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2026-04-30

BL性的搾取について

note記事(「例のBL漫画家声明を見たいち腐女子感想|Xeby」)の主な主張を、論理的に以下の5点に整理します。

5つの論点

著者(Xeby/sim_mah)は腐女子視点からBL漫画家声明批判的に読み解き、「性的表現」と「性的搾取」の混同を最大の問題点として指摘しています

1 「性的表現」≠「性的搾取である

性的搾取」とは、金銭立場などの不均衡な力関係下で実在する人間を性目的で利用する、または基本的人権侵害する極めて重い言葉

一方、非実在架空キャラクター煽情的描写は単なる「性的表現」に過ぎず、「搾取」という言葉を使うのは誇張的・不適当創作商品であり、消費者(読者)の性的消費を目的とするもので、人権侵害ではない。

2 BL漫画家声明問題点用語誤用ダブルスタンダード

作者はアニメ化要請で「女子生徒や女性キャラ性的搾取するような描写を避けてほしい」「下品描写修正して誰でも見れる表現に」と述べたが、これは「性的搾取」という重い言葉誤用

声明きっかけは未成年男子生徒と成人男性教師カップリングへの批判だったのに、女性キャラ描写だけを「搾取」と問題視するのはダブルスタンダードBL作品自体シスヘテロ女性によるゲイ男性性的消費(インモラルな内容を含む)であることを無視している。

3 腐女子BL文化全体への自己批判

BLマジョリティ女性)がマイノリティゲイ男性)を性的消費するジャンルで、監禁強姦などの性暴力肯定が多い。

一部腐女子特にラディカル・フェミニズム寄り)は女性キャラ描写を「搾取」と批判する一方で、BL男性キャラ消費は正当化するダブルスタンダードを抱えている。ミサンドリー男性嫌悪)やゲイ差別的言動もあり、歴史的ゲイコミュニティ荒らした罪業を自浄していない。

4 表現の自由と現実影響の混同

フィクション性的描写現実性的搾取助長するという主張は「相関と因果混同」。

作者の声明は他作家表現を暗に規制する効果を持ち、創作の委縮を招く。表現の自由は等しく守られるべきで、創作物を現実人権侵害と同列に扱うべきではない。


5 結論

声明論点をずらし、炎上を再燃させた欺瞞BL消費の自己矛盾を露呈した。真にリベラル立場なら、腐女子自身ダブルスタンダードを改め、表現の自由を守る責任を負うべき。

下記意見なんばりょうすけ氏の投稿)と記事対立点まとめ

特になんばりょうすけ氏の意見記事に対して強い対立を示しています記事は「用語誤用」を強調するのに対し、なんば氏は「比喩的社会的懸念として理解可能」と再解釈)。

意見の出典・要点

記事対応する主張

対立点(どこが衝突しているか

@heros_1101

性的表現」は「性的搾取」ではない。搾取実在人権侵害・力関係を伴う重い言葉で、架空キャラ描写表現に過ぎない。

1. 「性的表現」≠「性的搾取

(ほぼ一致)

ほぼ一致。記事はこの主張を基に展開しており、対立ほとんどない。むしろ記事はこのポスト引用・援用して自分議論の出発点にしている。

なんばりょうすけ①

記事note)が意味わからん。作者の避ける理由は「未成年犯罪の多さ」以外詳細不明だが、不謹慎エンタメとしての不適切さや、現実性的搾取凄惨さを隠蔽する懸念もあり得る。

対立

記事は「作者が表現のもの搾取と呼んで誤用した」と断定するが、なんば氏は「作者は搾取のものとは言っていない。現実犯罪を鑑みた不謹慎さや隠蔽懸念理由」と別の解釈提示記事の「誤用批判を「意味わからん」と感じている。

なんばりょうすけ②

直球ポルノなら「ファンタジーです」と言い訳やすいが、一般作品だと必然性のないお色気描写が「自然であるかのように錯覚させる」ため問題


対立

記事は「性的搾取という言葉自体不適切」と表現内容を擁護するが、なんば氏は「一般作品でのお色気描写現実を軽く扱うように機能する」と、社会的影響を懸念記事が「フィクションは無害」とするのに対し、現実への間接的影響を認める立場

なんばりょうすけ③

性的搾取するような描写」とはキャラのお色気描写のこと。「それは性的表現搾取ではない」という反論意味が通るが、搾取的というのは作者・読者とキャラメタ関係(作者が読者媚びてキャラを見せ物にする状況)を指す比喩表現

強い対立

記事は「搾取」という言葉文字通りの人権侵害として重く扱い、比喩使用を「誇張・不適当」と否定。一方、なんば氏は「比喩的メタ状況(作者と読者の関係性)を指している」と再解釈し、記事の「物言いがズレている」と指摘。

なんばりょうすけ④

女性キャラ必然性のないお色気描写お約束的に描かれることは、現実女性搾取に対する肯定イメージ助長する懸念がある。だから作者が「与したくない」という立場理解可能

3. BL文化への自己批判

4. 現実影響の混同批判

強い対立記事は「フィクション現実搾取助長する主張は因果混同」と切り捨てるが、なんば氏は「肯定イメージ助長する懸念現実的で、作者の避ける理由として理解できる」と肯定的に評価記事の「ダブルスタンダード批判」に対し、なんば氏は作者の「社会配慮」を擁護している。

全体の対立のまとめ

記事の核心:BL漫画家声明は「性的搾取」という言葉文字通り誤用しており、腐女子としての自己矛盾BL消費のダブルスタンダード)を露呈した、という用語批判文化批判

なんばりょうすけ氏の核心:BL作者の意図比喩的社会的配慮現実犯罪への不謹慎さ、現実女性搾取イメージへの影響、メタな作者-読者関係)として理解可能

表現のもの擁護するより、作者の「避けたい理由」に共感を示す。

根本的なズレ:

記事は「言葉の正確性」と「BL文化欺瞞」を重視するのに対し

なんば氏は「作者の意図多義性」と「現実社会への影響懸念」を重視。

記事が「誤用!」と断罪する部分を、なんば氏は「比喩として妥当」「理解可能」と再文脈化しているため、記事を読んで「意味わからん」と感じたと率直に述べてます

2026-04-12

[]BL漫画差別性と、無自覚な受容

BL漫画根本的な差別性に対して多くの愛好者が無自覚である点は、大きな問題です。これは「フィクションから」「女性性的表現の自由」という大義名分で覆い隠されやすく、結果として現実ゲイ男性への性的客体化(sexual objectification)やイメージの歪曲が放置されやす構造になっています

