はてなキーワード: 穀物とは
工場勤務。国内ほぼすべてのコンビニスーパードラストにはうちの商品が多分ある。
比較的賞味期限が長く備蓄可能な加工食品なのでそれなりの優先度で資材調達は融通されるのだろう。多分。
つまり直接材、商品そのものを構成する食品原材料(穀物や調味料から肉野菜など表示にあるもの)や包装資材(フィルムや容器、段ボール、それらの印刷インクも)のことだが、これは本社の調達部門の仕事だから俺は知らん。あいつらが必死こいてるだろう。今は一旦置いておく。無いなら工場は止まる。
工場への電気水道ガスなども有事は優先供給されるだろう。無いなら工場は止まる。
そういったものではなく、我々工場としては間接材、生産ラインを動かす上での保守部品はどうなるのかという話だ。
食品メーカーが食品調達に長けているのは当然だが工場部品は守備範囲外だ。
まず欠品報道の中ではかなり早かったが潤滑油。ギアオイルやグリスがなければ生産ラインを動かすモーター減速機やピローベアリングが焼き付き、駆動チェーンに噴霧しなければモーターに負荷、チェーンは一定潤っていないと製品汚れが増えて歩留まりが露骨に悪化、異物混入クレームも起きる。
そんな状況でライン動かしても時限爆弾のようにあちこち壊れていくだけだ。交換すること自体は容易い。予備部品が手元にあればだが。消防法令で油類は工場も商社も倉庫も大量在庫しにくい。
次に駆動ベルト。あらゆるモーターの動力を伝えるVベルトやタイミングベルトもゴムゆえに厳しい。切れたら空転するのみ。
さらにインクとシンナー。商品パッケージはトイレットペーパー状の巨大ロールだったりトレイだったり様々だがこれはカラフルに印刷された状態で納品される。現場で印刷するのが賞味期限やロット。産業用インクジェットプリンターにインクカートリッジと粘度調整・洗浄の補力液(シンナー)が必要だがこれも厳しい。シンナーの欠品報道は最速級だった。
そしてストレッチフィルム。商品を段ボールに詰め、それをパレットに積み、荷崩れしないよう伸縮性の巨大なラップでぐるぐる巻く。食品は軽いからトラックの加減速ですぐ荷崩れする。すでに巻き数、巻き位置を試行錯誤し極限減らして節約。代用となりえるPPバンドなども当然厳しい。
こういった消耗品や保守部品もうまいこと融通してもらえないと工場は止まる。誰か取りまとめて配分してくれるの?
本社からは関連省庁に出向人員いるし直接材は声近いだろうけど現場のアレがないコレがないって声も拾われて叶うもんなの?管理職からは特に何も聞かないけど。
食品業界だけでなく医薬品や石油化学に発電水道ガスインフラまであらゆる動力設備の存在するところは同じ状況だろう?
数品挙げたが電気機械計装制御部品から洗浄剤まですべてが揃わないと工場は止まる。今は動いている電気部品や制御部品もよく見ると外殻から基板まで油の塊だ。
化学業界の増田が塩素や次亜塩素酸ナトリウム云々書いていたがそれも清掃作業に毎日必要だ。衛生が終わると工場は止めさせられる。
なんかどうにもならないんじゃねえかなと思っている。世間がゆったりしているように見える。うち起因で止まりたくないなあ。包材が先じゃない?トラック物流停止で倉庫パンパンってのも早そうだ。きっとそうだ。
なんとかなれーッ!
なにげに蒸し野菜生活お馴染みの生活の一部に取り入れられているかのようにひっそりと暮らしているワケなんだけど、
気が向いたら簡単に使えるところが便利だわ。
そう意気込んですっかりもう内臓だけ取り除かれた処理済みの大物の魚とか骨付きかぶり付きたい大物の鶏モモ肉とかに挑戦する戦いは面倒なので、
そんでさ、
鍋フライパン一面に一応並べて蒸した方がファクトリーオートメーションというか、
そういう意味でも、
たくさんいっぺんに作って蒸しておけばたくさん食べられるのと同時に、
私は一回では食べきれない野菜は保存容器に入れて冷蔵庫に入れて翌日にパクパクと食べるというスタイルに持ち込もうとしているの。
その時点で調味料の一切の調味はしていないぐらいの野菜自体の美味しさだけで満足できるほどの野菜味の野菜はフレッシュさ新鮮なほど弾ける美味さがあると思うの。
よくテレビ番組で農家さんを訪問して育てている野菜の取材番組とかドキュメンタリー番組とか野菜を育てる系の番組って有るじゃない。
レポーターに囓らせるのあるわよね。
収穫したての野菜と生で囓らせるやつ!
