はてなキーワード: 上社とは
仕事で久々にお褒めの言葉を頂いた、これが好きだったんだよなぁ…と思い出した
昔、サラリーマンの時もその後自営業になっても仕事ばっかりしてた
仕事ってさ、私にとって
・やってる間は他の事を考えなくていい&他の事をやらなくていい
・達成感がある
っていうものだったから、依存してたし、仕事を言い訳に色々なことを疎かにしていた
本当は仕事以外にもちゃんと時間と意識を割いておくべきだったんだなぁ…と今になって思う
今、育児中だから仕事を減らしてるけど、心の拠り所を失ってメンタルがガタガタに落ちてる
仕事がなくなると、仕事以外のことは全然できない事実に愕然としてしまった
本当に私は20年以上社会人をやってたのか?っていう社会性のなさ
そもそも自営業になったのも「人との雑談やランチが苦痛」だったからね!
育児は自信が全くなくすべて手探り
喋るの苦手だけど必死に話したり注意したり叱ったり…「合ってるのか!?」って思いつつやってるけど
子どもはまぁ全然聞いてくれない、必死に必死に必死に話して通じなくて私何やってるんだろう…いなくてよくない……?って1日1回は思う
当然誰にも褒められないし答えもゴールもなく、自己肯定感はゼロです、完全にゼロ、むしろマイナス
じゃあ仕事増やせば?って話でもない
今は夫の方が圧倒的に稼ぎがいいから、私は家事育児母親業をメインにすべきなんだよなぁ
それに、仕事を増やしても前みたいに「仕事だけ」できるわけじゃない
家事育児をやりつつ…子供の体調不良にも対応できるスケジュールと仕事量で…子供の事をちゃんと考えつつ…
って考えると、仕事増やすのは自分の首を絞めるだけでは?ってなってやる気がでない
あ~~
これがミッドライフクライシス?この先どうやって生きていけばいいんだろうなぁ
とりあえず人と会いたくないのをどうやって治せばいいんだろうなぁ
こんなことを言えてしまう人達に対して何も言えずヘラヘラと愛想笑いを浮かべてるような人のことを応援してきたことを恥ずかしく思います。
女性でありながら党首として前線に立ち続けるその姿、年齢を感じさせないエネルギッシュな様子に励まされてきました。
昔の福島瑞穂は本当に格好良かった。
でも今はもうあの人も旬を過ぎてしまったんだなと残念に思います。
他人の体の作りを揶揄して「ウンコしか産めない」と声高に叫ぶような人を目の前に何も言えないでいる姿は、私の応援したかった福島瑞穂ではありません。
馬鹿みたいなことを言う相手がいたら若造だろうが先輩だろうがガツンと一発正論で叱ってくれる勇敢な女性だと信じておりました……。
今の彼女はいわゆるフェミニストと自称する人達を票田とすることで頭が一杯で、ただただそういった愚かな人間に対してさえ何も言えなくなっているのが本当に悔しい。
悔しいんですよ。女性という弱い立場を押して闘い続けた果てに、清濁併せ呑むとでも言うような態度でもって卑怯で愚かな人達相手に薄ら笑みを浮かべて黙りすることを彼女が選ぶようになったのが。
でもこれも勝手に期待した私の自己中心的な願望なんでしょうね。
私がずっと応援してきた女性政治家が、閉経したウンコしか産めない女の悲しみを救ってくれるヒーローとして振る舞って欲しいという幼稚な他力本願。
いい年こいたおばあちゃんなんだから、そんなのはもう卒業しなきゃ。
福島瑞穂さんを応援することを辞めると言いましたが、それについてこんな簡単に決めるのは違いますよね。
それまでには私の頭も冷えていることでしょう。気持ちは冷えたままかも知れませんが、それぐらいの方が政治参加には丁度いいですよね。
あ、いつもの卑屈さで「だから俺はモテなくていい!」「俺は女になんか好かれたくない!」とか自己憐憫の世界に逃げるのはやめてくださいね?
嫌や!皆道連れや!少子化!社会保険破綻!インフラ崩壊!ガハハ!
そういうとこやぞ?
そうやぞ!ガハハ!