BL根本的な差別性とは

BLは主に異性愛女性が、男性同士の関係を「女性視点」で創作・消費するジャンルです。ここに潜む問題は以下の通りです:

現実ゲイファンタジーの道具として消費:

攻め/受けの固定化、受けの「受容葛藤」のドラマ美少年中心の理想化など、異性愛規範(男らしい攻め・女らしい受け)を男同士に投影現実ゲイ関係多様性役割流動性身体多様性社会的苦悩)を無視し、「綺麗でドラマチックな男同士の恋愛」というステレオタイプを広める。

• 「俺はホモじゃない」系の旧来描写

90年代やおい論争でゲイ当事者から強く批判されたように、ホモフォビアを内面化した表現が残存。現代でも「BLファンタジー」と言いながら、ゲイアイデンティティを「萌え材料」に使う矛盾

ダブルスタンダードBL無罪論):

男性向けR18漫画女性性的対象にしたもの)は「女性差別」「オブジェクト化」と厳しく批判されやすい一方、BLは「女性性的主体性」「家父長制からの逃避」として擁護されやすい。この「自分たち無罪」という無自覚さが、ゲイ当事者から表象の横奪」「性的消費」と見なされる最大の要因です。

ゲイ当事者の声として、「BLを読んでも現実ゲイ理解にはつながらない」「誤解を招くイメージが定着する」「ウケ/セメを聞かれる迷惑行為が増える」といった指摘が繰り返されています

BLファン側は「現実とは別」「傷つける意図はない」と主張しますが、無自覚ゆえに当事者不快を「過敏な反応」と矮小化しがちです。

男性向けR18漫画との比較ファンタジー通念の違い

男性向けR18漫画

社会通念として「抜きのためのファンタジー」「現実女性代表しない」と広く認識されやすい。過激描写(非現実的なボディ、シチュエーション)も「男の妄想」として一定の理解があり、批判されても「エロエロ」と区別されやすい。

BL漫画

同じくフィクションなのに、「女性感情表現」「関係性の深み」「LGBT理解につながる」と美化されやすく、現実との境界曖昧にされやすい。結果、「BL無罪」「批判女性性的表現抑圧」という防衛機制が働き、根本的な差別性を直視しにくい。

この差は、ジェンダー規範の影響が大きいです。男性性的ファンタジーは「下品だが個人のもの」とされ、女性のそれは「関係性や感情を重視した純粋もの」とされやす文化的バイアスがあります

女性の「学級会文化」と性的嗜好への入れ込みやす

二次創作界隈(特にBL/腐女子)で目立つ「学級会文化」(お気持ち表明、集団的注意喚起排除同調圧力の延々とした議論)は、関係性重視の女性社会化がネット上で毒化した形です。女性進化心理脳科学的にTend-and-Befriend(育てる・仲間を作る)のストレス反応が強く、所属集団調和感情共有を重視しやすい傾向があります。これが「正しい萌えを守る」「解釈違いを地雷扱い」「界隈のルール化」として現れ、異なる意見を「学級会の議題」に引きずり込みやすい。

性的嗜好への入れ込みやすさについても、生物学的・社会的要因が絡みます

女性性的反応は男性より文脈依存感情的つながり重視(オキシトシン系の影響が強い)。

関係攻撃(relational aggression)が間接的に行われやす女性文化が、二次創作「正義の味方」として集団監視を生む。

• 結果、BLのような「安全ファンタジー空間」で嗜好に深く没入しやすく、批判されると「自分アイデンティティ攻撃」と感じ、無自覚差別性を防衛する。

ただ、これは「女性が悪い」という本質ではなく、生物学的傾向+社会化+ネット環境悪循環です。男性向け界隈にもマナー問題はありますが、関係性重視の度合いが異なるため、学級会のような大規模感情共有炎上が少ない傾向があります

まとめ

BL根本的な差別性(ゲイオブジェクト化・イメージ歪曲・ダブルスタンダード)への無自覚は、フィクション自由を盾に当事者の声を無視し続ける問題です。男性向けR18が「ファンタジー」と区別されやすいのに対し、BLは「感情表現」として甘やかされやすい点が、自己批判を難しくしています。学級会文化女性関係性重視傾向が極端化したもので、性的嗜好への入れ込みやすさと相まって、界隈の閉鎖性を強めています

本当の解決は、フィクション現実棲み分けを明確にしつつ、当事者の声を真摯に聞くこと。ゾーニングの徹底や「BL女性ファンタジー現実ゲイを消費するものではない」という自覚が広がれば、両者が心地よく共存できるはずです。この無自覚さが続く限り、「BL無罪」はただの自己正当化に過ぎません。

2026-04-05

あの頃の自分も、今思えば〇〇だっただけだったんだよな

みたいな事後的意味づけも、世間で割とよく聞く理屈をそのまま借用しているだけで、必ずしも正確ではないのかもしれない

ちゃんと頭に浮かべた当時の情景に降り立って当時の気分をリピート再生してみれば、いやこれがただの跳ねっ返りでなるものかよと思える事はある

オトナになって、視野が広くなって物事を考えるようになって意地も丸まって、というばっかりでもないのかもしれない

それは順番が逆で、それが出来てこそオトナなんだというつまらレトリックは脇に置くとして

単に、常に今の自分が正しいと思っているだけなのかもしれない

時系列で見れば必然的順次「正しい自分」が更新されていくから、その中で考えが転々としていくのがより「成長」しているように見えているってだけの話なのがしれない

まあ敢えてそういった自己批判の目を今まさに現在自分に向けるよりも、過去自分を「バカだったな〜」で切断した方が楽だしな

まあ自分を正しいと思えんような奴もそれはそれで雑魚だけど

いるけどな、「考え続けることが大事」みたいな高等教育で聞き齧ったようなお題目を一丁前に掲げつつ、大して何かを考えてもなさそうだし、少なくとも見識が狭い自覚はありますから、みたいな予防線の中にずっと閉じこもる奴も