農家さんの立場からいえば収穫した瞬間から鮮度が落ちていくわけだから、
その瞬間のいわばマックスの美味しさ最高潮の一瞬の瞬間に囓らせたい気持ちは分かるし美味しいのも分かるわ!
って言うぐらい本当に見ていたら100回中150回は囓らされている、
100回超えて150回になってるじゃないって言われそうだけど、
1回のレポートに2つの野菜を収穫したてのものを囓らされたら2つカウントされるので、
収録の数とは大きく開きが出る時があるのよね。
私も一時期ベランダでオクラを育てていてオクラホマミキサーを聴かせながら育てるとオクラのオクラ味がもっとオクラかになるってホントか嘘かよく分からないけれど、
朝もぎたてのオクラはそのままガブリと囓ったら美味しいのは私も知っているので、
農家さんの収穫仕立てのそれこそまだ土も半分付いている状態での野菜を囓らせがちな事態に陥るのは分かるわ。
だから私もその1回の蒸し回数で一気に蒸し上げられるように、
1回では食べきれない量の野菜を蒸してそのまま保存容器に入れて保存して、
いや保存すると見せかけて、
それをも乗り越えて余った野菜はほんとうに翌日持ち越し野菜として私の食卓に並ぶの。
うわ!
しかも!
蒸した野菜にはなにも調味料の一切の調味をしていないという丁寧さ!
蒸した野菜を保存容器に入れて翌日食べるだけでもただでさえ丁寧な暮らしになってしまうのに、
しかも蒸した野菜は塩のそれこそお洒落なシャレオツな岩塩の類いもオリーブオイルの類いも調味していない野菜のままの野菜味なの。
いや私は出そうと思って出したわけじゃないので、
これは私から隠しきれない丁寧さが出ちゃった証でもあるからここだけの話として内緒にしておくけれど、
翌朝残りの野菜を食べるじゃない!
ああ!野菜一品あってよかった!って晩ご飯に彩りを飾ることができるの。
でさ、
さらに危ないのは翌日またそれをお弁当に野菜を入れ始めたらまた知らない間に丁寧な暮らしを繰り出してしまうところだったし、
それこそ、
さらになんか丁寧な暮らしをしている風な人のお弁当のご飯少な目!って感じがしない?
きっと男子からみたらご飯それで足りなくね?って思うかもしれないけど、
足りないわ!
あとでファミマでファミチキ買うから大丈夫!ってのは内緒にしておくけれど、
それで本当にファミチキ2つ買って食べていたら本当に丁寧な暮らしをしているただの食いしん坊さんになっちゃうわよね!
あとさ、
茶色い色ほど腕白みがあるというか食いしん坊みがあるというか
まあご飯に合うおかずのラインナップは大抵茶色って決まっているからそうなっちゃうんだけど、
そうなると丁寧さとはかけ離れてしまうんだけど、
つまり雑穀米とか混ぜて炊く白米の白い色じゃない何か色が付いて細かいつぶつぶの豆みたいな穀物みたいなのが炊き込まれている茶色いご飯だと
茶色いおかずとは相反して丁寧な暮らしっぷりがまた溢れ出ちゃうわよね。
茶色いおかずは食いしん坊みがあって、
おかしな話よね。
その茶色いご飯と茶色い色のおかずばかりのラインナップのお弁当になるとどうなるのかしら?って
お互いのお互いの良さを打ち消しあうから
食いしん坊みも丁寧な暮らしみもなくなって普通に美味しそうなお弁当であるのは変わりなさそうよね。
昨日は野菜全部食べちゃったしツナと塩こんぶの炊き込みご飯しかなかったので、
でも辛うじて炊き込みご飯とは言え茶色いご飯の遠目から見たら丁寧な暮らしさは出ていると思うから、
丁寧な暮らしの人が食べている雑穀とかが混ぜ込まれて炊き込まれたご飯じゃないから、
シーチキン1缶まるごとと塩こんぶの少量の袋の1袋をまるごと入れて炊くだけで味が決まるので、
それこそ調味料もいらないし調味が決まるのよ!