↓
↓
↓
機会を見て告白
って感じになるんだろうけど弱者男性は違う
普通食事とか軽いデートに誘ってみて断られれば脈ナシ、受け入れられれば脈アリって判断するだろう
ただでさえ人の気持ちを察するのが苦手な弱者男性がなんであんなにデートに誘うってことをしないのか不思議でしょうがない
まず恋愛って友達付き合いから始めるのが王道だと思うんだけどなぜか弱者男性って友達付き合いの前に告白する
会って一目惚れして一方的に付きまとった挙げ句告白!みたいなさ……
とにかく気持ちが一方的すぎて相手の気持ちを考えるってことをしない
だから相手に気持ち悪がられるのだし、さらに言えば気持ち悪がられてるってことに気付きもしない
最低限もみあげの異常に伸びた気色悪い髪型をやめて眉毛も整えて似合わないメガネもやめろよって話なんだけどこういうことを言うとなぜか弱者男性はキレ散らかす
こんな感じで被害者意識を拗らせて言ってもいないことを喚き散らす
社会人としてまともな格好をすることってそんなに難しいことじゃないでしょ
もみあげ伸ばして全体的にぼさぼさにして、薄汚く輪郭に合わないメガネをかけさせて、服装もお前が着ているようなチー牛ファッションにしてやればお前と変わらない瓜二つの姿になるだろ
結局、「恋愛できるのは選ばれし者であり私は選ばれなかった者なので仕方ない」って論理を展開することで自分の努力不足を見て見ぬふりしてるんだろうけど自分のこと振り返ってみてみっともないと思わないのかね
それでいて人を好きになりはするんでしょ?
自分が女だったとして自分のような人間に好意を持たれてうれしいと思うの?
せめて告られる相手の立場になって、気色悪いとまでは思われないであろう身だしなみをする努力をしなさいよ
恋愛を成就させている他の男を見下してそのプライドだけは保っている
それでいて自分のことを「まともで優しい男」だと自認する
自分がモテないのは世間の女たちに見る目がないからだと思い込む
本音では自己肯定感が低くて自分が嫌われるのも当たり前だと思っている
とにかく弱者男性は一回自分の恋愛の仕方を客観的に分析してみてほしいなって思うよ
そりゃお前みたいなやつに好かれるのは迷惑だよ
あ、いつもの卑屈さで「だから俺はモテなくていい!」「俺は女になんか好かれたくない!」とか自己憐憫の世界に逃げるのはやめてくださいね?
政治家もそれわかってるから、あと数十年のらりくらりやっとけば氷河期も死ぬだろ笑でほっといて終わり。
スキルアップ?あと10年そこらで定年の氷河期のスキルをあげても戦力になる頃には定年だろ。独自の教育方法で1日で即戦力に!とかがあるならそれを若手に実施したほうがコスパいいしな。
だからやるとすれば氷河期の保証を手厚くしてくれよ。就職率によって毎月定額給付したりさ。ま、氷河期世代にそんなに手厚くしてもこれ以上社会はよくならないからやる意味はほとんどないけどな。
国は自死施設を作ってそこの利用料100万にして、氷河期はタダで利用できるとかにした方がいいよまじで。臓器ぐらいはくれてやるよ。これが社会の役にたてる唯一の方法だろ。
薬価がまた引き下げられる。
ただでさえジェネリック企業が撤退だ何だと不穏なのに。社会保険料もっともっと上げろ、物価上がってるのに薬価が下がるわけないだろ。人件費だって下がらないのにどうやって品質を担保するんだ。
担保できなかったから厚労省の監査が入って出荷停止になるのに。そうすれば別メーカーのジェネリックが品薄になってまた監査が入ってまた、また、また。何年繰り返したら終わるんだ、これ。