2026-03-31

なぜ男性自分に向き合ずネトウヨインセル化しがちなのか

これは理論的な構造問題

男性は「社会のもの」として育てられるため、社会に対する批判自己批判に直結する危険を孕んでいる

そのため、感情抽象化し、外部化することで「自己の痛み」を間接的に語る傾向が強くなる

⇒男は理性的論理的解決脳の正体がこれ

自己の痛みをごまかしているため、一見理性や論理みえても、論点すりかえや矛盾が隠れている

 (根本から目を逸らしていることで、結局のところ問題解決できておらず短期視野自己満足に陥りがち)

恋愛や性欲を女性に仮託するのも、自己内面を直接語ることへの抵抗の表れ

古代から「女は性的、誘惑者」と男の性欲を女のせいする心理がこれ

 男性自己感情認識表現するために「他者」を必要とする構造であり、女性「鏡」として機能させられているといえる

文学エンタメにもこの構造が働いており、男性社会から離れた内面表現する際には女性ツールとして使われることがある

 (村上春樹小説や、ドストエフスキートルストイ小説に出てくる女性がわかりやすい)

こういった心理構造に触れること自体抵抗と恐怖を覚えるため、人によっては必要以上に冷笑攻撃的になり議論を避ける

2026-03-29

[]日米韓ライトサイド」キリスト教団体

以下は、日米韓を中心に、「聖句をみだりに政治主張に結びつける行為」を批判し、信仰政治化を警戒するキリスト教者・神学者団体を整理しました。

日本

日本福音同盟(JEA)
日本で最も影響力のある福音派連合

公式スタンス:「ナショナリズムの拒絶」と「政教分離の堅持」を明確に掲げ、社会派政治聖書利用を批判特に聖書特定政治イデオロギーマニフェストにしない」ことを強調。

保守福音派神学者牧師

山口陽一牧師東京キリスト教団):社会派の「構造的罪論」と聖書政治利用を繰り返し批判

中澤啓介牧師東京):解放神学的な政治神学を「聖書文脈無視した乱用」と指摘。

小野寺望(神学者):聖書を「政治武器」にすることへの警鐘を強く発信。

その他

日本バプテスト連盟の一部保守派も、社会派政治関与に距離を置く立場を取っています

アメリカ

アメリカでは「ダークサイド」(特にChristian Nationalismや極端な政治福音派)に対する批判が非常に活発です。

主要な批判勢力

David French(元National Review寄稿者、福音派弁護士):
Christian Nationalismを「偶像崇拝」として強く批判聖書アメリカ政治の道具にする行為を「福音裏切り」と呼ぶ。

・Russell Moore(元南部バプテスト連盟倫理宗教自由委員長):
トランプ支持の福音派を「文化戦争福音を売り渡した」と痛烈に批判現在は「Christianity Today」誌で福音派政治化を警告し続けている。

Beth Moore(著名女性聖書教師):
政治福音混同批判し、特に女性視点から聖書政治の道具にするな」と発信。

・ Timothy Keller(故人、元 Redeemer Presbyterian Church牧師):
生前左派右派双方の政治福音派批判。「福音はどの政治イデオロギーとも同一化されない」と繰り返し主張。

団体

・ The Gospel Coalition (TGC):有力な福音派神学ネットワーク政治的極端化を戒める記事を多数掲載

・ Christianity Today誌:伝統的に福音派の「良心」として、政治化への警鐘を鳴らし続けている。

韓国

韓国では政治福音派に対する批判存在しますが、声が比較的小さい傾向があります

主要な批判勢力

・金東春(キム・ドンチュン)牧師および一部中道福音派:
全光焄牧師極右派の政治デモ聖書利用を「福音政治悪用」と批判

韓国福音主義神学会の一部神学者:
聖書を反左派・反LGBT政治スローガンにする行為を「文脈無視した乱用」と指摘。

プログレッシブ福音派(少数派):
保守福音派政治過激さを「偶像崇拝」と批判するグループ存在

共通する論点

聖書神の言葉であって、人間政治マニフェストではない」
信仰政治イデオロギーの道具にすると、福音本質が失われる」
預言者ぶる前に、謙遜自己批判を忘れるな」

特にアメリカではRussell MooreDavid Frenchのように、福音派内部から強く声を上げる人々が目立ちます日本では比較的静かですが、JEA保守福音派一定の歯止め役となっています

2026-03-28

キリスト教政治関与の歴史的背景

日本キリスト教団体の「政治関与の違い」が生まれた経緯

日本キリスト教特にプロテスタントカトリック)の政治関与の度合いやスタイルに大きな差が生まれた主な理由は、戦後処理の仕方と外部神学の影響の受け止め方にあります。以下に歴史的経緯を整理します。

1. プロテスタント系(特に日本基督教団=UCCJ社会派)の場合

戦責告白が転機となり積極的政治関与へ
戦中

1941年国家宗教団体法プロテスタント諸派強制合同され、日本基督教団が誕生。当時は「皇国ノ道に従い皇運を扶翼する」と声明を出し、戦争協力の姿勢を取っていました。

戦後

GHQ占領下の反省ムードの中で、若手教職や「キリスト者平和の会」の運動が盛り上がり、1967年3月26日(復活主日)に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(通称・戦責告白)を発表。これは教団史上最大の自己批判文書で、「あの戦争是認・支持した罪」を認め、「世の光・地の塩である教会戦争同調すべきではなかった」と痛切に悔い改めました。

その後の展開

この告白トラウマとなり、「教会権力抵抗する預言者存在でなければならない」という神学が主流に。1960年代後半〜70年代ラテンアメリカで生まれ解放神学貧困・抑圧を「構造的罪」とし、抵抗実践とする思想)の影響を受け、社会派が台頭しました。

結果

聖書の言葉(例:ルカ4:18-19「貧しい人に福音を…捕われ人には解放を」)を現代の反基地反戦・反安保運動に直接適用するスタイルが生まれ、「信仰実践政治抵抗」という構図が定着。同志社国際高校辺野古海上視察のような事例がその典型です。

2. カトリック系の場合バチカン中央統制が政治的中立を維持

戦後

第2バチカン公会議(1962-65年)で社会問題への積極的関与を促されましたが、教皇庁の強い中央集権的指導が続きました。

決定的な分岐点

1984年教義省(当時のラッツィンガー枢機卿、後のベネディクト16世)が「解放神学に関する指示」を出し、マルクス主義分析階級闘争の導入、信仰政治化を公式批判しました。

結果

日本カトリック社会正義弱者支援人権)を重視しつつ、聖書特定政治運動スローガン化せず、人道的・中道的なアプローチを取るようになりました。上智大学聖心女子学院などの学校がその代表で、現場体験型イデオロギー教育ほとんど見られません。