いや!
でも調味料を使っていないってことは
ヤバい!
また調味料を一切使わずに炊き込みご飯ツナと塩こんぶだけで味が決まっちゃう炊き込みご飯を炊き込んじゃったばっかりに
また知らず知らずのうちに私はまた丁寧な暮らしをしていることを意識していないのに丁寧さが出てしまったわ。
決して私から飛び込んで丁寧な暮らしをしたいってワケではないけれど、
この一連の丁寧な暮らしさはここだけの話しとして留めておくわ。
うふふ。
朝ご飯に関してはあんまり丁寧さは加味していないぐらいぶっちぎりのマイ納豆巻きブームよろしく、
この納豆ブームなんなのかしら?って思うほど虜になっているわ。
美味しくいただきました。
ちょっとまた今朝なんか寒くなって肌寒かったけれど、
ぎりぎり冷たいものでも美味しくいただけて
ごくごく飲んできたわ!
グレープフルーツ1玉1つ買おうかなってって思うけど、
でもたまには買っちゃおうかな。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
日本において「猫を飼う女性」に対する専用の蔑称(欧米の「キャット・レディ」のような言葉)が無い理由として、以下の社会的・文化的な背景が推察されます。
欧米では「独身女性が男性の代わりに猫を世話する」というステレオタイプが強いのに対し、日本では「家族で猫を飼う」というイメージが定着していることが指摘されています。
日本では歴史的に、猫は穀物を食い荒らすネズミを狩ってくれる「守り神」として扱われてきた背景があります。こうした実用的な益獣としての歴史が、猫を飼うことへの肯定的な感情を支えている可能性があります。
日本でも「独身女性が猫を飼うと婚期が遅れる」「マンションを買って猫を飼うのは結婚を諦めた証拠」といった消極的な偏見は存在します。しかし、欧米のように「男性を必要としない変人で、男性の世話をしないワガママな女」といった攻撃的な女性嫌悪(ミソジニー)を伴う蔑称にまで発展していないことが挙げられます。
欧米(特に北米や西欧)では「男性は犬を飼い、狩猟を行うべき」という伝統的な規範が強く、男性が猫を飼うことが「ゲイ」や「精神病」と見なされるほどの強い社会的圧力があります。
これに対し、日本では男性の猫好きも多く、「男性が猫を愛でること」への忌避感や偏見が少ないため、「女性と猫」の組み合わせも、ことさらに攻撃の対象となりにくいと考えられます。
欧米では、女性に拒絶されたと感じている男性(インセル)が、女性に愛される存在としての猫を憎悪の対象とし、「猫を飼う女」を攻撃のシンボルにする構造があります。日本では、猫虐待事件(福岡猫虐待事件など)は起きていますが、それらは犯人の社会的孤立や承認欲求が主な動機として語られており、欧米の「猫飼い女性」という属性を組織的に蔑視する文化は見られません。
オーガニックだの自然農法産だのは高値で売られるが、もっとも化学肥料等が開発される前はそれが普通の作り方であってありふれたものであったはず。
まあまず考えられるのは今では希少価値が出るマイナーな作り方だからってのがあるとしてだ。
そもそも江戸時代やもっと前の庶民の生活なんてほとんど穀物だけの食生活だってことを考えると、そういう過去においても自然農法の色とりどりの各種野菜は今の値段に換算して同じぐらい値を張るものだったのかもしれないと思ったわけよ。
dorawiiより
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観劇とかあまりしたことないなと思って、1月に『十五少年・少女漂流記』を見に行ったよ
平田オリザという岸田國士戯曲賞をとった人が、田舎に移住してたじま児童劇団というのをやっているらしい
とりあえずなにか劇を見ようと思って調べて見つけた情報がそれだったので、行ってみることにしたんだ
兵庫県豊岡市にある江原駅には新大阪からこうのとりという特急電車で2時間半くらいかかった
あんまり何も調べずに出かけたものだから、関西の地理にも交通事情にも明るくなくて、移動時間の長さにも目的地には電車だと全席指定のこうのとりでしか行けないことにも驚きだった
夜走る電車の窓の外は暗く、山の間を走って進むものだから、街灯りもほとんどない
変わらない暗闇の中に急に白く堆積した雪が見えたときは震えたよ