コロナが終わったと言われている。じゃあ終われば咳止めは入ってくるのか?入ってこない。というか全然終わってない。インフルエンザとコロナで爆発しそう。
咳止め以外も入ってこない。抗生剤もないし降圧剤もないしインスリンもないし鎮痛薬もないし局所麻酔もないし何もない。明日何が出荷制限かかるか分からない。多めに買うとかまず無理。発注かけても品が来ない。最近卸さんが謝罪来るけどないものはない、ないから出せない。許してほしい。こっちも頭捻って別の卸だったり別のメーカーだったり頑張ってる。ないものはない。
原薬がないからもう関連薬剤全部入りませんって言われたときの気持ちがわかるか?医者にそれ伝えて困るよって言われた。こっちだって困ってるよ。ずっと使ってきたし、使ってる患者さんいるし。
でもないって言われて、どう頑張ってもない。ないものはない。あるものでどうにか代替するしかない。代替できない品物めっちゃあるけど。
若い人にはもう近所のドラストで痛み止め買ってくれって言うしかない。基礎疾患ない人には何も出せない。出さないって選択肢以外選べない。入らないから。医者もそうしてくれ。
医療従事者の中の若い人の概念バグってるが、70歳以下は自分の中では若いになってしまう。
ネットの声は、社会保険料下げろばっかりだ。自分だって下がってほしい。給料安いから負担だし。
でも、それを見てると世代分離の方便にしかみえない。湿布のサブスクだの、いらん薬のだらだら処方だの。
あることにはあるよ。でも、高齢者見てれば分かる。痛いんだよ。もう色んな関節がダメになってる。その上でどうにか湿布で誤魔化してくれてる。
正直、湿布だけでいいなら安いしいいよ。
今三割負担にしろ!なんて声をあげたら、団塊が死んだ後に成立するだろうよ。ロスジェネの負けだ。
社会保険料引き下げてもいい。きっとそれの割を食うのはまたロスジェネだ。それより下はまず少子化で人が少ない。緩やかな廃退があるだけだろう。
年々社会保険料が上がってる、それが家計を圧迫してる、分かってる。
有名なとこで行こう。
キイトルーダ、抗がん剤の一種だ。今の薬価は20万ちょっと。2017年の薬価収載時には40万超えてた。なんと、たったの数年で約半額になった。
この抗がん剤が、高齢者だけに使われるわけではない。こういう薬が今、ごまんとある。
もちろん、年齢による医療費の負担割合、高額療養費制度の収入格差、様々な問題はある。だが、これ以上社会保険料を下げられても、薬価を引き下げて尚社会保険料が上がってるのだから無理がある。
人件費、機材費、その他諸々。まず、高齢者の負担の一部を介護保険と名前を変えてある程度外部に出した上でふくらんでいる。
こればっかりは医療が成長してしまえば致し方ないとも思う。治療方法を研究しました、でも高額なので使いませんとは言えないからだ。
だから、国に対して言いたいのは、
社会保険料あげてくれ!
ということ。
社会保険料はもう、下げられないよ。
手取り増えろー!
こうやってチラ裏に書いても届かないから、毎回絶対に選挙にだけは行くようにしてる。手取り増えろ、社会保険料上げろ、そう願いながら
役所には市民相談へ行くつもりだけどどのみち弁護士を雇うとなってもまとまった費用の捻出が難しいので分割や安価で動ける手段がないかのアドバイスを聞いてみたい
生活保護は増田が中途半端に給与を得ているので対象にならないんだ… スキル的にも転職したとて給与が上がる事にはならない(現職は障害者雇用の中ではマシな方だとは思っている)
神待ちは二十代前半ならともかく30をとっくに超えたメンヘラ女を拾う神居ると思う???
余程の爆美女かウンコも食う位なんでもするようなレベルでないと拾わなくない??