3. キリスト教報道メディアの影響

キリスト新聞1946年創刊、プロテスタント系最大手)


UCCJ社会派寄りの立場が強く、戦責告白以降の平和反戦報道積極的に展開。反基地人権問題を「信仰実践」として好意的に取り上げ、社会派政治関与を後押しする役割果たしてきました。リベラル左翼寄りの論調が主流です。

クリスチャントゥデイ日本版)
福音派・保守寄りのオンライン媒体

解放神学やUCCJ社会派政治的傾向を批判的に報じ、「信仰政治化は危険」との立場を取っていますプロテスタント内のカウンター勢力として機能し、保守中立派の声を増幅しています

まとめ:なぜ差が生まれたか

プロテスタント特にUCCJ)

戦中協力の強い反省(戦責告白)が原動力となり、解放神学の影響で「抵抗信仰実践」という積極的政治関与スタイルが生まれました。報道メディアキリスト新聞)の後押しも大きく、聖書現代政治に直接結びつける傾向が強くなりました。

カトリック

バチカン中央統制と解放神学批判により、政治的中立を保つ方向に舵を切りました。結果として、信仰政治スローガン化する行きすぎた関与は抑えられています

この差異は、戦後処理の「告白の深さ」と外部からの「統制の強さ」という二つの要因で説明できます

プロテスタント社会派は「告白の痛み」を政治エネルギーに転換し、カトリック教皇庁指導でそれを抑制した——というわけです。

この経緯は、現在学校平和教育政治偏向の違いとも直結しています

追記

共産党と結託に至るまでの歴史

https://anond.hatelabo.jp/20260328231054

韓国キリスト教団体政治関与

https://anond.hatelabo.jp/20260330114245

キリスト教内部から批判

https://anond.hatelabo.jp/20260329084028

2026-03-18

AI作文]日本基督教団(UCCJ)の左翼傾倒

UCCJの歴史的立場をめぐる長年の論点は三つ。「キリスト教徒が、必ずしも日本原罪論(日本国家永遠に戦争責任を負う『原罪』を持つという考え)に与する必要はない」、「人はみな罪を背負って生き、個人の贖いが大事」という聖書的な本質、そして牧師政治思想強要することの倫理的問題です。

以下、事実ベースで整理します(UCCJ公式告白文・教団史・内外の分析から)。

なぜUCCJは左翼思想特に反戦社会正義日本批判寄り)に傾倒しやすいのか?

主な理由戦後の一大転換「1967年 戦争責任告白」にあります

歴史的背景(戦前・戦中の「国家協力」の反省)


1941年戦時下宗教団体法プロテスタント諸派強制合同され、日本基督教団が誕生。当時、教団は「皇国ノ道に従い皇運を扶翼」する声明を出し、戦争是認・支持していました。
戦後GHQ占領下の反省ムード左翼勢力の台頭の中で、1967年に教団は公式に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表。「あの戦争是認し、支持した罪」を認め、「世の光・地の塩である教会戦争同調すべきではなかった」と自己批判しました。
これが起点。以降、「国家天皇制戦争への加担のトラウマ」が教団のDNAになり、反戦・反基地平和主義神学的に強調されるようになりました(在日大韓基督教会との1984年宣教協約も、この戦争責任反省が基盤)。

神学シフト

社会正義解放神学の影響
戦後欧米の「社会福音」やラテンアメリカ解放神学貧困・抑圧から解放福音の核心とする)が流入。UCCJの「社会派」(教会派と対立する潮流)は、これを日本版にアレンジし、「構造的罪」(植民地支配戦争基地問題など)を強調。
結果、「日本アジアに負った罪」「沖縄在日コリアンへの責任」が「平和福音」として語られるようになり、辺野古反対や反靖国・反国旗国歌運動積極的になるケースが増えました。
批判者(保守派キリスト者や外部論者)はこれを「反日左翼神学」と呼び、「左翼思想親和性が高い」と指摘しています日教組影響や全共闘時代造反派も一部で教団内に流入)。

日本原罪論への固執は、日本基督教団の問題であり、キリスト教問題ではない

聖書原罪ローマ人への手紙3:23など)は普遍的個人レベル。「すべての人が罪を犯した」のであって、「日本という国家特別永遠原罪を負う」という教義はありません。
贖いはキリスト十字架による個人信仰エペソ2:8-9)。民族国家レベルの「集団贖罪」を強要するのは、旧約の民族契約とは別次元で、現代政治解釈です。
UCCJの戦争責任告白自体は「信仰告白」として意義深いですが、それを「日本永遠に罪深い国家」という日本原罪論に拡大解釈し、平和教育政治活動に結びつけるのは、神学政治化です。「人はみな罪を背負って生き、それぞれの贖いこそ大事」——これがキリスト教本質です。

宗教の名を掲げた政治思想強要

聖書的・倫理的問題

牧師には「預言者役割」(社会不正を指摘)がありますが、それは福音の枠内で、特定政党イデオロギー左翼基地論など)を「信仰必須条件」として信者に押しつけるのは越権です。
パウロも「すべての人に自由を与えよ」(ガラテア5:1)と強調。政治強要は、良心の自由侵害し、教会を「政治団体」に貶めます

法的・教育観点

教育基本法第14条(政治的中立)や学校現場では特に問題同志社国際高のようなキリスト教学校で「平和学習」の名の下に特定団体ヘリ基地反対協)と連携する場合、「政治思想の押しつけ」と批判されやすい。牧師個人政治的発言は憲法保障されますが、指導立場若者信者強要するのは、信仰純粋さを損ないます

結論

結論
UCCJの左翼傾倒は、戦時協力のトラウマ社会正義神学という歴史的文脈から来ていますが、それは「キリスト教必然」ではなく、特定解釈時代選択です。
「日本原罪論」はキリスト教本質個人罪・個人贖い)とは相容れません。牧師政治強要するのは、信仰の名を借りた権威濫用になります

ただ、教団内にも「教会派」や保守的な声はあり、すべての牧師政治的ではありません。内部の分裂と現実
教団は一枚岩ではなく、「社会派」(政治社会運動重視、左寄り)と「教会派」(信仰伝道優先)の対立が続いています社会派が声明運動で目立ち、「全体が左翼」と見られやすい傾向があります