あまり雪の降らない地域の人間だから、都市部を離れたら雪が積もっていて、身動きができなくなる可能性があるなんてことを考えていなかったんだ
すぐに翌日の天気を調べたら晴れで安心した
江原駅に着いた頃には腹がペコペコだったんだけど、ガンピー穀物倉庫という謎のスーパーは営業時間のはずだけど既に閉まっていた
デイリーポータルZでよくやってる旅先のスーパーで総菜買って食うみたいなやつをやりたかったけどできなくなった
地元の小さな居酒屋くらいしか開いていなくて、そこで牛丼と野菜炒めを食べた
こんなアウェイで飯バクバク食う井之頭五郎はメンタル強すぎるだろとか考えていた
その後、ビジネスホテルで一泊
翌朝、チェックアウトして、開演するまですることないなと思ったら、喫茶店が開いていた
なぜに駅前にコンビニもないところで、モーニングが食えるのだろう
人がバター塗ってくれて、焼いてくれたパンとベーコンエッグはとても美味しいし、よい朝だなとか思っちまう効果がある
昨日、開いていなかったガンピーに行ったら、穀物倉庫と言うだけあって、穀物類、パスタ類、スパイス類、オリーブオイル等が充実していたよ
他に、あんぽ柿とか、せこがにとか、ハタハタとか、串に刺さった焼きキスとか地のものがならんでいた
あらすじとしては、玄武洞でキャンプしていた中高生が洞窟に入ったら、異世界の孤島にワープしちゃって、これ脱出できるの?って感じのはじまりだよ
ちょっと未来の話だから、漂流したなかに少女型のアンドロイドがいて、彼女は知識面でみんなをサポートするけど、自分の意思はないというのが話のミソの一つになっていた
演技上手かったよ、正直全員何も気になるところが無く、ハキハキしすぎた感もなく、自然だった
『演劇I』と『演劇Ⅱ』という平田オリザの演劇を扱ったドキュメンタリーをU-NEXTで見たことがあって、そこで平田オリザは自身の劇団に秒刻みで指示していて、会話中に別の会話を他の組にさせるという手法を使っていた
中高生たちも普通に2組以上同時に会話していたよ、そんなんできるんやと思ったよ
正直、大人が書いた本で子供が劇をするって、縛りが大きいのではと予想していた
暴力描写や性描写を子供自ら書いた本ではなく、大人が書いた本で劇団という狭いコミュニティでやるのって避けるんじゃないかなとか、明確に悪役となる子供が出てくることあるのか?とか思っていた
暴力描写も性描写もなく、悪役となる子供はおらず、なんなら全員かなりの量のセリフが分配されたような話なのに面白かったよ
1時間くらいの短い話だから、ストーリーの詳しい言及はやめとくか
公演終わったあと、廊下に出たらさっきまで演劇していた子らが観客や知り合いとキャッキャと話していて驚いたよ
見た目だけ切り取ると、シバンムシのちょこちょこ動く感じやサイズ感は、たしかにかわいく見えるところもあります。ただ、実務的には「食品害虫」なので、そば粉まわりではやっぱり出さない方向で割り切った方がよさそうです。
【根拠】
シバンムシ類は数ミリの小型甲虫で、丸っこい体型・ちょこまかした動きから、虫が平気な人には「ミニチュアのてんとう虫」みたいに感じられることがあります。
一方で、穀物・乾物・調味料類を食害し、袋の中や棚の隙間で増える「典型的なストアードプロダクトペスト(貯蔵食品害虫)」として扱われており、食品衛生的には駆除対象です。
【注意点・例外】
愛着が湧くのは分かるものの、厨房やそば粉・味噌・乾物まわりに出てくると「異物混入・衛生問題」になるので、仕事の設備まわりではかわいさと実務は切り分けた方が無難です。
雑食ではあるんだけど、お肉とか虫とか根っことかの類を除くとだいたい半分くらいの栄養を果物で賄ってるのね。
それで、人間も昔はそういうふうにして果物を食べていた。この果物はナッツとかも含む。
日本だと、シイの実なんかは炒ったりアク抜きをしなくてもそのまま食べられます。
ノイチゴ、クワ、ヤマモモ、ハシバミの類、アケビ、そういったものを食べていて、
ナッツ類はある程度の貯蔵も効いた。
栗も生で食べられるね。旧石器時代には栗の木を選択的に増やしていた形跡があって、
これは想像するいわゆる「農耕」、穀物農業以前の農耕といわれています。
というのは、そのあたり一帯に生えているクリの木が周囲のクリに比べてDNAが一定で、