とお察しの通り無理無理うるさいクソ女の自覚はあるしマトモな社会生活もままならないのでこれ以上社会の迷惑になる前になる早で死ねるように不健康に過ごしているところです。
【追記ココまで】
タイトルの通りの状況なのだが、増田の事情によりハイ離婚届書いて離婚成立〜!とは簡単にはいかなそうなので似たような離婚歴のある方の知見を得たく。
記事を書くのも初めてのため稚拙な箇所も多いかと思うが経験者の目に留めていただけることを願いつつ、以下に経緯を綴っていく。本筋に影響が極力出ない範囲でフェイクあり。
典型的機能不全家庭出身、モロ両親から遺伝のADD+二次障害の鬱持ち、精神手帳持ち
結婚時に連絡先を全て絶ち血縁者全員とは実質絶縁状態、出来うる限りの対策を取り増田の身元が血縁者に割れない状態
夫
家族仲も良好(上記家庭出身からしたら余程の余程でない限りどの家もマトモな部類になると思うが)
結婚は相手側の親類が増田の事情を理解してもらえたことによりすんなり。
お互い20代の頃に籍を入れ10年ほど経過、子どもは増田の生育環境由来のトラウマと鬱によりまずマトモに育てるのは無理という主張をしており夫も納得の上選択小梨として過ごしていた。
増田のメンタル面での体調問題は定期的にあるものの、目立つような夫婦喧嘩もなく平穏に暮らしていたが二年ほど前から夫側レスが始まり、話し合いを経た末に風俗通いが発覚、
その結果生理的に夫を受け入れられなくなり今年に入り別居を開始している←イマココ
夫は実家へ、増田は夫婦で生活していた賃貸マンションで現在生活中。
増田には夫含め親族一同に多大な恩があり、拾って貰った立場として離婚を言い出せない
更に、増田には帰る場所が無いため離婚が成立したとて直ぐに新天地ないし戻れる拠点もない
恥ずかしながら増田には手持ちの預金は殆ど無く、元々共有財産としていた夫婦の預金も100万程しか無いため幾らか貰えたとしても独りで生活出来るだけの拠点を作れるかが不安
金銭面だけでなく、現在の状況から精神がかなり悪化しており希死念慮も日に日に悪化してきているためそもそも一人暮らし自体現実的に無理なのでは、生理的に無理でも夫でもなんでも他人が居ないとそのまま死ぬのでは、と延々と悩んでいる
増田は離婚成立したら二度と再婚はしないし誰の子供も産むつもりも育てるつもりもなく、一人で生きていけるだけの仕事をし早めに死ねれば(メンヘラ以外にも複数の持病があり、健康寿命は恐らく平均値より短い)それでいいです。
差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。
・そもそも人間の思考(言語の構造)自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別を差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリをニワトリ、女性を女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題」である。
・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的な用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)
・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線を意味している。)
ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。
通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代や文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線が日本語と英語で異なり、色の弁別が言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題」である。スポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性の地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的な区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別」から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会で保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である。
ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分・定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態がもっとも健全な状態である。あくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会が全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断が妥当かどうか、いま必要で重要な問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象が曖昧でないかどうか、など、不断の議論が欠かせない。
さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。
サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分の合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性が負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなどから、「Cグレー」であると判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーンを実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことからも了解される。そもそも、映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから、忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。
話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業が営利目的でやっていることで、それ自体が積極的な被害を引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動(一種のデモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。騒ぎになることこそ、デモの狙いなのだ。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体はスルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。
これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角」批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的な意図でデモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDであると証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手に憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。
「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味・有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから(風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性の地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会的合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。
仮に、真剣にいわゆる「弱者男性」問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会的合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等をいかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種のアファーマティブアクションでしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマンを可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角が女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実の弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会的認識や理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋に迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。
※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識を解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者は観測対象を描写・分析・記述するものだが、前者は積極的に観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問の存在価値は現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析・記述に十分な力があるなら、それは自然と社会の常識を解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象の描写・分析・記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。
古参幹部社員Aさんが完全に腐ったみかんと化しており、働くのが本当につらい。
Aさんは次のようなふるまいをしている。
・基本的にいつも不機嫌
・常に「俺はできる」ということをアピールしている
・個人で売上はあげている
挙句の果てには、「数年前に辞めた代表はオレが追い出してやった」的なことを誇らしげに言っている。
これまで大企業にもベンチャー企業にも所属したことがあり、癖のある上司や同僚には何人もあったが、Aさんのような社員が評価され甘やかされている組織ははじめてだった。
社長含むほかの経営陣は、会社には来ないが、SNSとAさんとの飲み会にはよく出没している。
Aさんの周りには「Aさんも頑張ってるから...」と腰巾着のように賞賛しながら飲み会に呼び出されている人しかいない。
気になって社内チャットをさかのぼると、過去急成長していた時期には明らかにチームの雰囲気をよくする振る舞いをしている幹部社員が何人かいたようだ。
入社して数か月でも退職社員が何人も出ているが、まともそうな社員から辞めている。
社会的意義のある事業をやっているとは心から思うが、こんな人たちと事業を運営しているのかと思うと家族や友人に申し訳ないと思ってしまうくらいに誇れない。