2026-03-08

映画カラダ探し THE LAST NIGHT を見た

いや、そうはならんやろ帰ってきたキラキラ系アオハルホラー映画だけど話を広げたのは上手く行ってない気がする57点。

 

前作のラストカラダ探し被害者と入れ替わってしまったハシカン。それはそうと修学旅行で謎の遊園地にやってきた前作とは何の関係もない主人公たちはアトラクションの裏口から侵入する少女出会いいかけるも気付くと深夜の遊園地転移してしまう。やっぱりやってきた赤いロリにブチ殺されながらキラキラする主人公たち。そこにヒゲの生えた前作のイケメンがやってきたり、ハシカンは謎空間に閉じ込められて脱出ゲームに挑んだりとてんやわんや。血のループがまた幕を開ける。

みたいな話。

 

まぁまず前作のキャストがよすぎたってのがあるので今作はその点で大きく後退しちゃってるのは間違いない。そこそこ美男美女がそろってはいるけどどうしてもオーラが足りない。ってのが分かっているのか、なんと千葉真一の息子とハシカンが続投してて草。千葉真一の息子はヒゲも生えてちょっとイメチェン

今作では前作と同じようにループの中で日常をハックするも、今回は遊園地というイベント中のためハック内容が少しドラマティックになっているのがよい。主人公最初クラスのマドンナのハンカチを拾うのすら失敗していたのを次は成功するもヤンキーに絡まれ、次は拾うの成功してヤンキー回避しその辺のガキが手放すバルーンまで救ってやったり、ロックオタの陰キャアイドルステージに乗り込んでギター演奏したりとループものの面白さは健在。

水着回はないけど今作では金持ちガキがいるので謎解きがてらクルーズに出る展開はある。でもあの圧倒的キラキラ感には遠く及ばないのはかなりつらい。

代わりといっては何だけどハシカンが謎空間カラダ探しの謎を追う展開があるんだけど、そのセットが安っぽくてねぇ。金なかったんやったら金ある範囲で取ればよかったのに。そこにカラダ探しで流れた血で作られた結晶みたいなんがあってそれを破壊すると脱出できると壁に埋め込まれた謎女に教えられるんだけど、普通はなんか謎を解く系のギミック戦だと思うじゃん。その辺に落ちてる岩で殴って割るからね。爆笑よ。アホなのか。この展開丸々いらんかった。

 

ホラーパートとしては相変わらずちゃんゴアを見せてはくれるんだけどじゃあ前作と比べていい所が多いかというと微妙。前作程度のクオリティは維持してくれてるけど前作を超えるワンダーは少ない。もろちん、遊園地場所が移ったことでメリーゴーランドに乗ってるときに襲われちゃう展開とか、フリーフォールに死体が2こ並んで上下してる悪趣味シーンとかはあるけどもっとダイナミックなアクションに連結した殺しが欲しかった。

カラダ探しパートも前回とほぼ同じローラー作戦だし、ちゃちさは相変わらず。ただ、今作ではハシカンが結晶破壊してしまたことでカラダ探しが途中で終わってしまメンバーが死んで存在消失したまま次の日に行っちゃう展開が出てくる。そこから泣きの一戦に移行して最終戦を戦うことになってタイトルTHE LAST NIGHTを拾うのはなかなかええやんとは思うんだけど、そこに持っていく方法が雑すぎて微妙

なんやあの木村佳乃(壁に埋められた女)は。なんの存在価値があったんや。舐めとるんか。

前作との違いを出す、カラダ探しルーツ、謎に迫るために継ぎ足した展開がことごとく外してて、2を作る以上はなんかいると思ってやったのは理解はできるんだけど、もうちょっとうまくやれんかったんかって感じ。

 

そして最後カラダ探し成功するもハシカンが戻ってきたかはわからず謎の教会にたたずむイケメン。するとそこにハシカンが!

ちょっと待って!これまで過去改変があった時にはニュースサイトチェックしてたよね?1では被害者は違う子だったのがハシカンになって、その後、今作の主人公組の死んだ子たちが被害者に加わるって形で改変されたのをチェックしてた。じゃあまず、それチェックするよね?で、それ見たらハシカンじゃなくなってるはず=ハシカンは助かってるのはわかったよね!?設定忘れちゃった!?バカ

一方で今作主人公組はループの時の体験を忘れないように記憶アンカーとして遊園地の柱に名前勝手に書く(モラルゼロバカ)。でもちゃんと設定どおり忘れちゃうんだけど5人全員が何となく遊園地に集まってきちゃって柱は見ないけど、なんとなく一緒にジェットコースターに乗って「カラダ探しなんてなくても進んでいける」的な感じで、前作とは違う形でのポジティブな終わり方をしていたのはよかった。あと、今作主人公5人組+イケメンの6人でカラダ探し攻略したのにイケメンだけ柱の名前からハブられてて草。

主人公を明らかに慕っている空手女が出てくるんだけど今作ではカラダ探しの中でそいつといい仲になったりしない。でもカラダ探しの後、カラダ探し記憶がない中で今度はなんかうまくいきそうな余韻を残して終わるのは前作との違いが出ててよかったかな。カラダ探しというチート環境関係性が進展していくことに対する自己批判目線を感じたり感じなかったりしたのは◯。

 

そんな感じかな。

まぁ1を見て好きだった人は見て損はないと思うんだけど1見て微妙だったなて人は見る必要一切ないと思う。

2026-02-05

anond:20260205114639

共産党公安調査対象団体だよ

https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html

共産党は,武装闘争を唯一とする戦術自己批判しましたが,革命形態平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し,暴力革命可能性を否定することなく(注2),現在に至っています

 こうしたことに鑑み,当庁は,共産党破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています

2026-02-04

リベラルがこの青年非難する資格あんの?

結婚指輪が高いと言ったら泣かれた

https://anond.hatelabo.jp/20260203113758

この青年ネット上のあらゆるコミュニティで叩かれたとしても

リベラルの牙城であるはてなブックマークでだけは叩かれちゃダメじゃね?

なんで叩いてんの?