採取移動の生活の中で、次に回ってきたときに栗がたべられるように、
小麦に関しては、パン小麦の発明が人類の農耕に大きく貢献したといわれていて、
小麦の原種ってこう、もみがらが多いけど熟したときにタネがバラバラにならない種類と、
タネがバラバラになっちゃうけど実がいっぱいつく種類があるんだけど、
これを掛け合わせていって、実がいっぱいついて穂のまま収穫できる小麦を作ったのが
はてな記法への変換ですね、承知しました。はてなブログやはてなダイアリーでそのまま使える形式に整えました。
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その説は、一見するとワイルドで説得力があるように聞こえますが、科学的・歴史的な視点から見ると残念ながら''「誤り」''と言わざるを得ません。
もし現代の私たちがそれらの作物を生で食べ続けたら、栄養失調になるか、激しい腹痛に襲われる可能性が高いです。なぜそう言えるのか、いくつかのポイントに分けて解説しますね。
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コメ、小麦、イモ、トウモロコシの主成分はデンプンですが、生のデンプンは''「β(ベータ)デンプン」''という非常に硬く結合した状態にあります。
ここが一番のポイントですが、''「火が使えなかった頃の人類」は、そもそもコメや小麦を食べていません。''
つまり、これらは「火を使って調理すること」を前提に、人間が品種改良を重ねて作り上げた「調理専用のエネルギー源」なのです。
火を使えるようになる前の先祖(猿人や原人)は、野生の果実、昆虫、生の肉、そして地下茎(野生の根っこ)などを食べていました。
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結論として、今のコメやイモをそのまま生で食べて生活するのは、人間にとってはかなり無謀な挑戦と言えます。もし野生の食生活に戻るなら、現代の作物ではなく、もっと繊維質の多い野生種をひたすら噛み続ける生活になるでしょう。
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この内容はブログの下書きなどに使われますか?もし必要なら、はてな記法の「目次記法(`[:contents]`)」を追加した構成案も作れますが、いかがいたしましょう。
一年戦争史上最大級の機体で、その巨体は大気圏内でも外宇宙でも、
ジオン公国は、サイド3という人工都市コロニーの補給に常に頭を抱えていた。
なぜなら、サイド3は「サイド3自体」に必要な電力量が膨大だから。
しかし、ビグザムが光合成で自己完結し、その余剰エネルギーをサイド3に送電できるようになったら?
光合成ビグザムは、いつでもどこでも「満タン状態」を維持できる。
つまり:
なぜなら、連邦機は「補給を必要とする」が、ビグザムは「太陽が出ている限り補給不要」だから。
に変わるわけだ。
現在のジオンは「連邦に追い詰められている」が、光合成ビグザムがあれば:
ジオンの科学者たちは、この技術を人間にも応用しようと試みるだろう:
ジオンは「新人類の創造者」となり、地球連邦は「旧型人類」と見なされるようになる。
つまり、
やがて
「一年戦争」などというちっぽけな争いではなく、
シバンムシは、乾燥した植物質なら何でも食べる
シバンムシは、乾燥した植物質なら何でも食べます。貯蔵穀物や小麦粉などの穀粉、乾麺、パン、ビスケットなどの菓子類、香辛料、干しシイタケなどの食品だけでなく、漢方薬やタバコ、ドライフラワーや藁床の畳、そばがらの枕にも発生します。
タバコシバンムシは卵期間約10日、幼虫期間約45日、蛹期間約10日、成虫の寿命10日~30日、生涯産卵数は約100個(25℃条件下)。幼虫は白っぽく、アルファベットの「C」の字のような形をしています。
色は茶色で、体長は成虫で2~3mm。全体的に楕円形をしていて、表面は硬いです。時々パカッと茶色い羽を上げて、飛んでいきます。
ベジタリアンなのな
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。