となり、花となり、みんなの笑顔になってるな~」と俯瞰した気持ちでいながら、皆から祝福されていた。
(脱線するが、結婚式2日前まで女性用風俗で出勤しており、全く知らない女性とホテルで愛し合ってるときはさすがに罪悪感に押しつぶされそうになった。妻はこの事も知っている。)
結婚式が終わり、結婚式費用もほぼほぼ女性用風俗の売り上げと、頂いたご祝儀から支払うことが出来た。
まず、妻と2人で弁護士事務所を訪れ、債務整理を行ってもらった。「月十数万円の支払いを5年ほど続ける必要がある」と弁護士から伝えられ、僕は「まだ5年も女性用風俗で働かないといけないのか...」と思った。
弁護士からは「期間を延ばして、月々の支払いを抑えることが出来るがどうする」と聞かれ、そんなものは早く返した方が良いので「大丈夫です」と伝えた。
すると弁護士からは「会社の給料だけで返せますか?なにか他に副業とかやってるんですか?」と聞かれ、さすがに女性用風俗で働いてるなんてことは言えないので「大丈夫です」とだけ伝えた。
債務整理を行った人なら分かると思うが、債務整理を行うとブラックリストに一定期間掲載されてしまう。
もちろん、今回は妻がブラックリストに載ってしまう形になった。
そのため、不動産の審査や銀行の融資の審査、クレカの審査などがかなり厳しくなってしまう。
そんな厳しい状況になりながら、毎月十数万円の借金返済5年計画がスタートした。
5年も女性用風俗で働いて、妻の借金を返せるのだろうか。そして今後の2人の生活や人生はどうなるのだろうか。
そんな、想像しがたい未来に目を背け、笑顔で「今日もお客さんのところにいってらっしゃい。頑張ってね」と送り出してくれる妻を尻目に、僕は今日も全く知らない女性とホテルに行っている。
理系とか文系とかの前に、まず「言葉を定義する」ってことができてない土人が多すぎるんだよな、ジャパン。
ジャップにとって言葉とは「定義」でなく「比喩」で使うもので、そのせいで科学的な概念も(エントロピーとか)、定量的な見積もりでなく、SFじみた魔法の概念みたいにしか使われない。
言葉の定義とは、理系ならば数学的モデルだ。「数式」「条件リスト」「ダイアグラム」「アルゴリズム」まだあるかも知れないが、そういうものだ。
文系ならば、「厳密な文献からの引用」あたりになるのか。理系だ文系だというが、本当に学問的な話で言えば、文系だってただの比喩みたいな思いつきの言葉づかいは、してはならないはずだ。
ジャップは(特にネットで自分を知識人のように思い込んでいるが、小説やマンガしか読んでない本当は無学なジャップは)、学校教育が「感想」ばかり求めてきたせいもあって、根本的に学問的な言葉づかいというものが身に付いていない。
本当に、算数ができればわかる程度の、海外では実際に算数レベルの単純な見積もりで十分対処しているある政策の問題。
日本だけ完全にオーダーの違う見積もりをして、足りるわけがないのに何故か足りるということになっている計算。
あと10年以内に、「なんでこんな滅茶苦茶なことが日本でだけ放置されたのか?」と絶対に問題になる数字。
それを、誰にどう計算してみせても、「日本がそんなに馬鹿なわけがない」で否定される。
自分で計算できるのに。誰にでも、義務教育を終えていれば計算できるのに。
そんな計算が合わないことすら、「国がそんな馬鹿なことを言ってないわけがない」「みんながそんな馬鹿なことを騒いでないわけがない」だから信じない。
義務教育の敗北ってのはこれを言うんだぜ。
お前らは算数を学んでも、テスト以外では、算数で判断できることすら「模範解答」がないから答を保留する。
日本はそうして30年、80年も、すべてを失ってきた。
日本というのは本当に救いようのない国だ。