 

 

1.彼にアドバイスする資格

俺はリベラル賛同したことねえからこの若者に言えるよ

  

「お前ね、夫婦の間で折半折半ってメンヘラツイフェミ主婦みたいなこと言ってんじゃないよ」

結婚指輪ぐらい男がドーンと出して嫁が欲しがってるもん買ってやりゃあいいだろうが

そのぶん頑張って働けばいいんだよ」

もうお前の気持ち価値観なんか関係ねえんだ

「目先の収支合わせとかしなくなるのが一蓮托生の夫婦というものだよ」

って。

   

でもリベラルは違うでしょ。

・万機話し合いに決すべし

夫婦であっても独立した他人である

自分気持ちを何よりも大事にすべき

・片方の趣味価値観でもう片方に負担掛けるのは許されない

・あらゆる場面で折半の収支合わせが出来てないとけしからん

・だから外で働いてる夫も専業主婦の嫁の家事を半分やれ

 

とか、

そういう俺からすればわけわかんねえ、

ちっちゃく浅い合理性を追及して全体見たら支離滅裂バカ

みたいなことばっか言ってきたのがリベラルじゃん。

  

  

2. この青年は極めてリベラル

それでこの青年思考ベースはどう見てもリベラルなんだわ。

今の若者リベラル育ちだって言うのは本当。

 

何でも折半を基本とする家計に関する考え方も

自分が納得できなければ率直に話し合ってしま姿勢

結婚指輪みてえな家父長制の軛にして固陋な因習しかないぼったくり金属に疑問を呈す価値観

リベラル的には圧倒的に正しいんだからさ。

  

いやリベラルなのはこの青年だけじゃなくて婚約者の子の方もか。   

から結婚指輪折半購入なんて夢もロマンもないことを受け入れて

更にその値打ち懐疑的見解まで示されてディスカッションされても

涙を流しながら青年側に理ありとして引いてるんじゃん。

  

リベ度が低い女ならこんなこと言われたら自分への侮辱と受け取ってひっぱたいてる。

けどこの婚約者はそういう素直な感情リベラル規範がせめぎ合った結果自分が引いた。

偉い!でも可哀想

 

  

3.リベラル思想責任取るのはお前等

まりこの婚約者の子を泣かせたのはおめーらだよ。

俺はこの子可哀想だと思うけどお前等には可哀想なんて思う資格もねーよ。

だってこの2人の価値基準自体がお前等が広めてきたお題目の結果なんだから

感情リベラル規範に引き裂かれて泣いてんだから。    

  

実はこの青年側も完全にはリベラルじゃなくて

自分は安物で婚約者には相対的に高い指輪で金は折半」っていう男側の持ち出しをしてる。

要するに男女どっちも感情リベラル規範がせめぎ合ってんだよね。

 

俺はこの2人に言う資格あるよ。

「いいかバーンと高い指輪買ってあげなさい」

「いいから満足のいく指輪を買ってもらいなさい」

って。

 

でもおめーらリベラルには言う資格ねーだろ?

この2人の境遇可哀想だとか不具合だとか思うなら

「我々が広めた浅はかなパッチのためにご迷惑をお掛けしていますごめんなさい」だろ?

  

 

4.たまには自分達のクソさに向き合ったらどうか

まり、おめーらは若者説教する前に自分自身の口と背骨の不一致を怪しめよ。

結婚指輪ぐらい気前よく買ってやらない夫」を不快に思っちゃうんなら、

お前等のリベラル価値観なんて少しも背骨に染み込んでない嘘っぱちなんだよ。

自己批判するか棄教しろよ。

  

真面目にリベラルになった結果で困ってる若者がいたら

お前等に出来るのは

「ごめんなさい、私たちが広めたリベラル規範をそんなに真面目に受け取らないで」というお詫びだけだよ。

進歩的なことを言ってる時は凡人より優れた自分になれた気がして気持ちよかっただけなの」という告解だけだよ。

  

頭だけ下げてろよ。自己総括してろよ。

何を説教とかしてんだよ、そんな資格が一番無いのに。

     

これから中道改革連合が屍と化すのも結局同じ理由だわ。

自分で信じ切れてもいない中途半端お題目を掲げて

人には大威張りで押し付け攻撃するのに自分は守ってなくて、

下の世代でいよいよ現実リベラル妄想との間に矛盾不都合が表面化しても責任取るどころか説教する。

 

そういうゴミみたいなことをずーっとやってきた迷惑白髪集団

ついに下の世代から全く同胞として見られなくなるんだよ。

それは全部おめーらリベサヨ中高年の自業自得無能怠惰傲慢の結末だと思うよ。

安住淳さんが「首のすわっていない赤ちゃん政治を任せてください」と言っていたらしいのですが、いったいかれはなにを言っているのでしょうか。

安住淳さんのその発言字面だけ見ると「えっ、赤ちゃん政治を?」と驚いてしまますよね。

結論から申し上げますと、これは安住さんが自党(当時の民主党現在立憲民主党など)の状況を自虐的に、あるいは危機感を持って表現した比喩メタファー)です。

実際に赤ちゃん議席に座らせるという意味ではなく、当時の文脈では主に以下のような意図で使われました。

発言の背景と真意

このフレーズは、主に2012年野田政権下や、その後の党の立て直し期間中によく引用されたものです。安住さんが伝えたかったポイントは大きく分けて2つあります

経験不足への自省

政権交代を果たしたものの、当時の民主党は「統治経験」が圧倒的に不足していました。自民党という熟練した(首のすわった)大人に対し、自分たちはまだ政治の動かし方がおぼつかない「首のすわっていない赤子のような集団である」という、猛烈な自己批判を込めた表現です。

「育てる」という視点の訴え

「今はまだ未熟だが、国民の皆さんに育てていただきたい」「ここから成長していく政党である」という、一種のお願い・泣き落としに近いニュアンスが含まれていました。

なぜそんな言い方をしたのか?

安住さんはもともとNHK記者出身で、言葉のチョイスが非常にストレートで、時に毒舌ユーモアを交えるタイプです。

「我々はまだ首もすわっていない赤ちゃんだ。だからこそ、これからしっかり骨格を作っていかなければならない」

という趣旨の話をすることで、当時の政権運営の混乱に対する「言い訳」と「決意表明」を同時に行おうとしたわけです。

ただ、有権者からすれば「そんな未熟な状態なら、最初から政権を担うな」という厳しい批判を招く結果にもなりました。良くも悪くも、安住さんの「正直すぎる(あるいは戦略的な)自虐」が凝縮されたフレーズと言えます

2026-01-27

佳勝会報道がが中核連に大打撃をあたえています。ここから挽回する方法を教えてください。

「佳勝会」に関する報道中核派革命的共産主義者同盟全国委員会)の組織運営や対外活動に小さくない影響を及ぼているようですね。

厳しい状況にある組織が、こうした「打撃」から挽回し、勢力を立て直すための一般的戦略を整理しました。

1. 内部結束の再構築

外部から批判報道が激しい時ほど、組織は内側から崩れやすくなります

総括と自己批判の徹底: 報道された内容に対して、組織内で曖昧にせず明確な「総括」を行うこと。指導部が責任所在をはっきりさせ、下部組織への説明責任を果たすことが信頼回復第一歩です。

教育の再徹底: 組織の基本理念綱領)に立ち返り、構成員思想的な引き締めを行うことで、動揺による脱退や内紛を防ぎます

2. 対外広報戦略の転換

隠蔽」や「沈黙」は現代メディア環境では逆効果になることが多いです。

カウンター・プロパガンダ: 報道内容に対して、事実に反する点があれば論理的実証的に反論する資料を即座に提示すること。

情報の透明化: 秘密主義的な印象を払拭するため、可能範囲活動内容や資金の流れをオープンにし、「開かれた組織」という見せ方へのシフト検討する必要があります

3. 実践活動による「有効性」の証明

議論だけでなく、大衆が求めている具体的な課題で成果を出すことが、支持を取り戻す近道です。

労働運動住民運動への注力: 報道イメージを上書きするほど、現場での実直な労働支援生活支援を行い、「自分たちにとって必要存在である」と周囲に認識させること。

SNSデジタル戦略の強化: 既存メディアフィルターを通さず、直接大衆に訴えかけるプラットフォームでの発信力を強め、若い層へのアプローチを再編します。

注意点

どのような組織であれ、現代社会において法令遵守コンプライアンス)を軽視したままの挽回は極めて困難です。社会的な「正当性」をどこに見出すかが、今後の存続を左右する大きな分岐点になるでしょう。

2026-01-14

衆院選栃木1区について立憲民主党に告ぐ。

立憲民主党宇都宮LRTに対する今までの立場を総括しなければならない。

このままではLRT反対の印象ばかりがついてまともに選挙で勝つことは出来ないだろう。

私も元々はLRTに反対だった。

それは保守的栃木県民が急にLRT生活へとシフトすることが出来るだろうかという疑念を抱いていたからだ。

宇都宮は決して都会的な街ではない。自動車が無くては生活にならない。

LRTを通すということはその分車線を減らすということ。LRTの通る東口側は、車通りは多いものの何の観光資源も無い。膨大な税金を費やして、渋滞を引き起こすだけの赤字路線になると私は考えていた。

そう考えていた市民は決して少なくない。LRT代理戦争となった2016年宇都宮市長選では賛成派51.8%、反対派48.2%の接戦だった。

私は最後まで本当に上手くいくのだろうかと訝しんでいたが、開通されてすぐにその疑念は間違っていたことが分かった。結果としてLRTは大盛況、想定を上回る乗客数で黒字が続いている。渋滞は以前に比べ解消され、東口の賑わいも創出している。

私含むLRT反対勢力は、完全に読みを外した。完敗である。今や西口延伸に反対する市民は少ない。前向きに検討したい市民多数派だ。

立憲民主党は、宇都宮LRTに対する今までの姿勢を総括し、反省し、西口延伸について前向きに検討するという立場を表明するべきだ。

自己批判の無い政党他者批判する正当性は無い。自民党に対抗する勢力として間違いははっきり間違いであったと認めるべきだ。

2026-01-12

anond:20260104123301

他の本は読んでなかったので、

anond:20260104123301

作者の闘病漫画の顔と、ペリリューの主人公の顔と、桜木武史のルポ漫画の顔が全部同じ

という点には気づいていなかった。

後書きの自画像と似ているとは思っていたけどデフォルメ絵ゆえの造形の限界だと考えていた。

今は元増田の「作者自身自己愛が強く投影されている」という指摘に下記の理由から納得している。


11巻の「戦争を描くことへの批判」は、当初は戦争漫画に描いたことについての自己批判だと受け止めていた。

ただ、その後の里中満智子先生

批判をはねつけて描いてくださった。感謝

という解説を読んでからは「(戦争の中で色々後ろ暗いことをしてきた人達からの)批判に負けずに描いた自分

というナラティブに回収するための場面だったのでは、と考えるようになった。

戦争を美化・物語化しない姿勢を示しつつ、戦争を描く自分を美化・物語化しているように見える点は、ダブスタに感じる。


また、証言拒否したキャラクターに対して「語らない=後ろ暗いことをした」という背景を背負わせるのも問題だと思う。

戦場体験を語らないまま亡くなった人は多いが、体験凄惨すぎて言葉にできないことも多かっただろうに、

「悪いことをしたからだ」と戦争犯罪と直接結びつけるべきではない。


じゃあなんで実在人物モデルキャラクターでそういう背景を持たせたんだろう。

一応作者はモデルにしている実在人物はいないと言っているけど(この作者は言い訳が多すぎる)、

批判の背景を調べると実在人物発言内容が記述されている記事がすぐに出てくる。

実在人物と紐づけが容易なキャラクターであれをやるのは本当によくないので元増田共感した。

2026-01-05

anond:20260105225211

 「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongs don’t make two rights.)』とでもいうべき原理重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり自己批判倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」

 「ハマス民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険詭弁です」

 「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやす落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求典型的に表れています

 ――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。

 「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判東京裁判に対して、ドイツ日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己事件裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配侵略を行ってきたし、原爆無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」

 「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」

 「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義回復されるかたちで終結させなければなりません」

法は「正義への企て」 では「正義」とは…

 ――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。

 「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」

 「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます

 「それでは『正義』とは何でしょうか。一口正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人自由権利絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions of justice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept of justice)』です」

 「私が考える正義概念規範は、『普遍化が不可能差別禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分からいい』『損するのが他者からいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者視点立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能テスト要請します」

 「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的特定しませんが、およそ正義構想の名に値しないもの排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義レース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格テストするものです」

 「他者負担ただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利保障せずに労働力搾取する。民主主義人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制首長国家のクウェートサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマス戦争責任は問うのに、イスラエル蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています

 「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通正義概念に照らして公正な政治競争ルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルール保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法なかに具現化するものです」

 「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的武力行使を発動するのでは、正統性調達することはできないのです」

 「米国バイデン政権時代イスラエル戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシア報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」

されど国連 夢の断片を回収し修復を

 ――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置必要ですか。

 「世界では今、欧州連合EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増していますしかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます

 「国内で至上の権力もつ危険である主権国家は、個人人権保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しか虚構からこそ、巨大な力の格差という現実補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分制裁が科されるからです」

 「国連現在、様々な欠点があるとはいえ国際的正統性調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配残滓(ざんし)である常任理事国拒否権を制約するなど、安保理改革必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国拒否権行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力経済力以上に重要正統性調達力というソフトパワー毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」

 「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」

井上達夫さん

 いのうえ・たつお 1954年まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治研究科教授を務め、現在東京大学名誉教授。「法という企て」「現代貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。

2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室 化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作 キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬 アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1 新潟VS山口 総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

2025-12-06

島国根性という単語概念イギリス起源であるという奇説

以下は「『島国根性』という単語概念イギリス起源だという“風説” についての整理と解説です。

結論

島国根性』という言葉概念も、日本で作られたものであり、イギリス起源ではありません。

英語island mentality のような語があり、日本語の“島国根性”はそれを輸入した」という説は誤りで、歴史的根拠がありません。

■ なぜ“イギリス起源説”が流布するのか

日本では「島国孤立性・排外的」という イメージ分析文脈で しばしばイギリス日本比較されてきた ため、

イギリスにも同じ概念がある → 日本語の“島国根性”の原型もそこから来たのでは?」

という連想が生まれやすい、という社会心理的背景があります

ただし、実際には以下のとおり:

英語の “insular” や “insularity” には「島国的」「視野が狭い」という意味合いがある

しか英語に固有の定型句island mentality/character” が歴史的に広く使われていたわけではない

まして日本語がそれを借用して作られたという証拠は見つからない

まり概念類似はあっても、語の由来関係はない。

日本語「島国根性」の成立史

島国根性」という言い回し日本語の明治大正期に定着した表現で、

日本社会批評文明論の文脈で生まれました。

明治後期〜大正期の新聞評論で頻繁に登場

外国文献を直接の語源とした証拠はない

しろ日本国内の「自己反省的・自己揶揄的」な造語

当時の日本は「欧米化開国・国際化」に直面しており、

内向性・閉鎖性への自己批判として「島国根性」という言葉が使われ始めた、という流れです。

イギリスの“島国概念との混同

イギリスには古くから

insular(閉鎖的)

Little Englandism(小イギリス主義

といった自己批判的語彙があります

ここからイギリスにも島国根性がある」→「イギリス発では?」という誤解が広まった可能性はありますしかし、

🔹言語的にも歴史的にも、日本語の「島国根性」と英語の“insular”や“Little Englandism”には直接の語源関係はない。

■ まとめ:風説の正体

島国根性英語起源」という話は、

イギリス日本がともに島国である

イギリスにも“insular”“Little Englander”のような語がある

それが日本語の由来だ、という誤った飛躍

から生じた 都市伝説的な風説 と考えるのが妥当です。

anond:20251206061004

そもそも

「じゃあ」とか言い出すときはぐうの音も出ないときなんだよなー

これが意味不明すぎる。内容の当否はともかく具体的に反論してた以上その時点でぐうの音も出ないという指摘は当たらない。

ぐうの音も出ないというのは、そうやって意味不明で中身の無いレッテル貼りをしているお前の自己批判になってしまっていると考えるほうがよっぽど妥当

dorawiiより

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=ItOi
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2025-12-04

https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1995736137768267928

参政党の安藤議員政府国債を発行すれば、その同額だけ国民資産が増える、ということでいいか

日本銀行「その通りです」

安藤議員ありがとうございます政府が“赤字”という形で国債を発行すれば、それは国民にとって“黒字”であり、資産であるということ」

この人の限らんが日銀事実確認を行っただけにも関わらずこれに対してMMTはー、とか言ってる奴らが湧くのは一体なんなのか。

https://megalodon.jp/2025-1204-1655-00/https://x.com:443/matt_noyes_/status/1995866533378359401

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

 現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループだ。おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。

 政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している。

とか書いてる記事を以前謎に紹介されたがそ政治的に悪質なグループとは一体だれのことだろうか?

ところでこの自由主義研究所というところ、このような紹介がされてるが思想に正解はないのでいいとしても、学術内容を広げることを目的にしていたら自己批判出来なくならないか

自由主義研究所は、国際標準自由主義であるクラシカルリベラリズム」「リバタリアニズム」「オーストリア学派経済学」を広げることを目的として、2023年1月設立した民間シンクタンクです。「個人強制されることはできるだけ少ないほうが良い」という自由主義の価値観は、「福祉国家」による現代日本問題根本を考える上で重要なことです。

https://agora-web.jp/archives/author/libertarianism

2025-11-24

2匹のライオンに襲われてるけど勇ましく抵抗している黒白の動物が映された動画付きで「これはなんと言う動物ですか?」っていう投稿がXで流れてきていやどうみてもスカンクやんと思って一応調べたらやっぱりスカンクで、Wikipedia開いたらすごく詳しく書いてあってフムフムって読んじゃったけど捕食者の下りの一文で

ほとんどの捕食者はスカンクを襲うことはないが、ワシやフクロウなど、頭上からいかかる嗅覚の鈍い捕食者には効果がなく、餌食となることが多い。

と書いてあるんだけどなーんか違和感があるというか気色の悪い文だなあと思って何故だろうと考えたんだけどたぶん前半が「捕食者は」なのに対して結びが「餌食になることは多い」というふうに🦨が主語になるべき表現になっていてチグハグなのが理由なのかなあって結論になったけど別に意味は通るし普通に読んだらわかるし破綻してるわけじゃないし気にしすぎだよお前って自己批判に陥ってぴえんになった

2025-11-07

anond:20251107131700

自分では気付きにくいんだから差別してません』で終わらせずいったん内省しろ」が普通結論だろ。

徒手空拳自己批判始めようとしても、自分差別には気付きにくいんだから内省してみたけどやっぱオレ差別してねーや」で終わるんだから他人の指摘に耳を傾けないと始まらない。

自分差別に気付きにくい」って前提を置いた時点で、他人による指摘を封殺する論は成り立たねーんだよ。

anond:20251107131250

差別してませんで終わるに決まってるじゃん

指摘されても対立生むだけだから左翼が大好きな自己批判しろって話だぞ

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